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キム・ヨナのひどすぎる不正採点について書いていくわよ!

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アネザイチカ

Author:アネザイチカ
フィギュアスケート女子シングルの採点のヒドさについて書いていくわよ!リンクフリーよ!あたいの名前はアネザイチカよ!

アイスホッケー女子南北合同チームが受賞 ANOC年間表彰式



ひっさびさの話題ですしなんとお江戸に来たそうな!!!


アイスホッケー女子南北合同チームが受賞 ANOC年間表彰式
https://www.sanspo.com/sports/news/20181128/spo18112822540008-n1.html

各国オリンピック委員会連合(ANOC)は28日、東京都内で年間表彰式を行い、2月の平昌冬季五輪でスポーツを通じて希望をもたらした選手、団体に贈られる賞は五輪で初めて結成された韓国と北朝鮮のアイスホッケー女子南北合同チーム「コリア」が受賞した。

 韓国、北朝鮮の両選手とともに北朝鮮の金日国体育相も登壇し、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長からトロフィーを受け取った。

 「卓越した演技賞」はフィギュアスケート女子で2010年バンクーバー冬季五輪金メダリストの金●児(韓国)が受賞。平昌五輪の最優秀選手には男子がスノーボード・ハーフパイプ(HP)で3度目の頂点に輝いたショーン・ホワイト(米国)、女子はスピードスケート・ショートトラック女子500メートル覇者のアリアンナ・フォンタナ(イタリア)が選ばれた。


「五輪の政治利用」をIOCが思いっきりしているんですがw

そしてあいかわらずバッハは韓国大好きっ子☆ですねえ。サムスンによほどオイシイ思いをさせてもらったんでしょうね。

「卓越した演技」ねえ。皆さんはキムの演技について何か覚えていますか?

マレー熊だったという薄ぼんやりした記憶のかなたから「それスケート一切無関係だよね」な「ニタリ笑顔のバキューン!ポーズ」とか「トイレどこ」とか「急な腹痛で辛いニダ!」とか、あいまいな何かが浮かび上がってきませんかwwww

癒着の構造を明確にセルフ開示していくIOCは馬鹿なんじゃないかと思います。

あとキムさん、顔が変わりすぎw






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12/8,9 今井遥さんトークショー&サイン会



2013年の全日本。今井遥さんは盲腸で手術が必要なのにもかかわらず、薬で散らして強行出場。

「死ぬのは怖くないけど全日本に出場できないのは怖い」とおっしゃって。

この言葉の真意がわかる人だけが、「自分の目」でフィギュアスケートを見ていると言えるでしょう。

どれほどの重みがある試合なのか、ここにすべてをかけて戦ってきたまっとうな選手としての、フィギュアスケーター・今井遥の輝きです。

美しいスケーターです。見た目が美しくても心映え悪しきがゆえに醜く見える人間、とくに女性を「醜女(しこめ)」といいますが、今井さんがそうなることは決してないでしょう。
「天使」とあだ名されてもそれが当然に思えるほど、「行動が」美しい。心が綺麗な人でなければできないことがたくさんある。

立派なスケーターだと思います。



今井遥さんのTwitterアカウントより
https://mobile.twitter.com/harukaimai831/status/1064797876432171008
2/8(土) 八重洲ブックセンター 本店
9(日)チャコット新宿店にて
『フィギュアスケート美のツボ』刊行記念 トーク&サイン会が行われます
それぞれ違うテーマでお届けします!会場でお会いできるのを楽しみにしています

美のツボ





勝手な願いなんですが、今井さん、真央ちゃんと合流できないかなあ。真壁への遠慮ってもう、いらないのではないのかしら?
コーチを希望されていますが、兼業でサンクスツアーで全国を回るのは無理かしら?

村上大輔さんとともに、サンクスツアーで見られたらいいなあと夢想しているスケーターのおひとりです。

土日の開催です。吉川先生のイベントとまるかぶりしているので、わたしは9日のチャコット新宿に参加したいと思っています。そちらはまだ要項が未公開なので楽しみにしています。

嬉しいな。会いたいなあと思っている人に会えるチャンスをいただけて。
お江戸在住なのは本当にありがたいことですね。東京ゴリ押し五輪前に東京を出ようと思っていますが、リンクはそこら中にあるし、イベントもたくさん行われるし、カイイの遺作もハルカもやってくる!となるとなかなか決心が鈍ります。

と同時に「真央ちゃんがご近所にやってくる!」というのは本当に本当にありがたくて嬉しいことなんだなあとあらためてその偉業を噛み締めています。

友人に講演会のことを話したら「GPSシニアデビューのときの大きな3-3のルッツトゥを覚えていますよ!鮮烈なデビュー戦でしたね!」と絶賛でした。とてもスケートに詳しくてなんでも知っている人の折り紙つきです。
そういえば庄司理紗さんも最近見かけたとか。この友人の「出くわし運」のすごさは異常wだってみどりさんが練習しているところで自分も滑ったりとか、めちゃくちゃ恵まれているんですよ。熱心に練習に通っているからものすごい勢いでどんどん上達しなさっているし。

と、いろいろ余談になりすぎました。

いろいろあった現役時代を経て、悔いはない、と次のステージに立った今井さん。

これからも応援し続けたいです。


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イベント紹介 12/8 ふたご座流星群とその母天体フェートンに挑む〈入場無料・事前予約制〉



平日昼間なので、お勤めの方にはちょっと難しいかもしれませんが、、、


12/8(土)東京スカイツリータウンⓇキャンパスにて講演会
「ふたご座流星群とその母天体フェートンに挑む」を開催

https://www.it-chiba.ac.jp/topics/perc1208/

千葉工業大学惑星探査研究センター(PERC)では、国立天文台(NAOJ)、JAXA宇宙科学研究所(ISAS)とともに、皆様に小惑星探査の最前線を知って頂くため、ふたご座流星群の極大時期に合わせ、ふたご座流星群と、その母天体である「フェートン」に関連する一般講演会を開催いたします。

日時:2018年12月8日(土)13:30~15:30
場所:千葉工業大学 東京スカイツリータウン®キャンパス ルームA 
   〒131-0045 東京都墨田区押上一丁目1番2号 東京スカイツリータウン®ソラマチ8F
定員:180名(申込順)
入場無料・事前予約制〈ご予約受付〉
主催:千葉工業大学惑星探査研究センター(PERC) 共催:国立天文台(NAOJ) JAXA宇宙科学研究所(ISAS)


※イベント詳細はリンク先をご確認ください。


みんな大好き、俺たちの吉川真先生が登壇なさいますよ!個人的に、この方はJAXAで随一、少なくともISASでは筆頭の座談、講演、「説明の達人」だと思います。講演会の名手。本当にわかりやすく、しみじみと暖かく優しくお話をしてくださいます。

「はやぶさ」が耐熱カプセルを抱いて地球に戻り、放出したあと、大気圏に突入して四散しました。あのときの世にも美しい光景は忘れようがありません。あれほど美しいものを見たことがないと思いました。
耐用年数をはるかに越えて地球からの指令を忠実に守り、回路に組み込まれていないはずの奇妙な「協力体制」までも示してくれた「はやぶさ」くん。壊れるなよ、がんばれよ、と祈りながら見守り続けた長い時間のその最後に、燃え尽きるためのコースに乗せ、散華させなければならなかった「はやぶさ」くん。

突入角度、突入速度、このふたつが明確で、何よりも飛び込んでくるモノそれ自体の素材と質量がわかっている。これは本当に得難い科学実験のひとつであり、「はやぶさ」はその「死」すらも、人類の進歩のために捧げ尽くしてくれました。

そのデータを用いて、隕石の研究も飛躍的な進化を遂げたことと思います。

当時、偉業の達成への歓喜と敬意と、そして失われる「はやぶさ」の命を思いさめざめと涙にくれていた自分の目の前で「燃えろ燃えろどんどん燃えろ」と小躍りしていた国立天文台の観測チームの皆さんのことは生涯忘れないでしょう(笑)。
ウッキウキだったよね。うん。うん。
いや、そういうものなんでしょうけども。うん。
とある別な講演会でのひとこまです。

それにしてもわたしにはわからない、「はやぶさ」ほどの大偉業、「人類」そのものの活動圏を数億キロも拡大し、「人類」の知識と、情熱と、憧れとを強力に伸長させたこの奇跡のプロジェクトが、なぜもっとずっと日本人全体に根付き、共有され、その尊い価値を大切にされていないのか、と。

まさに「もっと驚いてください、皆さん」ですね。

わたしは、忘れません。そしてこのように偉大な成果をあげてくださった、「科学」というものの素晴らしさとそれに携わる皆さんには満腔の敬意を表するものであります。

だがしかし、「道具」は使う側によって悪にも善にもなってしまう。

日本は宇宙基本法の改悪から、「宇宙部隊」創設まで、そしてこれ以後、軍事利用していく方向に大きく舵を切ったことは間違いない。

さまざまな政治的駆け引きの中で、それが巨大な潮流となって「世界で唯一、軍事利用からセパレートされていた日本の宇宙”開発”」は姿を変えていくでしょう。

筑波で行っている「みちびき」の運用も、さまざまな意味を持っています。いい面だけでは決してない。

「完全な善」の側に立つ信頼できる科学者のひとりとして、吉川先生のお話を再び聞くチャンスを得るということは、大きな光栄であります。
楽しみだなあ!吉川先生は本物の紳士です。理想の科学者のおひとりです。

科学なんて!とナナメに構えていたわたくしメは、宇宙科学研究所の皆さんのおかげで科学万歳!だけど運用する側の意図には要注意!という考え方にすっかり変わってしまいました。

川口先生が講演会でおっしゃっていた「科学は人類の幸福のためにある」が雷鳴のようにとどろきわたり、「本当にそう思って実際にそのように生きている立派な人間」の存在を知って驚愕し、「科学によって再確認されるオカルト=隠されていたもの=人間側が野生の直感を摩耗させ、計測、感得、数値化する手段を失って以後、外の世界のモノを使って、あらためて認識しなおしている森羅万象の仕組みと組成のものすごさ、を、みんなに伝えてくださる人」を知ることは大きな喜びであります。

ちなみにフェートンといえば「フェートン号事件」。
ことのついでにこちらの記事にもぜひ目を通してみてください。

欧米か!と大声でつっこみたい「フェートン号事件」 2015/ 08/ 13
http://figureskateandsoon.blog.fc2.com/blog-entry-1227.html


ご都合のつく方は、ぜひ!楽しみだなあ~






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国際体操連盟 日本企業が開発の“AI採点”を採用



ビバ!富士通!

> 富士通の阪井洋之執行役員常務は「体操は、ほかのスポーツにくらべ動きが速く、それを正しく認識するのは大きなチャレンジだったが、やる意義が高いと感じている。今回の技術を使って今後はシンクロやフィギュアスケートなど採点が必要なほかの競技でも活用できる可能性があると考えている」と話していました。


国際体操連盟 日本企業が開発の“AI採点”を採用
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181120/k10011717551000.html
2018年11月20日 19時05分

体操競技は年々、技が高度になり、審判の採点も難しくなっています。こうした中、国際体操連盟は日本企業が開発した、AI=人工知能の技術を採点に取り入れることを決めました。

国際体操連盟が導入するのは、富士通が開発したAIを使って採点を支援するシステムで、来年10月の世界選手権以降、国際体操連盟が主催する大会の採点に取り入れられます。

このシステムでは、選手の体とその周辺の200万か所に赤外線のレーザーをあてて選手の動きをとらえ、リアルタイムで3次元の画像に変換します。

その画像をもとにAIが体の回転やひねりなどを分析して過去の演技のデータとつき合わせたうえで、採点基準に基づいて技の完成度を判定します。

20日はあん馬の演技を実際にAIが判定するデモが公開されました。

会場のモニターには3次元の画像が瞬時に表示され、倒立の角度や姿勢がまっすぐかどうかなどを数値化していました。

実際の国際大会ではこのAIの判定と審判の人の目による判定を組み合わせて最終的には審判員が総合的に判断して採点を行うということです。

国際体操連盟の渡辺守成会長は「技が高度になっていくと人間の目で正確に判定するのには限界がある。誤審などが起こると、選手生命にも関わる大きな問題になるのでテクノロジーの力で公平な審判ができることを期待したい。東京オリンピックでも活用したい」と話しています。

AIで採点する仕組みは
富士通が開発した採点の支援システムでは、赤外線のレーザーを発する機器を使い、選手の体とその周辺の200万か所にレーザーをあてて、選手の動きを読み取ります。

これをリアルタイムで三次元の画像に変換して、その画像から選手の骨格の動きを読み取ります。
そして、AIがデータベースに記録されている過去の演技の正しい動きと突き合わせて、脚や姿勢が曲がっていないかなどを判定します。

この仕組みは富士通が独自に開発した技術で、去年から国際体操連盟とともに世界大会などでシステムの実証実験を行い、その精度を高めてきました。

当面は審判員の採点を支援するために用いられますが、富士通では東京オリンピックが開催される2020年をめどにこのシステムで自動的に採点する技術を確立したいとしています。

富士通の阪井洋之執行役員常務は「体操は、ほかのスポーツにくらべ動きが速く、それを正しく認識するのは大きなチャレンジだったが、やる意義が高いと感じている。今回の技術を使って今後はシンクロやフィギュアスケートなど採点が必要なほかの競技でも活用できる可能性があると考えている」と話していました。

また、デモで演技を行った日本体育大学の選手は「これまでは審判から見えているところを重点的に練習していました。このシステムではごまかしがきかないので怖い面もありますが、より公平に採点が行われるのはいいことだと思います」と話していました。



以下の画像はバルセロナのグランプリファイナルの会場で私が撮影したものです。

201501160529467cf_20181120195226fc9.jpg

201501160529453eb_20181120195223d83.jpg

ジャッジ、選手の演技なんか見ちゃぁいねえんですよ。目の前の小さなモニターに評価を入力するのに大忙しで。
おそらく事前の談合でISUが決めた格付け通りに機械的に入れ込んでいるだけでしょうし、選手の実施要素のビデオ映像も「たったの一ヶ所」からしか残さないってのもおかしな話で、60×30メートルの巨大なリンクであればなおのこと、複数視点での映像もいるでしょうし、リプレイ画像だって特定方向からだけでなく正しく確認すればいい。

できないことはないんですよ。

「正しい採点」ができるなら飛びつくはずですよね、普通。

公正な採点がなされると困る人間たちがいるから導入されないんですよ。


他の競技は試合を無料で開催したり(フェンシングもそうですよね、非常に格の高い国際試合をスポンサーをつけて無料で開催)、連盟役員がルールを説明してすそ野を広げようとしたり、懸命に広報活動をしています。

スケ連だけですよ、副会長みずからが「ルールに詳しくなるな、衣装でも楽しんでろ」と言い放つようなところは。

そういえば佐野稔、神宮アイスメッセンジャーズを「知らない」とテレビで言ってしまったそうじゃないですか。
え?
神宮アイスメッセンジャーズは佐野がヘッドコーチをしている神宮をホームリンクとしています。それにスケ連の強化チームです。
国内ほぼ一強の歴史と伝統のあるシンクロチームですよね。

それを「知らない」とは。

z.jpg

言われたほうがどんな気持ちになるかまったく配慮がないですよね。

「こういう言動」をする人間なのでわたしが「痴呆の疑いがたいへん強い」とか「老害」とか「嘘ばかり」と申し上げても平気でしょうね。
そもそも佐野稔はスケ連理事ということになっていますけど、強化チームを決める際にも「知らない」チームでよし、とホイホイ強化費用を渡しているってことですか?
なんという怠慢でしょうか。異常です。

こんな能無しの老害を雇い続けるほど潤沢な資金があるんですか?そのカネはどこから流れ込んでくるんですか?

知れば知るほど「おかしい」ことしかないんですよ、スケ連は。

他競技の組織に関係する人に佐野の「知らない」発言を伝えたらまたしても絶句されましたよ。
恥を知れって話です。みっともない。



富士通さんに急いで見積、作ってもらうべきですよISU。





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IOC 台湾呼び方変更認めない方針 住民投票に影響も



いやいやいや、これはアカンですよ。絶対に。


IOC 台湾呼び方変更認めない方針 住民投票に影響も
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181119/k10011716361000.html
2018年11月19日 19時11分

オリンピックに出場する際の台湾の呼び方を「チャイニーズ・タイペイ」から「台湾」に変更するかどうかを問う住民投票が予定されていることをめぐり、IOC=国際オリンピック委員会は変更を認めない方針を示しました。

台湾のオリンピック委員会はIOCから届いた今月16日付けの手紙について19日、内容を明らかにしました。

この中でIOC側は、1981年に台湾と合意した「チャイニーズ・タイペイ」という呼び方について、ことし5月に開いた委員会で、変更を認めない方針を決めたとしています。

そして台湾が呼び方の変更を求めた場合、合意を履行せず、IOCの決定に介入したとして、台湾のオリンピック委員会の資格を停止する措置がとられる可能性もあるとしています。

台湾では、市民団体がおよそ43万人分の署名を集めたことを受けて、今月24日、東京オリンピック・パラリンピックなどに参加する際の呼び方を変更するかどうかを問う住民投票が行われる予定です。

今回示された方針は住民投票で呼び方の変更に賛成する票が多数となった場合でも協議には応じないとするIOCの立場を明確にした形で住民投票の行方に影響を及ぼす可能性がでています。



IOCの中韓媚びが露骨ですね。
テロ国家とテロ支援国家の集まりである南北朝鮮の連合体での参加はOKなのに、台湾を台湾として扱わず「中共の一部」とするという宣言はまったく納得できません。

もうなりふり構わず集金、集金、また集金、ですね。






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「舞さんの歩み」(黒と虹さん編)



舞ちゃんに、届けこの想いと願っています。

考え深く、慎重で、やさしさにあふれたこのコメントを皆さんと共有させていただきたくて、掲載のお願いをいたしました。
「黒と虹」さん、本当にありがとうございます。



2018/10/22 黒と虹さん

舞さんの歩み

何年か前にこちらのブログへお邪魔した者です。舞さんへの愛溢れる記事をありがとうございます。
私も姐様と同じく、舞さんが今年いっぱいでサンクスツアーを卒業されるのが悲しくて仕方のない1人です。

姐様がご覧になられたかどうかは分かりませんが、先週放送された舞さんが出演された番組で(ご覧になっていなかったら、大変申し訳ありません…)
30歳になった今でもまだ妹へのコンプレックスがふつふつと出てきてしまう、自分の中で消化(昇華)できていない等心境を吐露されており、しこりがまだ残っているようなご様子でした。

人は、幼少期~思春期にかけて自己肯定感が培いきれなかった部分が多くあると、無意識に他者と自分とを比較してしまったり、思考が自己否定に陥りやすいと以前読んでいた本に記されていました。舞さん自身が、自分のありのままを肯定的に受け止めきれていないがために、どうしても真央さんとご自身を比較してしまいモヤモヤした感情が湧いているのかもしれません。(あくまでも私個人の勝手な憶測です、すみません)

「今でも」という言葉の中にスケートに再び打ち込む日々の中で、過去の記憶やトラウマが甦ることがあったのかな……
もしそうであれば、スケートと程よい距離を保ち、辛い過去やトラウマに正面から対峙して、深く内観して記憶を癒す時間を舞さん自身が望まれていたのかな……と番組を見ながら思いを巡らせていました。

「今の時期になぜ…?」「何度もテレビで言わなくていいのに…」という疑問の声もネットでは挙がっていましたが、幸せな家庭を築きたいと願う舞さんにとっては、結婚しお子さんを持たれる前に、心の奥底にまだまだお母さまや自分自身を許せていない部分が残っていたことに気付き、しこりを本当の意味で解消し、前に進むきっかけを得るという意味では意義の有ることだったのではないかな…と勝手ながらですが推察しました。


番組の構成については思う部分が多々あります…!霊能者の方の「スケートが合わないのでは…」「あなたは飽きっぽい」等の発言に対し断固反論したい気持ちを持ちました。3Aを跳んでいた舞さんがスケートが合わないはずが無いですし、多方面で活躍できるポテンシャルを持ち、1つの事のみに絞らない生き方ができる舞さんに飽きっぽいという発言は首をかしげざるを得ませんでした。それに、舞さん真央さんに深い愛情を向けられていたお母さまを“厳しい母親”という側面を全面に押し出す演出にも疑問を持ちます。(同時期、スケ連の真央さんへの目に余る対応や、マスコミの心無い報道がもしも無かったらば、お母さまの心労も少しは軽減されていたのでは…)


番組の作り自体には問題点が多くあると感じましたが、舞さんのツイッターには、番組を見て自分も親子関係で悩んでいたという旨の感想が寄せられており、舞さんがトラウマと向き合いお母さまのことをおもんばかる姿に感銘を受けた方が多くいたことが伺えます。
悲しみとどう向き合い、どう折り合いを着けながら前を向いていくのか、舞さんの一人の女性としての心の歩みを見させていただきました。
舞さんの姿を通して何かしら人生における“気づき”を得た方が多くいらっしゃったと思います。

舞さん真央さんお二人とも、悲しみを乗り越えた人だからこそ、深い慈しみの心を持たれた美しい方たちです。共に隠すことなくご自分のありのままの姿を氷上やテレビその他メディアで見せてくださる尊さに感謝します。

最後に勝手な願望を連ねると、舞さんには、姐様の仰る通り、もっと自分自身で自分を誇って欲しい…。ありのままの舞さんを舞さん自身が許して、認めて、もっと好きになって欲しいです。
多くの人を魅了できる華、ありのままの心情をさらけ出せる勇気、そして家族思いな優しい人柄を舞さんは持っていらっしゃるのだから。
そしていつか近い将来、舞さんが望む温かい家庭が築けますように。

舞さんの気が向いた時に、また氷上でキラキラした姿を見せて欲しい……!


以前から姐様が書かれる舞さんの記事を拝見することで、舞さんの魅力を再認識してきました。舞さんへの大切なお手紙のような記事の数々、読んでいてこちらも心が温かくなります。


最後に、大変長々と書き連ねてしまい、乱筆失礼いたしました。勝手な憶測や願望ばかりを書き連ねてしまったことをお許しください。

これからも陰ながらですが応援させていただきます!


数ならぬ身の自分にまで暖かいお気持ちをお寄せいただきまして感謝にたえません。ありがとうございます。

このブログに掲載し、舞ちゃんと、舞ちゃんを応援する皆さんとシェアすることをご許可くださいました「黒と虹」さんに心から感謝申し上げます。どうもありがとうございます。



舞ちゃん、大好きな舞ちゃん、どうか「浅田舞」その人に、愛を存分にあげてくださいね。

舞ちゃんが幸せであることがいつだって最優先されるべきなんですから。






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韓国と北朝鮮 IOCに32年夏期五輪の共同開催意向伝達へ



あーあーあー!だから譲ってはいけないんですよ。こういう連中には、決して。



韓国と北朝鮮 IOCに32年夏期五輪の共同開催意向伝達へ
http://m.yna.co.kr/mob2/jp/contents_jp.jsp?cid=AJP20181102002600882&domain=6&ctype=A&site=0100000000

【開城(共同取材団)、ソウル聯合ニュース】韓国と北朝鮮は2日、北朝鮮・開城工業団地内の南北共同連絡事務所で体育当局会談を開き、2032年夏季五輪を共同開催する意向があることを国際オリンピック委員会(IOC)に伝えることで一致した。 

4カ月ぶりに開かれた南北体育当局会談で握手する韓国代表(右)と北朝鮮代表(写真共同取材団)=2日、開城(聯合ニュース)


 また来年のハンドボール男子の世界選手権で南北合同チームを結成し、出場を目指すことでも合意。これらの内容を盛り込んだ報道文を発表した。

 報道文によると、南北は20年東京五輪など国際大会に共同で参加する。合同チーム結成に関連した実務的な問題はIOCなどと協議しながら推進するという。

 スポーツ分野の共同発展のため、南北で開かれる国際試合には積極的に相互参加し、スポーツ交流に関する実務的な問題は共同連絡事務所を通じて協議することを決めた。

 この日の会談には韓国から盧泰剛(ノ・テガン)文化体育観光部第2次官、北朝鮮からは元吉宇(ウォン・ギルウ)体育省次官が代表として出席した。

kimchiboxs@yna.co.kr


どうして韓国人は怒り狂い、政府に抗議しないんでしょうか。

北朝鮮は「韓国人も」拉致・監禁、そしておそらくは残念なことに殺害もしているんですよ。
現在進行形でテロ国家なんですよ。

「こんな国」にしたのも韓国ならば「こんな国」に媚びて滅びようとしているのも韓国です。

日本も決して人のことは言っていられないですが。

IOCは終わりですね。

なにが平和の祭典だ。政治、政治、政治!完全な政治利用の場、金儲けの場じゃないか。
クーベルタン男爵はあの世できっと血の涙を流しているぞ。





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国立新美術館「東山魁夷展」が素晴らしい



生誕110年 東山魁夷展
http://kaii2018.exhn.jp/

姐さん的人類史上における三偉人
・浅田真央(伊藤みどり含む、もうある意味で自分にとっておんなじ存在)
・川口淳一郎
・東山魁夷


この三傑のおひとりですよ、行かないはずがございません。前売りチケットがあっという間に売り切れて、トートバッグつきも、大変お得なペアチケットも入手できず、当日券で入りました。
すごいですよね、平日、月曜日の朝10時にすでに行列でしたから。高齢者が多かった。熱心に真剣に見入る姿が多かった。

今回の記事は、1行ごとに「※個人の感想です」と書かないといけないくらいの独断まみれなんですが、わたにしとって東山魁夷を語るということはほとんど宗教的告白に近いほどの、畏敬と、憧憬と、感謝とを伴うもので、実は勇気がいることです。

でも、絶対行ったほうがいいよ!と声を大にして申し上げたいので、記事にさせていただきました。
というか「なぜ行ったほうがいいのか」の理由にいくまでが猛烈に長いのでほんとうにすみません。
年よりは話が長くなって困ります。

「怖いから行って!」が一番近いかなあ。すごい、でも、すばらしい、でもなくて、「もう、そういう領域じゃない」んですよ。

これまで最高だ素敵だ尊敬だと思っていましたが、東山魁夷先生、いやさ、カイイはヤバい!ということがよーーーーーーくわかりました。
打ちのめされました。

先生がご存命でもしこの記事をご覧になったとしたら、いったいなんとおっしゃるのか。ふふっと笑ってくださるのでは、と思いながらも大切なことを語るときの常のくせで思い切り不謹慎ですので、先生をお好きな方には不愉快かもしれないですが「とにかくそう思っちゃったんだもん」ということを書かせていただきたいと思います。

ほんとにすみません。

唐招提寺障壁画、これら一群の「絵」は、全人類に対する挑戦でもある。
だって、「生きている絵」ですよ。「そこにある実在」ですよ。

こんなモノ描かれたら他の画家はいったいどうすりゃいいんですか。


途中で何度も悲鳴をあげました。心の中で。

「やめたげてよう!後輩をいじめないだげてよお!先輩をブン殴らないでよお!」と。

「オラ、こんなとてつもないモノと直面させられるとは思ってもなかっただ!こんなことになるだなんて、オラ、どうしたらええかわからねえですだ!」ですよ。

「なして閲覧注意と掲示されてねえのかオラにはわからねえですだ!正真正銘の閲覧注意ですだ!」

ほとんど「助けて!」でした。

「助けて、あらゆる芸術表現の頂点がこんなにある!」

もうね、本当に驚くと口がポカーンと開きますよね。腰を抜かして立てなくなりますよね。

カイイ・・・恐ろしい子・・・!ですよ。







まず、『晩鐘』です。

中学生のころでしたか、初めてこの絵の実物を見たときに、「ああ、生きていかなきゃいけないんだな」と思いました。
「ちえっ、しょうがないな、生きている以上は生きていかなきゃいけないんだな」と。
それも、「ちゃんと、正しく、善きことをめざしてもがいていかなきゃいけないんだな」と。
ほとんど人生の規範です。指導者です。アネザイチカの善導者は東山魁夷の『晩鐘』だった。

この絵がなかったらわたしは生きていられなかった。

天使のはしご、ジェイコブズ・ラダーが美しい。屹立する鐘楼に降り注ぐ天からの光。

「目指すべきものは、あるんだな」と子供心に思いました。

「描くことは祈ることである」という先生の言葉が添えられていて、雷に打たれたような衝撃を感じました。だってまわりに美しいもの、素晴らしいもの、尊いものを実際に提示している大人なんてただのひとりもいなかった。誰もどこにもいなかった。そんなもの絶望しかない環境ですよ。どんなスラム育ちだよと思われるかもしれないですが育ちが悪いこと以前に、「尊敬できる大人がゼロ」というこの絶望。虚無しかないですよ。生きてなんかいけないですよ。

そういうときに、ガーンと打ちのめされたのです。「本当に祈りながら生きている人がいる!本当に祈りを形にできる大人がいる!」と。

感動しました。立ちすくんだ。後にも先にも、あれほどの衝撃を受けた絵はなかった。

日本版パトラッシュの、少年ネロが生涯かけて恋焦がれた「ルーベンスの絵」ですよ。教会さんサイドがおゼゼを払わないと見せません、とぶ厚いカーテンで隠していた天使の絵。それがばばーんと現れた。そんな衝撃です。

「口できれいごとを言うだけではなくて、本当に祈りを結晶化させて、世にも麗しく結実させた美と正義と真実と理想の世界がここにある!」という衝撃。

どれほどの感動だったか。書いててかわいそうで涙が出ますよ。どんだけ貧しい世界だったのだろうかと。

生きている人間の中に尊敬できる人がまったくいなくて、わたしゃ神様仏様とばかり遊んでいました。本当にかわいそう。

そりゃあこんなことにもなりますわ(どんなこと)。

美しい心根とか暖かなふるまいとか、とにかく澄んで清らかな行いをする者がない!こんな恐怖がどこにあるよ。しかもごく普通の一般的なご家庭のはずなのに。「平均値がコレってことは世の中もっと大惨事」と幼心に思い込んでも仕方のないことですよ。

長じてのちに「あ、自分が心を閉ざしていたせいか」とわかる日もくるのですが、そしてめでたく中二病を卒業するわけですが、ほんとに当時の自分にとっては「うおおおおおおおおお!ちゃんとした大人がいるーー!!」でした。

わたしの「エウレカ!(我見出せり!)」のひとつです。

そして、こんなに立体的に自然の神秘を描ける人がいるんだなあ、とそこでまた悪い癖が出て「よし、画家になろう!」とただちに追随を決めるわけですが、案の定それで食っていけるような絵を描けるはずもなく、それどころか興味はただちにスノーボードにううって「よし、プロスノーボーダーになろう!」になるわけで、よくよくお調子者にできている、とは思います。

でも、人生の節目節目で「東山魁夷」という存在はずっと支えになってくれ続けていたのです。

東山先生がお若いころの留学中のあれこれをまとめた本も実に面白いのです。先生がどこに行っても大人気で人の輪、人の和に助けられて絵の勉強もどんどん進み、留学生としては異例の延期を申し出てもらえるとか、現地の人たちに心から歓迎されて本物の人づきあいができたとか、普通ではたぶんできない経験がたくさんある、その理由はユーモアがあったから、というのも後で知ってへえーでした。先生といるととにかく楽しい。お茶目で愉快で明朗で、どんどん素敵なアイディアが浮かんできて、よし、やろう!と活気づく。先生はめちゃくちゃリア充だしパリピだし、カッコいい。

印刷物では残念ながら先生の描いた風景画のほんのわずかな残り香ていどにしか、その魅力も迫力も伝わっていないと感じるのと同等に、先生が生まれつき持っていた「人なつっこさ」「明るさ」「暖かさ」も、もっともっと世間に伝わればいいのにと思います。

日本画。というジャンルそのものに対する何かふるぼけて、カビくさくて、一部の好事家のものだけ、というようなとんでもなく間違った概念を、もしそんなモノがいまだにあるとするならば、ですが、先生は一気に粉砕なさった革新者だと思います。

そして今回、初めて見る唐招提寺障壁画。

これはオフレコなんですけど、皆さんもたぶんご存知の別の、某日本画家にお寺さんが打診したら、数億円とふっかけられて大変困っていらしたと。まあ日本画なので材料費だけでも相当な金額になるのはわかりますが、それにしたって数億円って。と思っていたら先生は無償で書きますよと。

そして、画題に選んだのが日本の海。

しかもいきなり描くのではなくて、まず旅を始めたと。
日本中の海を回ってスケッチです。
実際に鑑真和上が上陸した場所だけではなくて、波が荒いところ、静かなところ、穏やかなところ、険しいところ、「日本の海」のいちばん本当でいちばん美しい姿を活写すべく、写生の旅を続けたと。

わたしはそれを知った時、「あらまあなんてイケズなんでしょう」と思いました。

Wikipedia-鑑真

先生の、「失明して見えなくなった鑑真和上に、日本の景色をお見せしたい」というお気持ちを知ったときも、「いやでも、これだけ航海に失敗してどえらいめにあった方にさらに海って。自分なら海なんか二度と見たくないって思うだろうし、海に囲まれた場所で安らかに眠れるんだろうか」とよけいな心配をしていました。

海なんてこりごりだろうに、かわいそう。

そんなふうに思いました。

そして、今回。「なぜ海なのか」がわかりました。わたしの理解は浅かった。なんにもわかっていなかった。


『濤声』
http://kaii2018.exhn.jp/about.html

この絵を見るためだけにでも、人は万難を排して新国立美術館に集結すべき。

鑑真って仏教者ですよね。出家前のお名前が「淳于」さんで「川口淳一郎」先生とかぶっているのもポイントですが、それはおいときまして、当時、日本の仏教界は大変にアレでして、見かねた人らが「助けてください、正しい仏の教えをば伝えにどうぞいらしてください」と渡航後に頼って行った。「今の世に、真実の仏の教えを伝える方は、あなた様ただおひとりとうかがっています。日本を救ってください、正しい道をお示しください」と。

鑑真は当時の中国における仏道実践の第一人者です。というか、この人が儀式をしなければ出家も、悟りの証明もされないという地位にある。そういうシステムがあることそのものがすでに仏道ではない気もかなりいたしますが、ともかく「この世でただひとり」自分でも悟りをひらき、また、他人の悟りを保証できる立場にいた。
そんな人間を外国に送り出せるかという話ですよ。出すわけがありません。だから密航です。仏教者、いきなり法令違反。逮捕、投獄。革マルか、という騒動です。


栄叡と普照の要請を受けた鑑真は、渡日したい者はいないかと弟子に問いかけたが、危険を冒してまで渡日を希望する者はいなかった。そこで鑑真自ら渡日することを決意し、それを聞いた弟子21人も随行することとなった。その後、日本への渡海を5回にわたり試みたが、悉く失敗した。


いや、お師匠さんについていくのが21人もいるのなら、最初から「俺がいきます」と立候補しろよと思いますけど、弟子の育成どうなの鑑真、という突っ込みはたぶん残酷なことで。
渡航は危険、お上の監視も危険、鑑真のもとでぬくぬくと修行していたお弟子さんたちがついていきますと言うだけでも大変な事件です。

もうね、なんで生きて来日できたの、というくらいの惨劇を重ね続け、それでも鑑真はあきらめなかった。

「来た」んですよ。ほんとに。日本に生きて上陸した。

若いころはわからなかった。ここに「海の絵」の秘密があった。

鑑真は、六度も海に鍛えてもらった、ともいえる。五回、海から却下された。「おまえの悟りは本物か」と。

つまりね、仏教者というのは、大自然と調和していなければおかしいものなんですよ。
釈尊の悟りというのは、「見よ、この世は美しい」だったわけですから。

この世のありのままの美しさを離れて、人間が人間にしか通用しないルールをつくり、その中でお互いに苦しめあっている、そのシステムが異常だと。おかしいと。「不自然」だと。
釈迦はそこに気づいたわけで。

だから彼は悟った後にただちに入滅=肉体的な死を望んだ。そりゃそうですよ、人の体を持って人の世に生きていくのなら「不自然」にのみこまれずにはいられない。でもそれに意味はない、無価値だと気づいたら、死ぬほかはない。
生きてなんかいけないですよ。

それを押しとどめたのが帝釈天ということになっている。
また、悪魔の誘惑に対して釈迦は黙って地面に触れた。

「おまえの悟りは本物か」に対して「大地の女神が証人だ」と、証明を他者に、大地にゆだねるわけです。

もともと苦行で自分をさんざん痛めつけた釈迦は「これで悟れなかったらもうシラネ」とばかりに最後の禅定に入って行った。菩提樹の下で、夜明けまぎわに「あかつきの星」すなわち金星を見てはっと悟った。

釈迦の一大スペクタクルは、静かだった。

天上の女性である金星と、地上の女性である大地とが、彼の悟りの契機となり、彼の悟りを証明した。

釈迦は自分の中の女性性、女性的なるもの、永遠に生命を生み出し続け、永遠に生き続ける「命」そのものを発見し、尊び、和解した。

自分こそが明けの明星であり、この大地であり、永遠の命である、と気がついた。

このあたりで姐さんなんかはきいいいと思うわけですよ。

「だから最初から言ってたじゃん!あんたたちオトコってどうしてそうも頭が固いのよ!」って。

馬鹿ですよねー。大自然が美しいことなんて最初から「前提」じゃないですか。この世が極楽なんだってことくらい誰だってわかってて当然じゃないですか。それをまあよりによって親からもらった大事な体を痛めつけて傷つけて苦しんでもがいてのたうちまわってアンアン言って「こんなに大変!修行なう!俺ってえらい!ぞくぞくするぜ!」ってド変態ですよね。気持ち悪いですよね。

修行者は、修行している間は本番じゃない。生きていないのと同じです。まあ霊的な修行と限定しておきますけど、おまえがぞくぞくしている間に誰かひとりでも救われたのかと思いっきりケツっぺたを蹴り飛ばしたいですよね。

で、この「修行グセ」というのは「本当に生きないための隠れ蓑」として実に有効なのです。困ったことに。だから何回生まれ変わっても「おんなじように修行をする」。よく見かけますよ、頑固なオッサンに多いですけど。

釈迦は、この世で初めて、「物質を全肯定した人」なんですよ。

はいここメモっておいてください。大事なとこです。

仏教っていうと現世を否定して、あの世にホルホルする的な誤解がとくに日本では蔓延しています。日本人はすぐウットリしてはかないもの、かそけきものにしなだれかかる。滅ぶことが美しいと思っている。そりゃ美しいんですけど、滅びない人間はいないので、そこまでウットリしなくてもいいのでは、と思いますね。そのくらい、死、に憧れを持ちすぎる。

そりゃねー、死ねばリセットされますからねー。いったんは「はい終わり」ってできますからねー。でも「死んだあと」に何が待つかをおぼえていたら「ひいいいい!やりますやります!全力でぶっ生きます!」って大急ぎで真人間に立ち戻り、全力で花開こうと思いますよねー。
この「ぶっ生きる」というのは夢枕獏さんの「小説を、物語をぶっ書く」の真似ですけども。禅で言う大死一番ですわねえ。

釈迦の話です、ええと、釈迦ってのは「この世は美しい」と「モノ」を全面的に肯定した。それは当時は驚天動地の大変革で、なぜならばインドに生まれるということは、苦しみを約束されているということで、生きるというのは苦痛であり逃れられない罪の償いでしかなかったから。

細木数子が行く先々に待ち構えているようなものですね。ありもしない「罪」を仕立て上げて人を脅して怖がらせ本を買えだの墓をこうしろだの脅迫してくる。

うるせえクソババアとなぜ言わないwwww「そんなこと」で脅されておどおどするような人生かおまえのそれはと一喝したくなりますね。

インドでは輪廻のことをサムサーラといいますが、それは苦悩の道、やむことのない悲劇の輪、ということで、輪廻すなわち悪だった。一時期日本でこの名詞を関した化粧品が売られていて「あくなきカサカサ・ベタベタ・ブツブツなトラブル肌への痛烈な皮肉かしら」と思ったものです。

釈迦はこの世を肯定した。それまで、前世の、過去の悪行に準じて悪い環境に産み落とされ、一生かけて「罪を償う」ためだけに「苦しんで生きる」ということを宿命づけられている(とかってに思い込んでいる)人々を、その悪夢から解放した。

だから、すごいんです。
だから、えらいんです。

人々を、自由にしたから。

釈迦ほどの改革者がどこにいる。「戒律が先か、人間が先か」と痛罵を放ったイエスと同じですよね。人を不自由にするものこそが闇であり悪である、と喝破した。

古今のエライ人ってのはみんな同じ気付きを持つ。なぜならニンゲンがすることはいつの時代も変わらないから。人をおしのけ、我欲を満たし、自分さえよければいいと、同族、同種である人間はおろか、他の生命体すべてを根こそぎ殺してよしとする。無残なものです。

「周囲」を傷つける者は必ず生きていけなくなる。今の中共をご覧なさい。自分たちがよって立つ命をはぐくむ大地を汚染し、空気を吸えない毒ガスに変え、河を毒水にしてしまった。
日本が高度経済成長時代にやったようなことを、あの広さの全土にわたってやろうとしている。あげくに吸える空気と飲める水を求めて「日本の」土地を買いあさる。おかしな話ですよ。そうやって「周囲」をダメにしては移動していく先々で破壊をする。

わたしは「漢字」をうみだした過去の大陸の諸兄諸氏には限りない敬意を寄せるものでありますが、それらをなげうって省みない現代の「中共」には大きな疑問を感じます。

それはともかく、「生きることはよいことだ、この世は美しいし、人間の命は甘美なものだ」と気づいた釈迦は、でも、おかしなことをするんです。

そんなにイイものなら何度でも生まれ変わって人間をすればいいじゃない。と皆さんは思いませんか。「そういう疑問」を持つことが姐さん的第一歩で「あなたは自分だけ悟ってこの世は美しい、人の命は甘美なものだとウットリなさっていますけど、じゃあなんで自分だけそんな素晴らしい世界を脱出して二度と生まれ変わらないとおっしゃるの」と詰め寄らなければいけません。


釈迦は「人間の社会システム」には絶望していた。古今東西を見つめる目、それを得てしまった人間が必ずぶちあたる壁です。
「何度でも何百回でも何千年でも同じことを繰り返す多種多様な”人間”全部に対して自分に何ができるのか」です。

ここであきらめると安らかな自殺で、ここで奮起すると社会改革者になる。自動的に。

釈迦は後者です。「人間の社会システムは全部否定する」という態度に出た。

すなわち「ほんとうの出家」です。なにしろ「家を持たない」という暴挙。「納税なんかしねえ」という反社会性。

仏教は最初から「闘争」に満ちていた。

物質社会すべてを「逆に」肯定し、「人間をのぞく全生命」の側に立つのなら「人間社会」は悪であり邪であり滅っするべきものである。

そういう、本当の意味でアナーキーなほとんどテロリストですよね。釈迦って。

だがしかし、この革命家は実に実に穏やかで、顔を見ると光が満ちて姿を見るだけでみんなのんびりと落ち着いた。言っている意味はわからなくても、声の響きになぐさめられ、理解できた者には世界がひっくりかえるほどの驚きと発見と「生きていける力」が与えられた。

子供と動物が慕っていった。これは本物の証です。
最初の説法のリスナーが「鹿」だった、ってのもすごいです。


人間以外のいきものからは「その通りです」と支持された。

ところが人間というのはそれら調和の世界に最初から住まっていながら、唯一和を乱す存在だった。他者を破壊し、殺戮し。奪取と支配をしなければどうでもいられないものらしい。

だから釈迦は話し続けた。自分にできること、すなわち「大自然と調和して一体化したありのままの自分として生きる」ことを見せ続けた。

そして人は彼を慕った。

そりゃそうですよ、生きた太陽、しゃべる花、歩く風、みたいなもんですから。慕わずにいられようか。誰だって好きになる。

そして「釈迦が素晴らしいから」というだけの理由で彼を憎悪し、殺害しようとする者も、またいるわけで。

このあたり、某スポーツ選手の輝きと、彼女が輝いているから、というだけの理由で嫉妬し、憎悪し、嘘を浴びせて、彼女がいるべき場所を盗み取ろうとしている連中と酷似していますよね。

しかも彼女は「自分自身の努力と魅力」で花開く場所をちゃんと確保し、活躍の場所を広げている。
「何があっても」支援すると断言している旦那(ダンナー、求道者を支援する存在。これ実は仏教用語なんですよ。世間の旦那様たちは、求道者である奥様を支援する尊い存在なんですねえ。だから奥様が求道者であるのをやめた場合は支援を打ち切られることもある。求道すなわち家族を幸せにする、ということですね。おおもとはまず自分が”まことの幸い”をめざすことから始まりますが)も多数ついていますし、何よりも彼女の幸せを一心に願い、彼女に感謝する無数のファンがついている。

「ありがとう」と申し上げたいのはこちらです、今の最高の笑顔を見せてもらえるような、何もできなかったのに、と思ってしまう。あのように素晴らしい方から感謝される、いったい何ができただろう。後悔しかありません。それなのに、ありがとうってわざわざ伝えにきてくれる。

神かな、と思いますよ。「実際にしていること」が神様レベルなんだもの。

「強固な、あまりにも強固な、人を不幸にする社会システム」に対し、一度はかかわることを放棄しかけた釈迦ですが、最後の瞬間まで「リアル極楽浄土に実際に生きる」姿を示し、「リアル・社会システムを越えた大きな枠組みの存在とありがたさ」を語り続け、モノの大切さを説きながら、最後の最後に「わが亡きのちは自らの胸に問え」「法は各自の内にある」と言い残して、去って行った。

そして人々は心細さからさっそく形あるものを拝み始めた。仏足石。仏像。巨大伽藍。

あーあ、ってなものですが、まあしょうがない。「生きた会話だけがリアルだよ。書いたものはアレだよ」とさんざん言ったのになぜか「経典」が登場するし。釈迦が言ってないことも釈迦がこう言いました、で書かれているし。

あーあ。ってなものですよ。

それでも人は生きていく。「自然」というカーチャンの手の中で、血を流し、自他を傷つけ。

鑑真は、幸福だった。なぜならかくも激しい複数回の「おまえの悟りは本物か」という大自然からの問いかけに「はい、本物です。わたしは真実を伝えるために、海の向こうに参ります」と答えることができたから。

本物の仏教者なら、海の妨げにあうことはない。風を読み、海に応じ、船も積み荷も水主も同船者も、役人も、オールオッケーで船出する。

本当に悟りを開いた者を妨げることができる自然物は存在しない。なぜなら自分が万物だから。

そういう存在を妨げるのはいつだって「人間」です。「反自然」ですらあることができる人間だけが、「悪意を持って」人間を傷つける。

その「自由意志」を統御することを釈迦もイエスも語っている。自分の中の魔をすら、自然の一部として黙らせた釈迦のほうが器がデカい。その分、人くさいイエスは親しみやすい。神の子のはずなのに喧嘩っぱやい血の気の多い青年イエスをわたしは愛する。
一緒にいたら「そうよね!」と神殿を破壊していただろう。嬉々として。
「ここは神の家!なんで商売をしているのかしら!」と。
なら現世でお守り販売をしている神社はどうなるって話ですけどもw


釈迦は語り続けた、自分にできることをし続けた。社会の枠組みは人間を幸福にするものでなければならないと、語り続けた。同時にそれは大自然の営みを害するものであってはならないと。

鑑真は試され続け、苦しみ続け「おまえの悟りは本物か、地位も名誉もなげうって、遠い異国で心ひとつをもってして仏の道を指し示すなにほどかを備えている存在か」と言われ続けた。

そして、苦難に苦難を重ねながら(また実によく投獄されているんですよ。人間を妨げるものは人間ですよね)来日した。

そのとき海は、憎むべき仇敵ではなくて、鑑真を、生涯の願いをかなえるべく、日本へと運ぶ翼だった。あれほど願った異国の地に自分を運ぶ仏の手だった。

東山先生は、見えなくなった鑑真の、今は最大の功績者にして最大の師であった「海」をかくも美しく再現して「あなたの海です」とさしだした。

そういうことだったんだ。

と、わたしは思ったのであります。

そして先生がいかに鑑真和上を高く評価していたか、今回初めて気が付きました。

俗臭ふんぷんのその有名な日本画家が数億円と提示した絵を無償で10年かけて仕上げてのち、先生は「瑞光」という絵を残された。

今回の展示ではその試作が出展されています。ほんの小さな、でも限りなく重要な絵。

それは、三幅対になっていて、仏画のスタイルでいう、「脇侍」として左にお月様、右側に太陽が配置され、中央に鑑真和上が載った船が描かれています。

けざやかな、と表現したい、金泥をふんだんに使った、吉祥中の吉祥の輝きに満ちた絵なのです。

ここで中央に鑑真が配されているということは、先生は鑑真を「日月を従えた尊い御仏である」と示しているということです。

日月(じつげつ)を従えて、来日した。「そういう存在」だと明かしている。

ああ。

「海しかないですよね」と今なら思う。「あんなにも鑑真を苦しめ、弱らせ、困らせた海こそが、遠く大陸と日本をつなぎ、結び合わせて、来日を可能にした『仏の道』だったんですものね」と、今は思う。

先生はすごい。

そしてこの『濤声』が猛烈に恐ろしい絵なんですよ。海がね、そこにあるんです。生きて動いていて、音もにおいも温度もある。複層の、無数の世界が重なっていて、無数の命がそこにある。

こんな怖い絵を見たことがない。「実在している」海なんです。

もうね、口をポカーンとあけて1時間ほど動けずにいました。魅入られるとはこのことです。この先一生『濤声』しか見られなくなってもいい、ここで永遠に見ていたい、と思いました。

海という概念じゃないんですよ。海という実在を描いちゃったんですよ。

なんてことをしてくれたんだ!とショックでした。

これを見ても他の画家はまだ絵を描こうとするんだろうか。これが頂点にして最高の人類史上における最高傑作なのに!と。

カイイ、他の画家に世間の厳しさを叩きこむの巻ですわ。怖いよカイイ。ヤバイよカイイ。

海だけに産まないと。ってなダジャレも出てこないほどポカーンでした。馬鹿みたいな話ですが、絵にこめられた情報量が多すぎて1時間凝視していても読み切れない。動けないんです。何この迷宮って思いました。

呼吸すら忘れて読み取って行ってふと「あ、海だ」って途中であらためて思うほど、情報の海。カイイヤバイ。


そしてもっとひどいのが『山雲』です。だって1/1スケールで山を描くという大暴挙に出ているんですよ、カイイは!

朝起きたら「山」がそこにある生活。唐招提寺どうなってるんだ。

ほんとに山なんです。ああ、どうしたら伝わるんだろう。実在しているんですよ。
「山」なんです。山という概念じゃないんです。凡百の画家が手掛ける「ぼくのかんがえたさいきょうのやま」じゃないんですよ!
こんな恐ろしいことが人間には可能なのか!怖すぎる!

昔、西洋で、あまりにも彫刻家の腕がよいので依頼した作品ができあがったら王様が腕を切り落としたって話がありましたが、カイイは一昔前なら火あぶりですね。人類にこんなことが許されていいはずがないってイチャモンつけられてこんがりですよ。

魔女っていうか、「人間」の概念を銀河大に広げちゃったとんでもない人ですね。

「国民的風景画家」とかのんきなことを言っている場合じゃない!宇宙的存在ですよ。ヤバイですよ。

ほんとにいますぐ見に行ってください。
どうせ平日も土日も祝日もなく、いつでも混んでいます。行けるときに行ってください。

印刷ではひとつもわからない。先生の絵は木々が忙しい。生きて、呼吸して、水を吸って、光合成してますから。

北欧を描くコーナーの「冬華」の衝撃。生きた人間の臓物をぶちまけたような生々しさ。白く静謐な美の世界なのに、こんなにも生々しく「生きている」ことを描いた風景画がありましたか。この屹立する大樹の存在感。人の血管のように細微にはりめぐらされた枝の1本1本が脈うち、揺動し、命を伝える。

おそろしい画家です。
姐さん大騒ぎ。こんなに、こんなに、とんでもない人だったんだ。

初期のカイイは、「上」からしか救いがこない。絵の上、とくに右上が明るくて、救い、光はそこにある。

そして北欧旅行を契機に、ふいに、カイイの絵は上と下が相似を描く。川面に、湖水に、うつしだされた美しい対象形は、救いは地上にもあるという気付きを与える。天と地は相似形。
同じなんだ、という発見。

古都を描くカイイは、人の暮らし、人間の営為を完璧に肯定する。人が作った人のためだけの「家」からすら、暖かな光がもれいでて、救いはもう日常の中にある。
輝きは画面の下からも。

美しい日本の四季の小品の数々。この世の美という美をカイイはすくいあげていく。
光は豪奢きわまりない形で乱反射している。
歓喜の絵。

古都を描く。ドイツ・オーストリアの景色たち。
ハンガリー・ハプスブルクの偉大なる伝統よりも、カイイは日に照らされて触れれば暖かい石壁や、人家の窓やベンチを描く。
もう彼は自由だから、ほとんど笑ってちょうだいね💛と言わんばかりの「ただの壁」を巨大な日本画に残している。
ただの壁なのに絵の中には仕掛けがはりめぐらされている。
左右、上下、斜めに引かれたライン上に完璧に配置された「ただの壁」。
画力の横溢とこのユーモア。

カイイはもっと自由になる。

そして畢生の超大作の唐招提寺障壁画群。

10年かけて仕上げた絵。しかし10年あればできるという絵では決してない。

群衆から幾度も同じ言葉を聞かされた「どこから描き始めたんだろう」と。わたしは「どこで書き終わったんだろう、いつ、どうしたらこれで終わりと判断がついたのだろう」と思っていた。

どこからはじめてどこで終わったのか、完璧すぎるがゆえに推測も推論も許されない「そこに本当にある、実在するリアル山、リアル海」。

カイイは人類の頂点に立つ。「大自然」を再現する、すなわち「無機物に命を与える」という神業を発揮することで。

この人は無から有を産んでしまった。有の世界ではたらくうちに、命をうみだしてしまった人。

心を写す風景画。

こういった展示会に行くたびに「この中で一枚だけもらえるならどれにしようか」と考えます。さもしいねw

『濤声』をいただいてしまうと二度と動けなくなってしまうので、わたしは「白い朝」をいただきたい。

それは、大きな絵です。複雑にはりめぐらされた、葉を落とした樹の枝に、ふかぶかと白い雪が積もっています。その雪は奇妙に暖かさを感じさせ、雪も生きている、と思わせる。

画面右側に、鳥が一羽、枝に宿って休んでいる。その鳥の羽毛は風にそよぎ、包めばてのひらには鳥の体温が伝わってきそうな生々しさで、首をまわして羽において休んでいる。まだ、飛ばない。

その鳥はひとりではない。鳥が宿っている枝は、雪が少しはらわれて、明らかに他の鳥、この鳥の伴侶がいたことを示している。もうすぐ伴侶は戻るだろう。一面の深い雪の中で枝に戻って身をよせあい、互いの体温で温めあって、やがてくる日の出を迎えるだろう。

のぼりくる日輪はものみなをめざめさせ、温め、雪を溶かし、雪は雪の輪廻をはじめるだろう。そして鳥「たち」はみじろぎをし、空に向かってはばたくだろう。光の中を。

暖かい雪。暖かい鳥。

世にも美しい衝撃的な一枚です。


そういえば奄美でアダンの木を描いていた田中一村が東山魁夷の『濤声』を批判して「東山は何もわかってない、寄せる波なのに引く波の形を描いている」とおこだったと聞いています。

「大丈夫、わたしたちもわかってないから」

というのは冗談ですが、たとえそうだったとしても、わたしはそれがミスだったとは思えない。

百万回に一回くらい、そういう波が発生するのかもしれないし、先生は承知の上で効果を考えあえて描いたのかもしれない。

そもそも、昭和8年にドイツに留学するときに先生はお船でどんぶらこだったわけで、長い航海の日々に、船の上から寄せる波、弾く波を無数、眺めていたわけで、だからこそすーいすいと移動できる現代の客船と、鑑真和上の苦難の旅とを、後年、必ずや思い合わせていたはずで、たとえ奄美大島の海を日ごと夜毎に眺めていた田中さんが指摘するとおり「間違い」があったのだとしても、それらをこえて、わたしは『濤声』こそは人類史上に残る一大傑作であり、「人類の絶唱」ともいうべき超大作、最高傑作であると思う。

ああ、先生。絵を描いてくださってありがとうございました。

いつの日か、このまま自然破壊が進んだときに、人々は先生の絵の中にしか「美しい自然」を見ることができなくなるのかもしれない。生きて動いて呼吸している「実在する美の世界=大自然」の姿をわずかに感知し「昔はよかった」と嘆くのかもしれません。

そんな日が来ないよう、わたしたちは先生が目にした、先生が感じたリアル大自然の偉大さと尊さを先生の絵から学び、生かして、美しい自然を保ちながら「一緒に生きていく」ことを、あらためて選び直さなければいけないのかもしれません。

先生に、はやぶさの偉業と浅田真央の偉業とを、絵に描いていただきたかった。

などと、ファンの欲というのは限りがないものですね。

ああ、本当にありがとうございます。

そしてやたらと販売せず、美術館に一括寄付という形で、その偉業をみんなが幸せに喜べる環境をはやばやと作ってくださったことにも感謝です。

また、腰を抜かしにいきたいと思います。

故・ナンシー関が『記憶スケッチアカデミー』の1だったか2だったかで、高齢者の手になる絵が意表外なもので感嘆し「90にならなければ見えてこないものがあるということです。長生きをしたい。切にそう思いました」と書いていた。

画伯、とあだなされたナンシー関は90を待たずに残念ながら逝ってしまわれたわけですが、今も存命だったらなら、どれだけの「テレビの中の不自然さ」を芸にして指摘してみせてくれただろうかと思います。

『晩鐘』を初めて見た中学生のころのわたしは、「どうか東山先生が200、300まで生きて絵を描き続けてくださいますように」と祈りました。かなわぬ願いとわかっていても、このような絵を描く人すらも必ず死ぬということに納得がいかず、理不尽ですらあると憤り、このような存在すらも消えていく「人間の命」のはかなさに戦慄をおぼえ、嘆いていました。

生きているうちに、できることをしなければ。
喜びをもって。できるだけ大勢の幸せのために。

何かがしたい。誰かの役に立ちたい。これだけのとしになっても「まだ何もできていない」という哀しみと共に。そう思います。

そう、思いはするんですよ、こんな姐さんでもwww

自分も、さらに年齢を重ねてから先生の絵を見たときにいったい何を思うのか、それを知るためにだけでも、もう少し生きていたいと思いました。


先生、本当に本当にありがとうございます。

カイイはあの世で、あの世の絵筆で、ありとあらゆる美しいものをぶっ描いているに違いない。わたしは死後にそれらを見せていただくのが楽しみです。

さらには次の世ももしあるのなら、先生とすれ違わずにまた何らかの形で「美」に挑む先生のご作品を拝見したいと思います。

でもなんとなくサッカー少年とかに生まれて絵なんて全然描いてくれないような気もします。わからないw






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皇后陛下お誕生日に際し(平成30年)-宮内記者会の質問に対する文書ご回答




皇后陛下お誕生日に際し(平成30年)
宮内記者会の質問に対する文書ご回答
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/21

問 この1年も,西日本豪雨や北海道の地震をはじめとする自然災害など様々な出来事がありました。今のお立場で誕生日を迎えられるのは今年限りとなりますが,天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせ下さい。

皇后陛下
 昨年の誕生日から今日まで,この1年も年初の大雪に始まり,地震,噴火,豪雨等,自然災害が各地で相次ぎ,世界でも同様の災害や猛暑による山火事,ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。「バックウォーター」「走錨そうびよう」など,災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも,悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。日本の各地で,災害により犠牲になられた方々を心より悼み,残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。また被災した地域に,少しでも早く平穏な日常の戻るよう,そして寒さに向かうこれからの季節を,どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされるよう祈っています。
 そのような中,時々に訪れる被災地では,被災者の静かに物事に耐える姿,そして恐らくは一人一人が大きな心の試練を経験しているだろう中で,健気に生きている子ども達の姿にいつも胸を打たれています。また,被害が激しく,あれ程までに困難の大きい中で,一人でも多くの人命を救おうと,日夜全力を挙げて救援に当たられる全ての人々に対し,深い敬意と感謝の念を抱いています。

 約30年にわたる,陛下の「天皇」としてのお仕事への献身も,あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。これまで「全身」と「全霊」双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが,加齢と共に徐々に「全身」をもって,という部分が果たせなくなることをお感じになり,政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。5月からは皇太子が,陛下のこれまでと変わらず,心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。
 陛下は御譲位と共に,これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが,以後もきっと,それまでと変わらず,国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで,これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ,これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。

 24歳の時,想像すら出来なかったこの道に招かれ,大きな不安の中で,ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ,おそばに上がりました。そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで,どのような時にもお立場としての義務は最優先であり,私事はそれに次ぐもの,というその時に伺ったお言葉のままに,陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。義務を一つ一つ果たしつつ,次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に,新憲法で定められた「象徴」(皇太子時代は将来の「象徴」)のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を,今深い感慨と共に思い起こしています。

 皇太子妃,皇后という立場を生きることは,私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ,その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく - そうした日々を重ねて,60年という歳月が流れたように思います。学生時代よく学長が「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」と云われたことを,幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。その間,昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り,陛下には時に厳しく,しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。3人の子ども達は,誰も本当に可愛く,育児は眠さとの戦いでしたが,大きな喜びでした。これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。

 陛下の御譲位後は,陛下の御健康をお見守りしつつ,御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で,これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け,心を寄せ続けていければと思っています。例えば,陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは,平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。

 先々さきざきには,仙洞せんとう御所となる今の東宮御所に移ることになりますが,かつて30年程住まったあちらの御所には,入り陽ひの見える窓を持つ一室があり,若い頃,よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち,戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。
 赤坂に移る前に,ひとまず高輪の旧高松宮邸たかまつのみやていであったところに移居いたします。昨年,何年ぶりかに宮邸みやていを見に参りましたが,両殿下の薨去よりかなりの年月が経ちますのに,お住居の隅々まできれいで,管理を任されていた旧奉仕者が,夫妻2人して懸命にお守りして来たことを知り,深く心を打たれました。出来るだけ手を入れず,宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと,陛下とお話しし合っております。

 公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが,これまでにいつか読みたいと思って求めたまま,手つかずになっていた本を,これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため,これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も,もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2,3冊待機しています。
 また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ,マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ,陛下の御田おたの近くに1畳にも満たない広さの畠があり,そこにマクワウリが幾つかなっているのを見,大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと,大変に真面目なお顔で,これはいけない,神様に差し上げる物だからと仰せで,6月の大祓おおはらいの日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田かでんに踏み入るところでした。それ以来,いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。

 皇太子,天皇としての長いお務めを全うされ,やがて85歳におなりの陛下が,これまでのお疲れをいやされるためにも,これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに,心の安らぎを覚えています。
 しばらく離れていた懐かしい御用地が,今どのようになっているか。日本タンポポはどのくらい残っているか,その増減がいつも気になっている日本蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見廻り,陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら,残された日々を,静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。
(参考)

1「ジーヴス」
 イギリスの作家P・G・ウッドハウスによる探偵小説「ジーヴスの事件簿」に登場する執事ジーヴス

2「大変な瓜田に踏み入るところでした」
 広く知られている言い習わしに「瓜田かでんに履くつを納いれず」(瓜畑うりばたけで靴を履はき直すと瓜を盗むのかと疑われるのですべきではないとの意から,疑念を招くような行為は避けるようにとの戒め)がある。



透明人間になれるとしたら、の質問に、古書店街で立ち読みをしたい、と答えていらした皇后陛下。お気持ちは変わらない。

むごいことです。本を、読みたい。切なる願いもわきにしりぞけられての毎日でした。

およそ人間としてこの世に生まれ、皇后陛下ほど努力あらせられた実在を私は知らない。

天皇陛下は神なので、神としてふるまっていけばよろしい。手本がある。

しかし民間から入内あそばされた皇后陛下におかれましては、なにもかもすべて危険な暗夜をたったひとりで「神である」陛下だけを頼りになさり、歩まれるしかなかったわけで。

「こんな空恐ろしい道」を歩まれたことだけでも、驚異と賞賛に値する。

しかしこれほどの努力の偉人、皇后陛下をしても、はかり知ることができなかったのが「天皇」という位の重さ。

神としての天皇位は今上で断絶し、人間としての現東宮が「人間のルールに従って」即位する。

「この先」どうなるかは、もはやわたしたちひとりひとりにかかっていると思います。


「神である自分」、「大自然=神、と、なんらの断絶をもたない自分」という、もともとの、この島由来の生き方を取り戻すこと。

それこそが人類再生の秘策であり、これしか他の道はない。


わたしは、そう思います。




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舞ちゃん、ありがとう



舞ちゃんが、そして舞ちゃんの演技がとても好きなので、悲しいです。

舞ちゃんが、年内のアイスショーでサンクスツアーを離れると、真央ちゃんがおっしゃったそうで。

最後の公演は島根県。
出雲をはじめとするあちらの古い神様たちも「サンクスツアーで艶麗な滑りを見せる浅田舞」の演技は見納めですね。
そして人間の皆さんも。

ああ、悲しい。本当に残念です。

どんな形であってもいいから、フィギュアスケートをやめることなく、何らかの方法で「フィギュアスケーター・浅田舞」の滑りを見せてほしいと願っています。

大好きだから。


真央ちゃんが座長をしていたときのTHE ICEに舞ちゃんが出演して、一日目、二日目、三日目と、日をおうごとによくなっていって、それに猛烈に感動したのをブログでも記事にしました。

初日は力尽きて倒れていたスピンだって三日目にはぐるぐるちゃんと回り続けた。
やっとこさ進んでいたスパイラルもぐんぐん距離が延び、安定してリンクを疾走できるようになっていた。
真央ちゃんが決して目を離さずに速度を調整して舞ちゃんにあわせていた姉妹プロ。
演技中に目と目で見かわすときの、その喜び。

舞ちゃんが!リンクにいる!真央ちゃんと滑っている!世にも華麗に、美しく、さんざめく光の渦をまきちらし、「舞ちゃーん!」の声援を浴びて滑っている!

それは見ているわれわれにとっても最大の喜びでもありましたが、浅田姉妹にとってはなおいっそう、観客には計り知れない歓喜の瞬間だったでしょう。

舞ちゃんが!「フィギュアスケーターの浅田舞」が戻ってきた!

嬉しかった。本当に、嬉しかった。

今でも忘れられません、真央ちゃんの、あの、まなざし。

あんなにも優しいまなざしを、実生活で見ることはめったにない。

思い出したのはゴルデーワを見守るセルゲイです。

二人は最初、仲がよいわけではありませんでした。セルゲイはとくべつ女性に優しいわけでもなく、事務的に滑るゴルデーワより上手なスケーターで、ときにはいらいらをぶつけられたりもした。

二人でペアを組み、技量をあわせ、心を通わせてひとつの作品を幾つも幾つも仕上げる中で、いつしか恋する気持ちを持ち、そして愛し合う仲になった。

練習中に心臓発作でセルゲイが倒れたとき、恐ろしいことにちょうどリフトのさいちゅうで、苦悶しながらもセルゲイはいつも通りにこの世でいちばん大切な女性であるゴルデーワを保持し続け、細心の注意をはらっておろしたところで、息絶えた。

今見てもゴルデーワとセルゲイは「異常なペア」だと感じます。とにかく一瞬も男性が女性から目を離さない。すべて、見ている。全部、把握している。そして決して危険な目にあわせない。

ペアですからスロージャンプがある。男性が女性をぶん投げる。あんなつるっるつに滑る氷の上で、うっすい刃物一枚の靴の女性をぶん投げる。でも、決して危険がないように、全身全霊で注意している。

しかもそれを演技にもちこまない。音楽にあわせて、「その世界」にあわせて、自然に、当たり前に、普通に、「必ず見ている」。

あの二人のラヴの世界をだれよりもどこよりも色濃く継承しているのが「中国ペア」だと思うのは、姐さんだけではないでしょう。
なんというか、愛し合う必然性がそこにあり、愛のカタチの完成形を、見せてくれているのがパントンだったり、という気がします。

二人の間に戦いがない。切磋琢磨は、ありますよ。おそらく誰よりもシビアに、へたしたらコーチよりも厳しく互いの力量や練習量や「心根」は見ているでしょう。わかっているでしょう。
でも、争いがない。

外の世界に何があろうと、この二人の間でだけは、いさかいがない。

醜い疑いも、おぞましい怒りも、恨みも憎しみも呪いもない。
ただただ純化された「愛の理想形」が、そこには、ある。

目に見えない愛を、人が焦がれて焦がれてやまない「本物の愛」を、形に変えて見せてくれる。

それこそが芸の力であり、完璧な基礎技術の上にのみ花開かせることができる、「真実」の頂点です。

ただ滑っているだけなのに、涙がこぼれる。全身に、落雷を受けたような衝撃を感じる。
ありがたくて、うれしくて、感謝の気持ちでいっぱいになる。

「そんなこと」ができる選手は、そう多くはなく、「そんなこと」ができる演技は、なお少ない。

未熟さのかけらもない、「完全に準備された余裕」の上でのみ構築される「圧倒的な真・善・美」。

目に見えないものを目に見える形にする。
形のないものを形づくり「これです」と万人にわかるようにする。

芸術の持つ力、芸術だけが持つ力の底知れぬ強さと深さと激しさを、フィギュアスケーターは体を通じて、そこに至るまでの「心」を通じて、見せてくれる。

だからこそ、ずっと見てきた。フィギュアスケートは素晴らしいものだったから。

世にも困難で、長い時間を必要とし、けれども選手生命はあまりにも短くて、さまざまな要因により「もう滑れなくなるとき」はすぐそこにあり、「運」も「偶然」も、味方にしなければどうにもならないような理不尽な「スポーツ」……・

舞ちゃんは「自分が滑れなくなるとき」を見越して、燃焼しきっているのだと思う。

わたしは幸運にも、友人のおかげでサンクスツアー初日、初回を目撃しました。あの場にいあわせることができました。

真央ちゃんが引退後、自らの名を関した初のアイスショーの本当の初日です。

もちろん真央ちゃんを見たかった。真央ちゃんに会いたかった。

それと同じくらい、舞ちゃんを見たかった。

フィギュアスケーター・浅田舞の復活を、見届けたかった。

そして、見ました。

歓喜の連続でした。

ありがたい、ありがたい、ありがたい。どんなに感謝してもしきれない。舞ちゃん、よくぞここまで戻してきた。戻してきてくださった。どんなにか異常な過酷きわまりない練習だったんだろう。

でも、舞ちゃんは嬉しくて嬉しくて、幸せで幸せで、楽しくて楽しくて、「滑る喜び」に満ち溢れて、練習することそのものが、もう、天からのギフトのように貴重で尊い時間だったのだろうなと。

不平も不満もまったくもたず、僻地なら僻地なりに、深夜なら深夜なりに、喜びとともに滑ったのだろうなと。

だって舞ちゃん、あんなに輝いていたじゃないか。

うわべだけとりつくろっていたってすぐ見抜かれる。「まがいもの」はいられない場で、舞ちゃんはひときわ大きな光としてきらっきらに輝いていた……


夢のように美しかった。本当です。

そして、回を重ねて、さらにさらに上手になり、とんでもない技量に急成長し、「こんな大躍進をヒトというのはできるのだろうか」と腰を抜かすほどうまくなり……


舞ちゃんはねえ、最初から神様にものすごいギフトを与えられてこの世に生まれてきたんですよ。
それは「華」というモノで、いやしくも表現活動をする者なら何をおいても手に入れたい、何をどうしても身に着けたい、人前にでるときの最低の条件であり、最高の目標でもあるモノなんです。
この計測も売買も不可能な「華」を舞ちゃんは最初から持っている。
とんでもなく「有利」な条件下で、舞ちゃんは表現活動をスタートさせることができている。

でも、それがあったからこそ、辛かったのだろうと思います。

前にも書きました、人というのは、「ところを得る」ということが、本当に大事です。

どんな能力を持っていても、どんな可能性を秘めていても、せっかくの潜在的な「伸びる余地」を発揮する「場」がなかったら、どうにもならない。

早い話、世界一、泳ぐことに向いてたとしても、山岳民族に生まれついて泳ぐことはおろか、入浴すらすることがなかったら、その能力は誰にもみつからずに本人の死とともに消えてしまう。そんな力があったことすら誰にも気づかれることもなく。

もったいない話です。

舞ちゃんは、ダイスケ箱に入れています。
人前で踊り狂って観客を歓喜と熱狂と興奮の渦に叩き込む定めの持ち主です。
それはもう、しょうがない。そういうふうにできている。

だからこそ、「そのパワー」を持ち扱いかねると悲劇です。これはキツい、キツすぎる。

今の舞ちゃんは自覚を持ち、「滑っているだけで嬉しい自分」からも注意が離れて「お客さんに喜んでもらうこと」という商売の基本第一項をちゃんとわかって演じている。

そう、大事なのは「ここまで戻してきた自分」ではなくして、「ここまで戻してきてもうなんでもできるこの自分が、それを使って何をするか」なんですよ。

いるだけでお客さん大喜びなんて機会、めったにないし、そんな人もめったにいない。

舞ちゃんの驚異的な技術の向上のうえに成立している、「なんでもできる状態」の上で花開くこの世でたったひとりの、浅田舞というスケーターの、その世界!!!!!!!

どえらいことになっています。



結婚かな。結婚なのかな。と思いますけど、この先どうなっていくのであれ、浅田舞個人の幸せがいちばん大事。

そのうえでもし許されるのだとしたら、滑る舞ちゃんを、ファンから取り上げないでほしい。

前にも書きました、わたくし、アネザイチカは「フィギュアスケーター・浅田舞のファンを見捨てないでいてくれてありがとう」とこの世で最後の瞬間まで、浅田舞さんに対して感謝しつづける者であります。

舞ちゃんがあきらめていたら、舞ちゃんの滑りは見られなかった。

お願い、滑るのをやめないで、と願うだけの「こちら側の人間」には、しかし、復帰すると思ってもらうことも、決意したその先に過酷な訓練が待つことも、そして復帰したところでそれが舞ちゃんには喜びなのかも一切何も確証はなく。

でも、舞ちゃんのいる場所はリンクのはず。という想いは消えることなく。

ここまで根強く「大好き」と言われるスケーターであることも、ほんの短時間で度肝を抜かれるほどスケートが上達したのも、出て来ただけでオッサンは生き返り若い女性は「女性美、ヤバイ」と騒然となるような存在感と美しさと華やかさと艶麗さと、見事なトークと気配りと、全部兼ね備えるに至ったのは

舞ちゃん個人の努力です。

そうとう、誇りに思っていいと思います。

真央ちゃんが一緒だった。「浅田真央」がびっちりついて練習ですよ。そりゃあ世界レベルでうまくならなきゃおかしいし、でも、そこまで戻すどころか越えて行った浅田舞も尋常な人ではないと思います。

この先、何があったとしても、浅田舞という類まれな魅惑のスケーターの演技を、シェアしてくれたこと、わたしは決して忘れません。

サンクスツアーは最後で、新プロだけのアイスショー「浅田真央ウェルカムツアー」には出ますとかだったら泣くわなあw
そしてますますチケットが入手困難になって泣くわなあw


舞ちゃん、大好きです。

舞ちゃん、ありがとう。

舞ちゃん、ずっとずっと応援しています。

舞ちゃん、大好き!!!!!!!







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