FC2ブログ

栃木の空は青く、サンクスツアーは激アツだった その2



これはめっちゃどうでもいいことで、個人的メモランダムと申しましょうか、サンクスに行くにあたって経験した旅の記憶のひとつです。

車中でヘンなものを見かけました。

特急が止まる駅と某駅の間の民家で、超巨大猫を目撃しました。車中から見てぎょっとしたのですが、二階建ての民家とおぼしき、まあ普通のおうちの二階の窓が、建物の横幅いっぱいくらいに大きくて、その二枚のガラスをふさぐように猫ちゃんが立って外を眺めていたのです。白地に、薄い茶色の、いわゆるオレンジ、みかん猫みたいな茶色の大きな円形の模様がいくつかあり、わりと細身でしっぽが長く、猫背ではなくて「兀」の字みたいに背中が平らで、四本の脚で体を支えて外を眺めていたのです。
デカすぎるwwww
ええええって思わず身を乗り出してのぞきこんでしまいました。が、東武鉄道さんの特急は迅速に猫ちゃんを置き去りにして飛ぶような速度で進んでいきます。
「今の何……????」
座りなおして懸命に思い出す、お猫様だよ猫だった、ぴたりと静止していて微動だにしてなかったけど、短毛なりにほわほわした柔らかそうな毛並みとか、小さめの顔から飛び出した立派なおひげとか、生きているものとしか思えなかったし、立体感がちゃんとあった。だいいち、もしあれがステッカーとかポスターなら窓ガラスにもっとぺったりと貼りついて明らかに作り物感があったに違いない。
そもそもあのような印刷物?を窓辺に掲示する意味は???「我は猫派なり」と宣言する意味なんかない、よね?
もう頭の中は「?」でいっぱいです。

出発から到着までずっと窓の外を眺めていました。栃木県民の皆さまのお住まいは、なんというかフリーダムで、意匠もスタイルも建築様式も千変万化のありようで、好き放題に建てている印象です。

いろんな不思議なおうちを見ました。日本じゃないみたいな一帯もありました。
なんというか、初めて足を踏み入れるどきどき感を上回る謎めいた雰囲気です。
そもそも栃木との関係性は毎年「栃木の苺」にお世話になるくらいで、接点がありません。
日光も行ったことがない。車窓から見る栃木県は降りて探求したくなる謎がたくさんありました。

サンクス出雲のときも、雨中で自宅の屋根めがけて散水するお年寄りとか、不意に「あなたの願い事は神様がきいてくれますよぅ」と宣言してくるお年寄りとか、謎めいたことはありましたが、今回もどうしよう!猫がでかい!とか騒ぎたいことがいっぱいでした。

日光の駅に到着後、当然「日光はけっこうですな」とつぶやきつつ(当然なのか)、「空が青い」とびっくりして、ずーっと眺めていました。青い。なんだか目にしみいるように青い。初めて空の青さに気づいたくらい、青い。
とはいえ、駅前で懸命に撮影を試みると何度やっても空が紫色になる。

t--1.jpg

あれでしょ、露出とか色調補正とか光の進入角がどうとかのアレでしょ、知ってる。直せないけど。
意地になって撮影しましたが全部紫。朝九時台なのにwwww 私の腕のせい。知ってる。

あきらめてうろうろし営業している店を見つけてアットホームな路面店(意味深)でカフェオレをいただいてようやく人心地がつきました。
観光名所のはずなのに誰もいない一瞬があり、こういうときは必ず何かが起こるので、人の気配が恋しくて、あのお店が営業してくださっていてよかったなあと心底思いました。
カップをちゃんと温めてあったらしく、飲み物の温度は最適なのに、寒さに震えている手にはカップがいつまでも熱くて気持ちよくて、ミルクがめっちゃおいしくて、うかがえば牧場があるので乳製品が豊富で美味しくておすすめですと、。
その店にいた小さな小マルチーズさんが、どういうわけか私の手を舐め消す勢い(そんな言葉はありませんけど)でいつまでもいつまでも舐めているとか「どうやら相当なことがあったらしく」、店中に観光客への警告・注意文が掲示されていて、それがとてもにこやかに、でも逆らったら消すからなと言わんばかりの「過去のおぞましい事件の蓄積による警告だ」と明らかに見て取れて大変恐ろしかったこととか、店員さんがいきなり誰もいなくなり、カップと共に取り残されて、なんだか夢の中にいるようでした。
人恋しくて入った店で親切にされたのも束の間、また無人。このあげさげはなんだろうwwww

飲み物をありがたくいただいて、料金は支払い済、「ごちそうさま」と声をかけてから表に出ると、なんということでしょう。目に染みるような青と紫、そして白。

t----2.jpg

t----3.jpg

t----4.jpg

道っぱたのフェンスにまきついた、まあ雑草ですよ、路地ものですよ。それがなんとも美しかった。

今回、真央ちゃんはじめサンクスメンバーに宛ててしたためたお手紙に、まさにこの朝顔・昼顔のびんせんを使っておりましたから、なんとなく嬉しかったのです。

真央友さんと駅で合流して、会場へ。

バスを増発していただいて本当にありがとうございます。
乗車直後に「本当にスケートリンクに向かっているのか」「もしや全員、山賊のアジトに連れ込まれ人知れず栃木の土にされるのか」と一瞬思ったほどいきなり山中に突入し、こじゃれた喫茶店やレストラン、ロッジなどは「天狗のしわざに違いない」と思えたほどの「山」の中。
緑が濃い。空気がうまい。大自然がいっぱいだあ!

会場の待機列で気づいたこと。
とんぼがデカいwwww
肥っている。
胴体がまるまるしている。
人間をぜんぜんおそれない。とまりまくり。人間のほうが侵入者。人間のほうが新参者。
栃木、とんぼ天国か。
刺す虫に全然おそわれなかったのは、日中だったせいもあるかもですが、とんぼの皆さんのおかげも被ってのことだろうと。ありがとうとんぼ。さようならとんぼ。

こんな山奥のリンクに通うなら、意地でもうまくなるはずだ。めちゃくちゃ大変だもの。
これは至急、近隣に常設の宿泊施設とホットスナックを販売する屋台を出すべきではあるまいか。とよけいなことも思いつつ。

ランチにいただいたエビフライ定食。
海老に顔がついていて、まるでこれは三峯神社の「あまえび」のよう!!!(この世で二人しかわからないネタですみませんwwww)
つぶらな瞳で私を見上げてくる海老たち。頭から丸かじりしましたけどね。尾も残さず。
サンクス前夜に「あーエビフライ食べたいなー」と思っていたので満足です。かりっとしっかり揚がっていて、一皿で二日はおなかがすかなくなるやつです。やったぜ。

で、メニューの見本どおりなんですけど、お皿の手前に「謎の空白」がありまして、「こんなにスペースがあると無良くんなら4T決めるよね」と思いました。もうちょっと全体を手前にすればよかったのかな?

t---5.jpg

おいしかったなあ。


帰りの電車内から撮影した栃木の空。

t----8.jpg

t----7.jpg

t----6.jpg

もっとずっと青かったです。

最後にデレてくれた栃木。
たくさんの河を越えて往復した栃木。

そういえば日光のアレ関係で仕事をしたことがありますが、現地に行かずあれこれ申し上げていたけれど(そして満足してはいただきましたが)やはり「現地」を知るって大事ですよね。
探求しに、通いたくなりました。

真央ちゃんのおかげでできた奇妙な体験。ここにはアップしませんが、いろいろあって楽しめました。






・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。
・悪質なコメントはIPアドレスを含め記事に掲載することがあります。


フィギュアスケート ブログランキングへ
浅田真央サンクスツアー | コメント(1) | トラックバック(0) | 2019/09/15 14:57

栃木の空は青く、サンクスツアーは激アツだった



強運の持ち主にまたまたチケットをお譲りいただき行ってまいりましたサンクスツアー栃木!

空が青かったです。実はわたくし、日光は初めて行ったのですが、駅から出たとたん、空全体が薄曇りだったにもかかわらず、チラ見えしている空が実に実に青く思えて感動しました。

ああ。

久しぶりのサンクスです。江戸川のリンク以来です。

その間に真央ちゃんの激・多忙ぶりがだんだん伝わり「どうしてぶっ倒れないで涼しい顔でそんなスケジュールをこなすことができたのだろう」と世間ならびにわたくし自身が震撼したわけですが、「火が、ついたんだろうなぁ」「あれだけの激動の時間を過ごした真央ちゃんがただいつもの繰り返しで終わらせるわけがない」と予想はしていたのですが、が、が、ですよ。

真央ちゃん、怖い(笑)。
なんであんなに上達できるの?
どうしてあんなに伸びしろがあるの?

以前、申し上げたことがあります、「浅田真央、まさかの大器晩成型」と。

いつだって最高の、頂点の、限界以上の素晴らしさを見せ続けてくれたのに、「過去の浅田真央」を軽々と凌駕して、それどころかなかったかのように楽々と「最新の、そして最善の浅田真央」を見せてくれる。
真央ちゃん、あなたという人は。

怖いです。まだうまくなっている。まだ、技術が伸びている。なんなんでしょう、このお方は。

もうね、「ノブオ!急いで!」とマスター・ノブーオを召喚ですよ。信夫は今とっても忙しい、後進の育成で、久々の男子を伸ばすのに忙しい、わかっちゃいるけど「見ろ!真央を!」と絶叫ですよ脳内で(何者だおまえ)。

真央ちゃん。

またしても、またしてもですよ、スケートがうまくなっている。もっとずっと先にひとりでどんどん進んでいる。

いや、ひとりじゃない。仲間と一緒に、キャストと一緒に、みんながみんな、進化している。

なんなのこれ。

サンクスツアーってこんなに面白かったっけ????


正直な感想です。まるで生まれて初めて見るかのように、ただただ「面白かった」のです。

なんなんだこのショーは。ショー自体が生きている。育っている。進化している。…変わり続けて102回。

そうなんです。

今回、会場にマオメーターが初お目見え。サンクスツアーですからサンメーターでしょうか。
かの偉大なる、あまりにも偉大なるイチローさんの打数を視覚可した、熱心なファンによる「イチメーター」と同じように、ピンク色の「サンクスツアー開催回数のカウンター」がついに客席に登場です。

最初「なんだ?」と思ったのですよ。点数?ラインID?「ここにアクセス!」(まさかwww)

そして「マオメーター!」と気づいた瞬間スタオベですよ。どなたですか、ナイスすぎます!今度いっぱいおごらせてくださいwww
ああ。ナイスすぎます!

※「サンクスメーター」とわかりました!

tm.jpg

https://twitter.com/ainaichieko/status/1172753395792281601 より

ナイスです!!!

ねえ真央ちゃん!記録を伸ばしましょうよ(笑)。せっかくだから「1000」回、越えよう?
なんならこっちは毎週開催していただいたっていいんですから!通いますから!ええ!ええ!

真央ちゃん!!!!

こんなショー、どこにもないよ!こんな極上の、とびきりすごい、超一流のエンターテイメントショーはどこにもないよ!

ブロードウェイに持っていくべき!!!!

いや、もう、日本中、世界中、回ろう?回ろう?

もうね、語彙力ゼロです。アホの子です。

ナイスアイスショー!バルク!切れてる!(それはボディビルwww)


真央ちゃんの、音はめの気持ちよさとか、完璧な円から円への移動とか、あるべき場所に手足がある、美しいうえにも美しい美麗ポジションとか、絶対にミスらない完璧ジャンプとか、全身全霊から発散される「感謝」をカタチにした、物理攻撃とか、もうね、すごいことになってます。

感謝の暴力。感謝のタコ殴り。こちらが細々と抱えて集合した、ちっぽけなありがとうなんて思いっきり吹き飛ばされて、気づけば真央ちゃんはまたしても、決してお返ししきれない、圧倒的な、膨大な、濃密な、輝かしい、本物の感謝を怒涛の勢いで惜しみなく注いでくださって。破竹の勢いで場を清め、安らがせ、活気づけ、「生きていること」「生きている時間を共有すること」を、何も惜しまずにすべて与え切ってくれる。

あれだけの演技、あれだけの表現。どれほど練習してくれたんだろう。どれほど頑張ってくれたんだろう。

ラフ真央の5連なんて、最後の最後の、いっちばん疲れているときに、疲労のピークに達しているはずのあの、最後から二番目のナンバーで、あぶなげなく、余裕すら感じさせて、完璧に実施してます。当たり前のように決めてくる。
こんな当たり前じゃないことを、爽やかに、美しく、笑顔と共に「感謝の形」のひとつとして。

(※この記事をアップ後、 6 連 を決めたという情報がwww)
天使ですか、女神ですか、菩薩ですか、なんなんですか。

「人がこの世で持つことができる、もっとも純粋な感謝のカタチ」を、「生きている」。

真央ちゃんはすごい。すごすぎる。

好きとか応援とかもうそういう次元じゃなくなっている。真央。真央、ありがとう。

それでね、めっちゃ面白かったんです。私、友人にも言われました、「まるで初めて見たみたいなリアクションだったよ」って。

そうなんです。忘れっぽいとかボケかかってるとかも、ないとはいえないかもしれない。記憶の中で少し薄れている箇所もあったのかもしれない。だけどね、私、幸運にも、今回でなんと9回目だったんです。アルソアさんのご招待のサンクスも含めてなんと9回。できるだけ、初めてご覧になる方に譲ったり「絶対行かねえ!」と宣言して断固として拒否した回もありました。だけど最終的に空席になってしまうから、と参加したり、遠いからやだやだとゴネていたら友人が車で運んでくださったり、「いいから見とけや」と神様がおっしゃっているかのように強制的に参加になったり(いやほんとです、必死に遠ざけたのにぐいぐい迫ってこられたんですよ)、それでも、おそらくすべての階、すべての方向からガン見してきた私ですが、その、必死に、懸命に見守っていたすべてのサンクスの記憶すら、なくしそうなほど「面白かった」のですよ。

これってなんなのでしょうね。

赤リチュは真央ちゃんがショールを追加したことで、江戸川までは従来の衣装だったと思うのですが、それ以後どのタイミングで変えたのか、今日の真央ちゃんは背中がぐっと深く開いていて、わき腹のところも赤い布ではなくて肌色の布地になっていた。そして足元のスリットが深くなり、ももまで割れて見えていた。
遠めだと素肌にもまごう”肌襦袢”に、深紅のショールがはらはらかぶさって、とてつもなく妖艶で。そして最後にショールを投げてのフィニッシュは本当に見事な演出で。

大好きなブログ SAKE of My Life!さんの、克明なサンクス観覧レポを楽しみながら、「真央ちゃんが、ショールをまとって、動作を変えてきた瞬間」の記事の衝撃を思い出しています。「とにかく何かを変えようとしている」という一文に鳥肌が立ちました。真央ちゃんが新たな挑戦をしている姿と、それを克明に、鮮明に、目の当たりにキャッチして、「わかってくれている」親戚の存在。

真央ちゃんに選ばれないエルニが、11連敗中で、本日めでたく12連敗になったことも、こちらのブログで知りました。そもそも「真央はぼくを選んでくれるだろうか」と本番中に観客に悩みを打ち明けるってどういうことかとwwww客に愚痴るキャストwwwエルニ、いいよいいよー!
その予備知識アリで見ていると、エルニのアピールタイムが異常なほどのオーバーアクションで、「エルニ、爆発するの図」だったのがよくわかるし(ほんとに爆発してましたwww)、四隅に立って客をあおるときも、エルニだけ客席ぎりぎりまで迫って行ってほんとにあおっているのとかwww

ねー。
だってねえ、エルニさん、おととし、想像できたかな、憧れの真央ちゃんとツアーを回って、一緒に滑って、かけがえのない大事なキャストとして信頼を結び、絆をつなぎ、一緒に滑るどころか今じゃ真央にリフトされているだなんて。そして真央に選ばれず本気でへこんでゴロゴロ氷の上を転がりまわるだなんて。

真央ちゃんは危機回避能力がMAXですし、なんというか「すべきことをすべきタイミングで完璧にしてくる人」なので、エルニを選ばないことにも何か意味があるのでしょう。私たちには計り知れないことですがwwww

いやー。面白かった。

そしてね、女性キャストの素晴らしさですよ。

理紗ちゃん。

正直ね、真央が開演2週間前にあんなに泣いて怒ったのは「りさ!まり!自撮りしたりおしゃべりしたり振り付け忘れたりして、単なるキャッキャウフフの場にしてたんでしょう、練習時間を!」と思いましたよwwwわかりませんが。

アホの女子大生!小娘が!きいいいい!!!真央がどんな思いで「お客さんは一生懸命来てくれるんだよ!」と泣いていたのか、わからんのか!!!プロやぞおまえら!!!!
と思っていた時期もありました。結構長いこと。ええ。

でもね、理紗ちゃんの大躍進に、今回本当に心を揺さぶられました。美しい…!!!!!

ダンスの特訓とか、何か特別なことをなさったに違いないと思うんですよ。動きが大きい。美しい。あるべき位置に手足がある。曲の世界を深く理解し、「あるべき姿」を演じている。動作が綺麗。のびやかです。
あんなに小柄で華奢なのに、大きく見える。目がいきます。

そして3連続ジャンプを決めてきた!

「若いっていいな」と友人は言いますがwww いや、若さだけではないでしょう。理紗ちゃん、あっぱれです。
もうね、ひとりの素晴らしいプロスケーターとして、ぜんぜん自立できますでしょう。「伝えたいこと」が見えてきた。理紗ちゃんの中に眠っていた「観客とコネクトするための、スケート」がどんどん目覚めてきた。「こうしたい」「こう滑る」が観客からの「そういう動作を見たかった!」とダイレクトにつながってきた。理紗ちゃん、すごいです。

この小娘が!きいいい!!とおこだったのが嘘みたい。理紗ちゃん、すごいよ。私は、無条件で河内理沙さんを尊敬します。頑張っただけ、それが見える。伝わってくる。伸び盛り。このままぐんぐん育ってほしい。理紗ちゃんもまた「夢のスケーター」のひとりとして、かけがえのない存在に、魚でいうならウロコが金色に変わり始めてきましたね。あっぱれです。


マラルちゃん。存在感がどんどん強まり、その美麗スパイラルで観客をうならせる。風格すら感じられる、そういえば、モンゴルのフィギュアスケート女子シングルを背負って立つ、モンゴル最強・最美のフィギュアスケーターでしたね、マラルちゃんは。

しなやかに、柔らかく、夢の世界に誘う腕。あの動きで、一気に「もっていかれる」のです。綺麗だった。今でも目に焼き付いている、丁寧に、誠実に、時に激しく、時に優しく、世界を抱きしめるようなあの動き。

マラルちゃんも変わりましたね。自信をもって「これが自分よ」と出し始めている気がする。個性を出して、それが全体の調和につながる、奇跡のような良い循環に立っている。見事です。
マラルちゃんのソロパートも、もっとたくさん見たいです。観客を夢の世界に連れて行ってくれるから。

渚さん。

群舞でも目がいきます。はっと心臓が驚くような鮮烈で美しい、妖艶かつ清廉なあの動き。月を模した発光体、美しくけぶる球体を抱きしめる所作に泣きました。赤ちゃんを抱く慈母のような、優しい優しいしぐさです。渚さんもきっと過去、あのように抱かれたことがあったのだろうか。真央ちゃんのご両親のように、親と早くに別離した寂しさを「我が子には味わわせないように」と暖かな家庭を創り上げていったように、渚さんのあたたかな優しさが、あの動きひとつで伝わってくる。

「心」が、どうしようもなくあらわれるのがフィギュアスケートの面白さです。どう隠しようもなく、「その人自身」が出てしまう。渚さんの清らかさと艶やかさと「あたたかさ」は、演技の隅々までしっとりと、優しく光を放っている。

ほんとに、ありがとうって、ただもうそれだけしか言えません。

綺麗だったなあ渚さん。

バナーが増えてましたよ~wwwそりゃそうだwwww俺たちの渚、いやさ、あたしの渚よ!となぜかドヤ顔ですwww
最初からすごかったんだから、渚さんは!!!誰にだよwww

ね、ほんと怖いの。大躍進。大躍進なんですよ、今もなお。

こんなツアーがどこにある。こんなキャストがどこにいる。

奇跡です。

「浅田真央という奇跡」が生んだ、奇跡です。


真央ちゃん、私、あなたの大きさ、いやさ巨大さを、まだよくわかっていなかったみたいです。

あなたは巨(おお)きい。本当に、真実、人の中央に立ち、「生きていることの素晴らしさ」「この世で時間を共有できることのありがたさ」「努力し続けることの大切さ」「感謝こそが、すべてだ」と教えてくれる人でした。


真央ちゃん。

ありがとう。

まだサンクス未経験者のためにも、そして複数回行くことで、どのような変化があったのかを、記録し、記憶し、私たちに伝えてくれる人たちのためにも、心からありがとう、と、そして「滑ることを通して、これほどの光と美と【絶対的な善】とを、世界に与えてくれてありがとう」と伝えたいです。

今日、もしかして、と昼公演後に友人がネットで見てくれました、立見席が戻っていた!でも、それはすぐに完売になり、私は「どうか楽しんでください、まだ見ぬ友よ、真央を通して【親戚】になった未知の心ある真央のファンよ」と嬉しくなりました。

複数回行ける人が、たった一度しか行けない人より、簡単に、楽にチケットを取っているわけでもないと思います。条件はみな同じです。万障繰り合わせて、他の何かを思うよりもサンクスを優先する、それだって毎回が困難との闘いだと思います。

全公演参加がマネージャーのまりこさんだけでは寂しいですよ。多く見たなら見たなりの、気づきがある。発見がある。それだけ回を重ねても、まだ新鮮な驚きがある。

進化し続けています、と皆さんに話すことができる。

だから、行ける人はどうか、行ってくださいね、奇跡ですよ、本当の奇跡ですよ、と私は改めて申し上げたいと存じます。


これほどにスケートを愛し、スケートに傾注し、すべてを捧げ続け、スケートを通して世界をこれほど大きく温かく活気づけ、喜びと感謝を伝え続けてくれるような人を、なぜ「正しい採点」でまともに評価しなかったのか、なぜ、金儲けの道具として、酷使し、いじめ、使いつぶし、嘘をついてまでおとしめてそれでよしとする狂った人間たちが存在したのか、悔やまれてなりません、憤怒は消すことはできません。

人類を代表するフィギュアスケート全権大使がいるのなら、浅田真央その人を除いて適任者は他にない。


ただ当たり前に、真央ちゃんがはらった努力に見合った採点をしてくれるだけでよかったのに。

今、「今」こそ、私は申し上げたい、「本当に」フィギュアスケートを愛し、信念に殉じ、強く正しく美しいスケートを滑り続けたのは誰だったのか。

真のチャンピオンは誰だったのか。

高い点数を取るからじゃない、順位が上だからでもない、私たちはずっとこれまで「浅田真央だから」好きだったんだ。

「浅田真央という奇跡」を、目撃できたことが嬉しかったんだ。


真央ちゃん、真央ちゃんのような人が本気で感謝を伝えようとし、それを実行したらいったい何が起こるのか。

「人間には、この世で純一無垢な絶対的な感謝の気持ちを、他人にそのまま伝えることができるのか」を、「できる」と証明してくれた、偉大な真央ちゃん。

本当に、ありがとうございます。

サンクスは、奇跡のアイスショーでした。これまでも、そして、これからも。





・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。
・悪質なコメントはIPアドレスを含め記事に掲載することがあります。


フィギュアスケート ブログランキングへ
浅田真央サンクスツアー | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/09/14 21:00

カメラマン ゆうきさん



やっと皆さんにお伝えできます。やったあ!
公私ふくめてこれまでに自分がしてきた一番いいこと、評価されるべきことがあるとしたら、カメラマンのゆうきさんを皆さんにご紹介することかもしれません。

以前に伊藤さんの護身術の講習会、理念の講演会を開催申し上げました際に、栄えある第一回目の水連講習会は辰巳のプール(東京辰巳国際水泳場)で行いました。さまざまな設備が充実した都心からの利便もよいプールでしたが、なんですか今後はスケートリンクになるそうで、泳ぎに行くなら今のうち、というかんじですが、この初回からご参加くださっていたお嬢さんです。

細身で華奢で一見したところ風にも堪えぬような体つきでしたが、講師の指導にきっちり応え、期待以上の動きを見せている子だなあというのがそのときの第一印象でした。いかにも現代風のお嬢さんなのに、なんというか芯がある。お話しすればはきはきと快活で理非曲直がわかっている。素敵な方だ、と思いました。
更には、水連の後で一同で参加した食事会で、当時なりたい職業を口になさったところ、「やめとけやめとけ」「そんな苦労することない」と集中攻撃?を浴びていたのが印象的です。まわりに座っていたマダム達はこの日があるのを予感なさっていたのでしょうか。でもまあ確かにそのときおっしゃった志望職業は「なんでわざわざ」とご本人のキャラクターにそぐわない印象でした。飲食の仕方が大変綺麗で、一緒にいて楽しい人だと思ったことも覚えています。

その後、陸上での講習会でも、伊藤さんの指示通りに軽々と鮮やかに動作をクリアしていて、「もっと難しいことを教えてくれればいいのに」というような表情を見たのも覚えています。「おう、これはなかなか」と思いました。
後でうかがいましたところ大学でウィンドサーフィンをなさっていたとか。寡聞にして存じ上げませんでしたがウィンドサーフィンは「ほぼ腕力」という恐ろしい世界で、一見優雅に海の上をすーいすーいと風に乗って自由自在に動き回っているようなぼんやりした印象しかありませんでしたが、なんのなんの、まず試合がとてつもなく恐ろしいルールです。聞けば聞くほど無理!のひとこと。
自然相手にあの海原を何周もってどんだけのゴリアテ登場ですかいなってかんじですが、熱心にがんばっておいででした。

伊藤さんの講習会、講演会、さらには私自身のセミナーを通じて知り合うようになった方は大勢いらっしゃいますが、その中からまさか「浅田真央に入れるどころか、真央ちゃんと組んで仕事をしていただきたい」と心から思える逸材が登場してくれるとは。
しかもカワイイ。真央ちゃんと並んでも仲良し二人組、というかんじです。きっと気が合うだろうと思います。ピュアさの度合いが同じくらいに感じるからです。

いやほんと、縁は奇なものとはこのことです。

ゆうきさんは、カメラマンですから、写真を撮影なさるのですが、できあがってくる作品がとんでもない「力」を持っている。

恐ろしい迫力です。それも魁偉とか雄大とか威厳とか荘厳とか、こちらを圧する力といえば「それも含まれる」ものでありながら、強要しない。こう思え、というイヤったらしさがない。大自然のすごさをすごさとして、「それも世界の一部です」と出してくる。これは恐ろしいことですよ。
撮影されたすべてに命があって、「生きている」。すみずみまで。
彼女が感知し形にあらわす「大自然」のすべてが、です。

驚きました。腰を抜かしそうになりました。

こんなにものすごいことができる人だったのか。衝撃でした。
確かに私は彼女の撮影したものが大好きで、カメラマンになればいい、天職だ、と心から感じ、また口にもしてきましたが、知れば知るほど「畏敬の念」と「感謝の気持ち」が湧き起こる。

他にない、確かに彼女自身を通した「その世界」が、こんなにも輝かしい。それが奇跡だと思いました。
我がないんです。透明なんです。まるで真央ちゃんの演技のように、清らかなんです。

すごいことです。ちょっと言葉を失います。

大好きな大好きな日本画家の、東山魁夷先生にお見せしたかった、と思いました。
カイイならわかってくれる、「この写真は生きている」って。
そう、強く感じました。

いや、誰でもきっとわかると思うんです。すごいから。

この迫力と美しさは、できるだけ大きな写真のプリントでお目にかけたい。ぜひ展示会をと強く願っております、デカければデカいほどイイ!のです。カイイがやらかしたように(失礼、)「実物大大自然」をお見せしたい(笑)。

カメラマンのゆうきさんが再解釈、再構築した「大自然」の輝かしさを全身で味わっていただきたい。それはまさに至福です。

彼女がご自分でもお好きだという太陽や大空を撮影した写真を拝見させていただいたときに、思ったことを覚えています。

世界は、美しい。人間の命は尊いものだ。いや、人の命「も」尊いものだ。この世は生きるに値する。すべてが一緒に生きている。

「ああ、生きててよかったな」と思いました。本当に。


小さくても「ゆうきの作品」であると、はっきりとした個性がありながら(それが一番すごいことですが)、我が出ない。個人じゃない。これって恐ろしいことだと思います。

大自然のありのまま、を活写する、と口ではなんとでもいえますが、「大自然」の巨大さに、ゆうきさん本人が負けていない。勝ち負けではなく、「いいね!」とさらりとその良さを当たり前に形にしている。なんじゃこりゃ、でございますよ。

しかも出てくる個性がキモくない(笑)。よくいるじゃないですか、先人が残した偉業を超えようとして卑しいエゴを出してきて、結果、作品が卑俗で低劣でキモくなる人。残念な方向で我しか出せていない人。お師匠さんがやっていることを真似てコピーしてそっくりさんになってそれでよしとしている人。ギョーカイもそれを高く評価して、先輩諸氏を脅かさない劣化モドキを喜ぶ、アレ。
なんにも意味がない、アレ。

そういうところが一切ない。清いです。

よいものをよいままに出してくる。泣けますよ。普通できない。

しかも、私のブログの読者さんならきっとお好きだろうと思うのですが(笑)、彼女、「尊いもの」を「尊いままに三次元の姿に残してしまう」んですよ。どういうことかと申しますと、ここからは私の解釈になりますが、たとえば聖なる場所というものがあったときに、そこには必ず個性があります。どう尊いかの色合いがくっきりある。ヒトでいう人格というか、偏差というか、「尊さの出し方」が違っている。

わかりやすいところだと、たとえば伊勢と出雲って「違う」じゃないですか。新宿と渋谷も「違う」。それは土地や建物の構造だったり、集まる人の種類だったり、植層、気候、色合い、質感、もろもろ含めて「そこ」の個性で、そっくりそのままとはいかない。小京都と呼ばれる場所は日本各地に複数ある。でもやっぱり京都ではない。

その、「中の人の違い」、聖なるものの個性を、そのまま写真に撮ってしまう。ぶっちゃけた話、今回、彼女がブログでもその一部を公開なさって、販売も開始なさっている諏訪大社の写真ですが、私は現地におりまして、挨拶に出てこられた「中の人」を指さして「あ、そこ撮って」とお願いしたら「撮った」んです。ちゃんと輝くものが写されているんです。そういった写真はブログでは2019年9月現在は掲載なさってはおりません。やたらと見せていいものでもないだろうと私からも申し上げました。すごすぎるんで(笑)。

そして、そのときばかりではない。彼女が「ああ、いいなあ」と瞬間の判断でシャッターを押したときに、世界のよいものこんにちは!で写っている。中の人たち大集合。

世俗にまみれたジジイである姐さんなんかはすぐさま「うわー、これ、××××に持ち込んだら外車が買えるくらいの値段がつくだろうなあ~(笑)」「教祖が撮影しました!とさぞかし××新聞にばばーんと出すんだろうなあ」などと下卑たことをとっさに思ってしまうような「存在」もにっこにこで写っている。超ウェルカムですよ。わざわざゆうきさんがまさにシャッターを押す「その瞬間」にいあわせている。そしてどれもが「生きていて、喜んでいる」。
驚きました。

目に見えるよいものだけではない。目には見えない、とされている、よいものまでも撮ってしまう。撮影可能カバー率がすごい。

芸術家ってそうなんだろうか。アートってそういうものなんだろうか。

見えないものを、見せてくれる。わからないものを、わからせてくれる。

みんなで、「いいねえ」と思えるものを作り出してくれる。誰にもわかるように「世界は美しい」とカタチにしてくれる。

創造者=クリエイターとはこういうことか、と初めてハッキリわかりました。

真央ちゃんふうに申し上げるなら驚いて喜んでびっくりした(笑)ので、そういったものだけを集めた展示会を一度はしていただきたいなあと思っています。ネットで気軽に拡散するのはどうかと思うが、素晴らしすぎるので見てほしい。すごいんです。
更には許されるならお写真一枚ごとに解説申し上げたく存じ上げております(笑)。

それとこれも余談なんですが、ある種の波長をキャッチしようとしたときに、カメラって壊れたり動かなくなったりするんですよね。姐さんは感情が激すると家電がいかれるので(若いころは電球を破裂させたり中のフィラメントが切れたりしました。過放電かなんかなんでしょうかね?)気をつけるようにしています。また、仕事で廃墟とかオバケがいるところに行ったときに、撮影機材がおかしくなるのを何度も経験しています。生命反応はぜんぶ「電気」反応だし、あの世とこの世の境のうすーいベールをはぐときもやっぱり電気を使います。電化製品は相性がいいというか悪いというか、反応を受けやすいんですよね。

でもゆうきさんは撮影機材に不調が出ない。新人類!!!と思います。
たぶん、影響が出る次元にいないんじゃないかな。粒が細かいというか。
などと、電波者としては「ゆうきさんの、ありよう」についても考察をこねくり回しているところです。

ただね、「それ」を全面に出してもいいことはない。それもこみで、それすらも彼女の個性の一環としてあるわけで、ゆうきさんのはたらきはとてつもなく大きいと思います。

巨(おお)きな仕事ができる人。

今、真央ちゃんのサンクスツアーにはカメラマンの川島小鳥さんが入って撮影をなさっていますよね。余談ですが小島小鳥さんのほうがよい名前だったと思いませんか。インパクトもあるし。ほんとに余談ですみません、で、川島さんの手と目と心を通して残されていく真央ちゃんも素晴らしいのですが、たとえば同じシーンでも別の人が同時にシャッターを押していたら、別な浅田真央が残される。その、別な浅田真央も私は見たい。できることならゆうきさんで、と思うわけです。

サンクスツアー中の真央ちゃんの、多極的な魅力を、そのままに、新鮮に、美しく、力強く、「ありのまま」に残せる人だと思うのです。
女性ですから、川島さんが同行できないようなシチュエーションでのオフショットなども撮れるでしょう。それも魅力のひとつです。
(温泉!温泉だよ!温泉に行きなよ!スパ!スパ!エステ!水着!全裸!せめて半裸のバックショット!上半身だけでも!あの美しい背筋!見たいんじゃあああ!残すべきだ、あんな美しいものはああああ!!!と騒いだ私を許してください。いやでも真央ちゃんおのお姿はちゃんとデータをとって立体モデリングにしてMOMAとかに永久保存・展示すべきじゃないですかね。工芸品じゃないからダメか。というか浅田神社。浅田寺を早くブチ建ててですよってその前に真央リンクですよねー各地に複数、って話が長くなるのでいい加減にしなきゃです)

真央ちゃんが好きなので、ものごとの判断基準が「真央ちゃんに見せられるか」「真央ちゃんにこれいいですよって申し上げられる水準か」なのですが、ゆうきさんは「一緒に組むとすごい化学反応を起こします、きっと全員が幸せになれる素晴らしい結果を出すと思います」と自信をもって言えますね。まさに「大吉!」としたいです(笑)。

本当によい仕事ができる人だから、「ハッピーな局面」にぜひ起用をと思います。
ブライダルフォト、お宮参り、七五三など、あるいはご家族、ご友人、カップル、ペットとの記念写真など、ぜひ出張撮影も依頼が増えてほしいです。英語が堪能でいらっしゃるので、海外でのお仕事もいけますし、日本と、それ以外の国の写真の「違い」も、これからまた見られそうで楽しみです。

よいものをよいままに残せるお方です。その「よさ」の深度と透明度がすごいのです。それらの貴重で、繊細で、現世ではなかなか見られない「本当に素晴らしい資質」は、今後どのような活動をなさっていくとしても、摩耗も減じも一切せずに、ますますの進化・深化を遂げていき、本当の意味でクリアである「世界」を見せ続けてくださるだろうと思います。

彼女の目と、心と、手を通して出てくる「世界」の素晴らしさが、世界に伝わるといいなと思います。

カメラマン ゆうき オフィシャルブログ clear

すべてが輝いて生きている「その瞬間」を定着させることができる、稀有な逸材、この方の写真が、小学校や中学校、あるいは病院など、人が生きていく上で「力を得る」必要があるような場所に、そしてホテルや美容院、エステ、スパ、レストランなど、輝きを増していこうとする場所などに、大きな大きなプリントで、ご作品が飾られるといいなと思います。

それってとても健やかで、幸せで、透明で清いことだと思うからです。

巡りあえてよかったなあ、カメラマンとして立つことを決意してくださってよかったなあ、と今しみじみ思います。

私が死んだときに神様の前で「おまえは人のためになることを何かしたのか」と問われたときに、「ゆうきさんを、皆さんに紹介できました」と、ひとつは胸を張って言えそうです。そのときのドヤ顔を想像すると笑えて来ますが、本当に自信をもって「すばらしい仕事をし続けている方ですよ」と神様に直接申し上げることができるだろう、それは私の喜びのひとつです。
ゆうきさんよりは先に神様にお目にかかりそうですからね、年代的にも。楽しみです。

皆さんの「力」になるように、そしていつか本当に、真央ちゃんと軌道が交差して、みんながハッピーになれるような、仕事が待つことを願っています。

実は舞ちゃんや真央ちゃんのブライダルフォトもと、密かに願っておりますよ。

そして道家杯に、お願いしてゆうきさんにいらしていただけばよかったと死ぬほど後悔しています。渚さんや出演者の皆さんが、あんなに近い場所で笑顔を向けての撮影時間をつくってくださっていたのに、私はといえば案の定とんでもないピンボケで…ああ!一生の不覚です。渚さんのあの美しさ…嗚呼!


ゆうきさんはなんでこんなに素晴らしい写真を撮れるんだろう?

なんで「写真」がこんなにも胸に染み入り、心を熱くし、うわーいいなあ!世界って美しい!ありがたいなあ!私もがんばるぞ!と奮い立たせてくれるのでしょう。

天からのギフトとしか思えません。まさに「才能」です。有難い、のであります。

以前に行った舞ちゃんの撮影会のときに、プロカメラマさんに私は申し上げました「素敵なものを素敵だな、と思って素敵なふうに形に残す。もしかしてカメラマンって世界で一番幸せな職業かもしれませんね」と。世界のよさをありのままによいと思って形に残す。そこに何もはさまれない。我欲だとか私欲だとか、みみっちいものが一切ない。

なんだろう、この清さ。

真央ちゃんの演技の質と同じだなあと。感謝とか思いやりとか、仁慈の心がそのまま「見えるカタチ」になって出されてくる。

そこに至るまでの過酷な努力を一切見せず、ただ「よいもの」としてあり続ける。そういう写真を始めて見た。

いつか演技中の真央ちゃんの示す圧倒的な狂気、狂乱、鬼気迫る、この世の者ではないほどの異常な「強さ」や魂からの超絶的な咆哮、怒号、悪にとっての脅威である「世界を一瞬で光に変える」すさまじい「力」をそのままに、カメラマンゆうきさんによってカタチにしてもらえたらなあと願います。

ゆうきさんなら吹き飛ばされない。「いいな!」とそのまま残せるはず。有象無象の人類にはできないことができるだろう。

ああ、がっぷり四つに組んだ二人が見たい。芸術における「そっちがそうくるなら、俺はこうやって受けて立つ!」という名勝負をする真央が見たい。本当に。

あと、冨永愛さんの写真もお願いしたい。大好きなんです。強くて優しくて芯がある、そしてどこか切ない、哀愁と悲哀の影がある、とてつもなく頑張っているあの綺麗な心の女性の笑顔を撮ってほしい。
鰐淵晴子さんもーーと欲は限りがありません。

ゆうきさんのご作品に対しての思いのままを素直に記事にしたら、もっともっと暑苦しくなりそうで、でも、どうすごいのかは見ていただければきっと伝わると思うので、「まずはアクセスなさってください」だけでいいのだろうなと抑えました。えっこれでもとお思いのあなた様、これでも、です。ファンなのでうるさいです(笑)。真央ちゃんの演技もそうですけど、ひとふひとつ、語りだしたらきりがない。無限の解釈、無限の再閲覧に耐える力を持っている。

私が心から尊敬するゆうきさんのご作品です。ぜひお手元に。おすすめします。

大勢の皆さんにこの素晴らしさが届きますように。


カメラマン ゆうき オフィシャルサイト clear


ありがとう、ゆうきさん。




・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。
・悪質なコメントはIPアドレスを含め記事に掲載することがあります。


フィギュアスケート ブログランキングへ
カメラマン ゆうきさん | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/09/09 09:09

浅田真央さん紹介に「JAP」 国際スケート連盟、批判受け謝罪



謝罪のときにくどくどと言い訳をするのは、「自分たちの都合を優先して考えている」証拠なので、謝罪と受け止められない可能性が高まります。非は非、礼は礼、です。


浅田真央さん紹介に「JAP」 国際スケート連盟、批判受け謝罪
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190830-00000002-jct-ent
8/30(金) 12:20配信

国際スケート連盟(ISU)は2019年8月29日、元フィギュアスケーターの浅田真央さんの紹介文に誤って「JAP」という言葉を用いたとして、謝罪した。
ISUは28日、ツイッターで浅田選手を紹介する投稿をした。

添えられた写真には、浅田選手のこれまでの偉業が列挙されていたが、「Mao Asada(JAP)」と、JAPANの略称として、日本人の蔑称としても使われる「JAP」が書かれていた。

投稿には批判が集中し、ISUは29日に「誤った日本の略語が書かれた画像を投稿してしまい申し訳ございません」とツイッターで謝罪。「私たちはいつも正しい略語を使っています。これは急いで打ったことによる間違いです。今後は二度と起こらないようにします」と釈明した。

その後、画像が再投稿され、「Mao Asada(JPN)」に修正された。


「急いで打つと間違う」なら普段は常に蔑称表現を使っているってことですかね。

これまでISUは日本人選手にはJPNと入力してきたはずです。

「浅田真央にだけ」「こういうことをする」のはなぜだろう? いろいろ考えてしまいますね。





・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。
・悪質なコメントはIPアドレスを含め記事に掲載することがあります。


フィギュアスケート ブログランキングへ
ISUの諸問題 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/09/09 02:26

「お通夜バースデー」から「冥界記念日」へ



9月5日がアレの生まれた日だなどということを認識している日本人など私を入れて四人くらいなんじゃないかと思いますが、日本人にとって記念すべき9月6日にその記事を出す、という姐さん痛恨の周回遅れでございます。

9月は私が大好きな方が軒並み誕生日を迎えるというめでたい月で、それなのにコヤツがいつまでもいつまでもココにいてOCも「あの稚拙で下衆な漂うボウフラ」の大惨事の茶番演技を蒸し返し続ける始末。大爆笑必至ののたのた、よろよろ、拙劣なカネメダルがまたしても晒上げられていましたが、繰り出し続ける目を覆いたくなるみっともない動作の数々と正比例する、驕ったドヤ顔が本当に惨めです。忘れないでキャンペーンをIOCある限り続けるつもりなのでしょうが、クイーンヨナと銘打って出してくるのがバンクーバー、って本当にもうやめてさしあげろと思わずにはいられません。

韓国は実年齢プラス1歳のカウントをしていますから、2019年の今年、キム・ヨナは30歳を迎えたと。
「えー、トリノに出られたんじゃん」と思ってはいけません。出られません。そして本来であればバンクーバーもソチも、五輪憲章違反と五輪倫理規定違反で「失格」ですから「そもそも五輪出場そのものが、一度もできないはずの人間」でございます。

さて、冥界記念日。

1_2019090615580353a.jpg
09051.jpg

照明、暗っら!!!!
ケーキ、小っさ!!!!
笑顔、陰気!!!!
肘をついてニダリ顔!!!!
場末感、マックス!!!!!
めでたさミリ単位!!!!!
冥界じゃん!!!!

という感想しか持てません。
私の人生経験が浅すぎて、「誕生日とは本人もまわりも感謝をこめて明るく楽しく祝うもの」という狭い固定観念しか持つに至れずにいたせいだとは思いますが、いやいやいや。

あー、「こういう」誕生日を迎える人間でなくてよかった、と思います。

以前からキム・ヨナ側が出してくる「今日はめでたいバースデー♪」の画像が「お通夜」と評されるほど、陰気くさくて、なんか惨めで、毎年必ず孤独なものでございましたが、今回は「お通夜バースデー」から何歩か進んで「冥界記念日」にと進化?を遂げておりました。

このブログにいただいたコメントで知ったのですが、韓国人は誕生日を迎えた本人に向けて、集まった友人たちが罵倒しまくる歌を高唱するそうです。徹底的に、念入りに、水ももらさぬ勢いで悪口を浴びせまくる。それが「祝っていること」になるそうで。

「えぇ…」と日本人なら腰を抜かしそうな大惨事でございますが、それが「祝っていること」になるそうで。

いやいやいや、と思いましたが、「逆のことを言って、あえてこんなにあなたを思っているのよと示す」のが親愛の情を現すものだそうですよ。いやいやいやwwwww 普通に言えやwww普通にありのままに祝おうやwwww

キム・ヨナ側としては、「うわぁ、とうとうあの世かあ」とドン引きするような画像を出してくるということは「コレ」が最高にハッピーでめでたくて楽しい状態、ととらえているのでしょうね。

どこらへんにキム・ヨナのいう感謝がこめられているのか、私にはひとつも探し当てられませんでしたが…。

もうね、比べたかないですけど、真央ちゃんがインスタグラムで見せてくれる、たとえばスポンサーさんのCM撮りでいただいた花束やケーキや、それこそケータリングの軽食と一緒に見せてくれる笑顔とは「全然違う」なあという印象です。

誕生日でこれなんだ…。

わからんわー。

韓国人とはわかりあえない。本当に、わかりあえない。と思った次第でございます。


あまりにもさびしすぎる「忘れないでキャンペーン」はこちらから
https://www.wowkorea.jp/news/enter/2019/0905/10241184.html

直リンクすらしないというwwww

ちなみに、キムファンは祝うには祝うのですが「キムの画像を修正した上で」祝っているようですよ。
キラキラのデコレーション、装飾を乗せるのではなくて修正です。

練習中の、いわゆる「ぼさ真央」こそ至高!その凛冽、清潔、真剣な集中の極みにある真央ちゃんこそ、本当に美しい!という我々の考え方ともやっぱり正反対ですね。

……「ファン」の定義もだいぶん異なっているようで。




・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。
・悪質なコメントはIPアドレスを含め記事に掲載することがあります。


フィギュアスケート ブログランキングへ
キム・ヨナの人柄 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2019/09/06 16:03

国語学者 大野晋(おおの・すすむ)



※初出時の文中の誤字をmさんからご指摘いただき、修正いたしました。mさん、どうもありがとうございます。助かりました。


やっと紹介できる日が来たのだなあと言いますか、皆さんとっくにご存知ですよね、という超有名どころにして一読「大野先生っ!」と叫ばずにはいられない偉大な国語学者、大野晋(おおの・すすむ)先生の著作物の紹介です。

私は、作家でも学者でもそうですが、その方の著作物はすべて読み、反論、異論、批判を出している人の文章も入手可能な範囲で読んでから判断するようにしています。白川先生のときは著作集が金文・甲骨文とその解説という燦然たるガチ学問だったので大変に時間がかかりました。大野先生の場合も辞書をものしておいでですから、それらを読み終わるまでは、とだいぶがんばったつもりです。学術論文などは外部では入手可能ではなかったり、あまり古いと現物がそもそもどこにあるか探すところからなので、まあ市販で入手できる範囲ということになりますが。そしてお二人が取り扱っていらっしゃるそもそもの一次資料のすべてを入手はおろか原本に当たれる幸運な人は日本でもそうはいないと思いますので「素人にできる範囲で」と限定条件をつけなければなりません。皆さんと同じ範囲で勉強しているわけです。

一般民間人、おふたりの巨人の業績の正誤や真偽の判断などつけられるはずもないのですが、ともかくも「ん?」という疑問レーダーにひっかかる箇所がない。どちらも事実に誠実に、そして非常に緻密に研究している。ことに白川先生は文献資料だけで我が一族のご先祖がどこから来てどこへ行ったかドンピシャで正解をだされているのを著書に書かれているのを見ましたから、残りの業績は推して知るべしという感じです。

大野先生の場合は一般には『広辞苑(初版)』、『岩波古語辞典』、『古典基礎語辞典』などの執筆者として有名ですが、なんといっても当代一流の国語学者、日本古代語の研究者としてインドのタミル語との相同を調査し日本古語タミル語説を提唱したことが広く知られているのではないでしょうか。
大学時代の恩師である橋本新吉先生が戦後の混乱期に「餓死(大野氏の各種著作では栄養失調による衰弱死と記述されているが明らかに餓死)」なさった、まさにその遺体を前に先生の遺志を引き継ぎ日本古語、いわゆる上代の言葉について生涯研究を続けると誓われたご経験がおありです。

小さな砂糖商のおうちに生まれ、南画や書に傾倒し商売あがったり、かつ、他人の借金の保証人になり零落していく父親から、幼き日に二冊の辞書を与えられたこと、『万葉集』との出会い、よき同輩、先輩、先生方に恵まれたこと、さまざまな偶然を後から振り返ると、ただの偶然とは思えないさまざまな「不思議な符号」をお持ちです。
あたかもそのときどきの大野先生のお気持ち、意志とはまったく別に、ひとつの流れ、筋道が立って「日本語の源流」の解明に導かれ続けているような……その生涯はまさに激流と言えると思います。

残念ながらすでに逝去なさっており、その謦咳に触れる機会はありませんでしたが、今もこうして先生の著作を拝読したり、お弟子方の筆致から「大野先生に学ぶ」ことはいかようにもできるわけで、ありがたく、嬉しく、そして種々の感情をたぎらせながら大野先生の熱情に触れている毎日です。

とにかく熱い。この熱量、「生きる力」の膨大さはいったいなんなのか、と思います。人としての器がもう違う。

事実に誠実、真実に忠実。

ベートーベンがお好きだったとのことですが、「ただただ一途に『真実』に向かっていく」その姿勢、その「成果物」は、同じ箱に最初から入っていたように思います。

偉人、です。

ここでその業績を要約し、賛嘆おくあたわらざる存在だと(結果的に)美辞麗句を連ねるよりも、実際に大野先生の著作に目を通していただくほうが絶対に良い、と思われます。

そして残された私たちへの課題の巨大さに打ちひしがれる。大野先生は確実に「自分を超えていかれること」を望んでおいでだし、ご自分のこれだけの業績に対してあやまちを正し、推論を証明し、「事実」をさらに証明することを決して、超人的な仕事を続けてこられたはずですから。

かつて週刊文春が事実無根のねつ造で徹底的なネガティブキャンペーンを展開しあまりの執拗さと妄念ぶりに「文春はどうしたのか」と危ぶまれるようなことすらあった。

国会議員・立花隆志氏のこちらの動画を見ると、「週刊文春のデタラメさは当時から何ひとつ変わっていない」と思います。



我慢して最後までご覧になってみてください。週刊文春から送信されたファクシミリに記載の質問に対し立花氏がひとつひとつ回答するようすが撮影されているのですが、最後の最後に「ちょ、おまえ、こんな大爆笑のお笑いネタを用意していたのかよ」と週刊文春の「笑いの神を召喚しすぎ」な大変にふざけた爆弾が投下されます。
こんなんでカネもらえるの?センテンススプリングって!!!!とびっくらしました。
あ、ちなみに「びっくら」も日本語としての用例は古くてですね、私の造語ではないのですよとまたしても余計なことを書きますが、まあ古いといっても奈良までは遡りませんのでって先へいこう先へ。

日本の「ロケット開発の父」糸川英夫先生への朝日新聞のバッシングも思い出す。

日本の宝を損なうことに、どうやらマスコミは長けているらしい。いつの時代もイエロージャーナリズムのすることは変わらない。

しかし、そのような汚濁の、汚辱の、偽りの報道の中にあっても心ある「報道を志す者」は必ずいる。現れる。

ただありのままの事実を。それだけでいいんだよ!

私たちは真央ちゃんをとりまく報道の濁流の中で、いくたびそう思わされたでしょうか。

事実だけでいいのに、と。

大野先生の研究姿勢は徹底した実証主義です。非常に信頼できる手法です。実に、実に科学的です。

これだけの方がなぜか「抜き身の刀のよう」であるとか「毀誉褒貶がいちじるしい」とか言われなければならなかったかわかりません。
もっとも、ある本の出版前に、あるお弟子さんが出版前の原稿に目を通し、「批判を削る、和らげるよう繰り返し言い続ける」のが主なアシストだったエピソードなどを見るにおいて、「国語学界隈は煽り耐性ゼロなのか」と思ったりもするわけで。

大野先生が史学科の教授連と仕事をしたときに「批判がもっと徹底的だ」と思われたように、「学者の喧嘩」の恐ろしさは国語学のほうでは徹底されていなかったんでしょうかね。大野先生ご自身、「なれあいで学問をしたくない」ということで恩師の縁故のお見合い話を断っていますが、それほど「徹底的な上下関係」が当時はあったということでしょう。

フランス文学のほうで森茉莉の長男が大学で助教授になるまでは、父・山田環と離婚した母・森茉莉との連絡を取らず、もう上ににらまれてもどうにか大学で生き残れそうな立場になってからやっと会いに来たというエピソードもよぎります。学生から院生、そして助手からはじめて黙って順当に出世して、後は自分の実力でどうにかなる範囲が広がった、というところまで我慢した。そうでないと足元をすくわれる。「モリマリは悪妻」で結託した教授陣の力をはばかって。ほんとヤな世界です。
とはいえ芋づる式に「パッパのお茉莉」のそのパッパは海軍で実施していた栄養学的に正しく人害を出さない食事メニューを徹底的に拒み、陸軍は脚気蔓延という被害も出しているということも連想し、これはオーガイ好きな私でも見過ごせない「悪事」であることよ、と悲しい気持ちになったりして、さらには星新一よ、なにゆえあまりにも身内びいきな本を出したかと製薬つながりで思い出したり、例によってどんどん横にずれていきますが、大野先生の話に急に戻すと、たとえば『日本語練習帳』が当時200万部超えのベストセラーになったときに「単なる妬み」「スター学者への悪意」に加えて「自分の就職に関する憎悪」から週刊文春にオーノの悪口を売った人間がいたとかいないとか、インドで調査をするためにタミル語と英語と日本語ができるとあるインドの女性研究者に通訳、同行を依頼したところ、彼女の研究室にわざわざ足を運んで「オーノはインチキだから協力するな」と言いに来た学者がいたとかいないとか、イヤな話はいくらでも出てきます。

で、ここが一番の問題ですが、そういう連中には「批判の根拠」が「ない」んですよね。大野先生のように日本古語2万語の使用例をカード化していつでも用例を出せるとか、そういうスペシャリストに対して「気分」で攻撃を加えてくる。恥ってもんはないのかと思います。

自分は無力な一般人ではありますがたとえ畏敬する白川先生の著書であったとしても「間違いはないか」と思って読んでいます。「ん?」とひっかかる箇所があったらできる限り調べます。それが先人に対する正しい読書姿勢だと思うからです。まるのみ、うのみは決してしない。正しいか正しくないかは、いつの、どのジャンルにだって絶対的な「前提」だと思うからです。

しかし十分な根拠と、誠実な類推と、決定的な証拠とがあるのなら、「これはひとまず事実と仮定して先に進んでもいいだろう」と思いながら読んでいます。

また「今わかっているのはここまでである」、「とりあえずこれを正しいとするならば」と、自分が何を根拠にしているかという、「前提」がしっかりと提示されている研究者の研究は、検証に耐えうる内実を持っていると思います。

わからないことをわからないと言える強さ。正しくは「学者としての誠実さ」、これが大野先生にはふんだんにある。

いわれのないバッシングを受けたときに友人から届いた手紙にあった「嫉妬からの非難によって、研究が本質的な痛手をこうむることはない」という鼓舞がもたらす強さと清潔さの力添え。この手紙の二年後にこの方は肺がんで亡くなります。大野先生はたくさんの弔いを経験しながら生き抜いた。

「もうこれだけの業績を重ねたのだから、あとはおとなしくしていれば勲章がもらえるのに」と言われても「そんなものに興味はない」と生涯を駆け抜けた。ほんとうに、なんて人だ、と思います。

『日本語と私』
大野晋
河出書房新社 河出文庫

著書紹介より
『広辞苑』基礎語千語の執筆、戦後の国字改革批判、そして日本語の起源を求めて孤軍奮闘した、日本語タミル語同系論研究。「日本とは何か」その答えを求めて日本語の起源を追究した天才国語学者の生涯。






アウトラインを知りたい方は、2008年の先生の死去、二か月後に「学者ではない立場で」と依頼されて書き上げられた評伝を。これ、中学生くらいなら読めますから、お父さん、お母さん、読み終わったらぜひお子さんにもお渡しください。家族で話題になさるとよいと思います。これだけ熱い「人間」が実在したことをぜひ知っておいていただきたいし、昭和の暮らしや当時の「思潮」が本当によくわかります。
よく調べてあり、大野先生が自身について語る中で差異があった場合に「川村さんはこれを採ったか」と思いながら読むのも面白いです。この方に真央ちゃんの評伝を書いてもらったらどうだろうか?とも思いましたよ。
へんにべとつかず、感情移入しすぎずに、でも、大野先生の息遣いまで感じられそうな「体温」が伝わるよい評伝です。私は最初に喫茶店で読み始め、涙がぼろぼろこぼれてきたのでこれはいかんと急いで帰宅して一気に読了しました。

先生が研究室で深夜、夜食にインスタントラーメンをご自分で作って召し上がっていたのもこれで初めて知りました。助手はなくならないよう買い置きをするのも仕事のひとつだったとか。助手さん助手さん、炊飯器を用意してせめておむすびとか……梅干し、おかか、塩昆布、鮭フレークの瓶詰、いろいろあったでしょうに、もっと体によいものを……うちが近所なら毎晩お夜食を届けたのに!と思いました。すぐできて暖かくて食べやすいものがよかったのでしょうね。確か朝食は牛肉薄切りのバターソテー、トースト、生野菜のサラダ、ミルクティー二杯に固定されていたので、次から次へと新発売される新しい味を試されていたのではないでしょうか。なんとなく。
大野先生、辛辛魚のカップラーメン、最高ですよ。冬場しか販売しないのが残念、通年販売してほしい~。と命にかかわりそうな食品を勧めてはいけないですね。



平易で明快であたたかくて、よい評伝です。出版元みずから「傑作評伝」と書いちゃうだけのことはある。おすすめです。

『孤高 国語学者 大野晋の生涯』
川村二郎
集英社 集英社文庫




こちらは「へえー、へえー、そうなんだ!」の連続で、目からうろこがボロボロ落ちます。こちらも中学生くらいからわかるように書かれている。これだけ深くて難しいことをこれだけ平易で明快に「日本語」にできるという、それだけとってもオーノ・ススム、ただものではありません。ああ、私もコドモのときにこの本を読んでおきたかった。

大変有名になった「私は大野です」の「は」と「私が大野です」の「が」との違い、説明できますか?この用例の背後にある膨大な「日本の歴史」と「日本語の変遷」をふまえた上で誰にでもわかるように解説している。偉人じゃ、偉人のしわざじゃ!と叫ばざるを得ない。

岩波書店の編集者などに大野先生が質問を投げかけて、何年もかけてまとめたケーススタの形式を取っている、大変に面白い一冊です。大野先生のユーモアがたまらない。ふいにぶっこまれる本音の部分がなんといきいきと躍動的なことだろう。ナイスツッコミ!と胸がすきます。そしてこの本を読んだ上でナイスツッコミ!と平気で持ってくる自分が恐ろしいですね(笑)。

『日本語練習帳』
大野晋
岩波書店 岩波新書



こちらはもう日本人なら必読書ですよね。白川先生や吉野裕子先生などがご覧になっていたらと思います。もう物故なさった学者たち、私が尊敬する先生方ならなんと評されただろう。あの方は急いで論文の訂正に入るだろうし、あの先生は電話をかけて「オーノ君!これはとんでもないことだよ!」と興奮して立ったまま手を振り回して激賞するだろう。そして日本の歴史と思想と宗教と復職史と調理史と、それからえーと、いろんなジャンルに激震が走るだろう。そしてみんなが幸せになれるだろう。ってなことを考えます。
あの世でオーノ君!といろんな先生に言われているのかな。私はあの世に行く前に「オーノせんせええええっ」とうめきながら読んでいます。すごすぎる。

『日本語の源流を求めて』
大野晋
岩波書店 岩波新書



こちらも日本史をなさる方は必読なのではないでしょうか。大野先生の「論旨の要約」能力は異常。ハイレベルすぎる。受験期のお子さんを持つ保護者の皆さんは、日本史理解のためにもこちらをぜひお子さんにと思います。わけのわからない文章を書くヒトは、やっぱりわけがわかなっていない、と難解さを旨にしているのかというような論文や参考書に悩まされている人は「頭がいいとはこのことだ」と叩きつけてやりたくなります。というかさっきからえらく戦闘的な文章が続きますが「なんかあったんですか」と我ながら自分に問いたい。なんもないよ~☆

「カミ」という膨大な意味と歴史と「後付け」のなんだかよくわからないモノに対して、ズバアアアッと事実を列挙した傑作です。頭の中の綿あめが全部まきとられてスッキリする。そして「にもかかわらず――これだけ丸裸にされ、検証され、事実を洗い出されてなお、残る『生きている、カミとしか呼びようがないアレらはいったい何なのか』という命題は残るわけで。カミはある。カミはいる。ここでSCP財団をお好きな方は「ねこです。よろしくおねがいします」と言いたくなりそうですけれども。

『日本人の神』
大野晋
河出書房新社


なんか、すごい人ってほんとうにすごいんだなあと思いますし、いろいろなことにへこたれずに「あきらめずに続けること」って大事なんだなあと思います。

わーすごい!と無責任に消費するだけでもよいのですが、これらを自らの血肉とし、日々、生活する中でも「なるべく上等なものをめざす」のはやはり大切なことだなあとも自戒します。

わかりやすい文章は、書き手が書くことをわかっていないと書けないのなら、このブログに掲載していく文章もそして「その中身」も、自分が実際に生きて経験する中で「こんなふうにわかったよ」と、端的に、そしてできれば魅力的に、つづっていきたいものであります。

そういえば国語審議会のいい加減さで「魅」が削られそうになったときに「でも、魅が使えないと日本語が魅力的じゃなくなるから(笑)」で残されることに決まったとか、「佐藤栄作首相、当用漢字表からいうとあなたの御名前の佐藤はひらがなで書くことになりますよ。藤は音訓表からすると『フジ』としか読めませんから、人名表に残せば『トウ』と読めますけど」と言われて「中村(当時の文部大臣)を呼べい!」でコロリと方針が変わったとか、爆弾なみの実情暴露がなされてますけど、もっともっと世間は大騒ぎすべきだし、「漢字は悪魔の文字」「敗戦濃厚な戦争末期でも徹底抗戦をはかったのは漢字で布告される戦況を日本人が理解できなかったからだ」と漢字の書き取り調査をしたらとんでもない高水準だったとか、国民の学力試験の数値は富裕層の居住地が圧倒的にハイスコアだったとか、いろんな「大騒ぎし、対処すべきこと」が多くうずもれていますよね。

知らなかったではすまされず、知った以上は変わっていこう、よりよい方に変えていこう、という内容。

ページを繰れば、先生に会える。偉大な学者の偉大な業績を「国語」で読めることのありがたさ。

先生は孤高なんかじゃない、「徳は孤ならず、必ず隣あり」と孔先生もおっしゃる通り。

これかれも繰り返し再読を重ねたい本たちです。






・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。
・悪質なコメントはIPアドレスを含め記事に掲載することがあります。


フィギュアスケート ブログランキングへ
本の紹介 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2019/08/19 11:29

第10回道家杯が素晴らしかった その2



ひとつ前の記事は帰宅後すぐに思ったことをわーっと書いてしまいましたので、実際にはどんなイベントだったのな、ということが全然伝わっていなかったですね。

道家豊先生プロ60周年記念
フィギュアスケートエキシビション発表会
第10回 道家杯

主催 道家フィギュアスケーティングチーム
日時 2019年7月28日(日)開場 9:15/開演 9:45
場所 東大和スケートセンター
入場無料、プログラム 1部200円

プログラムがまたいいんですよね。前ページ、カラーで出演者の顔写真、プロフィールなどが綺麗です。
全日本のプログラムは大手企業さんのスポンサーがついていますし、部数を刷るんだから、選手紹介の顔写真、カラーにしてあげればいいのにとなあと憤慨したことを思い出しました。

オープニングに、俺たちの渚改め俺たちの林観世音菩薩である渚先生を含む、お姉さんたち6名によるグループナンバー。
続けて、普通の競技会とは異なり、マスターズ部門のシングル、アイスダンスと続きます。スケートクラブの発表会は、早朝から小さいお子さんたちの出番になるので、今回はちょっと新鮮でした。
マスターズの皆さんは、さすがのいぶし銀の魅力です。
アイスダンスはやっぱり見ごたえがありますよね。もっと増えてほしいなあ。大人の魅力が炸裂です。

そして招待スケーターズ部門。アイル軽井沢FSCから5人のスケーターが登場です。

ノービス・ジュニア部門。選曲の妙が光ります。ご父兄とも相談なさって決めていると思いますが、お子さんの個性にあわせたバラエティ豊かな曲と振り付け。ただただ爽やかの一言です。素敵でした。

ノービス・ジュニア門下生部門。
見ごたえがありました。全日本の最初のほう、これに出るのがスケーターとしての夢、という方から、国際Bをねらいたい、というような方たちの演技にも共通していますが、今自分ができることをして、「練習通り」が実現できたときの、目標達成!ガッツポーズ!に共通するような爽快感。転倒したり、すっぽ抜けても、いいんです。よくはないんですが、やりきった、今できるすべてを出した、というときの喜びは何にも代えがたいですよね。

で、全日本で演技と名前が一致する、つまりは「すごい!」と記憶に残る方は、やっぱり翌年はもっと遅い滑走順で出てきます。この、名前を憶えてもらう、ってのはけっこう大事で、私は初めてその選手、そのスケーターを見たときに「自分が名前を憶えていられるか」を目安のひとつにしています。インパクトがある方は記憶に残る。今回も素敵!花束を投げ込みたい!と思う方がいらっしゃいました。

ここまでで普通に連続ジャンプ出てましたよね。シングルーシングルではあっても「並べてきた!」と驚嘆です。

製氷タイム。父兄の皆さんが気さくに声をかけてくださって、「ああやっぱりリンクの雰囲気が全然違うなあ」と感じました。

ノービス・ジュニア門下生部門。
ここからがハイライトになってきますね。お姉さんたちの華麗な演技。「自由度が高い」です。最高です。
うっかりセーラームーンのお衣装に目を奪われがちですが、リボンの騎士で滑った方の衣装のすごさ。剣を持って登場です。王子~♡で、「好き」に「好き」を乗算してスパークしていた嵐メドレーの方、アラジンメドレーで滑った清らかで爽やかで、いきなりレベルがぐんと上がった美しい方、皆さんの演技が終わった瞬間「ああ、もう一度見たいなあ」と思いました。がんばりましたよね。いっぱい練習してきたんだなあと目頭が熱くなったりもしました。

滑り終わると、次に演技を披露する方が氷上に花束を持って登場し、笑顔で渡していくのもよい演出だったと思います。一緒に練習に励んできた仲間どうしで讃えあう、心が温かくなるような演出でした。

ゲストスケーターの演技もよかったです。ゲストのお二人は出てきた瞬間、まずスピードが段違い。渚先生はコンコルドみたいでした。残念ながら病欠になってしまったゲストの代わりに渚先生が出てきてくださるという非常に俺得な展開です。病欠なさった方はお写真では見るからに華奢な方で、快癒なさることを願っています。

御名前出してもこの方は大丈夫、むしろ出せ出せ、という感じでいいと思うのですが、ゲストスケーターの板井郁也(いたい・ふみや)さんは2019年、この9月に「歌手としてメジャー配信デビューが決まっている」とのこと。
パンフレットでは手での保持なしで足を頭頂にまで上げたものすごいポーズをなさっていて、相当大柄な方なのかなと感じましたが、登場なさると意外に小柄。しかし頭身バランスがよく、スリムで豪快で、非常に迫力があるので大きく見えます。マジか、と思うくらいなんでもできて次から次へとなんでもする。びっくりです。
歌って踊れるスケーター、板井郁也さん。次からご自分の歌にのせて演技をなさるのでしょうか。

最後の演目は、門下生の皆さん19名によるグループナンバーです。
これがまた素晴らしかった。マイケルジャクソンメドレーで、揃いの黒・白スーツ風の装いに、最初に帽子を氷上に置いて、途中でピストルも使っての小粋な演技。あれだけの運動量と細かく難しい振り付けをよく体に入れたなあと感動しました。
特に全員で一気にポジションを入れ替える箇所は、すごく近い距離でぐいぐい滑っていて、ぶつかったり転んだり、普通ならどきどきするのですが、危なげなくあくまでも演技の一環として気持ちよく移動していて、見事でした。

フィナーレは全員が氷上に登場です。道家先生も温顔をほころばせながら、またリンクを周回。渚さんも脇をしっかり固めます。
文字通り、ここまで回復なさる過程でも、しっかりと支えながらの生活だったことでしょう。

サンクスツアーで観客を魅了する渚さんには、それだけのしっかりとした地道な裏付けがあったのです。表面だけ取り繕った薄っぺらいヒョーゲンでは決してなく、骨太で、しっかりした、ちょっとやそっとでは崩れない、「フィギュアスケートに真摯に向き合う」姿勢。

しかも笑顔と共に、鮮やかに。

渚さん目当てでうかがってしまいましたが、終わった瞬間の感想が「もう一度、全部最初から見たい!」でした。サンクスツアーと同じ感想です。最初から全部見たい!そう、思いました。

この10回目まで、皆勤賞の生徒さんへの手紙の中で、渚先生は、続けてこられたのはご家族の協力もあってのこと、とおっしゃっていました。本当にそうだと思います。まわりの助力、周囲の協力あってのこと。フィギュアスケートのシングルは個人競技ですけれど、やっぱり「団体競技」でもあると思います。自分がリンクに出てくる、出ていくことができるその裏で、大勢の協力がそれをしっかりと支えている。
そのことを忘れ、感謝の気持ちを失ったとき、そのスケーターの演技は「見るに値しないもの」「見なくてもいい演技」「むしろ競技から去ってほしい、害毒」になってしまう。

私は途中から「ああ、真央ちゃんもここにいればいいのにな」と強く思い、「ひとつのスケートクラブの運営の事例として、真央にも経験してもらいたいな」と思いました。だがしかし、真央ちゃんはグランプリ東海でこういったことは経験済ですよね。彼女もきっと、「ひとりで滑っているのではない」ことは、よくよく承知しているはずで、だからこそこれだけの多種多様な人たちから広く受け入れられている……。

(なんでもよいものを経験するとすぐに真央にも!と思ってしまうのが悪い癖です。)

学ぶことが大変に多く、しみじみと、行ってよかった、ありがたい、と感じました。

ああ、もう一回最初から全部見たいなあ。素晴らしかったです。

運営に携わられた皆さんと、ご家族、スケーターの皆さん全員に、心からありがとうと申し上げたいです。

来年ももしあるのなら、絶対に見に行きたいです。

そしてレッスン生募集!のPRに記載されているお問い合わせ先が、このブログと同じFC2になっていて勝手に親しみを感じました。うわーレッスン生になりたいし、なんなら無給のボランティアでいいのでクラブ運営のお手伝いだってしたいですよ。あったかいローカロリーなスープとかお茶とか用意して「はいはいはい、頑張って滑りなさいよ!」と声をかける役なんてどうでしょうか(笑)。

ちなみに、いつもエッジ研磨をお願いしていた神宮でも、諸物価高騰の折柄、ついに値上げをなさったのと、依頼の数が多くて順番待ちが長く長くなってきたので、自分で研ぎ始めました。エッジ研磨を研究していきたいと思います。
「こう滑りたい」を自分で実現できる靴があったら最高ですよね。

いずれ小塚ブレードを入手するまでがんばります(笑)。




・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。
・悪質なコメントはIPアドレスを含め記事に掲載することがあります。


フィギュアスケート ブログランキングへ
スケート関連 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2019/07/29 08:09

第10回道家杯が素晴らしかった



2019年7月28日(日)に東大和スケートセンターで開催された「道家先生プロ60周年記念 フィギュアスケートエキシビション発表会 第10回道家杯」に行ってきました。
この催しは道家「杯」なんですけど、順位がつかないのがいいですよね。みんなで創り上げる楽しいイベントです。

前夜に林渚さんが滑ると知りわくわくで参加して参りました。渚さんは道家先生のお嬢様。渚さんもとんでもないサラブレッドなのですね。こづもびっくり。有香さんもびっくり。私もびっくり。

撮影タイムももうけていただいたのですが、ネット上でのアップ禁止なので、ルールを守りたいと思います。
想像できる限りの若く美しく華やかな、かっ飛び女性スケーターを思い浮かべ、さらに三倍の華やかさと陽気さを追加し、「暖かく親切な、生来の豊かな心」で仕上げてください。
それが林渚さんです。

道家豊(どうけ・ゆたか)先生は脳梗塞でお倒れになっていらしたのですね。このことは存じ上げておらず、今回、リハビリの結果、リンクに戻られるまでに快復なさったお姿を拝見し、本当に感動しました。両脇を支えられてのゆっくりとした周回でしたが、しっかりとご自分で両足を動かしてリンクを動かれ、笑顔で手を振っていらっしゃいました。

カルガリー五輪に出場なさったオリンピアンにしてプロ生活がなんと60年という節目。先生の人柄なのでしょうか、リンクがなんともいえない暖かい空気に包まれていて、「萎縮している子供」がいなかったのが印象的でした。

エキシビションとはいえ人前で滑るにあたり、転んだら怒られるとか、スピンができなかったら叱られるとか、そういう恐怖が透けて見えるお子さんがまったくいない。ただただ今できることを精一杯演技して見せてくれている。そんな空気が感じられ、何よりもそのことにとても感銘を受けました。

正直、いろいろなリンクに行くと、見たくないものも時に目にしてしまいます。いやいやながら半べそで滑っている小さな子や、そんなに怒鳴らなくても、とこちらが引くほど叱咤されている生徒さんや、「そんな指導方法ではスケートが嫌いになってしまうのでは」と懸念を持ってしまうようなことも時々あります。
それがいい、わるい、ではなくて、私自身は怒られると萎縮して力が出せないほうなので、「今、できていない」ことを怒鳴られるよりも、「どうしたらできるのか」声をかけてくださる先生についていきたいと思います。
そういう局面での相互の関係性についてはこちらはまったく不明ですから、一概には言えないのですが……。

真剣になればなるほど、先生と生徒の間にも張り詰めたものが生まれてくるのでしょうし、びっくりするほど苛烈な注意の仕方をした後で、にこっと笑顔でよくがんばったね、先生も嬉しいよ、なんて気さくに言える信頼関係があるのかもしれません。
でも、赤の他人から見ておしっこがもれそうなほど怒られていると「人を殺したわけでもあるまいに」と怖くてたまらなくなります。
(また、どういうわけかそういうヘンな場面によく出くわすんですよね、私が。)

そういえばスノーボードでプロを目指していたときも、あれこれ言われたくないからがむしゃらに練習し、誰にも何も言わせないぞと思っていました。まあ何か言われるほど優秀なボーダーでは決してなく、趣味の延長線上にしか私の力はなかったわけですが。
でも基本は楽しいから、面白いから夢中になって取り組んでいたわけで、その横に、同じように楽しんで夢中になって「面白いねえ!」と言い合える仲間がいたら、もっともっと幸せだったろうなと思います。

道家門下からはそういう幸せな空気がたっぷりと感じられました。

不穏な気配がなんにもなくて、なんというかとっても安心して滑っていられる空気、暖かさ、がまずあって、小さなお子さんたちが日ごろの練習の成果を懸命に披露してくださっているのが本当に心に響きました。

御名前を出すのを控えますが、第一回から皆勤賞で参加なさった方は大学四年生、人生においても節目だそうで、フィナーレの際におそらくサプライズですよね、花束贈呈と、渚さんからお手紙の朗読、後輩の方二名からの感謝の言葉を受けていらっしゃいました。
真面目に練習に取り組み、後輩にも親切で「お手本」だったと、そしてとてもとても感謝している、と熱い感謝が寄せられていましたが、実際にこの方の演技が素晴らしくて、今回の演技者の中でも一番に印象に残るほど、よかったのです。

人柄って、出ますよね。どういうふうにフィギュアスケートに取り組んだのか、リンクの中では全部出る。

その方のスピード、所作の正しさ、美しさ、全身から放たれるなんともいえない穏やかで優しくて華やかな空気感。

魅せる演技、素晴らしい演技、それを今回、シェアしていただけて、本当に本当に幸運でした。

嵐メドレー、嵐というグループの楽曲で滑った方は、最初から気合が違っていて、全身から「愛する嵐に恥はかかせられねえ!」という決意がみなぎって見えました。おそらくは大好きであろう嵐のボーカル入りの曲を使い、滑ることの楽しさ、難しさ、面白さ、そして「スケートっていいな」という思いをMAXまで発散し、随所に小粋な工夫があり、最後まで楽しませてくれました。

「好き」、に「好き」、を乗算するとこんなに「大きな好き」になるんだ!と感動しました。

いいですよね、こういう、フレッシュな歓喜、ありのままに「楽しい!」を見せてくださる演技は。

ゲストスケーターの男性も、とんでもない技のデパートで、できないことはないんじゃないかというくらい、ありとあらゆる技を惜しみなく見せてくれました。途中から、観客の高校生くらいのお嬢さんたちが通路で一緒に踊りだして大変に盛り上がっていたのも楽しかったし、アンコールでリンクに出てきた生徒さんたちでしょうかね、小さい子たちが一所懸命に踊り始めて、素敵でした。
この方は曲の終わりに自分だけ曲にあわせてポーズを取ることなく、一緒に滑ったお子さん方から目を離さずに、そちらにあわせて演技を終えていらして、たいしたものだと感心しました。

会場は、天井から水滴がどんどんしたたり、通路は水びたし、リンクサイドに天高くそびえたつフェンスは傷だらけで通路からの可視率は4%くらいかというリンクですけど、そんな条件とは無関係に、夢の時間をいくたびも味わうことができました。

そして我らが渚さんは、やっぱり素晴らしい方でした。

演技が素敵なのはもちろんですが、会場全体への目配りが細やかで親切で、常にあの暖かくて大きな笑顔を浮かべたまま、こまめにみんなのお世話をして、この催しの円滑な進行に大いに寄与し、あれだけの華のあるプロスケーターなのに裏方までこなされていて、なんだかもう、「渚さんって本当に暖かで親切で、『満たされている人』なんだなあ」と思いました。

心が豊かだと、あさましい言動にならない……人のために自然に動いて、それが相手の負担にならない。すっきりと清潔な言動でみんなが幸せになっていく。

私は「演技者の我らが渚ちゃん」ではなくて、「スケートの先生、振付師である林先生」としてのお姿を初めて拝見したのですが、いやはやもう、想像以上に、たいへん立派なものでした。

「林先生」に教えてもらえる生徒さんは幸せですね。
きっとのびのびと、すくむことなく、前向きに努力して、たぶん「自分の意志でチャレンジしていく」ことができるだろうと思うからです。「フィギュアスケートが好きなまま」、幸せに滑っていけるだろう……。

私はふと、某女子選手を思い出しました。引退後コーチを目指されていた彼女がとあるリンクにいました。選任コーチではなくて、振り付け指導のビジターとして生徒さんと滑っていました。私は一般滑走客としてリンクに入り、そこで目撃したのですが、最初から最後まで「だめだめだめ!」とヒステリックに叫び続け、「こうするの!」という動作は醜く固く「できておらず」、生徒さんのほうがずっとしなやかに正確に動いていました。それに対してどこがどういけないのか、どうしたらよいのかを一切言わず、ただただ否定し続けて彼女の「指導」は終わりました。

その後、次のプログラムで使う曲をどうするかお母さんが質問したら「どんな曲がうちの子にはあうでしょうか」に対して、母子のどちらにも目をあわせることもなく、演技の時間がルール変更で何分に変わるから、と答えになっていないことを口にして、お母さんは何かを察したように黙りました。

聞き耳を立てていたわけではなくて、大声で傍若無人にしゃべるので、勝手に耳に入ってしまいます。

これが「指導」ならうちのキッチンのプチトマトだって私に指導してくれる、と思い、母子のためにとても気の毒になりました。というかよりによってその元選手に頼んだ時点で負けだよね、と思いました。こうなることはわかっているだろうに。リサーチ不足。

渚さんの戦績だけ見たら、その元選手とは相当な開きがあります。でも、人柄、指導力、包容力、「人を教える立場」の自覚など、あらゆる点で、渚さんはその人に圧勝です。

最初からそうだったのかわからない。でも、渚さんご自身の努力で、「よい指導方法」を身につけていかれたのでしょうし、その根幹には道家先生の指導が絶対にあったはずです。

わたしは、数々のタイトルを持っているその元選手よりも、渚さんに教わりたい。相手の人間性を否定し、どうしたらいいかは言わず(言えず?)丸投げで、ただただ叱責してくる人よりも、渚さんの暖かな人柄に触れていたい。それだけで、きっと、スケートを好きな気持ちは深まって、いつか必ずできるようになると感じます。続けるから。やめないから。できるまで、楽しいから、続けるから。

入場料無料が申し訳ないほど、素敵な、なにか「滑ることの本当の基礎」を見せていただけたようなイベントでした。
200円で頒布なさっていたプログラムに、道家先生の言葉が掲載されています。
その一部をご紹介します。


私は、フィギュアスケートの指導は、技術指導ばかりではなく、一人一人の感性を養うための情操教育がより大切な事と日々考え指導しております。


豊かな心、親切な思い、まじめに競技に向かう姿、日々の努力、それらを思うさま発揮して、道家先生の指導は立派である、この教え方なら間違いない、と私たち観客に証明して見せてくださった、今日のスケーターの皆さんに、心から敬意と、感謝を送りたいと思います。


そして渚さんに惚れ直してしまいました。
知れば知るほど、サンクスツアーへのご参加は、「運命」であり「宿命」であり、「日頃から、本当に心に感謝をもって、明るく、楽しく、懸命にスケートに取り組んでいらっしゃった」からこその、大輪の花として、サンクスで「感謝」を形にすることができ、それがみんなの喜びであるのだなあと思いました。

お子さんお二人をもつママさんスケーター。荒川が「親に預けて」スケートを続けているから超人だよーんという、誰向けだよ、という噴飯物のアゲアゲ記事が前に出ましたが、渚さん、というリアル観音様を知っていると、生徒ひとりも取らず、俺が俺がでいつまでもいつまでもぐいぐいと誰も呼んでもいないのに後輩を使ってのし出てくる荒川さんは、……いや、よしましょう。

渚さんは素晴らしい。ただそれだけでわかる人にはわかります。

ご家庭を持ち、教え子を持ち、さらに真央ちゃんの盟友として、全国を回る、獅子奮迅の大活躍をなさりながら、こうして後輩の育成のために、下働きも率先してこなし、気品と笑顔とを絶やさない素晴らしいスケーター。

尊敬です。

来年も開催なさるのなら、また見に行きたいです。スケーター全員に、花束を渡したい……。おひとりおひとりに、ありがとうございました、素敵でした、見られて嬉しかったです、と伝えたいです。



あらためて思いました。
スケートって、いいですよね。本当に、いいですよね。





・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。
・悪質なコメントはIPアドレスを含め記事に掲載することがあります。


フィギュアスケート ブログランキングへ
スケート関連 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/07/28 15:43

「幸せなのは、15歳までだった」






競技生活の、色は、「黒」。

競技生活において、幸せだったのは15歳までだった。

浅田真央



幸せだったのは

本当に、胸が痛みます。フィギュア村の「座敷牢」はどんなにか辛く冷たく悲しい場所だっただろう。

今、いきいきと獅子奮迅の勢いで活動し、きらきらと輝いている真央ちゃんを、けれどもだからといってすべての不正を、なかったことにはできません。

選手は人質。

採点に異議を申し立てることすら許されず、文句を言うなというルールがある。

ブラックな上にもブラックな、忖度だけで成り立っている異様な競技。

こんなにも努力する、まじめで誠実で真摯な人に、大人たちはいったい何をしてしまったのだろう。

改めて、真央ちゃんのたどった道のりを、ひとつずつ思い返しています。





・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。
・悪質なコメントはIPアドレスを含め記事に掲載することがあります。


フィギュアスケート ブログランキングへ
浅田真央引退関係 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2019/07/24 10:19

とんでもないお札を貼られた「つなぎの天皇」



「令和」という「お札」があまりにもひどいので、記事にして残しておくことにします。

今の天皇は天皇になるための儀式を完遂していないですから厳密にはまだ天皇ではありません。天皇だと思ってもいないので、浩宮と記事では書きます。

詳細は以前セミナーでお伝えいたしましたが、簡単に申し上げるとするならば

「令和」は「天皇」が使っていい元号ではない
・こんな「お札」を貼られるなんてどうかしている
・この元号を伝えられたとき、当時の皇太子は「にこにこ笑っていた」そうですが、マスコミで喧伝されるほど日本の中世史にお詳しいのであれば顔色を変えて抗議なさったのではなかろうか
・「こういうお札」を貼った政府の意図は奈辺にありや?
・立派な学者先生たちが出してきたもっとちゃんとした元号ではなく、これを推した安倍さんの意図

では「こんなひどいことされるなんて、日ごろの行いって大事だよねー」
「政府によるつなぎ認定をにこにこ受け入れるんだーすごいなー(棒)」
の根拠のひとつです。

左寄りに立ち位置のある世間様のお声では「和を命令しているからおかしい、身分による差別だ」というご意見もございましたが、どうしてどうして、そんなカワイイものではございません。

みんな大好き岩波古語辞典の登場です。


令旨 (りゃうじ・りょうじ・れいし)

皇太子、または三宮(さんぐう)から出された命令の文書。のちには、親王・女院などの皇族の命令をもいった。



「和を令す」のは皇太子なんです。天皇ではありません。


天皇のお言葉は「勅(ちょく)」といいます。
だから天皇がくだす命令は「勅令(ちょくれい)」。
勅令を記載した正式な公文書が「宣旨(せんじ)」や「詔勅(しょうちょく)」、「詔書(しょうしょ)」「勅書(ちょくしょ)」や「綸旨(りんじ)」です。
言い方が違うのは、天皇の言葉を筆記して命令書にする担当部署・担当者が異なるからです。
部署によってその文書の公的な権威、重要度が変わります。
このへんは日本史の醍醐味でもありますよね。
内容はキツいけど、蔵人に書かせているから、公的拘束力は低いんだな、とか。
天皇のお言葉は基本、漢文で筆記されます。
漢文オンリーではなく、漢字、かな交じり文での命令書が「宣命体(せんみょうたい)」です。漢字の中の助詞や助動詞として万葉仮名がはさみこまれます。とはいえ万葉仮名も漢字表記で、一定のパターンがありますから読み方を覚えてしまえば天皇がどんなオーダーを出したのかすらすら読みこなせます。日本人なら大丈夫です。

皇太子がくだす令旨のほうは、ある意味で非公式な、命令とはいえいわば打診ですから、漢文ではなくかな書きで、時代がくだると皇太子ですらない三宮=太皇太后、皇太后、皇后からの命令書も含みます。くだけた形でくだされる。
日本では漢字が文字の最高位、こしあんが和菓子の頂点です。ひらがなでくだされる打診ですよね。

「令和」というオーダーをくだせるのは、皇太子、太皇太后、皇太后、皇后、ということになります。

皆さんはこのへんで「ん?」とお感じになりませんか?
どうしてわざわざ「天皇ではない者の用語」を使って、浩宮を即位させたのだろうかと。

私からすると「そらもう、つなぎだからや」ということになりますが……。

「こいつ天皇じゃありませーん」という元号をぺたりと貼られた今の天皇が、一度だけ執り行えるもっとも大きなセレモニーである大嘗会で使用される新穀=その年の稲の収穫、を刈り入れる二か所の田がある場所が、京都府と栃木県。ここは恐らく災害が起こるだろうとみています。

「天皇じゃない」者が「天皇を詐称して」二か所の田を指定する。それはキャンセルされますよね、自然から。だって農耕神事の執行者の頂点に立てるのは、「天皇」だけですからね。

さらには、日本の史書から採用しためでたい元号、と糊塗してますけど、あれ、リア充にしてパーティーピープルのパーリー(巻き舌)での「ウェーイwwwww」を形にした和歌の、「序文」からとってますよね。
酒飲んで歌って騒いで「ウェーイwwwww」の場での作歌「ですらない」トコロからなんでわざわざ、と思いませんか?
「超楽しい~☆パーリー(巻き舌)最高ッスwwwwうちら今大宰府わず~☆ちょーいいわここ、バエるバエるwwwwほんじゃイカれたメンバーを紹介するぜーい☆」のノリの説明書きから元号採用って……。

しかも「梅」ですよ、よりによって「梅サイコー!」ですよ。

梅と大宰府と皇室といえば日本人なら100%、「菅原道真」を想起します(姐さん調べ)。
みっちーは日本三大怨霊の一翼をなすとてつもない祟り神(※だった方)。
それをすらっと思い起こさせる「大宰府の梅」ですよ梅。

ちなみに、怨霊は勝手になれるものではなくて、天皇が「ミカド」=天皇自身=国家に災いをなす困ったちゃん、と認定してはじめてなれるものなんです。自称・怨霊は野良です、野良。
天皇を困らせて実害を出した死者、迷惑スコア最高点をたたき出した人だけが怨霊シールをもらえます。

で、そこまで大暴れする理由と言うのは、100%「天皇がへたを打ったから」なんですよね。天皇が、怨霊になるほどの誰かさんを上手に取り扱っていられたならば、怨霊と言うのは出現しない。恨む対象がこの世で最高の権威であり光であり「すべての基準」である天皇であればこそ、全身全霊の力をこめて呪い恨み破壊攻撃をするわけです。怖ッ!

怨霊がいるということは、天皇がやらかした事実の傍証なわけです。天皇サイドにしたらたまったものではないでしょうが、怨霊が生まれる余地を作ったほうもやっぱり失点1で記録されるわけですよ。

その大怨霊、マジで敵側の死人が出まくりだった道真が失意の日々を過ごした大宰府を強烈に思い起こさせる梅の宴。

これ、いいのか?と思いません?

思わない方は反論をぜひコメントにお願いします。

思った方はぞっとしたお気持ちを姐さんと共有してくださってありがとうございます。

まとめると、令和という元号は
・皇太子か、天皇の奥さんだった方、三世代の女性が出せる命令の言い方です。つまり「天皇からくだされる”和”ではない」
・日本三大怨霊の雄、菅原道真を想起させる「大宰府」「梅」「和歌」というパワーワードが背景にセットされています
・怨霊を生み出した天皇の政治的失態、人間的判断力の甘さ、まわりへの迷惑も同時に背景にセットされています

もののたとえで申し上げれば、どこかの並行世界でもし私が即位するとして元号に「舌禍」とか「毒舌クソ野郎」を政府から提案されるようなものじゃないですか?

「確かにそうだけど、あんまりだ」ってなものですよ。

しかし、浩宮は、男子をもうけることができませんでした。男子の皇嗣がいない家の人です。
だから、今の天皇、小和田雅子氏、小和田愛子氏が亡くなったら、この家は何もなくなる家であり、完全に「つなぎ」のお人、ということを実に明確に裏付けている。

昭和天皇は、怨霊を認定できるお立場です。天皇だから。その昭和天皇が「怨霊になってしまった者、かつて皇位にあったが、別の天皇の失態で怨霊となった天皇に死後、与える名」である「徳」を「諱(いみな)」として与えられています。
諱は、親からもらった真名(まな)のことで、その人の生命力を象徴する大事なもので、通常は偉くなればなるほどその名を使われることが禁忌になります。

武士なんかも、領地の名前で互いを呼び、うっかり真名を呼ぶということは大変な非礼で決闘沙汰というくらい、「名前」は「その人に付随する、その人自身のむき出しの構成要素」でありました。
領地の名前、そしてその人が天皇からいただいた最高位の官位名で呼び合うことが最低限のマナーです。

だからこそ「ひどいあだ名」が絶大な効果を持つわけです。お札を張り替えてしまうということだから。親が与えたマジカルな力を輝きを封じこめて「お前はオノレひとり良しとするが世間はそうは見ていない」というあだなの存在。

天皇が時を支配する権威、権力を手放して、「政府」という有象無象のカタマリに委ねた結果、「こういうこと」をされるわけです。

政治家にいったい何がわかりましょう。
ひとりでも「それはおかしい」とおっしゃる方がいたのでしょうか。

もしもおかしくないのなら、ただの素人の私の「なんで?」に明快な答えをいただきたい。いやホント、こんなひどいことされるんだwwwwwと思ってお気の毒wwwで仕方ありません。

日頃の行いって大事だなあと。

令和の時代は、天皇モドキと、それよりも小和田雅子氏がたぶんフロントに出てくるのだな、と。まあ、もうしゃしゃってますよね、有頂天で。でも出れば出るほど失態しかしないので、日本の値打ちを大幅に下げることしかできないと思います。

そして天皇モドキには農耕神事をこなせないし、過去に皇室に従う際に「契約」を結んだ別の氏族の先祖神たちを、ちゃんと祀ることもできないだろうと。
祀られなくなった皇室とは祖先を異にする氏族の神々=日本の大地そのものに由来する、皇室よりももっとずっと古い神々は「あ、約束破るんだ。じゃあうちらも好きにさせてもらうね」となるわけで、各地の神社に「天皇家の先祖た=過去の天皇」のお札を貼って由来ロンダリングをしてきた皇室は「約束を破った結果」を甘受しなければなりません。嘘をついたことになるからです。

郷里の神社に参拝し「ですよねー」の裏は取りましたので、日本各地の「その土地、土地の本当の神々」はこぞって立ち上がるでしょう。

しかしながら幸いにも、というか、私のように「無理矢理従わされた側の家の人間」には残念なことに、そして「そこに住む以上、全員が連帯責任ですべての出来事を受け止めなければいけない」日本人にとっては奇跡のような行幸として、弟宮がおわします。

正統な男子の皇嗣をもつ、未来の天皇陛下、日本の神々が「皇統は弟に移す」と明確に示されている「正しい後継ぎ」の弟宮が。


いくらなんでも候補の選定にあたられた立派な学者先生たちが、この程度の知識すらお持ちではないとはどうしたって考えにくいですよね。

では明らかに「何らかの意図をもってあえて選んだ」か「何にも考えずになんとなく選んだらあらまあ!ニーチャンの現状に即した言霊発動!」だったのか、いったいどちらなのでしょうか。

私は日本史も中国史も専門家ではありません。ぜんぶ独学の素人です。特に教養があるでなし、師匠と呼べる方もいない。単なる一般民間人ですから、「なんで?」にお答えいただけるのを心待ちにしています。
まあ説明されたらされたで「なんで?」はさらに増えると思いますけども。


ちなみに、令和の前の「平成」も、すでに他の天皇の諡号に使われていたにもかかわらず、お札として貼られていましたね。
これも私にはとうてい承服しがたい大惨事でございました。
「死者の名をお札として貼られていた」からです。平成という時代がいかなる時代だったのか、思い合わせると慄然となってきます。

まったくもって「なんで?」の嵐です。「なんで?」しかありません。

平成に故人のお札が貼られた話はこちらをご覧ください。この記事よりもふざけていますけど、どれほど激烈にぞっとしているかを感じていただければ幸いです。

「平成」とともに



「元号が変わる」という異常事態を、国民からのコンセンサスも得ずに強引に進めてしまった政権と、出してきたお札と、それを受諾してしまった浩宮と、お祭りムードで喜んでいる国民にビックリです。

私は「令和」という元号は、いくらなんでもひどいと思うし、元号が時の象徴である以上、令和である日時というのはひどいことが実際に続くだろうと思います。


また、完全な天皇にまだなっていない浩宮は、今年2019年の秋ごろに、セレモニーを終わらせて天皇・完全体になると予定されていますが、こういう状態だと陰陽のバランスが、と申し上げるまでもなく、外国人の運動会の名誉総裁になって喜んでいるようでは、何も期待できないなあと思います。

極陽である生きた天皇に対する極陰である天皇の死体がないままに、「天皇率〇パーセント」の未完成なモノがうきうきしている「令和」は、実に実に、時代の象徴でありますね。

これが、今の日本です(姐さん調べ)。


あ、でも、まじめにちゃんと生きている人にとっては「結果」が大変すばやく出る、エキサイティングな時代ですよ。

怖がることはありません。いつだって、黙々と、自分の持ち場でやるべきことをしっかりとしている人が強いんです。







・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。
・悪質なコメントはIPアドレスを含め記事に掲載することがあります。


フィギュアスケート ブログランキングへ
平成の次の時代 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2019/07/22 20:24
 | HOME | Next »