御製 平成二十七年 五首より(その3)



三つ目の記事になりました。これまでもつらつらと書いてきましたがこの歌は「深い」です。
「五行」の概念抜きに語れない。

今上の平成二十七年の御製御歌のうち巻頭を飾ったお歌です。

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


以前の記事でこれは皇統が秋篠宮に移ることを宣していると書きました。その根拠を出して解説しました。これ以外の解釈はないと断じて良いと思います。
出てくる言葉の選択、年始のもっとも重要な「歌に託したお気持ち」を「他ならぬこの歌」であらわしたこと。
皇統は男系のみ、そして男子の皇嗣をもうけられなかった兄宮のおうちは、愛子さんの降嫁とともに断絶です。ご両親すなわち現在の春宮様とその妃の死をもってあの家はなくなります。終わりです。
これは「日本の神々が選んだこと」なので、人は従うのほかはない。
もし続けたいのなら離縁なさって若いお嫁さんを(日本人の中からですよ!)選んで入れて皇嗣を作りなおすしかない。無理でしょう。時間がない。

繰り返しになりますが、「女性天皇を」と主張する者はみな黙るべきです。「それは皇統の断絶を意味する」から。まわりくどく親切めかして「女性天皇でもいいじゃない」などと愚かな主張をせずに「天皇さえつぶせば日本はこっちのものだから」と言えばいい。

よろしいか、愛子さんを即位させ、中国首脳部の子息とめあわせる。これで中国は日本と天皇を共有できる。さらに子が生まれたらもう一度、中国首脳部の子息なり子女なりとめあわせて、皇室乗っ取り完了です。
「天皇」はもともと「父親が天皇」かつ「母親も天皇の子」であるべきだったのです。
天皇亡きあと、皇后というのは「つなぎで即位」する可能性があったから、本来は「皇后も、父親が天皇」の女性限定でした。
こういうルールを破るのは、必ず「何らかの目論見あり」の連中です。

わたしはサーヤと眞子内親王殿下は皇統を継ぐ素質アリと見ています。が、たとえこのお二人であったとしても、女性天皇はおかしいと反対票を投じます。なぜか。正当な皇嗣がげんにいるからです。

女性天皇をと叫ぶ者は、おそろしいほどの自家撞着を犯している。そこに気付かないのが「浅い」すなわち「愚かにして乱暴」ということです。

愛子さんを即位させるためにはまず今上と、愛子さんの父君と、愛子さんの叔父である秋篠宮殿下と、愛子さんのいとこである悠仁親王殿下を「何らかの形で」排除しなければなりません。

こんな無意味なことがありますか?

こういう乱暴な主張を平気でするのは、過去の歴史を振り返ってかんがみても「ガイジン」です。「カネに目がくらんだガイジン」です。

おヒゲの殿下こと寛仁親王殿下が生前、いかにお心を痛めて「女性天皇はありえない」と主張なさっていたことでしょう。皇室のスポークスマンとして「父親が天皇の男子のみが即位すべき」と生涯を通じておっしゃっていた。
実際に女性のお子様を持つ父親として、子供には「友達がいっぱいいる、魅力的な女性になれよ」と教育なさり、降嫁する日のことを考えていらっしゃるのみで、即位することなど夢さら考えていらっしゃらない。
なんですか、殿下によればお子様方も「即位だなんて困ります」と「そんな準備をしてこなかった」と困惑のていしきりだったとか。

これまで何の問題もなく続いてきたことを、「根拠なく」捻じ曲げようとするのは「おかしい」です。

日本は、「天皇」と「日本語」を奪われたら大変なことになってしまう。逆にいうと「天皇」と「日本語」を死守できれば、この異様な嵐も乗り越えられる。

わたし自身のスタンスを言うのなら、天皇が高天原から降ろされた神の子孫であるとは思わない。けれども実は「わたしたち全員」が神の直系、神の子孫として、天から降ろされたと「わかって」いる。
天皇が偉いなら、長く続いたその歴史と「おふるまい」によって「続かせてきた」ことが偉いのであろう。
「自分は神の子である、あの太陽の直系子孫である」という自覚に基づく「行い」が尊いだろう。
「先祖に恥じない行いを」という気づきをもたらすその先祖が、三千年近く、文献資料に基づいて少なくとも1,600年以上は続いている。
その積み重ねを「大事なものだ」と思えるから、だからあのようにふるまうのだろう。
その、血と、知と、治とは尊いです。
そしてわれわれ一般人だとて、親が一度も絶えることなく命をつないできてくれた、だからこうして生きている。ならば尊さにおいてはまったく等価で、ただその「質」のみが異なるわけです。
であるならば皆さんもただちの各ご家庭で「皇室と同じほど」先祖を敬い、家族を尊び、神にも等しいふるまいをなさればいい。そこから輝かしい「家の格」というものが生まれてくる。
国民全員が「その自覚」あらば、何の問題も生まれません。

「問題」を起こすのはいつも根なし草です。先祖と断絶している人が、現状を破壊しようと画策する。

歴史に学ぶ、というのはそういうことです。知って、自分の生活の質を高めていく。それがひいては治国平天下につながります。

女性宮家も女性天皇も「不要」です。神をも畏れぬことを言うでない、と切り捨てます。
彼らの主張の「異常さ」の根源をよく見てください。その異常な主張をもってして何を得ようとしているのか。
悪い種からは悪い花しか咲きません。これは速やかに取り去るべきです。


御製に使われている「松」の字を分解すると「八」と「白」になります。
これを、文字を解(ほど)くこととして「解字」といいます。
椿を春の木、楸(ひさぎ、きささげ)を秋の木、柊を冬の木と解釈します。

ちなみに「秋」の「木」ですが、ここでも皆さんはゾッとしなければいけません。

Wikipediaより
ひささぎ

「秋」の「木」は碁盤に使われる。

碁盤

実際の素材はどうあれ、「碁盤に用いられる」という通念が重要です。

親王の御名前と宮号とは天皇が与えるものですから、文仁という御名前と秋篠宮という宮号は「昭和天皇」の命名によります。
次に天皇に即位なさる方は立太子の礼をもって皇太子という御立場に昇られ、それを東宮、春宮とも古くはいいならわしてきました。長男が春ですから次男は秋、これはお畏れながらスペアの義でありつつも、「春が過ぎれば秋になる」という当然自然のめぐりをも意味します。
「春のあとには秋がくる」ことをどうも女性天皇を欲する者はすっかり忘れているらしい。

そして他ならぬ「秋」がこの御製でも使われている。

ここで皆さんにはなじみがあるようでない「五行」の話を持ち出さなければなりません。
これは中国伝来の思想で、春秋戦国の時代に一応の完成を見たとされる「世界の解釈の仕方」です。
日本には陰陽、五行、この重要なツールが早くから入ってきました。
陰陽は世界生成の説明概念、理念であり、五行は万物を五個のグループにマッピングし、それぞれの力関係で世界を見ていく実用ツール。
暦中の「一週間」は火水木金土に、月と日を足したもので五行からきています。
お互いがお互いを順次生み出し補強生成していく相生と、お互いがお互いをそこない威力で従えていく相剋と二種類のリレーが考え出され理論化されています。
この順送りに対するにさらに三点で五行をみていく三合・三支もありますが、それらの説明は長くなりすぎるので別にします。

五行では秋は白、北原白秋という名前もここからとられています。

松の異名は秦の始皇帝の故事による「五太夫」や、松の字を偏とつくりに分けて十と八と公に解字した「十八公」などがあります。
先にあげたのは公を古字の八の下に白で公としたもので、そのまま「八白(はっぱく)」とよむことができるので、松は「八白の木」となります。
この、九星からきた「八白土星」に配当した結果の読み解きもまた長くなるので別建てで解説します。
ここでは「そういう考え方もある」ということにとどめてください。

古代の中国人たちは、身の回りのものを家族に置き換えるのが好きで得意だったのです。
なんでも整然と配置させて、実にスッキリした「理論で固める」世界観です。
これは、戦乱の世の中で何かによりすがりたい心理、よって立つべき支柱を欲する傾きを思えば当然です。
生きるか死ぬかのときに漠然とした実態のない理念ではなくて、ばしっと白黒つけられる「根拠」が欲しくなる。そのような時代を潜り抜けて「たしかに効果的である」という「人体実験」を経ての「技術」がこれらです。

同じように数字を操るカバラと一番違うのは、陰陽五行というものは「自然界の事物」も当たり前のよう配列されていて、人間はそれらのグループの中の構成要素のひとつである、とちゃんとわかった上での説明概念だということです。
カバラのように「神・人間・それ以外」でざっくり分けすぎて説明ができず、後から後から「足し込み」を行うような粗雑なモノではありません。

どうもアジアと違って西欧列強というのは、味覚でいえば「塩、コショウ(それも外国からのぶんどり品!)、ハーブ」くらいでいけません。アメリカにいたっては「塩・コショウ・ケチャップ・マスタード、以上!」くらいの粗雑さです。

日本のように「おだし」にすら昆布、シイタケ、カツオブシ、なまりぶし、酒、みりん、などなどが使われて昆布ならこの料理にはこの産地、というような精細緻密な「細かい目盛り」が「ない」国はやることが粗っぽくていけません。

世界をどのように感知するか、その目盛りが細かければ細かいほど、環境を害する行為はできなくなる。
今の中共のように、自らが吸う風、飲む水、食べる品々を産出する大地を穢し壊し傷めまくって日本に触手を伸ばそうなどという「雑すぎる世界観」では滅亡するにきまっている。

この繊細さあればこその「自然との共存共栄」「神々こみの世界解釈」が成立する。

真のエコロジーとは「土地の霊、土地の神」なしには成り立ちません。
わたしたちは「神的なもの」と触れ合う機会を奪われた。
「人間至上主義」という完全に間違った嘘の世界観を叩きこまれて、自分の内なる大自然と接触することを否まれている。
だから万人が最初から備えている「尊いものを畏れはばかる」気持ちは聖なるものと対峙したとき、初めて機能するほどに堕落している。堕落です。
でも太陽を見て感動できる心の仕組みをわれわれは持っている。生まれながらに大自然を尊いなあと感得できる能力を持っている。それを発動させてこその「日本」でありましょう。

本来性を取り戻す。そのためのいいお手本が特異でありながら普遍を備えた「皇室」でありましょう。

さて五行では白は「秋」にグルーピングされますから、ここでいう松は秋のものです。

八白の象徴は「継ぎ目(跡継ぎ)、相続、少男、家、山」ですから、陛下は確実に「家を継ぐ者=次代の天皇」という意味で「松」を用いているはずです。

また、上記の親王殿下に必須の儀式においては「若松」を手にします。
松は奈良から平安にかけて「家の存続」「後嗣」を意味し、尊い縁起物でもありました。
日歴にいう「子日(ねのひ)」の行事は正月に野山に遊んで若菜を積み、「小松をひいて」根引きした松を持ち帰るというもので、五行でいう「少男」を意味する「小松」を屋外から家中にとりこむことで「跡継ぎ」である男子を呼び込む呪術です。

他に正月に飾る門松も五行で読み解くと意味が簡単にすんなり通ります。

天皇陛下はとにかく「日本で一番天皇に詳しい」はずの方ですから、宮中の行事、ことに年頭の正月行事のいくばくかは当然ご存知であらせられるはずです。こんなクソブロガーが一生かかっても願いをかなえられることのない、皇室伝中の宝物をどれほどにでも見ること知ること学ぶことができるお立場です。

ああ姐さんが雅子さんの立場なら皇室御文庫をかたっぱしから見せていただくのに!!それこそ泣きながら震えながら拝見して、それから望む学者に門戸を開き、もちろん厳重な監視付きですけど、複写ならびに研究成果が世に出回るように努めます。
「汚損すんじゃないわよ!」と鬼のような顔で院生さんとかのふるまいを凝視し続けるんだろうなあ。
「和紙に墨!もちろん松の墨よ!」とげきを飛ばして・・・嗚呼。嗚呼。
なんともったいないことか。

買えばいくらでもある変なスーツやサイズがあわないパンプスやでけぇブランド物の「海外のアクセサリー、バッグ」に血道をあげることなんかよりもっと貴重でもっと尊い「本物のお宝」が山のようにあるのになあ。

というか、宮内庁の関係部門は「皇室の紙史料」が「中韓に流れていないか」チェックしたほうがいいでしょう。
「現物」「原典」「オリジナル」はもとより筆写本も含めて「なくなっていない」ことを随時確認すべきです。

プーチンが、昭和天皇即位の際に使用された宝剣を日本にあらためて贈ってくれたことがありました。「このような異常事態」を看過すべきではありません。
誰がどこから流したか、プーチンは出所を知っています。絶対に。
その上で「あえて」「そういうこと」をするのですよロシアって国は。
「お宅の一番のお大事=天皇周辺はこんなことになってるよね」って脅しですよね。
姐さんは「やられた」と頭を抱えました。
やられたもこられたも何も、外交に関われない最底辺の身分ですから、こうしてクソブロガーとして「やられた!となぜ宮内庁は青くならない!窃盗やんけ!あいつだろ!」と吠えるくらいしかできないですが。

明治維新で天皇をはじめ皇族方、公家たち、御用商人、武家たちがいっせいに東京に「あずまくだり」をしたときに廃れた行事、あえて明治天皇が「簡略化」した中にも無数の「五行に準拠した行事」がありました。
逆に京都に残った冷泉家に伝わっている季節ごとの行事のほとんどが五行で読み解ける意味とスタイルと内容を持っています。

先年、今上も冷泉家に御幸あそばされましたが、皇室でもっとも保全すべきであった、時期に応じた「おふるまい」である宮中祭事の保全と維持をもと、公家のおうちがなさっている。実に尊いことだと思います。

皇室で廃れたについてはみんな貧乏が悪いんや、と霊元上皇さんならおっしゃるでしょうか?
霊元さんと徳川の「予算くれくれ合戦」もすさまじいですよね。もう本当に好きですこの天皇。

逆に歴代天皇中、もっとも嫌いなのは聖武ですね。外国の宗教かぶれもはなはだしい。姐さんは聖武に親でも殺されたのかという勢いで嫌いです。知れば知るほど大嫌い。この嫁もイヤ。何が光明だよふざけんなと不敬もいいところです。
この「すばらしいお妃キャンペーン」の悪臭のすさまじさ。
藤原の出だからこそアッゲアゲに忙しい。
皇妃に位置すべき資格などない者が親の権勢と金力でねじこみやがってといまだに腹を立てています。

そういえば現東宮も弟宮も、妹君も、華族の皆さんからは「母親が平民」ということでひどい扱いを受けたとか。
お三人とも口を黙しておっしゃいませんが、宮中での「差別」は「あった」と仄聞しております。

兄宮様は、生母が美智子様、妹君がサーヤ、義理の妹が紀子様と、「日本一の女性」がお三方も身近にいらっしゃったのに「この下はなし」というトンデモを引き当ててしまったのが「まわりが素晴らしすぎてまさかコウイウモノがいようとは!」だったのか「まわりの素晴らしさをとんとよくご理解あそばされていなかった」のか、さて、どちらでしょうか。

結婚すれば何もかもバラ色ビューチフルとまさか思われていたわけではありますまいが、皇后陛下やサーヤや秋篠宮妃紀子殿下がどれほどの努力と誠意と不屈の決意でことにあたっていらっしゃったか「ニブチン」でわからなかったとは思いたくはありません。

ただ「母が苦労しているのを見たことがありません」とおっしゃる御仁ですからなぁ。これには腰が抜けるほど驚きました。おまえのカーチャン、生き地獄!とはやし立てたくもなりますよ。このひとことだけは今でも胸倉をつかんで「どういうつもりじゃおんどりゃあ!」と叫びたい気持ちでいっぱいです。
美智子様、これにはさすがにがっかりしたのでは・・・わかりませんが。

と嘆きも出ようものですが、ド平民の自分からして「父親が天皇ではない女性」と結婚した今上には、しかしそれをもってして何らかの責めを負わせたりということは断じてないです。ひとことで申し上げるなら「でかした」でございますわね。

今上の「お言葉」に皇后陛下と共に公務を行った、と触れてある。この一言をもって美智子様の地上の栄誉は頂点にあり、余人は知らずわたくしめはさもありならんと涙をぬぐうものであります。

いろいろな方が足並みをそろえて突然の皇后陛下バッシングを始め、それは今でも続いており、わたしは以前に「自ら皇室に仇成すもの、この先の日本にはいらないものだと、自己証明をなさるのはやめたほうがよござんす」と警告しました。
わたしは人間には二度まで警告します。
その先は自己責任の世界です。

彼ら、彼女らが執拗に皇后陛下を攻撃するのは皇后陛下は「天皇陛下にとってもっとも大切なご家族」だからでしょうね。
天皇の役割は「男子の後嗣を残すこと」です。それが一番重要です。
そのための努力を陛下は行い、皇后陛下もよく応じてくださった。
立派な後嗣、「父親が天皇の男子」を二人ももうけてくださった。

それのみならず、平成に入ってからの御公務に常によりそわれ、ずっと歩みを同じくされた。それこそがイレギュラーであり時代に即した新しい天皇のありようであったわけですし、それはあるていど「成功」したと思います。

御製に含まれている意味は、何重にも読み取れます。

ここでは日本古来の呪術であった「松を使った子孫繁栄、跡継ぎアリの皇室の繁栄」をも含み、その松は「秋に属する」ということの再宣言。
さらには、「くろまつ」という指定の意味として、藤原氏に対する皇室、を忘れてはいけません。
藤原氏はご存知の通り、専横を主にした皇室乗っ取りの代名詞、どちらかというと皇室しなだれかかりで、我が女(むすめ)を入内させ生まれた皇嗣を皇位につけて我が世の春よと金満ぶりを天下にさらし、「藤原氏どうしの抗争」でついには弱体化していった人たちです。

皇室は不思議な場所、不思議な立ち位置を常にキープしています、それが蘇我であろうが藤原であろうが足利であろうが織田であろうが豊臣であろうが徳川であろうが、すべての「権力者」の血を入れながら「皇室」として揺らぐことなく今に残る唯一のおうちです。

「権威」が前提の唯一のおうちです、と言い換えたほうが正確ですね。

「権力」がどのように変わろうと皇室に変わる「権威」はない。

藤原氏の藤=つる性植物に対して皇室は「松」、常緑樹の高木です。高木は皇室の祖霊、先祖、皇祖神が宿る場所、ひいては皇祖神そのものです。

松は倒れない、藤が枯れても。

藤は女花(おんなばな)、松は「男木(おとこぎ)」。

いくら「よそさん」から嫁が入ろうと、皇統は「父親が天皇の男子」によってつながれていく。

「藤原氏」的なるものがいくら皇統の簒奪を狙おうとも、「くろ」=「玄」=根源からの根を持つ「松」は、それらからは屹立してよく時の非情な流れに抗し、後嗣をもうけ続けていくのである。

これは今上からの「皇統は秋篠宮に続き、皇室は永遠に続いていく」という宣戦布告、聖勅であります。

「ここまで」読み解いて本意です。それでもまだ「浅い」んです。うわっつらしか見ていない。

「日本語のスペシャリスト」にして「最高権威」である天皇の言葉を、われわれは軽く見過ぎているのではないか。
その自戒と反省をこめて、もう一度繰り返します。

これは今上からの「皇統は秋篠宮に続き、皇室は永遠に続いていく」という宣戦布告、聖勅であります。







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今上の御製 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2017/05/29 17:07

御製 平成二十七年 五首より 補足



2017/04/05 資料を追加

『践祚大嘗祭 研究編 資料編』が入手できたので「鍬を用いて」の根拠たりうる箇所を画像で掲載しました。

今上がご存じないはずがない。すでに登極あそばされておいでですから。
さらに三笠宮崇仁親王殿下がかかわっている書物です、目を通しておいででしょう。

資料--3
資料--1
資料--2


御製 平成二十七年 五首より 「父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う」の補足です。

一度上記記事をご覧いただいた皆さんも補足がありますのでぜひこの記事にも目を通しておいてください。前回は聖武の話がインサートされていてわかりにくかったと思います。「仏教」にはいろいろと思うところがありましてつい私情に走りました。


平成二十七年の御製 五首より

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


まず、それまでに詠んだ歌の中から五首を選び、さらにトップにもってきたということで、決め打ちで「これが一番言いたいこと」であるのは確実です。であるからには日本語のスペシャリストであり、世界で一番皇室に、天皇位に、お詳しい方からのメッセージとして(何しろご本人が天皇陛下ですからね)フラットに読み解いていこうじゃないかというのがこの記事の目的です。

おうたの、最初から見ていきましょう。

・「父君の」

今上の父君は昭和帝です。皆さんとっくにお忘れかもしれないですが激動の時代にあってかつては「神」として生まれ、「神」として育てられたお方です。現人神(あらひとがみ)という言い回しがあるように、生きて実在する肉体を持った神だった。
そういう人の、読み手は長男ですよ、という「歴史的意識」の中から歌がはじまる。

・「蒔(ま)かれし木」

樹木は、生物学で用いられる系統図解に代表されるように系統樹によく摸されます。この年末年始に正月飾りとして「橙(だいだい)」を飾られたお宅も多かったのではないでしょうか。橙は代々に通じて先祖から子孫に順送りで命のリレーをつないでいく吉祥縁起物であり、丸い形状と輝く黄色から太陽を模しているともいわれます。

もともとわたしたちは、ある時期に稲のことを「とし」と読み、大みそかは「大歳(おおどし)の夜」などと申しまして、春の作付、田植えから夏を経過し、秋の実りの季節を超えて長い冬を迎えるために、つまりは稲作行事を基準に一年を暮らしていたものです。
もちろん海山での狩猟、漁撈がメインだったり、林業や工業、商業にかかわる家の人は別なサイクルがあったでしょう。けれども稲作に限定せずに「穀物全般」の一年の生育史に基づくときに「自然と」四季の大きなイベントは定まってくるものです。
とにかく日々口にする食べ物ですからものすごく大事なことです。

縄文後期には稲のことを「いね」と呼んでいたようなので、名称変化に伴って年齢のトシをはかる目安として稲がトシと並行して呼ばれていたのかもしれません。
穀物全般を代表して稲神様にまとめてお祭りを行った。
それは大嘗祭、新嘗祭(旧暦十一月)、祈年祭(としごいのまつり、旧暦二月)、鎮花祭(はなしずめのまつり、旧暦三月)、神衣祭(かんみそのまつり、旧暦春秋)、神嘗祭(かんなめさい、旧暦十月)などなどの今も残っている各種行事が物証です。
祭り事は政り事だった。

国が規定した法律で何月にどこの神様をどこで祀れ、と決められていた時代が長かった。やまとことばでは宮中をおほやけとよむように、国の目が届くところでは法律に基づいて神様を祀らなければならなかった。
その空隙を埋めるようにヤマト朝廷の支配の及ばぬ土地の祭りも続けられた。ヤマトから遠いところほど古い様式が残っている。

一年草の稲とは違い、樹木は年を何年も超越します。だから家全体の家系図や生命のリレーのシンボルとして世界中で用いられる。

神は上からくる、という概念をどなたもなんとなくお持ちだと思います。セミナーで「天はどこから始まりますか」と質問すると皆さんなんとなく自分の頭よりはずっと上、雲の上とか山の上から始まりますとお答えになる。

しかり、神は上にいて呼べば答える、呼べば応じるものが神だった。その神を地上に降ろすための「場所」として、木の枝を立てて目印にする。今の神道で使うお榊がまさにそれです。
神道的建築様式で屋根にクロスしたり出っ張った「千木(ちぎ)」を用いるのは「神様ここですよ」というヘリポートの目印のような意味を持つ。

文化人類学でいう宇宙樹、世界樹です。その幹を枝を伝って異郷、異世界、別世界から神的なものが往還する。あるいは宿る。ひいてはその樹木そのものを尊いものととらえるようになる。

だからここでいう「木」は家の図、である。

また「き」という音に注目すると、日本史で「き」といえば日本初の正史であるところの『古事記』と『日本書紀』のことをさします。あまりにもビッグなので『記』、『紀』と省略しても誰でもわかるくらいに、「きき」といえばこの二種類のことを言います。
これが何かといえば、歌の詠み手=今上ののファミリーヒストリーそのものですね。

ダブルトリプルで「我が家の正史」をさしています。


・「父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用いて」

樹木にたとえられた男系男子である父君、昭和天皇から男系男子の天皇である自分がつないできた天皇位、それは金へんに「秋」がつないでいくのだと。

鍬(すき)の持つ意味の重さです。秋が好きだと言っている。秋篠宮がつなぐんだよ、とおっしゃっている。
当然ですね。驚くことは何もない。だって現東宮は男子を持たないのだから。

現東宮家は、絶えます。皇族の男子がいないから。

男系男子の皇族がいる弟宮のほうに、秋篠宮家に皇統は移る。決め打ちでそのまんま、その通りです。

そしてさらにわたしたちは「鍬=すき」の音にも注目しなければなりません。

登極(とうきょく)=即位する際に必要なセレモニーのひとつとして、宮中内に悠紀殿(ゆきでん)、主基殿(すきでん)を設けここを用いる決まりです。

秋篠宮家には悠と紀は「もうある」。その名がついた紀子さまとともに悠仁様をもうけられている。
そして即位にあたって必要なもうひとつの主基(すき)殿の音を読み込んでいらっしゃる。

さすが日本語のスペシャリストであらせられます。

大嘗祭に関する参考資料として必須のものとしてあげられている中の「大嘗會之図(写本、三巻一冊)から。
これは貞亨四年東山天皇の大嘗祭における調度施設神饌などを図示したものとのこと。
ちなみに東山天皇は霊元天皇(上皇)の次、ですね。
このことの意味もわかる人にはわかるのですが。。。
資料--2



・用ひて

用いる、にはそれを使って役に立たせる、という意味以外に「尊び信頼する」という意味があり、本来はこちらが先にあったのです。なぜなら用いるとは「持ち率いる」からきた言葉で「持ち率いる」からワ行上一段に活用し、後に「もちゆ」とヤ行上二段にも活用するようになったから。なるほどわからんwwでもこのように辞書に書いてございます。
持ち率いる→もちゆ→もちひる→もちいる、ですわね。

使って、「ではない」のは本来性の「尊び信頼する」を優先なさったのでありましょう。

天皇位の尊さを骨身にしみて感じているから、だから後の天皇に対しても「尊び信頼」を寄せている。この姿勢です。尊いです。
天皇誕生日・新年の一般参賀で「天皇陛下のお言葉です」のアナウンスとともに、さっと陛下に体の向きをかえ、頭を垂れて傾聴・謹聴の姿勢を示したのは秋篠宮様、同妃殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下であらせられました。
現東宮・同妃殿下はニラニラ薄笑いをしながら微動だにしなかったですよ。
「これ」が重大な問題でなくして何が問題なのだろう。と感じましたよ。
現在ただいまの天皇陛下に敬意を形で示せない・示そうとしない・示すことができない者などろくなものではありません。まして現東宮は(今の人間のルールに従うならば)次の天皇の予定ではありませんか。ええ加減にせーよと言われても反論の余地はございません。

だから男子が生まれなかったのだろうなあ、日本の神様すごいなあ、と思いますけどね。

き=紀=紀子様より生まれし、男系男子。


・くろまつを植う

陛下は「くろまつ」と漢字をひらいて=ひらがなにしておいでです。
ここも「さすがだ」とわれわれは感服するべきところです。

くろまつをしっかりと大地に根付かせる。ここで絶えさせない。つないでいく。

普段使っているこの漢字は、もともとは「外国語」でした。遠く今は滅びたかつての先進国、超文明大国「だった」中国で開発された「神と交流するためのツール」が感じです。
紀元前三千年~二千年にかたまった、甲骨文、金文といわれる古いカタチをわたしたち日本人はそのまま国語として、日常当たり前に使っている。これもものすごいことなんですよ。
漢字は難しくありません。難しいと思うのは教える側に問題がある。漢字ほど合理的かつ明快に構成されているツールはありません。
教える側がわかっていないから、教わる側も「はて?解せぬ」になるだけです。
だってもともと神と交流するために作られたモノなんですから、明快至極で「なければならない」。
「神よ、河の神よ、さっき出ていた虹はどういうことですか。いいのわるいのどっちなの」と問いかけて、出てきた答えを万人が納得するカタチで示さなければいけません。
わかりやすくなければ残らないのです。

エジプトで同じように神との交流ツールとして一定の基準に達した神聖文字(ヒエログリフ)から、ヒエラティック(神商文字)、デモクリフ(民衆文字)というふうに簡略化されていったのはわかりやすさを求めてのことでしょう。神様と交流する神官たちが使っていた文字を、神殿に出入りする商人にわかるように簡便化し、それが一般人のレベルにおちて伝わっていって定着した。

ところが漢字は最初からめちゃくちゃわかりやすかった。驚くべきことに、現代のわれわれが見てもぱっと「読める・わかる」文字だらけです。最初からクールだった。すごいんです。

日本ではまるで帝政ロシア時代末期の宮中で外国語であるフランス語で会話するのが洗練の極みでカッコいい、とやっていたかのごとく、政治の中心では長らく「外国語」である漢語が用いられていましたよね。公用語が外国語。みんな漢文で筆記していた。だからおそらく執務者は外国人かもと外国人=帰化人を使って『古事記』も『日本書紀』も書かせていたと思いますね。

そして日本人さんサイドのチェックの甘さから神の名の相違や人間関係の食い違いや、中臣氏のように「自分の先祖を割り込ませちゃえ!」とかいろいろアレなことがあったんだと思います。でなかったら古今の学者先生を大いに沸かせる「食い違い」はないはずです。

で、そんな外国語ですら返り点やら一二点やらで「そのまま読める」技を編み出すのが日本人クオリティー。さらには「音」と一対一対応の「ひらがな」「カタカナ」すら作り出した。

この国をあげての「職人」ぶり、さすがの日本人気質だなあと。技術立国の基礎の基礎、「ことば」「国語」のすさまじいシェアっぷり。

で、もともとの日本語という意味で使うとしての「やまとことば」には相当する漢字はありませんでしたから、音をたどってそのままひらがな・カタカナ(あるいはアルファベットでもいいですが)で書くのが自然なことなんです。

陛下はここで「くろまつ」とわざわざ開いて書いている。

黒松は、赤松に対しての意味で「男松・オスの松」です。だから男性を意味します。

また松は日本の自然観の中で最高位に属する植物です。他にも桐や梅や桜や竹や、素晴らしいものは多数ありますが、霊的な尊さの象徴として使われるのはもっぱら松です。
舞台にかかったお能をご覧になったことがある方は、舞台に松の木を描いた背景や、あるいは屏風立てで松の絵が必ず用意されていることにお気づきだろうと思います。

あれはお能の演目に多い「幽世(かくりよ)」と「現世(うつしよ)」との境であるとともに、実際にあの世、異世界、異郷から聖なるもの・心霊・神霊的なものが現れるときの目印です。
またそれがあることでその場が清められた、ということでもある。

まさに世界樹そのものです。

その、「おまつ」である男松・雄松、すなわち正当な皇統を継ぐべき男系男子を植えていく。

さらには音でとるならば「くろまつ」=「苦労待つ」で天皇位に就くということは途方もないことなんだよ、と「自分以後」の未来の天皇に対して心構えをうながしている。

覚悟がいるぞと。苦労しかないぞと。

けれどもそれが「神への道」だぞと。

外国語の漢字ではなくて日本固有の記号であるひらがなで、あえて語りかけている。

誰に?

日本語のわかる日本人にですよ。
皆さん全員にですよ



神の象徴そのものである「くろまつ」を、天皇位を、神であった父君から受け継がれてきた男系男子の皇統でしっかりとつないでいく。自分を通して次の世代に。

つまり陛下は、ご自分の意思として「秋篠宮家につないだ」のだ、と宣言されておいでです。

どうでしょうか、ここまでで何か矛盾がありますか?

無知な一般人ですので何か誤りがあるかもしれません。
まあ秋の田の、らへんは年代別に根拠をあげていちいち説明すべき異論の多い箇所ですが、そもそも践祚大嘗祭を特別視したのはそんなに古いことではありません。新嘗祭が最初にあって、それはやはり秋の実りを祝うためのものだった。だから「毎年ある」わけです。

このあたり穀物霊・穀物神と太陽の運行との関係で掘り下げるととびきり面白い箇所ですが、ヤマト朝廷とのごにょごにょが芋づる式に出てくるので詳しいことは別項としたいと思います。

陛下がこれほどわかりやすく宣言なさっていることを、なぜ見落としてしまうのだろう。

やはりコトバがわからない外国人だけが皇室に、天皇に、イチャモンをつけているだけだろうと感じます。その外国人にのせられた「利権」がらみの日本人には「天皇位にさからうと天皇その人でさえ滅びるからヤメロ」と申し上げておきたいです。

そういうものなんです。

陛下のお歌、御製(ぎょせい)について何度も書くのはこれが「陛下のお心そのもの」を直接知ることができる数少ない「物証」のひとつだからです。
この歌も掘り下げればもっとずっと「意味」があるはずです。

記紀は、われわれのご先祖たちがワーキャー言いながら(言ったのかwww)一所懸命にまとめた「政治抗争史」であり「神と神とのぶつかりあい」であり「生き残り戦略ガチ攻略、実践編」であり「大スキャンダルと大スクープと大ゴシップの賢覧豪華な一大叙事詩」であります。

できれば原本に直接あたったことがある、関西方面のおっさんたち、古い時代の論文、論考からご覧になるといいと思います。なぜならわたしたちの世代の学者先生は彼らについて学んできたから。当代の学者先生方がみな自分の根拠に用いている所説を構築した世代だからです。

こうしてネットに残しておけば、誰かは読むだろう。わたしはいつも「四年後の俺たち」のためにも話を続けていきたいのです。

天皇の御稜津(みいつ)によりてボーイミーツガール、万民繁栄、治国平天下、なんぞというクッソたわけたダジャレをかましつつね。
日本の歴史、信仰史・宗教史はダジャレとエロジョークでできている。それが生命力を最大に活性化させるテクニック。
論理階梯を軽やかにスキップし、音の世界を逍遥する。

音がすべての根幹で、人間が出す音が声、意味のある声がコトバ。言葉を使ってわたしたちは神とも人とも交流する。

皇室と一般在家との違いは「自覚のあるなし」だけだと思う。二千年以上続いた家の伝統と格式、「その家」に対する敬意と矜持。違いは実にそこだけです。
皆さんもどうぞ遠慮なく皇室レベルの心持で日々を送り命をつないでいただきたいものです。

わたしたち自身もご先祖が、ただの一度も絶やすことなく命をつないでくれたのです。神の子というのなら全員が、万人が神の子です。
「自覚」だけです。本当に。


では皆さん、日本の神の直系子孫からのお言葉です。
これが御聖断であろうと思います。



父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う






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今上の御製 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/01/15 13:58

御製 平成二十七年 五首より 「父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う」



天皇陛下がお詠みになった歌を御製といいます。
平成二十七年の御製、五首のうちひとつを取り上げます。

宮内庁ホームページ>天皇皇后両陛下のお歌

該当リンク先

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


着袴

着袴 (2)


その前に、「女性天皇」などという自家撞着もはなはだしい誤った日本語が吹聴されているようですが、このような矛盾したコトバを使って声高に何事かを主張するのはみな「外国人」ではないかと思います。
なぜなら「日本人なら間違いようがない不思議なコトバ遣い」をしているからです。

「天皇」は「てんのう」と今の人たちは口にしますがもとは「皇」だけで「すめら(すべら)」といいました。
「天皇」は「すめらぎ」とよみます。ほかに「すめらき」「すべらき」ともいいますが注目していただきたいのは語尾が「き」であるということです。
これは「翁のき」といえばわかりやすいと思いますが「男性」をさしています。
イザナキ、イザナミという男女双性神がわかりやすいのですが、イザナキのキは翁=男性のキ、イザナミのミは嫗=女性のミ、ととらえると一目瞭然とかと思います。
漢字の意味はじいさんとばあさん、というほどになり、ミは女からきている等所説ありますが、男性は「キ」、女性は「ミ」となっているのは決め打ちです。

「天皇」で「すめらみこと」とよむ際の「みこと」の「ミ」は女性という意味ではなく、「ミコト」でひとつの尊称です。

『日本書紀』では厳密な区別がなされていて、大和朝廷=天皇サイドにとって重要な「かみ」は「尊(みこと)」と筆記し、これは皇位継承権者と皇太子の尊称、「命(みこと)」は大和朝廷に近いもの、いうならば中央的なものに一般に使い、最後に大和朝廷の成立に拮抗するもの、また地方にある遠いものは「神」となります。紀でいう神は、徳川でいう外様のような扱いです。

その「尊(みこと)」のミです。

天皇の尊称語である「すめらみこと・すべらみこと」は「すべらぎ」「すめらき」「すめろぎ」と男性であることが決め打ちです。

「女性天皇という矛盾」が生まれる時代、その「前後」はたいていややこしいことになっています。
「本来性がない」からです。

用語として、言い方として女性天皇と用いる場合でも「矛盾しているのだ」ということが前提で見ていくべきなのです。

どうも「おかしな主張」をする向きがあって理解に苦しみます。
これほどの長きにわたって粛々と存続してきたシステムをなぜ外国人が難癖をつけてよこすのか。
それによって誰が得をするというのか。

日本弱体化、骨抜きのために「屋台骨」である「すめらぎ」に手をかけようという愚かな行為はやめていただきたいものです。

御製をわたしはこう読みます。



該当リンク先

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


現在即位なさっている天皇陛下を今上(きんじょう・きんしょう)といいます。それが召し上がるふりかけを錦松梅といいます、というのは嘘ですが(ここでズッコケてください)、今上は「男系男子で皇統をつなぐ、皇位は秋篠宮がつないでいく」と宣言なさっているようにお見受けします。

まず「父君」は当然昭和天皇です。男系男子の、今上陛下の御尊父です。

その父君がかつて大地に植え付けられた「スギ」で作った「鍬(スキ)」を用いる。

御製

宮内庁による当たり障りのない、いや失礼、穏当な解説とともに味わうとより深みがましますが、ここでわれわれが注目しなければならないのは「杉」と「鍬」です。

まず「鍬」は金へんに「秋」と書きます。秋は弟宮様の号になります。秋が好きだ、好ましい、とおっしゃっている。

昭和天皇が植樹された「杉」によって、自分、秋篠宮、とつないでいく。

さらに「スギ」→「スキ」という音(おと)によってわれわれは、即位の際に必須である「主基(スキ)殿」と「主基(スキ)田」を思うはずです。
古来、次代の天皇陛下が即位なさるにあたっては毎年恒例の新嘗祭の中で儀式を執り行いましたが、即位の際に(践祚せんそ、といいます)大嘗祭と別記して「践祚大嘗祭」を一世、一度行うようになりました。」
その行事に使う「稲」を特に定めて「悠紀(ユキ)田」、「主基(スキ)田」と二か所の土地で耕作させて、宮中に設けた「悠紀(ユキ)殿」、「主基(スキ)殿」という建物にて使います。
田と殿でデンという音がここでも通じる。
また霊的なテクニックのひとつとして「名前が同じものは同じモノである」と見ていく手法がありますが、宮中から外のある地域をゆきでん、なり、すきでん、と名付けることで、それは宮中に用意された即位に必要な建物と「イコールである」と見る、すなわち「コントロールできる」ということにして世界観を組み立てる。

これを見立てとわれわれはいいます。名前が同じならイコールである。機能が同じならイコールである。見た目が同じならイコールである。実際にそうかどうかではなくて、そのように解釈していく、という話です。

わかりやすい例が全国にある富士講です。これは実際の霊峰富士、あの大きな美しい富士山に登山したいけれどもなかなか赴くことができない場合や、何度も繰り返して登山したいが大変だ、というようなときに富士山のような塚を作ってそれをたとえば「赤坂富士」とか「番町富士」と名付けることで本物とイコールであるとして、それに登るという信仰形態です。
先達とよばれる頼れる先輩、熟練者に率いられて本当の富士登山を行うことができれば一番なのですが、そうしょっちゅう山にばかり登っていることも難しい。横丁にこさえた塚をめぐり、聖なる経験をおのが胸中で行うというやりかたです。

日本祖語とよばれる全国各地で「同じ音で呼ぶ名称」、つまり口(くち)とか手(て)とか足(あし)というような「音」が最初にわたしたちの中にあって、あとからやってきた「外国語」である漢字にそれらをあてはめて共通のツールにしていった。
だからひとつの漢字とひとつの音が一対一の対応ではない。
日、という文字ひとつとってみても、ひ、にち、か、け、じつ、が、などバリエーションはいくつもある。
「天皇」という二文字ですらよみかたは一種類ではありません。

だから、われわれはもっと「音」に着目すべきなのです。「音」が最初にあったのです。
人間が出す音を声といい、意味のある声がコトバなのです。

明治以降の悠紀・主基の一覧が「大嘗祭」のところにありました。
ここがかつて即位に用いられたAだからAとして「大和朝廷」支配下、管轄下にありますよ、と示された土地になります。即位後に災害に見舞われていないか、トラブルがなかったか、あるいはいいことがあったかどうか、近隣の方はぜひチェックなさってみてください。
宮中で即位にあたり必要なモノと同じ音をかつて使われ、「ここはヤマトの直轄地である、領土である」と宣言された土地だからです。
Wikipedia 大嘗祭


今上陛下が御製第一首としてお出しになったということは「この一首」がもっとも重要な意味を持ちます。

即位に必要な主基(スキ)殿と同じ音である鍬、弟宮をさす「秋」が含まれる「金」の文字、植えるのは杉(スギ)。

過ぎていく時を目に見える形で示してくれる植物の形、それは代々に伝わり、流れ、生い茂る男系男性天皇のことをさしている。

「くろまつ」とあえて平仮名にひらいて筆記なさったのはここで目を止めてくれよということではないかと思います。
漢字にすれば黒松で、赤松との対比から「雄松」すなわち男松であろうということがわかります。

秋篠宮殿下は自らの親王殿下に「悠仁」と名前を与えておいでです。

即位に必要な「悠紀」を分ければ、妃殿下と親王殿下そのものになります。

また、今上陛下の第一皇女である清子様の号は「紀宮(のりのみや)」殿下となり、紀が降嫁により皇族を脱せられても妃殿下が紀をつなぐ。

ちなみに今上とともに歩まれる皇后陛下のお名前美智子様とおなじ、昭和天皇の号は迪宮(みちのみや)様で恐悦至極に存じまするが、同じみっちーであらせられます。

余談ですが皆さまもうご存知のコトバ遊び、
かわしまきこ
おわだまさこ
これを上段、下段、じぐざぐによんでも同人の名前になっているというのも有名ですね。

音(おと)でとっていく世界こそが古くからの「日本語」の世界、「日本」の世界なのですから、こうした「不思議な符号」が身辺にあり、それらを使って「言いたいこと、伝えたいこと」を万人に明らかにするのが皇室のやりかたです。

そもそもの「日本人の手法」です。コトバに思いをかける。思いを託す。読み取れないのは読む側の未熟さ、無教養、無知もある。
わたしは無知で無教養で愚かです。
だから知っておきたいし、だからこそ自分で読み取れることは読み取りたい。

陛下はこれだけわかりやすくおっしゃっているではないか。とわたしは思うのです。

日本のすべての精神史、歴史というのは「だじゃれとエロジョークでできている」とわたしは見ています。

該当リンク先

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


松は、植物の中でも高位に位置されるもので、日本の植物の中では霊的に最高位といってもいいのではないかと思います。
お能をご覧になった方は舞台中央に「松」の絵が描かれているのを思い出していただけるかと存じますが、松は文化人類学でいう「世界樹、宇宙樹」ということで、この大木、大樹を伝って神が上から降りてくる、あるいは地上に生きる人間たちが異界、別世界、地続きの別な世に往還できることを意味します。
神がかかることから松が神そのものととられることもある。
神道でいう神籬(ひもろぎ)、御神体と思ってもいい。

つまりここで使われている「くろまつ」は男系男子の皇統そのものということです。日本でもっとも尊いのは天皇であるわけですから、植物の中で最高位の松を使ってたとえている。

文中で「彼女は際立って美しい」とかくよりも、「彼女は際立ってうつくしい」とかなに開いたほうがキャッチーな場合もある。

陛下は皇統を示すことばにあえて「外国語である漢字」を使わずに、日本語の音と一対一に対応させてわれわれのご先祖が作り出した「ひらがな」で筆記なさっている。

日本固有の、日本オリジナルの、日本人の男系男子だよ、それは秋篠宮がつないでいくよ、と示している。

現在の人間のルールに従うならば、(その日の能う限り最大に遠からんことを!)今上が崩御あそばされてのち、一度は現東宮が即位することにはなる。
ただし親王を持つことを神によって許されなかった現東宮家は一代で絶える。

そして皇統は秋篠宮殿下、悠仁殿下と続いていく。
四十年と九ヵ月振りに生まれた皇統男子、日本の誇る正当な皇孫につながっていく。

ガイジンがごたごた文句をつけだしたら「うるさい、黙れ!」と一刀両断でいいと思うのですよね。
しかしどうやらそうもいかないようなので万人にご納得いただけるよう、こうしたごく基礎的な解釈でご理解いただくのもひとつの手です。

植樹祭、という場で詠むから意味がある。

木を植える、紀=歴史を育てる、気をつなぐ、という「音」で読んでいくならば、だからこその巻頭一首かと存じます。

何か矛盾や間違いがありましたらぜひ御教示ください。浅学非才な身であるがゆえに挙証該博論断明快な皆さんからのご指摘をお待ちしております。よろぴくだよ~☆

そして錦松梅さん、とばっちりすみませんwwwwあれウマイんだよな。

この記事の前に検索したらチーム公正の国会議員、山田宏さんがこの御製に関心なさっているfacebookが出てきてワロタの。目のつけどころは違うけれども、ビバ!俺たちの天皇陛下!!!というところでは熱く固く一緒です。

山田宏さんは「マジで全員を救う」ために活動なすっているわけですが(ですよね?)、植樹をなさった人々にも思いを馳せているのがさすがです。チームプレイができる人なのだ、おいらと違って。

まあ、この記事もひとつの解釈として参考になさってみてください。「女性天皇(笑)ねえ」とニヤニヤできることうけあいです。

繰り返しますが、ずーーーーーーーーーーっと続いてきたこの世界有数の「システム」に誰が何の権利で文句をつけているのか、ということなんですよ。
よく見ておこう。誰がどういう主張をしているのか。

そして天皇その人といえども「天皇位」に牙をむいた場合は必ず滅びるのが鉄則です。そういうことになっているんだよ。だから恐ろしいんだよ。リアルに「神」と、おっと大和朝廷の場合はカミの中でも尊みことや命みこと総勢で堅守死守してきたもんなあ。

さらには「神」もね。

日本の神様が出した結論が「皇統は弟宮に移し、日本は永遠に続いていく」ですので、人は従うのほかはない。


さあ鳥年に、この酉年に、皆さんを導く「ふるとり」は、どこへ進め、何を目指せと伝えていますか?

そんなカンジです。

天皇陛下ズ


悠仁殿下が「正式に」なさった着袴については、松を手になさっていることも含めてまた詳しく記事にします。
この儀式の全要素に意味があり、それは知っておいたほうがいいと思うので。


宮内庁ホームページ>天皇皇后両陛下のお歌

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第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


着袴

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今上の御製 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2017/01/08 14:00
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