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あんたたちもっと驚きなさいよ

キム・ヨナのひどすぎる不正採点について書いていくわよ!

『ちゃんと作れる和食』柳原一成



本の紹介です。

先日、とある方から素晴らしい茶器をいただいたのですが、あまりにすごすぎてそれに見合った食器がない!とわたしの中で騒然となり、同時に食生活そのものを見直そう!と猛然と奮い立ちました。猛省をしたのです。
料理を作って人に出すことや、お皿を洗うことは嫌いではないけれど、なんというか機械的に「おまえらが食うなら作るけど」という感じが根底にみなぎっておりまして。

そもそも「飯なんか食うから早死にするんだ」とずっと思っていたところ、某バルセロナでパンのおいしさに涙して以来、よくわからないままに「ものを飲み食いすること」はいいことなのかもしれないなと、徐々に思い始めていたのですが、食えばただちに血となり肉となり、特に肉となるあたりがわが身のボリュームアップにつながって(笑)今は大変なことになっているわけで、それでも「おいしく、ありがたくいただく」行為にさらに加えて「美しく優雅に気持ちよくいただく」ことも加味しなきゃ、と心を入れ替えてるわけです。

つい面倒で夕飯はセロリでいいや、と買ってきたものを洗いもせずにばりばりかじっておしまい、とか優雅だの洗練だのとは対極にあるわけで、それでも生きてはいけますが、なんというかもうちょっと人間らしさも必要かなと。

特に日本人らしさ、この特有の「魔改造ならお任せください!」な文化と伝統と歴史とを、ちゃんとわかって身に着けて磨き上げていかないと、たぶん「完全に消え去って二度と取り戻せないもの」になりはしないかと思うわけです。

まずは脚下照顧で自分から、「死ぬまで決してやめられない」ことのひとつである「食事をするということ」を見直したいなあと思いました。

そういうときにいつもするのですが、居住地域の自治体でネットから図書館の蔵書が検索できます。大学などとも提携して、所有していないものは別の団体からさらに貸し出してももらえる。
実際に手にとって、よいと思ったものは買う。
この、買う。という行為までいかないと良いものも残っていかないので、できるだけ本を買う習慣はなくさないようにしたいなあと個人的には思っています。

何人かの料理家、料理研究家、インスタグラムなどのSNS出身のクリエイター、調べた中で「もしかしてこの一冊があれば和食は完璧になるんじゃなかろうか」と思った本がありました。

柳原一成さんの『ちゃんと作れる和食』です。

Amazonへのアフィリエイトリンクです。そういうのはちょっと思われる方は別にお名前で検索してみてください。

柳原一成



実際に調理しているところの連続分解写真がわかりやすい。「そこを知りたかったんです!」というコツが全部書いてある。
それから使う器や季節のあしらいなどのワンポイントが実に実に的確でちゃんとしていて正確です。
わたしのような野生のウサギならぬ野良ウザ人間(どういうカテゴリーでしょうか)でもわかるくらい「ちゃんとしている」!

これだ!と思い、「学びたい」と強く思っていました。

で、真央ちゃんにもビオではなくてこちらに通ってもらいたいなあと思っていて、あるときにふと料理の話になったら、ちゃきちゃきのホンモノの江戸っ子さんが「和食ならヤナギハラさんですよ!」と教えてくださって、話をうかがったのですが「どこかで聞いたようなお名前だわ」と思って帰宅してふと見たら「先生じゃん!」と驚きました。

やっぱり「和食ならここ」と昔から言われていたそうで(※ただし関東の話です、お江戸の話です)、その詳しい方はいろいろな習い事を勢力的になさっていて体当たりでいろいろな先生をしっかり見てきた方なので信頼できると思います。

だから完全に無知な状態でただ本を見て「ここだ、この先生だ」と思ったわたしの素朴な感想と、ほぼ玄人はだしの通なお方のご意見とが一致したわけで、これはちょっと嬉しかったです。

ということでこの本が一番安価だし一番基本に詳しいし、見ているだけで「ちゃんと生きる」ことの美しさと楽しさが手に取るようにわかると思います。

考えてみれば調理の歴史というのは「長い人体実験の連続」なわけでして、その結果が蓄積されてひとつの手法なり工程なりに結実している。
よくお菓子づくりは化学・科学だと言われますが、調理も実に合理的なもので、そうするにはするだけの理由がある、その理由をちゃんと教えてくれるのがこちらだと思います。

幸いにも料理教室を開催しておいでなのでちょっくら通ってみたいなあと思っています。

なんというか、「食べること」と「生きること」をストレートに結んでおくほうがいいんだろうな、とせかされるように強く思い始めたこのごろです。

真央ちゃんもビオもいいけど(個人的には賛同しないですが)こういう「本物」に触れる機会をぜひにと思っています。

そのうえでビオの良さも取り入れていけばいいじゃないですか。

マラソンが終わったらひとつ柳原さんへ!とそして鉢合わせをして姐さん失神、(おいwww)的な展開があったりなかったりすると面白いのにと勝手なことを思いました。

詳しい方には何をいまさら、という話でしょうけれど、柳原一成、この方の手法、生き方、明朗さが今自分の中でキています。

初心者向けから玄人向けまでたくさん本を出されていますのでまずは何か手にとってご覧になってみてください。
おすすめです。





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『日本料理と天皇』松本栄文



これは素晴らしいと思います。
税別定価が6,500円なんですが、この十倍以上の値打ちはあると思います。

日本料理と天皇 (Discover Japan Books)

著者 松本栄文
出版社 エイ出版(エイは木編に世)
ISBN978-4-7779-310-10



「真央ちゃんに見ていただきたいなあ」と思いました。
お米(稲穂)ではじまり、お米(お結び)で終わるんです。

一番最初のカラー写真
最初のお米

一番最後のカラー写真
最後のお結び

日本は瑞穂の国ですよ、「日本料理」はすごいんですよ、ということを端正で、しかも喜びにあふれた文章で紹介してくださっている著者の松本栄文さんは、最後の著者紹介では株式会社松本栄文堂代表取締役社長となっています。
おお、画像がある。大覚寺門跡でニッカリ笑顔。若いな~。

写真は板野賢治さん。
あれ?わたしの知っている板野賢治さんはこのようにまじめな仕事をなさる方だっただろうか。

写真が実に実にイイのです。感動する。


お米の粉でつくったウサギさん。
なんて可愛いのでしょう。
とても写実的で、おめめがやる気に満ちている。
「鼓」と一緒のポジションです。

うさぎさん

タラソワ先生が真央ちゃんのことを真央ウサギちゃんと愛称で呼ばれていて、そのマオザイチカ以来、ウサギがあるとつい手にしてしまいます。もともと手相見姐さんというハンドルネームだったものをアネザイチカにしたのもここからとったものです。

五行を少しかじった方なら「おっ、ウサギと鼓か!」とぴんときなさったと思いますが、この写真集、というか「書籍」に集められた「わたしたちのご先祖たちが尊いとなさってきた事物と儀式」の数々には「知恵」がちりばめられています。

宮中の歯固めの儀のお膳。五番目のお膳なので五の膳、だそうです。
お魚を刺身にして小高く盛り付けています。
歯固めの儀五の膳

「包丁式」。
お魚をきれいなリボン状にさばいています。血やウロコなどの「生き物だったお魚の断片」が全然見えないのにご注目ください。
実に「清らか」に進められていく、これは本当にすごい技術の継承だと思います。
包丁式

茶事で使われる「直前に挽くお茶」。臼の取り扱いにもルールがある。
茶事の前に

賀茂別雷神社の外陣新撰。屋外にて供されるものとのこと。
美しいです。
賀茂別雷神社の外陣新撰


この書籍のすごいところは、われわれ一般人にはなかなかフォローしきれない尊い儀式のようすが詳述されていることと、写真に非常に力がある。対象に深い敬意を持ちながら凛然と引き締まった美しく清潔なカタチをしっかりとらえている。

そして巻末の「解説」がひときわ素晴らしいのです。

もともと料理というのは、ひとつの「文化・文明」の代表のようなもので、日常のいわゆる俗事から最高のイベントである新撰供儀という「神様とのコンビネーション」をはかるための頂点の神聖さまで、とても幅広くさまざまな分野を包括しているジャンルですよね。

食材そのものの歴史と育種、その供給・入手方法から調理の仕方、調理器具、配膳、片付け、セレモニーとして参加する際の身支度(衣類、持ち物、冠物≪こうぶりもの≫)、身ごなし、言葉使いなどのお作法にそこに参加する神さま方のおふるまい。

ものすごく幅広く奥行きが深い「料理」に対して非常に正確かつ着実な「解説」がなされています。
よくぞここまで、と思いました。

お結びは神霊の偉大な力を封じたカタチ、稲作という「大自然」そのものを相手の「生き残り戦略」の結果を祝して結ぶもの。

そういう、かつて「当たり前になされてきたこと」がここには記録されている。
そのどれもが本当に美しい。

清くて美しいのが本当に素晴らしい。



日本料理の起源は、神々の「神饌(しんせん)」にあります。天皇家の「供御(くご)」から藤原家の「大臣大饗(だいじんだいきょう)」へと発展し、足利将軍家が独自の武家文化を融合させたのが「本膳料理(もてなし料理)」というものです。後に、茶人である千利休が「懐石」を考案し、日本料理の文化性をより高めたのは違いありません。

しかし、日本料理の礎となった本膳様式ばかりが注目され、日本料理に込める真の精神が語られていないように思われます。禅宗の教えを融合した懐石は大変素晴らしいものがありますし、武家文化が築き上げた本膳もまた世界に誇るべき心だと存じますが、日本人は稲作でつながりあっている民族であることを忘れた日本文化論が語られるのは少々寂しさを感じるものです。
「五穀豊穣」を祈願し、感謝するという言葉がありますように、御米があっての日本人なのでありましょう。

「はじめに」より




わたしは、「日本料理に込める真の精神」とは、「感謝」以外のなにものでもないと感じます。
生きている命をいただいて、取り込んで、「わたし自身」になっていただく。そのおかげさまで生きている。

犠牲なしには過ごせない、ならば決して無駄にはせずに、神として生きていたお米やお魚やお茶やみかんを、神であるわが肉体に取り込んで、神のはたらきをはたらかせる。

そういう「受け取り方」を基礎にした「世界観」というものはなんと豊かで平和で活気に満ちていることか。

この先、わたしたちひとりひとりが「日本料理に込める真の精神」を復権させていくことができたなら、相当な部分で「起こるべきではなかった問題」は起こらなくなると思います。

真央ちゃんが新潟JAのお米のPRを担当なさる。

これもひとつの「神々の復権」だなあと思ってありがたく見ております。

新之助、食べますよ!


「日本」を知るための良書として強力におすすめします。
「飛鳥時代から江戸時代まで」がよくわかる歴史書としても眺められる。

これをきっかけに自分でいろいろ調べるためのジャンピングボードにもなると思います。


日本料理と天皇 (Discover Japan Books)

著者 松本栄文
出版社 エイ出版(エイは木編に世)
ISBN978-4-7779-310-10




おお、くしくも今日からまお米発売なんですね。
真央ちゃんが動くとみんなが幸せになる、真央ちゃんが輝くと日本が明るくなる。

ありがたいことだ。





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本の紹介『思惟する天文学-宇宙の公案を解く-』



歴史をやる人は、必ず天文学もやるべきだ。というのが姐さんの持論です。
なぜかというと「地球全体」を見る目がないと必ず「結論を間違う」から。

わたしたちは歴史というものを、あたかもどこか遠くの過去で起こった自分とは無関係なモノを、自分とは無関係な人が大事なものだけ取り上げて「年表」にしているような勘違いをしやすいです。

「歴史」という大文字で書かれた何か大きなモノがあり、それを傍観者として眺めている、受動的な立場のように思い込まされている。
年表を前に「うわー、コレを全部頭に入れるのかー」とウンザリするのは「そうしないと得点がもらえないから」ですよね。

でも学校を出てしまえば関係ない。「試験されるから」ではなくて「自分の生き方を決めるために」歴史を知っていく必要性が出てきます。

「天文学は平等なジャンルだ、誰の前にも宇宙は開かれている」とおっしゃった方がいます。この本にも出てきます。

「限りなく偏らない<目>を持つための探求」をするジャンルとしての天文学。そこに携わる日本第一級の方々の文章が素晴らしい。

『思惟する天文学 -宇宙の公案を解く-』 新日本出版社 税別定価2,000円

思惟する天文学―宇宙の公案を解く
思惟する天文学

公案というのは仏教の禅宗でお師匠さんから与えられる「弟子が答えを出すべき問題」です。
有名なのが隻手の音声(せきしゅのおんじょう)、「両手を叩くと音が出る、片手で出る音は何か」。こんなもん、常識の範囲では決して答えられないトリッキーなものなんです。
「竿の先に旗がある、揺れているのは旗か、風か」とかね。
お師匠さんである坊主というのは、自分もこういうトリッキーな難題に立ちはだかられ、修行者としての自分の全存在をかけて回答してきた歴史を持つ。そして「弟子の全人格から発せられた究極の回答」でなければ頷きません。
なので、隻手の音声の「正解例」は弟子がお師匠さんをひっぱたく、というものだったり、うんうんうなる弟子に対して「揺れているのはお前の心だ、喝!」と「マジか」というような内容で嚇怒されたり、というやりとりも生まれてきます。

この「全存在から出ている答え」を見極めるのがお師匠さんの腕でしょう。

あと男性は修業が大好きなので、ややこしくないことでもややこしくしてうんうんうなる。それが楽しいみたいです。

この本には、ややこしくないことはややこしくないままに受け止めていた例外的な男性が十名登場します。
面白いことに、三度体裁を変えたある天文学の雑誌に掲載されていたことを、長い人は「十七年後」にもう一度同じテーマで書いてもらって、旧、新、のふたつの文章を読めるようになっています。

残念ながら故人になってしまった先生もいらっしゃって、追悼の文章がまた大変に素晴らしくて。亡くなった方とのユーモラスなやりとりと、そこから発生する「決して途絶えない夜空への思い」の熱さに心を打たれます。

ただですね、どうして佐藤勝彦先生のハッブル定数の計算式の文章を最初にもってきちゃったかな、とは思います。超重要だし、これ以上できないくらいシンプルにわかりやすく書いてくださっているんですが、書店で立ち読みする人は「わー、やめとこう」と思ってしまうんじゃないのかと。
いや、この執筆陣を見て「おおっ!」と手を伸ばす人には当たり前の内容なのか。

それはともかく、2,000円です、税別でこの値段。一度手にしていただきたい、そしてビックリしていただきたい。

出てくる先生が全員美形!嘘みたいに綺麗です。
若いころのいろいろむき出しになっちゃっている「わー」な感じの人ですら、年を重ねて経験を積み、穏やかに「美しく」なっている!!!
日本にはこんな「美中年」「美老人」がわんさかいたのだ!!!
日頃政治家の気持ち悪さとかにウンザリな人ほど「美しい上にも美しい」先生方の顔だち、目の澄み切った輝き、清潔な笑顔、すっきりとしたたたずまいにウットリしていただきたい。ビックリしますよ本当に。

それから「すっごくわかりやすい」のが驚きです。超一流の人というのは「自分が何をしているのか」を非常にシンプルにそしてストレートに人に伝えることができる。その最高に良い例がここに集結しています。

天文学に興味がない人であっても、必ずおおっと思うでしょう。

原爆投下に次ぐ大惨事になった富山への空襲経験を生々しく語る先生。「あの星が見えている間は死なない」とお母様に抱かれて「溝の中」に横たわって死の恐怖を耐えた「その経験」。

オウム真理教に入信し、科学プラントを建造してサリンを化合するまでに至った青年をしのび、同じように天文学を専攻できない大学から天文台に通って論文を書き、天文学者になった先生の「彼との違い」の崇高さ。
施設の見学に訪れた孫の手を引いた老婆から土星の輪を見て感激し「冥途の土産になりました」と感謝され、「宇宙の素晴らしさ」を伝える人になろうと決心したというエピソード。
「彼」には「宇宙の素晴らしさ」を伝える相手がいなかった……。

「青白いはず」とあたりをつけて実際に青白い星を発見してしまった先生。世界のX線天文学の先駆けとして同僚の快挙に応じる形でそんな発見をしてしまう先生。

東日本大震災のこと、音楽のこと、各先生方が自分の全存在をかけて「宇宙」と向き合い続けた結果が、なんとも言いようのないほどの深くて新鮮で興味深い「生き方の話」になっている。

科学の最先端にいる人たちがもっとも「宗教的」である、というのはおそらく「人知を超えたもの」と日常的に向き合っているからなのだろうと思います。

知れば知るほど謎が増える。

ダークマター、ダークエネルギー、「謎のファクター」を仮定しないと宇宙全体を語れない。でも設定した瞬間に「対称性」が問われてきて問題が必ず二倍になる!すごい世界だ。
謎を解くから倍になる。
その倍の謎を解くと四倍になる。こんな世界が「毎日」ならば、謙虚にならずにいられない。

SFに出てくるケイ素系生物はおそらく存在しないだろう、なぜならわたしたち地球人が存在の根底にしている炭素ほど、多く結合できないから複雑化が進まない、という話や、SETI計画の話、本当に興味は尽きません。

「どこから来て、どこへ行くのか」は人類の永遠の命題ですが、それは同時に「どんなふうに行きたいのか、どう生きればそれは<良い人生>になるのだろうか」にも直結しているとわたしは思います。

「よくいきる、良い人生を生きるために」ヒントになること。それが散りばめられています。

受け身でいては何も身につきません。
自分で学んでいく姿勢、他の誰が何を言っても「それが本当かどうか」確認していく姿勢、それが学問でも、日々の暮らしでも、なおざりにしていてはいけない基本だと思います。

夜空を見上げる動作の中に「知ることへの憧れ」「知っていくことの喜び」も同時にあってほしいと願っています。



『思惟する天文学 -宇宙の公案を解く-』 新日本出版社 税別定価2,000円

思惟する天文学―宇宙の公案を解く
思惟する天文学




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『古語拾遺』のおすすめ



本の紹介です。

姐さんの今度のセミナーでも一部を教材に使いますが、『古語拾遺』関係の本三冊です。
古語拾遺は平城天皇の朝議に関する召問に応じた上奏文で、中臣氏とともに古来、朝廷祭祀を職としてきた斎部氏の長老、広成が80歳を越えた年齢で不遇をかこちつつ、家伝をも含めた神話の神々とそれらとの付き合い方を記しています。
「忘れられたこと」を列挙して「昔はこうだった、ああだった」と書き記された内容に実に興味深いことが残されています。
ヤマト朝廷があえて「落とした」古来の「わたしたち」の考え方の一端を読み取っていくのはスリリングかつ目からうろこの面白さだと思います。

実は、今でも実在する「南朝の正当な天皇」と称する方が「三種の神器」を公開なさっていて、月刊誌ムーなどでも写真を確認することができるのですが、その中のひとつが「本来のものと明らかにカタチが違う」ので、わたしは「南朝の天皇」については判断を保留しています。
「自分が正当な南朝の天皇だ」と主張なさっている以上、一般民間人である姐さんよりはよほど「天皇」というものに詳しいはずですから、『古事記』や『日本書紀』は無論、『古語拾遺』だって当たり前にご覧になっているはずです。であるならばなぜ「ああいう形」のモノを証拠として出してきたのか。
うかがえるのならうかがってみたいところです。不思議だから。

ということで、最低限これだけあればという三冊。ただしわたしは大学で史学科に進んだわけでもないですし、どなたか師匠について勉強してもいないのであくまでも独学の範囲での話です。
書誌学は面白い、あと声高にヘンな主張をなさる方に「でも、これこれではこうなっていますけど」と質問するのが楽しいので古い本、古い本とさかのぼって読んでいます。

最新の学説、というものを知る上で「ではその先生はどんな先学を乗り越えてきたのか」を知っておきたいですからね。

そして最近思うのは「親の教育レベル」というのは本当に大事だなあということです。早い話が親がちゃんと四書五経を勉強してそれらを所持していれば自然と子供も学ぶだろうし、「最低限の教養レベル」がぐんと高くなるだろう、ということです。
漢文だから難しい、わからないということはない、どう読むかを学んでおけばあとは独学でもどうにかなる。
往年の文化的先進国である「かつての中国」の、ことに詩経などは昔は日本人の「最低限の文化的素養」だった。
人は何に感動するのか。何が人を動かすのか。自然の事物を見たときに「素敵だな」という「思い」、目に見えない「感じ方」をどう人に伝えるのか。繊細で、もろくて、はかない「ときめき」が形になって今もなおわたしたちの心を震わせる。こんな奇跡は漢字あってのことでしょう。
いつだって素敵なものは素敵だし、いいものはいい、わるいものはわるい。

「その感性」はやはり後天的な「学習」によって豊饒になっていく面が確かにある。

だからこそ戦後の「失われた七十年」で弱体化された日本人全体の知性や教養、つまりは「美しい心で生きようと願う意志」や「人として何が大切なのかを自分できちんと選ぶ意志」を取り戻すべきだと感じます。

そのほうが絶対に面白い。

結局「人間どうし」の間で起きた出来事が、人間の社会を動かしていく。

人の間から派生してきた出来事の記録である史書を読み、愉快、痛快な「ものがたり」に仕立てられた内容を歌舞伎や講釈師やそれこそ傀儡集団からでも楽しく伝授されてきたし、そもそも「世界で一番長く続いた物証のはっきりあるおうち」の方のなさったことが各種記録されているわけで、そこからさまざまな物事を学ぶというのは必須の「前提」だったと思います。

なんというか、骨太な教養、というものを取り戻していかなきゃなあ、と感じるわけです。

だからまず真っ先に自分がいかにものを知らずに過ごしてきたか、恥ずかしいとか残念だとか、悔やんでいる時間すら作らずに、書物の大海に飛び込んで「楽しいこと」を集めたい、と思います。

ニホンゴという世にも美しいマジカルな言葉をわたしたちは使う幸福に恵まれている。
名づけの神秘というテーマで皆さんにお話しした「藤原氏の専横時代が終わったのは、ある方に小一条院などという名前を贈ったからではないか」とか、歴然とした物証を前にわたしたちは粛然と襟を正すしかないわけで。

そしてもしかしたら「この御代で最後、なのかもしれないな」という悲しみと、「終わるときには何もかもが終わっていく、そしてそこからしか、あたらしい世界は始まらない」という覚悟と、「この状況下で自分はどう生きていきたいのか」「何を光とめざすのか」を考え直すよい機会だと感じます。

『古語拾遺』は本当に面白い。
ヤマトがよく残したなあと思います。
キリスト教が最高がんばっても『ヨブへの答え』だけだったのに(いや、黙示録があるか)ヤマトは平気で「こういうもの」を残している。
良い意味でケンチャナヨだったから、「とりあえず全体」でいけたのかしらと思います。

80越えのじいさんが我が先祖をアッゲアゲにしている部分もあって毎度拭き出してしまいますが、じいさんは奈良朝の人間ですから「昔はのう」と言う言葉には大いに耳を傾けたいです。

秋の夜長にいかがでしょうか。すべて「人間」の記録です。

岩波文庫 『古語拾遺』
古語拾遺 (岩波文庫 黄 35-1)

岩波文庫古語拾遺

岩波文庫では1985年に先に発行されたものがありますが、現在は古書でしか入手できません。
出版社にお金がいく形で経済を回してほしいので、入手可能なほうを紹介しました。
こちらは注釈が実に戦闘的で面白いです。
言い切る言い切る。あと、「なになにとは読めない」と断言する。カッコいい。
学者というのはこういう先人の主張の空隙、間隙を突いて「いや、こうではないですか」で真実に迫っていくわけですね。なんと面白くて恐ろしい仕事だろう。素人でよかったよかったと思います。
「ガチ勢」の仕事ぶりにほれぼれするのと、そのガチ勢すら後代、訂正や反論や批判をばりばりに受けているという、物証のひとつでもあります。
科学者と一緒ですよね、自分の前提を明らかにした上で「もしこれこれが、なになにならば、かくかくである」という仮定の世界。
こういう「権威」に対して「ではなかろうか」という言葉をすべての注釈につけて読むところから、わたしの旅は始まりました。


『「古語拾遺」』を読む』 右文(ゆうぶん)書院 
『古語拾遺』を読む
古語拾遺を読む

このような良書がなんとたったの2,400円(プラス税金)。
驚きのボリュームのうちわけは、原文の妥当かつ平易な書き下し文、膨大な注釈、現時点での厳しい検証を経た異同と相違、本当にエキサイティングな内容です。
「絶対に誰にでもわかるように説明するぞ」という決意がすごい。
「わからないとは言わせねえ」というのりのり感が最高です。
で、執筆陣(監修者を含めて六名いらっしゃいます)は、わからないことはわからない、とちゃんと書いていますので内容的にも信用していいと思います。根拠あっての「こうではないでしょうか」ですものね。
こんなものすごい本が2,400円で手に入るなんて日本は最高ですよ。
出版社に電話で確認しましたら「在庫あります」とのことでした。
今年のクリスマスプレゼントはこれにしようかしら、と異教徒の祭りにちなんで『古語拾遺』関連本をあげるこの適当ぶり。
おすすめです。

最後。

普通のご家庭の皆さんにはちょっとおすすめしにくいですが、あると楽しい読めば嬉しい一冊です。

『尊経閣善本影印集成31 古語拾遺』

古語拾遺 (尊経閣善本影印集成)

尊経閣善本影印集成31 古語拾遺

定価が税別25,000円のところ半額くらいで中古で入手可能ですね。

釋無貳本、熙充本、亮順本とよばれる異なる写本を撮影して印刷したもの。黒と赤の二色刷りで鮮明です。
ただし和紙に墨なので裏写りしてしまっている箇所もそのままで一部もうろうとしたグラデーションがかかっている箇所もありますがそこはそれ数多い立派な先生たちが解読なさっていらっしゃいますからこれは「原本はこういうものなんだ」という確認に使えると思います。

コピー機もない時代にこうやってひとつひとつ手で書き移していたのを思えば、現代のわたしたちは幸せですよね。こうやって必要な史料がすぐ確認できますから。

専門に日本史を教える学科のある大学などの図書館はさぞ、と思います。憧れます。

東京五輪が始まる前に奈良あたりに引っ越して(京都は人間がコワイので)天理大学図書館に通い「そこをなんとか」と写本を読ませてもらいたい、そんなことも思います。

バルセロナに引っ越す!と息巻いていたのは三年前ですか、今も「バルセロナに住みたい」と本気で思い続けていますが、カタルーニャ独立騒動でそれどころではなくなって時あたかもスペインは大変なことになっていますよね。

世界が騒然となっているからこそ、いつも通り、普段通り、そして「いつなにがあってもいいように」準備をしつつ、「わたしの御先祖様である日本人」がいったい何をしてきたか、頭に入れておくことも必要ではないかと思います。

リンクはAmazonのアフィリエイトになっています。ここから購入していただくとありがたいですが、そういうのはちょっと、という方は別に検索しなおすか、ご近所のリアル書店にご注文願います。

古書店専門のサイト「スーパー源氏」もよく使います。
https://www.supergenji.jp/search/index.php


できるだけ新刊で買い、絶版は古書で買うか図書館で。
新刊を買うときは内容の修正を見越して版を確認し最新の版で入手します。そののち図書館などで初版を読んで内容の相違を見ています。

「こういうこと」が楽しい上に仕事につながっていくので、本当にありがたいなあと思います。

日本はすごい。ありがたい。






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漫画『ゴールデンカムイ』にはまっている



真央ちゃん、お相撲観戦をなさったのね。お友達とキャッキャウフフで楽しそう。
お座布団乱れ飛びの洗礼を受けてびっくり笑顔の写真を見ました。けっこうがっつり当たってますね、大丈夫だったのかしら。
わたしも升席で観戦したとき、本気で座布団乱れ舞の洗礼を受けました。自分もブーメランしようと思わないで必死に伏せるほどすごかったですよ。デカいしね、けっこうね。
でも場内の皆さんは「待ってました!」と言わんばかりにただちにブン投げてましたから、やはりなにごとにも慣れというものは必要なのかもしれません。
セミナーなどでいつも例に出す相撲好きな親族はお相撲足す真央という二大好きなものの合体で完全にヘヴン状態だったみたいです。あの「スケ連に一言いう!」と入院中に点滴引きちぎって裸足でタクシー乗り込んだジジィですよ。血の気が多いんだ昔から。


※ここだけ追記、のそのそ書いていたら公式が爆弾落としてきたので、一番好きなキャラは「門倉さん」になりそうです。やだもうジェットコースター!


最近の姐さんはうっかり漫画『ゴールデンカムイ』にドはまりしてしまい、しなくていい考察を深め、やる必要がない展開予測をし、作者の野田サトル氏の超絶技巧に感嘆讃嘆讃仰しきりです。すげえなこの人。

アシリパさんと杉元さんのコンビは言わずもがなで大好きですが、案の定尾形さんが気になってしかたない。こういうぶっ壊れた困った人がふいに見せる可愛らしさがたまりません。ヨイショヨイショってなんだよオイ。逆さに吊るしてライターで足の裏をあぶりたくなります。「やだもうおもしろーい!」と笑いながらワインのコルク抜きで肉を削ぐとか。そしてそののちまんまと脱走された尾形さんから2キロ向こうからヘッドショットでやられるんですね、わかります。いやはやなんというご褒美でしょう(死)。

あとは土方さんですよ!ヤダ素敵!作者がデヴィッド・ボウイを参考にしていると説明なさっていましたが納得のカッコよさ!鶴見さんと違ってただ生きようを示すだけで人を心酔させられる。いちいち長い白髪をなびかせて決め台詞。絶対土方組につく!なにもできないけど!家永さんと家事をします!きゃー!たくわんを細かく切ったお茶漬けです!

鶴見さんといえばもう手のつけようがないアレアレアレレなので誰かどうにかしてくださいってかんじですね。こんなヤバイ人が所属する日本陸軍ってナニ。漫画だけど。つーか実際はもっとヤバイのも現実の日本陸軍にいましたから、鶴見さんが「部下のため」に動くと公言していることだけでもちょっとだけ「救い」になってしまってます。ヒドイのは本気で酷いからなあ。
だけどなんかこう「私利私欲ですよね!?」といまいち信じきれないこのうさんくささ。何があっても姐さんは鶴見サイドには絶対つかない。そもそもスカウトされないけどなwww姐さんみたいな役立たずは白石さんと飴ちゃんなめてキャッキャウフフを、と思ったらこっちは臭っさぁああああ!でどうしましょうwwwww風呂に入ろう!サボンが近所に支店を出したぞ!アルソアでもステンダースでもいいから洗おう!さあ!

で、ここのところの谷垣ニシパにイライラMAXです。もう!DA・ME・YO!この流されやすさ!「秋田に帰れ!」ドスケベマタギ!と思います。
なんならうちの親族で猟銃使いがおるから使ってもらえ!あ、百年前なんでもうアレですか、つーか漫画のキャラクターですしと我にかえったりかえらなかったり。

未読の方にはなんのこっちゃですがわかる方には「らっこ鍋」事件のものすごさとか、「真央ちゃん!らっこ鍋食べようよ!」と気軽に提案して尾形さんに3キロ先からヘッドショットを決められるとか、作者はアイスホッケー漫画を連載していたのに打ち切られてゴゴゴゴゴだったんだとかホッケー漫画に一瞬出てくるフィギュアスケートの場面を見ると「なぜフィギュアを選ばなかったし」と三か月くらい詰め寄りたいとかいろいろありますわね。

野田さんのブログを拝見いたしますと、この方がいかに「文学」の神髄を体得しているかわかりますし地頭の良さというか骨太な知性と教養と経験値が感じられて感動します。外見がキロさんというのも見逃せないポイントです。

『ゴールデンカムイ』を人にすすめるときは「地に足のついたキチガイがいっぱい出てくるよ!」で引かれたところを大急ぎで「作者の地頭の良さと骨太な知性教養と何も信じない姿勢が最善の良識と善意に包まれてフルコースで出てくるよ!」と付け足しています。

「地に足のついたキチガイ」という新ジャンルを開拓した野田先生の問題作。だが本当に問題になるところがないというこのハートフルヒューマンコメディかつバイオレンスサスペンスかつ生きていくって素晴らしいアンド「戦争はよくない!絶対ダメだ!」という謎の決意を励起させる魂が○○する漫画でございました。

このブログではたしか『三月のライオン』が好きだと前に書きましたがその後『シグルイ』だとかも話題に出しつつ、『アストロ球団』を越えてきたな~、といつか書こうと思っていました。

あとね、なんで読むことになったのかと言いますと、これなんです。

似ている

似てね?造形がちょっと似てね?

わたくしめの初恋のお方、NHK人形劇「三国志」に登場なさった忠武侯でございます。諸葛孔明、と皆さんおっしゃっていますがかたくなに「俺らが呼ぶなら忠武侯だるぉおおおおおおお?」とにらみをきかせつつ紹介します。

超カッコよかったんだよ!声は森本レオだけど!

昔、そうですね、高校生のころでした、東京で開催された人形展を見るためにはるばる上京して「こうめいさまああああ」と泣きながら拝んでいたら作者の川本先生がぎくっとなさっていてはっと見たら孔明さまそっくりで!(孔明さま言った)もうね、どうしようかと思いましたよ。
ほんとにそっくりだったんです。

面白い話で、「自分が思い描ける最高の美形を描いて」とお願いすると、どこか本人の面影がある美形になるし「思いつく限りの不細工を描いて」とトライしてもらってもやっぱりどこか本人に似てくるものでして、美も醜も見慣れた自分が基準になる、ということなのかと。

川本先生は孔明さまにも魏の武皇帝こと曹孟徳にも似てました。史実とは別に物語の中で善の最たる人物と悪の最たる人物のどちらも凄みのある美形がどこか似て感じられたのと、先生自身が孔明だったという衝撃に「行ってよかった人形展」としみじみ思ったことでした。

孔明さまも孟徳さんも「武」のついた諡号を持っている。孔明さまには「忠」がつく。孟徳さんにはつかない。「武」だけ。この差ですよね。しかも武「皇帝」ってどうなんだろうとか思いますけど。
生き方も戦術も目標もたぶん全然違うんだけど、二人はやっぱり武人だったんだなあと思いますね。どちらも天下一級の文学作品を残した文人でもある。時とところが違ったら、という思いは二人の没後これほどの時間を経てもいまだに自分の中にある。墓参も致しましたとも。
姐さんはどうも「好きな人の墓参り」はせずにはおれん人のようで思い出してみると墓参できてますね、意外とね。というか生きている人で好きになる人があんまりいないということか。真央とじゅんじゅん(※川口淳一郎先生)がツートップであとはしーんとしてますね。
まあそれはどうでもいいのですがこの人生で最初の「英雄」が孔明さまでありました。忠武侯って言ってない、日和ったかというツッコミをお待ちしつつの述懐ですよ。

ちなみにその人形展では展示即売もなされていてなんと孔明さま人形が一体60万円か80万円で販売されていて、「お金を出せば買えるんだ」ということにも衝撃を受けました。テレビの中の、あの物語の中の夢のような存在が売られている!!!!

しかも「売約済」の赤札がありましたから「誰かの家に届けられる!帰宅したら孔明さまがいる暮らし!」とそこにも衝撃を受けました。
そこでビバ!資本主義!ヒャッハー!俺も稼ぐぜ!カネさえあればなんだって手に入る!経済王に俺はなる!と思えなかったのが惜しまれますwwwwあ、でも「経営」も「経済」も仏教用語で経典からきてますしっていらんことを並べていないで話を進めなきゃ(使命感)。

よく考えたら人形劇三国志の影響で大学は中文科に進み、書誌学をと思うようになったのですからテレビってコワイですね(笑)。
当時はのんきにテレビを眺めていたのだなあ。NHKのせいで姐さんの人生が(笑)。

今はテレビを持っていない。理由はなるべくこの異様なまでの「クソどうでもいい意図的な悪意ある情報過多の濁流」からは身を置きたい、と思うから。「テレビが言ってた」「テレビでやってたから」と口をポカーンと開けて「キム・ヨナ最高!」と思い込まされていた年寄りとか見るにつけ「自衛しなきゃ!」と思いますしね。
今は別なのを「最高最高ああ最高」と持ち上げてますが「おまえらまたキムの二の舞かよ」とウンザリです。自分の目で見て自分のハートがささやくものをちゃんと聞き取っていかないとまた後で「姐さんの言う通りでした」ってガッカリ膝をつくんだよwwwwwバーカバーカwwwwと平常運転ですわ。

ということでわたくしめは尾形さん=川本孔明説を取りたいものであります。ガワだけね!中身は全然違うけど!!!!違っていてほしいけど!
そして尾形さんを見るたび「似た人知ってるぞ~~、元海自の暴れん坊で~~猫っぽ~い気まぐれエンジェル☆な凄腕傭兵の~」と思いながら読んでいます。すいませんすいませんでも似てるよね、草生えまくりですよこんなもん。
もう尾形さんとか百之助さんとかすらも言わずに「にゃお」と呼んでいます。「あ、にゃお可哀想、また殴られてる」とかwwww

偽アイヌの村で「蝶」に手を差し伸べていた「にゃお」は蝶が「魂の象徴」「再生からの復活・自由の象徴」と知ってか知らずかいつになく目がうつろで気の毒で。しかも蝶には手が届いていない。この世では手中にはできなかったからこそ逆に自由に飛翔する別の世界に「にゃお」自身が行くのだろうなと。こういう方はたぶんこの世では決して得られないほど巨大な恩寵が必要です。だいいち本人が救われたいと思っていないから誰もどうにもできません。「にゃお」は不幸だとは思っていないだろう。だからそこから動けない。
しかもやっかいなことに「愛情」とか「神」とか「家族の絆」とかが「世間ではいいものとされていて、実際にいいものとして当たり前に享受・消費・生産している人もいる」ということも理解できてしまっている。
その上で「でも自分には与えられなかったし今更求めるつもりもない」と何もかもをきちんと整理整頓して「それはそれとして」生きていけると思っている。これは実に危ういです。生きるってそういうことばかりではないし、割り切って割り切って割り切れないところからこぼれる何かが「文化」というものではないのだろうか。
興趣、情愛、感慨は、「生まれてくるもの」でありますから片っ端からぶっ殺してまわってもいずれひび割れた心のかけらの残骸からも「愛」は芽吹くのではあるまいか。
手垢のついた愛なぞという大きな問題をはらんだコトバを使わずに言うならば「希望」とか「生きることへの肯定」でも構いませんが。
そのときにゃおはどうなるのか。うーん、全然わかりません(笑)。

にゃおの抱える闇は深い。でも本人は「それはそれとして」とやっているのでいいようなものですがしかし誰もにゃおの話を聞かないのはなぜなんだwwwいつでもめっちゃ正論なのになあ。
カサンドラだな、にゃおの役割。実に実に気の毒です。姐さんは「普通」でよかった(笑)。

漫画のテーマを作者自身が「死に場所を求める話」と定義していて、復員兵が主人公かつ「日本に」滅ぼされることになるアイヌの少女がマリア役、戦うベアトリーチェ役、という話ですから「どこかが壊れている人」ばかりが出てきますよね。

戦争経験者全員が「壊れる」わけではないでしょうが、「心が戦地にあって戻れない」人の言動、なんというかよくテーマに据えたな、平成のこの時代に、と思います。驚愕です。
作者のひいおじいさまが実際に日本軍で出征なさって「金鵄勲章」を授与されている。主人公の名前はそこからとっている、としてもですよ、すごいです、すごい。
どこまでこの重さと暗さと闇を自分の中でもちこたえて、そして「芸」としてわれわれの目前に提示してくれるのか、目が離せない漫画です。
しかし実に人に薦めにくいwwwww
「地に足がついたキチガイのオンパレードですごいんだ!」で「そうか読もう」と一体誰が思うのかww
ちなみに来月11巻が発売なんで追いつくなら今ですぞおのおのがた!
一冊で平均十回は「ぎゃーーーーーー!!!!」と叫べますんでぜひ。

おう、あわてて付け足しますがグロ漫画ではないです。なんというか当たり前のことを当たり前に描写していてさじ加減は実にうまいので、グロ耐性なしでも大丈夫だと思いますがキチ耐性がない人、特に多感なお子さんなどはと思いますが手塚先生の作品とかうっかり与えている親御さんなどもいるご時世、子供が質問してくることを覚悟の上で手渡すのはいいことなのではないでしょうか。
家中で「○○○先生最高だよね!」と笑顔で語り合えるなんて最高ですよね!(ゲス顔)


そんな夏の日でありますが(どんなだよ)、THE ICE 2017、参戦いたします、その日まで死なないようにがんばりたいと思います!
それだけ書けばいいところをこの無駄な長文wwww

ちなみに家中で谷垣ニシパ嫌い、イヤ!特に今の流されまくりなぐだぐだドスケベマタギなのはイヤ!というのが自分ひとりだけなので「おまえらはヌルい世界に生きているからな!あいつのヤバさがわからねえんだ!」と言いながらふてくされています。

いいもん、わたしには土方さんがいるから!きいいいいい!!!!!
土方さん!野沢菜漬けもイケるからぜひどうぞ!(漫画相手に)

あと杉元!(いきなりの呼び捨て)イナゴはなぁ、ウマイんだぞ!!姐さんがコドモだった時代はなぁ、ビニール袋片手に学校帰りに田んぼでイナゴを集めてきてなあ、カーチャンに砂糖醤油でカラリと煎り付けてもらって食ったんだよ!足はチクチクするからひと手間かけてもいでおけばじゃりじゃりしねーし!でも普段は食うけどな!むしろ足の先っちょのカリッとしたところと根元のジューシーなところの対比の妙を楽しむものなんだよ!三十分もあれば大き目のビニールいっぱいに取れて「大量だああ」と小躍りできる、それが日常だったんだよ!

昆虫食についてあれこれ言うのはザザムシを食ってからにしろ!(唐突な郷土愛)

イナゴだってヒンナだ!(ビシイイイイイィ)←レタラさんばりに


※ここ三十年ほど姐さんはイナゴを食っていません。←おい





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浅田真央報道写真集


冷泉家時の絵巻

五節供の楽しみ―七草・雛祭・端午・七夕・重陽


幕末の天皇 (講談社学術文庫)

江戸時代の天皇 (天皇の歴史)


冷泉家歌ごよみ―京の八百歳
京都 旧家に学ぶ、知恵としきたり: 冷泉家 武者小路千家 杉本家
カミナリさまはなぜヘソをねらうのか
古寺巡礼京都 28 泉涌寺
日本の幽霊 (中公文庫 M 8)
道教と日本文化 (1982年)

道教と古代の天皇制―日本古代史・新考

神と仏の古代史

『常陸国風土記』と説話の研究
道教と古代の天皇制―日本古代史・新考

真説 ニッポンの正体―封印された日本史ー世の中のからくりと地球規模で悪事 (ミリオンムック 別冊『怖い噂』)

無為自然の思想―老荘と道教・仏教


日本における中国伝統文化





現代神道研究集成 (1)




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本の紹介、日本の現代史「まで」の歴史について



記事が長いのでまとめると、明治までの二百年をまとめたもの、同じく明治までの各年代ごとに当時日本人が何をもっとも尊いとしていたのかを分析したもの、そして明治の大変革について金銭面から実に的確なツッコみを入れたもの、三冊の本の紹介です。

良書がことごとく絶版でなかなか悲しいものがありますが、図書館で借りたり古書を入手したりと手立ては幾つかありますよね。

先日、ずっと欲しかった本についてふと思いついて出版社に電話をしたら在庫が一冊だけあります、ということで直接求めさせていただきました。嬉しかったなあ。箱に汚れがあったとか取次から引き合いがあっても何年も断っていた本だったとか。実際に手にしてみると天の部分にちょいとしみがあるていど。そもそも箱もカバーも帯も捨て去る主義なのでまったく気になりませんでした。が、この本については記念に箱ごととっておこうと思います。
気が付いたら代金引換なのに送料と代引き手数料も出版社が負担の手配で、そのうえ午後に電話したら翌日早朝には届けられるという親切さ。ありがたいです。大事に読み込もうと思います。

該当の本は惜しむらくは絶版でAmazonでは定価の二倍~三倍の値がついておりまして、元が高価なのでどうしようかな~でも他では入手できないしなあと注文をためらっておりました。
モノを増やさないように努力している折柄、でも手元に置きたい、と願いつつ、ふと思い出すのはあるイスラム学者が一切本を手元に残さない主義で、それは万が一の戦禍を想定してのことで、日本の学者が感心したら書物に頼ってどうする、と一喝されたということです。「本の千冊や二千冊、頭にいれられないでどうするのだ」と。その学者は政変のため日本に来日というか亡命的にいらして生活をされていたそうですが、複雑な儀礼儀典書の内容も完璧に暗唱再現ができ、何世紀にもわたる後半な地域の政治宗教芸術文化を立板に水のごとく再現できた。
と、どなたのことだったかな~と感動したわりにはすっかりお名前を忘れているわけですが、でもどの本に書いてあるかは覚えているのであとで確認してみます(今やれよwwww)。

本はなあ。無限に欲しくなりますもんね。

うーん。姐さんも読了時には全暗記、が理想ではありますがダメですね、最近は全然頭に入りません。もっと若い頃に勉強しておくのだったと取り返しのつかない後悔をしております。とくに漢文と古文書。日本史をやるなら読めて当たり前~なさまざまな史料が全然読みこなせない。書き下し文と照らし合わせてひいひい言いながら「眺めて」います。

が、わからないのは教える側がわかっていないから。というのもひとつあるな、としみじみ思うのですよ。

だってね、われわれの暮らしにもっとも密接で重要なお金のこと、政治のこと、安全のこと、信仰のこと、みんなで社会生活を円滑にこなしていくために知っておくべきさまざまなことって、ちゃんとわかっている人からうかがうと本当にわかりやすいじゃないですか。

それが特殊であればあるほど、その分野で超一流の学者というのはとんでもない普遍性を持つにいたるものですし。
たとえば。

甲骨、金文なら白川先生。

宇宙なら川口先生。

スケートなら浅田真央。

偉人のレベルですごいひとってとっても平易に難しい内容を説明できる。相手のレベルに応じて話すことができる。真央ちゃんについても「フィギュアスケートっていいな」のひとことだけで万感胸に迫るほど「わかる」伝え方をしていますよね。

伊藤みどり神も教えるのは天才的に「うまい」ですよね。相手のレベルを瞬時に見抜いて確実に伝わる表現で指導をなさる。姐さんがしゅーぞー大明神の指導方法にイマイチ疑問を隠せないのはみどり様の無駄のない指導を知ってしまうとしゅーぞー大明神の「パフォーマンス」がどうも大げさに思えてしまうせいですね。まあ実際に習ったら違うのだろうと思いますが。

で、最近、日本史をちゃんと勉強しなおそうと思ってあれこれ手にしてみた結果、わかるように書ける、読んでいて不愉快にならない文章をものすことができる、というのも学者の素養として大事だなあと思うのでした。
学者の論文でいきなりムカつくって経験、他のジャンルではなかったです(笑)。
なんだろう、何臭いと言えばいいのか、うわー、このセンセイ、普段もさぞかし、と思ってびくついていると、案の定他の学者にこてんぱんに突っ込まれていたりして、学者どうしの持論のせめぎあいって素敵すぎる~☆とどんなホラー映画よりも怖い怖いと安全な場所から眺めております。が、あんまり安全でもなくて、原典、一次資料にあたるブツにあたることができない姐さんのような一般人はあくまでも「これが原典そのままです」という既出文献を信じてそこから出発していくしかない。もちろんうのみにはできないからできるだけ複数の本にあたってまず間違いないだろうというところで折り合いをつけて進んでいく。そのときの「この著者は信じられるか」という鼻の利かせ方についても、だんだんに体感として備わってくるようです。

昔の先生たちは本当に「全人格的に」歴史とは何か、人間とは何かについて思索し続けて、そしてたくさんのお弟子さんたちにまるごとの全人格的な薫陶を与え続けていたのだなあ、といわゆるなんとか学派の功罪をも含めて思いを致すわけでした。

ゴーマンかましてよかですくわぁあああああの「自分を極度に美化して表現する某漫画家」の本を百冊読むよりもジャンセン先生の本の一ページを見るほうが「確実に歴史がわかる」気がしますね。比較すべき対象ではないのですが、わたしは「歴史家」というのが今後、世界の動向を「良い方に」導くために、もっともっと動いてくれるんじゃないか、動いてほしいと期待している部分も大きいので、長期的視野でモノを考え、人に伝わるアウトプットができる人、の存在を渇望しております。

で、身近に知らないので過去を遡って典籍の上で偉大な先人について知り、「わー歴史っておもしれー」と遊ばせていただいているわけです。
暗記のための年表とか受験のための詰め込みとかのかたわらに、「本当は何があったのか」「その人はなぜそうしたのか」という「心」の問題をも含めた、今回紹介するような良書があれば、歴史はもっとずっと広がりとふくらみと「リアルな実感」とを持って人の記憶にきちんと残るだとう、という気がします。

戦国武将に人気があるのも、彼らに実に人間臭い逸話が豊富にあるからですよね。そういう何気ないその人らしさの積み重ねが歴史になっていく、という事実。

そしてわたしは後世、ここで紹介するような「心」を記録にとどめ、「思い」を掬んでくれる学者が出るのか、懸念しています。

ちょっと古いものばかりなのですが読んでいてとても納得できたり目が開かれたり参考になった本を紹介します。

古書が高騰している、とか書いたわりにちゃっかりAmazonリンクですんで、買わずに近隣の図書館で中身をチェック、というのもありでしょう。でも手が出るうちに求めておくのもいいことだと思います。

まず今の日本がかくなったるゆえんはなぜなのか、を二百年に絞った「概要」について。
大好きなM.ジャンセン先生の本。



「われわれが学校で学んだことって一体なんだったんだろう」と一読、愕然としますわね。平易で明快。主義主張を織り込まず、きわめてニュートラルな立場を取った外国人の目で語られる日本の歴史。

著者のM.ジャンセンさんはとてつもない秀才でアメリカの日本学者の権威です。たいへんに優しく面倒見が良い素敵な人柄の先生で、学部の生徒ではない学生たちも先生、先生と彼を慕って集まったとか。著者近影は完全に宇宙人ですけども。ええ。今まで見た中でもっとも「宇宙人だ」と思う外観の持ち主です。偉恩ある大先生を宇宙人呼ばわりせずにはいられないのが姐さんですが、いや内容は素晴らしいです。「そういうことだったのか」と何度も頷きました。

中立的な立場でものを考え、ありのままを見ていながら、その視線が途方もなく「優しい」のが特徴的だと思います。水のようにさらさらと綺麗な文章で、それがあたたかな温度を保っているような、著者の見ている「日本史」について、今だからこそ考え直していきたいし、誇るべき点は伸ばしていきたい、伸ばしていくべきだ、と思うのです。

で、明治に至るまでの日本における歴史が動く要点をまとめたものがこちらです。
人は何を重んじて来たのかを年代ごとに整理している。そしてそれが実に痛切な告発にもなっている。

中村直勝大師匠。ここは著作集より第七巻。



あの林屋辰三郎先生の師匠筋、と申し上げると「わーーー!」となる方もいらっしゃるかもしれないですが、中村直勝先生のこの著作集をなぜ版元は絶ったのだ。今こそ復刻再販をと強く望むものであります。なんとなれば中村先生の全人格を投入した中村哲学ごしの「日本史」というのはものすごく面白いのです。なんというか滋味にあふれる生きた歴史をそのまま提示してもらえる。筆が滑ったのでコーヒーを飲もう、と執筆時の率直な感慨もすべて織り込まれた一般向けの内容でも、一切の容赦ない学者の目から書かれた論文でも、本当に惜しみなくすべてを伝え、世界を少しでも良くしていこうと尽力されているのがわかります。

身近に接したらとんでもないうるさ方だったのかもしれないですが、いやもう生前にお会いしたかった人のおひとりです。

すべての巻をぜひと言いたいところですが、七巻を最初におすすめするのは、日本史を動かしたものを先生なりにピックアップして「なぜこうなのか」を詳述している前半部分が非常に示唆するところ大だったのです。

姐さんは日本史で何を一番やりたいか、と訊かれたら迷うことなく「継体天皇」と答えますが、南北朝近辺もじっくりやりたい。中村先生はまさに南朝や荘園制度のスペシャリスト。しかして神社に長男として生まれた先生が神職を目指すことなく歴史学を志した理由というのがふるっていて、「武将やら兵やらいっぱいいるけど、その時代時代にどうやって食べていたのだろう」というところだったというのがきゃー先生わかりますーーーという共感ポイント。

原典にあたりまくってきた大先生ならではの豊富な知識見解から一知半解な若手の意見をバッサリ両断するのも痛快なら、逆賊、天魔と罵倒非難中傷され続けた英雄の行動原理を鮮やかに提示して覆してみせるのもお手の物、そしてどこまでも自省を忘れず自分が何を言っているのか、を常に把握しているアダルトな筆致の洒脱さと真摯さ。

この世で一番カッコいい職業は歴史家かもしれない!と蒙を大いに啓かれました。

じゃあ明治に入ってからの世相はどうだったのよ、ということで出ました山路愛山!
好きですね~。



明治の元勲たちの行動原理を分解し、はたから見ての推察ではありますがなるほどと膝を打ちたくなるような明快な謎解きをしてみせる。また、商い全般についての指南から国策までを縦横に論じ、一気呵成に読ませる力はすごいです。
山路愛三はその経歴や宗教信心などもぶっとんでいますが、とにかく多作で猛烈に執筆をし続け、それのどれもがある水準に達していて何よりも「すごく面白い読み物」になっているのが実に立派だと思います。
布教活動の一環として信州に移住し、信濃毎日新聞主幹として売り上げを大幅にあげ、各地の新聞社が山路のような主幹をこぞって東京から招き、丁々発止活躍させるなと逸話にも事欠きません。

山路愛山は独特の視点から人物史を多数ものし、とくに足利尊氏伝などは本人に読ませたいほどの内容で痛快至極です。
今回紹介した本も、姐さんは随所で爆笑しながら読みました。根拠を明示して堂々の論陣を張りつつ自他を笑いのめすことができる余裕のある口が悪いオッサン、というかんじです。大好き(笑)。

トップが馬鹿だとずいぶんと馬鹿ばかり集めた団体になるよね~なんて箇所は「うわー。橋本性子に読ませたいいいいい」とのたうちまわって笑いました☆



明治までの日本で「実際に何が起きていたのか」を知りながら「現代」に生きるわたしたちが、「日本」を確実につないでいく。

その一助として必ずや参考になるべきものと確信する、平易で明快で希望に満ちた、この三冊をおすすめします。




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本の紹介 白川静 『呪の思想』



トークイベントのほうでせっせと「日本とは何か」を語っていくためにさまざまなジャンルからテーマを選びあれこれとお伝えしていますが、いよいよ「陰陽」の話ができるまでになりました。

陰陽五行、とセットで語られることが多いですが、陰陽という世界解釈を実生活に敷衍していくのが五行だと思います。
さらに五行の構成要素が十干十二支、というか十干十二支をまとめて五行で解釈していく、どちらがどうと切り離せない、東洋が誇るべきすばらしい「世界の見方」だと思います。

陰陽は「循環」を基本理念にしています。変化することが前提なんです。移り行くもの、変わりゆくもの、立現れて消え去っていく、その流れ全体が「大自然」。そしてその自然の変化を人間が見て理解しやすいように可視化したのが易ですね。

易はすごいです。現状を正確に理解することで過去と未来が同時に理解可能になる。把握できる。流れ移り過ぎ行く中で生命のある一点を起点にして全世界を解釈できる。
知れば知るほど面白い。

そして最初から陰と陽という構成要素がわかちがたく結ばれている。構成要素の中に常に互いを含んでいる。けだし真実であろうと感じます。

白川静という偉大な碩学の対談がエキサイティングかつスリリング、とても面白かったので紹介します。

白川静+梅原猛 『呪の思想』 平凡社



「じゅのしそう」という題名です。

これを読んでから『孔子伝』を読むといい。



『呪の思想』には何葉かの画像資料がありますが白川先生の自筆による「文字」がとんでもなく美しい。一覧表になっている見開きページなど、そのまま拡大して額装して飾りたいくらい美しいです。そして誤字がないwすごいなあと思います。

白川先生の博学、碩学ぶりは有名ですがこの対談の中でも縦横無尽に「呪」という概念をめぐって徹底した実証主義の立場から言葉を尽くされています。そして知れば知るほどもっともっとと思ってしまう。

先生がお若いころのエピソード、後輩の育成、研究の方法、中国の歴史上の人物で誰が一番お好きかなど、興味深い逸話と共にわたしたちが日々使っている「文字」について解き明かし、あらゆる文字は神への祈りからはじまっていると喝破した「根拠」を明示してくれます。

サイという、神への祈りをおさめた器、を起点にして人が神に思いを伝えること、全人格をかけて神に問うこと、そして神とどのように交渉してきたのか、という人類史にもっとも鋭くもっとも深く、おそらくはもっとも「正しく」切り込んだ視点から、白川先生は語りかけてくださいます。

本当に稀有な天才だったと思います。

学園紛争のころにあえて孔子の人生を世に問うたのは「本に書いておけば誰かが読んでくれると思った」という重く切ないひとことの「意味」が『呪の思想』には書かれている。

先年物故なさり既に「神」の世界に移られた白川先生実在時の「異形ぶり」をも、畏れながらも楽しませていただきました。

「先生は詩人ですね」といわれて「三人だ」と答える先生が可愛すぎるw
詩人=四人というダジャレです。

「呪」という文字には本来ネガティブな意味はない。なぜなら、というところからぜひご覧いただきたい本です。





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本の紹介 海音寺潮五郎の「悪人列伝」シリーズ



今回紹介するのは不買企業のポプラ社、小学館、講談社ではなく
文春の本です。よかったよかった(笑)。

作家の海音寺潮五郎は司馬遼太郎デビュー時に激賞して推薦したことでも有名ですが、たぶん「天と地と」の作者ですと申し上げると「ああ!」と心当たりがあるやもしれず。

先日、ラブライブ!とコラボした神田明神さんに対して姐さんぷんすかでしたけど、ぶっちゃけ神社なんてどこもいい加減といえばいい加減ですわよね。
伊勢神宮にしたところで一般人の参拝がOKになったのは「皇室が貧乏になったから」ですし、そもそも天皇は伊勢、という「お墓」には行かないのがならわしだった。「皇室の先祖」すなわち氏神を祀る場所にどうして赤の他人の一般人がどしどし行けるのかっつーのもおかしな話で「それでいいことにする!」と言い切った側の勝ちですね。そもそもひとつの部族の祖霊を信仰の頂点に据えることができるはずがないわけで、だから臣籍降下した源を源流とするすべての家が、「自分たちの氏神」を新たにつくり、崇敬を寄せている。八幡と春日の関係性とか非常に面白いですよね。
でも伊勢というのは、ことに内宮は本当にすごいです。場所がすごい。
わたしはときどき各地の神社仏閣に参るのですが、すぐに「突き当たる」ところがある。なんというか見切れてしまう。だけど伊勢の内宮だけは突き当たる場所がどこにもなかった。どこまでもどこまでも進んでいって、ものすごいところに直結していた。あそこを越える場所にはまだであったことがありません。
出不精なので知らないだけだと思いますけど。
だから噂のスペインの某聖地なんぞに住み着いて「ヨーロッパは獲ったど~!」と意気揚々とした暁には「大変よ!伊勢さんばりに超すごい場所があったわよ!」とキーボードをカタカタいわせることでしょう(笑)。わかりませんが。

で、カミとホトケの関係性も、明治までは全国の神社で普通に仏に対して祝詞をあげるってなことも行われていましたし神仏はイコールである、と「”異国の神”である仏」という手垢のついていない信仰体系を軸にして天皇を僭称しつつあった蘇我氏の権勢をじょじょに封じつつ「国家」を当時最先端である中国とも対等にわたりあえる組織にしていくために制定された法律以後(一文が長い)、区別はそんなにされてなかった。
聖徳太子以後の日本人は「神」と「仏」に代表される信仰の対象について実にシビアなご都合主義というか非常に「臨機応変」に「いいとこどり」を続けてきた。
御利益さえあればなんでもよろし☆が日本人の基本スタイルでした。

そして政治と宗教、時の政権と時代の趨勢とはどうしたって切っても切れない仲にある。
為政者側は必ず力で抑えようとする。カネを集中させられるよう仕組みを作る。

だから「神」や「仏」に代表される神的存在の「取扱い」の歴史を見ると「その時代」の人間はいったいいかなる存在だったかがよくわかる。
何を喜びとし何を怖れどんな願いを持っていたのか。
とても鮮明に「人のありよう」が見えてくる。

だから歴史は面白い。

神田神社さんでは明治天皇がいらっしゃるからというので朝敵であり逆賊である将門公を分祀して追い出しました。そしてNHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」で将門公が大人気、大ブームになり江戸っ子の皆さんが「俺らっちの将門公を祀ってくれ」という運動を起こし、結果、元通りウェルカム、おいでませ~ということになった、と。
そんなものです。
※ごめんなさい、最初ドラマ名を「天と地と」としていました。間違いです。

それに「はやりもの」には験(げん)があるという風潮からすると、時流に迎合、いや時代を鋭く読んでですね(笑)、ときどきの「はやりもの」とうまく組んで生き延びていくのは「長く残れば残るほど”正しかった”ことが証明される」理論からすれば大正解。
都心のあの一等地を維持しながらいかに「人間の間でもてはやされるか」という人間さんサイドの都合ばかりではないわけです。

だけど、品位ってものがありましょう。

選びに選んでこれですか、というあのガッカリ感。まあ前代未聞の「超絶手抜きゆるキャラ候補」を見た時点で「お察しください」なわけでして、姐さんは神田明神の運営サイドにまだ何か希望を託していたのだなあと自分の甘さにガッカリした次第です。

って別にあそこをディスっているわけではないですよ。ただ「こういうことがあった、そしてそれはもう取り返しがつきません」ということを胸に刻んで生きていこうと(笑)。

いやはやです。

といって姐さんが「浅田観音」とかをブチ立てたら命の限りグッズは売るわおみくじは桃色だわなぜかスケート関連の御守りが異様に多いわお札にハートがあるわ御神楽が「鐘」やら「仮面舞踏会」やら「カプリース」やらで大変ですよ(笑)。

しかも観音様が美麗ケリガンスパイラルポジション(Rさんに敬意を表してw)の某スケート選手そっくりだったりしてな。

ご本人様および所属事務所からクレームがついたら「(C)Mao ASADA・IMG」とテプラを貼って(テプラでいいのか)ごまかすか、いやいやそんな、敗訴待ったなしなことはいたしません!
「これはっ!この仏像はああああっ!今を去ることウン百年、当家の先祖が夢で”ちょいとあの山裾を掘ってごらん”とお告げを受けて!浅○選手にそっくりなのは、おお!これぞ仏縁!みほとけのみあらわされたる奇跡に相違ござるまい!ありがたや~ありがたや~」で切り抜ける。
大切なのは勢いです!って通るわけねえだろうwwww

と、ウキウキとどうでもいいこ・・・やりませんよ!やりませんよ!やりませんけど一度はこういうことを考える人間なのですよ!
許してたもれ~よよよよよのよ☆(詫びる態度ではない)

と、またしても前置きが長くなりましたがここで海音寺潮五郎先生が登場あそばされるわけです。

今回紹介するのは小説ではありません。史実を非常に忠実に書かれた「史伝」です。
「史伝」というのは「小説ではない」のですが、無味乾燥な年代、年号と人命の羅列に終始しているかというとそうではない。
海音寺先生の手にかかると名作ドラマを見ているような、とびきり出来の良いミステリーを味わっているような、あるいはジェットコースタームービーを見ているような血沸き肉躍る「人間の生き方」が手に取るように伝わってくる。

先生、とこのわたくしめが素直にお慕い申し上げてしまうほど、圧倒的な知識量と冷徹な推理能力と、そして「やむにやまれず押し流されていく、人の弱さと悲しさ」に向けるまなざしの確かさにただただ感服するのみです。

ひとつの事件が起きたときに、なぜそうなるに至ったかとその結果がどうなったかを、後代の人ですから当然知ってはいるわけです。史実を理解しまくっている。ではだからといって誰でもがはるか上空から俯瞰する「神の目」を持つことができるかというとそうではない。決してそうはいかないのが作家としての技量以前の「魂のスケール」とでも言うほかない「その人自身」が露呈される。

海音寺先生はでかいです。大きい。すごい。

皆さんに提案です。
この夏、暑い日中、さまざまにお疲れだとは思いますがお風呂をすませ、食事も終わり、ほっとひと息ついたところでぜひ「ご家族で」ご覧になっていただきたいんですね。

このシリーズは短編集です。個人名をあげてその人にまつわる史実と先生の見立てで話が進む。

一気に数百年とんだり、現代の世相(昭和前半くらいの執筆時期です)への痛烈な提言あり、海外との比較や未来への希望など、縦横無尽に先生の「知識」と「熱気」の間を往還しつつ、「本当は何があったのか」をぐいぐいと書いていく。

日本史、世界史に苦しんでいる受験生などがいるご家庭、現代日本の世相に不安を感じているお母さんがいるおうち、職場の人間関係で辛い思いをさせられている不当な仕打ちを耐えているお父さんなど、さまざまな立場の人に一緒に読んでもらいたい。

なぜかというと「事件」というのは単独で起こるものではないのだということ、つまりは人の命の流れの中で、その大河の中のひとつひとつの泡である「個人の暮らし」「個人の想い」からすべてが創起され、その結果が未来にも、過去にも波及していくのだということが本当によくわかる。

歴史に名を成すほどの人物すらも、姐さんの独断と偏見から例としてあげるのなら戦国武将など
・カネに汚い(姐さんの独断と偏見です!)
・女または男あるいはその両方が大好きすぎる(姐さんの独断と偏見です!)
・頑固すぎ(姐さんの独断と偏見です!)
のいずれかもしくはこれら全部の資質を兼ね備え、丁々発止とやっている(姐さんの独断と偏見です!)。

・・・のだな、と思えたりする。

今の世と実は何も変わらない、けれどもものすごく「違う」のだと、人類全体までも見通す「目」で日本という国の史実を伝えてくれている。

そしてここが一番重要なんですが、海音寺先生は「自分は史実を伝えるから、これを元に小説を書いてほしい」と提言されているのですよ。
小説は一歩踏み込んで「その作者が神になっていい世界」です。あるいは「神である作者をも越えて広がる新たな世界」を唯一創造できる場所。人間だけに通じる四次元空間です。
「文字を読む」ことにより各個人に備わった「小説的世界を感知して脳内マッピングするソフト」が起動され、そのソフトウェアの特性により千差万別の読後感、感想が立現れる。奇跡の空間だと思います。

人間の機能で最後まで残るのが「聴覚」だそうですが、人間が発する音は、言葉という「意味のある音どうし」を組み合わせることで無限の世界を創造できる、世界最強のパワーを秘めていると思う。

言葉によって人は世界を構築する。言葉によってどのように解釈するかで「その人の世界」が変化していく。

人間は「物語」を求めて生きるものです。自分の人生を解釈する心にかなう物語を失ったとき、狂気をはじめとする病疾が立現れる。どのように悲惨であっても解釈可能な「理由づけ」すなわち「物語」を得ているとき人はその状況下にあることが別に不幸だとは思わない。

ひとりの個人を知ることは「日本と日本人」を知ることです。

高校生のお姉ちゃんに代表して朗読してもらうのもよし、お父さんが小学生を膝に乗せて「この漢字どういう意味~?」と尋ねられて四苦八苦しながら用語を解説するのもよし、何しろとびきり面白いので興味を引くこと間違いなしです。

そしてできれば海音寺先生が無数に散りばめた「事実」の山から、別の資料に関連させて「全体」がどうなっているかを探求する道に踏み入っていただきたいと思います。

わたしは、このような史書を読む、史伝に親しむということも霊的国防につながっていると思います。

文春から出たシリーズ四冊と、各章の見出しを上げておきますね。
絶対読みたくなると思う(笑)。


海音寺潮五郎 『悪人列伝 古代編』

蘇我入鹿
弓削道鏡
藤原薬子
伴大納言
平将門
藤原純友





海音寺潮五郎 『悪人列伝 中世編』

藤原兼家
梶原景時
北条政子
北条高時
高師直
足利義満





海音寺潮五郎 『悪人列伝 近世編』

日野富子
松永久秀
陶晴賢
宇多田多直家
松平忠直
徳川綱吉





海音寺潮五郎 『悪人列伝 近代編』

大槻伝蔵
天一坊
田沼意次
鳥居耀蔵
高橋お伝
井上薫




えっ悪人扱い?という人もいますし「日本人全員一致で悪人扱い」だったはずがこの本で印象がまったく刷新されたりとか、「歴史的評価は多面的に」ということをとても強く思います。

皇室に興味があるなら蘇我氏ってナニよ?がわかる古代編はマストアイテムでしょうし、腐女子の人は近世編の陶晴賢を見逃してはならない(笑)。すげえなこの愛欲の渦!みんな落ち着けよ!

近代編ではへえーへえーへえーー!!の嵐でしたし、とにかくどれも全文暗記したい!と思うほど面白かったです。

女系天皇を擁立しようとする連中は、古来

(1) 実は自分が即位したい野望を持つ
(2) 帰化人、ガイジン勢力と必ず組む
(3) 「国」のことなんざどうでもよくてカネとカネとカネが欲しい

のだな、ということもよくわかりますね。

抜書きで紹介もしたかったのですが、初見の方ほど「嘘でしょ!マジで!」とわくわくできると思うのであえてしません。

姐さんもこの夏何度でも読み返したいシリーズです。

そして海音寺先生の本にはあまりハズレがありません。
ぜひこれを機会に「本物の文化人、超一流の作家」「日本が誇る偉大な碩学・泰斗」が書いた小説も手にとっていただきたいと思います。




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本の紹介 『お稲荷様って、神様?仏様?』



なんちゅうタイトルじゃーーーと思いますけど、それはふざけるなって意味ではなくて、
この本の持つすんごい深さと面白さをあんまりよく表現できてないんじゃないかと感じるからです。

実に良い。すばらしい。

特に東京都民の皆さんはぜひ一冊お手元に、と思います。

お江戸の精神構造というか「都民はなにをもってして”信仰”の対象にしてきたのか」が非常に鮮やかに端的に描写されています。

さまざまな人名や書名が出てくるので興味を持った箇所はおのおのでさらに調べていくと大変楽しい精神的なガイドマップになっています。

おいおい、こんなに面白いネタをそんなそっけない一文で片付けちゃっていいのかYO!と心配になるくらい。
これ、腕のいいライターさんが面白おかしくセンセーショナルに「××の謎!!」とかあおったらけっこうな売れ行きになるだろう。

でも、著者のお二人はなんと「学校の先生」だった方。それも「小学校の校長先生」と「教頭先生」のコンビです。

淡々と事実を提示し、明快この上ないのです。ここがすごい。こうだから、こうなんだ。とそれだけの筆致が痛快です。爽やかです。

さらには「全部、実際に行っている」のがまたすごい。

このお二人が本気を出したら「日本人の精神史」全八十巻、別巻二(索引・補遺)を岩波書店から出せるでしょう。
出してくれたら絶対買う。来世までローンが残るとしても買う。
臺灣からもきっと買い付けが来るぞ。有志をつのって百セットなんつう大型受注もあるだろう。「漢字」を理解できなくなっている大陸とは違うからな、臺灣のほんまもんの知識人。
そしてアジア全域を見まわしたときに「保全されている過去の叡智」が一番多いのは日本だろう。
日記魔、メモ魔が各地にいて、生きていた「自分の現実」をぜんぶ文献資料に残している。
そして「実践者」が必ずいる。
千年前の「わたしたち」が大切にしていた人・モノ・コトがそのまま現実に息づいている。ここがすごい。

血が絶えない、地域が残る、というのは大変なことなのです。

あらためて「やっぱすげえわ、お江戸の皆さん」と感心しましたよ。

これだけの内容をこんな端的に、しかも誤植なしで出されている。ここもすごい。

高田純次の『秘密主義』なんてこーーんなにでっかい字でこーーーんなに薄い本なのに誤植があったからな!
姐さんがなんで高田純次の本を手にしていたのかは言わないけど、こーーーんなにおっきな文字なのにこーーーんな目立つ誤植があったからな、株式会社学研パブリッシングさんよぉ~~~。
ドヤ顔で恥ずかしい内容をそれも思いっきり狙って「ね、ぼくちん、恥ずかしいでしょー☆」と出してくるなら「形式」に間違いがあったら恥の上塗りだろうよおおお。ああもう!ああもう!

と、自分のブログでは誤字脱字やり放題なのに、書籍の誤植をいち早くみつけてはイライラするヤな癖のある姐さんは無関係な本のことまで思い出して「いくら適当を標ぼうしている芸能人の本とはいえ、出版社側はテキトーじゃいかんだろう、プロなんだから」と思うのでした。

それはさておき、皆さん!
浅草寺さんでは「いかなる宗派のどのような立場の人からの依頼でも」引き受けて、定額金をお納めすれば「供養」を引き受けてくれまして、それゆえに「マッカーサー氏の位牌」とか「美空ひばりさんの位牌」なんぞも安置され、死後の冥福を祈られているとか、あんまり知られていないでしょう?でもやっている。おお!そんなことが!
つか、あそこの五重塔に近づくと怪奇現象が起きるんだけど、お位牌がそんな数あったんじゃ「何もない」のは嘘だよなww
んでもって別の宗教の信者の人が本人に無断で浅草寺で位牌を安置されて力強く供養を受け続けているという場合、これはいったいどういう事態になるのかと、問題提起もしています。
たとえば靖国で死者を祀る、ということの「意味」をも日本人全体で考えていくべきなんじゃありませんかい、と。

そんな提言もありながら、「お不動さまって?」や「お地蔵さまって?」にも明快この上ない解説と実地検分がなされているこの本は、本当におすすめです。

一番美しいと思えたのは「すべての祈りに、敬意を」という優しく穏やかな「思い」で満たされている著者お二人の心でした。

前に紹介した『神道とは何か』という本。



この本は「神道とは何か」を歴史的立場からほとんど「ばっさりと」と言いたくなるくらい明快に「・・・と思われてきたのだった」と解説を加えています。実は日本人の信仰史が「ご都合主義」と「権威権勢への迎合」と「塗炭の苦しみ」との攻防だったと「わかってしまう」。
でも、これらを越えて「尊いもの」は実在する。・・・そこに「いる」。

ならば「それ」とは一体何かを、あらゆる「解説」と「説明」と「合理化」と「分析・解剖・系統だて」をはるかにはるかに超越し、厳然と「そこに在る尊いもの」とは「なんなのか」をこそ、自分は知りたいと願います。

神は「ある」。

仏は「いる」。

それが今回得ることができたこの人間としての実在を賭けて言い切れる、自分が知り得た真実です。
と、力む必要なんかないくらい「当たり前」にカミともホトケとも共存してきた。
時の権力者によって、時勢の趨勢によって、どのように規制され、強制され、捻じ曲げられても、消されても、「信仰」と「祈り」は絶えなかった。不滅だった。
なぜならそれらはわたしたちの心身にあらかじめセットされている「サバイバル・ツール」のひとつだから。

否定できないですよ。それあるがゆえに「生かされている」のだというのは。自分にとっては単なる事実のひとつです。

では「それ」とどのようにわたしたち人間は、日本人は、都民というのはつきあってきたのだろう?

それを知ることで「ああ、やはりな」であったり「えー、うっそーん」であったりもする、愉快な冒険のひとときを著者と追体験できる。

読んでいる間中、楽しかったです。



今度、「お稲荷さん」について話をします。
(スケジュールなどはO-ENNブログをご覧ください。)

「お稲荷さんはなぜコワイのか」という刺激的なタイトルですが、実際に姐さんが検分した「マジの祟り物件」について「祟りの構造」を説明し、「そうなるにはなるだけの理由がある」というところから、「お稲荷さんってナニ?」というところまでもっていきたい。会場は三時間とってありますが、まあ毎回時間が足りないですよ、とwww

日本で一番多い「神社」として、二位の八幡様とあわせると全国の神社の実に八割を占めているお稲荷さん。

豪快にさまざまな存在と一緒に祀られているこの関東近県に非常に多い謎多き存在について少しでも理解を深め、「もしも好きになれそうなら」ご近所の神社にちょいと足を運んでみようかな、などと思ってくださる方が増えるといいなと願っています。それが必ずしもお稲荷さんでなくてもいい。

むしろ神様にも好かれ、自分も愛せる、Win-Winな関係になれる場所をみつけてもらうよすがになればいいなと思います。

好評だったら「八幡様とは何か」とか「お伊勢さんのヒミツ」とかもやってみたいですね~。
カミ=ホトケ=自分、という「輪」が実際に息づいているのを感じることは、本当に本当に愉快で幸せで楽しいことだと思うからです。

あと、結論としては「日本人の信仰はダジャレとおやぢギャグでできている!」というのが姐さんの持論です。

ホントだよwwww



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二つの映画評論本 町山さんと橋本さん



フィギュアスケートというひとつのジャンルに的を絞ってそれについてだけ書くのもひとつの美学というか方針だとは思います。でもまあココは管理人が好きなときに好きなことを書く、という実に安易なしばりのもとで好きに運営していますので、スケートがらみではない記事があったときには適当に読み飛ばしていただければと思います。

今回は二冊の本の紹介です。
正確には二冊の紹介したい本と、それに付随したもう一冊なので三冊ですが、結果的に数百冊の紹介になるという、ねw

わたしは現代日本における最高峰の知性の持ち主として、川口淳一郎先生と共に、橋本治氏をあげたいと思います。橋本氏が孤独に続けていらっしゃる執筆活動とその内容の評価をきちんとできる評論家の出現を待ちに待っておりますが、なかなか「総論・橋本治」ってな物件は現れてきませんねえ。まだ存命の作家さんだから、というだけではなく、仕事の量と質が多岐にわたりすぎているのかもしれません。

このゆるぎないツートップ、ここに映画評論家の町山智浩氏を最近入れたくなりました。
理由はアンジェリーナ・ジョリーの監督映画作品「アンブロークン」について彼がレギュラーラジオで話していることを聞いたからです。
町山氏は御尊父が在日韓国人で御母堂が日本人というカップルのもと生をうけ、日本で育ち、奥様の大学院進学に同行して渡米、現在もアメリカ在住の職業は「映画評論家」でいらっしゃいます。
著書の中でADHDであることやお母様から虐待を受けていたことなど、また、渡米後の生活についても普通に書いていらっしゃる。そしてラジオでは該博な知識と経験と「素直な目線」から見た「現実」について忌憚ない意見を常に口にされている。

町山氏のラジオを聞いていちばん驚いたのはその意見に「偏りがない」と思われたことでした。
言う側が「これは独断と偏見です」と主張するとき、たいていの場合は
(1)無根拠なまま自説を開陳していることへの罪悪感から発せられるエクスキューズ「いや間違ってたかもしれないけど偏見だから」
(2)反論を封じたいがゆえの言論封殺「だから独断だって言ったでしょ」
のどちらかだと思います。
昔はここに
(3)自説を声高らかに開陳することへの、まともな社会人・教養人・文化人としての矜持から発せられる羞恥心が背後にある韜晦
ってなものもありましたが、(3)の場合は確実な裏付けと深い思索を伴った難攻不落なド正論であることが多かった。「文学」なり何なりの「芸術」というモノへの敬意が根底にありました。今はそのように与謝野晶子が文学者としてのプライドのすべてをこめてうたいあげたような「黄金の針ひとつ」を打ち込む覇気のある者はどこにいるのでしょうか。

不勉強にしてものをよく知りませんので(ほら怠惰への言い訳だ)、姐さんは川口先生と橋本氏を「とんでもなくすごい人」として人類の頂点に、というか日本人の頂点に位置させています。

町山氏のアンブロークン評のうち、ラジオで擁護のおつもりで出したサザンオールスターズは大変まずかったと思います。あのステージを見て平和を訴えている、と「だけ」取る日本人は少数派だろうと思うからです。
ただ平和を訴えればいいではないか。なぜ天皇陛下を馬鹿にする必要がそこにあるのか。
姐さんは映画アンブロークンを見ていません。その原作も読んでいない。
だからこの映画に対する町山評が正しいのか正しくないのか、判断できる立場にありません。
でも、これまでの町山氏のさまざまな場面での主張と著書から総合してみると耳を傾けるべきだと思いました。

『9条どうでしょう』という本があります。
カネを落としたくないので立ち読みしました。買いたい人は買ってください。姐さんは買いません。
でも、この本の中の無茶な方々の中でただひとり、町山氏の文章だけは「まともだ」と思いました。
すごい、とむしろ感動したくらいです。これについてはうなずける。そしてこういう意見を言う人を含めている、というそれただ1点においてのみ、この本を評価します。
町山氏の文章だけだったら何冊も買いました。これはお金を出してでも聞くべき意見だと思ったからです。
桑田氏の行動を批判しておきながら、彼と同じに「町山さんの意見がいいと思うなら他の人をけなさずに町山さんだけをほめておけばいいのに」と言われることを書きますが、他の人の文章は読めませんでした。なぜか頭痛がひどくなってしまって。トシかしら。論ずるに足らず、とカッコよく一刀両断しているわけではありません。あまりにも「読みたくない」文章でした。目が拒否した。だからこの本の他の部分は判断保留です。今後永遠に読むことはないと思いますが、「俺はこんなにすごいんだ、俺の言うことだけが正しいんだ」というセカンドメッセージをだだもれにしたままで、著者の皆さんはよく平気で生きていけるなあ、とただちに思いました。先天的に無理です。相互理解不能です。
読んでないからここの部分は暴論ですね。


で、出版点数がすごく多いのと、町山氏の対談本はたいてい相手にあわせてレベルを落としている気がして(偏見です。これは偏見www)あえて読まずにいたさまざまなこれまで未読だった町山氏の本を読んでみました。

今回は橋本治氏と対比させる意味で非常に対照的な、けれども構造的にはそっくりだと思った本を紹介します。

町山智浩 『トラウマ映画館』 


橋本治 『虹のオルゴヲル』


『虹のオルゴヲル』を絶版にした講談社は滅びるがよい、と腹の底から思いますけど、どうしてこういう、とんでもなく素晴らしい良書が世間で大騒ぎにならないんだろう。実に残念至極です。

橋本氏は作家ですからプロの映画評論家ではない、と思われるかもしれない。それがどうしてどうして、超一流の「評論」になっているんですね。

おふたりには共通項があるんです。どちらもマイノリティーに自分を規定している。
町山氏は出自によって、そして橋本氏は性的嗜好において、だと姐さんは踏んでいますが実はそうではないかもしれません。わかりません。

でも、少なくとも橋本氏の著書のほぼ全部を読了し(歌舞伎関係の本が入手できず未読もあります)、町山氏のそれも現在ただいまコレクション中の姐さんからすると、ふたりの映画評を対照させるのは自分の中では非常にエキサイティングであり、また、チャレンジングなことなんです。同じだけど全然違う。

混ぜるな危険物件かもしれない。まだ自分でもよくわからないのですが、二人を同じ箱に入れるべきか考えている。
だから自分の考えを整理する意味でも記事にしておこうと思いました。
後で「最初に主張したのはアタイだからね」と言い張る根拠にしようとか、そういうことではありませんw

ふたりは「孤独」についてよく知っている。そして「ものをつくる側」にいます。

橋本氏は身を削って布を織るおつうさんのよう。だいぶデカい鶴ですけど、ものすごくよく見える目を持ってしまったがゆえに、身近で愚かで純朴で、それゆえに悪にも善にも染まってしまう「日本人」に日々、遺言を残している。「夕鶴」のおつうさんは気の毒です。未明から起き出して家事全般に野良仕事、繕い仕事に旦那の相手、夜は機織り。そりゃ、鶴の化身でなくたって身を粉にして無私の思いで働きまくったあげく、約束をあっさり破られたらどっか行きたくなりますよ(笑)。
橋本氏は無限の忍耐力を持ち、そのために今、非常な難病と闘っている。
エイズの仕組みについて不気味なほど正確な描写をされているのを見たときに、無事ならいいが、と姐さんは本気で心配になりました。バブル絶頂期にあえて最高度に高騰したマンションを買って借金まみれに「なって」みたり、常人なら発狂待ったなしの仕事量を黙々とこなして自らの心臓を差出し続けるようなことをずーーーーーーーーっとずーーーーーーーっと続けてこられた。
体を壊さないはずがない。本当になんでこんな辛い道をと思います。
こなした仕事のどれひとつをとっても一生それで食っていけるような質なのに、そして一生ただ一作にしがみついてドヤ顔でいたってかまわないのにあえて挑戦し続けるんですね。
「誰もやらないからしょうがない」とぼやきつつ。

町山氏は透明な針を持っていて鬼がいると刺しに行く。意気投合した鬼にはその針で花束を作り、きらきらと輝く繊細で美しい「友情」として差し出している。
その針は千変万化、自在に形を変えるので、余人にはときどき見えなくなったり、まさかりに見えてしまうんですね。自由度が異常に高いがゆえに鏡のようになってしまう。
でも、透明です。曇りがない。

恨みや憎しみや悲しみや、あるいは好みや独断や偏見に、これほど左右されずにものごとを見ることができるとは一体どういうことなんだろう。
町山氏は結局後になってみると、些末なミスや勘違いはあったとしても正しかったことが明らかになる。
橋本氏に至っては正論しか書いていない。どのような仮面をかぶせてみても、それはまるで末期の目で見たかのような透明度を保っている。

そんな感じです。

だんだん小さくなる同心円の中心にひとりの人間をおいたとき、いや、こう書いたほうがわかりやすいでしょう。自分を中心に興味関心のあるものからあまりそうでもないものへと色付けをしたときに、100%の塗りつぶしから薄い薄いほとんど無職のかすれまで、グラデーションができますよね。
その、色の配色がふたりは似ている。

二冊の本を何度も何度も読み返してみて、ふたりの出発点はたぶん一緒だ、と姐さんは思いました。

そして、ふたりが「映画」をどのように見ているのか、映画を通して「人間」をどのように見ているのか、汚辱と苦痛と裏切りを越えて「それでも」人を信じて生き抜こうとしているのかを、皆さんにも知ってもらいたいなあと思いました。

真央の演技がすごい!真央ちゃんが大好き!と明るく楽しく言い合えることは幸せです。その喜びの中に「町山さんってさあ~」と言い合いたいのかもしれません。

二冊の本も似ています。

どちらも「大切な女性」に捧げられている。
どちらも「少年時代」の思い出が主要モチーフになっている。
どちらも「映画」によって人生を教えられている。
どちらも切ないまでの「愛」に満ちている。

主演女優をクローズアップし、映画の中で生きられた「その人生」を現実に引き写し、さまざまな思いをこめてラブレターのように女優を愛し、愛するがゆえに「強く生きよう」「より良く生きよう」とエールを送り、さらに自らも鼓舞され続けてきた橋本氏の評論は「愛」にあふれ、熱く、あたたかく、美しい。
もし姐さんが女優だったら橋本氏に評論を書いてもらえるほどのいい女優になりたいと熱望するでしょう。
橋本氏が見てくれる、と思うのなら、わたしを愛してください、とスクリーンごしに幾多の観衆に向かって堂々と主張できるかもしれません。橋本氏のような見巧者がいるのなら、これがわたしの真実です、と嘘でありフェイクであり幻である「映画」の中で、ひととき、「それ」をリアルなものとして生ききることができるでしょう。

映画史の中での位置づけを常に念頭におき、おいこれはこれのパクリじゃん、などときっちり傍証を引きながら、人間が他の人間に向かって放つ残酷性にどうしようもなく魅了され、同時にそこからの救済を真摯に求めるまるで宗教者のような希求性を隠そうともしない町山氏。随所にはさみこまれる「あのころ自分は」がおかしくて何回も吹き出しました。そして「少年時代」をこれほどありのままに自分の中に保全して、それに一切のレッテルをはらず、あったることとして受け止めている町山氏の大きさというものも感じました。
町山氏は毒舌じゃないですよ。率直なだけなんだなと思います。
事実は事実としてそのまま受け止めている。そこに歪みが少しでもあったら、鼻持ちならない腐臭を放つはず。その気配は「まだ」現じていない……と思います。そしてこれからも。

「少年の目」は貴い。それが必ず「大人の行動」で傷つけられ、損なわれることが確約されているがゆえに、傷つき、損なわれながらも保ち続けることの希少性と貴重性が際立ちます。

少年の持つ処女性、とでも言えばいいのか、いやずいぶんズダボロなヴァージンですけども(笑)、このような目(知性)と手(表現手段)を持つおふたりが現在ただいま現役でこれからもなお、「仕事」を続けてくれるだろうことを姐さんはこの日本のために喜びます。とても嬉しいと思います。
そしてふたりの著書と仕事のうち、少しでも興味を持って手に取る人が増えるといいなと思います。


それにしても町山さん、漢字の筆順、かなりオリジナルですよね(笑)。読めりゃいい、とお思いかもしれないですが読めないときもありますよ!漢字の筆順こそは先人の叡智の結晶、どうしたらもっとも美しく見えるのかそして省エネで綴れるのか極め尽くされた結果ですから、正しいと「される」筆順で書くことをおすすめします。たくさん文字を書かれる人ほど、総量で絶対得ですから。
と、宮崎映画評でホワイトボードを埋め尽くした町山字を見てちょっとだけ思いました。でもいいんです、「伝わる」から。
じゃあ書くな、というのはなしでw
姐さんもまた「わたしはこう思う」と言いたい人間なんですよね。ほんとすみませんwww


いやーー、それにしてもこれだけ「働きまくる」ってすごいですよね。すごい。量だけじゃなくて質が。
自分もなにくそ、と奮起したいところですが、はて、何について?と、怠惰を極めているときなど、これはいかん!とお二人の著書を手に取って頭に叩き込む毎日です。そしてへーーーーとかほーーーーとかうなったり嘘でしょ!と叫びつつ派生する疑問を自分なりに考え調べ、そして行動に移していく毎日です。
ほんと、勉強させていただいてます。由良君美先生の次くらいにwあの偏屈ジジイ(超絶褒めてますよ!)を見習うためにはこちらの学識が無に近くて困ります。みみずく先生~と遠くから憧れるw


そうだ、おふたりともカワイイところも一緒ですね。実に実にキュートです。

しかし困ったことに、姐さんは可愛い!と思える人を見ると猛烈にひっぱたきたくなるんだよなあ。逆さに縛ってくすぐりまくりたくなるんだよなあ。そして泣くまで笑わせておいてなに泣いてるんだ!こんなに楽しいはずなのに!ってただちにくすぐり増量なんだよなあ。頭おかしい。だからGorillazのマードックになんとも言えない微妙な思いを抱えているのかしら。好きかもしれないけどやだーマードックやだー。だいたい緑色の肌ってアンタ一体どうしたのよwwwむしろ幼いアンタが父親に何をされてたのよ!と心配だわよwww親父の写真を飾る40オーバーのベーシストってコワイ。つーかちゃんと住居兼スタジオがあるのに自動車で寝起きしてしかも全室の盗撮監視カメラ装備って怖すぎるwww
って最後Gorillazの話が出てしまいましたが、もう我慢できないからこれについても後で書くことにしたwww

ここで言うことじゃないですけど、おふたりのことは遠くから憧れさせていただきます。
まあ講演会には行くけどな!観客のひとりとしてwww
いつかちゃんとした橋本治論を書いてみたい。わたしが書いた三島由紀夫論も読んでもらいたい。
それまでどうか存命でいていただきたい……橋本治さん。

町山さんはそのままでいてください。
あの「切れ芸」とでもいうべき現状への警告はこの先ますます日本人には必要でしょう。
その澄明さをいつまでも。

まあ橋本治氏はフィギュアスケートをご覧になる方ですからね。少なくともトリノ五輪前後には女子シングルスの日本人選手について実にすばらしい文章をものされてました。姐さんはそれで橋本氏の心の一端とこの人がどのように物事を見るかの「知性の枠組み」を垣間見たと思っています。

ということで唐突ですみませんが、書いてみました。



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荒谷卓(あらや・たかし)氏『戦う者たちへ』



皆さんに本の紹介をしたいと思います。

荒谷卓(あらや・たかし) 『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』
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姐さんがこの方を知ったのはチャンネル桜さんの番組です。話をなさっている動画を見て悲鳴を上げました。荒谷さん、いろいろはみでちゃってます。見るからに常人ではない佇まい、態度、物腰、目つきと言葉。もうね、なんと言いますか「ヤバイ」としか言いようがない印象でした。
怖いんです。これはただ者じゃないな、と極度に怖がりながらおっしゃることをただただ固唾をのんで拝聴しておりました。

そして速攻で検索をしてご著書を知り、入手しました。
一読、ただただため息です。
これからのわたしたちが何を思いどう動いていったらいいのか全部書いてあったから。
そして行間にこめられた思いの深さと強さに心を強く打たれました。

何よりもこの方は「神」を語れる人。だからお話を聞いてみたい。ずっとそう思っていました。
ただわたしがあまりの怖さにブルってしまってですね(笑)、夏ごろに問い合わせをしましたら電話対応をしてくださった方に「明日からヨーロッパ」と言われたのですよ。「指導のために旅行に出る」と。秋口にまた連絡をくださいねと言われていたのにびびったままもう冬になってしまいました。
でも、現在講演依頼中でございます。お手紙を出しました。落手なさったころに電話で面会依頼をさしあげたいと思っています。

荒谷さん、荒谷氏、荒谷神、なんとお呼びしたらいいかわかりませんが、この方は陸上自衛隊の「特殊作戦群初代群長」として自衛隊初の特殊部隊を創設、平成十六年のイラク派遣におもむく特殊部隊員を育て、現地の言葉で彼らが「幸福」と呼ばれるような心の交流を成し遂げるに至った「指導者」でもあります。

「サムライ」向けの本ですから、文章は格調高く、意気軒昂です。けれども冷静な現状分析の結果は沈鬱かつ痛切なムードにならざるを得ない今の日本です。縦横に歴史を論じ、提言を行い、鋭く、ときには闊達に、ときには獅子吼しながら持論を説く著者の、すぐれて透明で気高い姿はそれだけで感動を呼ばずにはおりません。

この人は「神」について語れる人だ。何よりもそこに姐さんはもっとも感動をおぼえました。

ニンゲンだけが対象でニンゲンだけに通じるルールでは、もう世界は立ち行かない。わたしたちは自然環境をも含めたもっと大きな枠組みで「人間」という命の一種を受け止め、把握し、行動していくべき大きな転換期にあるのだと思います。

だからこそ、ニンゲンとして極限まで自らを鍛え上げ、自他をよく知り、人の心の揺らぎも迷いも苦しみも知悉した上で「現状はこうである。だからこそ未来はこうあるべきではないか」と提唱する著者の言葉に異様なほどの説得力が加わります。

ここまではやる。ここまではやった。人間として限界まで努力した。確実に。そして「その先」にある世界を、この方は「知っている」「見ている」はずだ。と思うのです。

1行にこめられた重さです。非常によく学びを続けていらっしゃる。行間に、言葉の背後にこめられた無数の「命の現実」の壮絶さです。

ぜひお手元に置いていただき、1行1行を検証しながら、著者が論拠とするさまざまな事実を追認しながら、何度も繰り返して読んでいただきたい名著です。

わたしが購入したときは本に帯がついていました。こんな文字と写真が入っていましたよ。


荒谷卓(あらや・たかし)
昭和34年(1959)秋田県生まれ。大舘鳳鳴高校、東京理科大学を卒業後、昭和57年陸上自衛隊に入隊。福岡19普通科連隊、調査学校、第一空挺団、弘前39普連勤務後、ドイツ連邦軍指揮大学留学(平成7~9年)。陸幕防衛部、防衛局防衛政策課戦略研究室勤務を経て、米国特殊作戦学校留学(平成14~15年)。帰国後、編成準備隊長を経て特殊作戦群初代群長となる。平成20年退官。1等陸佐。平成21年、明治神宮武道場「至誠館」館長に就任し、現在に至る。鹿島の太刀、合気道六段。

帯



本の中にも著者の「稽古風景」の写真が何葉もあります。先生が強すぎてどうにもならないwww笑うところではありませんが、失礼ながらヒネられているお弟子さん?との彼我の実力差は圧倒的すぎるようにお見受けしました。思わずへなへなと膝から崩れ落ちそうです。つ、強い!あと怖い!

著者と正対したときに「ごめんなさいいいいいいヌルい生き方しかしてこなくてごめんなさいいいいいいただちに!ただちに死にますから!!!」と叫んで土下座せずにいられるか姐さんはこれっぱかしも自信がない。むしろ遠くから怖い怖いと言いながらご著書を百万回読んでいるべきだろうと思うのですが、しかし!

皆さんは陸上自衛隊の中の人、一等陸佐だった人のお話を聞きたい!!!とは思いませんか?

姐さんを映像だけで心底震え上がらせた荒谷氏が、どのような思いを抱え、どのような「日本」を目指しているのか、そしてこの方のような「圧倒的な強さ」と「気高さ」をどうすればわたしたちは身に備えるに至るのか、荒谷氏のその「心」を知りたい、とは思いませんか。
姐さんは知りたい、と思ったんですよ。でも怖いwwwwwこの怖さはなんなんだ。
キーボードを打ちながら口の中がカラッカラです。やっぱ怖いものは怖いですwwww

でも、皆さんの前で、親愛なる真央ファンの皆さんの前でお心をぜひお話いただけませんか、とお願いしてみるつもりです。こういう方の話は聞いておいたほうがいい。そのほうが絶対にいい。日本のためになるからです。
見りゃわかりますよ!この怖さ!わたしひとりが怖いのはイヤだwww皆さんで一緒に震え上がりたいんです。そして「行動」を変えていっていただきたいwwwww


そして皆さんに秋の夜長に、はもう過ぎちゃいましたかね、この年末年始のお休みにでもけっこうです、どうかこの本をぜひ!ご覧になってみていただきたいと思います。

生きるコツだらけです。わたしは「あー。ああああ!あああああ!」と膝を打ちまくりながら納得と了解と領解の嵐を巻き起こしながら拝読しました。「正解はここにある!」と読みながら興奮のあまり立ち上がったりしましたよwwwwすごいなあ荒谷さん。と馬鹿みたいな素朴な感想しか出てこないです。すごい。

この本を読んでまだ「迷う」人がいたらちょっと問題。ただちに海水を使ったみそぎを行うべきwwww
マリアナ海溝の上で「さあ素潜りして底の砂を一握りとってこい」と言い放たれるレベルwwwww
いやほんとです。

しかしヌルいぜ!ヌルすぎるんだぜ自分!「天誅!」と一喝し脳天唐竹割にしていただけたらむしろ名誉なことで、おそらく姐さんごとき木端侍は犬猫レベルで愛想よくされてしまいそうですよ。こういう方は一発で相手のすべてのレベルを見抜きますよね。姐さんスッカスカだからwww怖くてもう泣きそうだもんwwwwwでも怖いけどがんばりますwwww

この世に「京都人」より怖いものはまだあったんです!そしてこんな記事を出しておいて講演会を受けていただけるかも~☆と思っている姐さんマジヤバイwwwwwww荒谷さん、真剣なんです!御都合がつきましたらぜひ!と土下座しながら異常な緊張に耐えておりますwwwww

怖い。怖すぎる。でもこの本は必読書!!!!!


荒谷卓(あらや・たかし) 『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』
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本の紹介『護身術護衛術逮捕術』井久保要・著

具体的にどうすればいいのかしら?と思ったときのガイドブックとしてお勧めします。

この、精神が素晴らしい!感動しました。


武芸十八般に通じて初めて武術家であり、これに加え、豊かな精神性を高めて武道家と言えると私は認識しています。ゆえに私は武術家であり、武道家の粋には達しておらず、七十有余歳にして、武道家を目指しているところです。


著者近影がドクター中松そっくりなのはおいといて、先生すごいです。どの写真も表情は穏やかそのもの。ドクター中ま・・・いえ、なんでもありません。日本人で飛びぬけて強い方って小柄な印象が姐さんにはあるのですが、井久保さんもそんなに大きな方ではありません。でも解説の分解写真で見る安定感は異常なほど。強いと思う。

そしてさまざまな技の解説も見事ですが、井久保さんのお言葉が何よりすごい。このような思いを備えた心からの語り掛けには耳を傾けるべきです。

姐さん、今年のお中元にはこちらもお使い物にしようかなあ。お値段も1,100円+税。それで井久保さんの心と技術を垣間見ることができ、このような精神の一端に触れられるのなら超お買い得だと思います。すごいや。


なお、大変飛躍するようですが、護身と護国は、密接な関係にあります。一度弱みを見せたら、直ちに危険が降り掛かるのです。現在の領土問題が、まさに良い例でしょう。今後、中国漁船が大挙して押し掛けて来ると考えられますが、日本外交の正念場である事は間違いありません。中国は、尖閣諸島の接続水域から、最近は堂々と日本の領海を、幾度も数時間にわたって侵犯しています。このような中国の威嚇に屈してはなりません。まさに日本の正念場といえるのです。


・・・陸上自衛隊にいらした方でした。

ぜんぜん好戦的じゃありません。「身を守る」ために「本当に」どうしたらいいか、本質をズバリと書いていらっしゃいます。
「心が大事」と繰り返し語り掛ける井久保さんのやさしさと強さに心を打たれました。

「秩序を守る」ことから敷衍して、さまざまな傷害事件、いじめによる自殺、領土問題など、テキストとして見れば文字数は少ないですが端的です。傷害事件のご遺族に見せたかった、井久保さんの、真摯で思いやりあふれる対応策の提言をもしトラブルが起きる前にご家族みんなでご存知だったら、と涙が出ました。

本当に強い人って、本当に優しいですよね。伊藤さんに続き、本気で日本のために全力を尽くされている強い方を知ることができ、姐さんはとても嬉しいです。いつかお会いしてみたいです。

できれば小学校や中学校で、時間をもうけていただいて小さいころからこういう体術を学んだり、会社などでも厚生の一環として皆さんで勉強なさるといいのにな、と思いました。
姐さんが学習塾の先生だったり習い事を教えていたら、夜道に注意よ~と言葉だけですませずに、こういう本をお母さんに紹介します。自分が学んでちびっこたちに護身のポイントを伝えるかも。


襲われた時、まず大事なのは、相手をやっつける事よりも、”逃げる事のできる技”を習得することです。


先生ごめんなさいwwwwおっしゃる通りです。そして伊藤さんの言葉と理論をお借りするなら「ターゲットにならないこと」、すなわち「襲われる対象から外れること」ですよね。
でも実際に襲われちゃったら?無事に逃げ切り、できれば相手を無力化してはい警察へ!と。

そしてお互いに守りあうことの大切さも語られています。この本では、自転車を使う、長机を使う、みんなで大勢の服を丸めて使うなど、暴漢に対して集団で阻止をする方法もあげられています。この視点と提言もすごく大事だと思います。

ほんとに、コツってあるんですよね。知るか知らないか、そして「身を守る」心があるかでトラブル対処って随分と展開が違ってくると思います。

よろしければ、ぜひ。具体的にどうするか、そしてそれは何ゆえなのか、非常に学ぶべきところが多い良書です。
おすすめします。

『護身術護衛術逮捕術』 井久保要/著  文芸社/刊 税別定価 1,100円

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新潮文庫『バイオリニストは目が赤い』鶴賀裕子

新潮文庫で出ている『バイオリニストは目が赤い』という本の紹介です。
著者の鶴賀裕子氏は「あの」NHK交響楽団にながらく勤務されていたヴァイオリニスト(現在は退職なさっています)。

この本がまあ、めちゃくちゃに面白くって姐さんはずっと愛読しています。
鶴賀氏は頂点の人の一群でなかなかお話をうかがう機会なんてないものだから、楽屋落ち、裏話、ぶっちゃけトークがすっごく興味深かった。練習方法や「譜読み」の箇所なんてへえ~へえ~と膝を打ちっぱなしですね。

その中でちょっと長くなるんだけど、ガイジンとの付き合い方について書かれたところを引用します。

新潮社さん、長い引用でごめんなさい。あたしはこの本の前身であるハードカバーの『バイオリニストは肩が凝る』(アルク出版刊)も購入しましたし、今の新潮文庫に入ってからも何冊か買ってまわりに配って宣伝しています。この記事を見て「どれどれ読もう」と思う方が出てくるかもしれません。ご容赦ください。

罫線で囲まれた文章のCopyrightは「鶴賀裕子氏ならびに新潮社」さんにあります。

オーケストラからみるガイジン学

……世界中が、自国の利益とかけひきに知恵をしぼる中で、日本はなんと「自分たちの望むこと」を表現できないのだろう。学校で「プレゼンテーション」の訓練を受けずに育つからかもしれないが、私の考えでは、ガイジンのルールを知らないからだ、と思う。

三十年近く、ガイジン(指揮者)をつぶさに観察していると、彼らの法則が見えてくる。彼らがあいさつの次にすることは、パワー全開の自己主張だ。まず、自分を知ってもらうこと。たとえ反撃があっても、ひるむどころか、ますます元気になる。ケンカもコミュニケーションの一種ととらえているフシがあるのだ。ただし、自分に不利なポイントを突かれると、しらばっくれてサッサと先に行ってしまう。まことに調子いい。

一方、日本人は意見の相違を楽しむことができない。議論イコールけんかで、どんどん声が荒くなり、人の行くことを聞かなくなる。意見なんて、違うに決まっているのに。

第二にガイジンは、そこで相手が静かな場合は「自分を受け入れた」と解釈する。日本人の多くは、相手に拒否反応を持つと静かになるものだが、そうすると彼らは「あ、これでいいのね、それじゃ」と、ますます自分を押しつけてくる。それはもう「ほどほど」「かねあい」なんてカケラもなく、笑ってしまうほどだ。

楽員は休憩時間に、「あー、あきれた」「よく恥ずかしくないね」なんて言うが、恥ずかしくなどない。「自分が法律だ」をつらぬくのは誇りである。そもそも恥ずかしいことの基準が違うのだ。「こっちがイヤな顔をしているのが、目に入らないのかな」――そう、入りません。そんな顔の民族なんだ、と思うだけだ。

言いたいことは「言葉で」言わない限り、たとえ察したとしても、無視されるだろう。

ここまでがベースで力関係が決まり、ここからいよいよ「仕事」が始まるのだから、彼らが見た日本は「ベースのない国」と映り、「どんなふうにでも動かせる、甘い相手」としか思われない。だから、押しまくられる。それが彼らの昔からのルールなのだ。

あとで日本が「こんなに苦しんで犠牲を払ったのだから」と見返りを期待しても、「なんのこと?自分のやりたい道を選んだんでしょ」と言われるだけだ。せめて「見返りとしてコレコレを要求する」と先に言っておかなければ。

オーケストラの一楽員でも、この程度にはガイジンがわかる(三十年がかりですけど)。

政治家は、ガイジン学を学ぶのが早道だ。配線が違う、と思えばいいのだ。そうすれば、彼らを利用することもできるし、逆に学ぶこともできるだろう。






音楽家、というそれはもう激しい自己主張のぶつかりあいの場に身をおいて、しかし鶴賀氏はヴァイオリン集団に位置しますから労多くして功少なし、しかしてヴァイオリンがすべての基本!というプライドはしっかり持って観察なさっていますよね。

ヴァイオリンはファーストとセカンドの集団に分かれていて、オーケストラで最大の大所帯の楽器です。ヴァイオリンの数で全体の構成が決められますし、コンサートマスター/コンサートミストレスは必ずファーストヴァイオリンから選ばれます。

同じN響のオーボエ奏者茂木氏は「自分が指揮をしていて誰も自分を見ていなかったときの恐怖ときたら」と著書に書かれておりますが、楽団員は指揮者があ、こいつはダメだとなるとコンサートマスターを見ながら演奏します。それはもうハッキリとコンマスだけを見ています。コレハコワイ!
百人を超える楽器集団を統率しそのオケのオケたるゆえんを保つコンマスは、だから日本人とガイジンの、あるいは日本人どうし、ガイジンどうしの丁々発止を世界で一番知っている人かもしれません。

そして最後には「いい演奏をする」という最大にして唯一の目標に向かって協力します。
オーケストラの演奏会はひとつの思いが観客と共有される場です。「いい演奏をしたい」「いい演奏を聞きたい」という。


あたしは「全選手に公正な採点を!」が圧殺されるときがフィギュアスケートの終焉だと思います。

この主張のどこに問題がありますか?むしろ競技として「前提」となるべきことですよね?

今更このような主張をされることが、問題なのであって、主張する人が間違っているわけではないとあたしは思います。

過去に、アメリカの選手、元選手を中心にISUに変わる組織を作ろうと立ち上がった団体がありました。しかしISUはその団体に所属した選手はISU公式戦、ならびに五輪出場を禁止する、という弾圧をもってして圧殺し、その団体は立ち消えになりました。

もうずいぶん前のことです。当時から「採点がおかしい」という不満、「勝たせたい選手を勝たせている」という抗議はあったのです。

でも、圧殺されました。当時はインターネットもなく、彼ら・彼女らの主張も遠い海の向こうのお話で、報道もなく、確か『ワールド・フィギュアスケート』さんが1ページくらいの記事にしただけだったはず。
今手元に当時の号がないので記憶に頼って書いていますが、「ISUに対抗して選手たちが立ち上げた団体」のことを報じたマスメディアは日本ではなかったと思います。
(ご記憶の方、ぜひコメントをお寄せください!)

※「リイコ」さんから情報をお寄せいただきました。ありがとうございます!

競技人口がもともと少なく、選手も親も小さい頃からの幼馴染で、お互いの間の風通しはとても悪く、各国のスケート連盟はいつまでたっても同じ顔触れがそろって年々年を取り、失礼ながら老害となり果ててもその人を取り除くこともできず、せず、元選手のうちアイスショーで稼げる人はジャッジなどせず、教え子を集められる優秀なコーチはジャッジなどせず、そうして今の惨状です。

心ある「中の人」は多いはずです。現場でがんばっていらっしゃる方のご苦労は、人には言えない辛さがおありだと思います。
でも、スケートが好きだから、そしてがんばっている子供たちが大切だから、黙って努力されている方がほとんどだと思います。

このブログにもさまざまな立場の皆さんからご意見をお寄せいただいています。非常に切実で悲しいご報告もあれば、否定のための否定しかなさらない方もいます。

それぞれにご事情があり、お立場があるから当然です。

ですが「言葉」で伝えなければ何も伝わらないのです。黙って祈って、我慢して、絶えて、忍んで、結果がバンクーバーです。

あのときも今も問題の構造は変わっていません。しかし「おかしい」と「言う」人の数が増えれば、事態は必ず覆せます。

どうか皆さん、事実を知り、驚き、嘆き、悲しんで、そして考えてみてください。

黙っていて何かいいことがあったのでしょうか。静観して沈黙を保つことで、ジャッジの判断はどんどんフェアになりましたか?競技としての採点の透明性と公正さは日に日に増していきましたか?

あたしにはそうとは思えません。

N響で三十年以上にわたって活躍され、世界を旅して回られた一流の演奏家の鶴賀氏のこの意見は、傾聴するに値すると思います。





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