懸念と恐怖と怒りに満ちた眞子内親王殿下の「伴侶候補」



眞子さまに懸念をもってま○こ様、というのを言われないうちに言っておこうと思いますが、

日本人を選ばないと大変なことになる


というのは小和田雅子氏でじゅうーーーーーーーーーーーぅぅうううぶんに学んだはずだと思っていました。

「日本人ではない人たち」というのは、差別でもなんでもなくて「違う」んですよ。

日本的感性や日本的情緒や日本的和合が「わからない」人たちなんですよ。しかも後天的な学習意欲が本人になかったら永遠に身にはつかないものなんです。

だってね、普通の日本人だったら、どれだけ反日教育を受けていたって、少しは気兼ねして

「朝、起きてくる」

とか

「こんにちは、とあいさつする」

といったことはウッカリやってしまうわけです。

普通の「日本人」であれば天皇陛下に口ごたえしたり、皇后陛下を罵倒したりは、「できない」んですよ。恐れ多くて。

そういう皮膚感覚は日本で育ち、日本的感性を持った親や周囲から養われ内在する要素を育てていくもので、ガイジンが習得するのは本当に難しいんですよ。
なんとなればこの感覚は「大自然を神ととらえることができる、直観的な機能」から発するからです。

御両親をもターゲットにしてトチ狂ったオバハンが大騒動を引き起こすのもしっかりご覧になっていたと思うのですが、やっぱり本物の御姫様はぼーっとしているなあというかんじです。
御本人が素晴らしすぎるから、ものごとを素晴らしくとってしまうのでしょう。

純粋な悪意、純粋な憎悪、「憎いから憎い」という理不尽な暗闇を向けられたことがないのかもしれない。

まあ神の御加護が降り注ぐ方なんで、知っていたらむしろそのほうが驚きですけどね。まわりは何をしているんだという進退問題にもなりかねませんし。

これは眞子さまが苦労していないとかそういう表層的なレベルの言いがかりではないんです。

「本当にそれでよいのですか、われわれを置き去りに」と一度は考えていただきたい、という願いなんです。

人間というのは、自分の経験を超えた範囲の「人間の暗部、恥部」というものを知るために、「芸術」というものがあるわけで。
「芸術」から逆照射される「人間の輝き、高貴さ」を知る上でもこれほど役に立つものはありません。

大自然から受け取る機会が少ない人は、大自然の偉大さをいったん作り手のフィルターを通して夾雑物をとりのぞいた「その人が感得した大自然の素晴らしさ」である「芸術」に触れるのほかはない。
これが人工的な事物の中で暮らしている現代人が、もっとも容易に「生きる力」を取り戻し、みなぎらせることができる手段です。

そして父君、母君ともに「逆差別」の考えにこりかたまっていないだろうかと、そのことを懸念します。

自己顕示欲まるだしのこういう者が「天皇の義理の兄」になるのはよくない、というのはよくない、とか
片親家庭はよくない、というのはよくない、とか
新興宗教の信者はよくない、というのはよくない、とか
出自がたどれないのはよくない、というのはよくない、とか
バックがあやしい出資者がいるっぽいのはよくない、というのはよくない、とか
近親者に自殺者が出ている家はよくない、というのはよくない、とか
自分で自分を養えない、プー太郎みたいなふらふらな男性はよくない、というのはよくない、とか
これだけ反日・排日に必死なマスコミがこぞってアゲアゲなのは絶対おかしい、よくない、というのはよくない、とか

いや、申し訳ないですがフッツーの一般民間人の家だって「よくないのかも?」と考えますよ、これだけ「条件」が重なったら!!!!!!
わたしのまわりで「自分の娘が連れてきた男があれだったらどう思います?」という質問に「絶対に反対」と答えなかった人はいませぇ~ん!と小和田雅子氏のようなことを言いますけども、いやはや

全然大丈夫じゃない

としか思えません。

これだけ悪要素だらけの人間が皇室と縁戚になる。うわー。ヤバイ。

これはね、最初から準備されていた複数の「反日の駒」のうち一番ダメなのに見事にひっかかたのではなかろうか、と言われても仕方がないですね。

純粋培養の御姫様が不良に憧れる、などという単純な図式ではない。

そりゃあ、「秋篠宮家の一の姫」ですから、結婚したら大事にはしてくれるでしょう。一生食いっぱぐれない超優良企業に就職するようなものですから。いや、日本の超優良企業の「権威」とか「格式」とか「財閥の基盤」を保証する日本で最大最高の価値あるものをゲットだぜ!ですから一対一ならどんなにだってチヤホヤ、ドリーミングにしてくれるでしょう。一対一ならね。

でも、眞子様の伴侶というのは父君が即位なさったら「天皇陛下の義理の息子」、悠仁殿下が即位なさったら「天皇陛下の義理の兄」になるわけです。

自分にだけイイ顔をするからってこの人を選ばれたらたまったものではありません。

しかもこれだけ輝かしい、さーやの次に伊勢の祭主に必ずなるであろう方の伴侶が彼で本当にいいのだろうか。

むしろ危険なことなのではないか。


大姫様、あなた様の伴侶は日本の神々が決めるものです。

このままだと「早く気づけよ」と目に見える形で、具体的に災いが続きましょう。

断言しますが、ヤバイです。


繰り返しになりますが、京都の上御霊神社に参拝可能な皆さんはぜひ、「小倉の局(おぐらのつぼね)」と「菅原和子(すがわらのかずこ)」というふたりの女性に向けて「天皇家、七代目の祟りの実現のあらんことを!小倉さん、菅原さん、ガンバー!」と祈っていただきたい。

天皇家七代目の祟りというのは「即位するのは皇嗣の男児を持った皇太子殿下のみ」という繰り返しにより皇統を保持すべく、愛に生き、愛に破れ、愛に死んだ二人の女性ならびに彼女たちの「おかみを御恨み申し上げるのではございませぬ、人の情、人の心、人の祈りを無下になさったおかみの振る舞いを糾弾申し上げているのです、このように不幸な女がこの先二度と出ませんように、そしておかみの皇嗣は決して絶えることなく必ず御一人(おんいちにん)でつながれていくように、御祈り申し上げておりまする」ということなんです。

「即位するのは皇嗣の男児を持った皇太子殿下のみ」

明治天皇がわざわざ補強した、つまりは「すみやかに実現されるように」と「天皇」みずからが保証した「七代目の呪い」が約束する「次」の天皇陛下こそは、秋篠宮殿下以外にない。

だからこそ狙われた眞子様でもあるわけです。

お幸せになれると信じて行動なさっているのでしょう。未来に夢を抱いているのでしょう。「自分さえしっかりしていれば」とお考えなのでしょう。

眞子さま、夫婦ってそんな甘っちょろいものではないですよ。人が人を変えるなんて、できません。本人が志さなければ無理なんです。

不釣り合いな夫婦は苦労するとスカーレット・オハラもトーチャンに言われてましたよ。小説の話です、『風とともに去りぬ』からです。
ミッチェル女史はこれ一作で筆を断ち、馬車の事故で亡くなりました、続編が出版されましたが「こんなハイカラな現代っ娘に急成長できたならそもそも一連のもめごとは起きなかっただろーがー!レット船長は一度Noと断じたのなら絶対に戻ってきやしねえええええ」「でも素敵ーーー!!あと食い物とインテリアとファッションの描写がたまらねえええええ」「結婚式直前で破棄ってそれあれだけプライドの高い英国貴族に一番やったらいけないことだろアメリカ女ーーーーー!!!」とか感想ならびにネタバレを唐突にここでしています、すみません。

まあ「人間」をなにから学ぶかということですよね。

身近に皇后陛下とさーやと紀子様しかいなかったニーチャンが「ワイルドでダイナミックで大陸的!すてき!」と思い込んだ小和田雅子氏は「馬鹿で粗暴でろくでなし」だったじゃないですか。

小和田雅子氏の事例に学ぶということも、「歴史に学ぶ」ということです。オックスフォードで教わりませんでした?姐さんのような下層階級の貧民よりもずんと素晴らしい教育を受けておいでのはずですよね。

ぶっちしねぇ!その結果を!なんのための学問だ!変な虫に堕とされないのも知性や教育のすべき仕事だろうが!!

姐さんの脳内鬼軍曹が怒鳴りまくりですよ姫様ェ……(号泣)



この「結果」は「日本全土と日本人全体」で引き受けるのだということさえお忘れにならないでいただければ、と切に願います。

普通の御立場ではないのですから。







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皇室、神道、信仰など | コメント(6) | トラックバック(0) | 2017/08/18 10:01

犯罪者を世に放つ現東宮サイドの異常性



司法制度をなんだと思っているんだこいつらは。

だっせぇなあ。

「人気取り」のために犯罪者を世に放ってどうするよ。

姐さんが何にあきれて怒っているかと申しますと、今上を御意思に反して引きずり下ろした上に、元東宮が即位の際には「恩赦」を予定しているんだって。
ニュースをご覧になった方は猛烈な危機感をお持ちいただいてとっくり考えていただきたい。

誰にとって都合の良い犯罪者を外に出す?もちろん「元東宮を骨までしゃぶりつくしたい連中」ですよ。すなわちガイジン連中です。

だいたい日本の裁判制度は異常に時間がかかります。だから簡易裁判などでお茶を濁していますけど、犯罪被害者に対するヘンな逆差別は法制定で改めなければいけないし、被害者の人権を一切無視する今の反日マスメディアも一掃しなければならないでしょう。

マスコミ関係者の犯罪を実名報道しないどころか伏せて平気なマスコミの異様さと非・中立性は目に余ります。

テレビなんか何ひとつ信用できないですよ。だってキム・ヨナは浅田真央よりすごいから、すごいんだぞキャンペーン、ずーーーーーーーーーーーーーーっとやってたじゃないですか。それ、「本当でしたか?」

今の反日マスメディアがちやほやするものは軒並み反日勢力ですよ。

恩赦なんかするな。せんでいい。司法制度なめんな。

そんなことより、ただの遊びでふらふらするのに駅を閉鎖、高速道路を閉鎖、公務の放棄などをやめたほうがずっと国民から信頼され敬意を寄せられると思います。

なんだってこういちいちが悪手ばっかりなでしょうか。

このままだとわれわれは小和田雅子氏を神としてあがめなければなりません。耐えられますか、皆さん。


まあここで怒っていても仕方がないので「恩赦なんかヤメロ」と法務省にメールします。




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皇室、神道、信仰など | コメント(7) | トラックバック(0) | 2017/08/14 16:25

8月15日14時から韓国YMCA前及び九段下交差点で反天連迎撃の戦い



桜井誠さんのブログ Dronpaの独り言より
https://ameblo.jp/doronpa01/entry-12301188342.html

「行動する保守運動では明日14時から韓国YMCA前及び九段下交差点で反天連迎撃の戦いを行います」

もちろん行きますとも。明日、というのは8月15日のことです。

わたしは自分を保守派だとも行動派だとも位置付けしたことはありませんが、「自分の御先祖」を馬鹿にされて黙っているわけにはいきません。

天皇陛下が尊い理由は、自分が「神の直系子孫」「太陽の化身」としての自覚を持ち、血筋をつないでこられたこと。自覚を持って「よい天皇であろうとしてきた」ことがもっとも大きいと思います。

よい天皇、の定義の中には、たとえば祭祀、たとえば祈り、たとえば笑顔、たとえば規範、たとえば「象徴」、さまざまなものがぎっしり詰め込まれていて、明治以後、巨大すぎる改革を行い続けた「今の宮中」に過去の歴史のいくばくが、まだ残されているのかはわかりません。
前例にならうといっても「いつの時代のどの天皇」を模範にすべきかも検討すらされていない惨状を呈している。

日本語を知らない、日本史を知らない、外国人が勝手なことを大声で言い、それに唯々諾々としたがってしまう心優しい日本人たち。

そうやって彼らは日本人の善意と純粋を悪用し、日本を滅ぼそうと動き続けている。

陰謀論で済ませられるのならどんなにそっちのほうがよかっただろう。

だからわたしは「おかしいことにはおかしい」と「はっきりとした根拠」を出して日本人に問い続けたい。本当にそれでいいのか、本当に黙って殺されるままでいいのかと。

わたしはまっぴらごめんです。

「神道」ひとつとったって、世界共通の「大自然との調和、共存」を可能にするこんなによい「世界観」は他にないんですよ。

神道には約束がない、経典がない、教祖がない、地獄がない。そして「争いもない」んです。本当は。

祝詞があるじゃん、という向きには「あれは神様への呼びかけと報告とお願いです」と申し上げたい。神というのは「呼びかければ答えるもの」「問いかければ応じるもの」なんですよ。呼んで返事がないならば、それは神ではないのです。
日本の神々は人間からの「声に出して語り掛けられる言葉」をいつも待っている。待っているんです。

天皇陛下が尊いならば、これまで実にただの一度も命を絶やさず、生命のリレーをしてくれた「あなたの両親」も尊いのです。立場はまったく変わらない、とすら言える。だから「あなた」も等しく尊い。

「自覚の有無」が前提なんです。

よい人間であろう、よい社会人であろう、よい××であろう、と、心に決めて動くから、だから結果が尊くなる。


韓国人はわざわざ外国にやってきて、人のうちの御先祖に「嘘に基づいた」いちゃもんをつけて侮辱を続けていますけど、そんなことをする前に自分の御先祖をちゃんと大切にできているのか。

日本をいくらけなしたところで韓国がよくなるわけではない。

しかも靖国には韓国人だって「神」として祀られている。

戦争はよくない、然り、戦争は反対だ、然り、けれども、すでに自分を超える大きなもののために散華した、「神々」を侮辱することは許されない。絶対に。

わたしたち日本人は自分の命と引き換えに「あなた」の未来をつないでくれた偉大なご先祖をもっている。どんなに生きていたかっただろう。どれほどやりたいことがあっただろう。すべてを断念することで、「あなた」に命のリレーを託して、散っていった……。

これを誇らずにいられるだろうか。

わたしは8月12日の反点連デモのカウンターデモにも行きました。ずっと地道にカウンターデモをしてくださっていた皆さんのおかげで堂々と言いたいことを拡声器を使って叫ぶ機会をいただきました。思いっきり日の丸もふってきた。

「嘘」に基づいた私利私欲で外国の幸せで平和な暮らしをブチ壊したい憎悪と怨念と「反日勢力にとって都合のいい人」の集団を目撃しました。
あのデモでアベシネ、テンノウシネと叫んでいたのは「都合のいい人」たちなんです。
大義も信念も未来もない。だって「嘘」なんだから。

明日、わたしたちは靖国に鎮まる神々と一緒に「日本は日本を愛する人のものだ、日本は日本人のものだ」「英霊の死を無駄にしない、命のバトンをつないでいく」と決意表明をするチャンスです。

可哀想な桜井誠、あんなに優しくて、おいしい食べ物が大好きで、楽しいことが嬉しくて、ちょっとした心遣いややさしさにあんなに反応するような「普通の人」が「義を見てせざるは勇なきなり」とあんなに過激に立ち上がらなければならなかったことそのものに、わたしは激甚な怒りを感じます。

姐さんだってそうですよ。わたしは本当に普通の人です。地味で目立たない、美女が大好きなだけのジャバ・ザ・ハットですよ。

でも、黙っていたら敵対者は「わたし」を賛成にカウントする。そんなことは許せない。

ゼロと1は違う。絶対に。

神様と一緒に動けるなんて幸せですよ。韓国人は人ンちのことでおかしな言いがかりをつける前に

北朝鮮をどうにかしろよ、自分の国の問題だろう

と思いますね。

だって彼らの主張は全部「嘘」じゃないですか。事実と異なる根拠をもとに言動を組み立てるのは申し訳ないが妄想ですよ。妄想に金を払えと言われましてもってかんじです。

あー日本人でよかった、と何兆回思ったことか。

日の丸は「太陽」です。どの時代、どこの地域、どんな人種であろうとも「太陽」を尊いとしなかった人たちはありません。星や月を最上位に置いたとしても、同じように太陽の存在は強く明るい光源=神的存在として無視はできない存在だった。
万国共通でありがたい「太陽」をイヤがるなんて、いったいどういうことでしょう。
じめじめと湿った暗く悪臭の漂う石の下かなにかにいて、ひっくり返すとわっと逃げ散る気持ち悪い虫かなにかなのでしょうか。
まともな人間であるならば、お日様の光を浴びて堂々と「事実に基づいた主張」を「根拠を出して」すればいい。

韓国人は虫ですか?人間ならば人間のふるまいをなさったほうがいい。

なーんて言葉ももう一切届かないので、わたしは日本の神々と、粛々と「日本って素晴らしい!」と言い続けていきたいと思います。

参加なさる方がいらしたら、同じ場所で同じ思いで、行動できることを嬉しくありがたく存じます。






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皇室、神道、信仰など | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/14 16:09

眞子内親王殿下



君の心がわかるとたやすく誓える小室に
なぜ眞子はついていくのだろう
そして泣くのだろう




個人的には殴ってでも「目を覚ましてください」と申し上げたい。

ご両親は奇跡の出会いに恵まれました。が眞子内親王殿下にあらせられましては「それは違う」と断じます。

うかつでした、ではすまされません。

今一度、どうか再考願いたいと衷心、祈るばかりです。

神様。こんなことがあっていいのでしょうか。いかがご照覧なさいますか。






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皇室、神道、信仰など | コメント(6) | トラックバック(0) | 2017/07/09 01:05

伊勢神宮祭主に黒田清子さん 最初のご奉仕は10月の神嘗祭を予定




伊勢神宮祭主に黒田清子さん 最初のご奉仕は10月の神嘗祭を予定
2017年06月20日
https://iseshima.keizai.biz/headline/2820/
神宮司庁広報室(伊勢市宇治館町)が6月20日、池田厚子さんに代わって黒田清子さんが神宮祭主に就任したと発表した。

天皇陛下の姉の池田さんは1988(昭和63)年10月28日、神宮祭主に就任し、19日付けで退任した。天皇皇后両陛下の長女・黒田さんは2012年4月26日から2013年10月6日まで、臨時祭主として第62回神宮式年遷宮で池田さんを補佐し祭典を奉仕した。

神宮祭主は天皇陛下に代わって神嘗祭(かんなめさい)などの祭典を奉仕する。明治以降の歴代祭主は、近衛忠房さん、三条西季知さん、久邇宮朝彦親王、有栖川宮熾仁親王、賀陽宮邦憲王、久邇宮多嘉王、梨本宮守正王、北白川房子さん、鷹司和子さん、池田厚子さん。

同広報室によると、祭典奉仕は神嘗祭からの予定という。



二、三日前に、Twitterとブログに伊勢の神主と斎宮と祭主のことを書いてさーやにも触れようと思ったのですが何しろあの「ローリー、見た目がタラソワ化事件」のショックですべて吹き飛んでしまい、公表されてからここで書いてもカッコ悪いだけだなあと反省しきりでございます。

さーやが!祭主に!

ですよねー、他にいらっしゃいませんものねー。

そして「次」が現東宮だと愛子さんが、ということになりかねないですが、まったくもって無理ですので、さーやの次をどうするかも考えておかないといけないです。

日本の、というか大和のことも祭祀のことも、それどころか日本語のこともよく知らない人たちがどんどん「天皇家」ならびに「その祭祀」を破却しようとしていますが、やってはいけないこと、というのはこの世にいくつかあってですね、やったらやっただけ以上のものすごい「かえし」がある物件も存在します。

早めにわかっていただかないとやっぱり大変なことになりますので、そのようなウカラヤカラにも風と光が降り注ぐように渾身の力で祈っていきたいと思います。

日本を尊び日本人として誇りをもって「過去」を尊ぶことができる人たちの幸いは言わずもがなで。


大変なお役目を引き受けてくださって本当に本当にありがたいと思います。さーやは喜びに満ちて取り組んでくださるでしょう。

全人類を代表して直接伊勢の神様とお話しできるお立場ですから。

すごいことだ。





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皇室、神道、信仰など | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/06/23 00:49

天皇家長女、黒田清子さんが就任 「伊勢神宮の臨時祭主」 どんな役職なのか



今見てもとてもわかりやすかったので記事にします。


天皇家長女、黒田清子さんが就任 「伊勢神宮の臨時祭主」 どんな役職なのか
2012/5/ 8 19:19
https://www.j-cast.com/2012/05/08131411.html?p=all

伊勢神宮に関する事務を管理する神宮司庁(三重県伊勢市)は2012年5月7日、天皇陛下の長女、黒田清子(さやこ)さん(43)が4月26日付で、臨時神宮祭主に就任したと発表した。20年に一度の式年遷宮が2013年に控えており、「万全を期すため」という。

インターネット上では、「伊勢神宮に住み込むことになるの?」といった素朴な疑問の声も挙がっている。臨時祭主は、どんな役割を担うのだろうか。

神宮司庁広報室などによると、「伊勢神宮」は通称で、「単に『神宮』が正式な名称」だ。伊勢神宮は、皇室の「御祖神」である「天照大御神」(あまてらすおおみかみ)を祭る内宮(ないくう)と外宮(げくう)の総称で、別宮や末社などを含め、計125の宮社がある。全国の神社の「本宗」(ほんそう)と位置付けられている。

式年遷宮は、20年に一度、神宮の社殿を建て替えるなどする「わが国最大のお祭り」で、「(西暦)690年から1300年にわたって続けられている」という。

神宮祭主は、天皇陛下の代理として神宮の祭事をつかさどる役職で、天皇陛下の「勅旨」を受けて決まる「神宮だけ」の役職だという。

現在の祭主は、昭和天皇の4女の池田厚子さん(81)で、1988年に就任した。戦後の祭主には、皇族出身の女性が就いている。過去には、男性がなったり、華族らがなったりしていた。

14世紀ごろまで続いていた、未婚の内親王らが務めた「斎内親王」(斎宮)とは、「イメージが重なる部分もあるようだが、全く別もの」だ。祭主のはじまりははっきりしないが、平安時代まではさかのぼるとされる。

神宮では現在、年間「千数百回」ものお祭りが行われている。祭主が直接、神事に携わる(ご奉仕する)のは、このうち神嘗祭(10月)など一部に限られている。このほかに、出席するだけの「ご参列」もある。
「住み込みの必要」なし

2013年の式年遷宮に向けては、すでに05年から関係する祭りが始まっており、12年も今後、5月と7月に予定されている。13年には16の祭りや行事がある。祭主自らが「ご奉仕」するのは、「遷御」(10月)など主な祭りだけだ。

祭場は非公開で、神職らが祭場に向かうまでの「参進風景」は見学可能、という例が少なくない。詳細は未定だが、前回の式年遷宮の例では、一般の人と一緒に祭主が参加する行事もある。

臨時祭主に就任した黒田清子さんは今後、祭主の池田さんと祭りの担当を「分担」する形になるのだろうか。神宮司庁広報室によると、「具体的には決まっていない。式年遷宮を控え、万全を期すためにお願いしている」とのことだった。

また、祭主や臨時祭主は、神宮内もしくは周辺に「住み込む」必要があるのだろうか。ネットの2ちゃんねるには、そうした疑問が書き込まれていた。

祭主の池田さんは三重県外に住んでおり、必要があるときに神宮を訪れるという。祭主が直接関わる祭りは限られているためだ。黒田清子さんも、同様の対応となりそうだ。

黒田清子さんは、「紀宮(のりのみや)さま」として知られていた天皇家の長女で、2005年に東京都職員の黒田慶樹さんと結婚して皇籍を離れた。最近では、2012年4月の天皇、皇后両陛下のご結婚53年の記念日に、黒田清子さん夫妻も、皇太子、秋篠宮両ご夫妻と一緒に両陛下と夕食をともにしてお祝いしたことなどが報じられている。





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皇室、神道、信仰など | コメント(4) | トラックバック(0) | 2017/06/18 14:28

紀宮内親王殿下の平成十四年のお言葉



フィギュアスケートに関する、紀宮内親王殿下のお言葉がありました。
平成十四年にソルトレイクオリンピックのフィギュアスケート女子シングル金メダリストのサラ・ヒューズ選手について触れていらっしゃる箇所を抜粋します。


紀宮内親王殿下の平成十四年のお言葉 (お誕生日文書回答より抜粋)

ソルトレイクシティ―で行われた冬季オリンピック・パラリンピックでは、日本人選手に長野の折のようなメダルラッシュはありませんでしたが、逆に世界の厳しい壁の前に立った選手たちの心の成長が見られるように感じられました。
フィギュアスケートのエキシビションで、九月十一日の追悼の曲を踊った直後にファンから米国国旗のタオルを受け取ったヒューズ選手が、アンコール応じる際、全ての国籍の犠牲者のために踊ったからとして、それをもってリンクを回ることを控えましたが、熱気溢れる会場にあって、まだ十代の若い少女の、世界を視野に納めた冷静で思慮深い判断は深い印象をもって心に残りました。


ソルトシティー五輪では、皆さんご承知の通りにフィギュアスケートにおける「不正採点疑惑」に端を発した金メダルを二個出すという異例の措置がなされました。
ここから6点満点方式の採点を旧(ふる)いものとする「新」採点システムへの移行が始まり、それは本来であれば審判による恣意的な判断を廃し、そのときその場の演技だけを加算方式で採点するもので、けれどもそれはほんのわずかな人間(実質的には三名で)急ごしらえで作られて、審判による「不正」が入り込む余地を大いに残したまま見切り発車で始まりました。

ISU総会で「新採点の採用は是か非か」という議題になるとして参加した日本は、「新採点は確定事項」として多勢に無勢で賛成・反対もうやむやなまま強制させられ、そして現状のような大惨事を呈して事態は改善を見せません。

紀宮内親王殿下は米国民への追悼だけにとどまらず、すべての国、すべての人種への追悼を「米国国旗の柄のタオルを置いて滑る」ことで表現した、若き日の五輪チャンピオン、サラ・ヒューズの思いをこうしてくみ取って「冷静で思慮深い判断」と表し「深い印象をもって心に残りました」とおっしゃっています。

また「オリンピック・パラリンピック」と表記なさり、どちらも同格に五輪として扱っておいでです。そこに差はない。

冷静で思慮深い判断と、深い印象を人の心に残していく言動は、紀宮内親王殿下もまた共通に感じます。

ジャンルは変わりますが水泳にはかつて「水泳界のプリンス」と呼ばれて人気を博したジョニー・ワイズミュラーという選手がいました。五輪金メダルを5個、水球でも銅メダルを1個、に加えて引退までの約9年間に「67個」の世界新記録を樹立した人です。

世界は広いし「本当にすごい人」はいっぱいいます。
スポーツは、過去の記録を塗るかえるべく、人は新たに挑み続ける。記録は破られるためにある。

その無数の「すごい人」のどこをどう評価するのかで、評価する側の見識も、心根も、人格も、同時に問われているのだということをわたしたちはもっと厳粛に受け止めて考えるべきではないでしょうか。

かつて男子シングルの髙橋大輔さんが五輪選手村に滞在中、「まわり中メダリストばかりだから」と自分が日本人男子初の五輪メダリストになったことを手柄顔に誇ることなく、「有名な選手たち、複数のメダルを持つ人たち」の中で「尊敬すべき選手たち」と自由に交流をしていたことを思います。
自分がかかわる競技への敬意。先人たちへの畏敬の念。そして異なる競技で結果を出した選手たち、また結果を出すべく青春を賭けて全力で挑んだ選手たち、全員への謙虚で優しい想い。
すべてを捨てて何かに打ち込んで、結果はどうあれ、死力を尽くして懸命に戦い抜いた「輝かしき戦友たち」への熱い想い。

敬意をもって事に当たる。敬意を持って人に接する。なぜなら「自分もまた」尊いことに参加している、同じ条件下で努力した「まっとうなスポーツ選手だから」。

「参加することに意義がある」というのなら、これほど平等なことはない。
けれども一位と二位の間には越えられない「差」は必ずある。あるが、ひとりの人間として「フェアに戦い抜いたこと」には差はないはず。
どうしようもなく不平等な結果と、どうしようもなく平等な「命」の燃焼。

順位はある。確かにある。あるがその上で、更にどうしようもなく現れてくるのが、人間性。

ある意味で競技よりも残酷に、ぼろぼろと出てしまう。

「この選手はいったいどういう人なのか」が。




アメリカ同時多発テロは2001年9月11日に勃発。

ソルトレイクシティ・オリンピックは2002年2月9日から2月21日まで開催。
ソルトレイクシティ・パラリンピックは、2002年3月7日から3月16日まで開催。

紀宮内親王殿下のお誕生日は1969年4月18日。

3月に終わったこの大きな国際大会の後、4月に入ってからのお言葉です。

さーや、とかつての懐かしく慕わしい愛称で呼ばせていただけるのなら、われらがさーや、われらが皇女のみんな大好き俺たちのさーやが、何よりも尊く大切なのだと評価したのは金メダリストの金メダルよりもまず先に、「人を思いやる気持ち」を行動で示すことができた「サラ・ヒューズの心」だったことを、忘れてはならないと思います。



「最後に残るのは人格である」



さーやは、きちんと「見て」いました。







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皇族のお言葉 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/06/05 19:55

御製 平成二十七年 五首より(その3)



三つ目の記事になりました。これまでもつらつらと書いてきましたがこの歌は「深い」です。
「五行」の概念抜きに語れない。

今上の平成二十七年の御製御歌のうち巻頭を飾ったお歌です。

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


以前の記事でこれは皇統が秋篠宮に移ることを宣していると書きました。その根拠を出して解説しました。これ以外の解釈はないと断じて良いと思います。
出てくる言葉の選択、年始のもっとも重要な「歌に託したお気持ち」を「他ならぬこの歌」であらわしたこと。
皇統は男系のみ、そして男子の皇嗣をもうけられなかった兄宮のおうちは、愛子さんの降嫁とともに断絶です。ご両親すなわち現在の春宮様とその妃の死をもってあの家はなくなります。終わりです。
これは「日本の神々が選んだこと」なので、人は従うのほかはない。
もし続けたいのなら離縁なさって若いお嫁さんを(日本人の中からですよ!)選んで入れて皇嗣を作りなおすしかない。無理でしょう。時間がない。

繰り返しになりますが、「女性天皇を」と主張する者はみな黙るべきです。「それは皇統の断絶を意味する」から。まわりくどく親切めかして「女性天皇でもいいじゃない」などと愚かな主張をせずに「天皇さえつぶせば日本はこっちのものだから」と言えばいい。

よろしいか、愛子さんを即位させ、中国首脳部の子息とめあわせる。これで中国は日本と天皇を共有できる。さらに子が生まれたらもう一度、中国首脳部の子息なり子女なりとめあわせて、皇室乗っ取り完了です。
「天皇」はもともと「父親が天皇」かつ「母親も天皇の子」であるべきだったのです。
天皇亡きあと、皇后というのは「つなぎで即位」する可能性があったから、本来は「皇后も、父親が天皇」の女性限定でした。
こういうルールを破るのは、必ず「何らかの目論見あり」の連中です。

わたしはサーヤと眞子内親王殿下は皇統を継ぐ素質アリと見ています。が、たとえこのお二人であったとしても、女性天皇はおかしいと反対票を投じます。なぜか。正当な皇嗣がげんにいるからです。

女性天皇をと叫ぶ者は、おそろしいほどの自家撞着を犯している。そこに気付かないのが「浅い」すなわち「愚かにして乱暴」ということです。

愛子さんを即位させるためにはまず今上と、愛子さんの父君と、愛子さんの叔父である秋篠宮殿下と、愛子さんのいとこである悠仁親王殿下を「何らかの形で」排除しなければなりません。

こんな無意味なことがありますか?

こういう乱暴な主張を平気でするのは、過去の歴史を振り返ってかんがみても「ガイジン」です。「カネに目がくらんだガイジン」です。

おヒゲの殿下こと寛仁親王殿下が生前、いかにお心を痛めて「女性天皇はありえない」と主張なさっていたことでしょう。皇室のスポークスマンとして「父親が天皇の男子のみが即位すべき」と生涯を通じておっしゃっていた。
実際に女性のお子様を持つ父親として、子供には「友達がいっぱいいる、魅力的な女性になれよ」と教育なさり、降嫁する日のことを考えていらっしゃるのみで、即位することなど夢さら考えていらっしゃらない。
なんですか、殿下によればお子様方も「即位だなんて困ります」と「そんな準備をしてこなかった」と困惑のていしきりだったとか。

これまで何の問題もなく続いてきたことを、「根拠なく」捻じ曲げようとするのは「おかしい」です。

日本は、「天皇」と「日本語」を奪われたら大変なことになってしまう。逆にいうと「天皇」と「日本語」を死守できれば、この異様な嵐も乗り越えられる。

わたし自身のスタンスを言うのなら、天皇が高天原から降ろされた神の子孫であるとは思わない。けれども実は「わたしたち全員」が神の直系、神の子孫として、天から降ろされたと「わかって」いる。
天皇が偉いなら、長く続いたその歴史と「おふるまい」によって「続かせてきた」ことが偉いのであろう。
「自分は神の子である、あの太陽の直系子孫である」という自覚に基づく「行い」が尊いだろう。
「先祖に恥じない行いを」という気づきをもたらすその先祖が、三千年近く、文献資料に基づいて少なくとも1,600年以上は続いている。
その積み重ねを「大事なものだ」と思えるから、だからあのようにふるまうのだろう。
その、血と、知と、治とは尊いです。
そしてわれわれ一般人だとて、親が一度も絶えることなく命をつないできてくれた、だからこうして生きている。ならば尊さにおいてはまったく等価で、ただその「質」のみが異なるわけです。
であるならば皆さんもただちの各ご家庭で「皇室と同じほど」先祖を敬い、家族を尊び、神にも等しいふるまいをなさればいい。そこから輝かしい「家の格」というものが生まれてくる。
国民全員が「その自覚」あらば、何の問題も生まれません。

「問題」を起こすのはいつも根なし草です。先祖と断絶している人が、現状を破壊しようと画策する。

歴史に学ぶ、というのはそういうことです。知って、自分の生活の質を高めていく。それがひいては治国平天下につながります。

女性宮家も女性天皇も「不要」です。神をも畏れぬことを言うでない、と切り捨てます。
彼らの主張の「異常さ」の根源をよく見てください。その異常な主張をもってして何を得ようとしているのか。
悪い種からは悪い花しか咲きません。これは速やかに取り去るべきです。


御製に使われている「松」の字を分解すると「八」と「白」になります。
これを、文字を解(ほど)くこととして「解字」といいます。
椿を春の木、楸(ひさぎ、きささげ)を秋の木、柊を冬の木と解釈します。

ちなみに「秋」の「木」ですが、ここでも皆さんはゾッとしなければいけません。

Wikipediaより
ひささぎ

「秋」の「木」は碁盤に使われる。

碁盤

実際の素材はどうあれ、「碁盤に用いられる」という通念が重要です。

親王の御名前と宮号とは天皇が与えるものですから、文仁という御名前と秋篠宮という宮号は「昭和天皇」の命名によります。
次に天皇に即位なさる方は立太子の礼をもって皇太子という御立場に昇られ、それを東宮、春宮とも古くはいいならわしてきました。長男が春ですから次男は秋、これはお畏れながらスペアの義でありつつも、「春が過ぎれば秋になる」という当然自然のめぐりをも意味します。
「春のあとには秋がくる」ことをどうも女性天皇を欲する者はすっかり忘れているらしい。

そして他ならぬ「秋」がこの御製でも使われている。

ここで皆さんにはなじみがあるようでない「五行」の話を持ち出さなければなりません。
これは中国伝来の思想で、春秋戦国の時代に一応の完成を見たとされる「世界の解釈の仕方」です。
日本には陰陽、五行、この重要なツールが早くから入ってきました。
陰陽は世界生成の説明概念、理念であり、五行は万物を五個のグループにマッピングし、それぞれの力関係で世界を見ていく実用ツール。
暦中の「一週間」は火水木金土に、月と日を足したもので五行からきています。
お互いがお互いを順次生み出し補強生成していく相生と、お互いがお互いをそこない威力で従えていく相剋と二種類のリレーが考え出され理論化されています。
この順送りに対するにさらに三点で五行をみていく三合・三支もありますが、それらの説明は長くなりすぎるので別にします。

五行では秋は白、北原白秋という名前もここからとられています。

松の異名は秦の始皇帝の故事による「五太夫」や、松の字を偏とつくりに分けて十と八と公に解字した「十八公」などがあります。
先にあげたのは公を古字の八の下に白で公としたもので、そのまま「八白(はっぱく)」とよむことができるので、松は「八白の木」となります。
この、九星からきた「八白土星」に配当した結果の読み解きもまた長くなるので別建てで解説します。
ここでは「そういう考え方もある」ということにとどめてください。

古代の中国人たちは、身の回りのものを家族に置き換えるのが好きで得意だったのです。
なんでも整然と配置させて、実にスッキリした「理論で固める」世界観です。
これは、戦乱の世の中で何かによりすがりたい心理、よって立つべき支柱を欲する傾きを思えば当然です。
生きるか死ぬかのときに漠然とした実態のない理念ではなくて、ばしっと白黒つけられる「根拠」が欲しくなる。そのような時代を潜り抜けて「たしかに効果的である」という「人体実験」を経ての「技術」がこれらです。

同じように数字を操るカバラと一番違うのは、陰陽五行というものは「自然界の事物」も当たり前のよう配列されていて、人間はそれらのグループの中の構成要素のひとつである、とちゃんとわかった上での説明概念だということです。
カバラのように「神・人間・それ以外」でざっくり分けすぎて説明ができず、後から後から「足し込み」を行うような粗雑なモノではありません。

どうもアジアと違って西欧列強というのは、味覚でいえば「塩、コショウ(それも外国からのぶんどり品!)、ハーブ」くらいでいけません。アメリカにいたっては「塩・コショウ・ケチャップ・マスタード、以上!」くらいの粗雑さです。

日本のように「おだし」にすら昆布、シイタケ、カツオブシ、なまりぶし、酒、みりん、などなどが使われて昆布ならこの料理にはこの産地、というような精細緻密な「細かい目盛り」が「ない」国はやることが粗っぽくていけません。

世界をどのように感知するか、その目盛りが細かければ細かいほど、環境を害する行為はできなくなる。
今の中共のように、自らが吸う風、飲む水、食べる品々を産出する大地を穢し壊し傷めまくって日本に触手を伸ばそうなどという「雑すぎる世界観」では滅亡するにきまっている。

この繊細さあればこその「自然との共存共栄」「神々こみの世界解釈」が成立する。

真のエコロジーとは「土地の霊、土地の神」なしには成り立ちません。
わたしたちは「神的なもの」と触れ合う機会を奪われた。
「人間至上主義」という完全に間違った嘘の世界観を叩きこまれて、自分の内なる大自然と接触することを否まれている。
だから万人が最初から備えている「尊いものを畏れはばかる」気持ちは聖なるものと対峙したとき、初めて機能するほどに堕落している。堕落です。
でも太陽を見て感動できる心の仕組みをわれわれは持っている。生まれながらに大自然を尊いなあと感得できる能力を持っている。それを発動させてこその「日本」でありましょう。

本来性を取り戻す。そのためのいいお手本が特異でありながら普遍を備えた「皇室」でありましょう。

さて五行では白は「秋」にグルーピングされますから、ここでいう松は秋のものです。

八白の象徴は「継ぎ目(跡継ぎ)、相続、少男、家、山」ですから、陛下は確実に「家を継ぐ者=次代の天皇」という意味で「松」を用いているはずです。

また、上記の親王殿下に必須の儀式においては「若松」を手にします。
松は奈良から平安にかけて「家の存続」「後嗣」を意味し、尊い縁起物でもありました。
日歴にいう「子日(ねのひ)」の行事は正月に野山に遊んで若菜を積み、「小松をひいて」根引きした松を持ち帰るというもので、五行でいう「少男」を意味する「小松」を屋外から家中にとりこむことで「跡継ぎ」である男子を呼び込む呪術です。

他に正月に飾る門松も五行で読み解くと意味が簡単にすんなり通ります。

天皇陛下はとにかく「日本で一番天皇に詳しい」はずの方ですから、宮中の行事、ことに年頭の正月行事のいくばくかは当然ご存知であらせられるはずです。こんなクソブロガーが一生かかっても願いをかなえられることのない、皇室伝中の宝物をどれほどにでも見ること知ること学ぶことができるお立場です。

ああ姐さんが雅子さんの立場なら皇室御文庫をかたっぱしから見せていただくのに!!それこそ泣きながら震えながら拝見して、それから望む学者に門戸を開き、もちろん厳重な監視付きですけど、複写ならびに研究成果が世に出回るように努めます。
「汚損すんじゃないわよ!」と鬼のような顔で院生さんとかのふるまいを凝視し続けるんだろうなあ。
「和紙に墨!もちろん松の墨よ!」とげきを飛ばして・・・嗚呼。嗚呼。
なんともったいないことか。

買えばいくらでもある変なスーツやサイズがあわないパンプスやでけぇブランド物の「海外のアクセサリー、バッグ」に血道をあげることなんかよりもっと貴重でもっと尊い「本物のお宝」が山のようにあるのになあ。

というか、宮内庁の関係部門は「皇室の紙史料」が「中韓に流れていないか」チェックしたほうがいいでしょう。
「現物」「原典」「オリジナル」はもとより筆写本も含めて「なくなっていない」ことを随時確認すべきです。

プーチンが、昭和天皇即位の際に使用された宝剣を日本にあらためて贈ってくれたことがありました。「このような異常事態」を看過すべきではありません。
誰がどこから流したか、プーチンは出所を知っています。絶対に。
その上で「あえて」「そういうこと」をするのですよロシアって国は。
「お宅の一番のお大事=天皇周辺はこんなことになってるよね」って脅しですよね。
姐さんは「やられた」と頭を抱えました。
やられたもこられたも何も、外交に関われない最底辺の身分ですから、こうしてクソブロガーとして「やられた!となぜ宮内庁は青くならない!窃盗やんけ!あいつだろ!」と吠えるくらいしかできないですが。

明治維新で天皇をはじめ皇族方、公家たち、御用商人、武家たちがいっせいに東京に「あずまくだり」をしたときに廃れた行事、あえて明治天皇が「簡略化」した中にも無数の「五行に準拠した行事」がありました。
逆に京都に残った冷泉家に伝わっている季節ごとの行事のほとんどが五行で読み解ける意味とスタイルと内容を持っています。

先年、今上も冷泉家に御幸あそばされましたが、皇室でもっとも保全すべきであった、時期に応じた「おふるまい」である宮中祭事の保全と維持をもと、公家のおうちがなさっている。実に尊いことだと思います。

皇室で廃れたについてはみんな貧乏が悪いんや、と霊元上皇さんならおっしゃるでしょうか?
霊元さんと徳川の「予算くれくれ合戦」もすさまじいですよね。もう本当に好きですこの天皇。

逆に歴代天皇中、もっとも嫌いなのは聖武ですね。外国の宗教かぶれもはなはだしい。姐さんは聖武に親でも殺されたのかという勢いで嫌いです。知れば知るほど大嫌い。この嫁もイヤ。何が光明だよふざけんなと不敬もいいところです。
この「すばらしいお妃キャンペーン」の悪臭のすさまじさ。
藤原の出だからこそアッゲアゲに忙しい。
皇妃に位置すべき資格などない者が親の権勢と金力でねじこみやがってといまだに腹を立てています。

そういえば現東宮も弟宮も、妹君も、華族の皆さんからは「母親が平民」ということでひどい扱いを受けたとか。
お三人とも口を黙しておっしゃいませんが、宮中での「差別」は「あった」と仄聞しております。

兄宮様は、生母が美智子様、妹君がサーヤ、義理の妹が紀子様と、「日本一の女性」がお三方も身近にいらっしゃったのに「この下はなし」というトンデモを引き当ててしまったのが「まわりが素晴らしすぎてまさかコウイウモノがいようとは!」だったのか「まわりの素晴らしさをとんとよくご理解あそばされていなかった」のか、さて、どちらでしょうか。

結婚すれば何もかもバラ色ビューチフルとまさか思われていたわけではありますまいが、皇后陛下やサーヤや秋篠宮妃紀子殿下がどれほどの努力と誠意と不屈の決意でことにあたっていらっしゃったか「ニブチン」でわからなかったとは思いたくはありません。

ただ「母が苦労しているのを見たことがありません」とおっしゃる御仁ですからなぁ。これには腰が抜けるほど驚きました。おまえのカーチャン、生き地獄!とはやし立てたくもなりますよ。このひとことだけは今でも胸倉をつかんで「どういうつもりじゃおんどりゃあ!」と叫びたい気持ちでいっぱいです。
美智子様、これにはさすがにがっかりしたのでは・・・わかりませんが。

と嘆きも出ようものですが、ド平民の自分からして「父親が天皇ではない女性」と結婚した今上には、しかしそれをもってして何らかの責めを負わせたりということは断じてないです。ひとことで申し上げるなら「でかした」でございますわね。

今上の「お言葉」に皇后陛下と共に公務を行った、と触れてある。この一言をもって美智子様の地上の栄誉は頂点にあり、余人は知らずわたくしめはさもありならんと涙をぬぐうものであります。

いろいろな方が足並みをそろえて突然の皇后陛下バッシングを始め、それは今でも続いており、わたしは以前に「自ら皇室に仇成すもの、この先の日本にはいらないものだと、自己証明をなさるのはやめたほうがよござんす」と警告しました。
わたしは人間には二度まで警告します。
その先は自己責任の世界です。

彼ら、彼女らが執拗に皇后陛下を攻撃するのは皇后陛下は「天皇陛下にとってもっとも大切なご家族」だからでしょうね。
天皇の役割は「男子の後嗣を残すこと」です。それが一番重要です。
そのための努力を陛下は行い、皇后陛下もよく応じてくださった。
立派な後嗣、「父親が天皇の男子」を二人ももうけてくださった。

それのみならず、平成に入ってからの御公務に常によりそわれ、ずっと歩みを同じくされた。それこそがイレギュラーであり時代に即した新しい天皇のありようであったわけですし、それはあるていど「成功」したと思います。

御製に含まれている意味は、何重にも読み取れます。

ここでは日本古来の呪術であった「松を使った子孫繁栄、跡継ぎアリの皇室の繁栄」をも含み、その松は「秋に属する」ということの再宣言。
さらには、「くろまつ」という指定の意味として、藤原氏に対する皇室、を忘れてはいけません。
藤原氏はご存知の通り、専横を主にした皇室乗っ取りの代名詞、どちらかというと皇室しなだれかかりで、我が女(むすめ)を入内させ生まれた皇嗣を皇位につけて我が世の春よと金満ぶりを天下にさらし、「藤原氏どうしの抗争」でついには弱体化していった人たちです。

皇室は不思議な場所、不思議な立ち位置を常にキープしています、それが蘇我であろうが藤原であろうが足利であろうが織田であろうが豊臣であろうが徳川であろうが、すべての「権力者」の血を入れながら「皇室」として揺らぐことなく今に残る唯一のおうちです。

「権威」が前提の唯一のおうちです、と言い換えたほうが正確ですね。

「権力」がどのように変わろうと皇室に変わる「権威」はない。

藤原氏の藤=つる性植物に対して皇室は「松」、常緑樹の高木です。高木は皇室の祖霊、先祖、皇祖神が宿る場所、ひいては皇祖神そのものです。

松は倒れない、藤が枯れても。

藤は女花(おんなばな)、松は「男木(おとこぎ)」。

いくら「よそさん」から嫁が入ろうと、皇統は「父親が天皇の男子」によってつながれていく。

「藤原氏」的なるものがいくら皇統の簒奪を狙おうとも、「くろ」=「玄」=根源からの根を持つ「松」は、それらからは屹立してよく時の非情な流れに抗し、後嗣をもうけ続けていくのである。

これは今上からの「皇統は秋篠宮に続き、皇室は永遠に続いていく」という宣戦布告、聖勅であります。

「ここまで」読み解いて本意です。それでもまだ「浅い」んです。うわっつらしか見ていない。

「日本語のスペシャリスト」にして「最高権威」である天皇の言葉を、われわれは軽く見過ぎているのではないか。
その自戒と反省をこめて、もう一度繰り返します。

これは今上からの「皇統は秋篠宮に続き、皇室は永遠に続いていく」という宣戦布告、聖勅であります。







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今上の御製 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2017/05/29 17:07

だじゃれバリバリ 柿本人麻呂(万葉集・二三五)



カテゴリに「歌人」を作りました。最初からそうしておけよ。そうしたらオーケーよ。というダジャレですよ。ダジャレとエロジョークで日本史はできています。それが姐さんの持論です。
なんでかというと、世界を「見立て」で敷衍していき世界解釈をするのが得意でウマイのが日本人です。
皆さんの暮らしの中にもたとえば古代中国、春秋戦国時代に一応の完成を見たとされる陰陽五行の考え方が、いまだに根強く残っています。
河童はなぜ川に馬を引き込むのか。なぜお正月に鏡餅を供えるのか。世界を陰陽に分けて数字で解釈していく易と、世界の事物を五個のテーブルに配置して関連性で見ていく五行、植物の生育史からきた十干十二支などなど、古代の中国人の世界解釈は「大自然を観察して導き出したがゆえに自然である」不自然さがきわめて少ないものでした。
不自然さがないゆえに正しさが多いです。
長い人体実験の結果でもありますしね。

自然の事物を見ていく中で、当然、もっとも多用される人間の重要なツールである言葉もさまざまに「配置」されていきます。ダジャレは言語の論理階梯をすっとばし、驚きと笑いと意外な発見をもたらすがゆえに「超大事」と思います。
驚きと笑いと意外な発見がないものを「おやぢギャグ」といってさげすみます。
おやぢギャグの問題点は「それが使い古されている」ことにある。
発するおやぢ自身からもたらされた経験値や人生訓ではなくして誰か他人が作った手垢がついた「残りカス」であるから困るのです。
いきいきと新鮮な、そのときその場で開花する「その人の実在からもたらされる新たな知見の発露」であるような生きたダジャレ、生きた「しょーもない言葉遊び」を姐さんは強くひたむきに希求するものであります。

まあセミナーなどで自分だけ楽しいだだ滑りのゴミみてぇなギャグを連発して参加者を震撼せしめているわけですが。
「この人の言うことってもしかして全部おかしいんじゃないの」と人を正気にかえす瞬間ですね。実に楽しい。

さて、この記事ではみんな大好き柿本人麻呂さんですよ。
霊元天皇も「神」として宮中で崇めておられた。歌聖といわれた定家と同じく「神」扱いです。自ら親しく香炉をくゆらせ、花を手向け、和歌をどしどし捧げていた。霊元さん、京極黄門こと藤原定家が好きすぎていろんなエピソードを残されています。
冷泉家では「黄門」といえば「当然、うちの先祖の定家卿」ということだそうで諸国漫遊のあのお方なんぞではないらしい。
ちなみに黄門というのは「中納言の唐名(中国ふうの言い方)」です。中納言まで出世したので黄門さんです。
「最終官位は正二位権中納言」だそうでして、正二位はスゴイですけど、ごんのちゅうなごん、はまあお飾りですね。実際に政務を執ったわけではないはずです。
この、朝廷からくだされる官位官職も面白くて、官位は正・従に外に権に贈にと細分化されていて見れば「ああ、買ったのね」とわかる、とか、なんとも実にイヤったらしいというか「政治ってコワーイ☆」というような驚きと発見と戦慄に満ちていますよね。
政治なんてよほどヒマでないとできないなあと思います。すごく大変だから。
(政治家の皆さんごめんなさい。それに携わるとそれしかできないくらい、おそらく忙しいので大変ですよねという意味です。国家をさぼって地方にデモに行ったりとかまともな政治家ならできないですよね____)

定家、というのも諱なので本当は軽々しく言ってはいけないのでしょうが、その子孫が「ていかさん」とおっしゃっているのでそれにならいます。明静とか京極黄門とか京極殿とか京極中納言と言われてもわからない姐さんを許してwww
ほんとに知的レベルが落ちまくりだよ。学習機会を奪われまくりだよ。頭にくるので独学で取り返したい姐さんです。
でもせいぜいが四書五経の素読前提、の明治の知識人の書いたものを見て「わからねええええ」「読めねええええ」「ルビつきありがとおおおおお」「辞書にのってねえ字を使われましてもおおお」と騒ぐくらいが関の山です。悲しすぎるwwww

ところで定家のWikipediaを今見たら仕えた「主君」一覧が「二条天皇 → 六条天皇 → 高倉天皇 → 安徳天皇 → 後鳥羽天皇 → 土御門天皇 → 順徳天皇 → 仲恭天皇 → 後堀河天皇 → 四条天皇」になっていてワロタのwwwたくさんいる!まあ八十歳まで存命な現役ばりばりな方でしたからね。

それはともかく人麻呂さんのほうですが、万葉集にあるこの歌。以前、何度かセミナーで「ダジャレの例」としてお話しました。

大君は神にしませば天雲の雷の上に蘆らせるかも(万葉集二三五)
(おおきみは かみに しませば あまぐもの いかづちの うえに いほらせるかも)

ダジャレです。

タケシの「ザヤックです」くらいのきっぱりさ加減でダジャレです。「ジャンプの飛び過ぎです」のあの冷たさよwwwww素敵!wwww

雷岡(かみおか)という地名の場所に天皇の仮小屋があったのを面白く表現したものです。
これ、どういうことかといいますと、地名の雷岡(かみおか)を空で鳴る雷(かみなり)にかけて、その上(かみ)で鳴る恐ろしい雷の岳の、その上(かみ)にいらっしゃる天子様はまことに上(かみ=神様)であることよ、という意味です。

上と雷と神という三つの「かみ」をかけあわせている歌です。

「神(かみ)は上(かみ)にまおすもの」つまり神様は上のほうにいらっしゃるものですよ、という観念が前提です。
「カミ」というのは上にあるもの。だから省の卿(かみ)、寮の頭(かみ)、司の正(かみ)、衛府(えぶ)の督(かみ)などをはじめ、国主、郡領、村長、駅長など、人の上に立つものはみんな「カミ」です。
頭、上、髪、神など、上代の甲乙類に分けられて発音に違いがあるから違うカミとされていたものも、近年の研究ではそんなに厳密な区別でもなかったんじゃね?とか同じモノだからこそ発音を変えて分けていたんじゃね?などと言われだしているように、日本人は大事なものはみんな「カミ」です。

天皇陛下のことも「おかみ」です。女房のことを「おかみさん」というのは「家で一番えらいのは嫁さん」というこ…ごほんごほん。

そして古来もっとも神聖視されていた蛇のことも古語では「おかみ」と言いました。これは『豊後国風土記』に出てきます。おかみは二字で表現されていて蛇、に続く文字がパソコンでは出せないので説明しますが雨のしたに口が二個横並びで、そのしたに龍と書きます。

日本ではえらいものはみんな「かみ」。

そういう前提で、かけ言葉でカミカミいってますよこの歌は。

大君は神にしませば天雲の雷の上に蘆らせるかも(万葉集二三五)
(おおきみは かみに しませば あまぐもの いかづちの うえに いほらせるかも)

わが君(おかみ)はなんとも尊い神(かみ)様なので、あの雨や風や雷(かみ)を落とす雨雲のさらにその上にいらっしゃるのだよ、だってほら、「かみおか」という名前の場所に庵を結んで滞在なさっていらっしゃるじゃないか


ダジャレだよ!

歌はみんなで声に出して和するものですから、これを最初に聞いたときは全員で大笑いして、やんやの喝さいの後、「大君は~☆」と口々に楽しく詠唱しただろうと思います。実に楽しい。

冷泉家の皆さんによりますと、和歌は声に出して楽しむもの、そして「みんなで共有するもの」だそうです。
自分の個人的な感情だけに終始するのは下の下であって、あまりよろしくはない。
やはり神様の神威発動を祝ったり、仏様の大威徳や大慈悲を願ったり、大君である天皇、「天子様」の世が末永いことを祈ったり、めでたく明るく「参加する場」が活き活きと活性化されるような素敵な内容のものをつくり、そしてみんなで歌い上げて共有する。

参加する場で賛歌をものす。それが歌の道であると。

和することができる歌、一緒に参加して音読して楽しめるものが和歌であると。
だからいい歌は一発で覚えられる。すらすらと口に出して繰り返し味わうことが可能です。

人麻呂の歌はいい歌が多い。誰でも二、三はすらすらと言えるでしょう。けだし歌聖とよばれるゆえんでしょう。
そしてこんなふうに気軽に楽しめる歌もちゃんと残している。

それをわたしたちは「国語」で、日常使っている言葉の語彙の範囲の中で、ちゃんと味わうことができる。

宮中で何かあれば列席して場を盛り上げるお役目です。おかみが御幸あそばされるときにはついていって盛り上げる。
いい役目です。怖い役目です。誰にでもできたわけではない。
そのとき、その場で、「その感興」をぴたっとくる言い回しで即興で言い表さなければならない。

環境と感興の混合品、それが和歌です。

人麻呂は「斉明天皇6年(660年)頃 - 神亀元年(724年)3月18日)は、飛鳥時代の歌人」だそうですよ。
今年は2017年です。そこから660年引いてください、こんなにも前のオッサンの歌を、われわれは素直に共有できる。
口ずさんで微笑める。
すごくないですか?
驚きです。

日本語っていいなあ、と心から思うゆえんでございます。

すごいなあと思うから、下手なのは当然で、なにひとつよくわかっていないけど、和歌を作るのが好きなんです。
もしかしたらそのうち、誰もがふっと口ずさめるいいお歌ができるかもしれない。
詠み人知らずで残すことができるのかもしれない。
そんな楽しい夢想を今は大事にしています。

ダジャレ路線でなら意外といい線いくかもだしな!wwwww

「こんな楽しみ方もあります!」という記事でした。






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歌人の歌 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/05/26 19:29

和歌における技法(後鳥羽上皇、山を詠む)



風雲急を告げる情勢の中になって何をのんきに和歌などを、と思われる向きもありましょうが、「こういうこと」を死守していくのも霊的国防のひとつにカウントしています。
「こういうこと」は本当ならヴぁ日本人全員が「あたりまえの常識」として持っているはずの知識だった。
それを奪われたという現実から、わたしたちはもう一度、やり直していかねばならない。
「日本」は「日本語」と「天皇」さえあれば続きます。
逆にいうならここを押さえられたら終わるのです。
いかに貴重な「国語」をわれわれは日々駆使して、生き、想い、考えて、そして行動しているのか。
自覚的に取り組むことで無限の発見がある「国語」
「すごい」んですよ、日本語は。
わたしは日々そのすごさの質に驚かされ、魅了され続けています。
そう思うからほんのさわりではありますが書き残しておきたいなと。

こんな「面白い」ツールはないと思う。

では和歌を範に取って昔の人たちがどういう「本気のお遊び」をなさっていたか見てみましょう。

カテゴリを「歴代天皇の御製」としましたが、この記事のひとつめの歌は上皇位につかれてからのものなので厳密に言うならカテゴリは違います。後鳥羽院の歌、としなければなりません。
でもまあ登極したり攘夷したりまた再祚したり上皇になられたり日本の天皇は忙しいので(笑)「かつて即位したことがある方の歌」くらいにとっていただければと思います。

ふたつめの歌の主は歌人であって即位したことがないどころか皇族でもありません。ですのでやはりカテゴリ違いですが、いずれ記事を細分化する前の拙速なのだとお笑いください。

さてさてひとつめは後鳥羽上皇です。
必要があってこの方について調べなおしているのですが、本当にまあとんでもないお方でございますよね。
わたしは歴代天皇すべてが好きというわけでもなく、後醍醐と後鳥羽はツートップで「おいおいおいいいいい!」と思う方々です。
今上なんかこれに比すなら聖人ですよね。聖者です。神そのものです。
何しろどえらい「おいおいおいいいいい!」なおふたりです。

後鳥羽天皇がまだ位をゆずられる前の歌、御製です。

奥山のおどろが下もふみ分けて道ある世とぞ人に知らせむ

一見、「なんかやる気に満ちているなー」という感じをうけますよね。どかどか踏み込んで道ある世だと人に知らせるんだな、というかんじです。
これ、けっこう怖い歌なんですよ。やる気ありすぎ。
まず「奥山」。
京のみやこという大都会、文化文明の一大拠点、時のみかどがおわします「世界の中心」に対する「奥山」です。人里離れた場所、今のわたしたちからするとシベリアかなんかの、人が住まない未開の荒野、そこまでいうと言い過ぎですが、人の手が入っていない深山です。
こういうところには紅葉を踏み分けて鳴く鹿がいたりとか、越えても越えても越えられない長い坂=絶望だけがあったりとか、最高がんばってもあえて世を捨てた、人生にすっかり望みを失ってしまった気の毒な人=反社会性むきだしの人でなくなってしまった者=人外とか、「あああああこんな苦しい修行をする俺様かっこいいいいいゾクゾクするうううたまらなないいいいい」というド変態な修行僧とか(おいw)そういうものだけが跋扈します。

いきなり極限状態を出してきた。当然、優雅典礼なみやこびとである、お取り巻の公家集団は「ん?」と思わされるわけです。
「おかみよ、どうしなすった」「すごい環境設定キタコレ」「背景ヤバイ超ヤバイ」と。

次の「おどろ」というのは「棘・「荊・藪」と書いて、「茨(いばら)など、とげがある草木がぼうぼうと乱れしげっていること、また、そういう場所。やぶ」です。
踏み込むと大変なことになるやっかいな場所です。ここも「人の手が入っていない」ことが前提の場所ですね。

「ふみ分けて」
これはもうストレートに踏みつけて分ける。人跡未踏な「自然な山野」に行って直接どかどか歩ける道をつくりますよ、と。しかも作る対象の山野はトゲトゲだらけのやぶですよと。

「道ある世とぞ人に知らせむ」

面倒なんでいっぺんにいっちゃいますが、ここでいう「道」というのは完全に「天皇の権威」のことですよね。自分という世界の頂点に立つ者の権威を十二分に知らしめる。
「人」というのは「心ある人」で、知識教養、人格識見のある「ちゃんとした人」が対象で「俺が詠んだ歌の意味が理解可能な人」ですからずいぶんとずいぶんです。

「世とぞ」ですから「そういう認識=天皇が権威の頂点であることが、日本全土の共通見解、一般認識、普遍的前提であるのがあったりまえの世の中」を「知らせむ」ですから「どうあってもねじ込んでやろうじゃないの」ということです。

で、京都公家衆に対する最大の「敵」は関東武家衆なわけですから、普通に見たら「ああ、当時いがみあっていた関東勢に対する、朝廷専属の武装集団である「北面武士」とか、後鳥羽みずから新規雇用をはじめた傭兵である「西面武士」勢とかへの鼓舞も含むのかなあ、とか、たぶん「武家」が連想として容易に対置されると思います。

これだけだったら現代の我々には「ふーん、どうぞ好きにおやんなさい」で「何しろ鼻息の荒さ、鼻っぱしらの強さだけはびんびんくるなあ」ですむのですが、実は「もののわかった人」であればあるほど「やべえ」と思う歌なんです。

どういうことかというと、この「おどろ」の意味の一つである「棘」を漢語にとってキョクと詠むと「この歌の対象」が制限されてくるわけです。漢語で、支配階級である九卿のことを「九棘」ともいいますから、日本では「九棘」を「公卿」の異称としていました。
また、漢語で「荊棘(けいきょく)」としたうえで「荊路(けいろ)=荊の道」ととり、「棘路」をも公卿の異称にしています。

つまりこの歌で「どんなに都から離れた遠いド田舎であろうとも徹底的に踏みつけて俺の権威を知らしめてやる!」と宣言した当の相手は「天皇のまわりの公卿衆=皇族に次ぐ家柄の支配階級で、大・中納言、並びに三位以上の位をもち、へたをすれば天皇、皇族一門よりもずっと権勢を誇りかねない味方にして同時に皇統争いでは最大の敵にもなり得る人間たち」「もっと広い意味に取るなら五位以上の位を持ち、天皇に直接目通りがかなう、いわゆる殿上人すなわちそれなりの地位にある公家」をも含めた「味方のはずの公家全員」になるわけです。

コワイ!

さらには「ふみ分けて」の「わけ」には「自分を卑下した一人称、わたくしめ」と同時に「対称の人代名詞。多くの場合、目下の者に対していう。おまえ。そち」という意味がありますから、「オイラっちはおめえどもにこういうことすっからな!」という「けっこう野蛮」な意味をも、おそらく持っているでしょう。

さらには「ふみ分けて」を「文(ふみ)を乱発してそこら中に送り出す」ととるならば「必要ならば日本の最終兵器である天皇自らの直筆の命令書=宸筆の勅書もばんばん使うぞ」という脅しも含まれていると思います。
勅書を出されたら誰もどうにもできません。
だから上皇が三人に天皇が二人なんていう極限状態のときには「天皇または上皇本人が書いた命令書」をいち早く入手してその権威に従って動くのが戦術上、最高位にありました。ただしそれはもちろん「最終兵器」ですから当然世の中は乱れます。戦争です。

なんかもう「戦乱も辞さず」というかなりな威嚇、脅迫をぶつけているのが「多分公家」というところがコワイですよね。

和歌は二重、三重どころか、もう読もうとしたらどこまでも「深い意味」を読み取れる「仕掛け」に見ているわけです。

現代に生きるわれわれが、後鳥羽や後醍醐に対して有利なのは「実は、より多い言葉のバリエーション」で解釈可能ということです。
「日本語で解釈する」という点においてはギャル語であろうが上方漫才の語彙であろうが「同じ」になる。
もちろん文法的には正確ではないですし、詳しい人の前で言ったらものすごい勢いで訂正を受けて恥をかくと思いますが「そういう見方をするならば」の前提をハッキリさせた上でさらに読み解くと、「おどろ」を「踊ろう」にとったりもできるわけです。
人前で言わなきゃいいんだよwww
自分が読み取った内容はそれで正しい。ただし、前提になる歴史的史実や物証を伴ったリアルな歴史と、私的な真実とは峻別しておく必要が絶対にある、ということがいずれの場合も当然です。
一般的でない真実を言って歩くとキチガイです。
姐さんもここは気をつけるようにしています。
「現在の知識の範囲でもしこれこれが前提であるならば」「A=Bである」というふうに「自分の前提」を明らかにして、論理を構築していくのが正しい科学的態度というものでありましょう。

で、後鳥羽がこれを何歳でどういう環境下で作ったのか、そしてどういう形で人の目に触れるようにしたのか、またどういう形で「後世に残そうとしたのか」とか、前提になるもろもろの付帯条件をつめていくといろいろと「恐ろしい」わけです。

奥山のおどろが下もふみ分けて道ある世とぞ人に知らせむ

後鳥羽がきいいいい!となって戦を起こすきっかけになったのも、ようは「三種の神器なし」で即位した「自分の正当性への深甚な劣等感」まずありきで、権威を高めるためにきいいいいい!とやってまわってえらいことに結局なった、と。そういう背景を含めながら見ていくと怖い歌だぜ、おかみ!となるのではないでしょうか。

「なんで公家に喧嘩売ってるの!?」
「天皇の権威を一番補強すべき、その権威によって立つだけの公卿さんたちにバカにされてたの!?」

という見方になってきます。

後鳥羽が考えていた宇宙最高の真理にして万物を旋回・輪廻・循環せしめる「道」というのは「天皇は絶対」ということただ一事だったのだろうと思います。「そこ」が常に揺らいでいた。
何しろ、なにかあれば「どうせ神器なしで即位したくせに」と絶対言われる。
なにもなくても「どうせおかみは」と日記に書かれる(笑)。
たまったものではありません。
気の毒といえば気の毒です。でも、「やるべきルール」をないがしろにして即位したのは事実です。
そのルールがいいものか、よくないものかは別にして「それまではみんなそのルールに従っていた」「だからエライと思われていた」わけです。
そこをすっ飛ばして「特例だけど崇めろ」というのは「無理」ですわね。
だって「ルールすっとばし」をしていいよ、と勝手な独断を持ち出して強引な主張をした人もかつての天皇、この場合は後鳥羽の即位を強行させた「さきのみかど」である上皇(出家なさった後白河法皇)だったわけですから。
ルールに従ったからエライとしよう、という正統性をすっとばしてそれなしで「崇めよ!称えよ!」と言われましても「えぇ…(ドン引き)」ですね。
変な話です。
あらやだ皇室の話ですよwwww

また、やっかいなことに即位の正当性は抜きにして後鳥羽という人は「ものすごくデキた立派な人」だったんですよね。なんでもできる人だった。実に、なんでも。ちょっと調べると「えーー、こんなにぃ!?」と驚くほどの多芸多才ぶりを示す証拠が山のようにでてきます。
後醍醐もそういう意味では超人的に立派な人ではありました。両者ともにだからこそ困る、という時代でもありました。

後鳥羽にとっての幸いは慈円という透徹した歴史観を持ち、「もっと広く全体」を見渡す悟性と知性を持ち、後醍醐に諫言を試みる勇気と慈愛の心を持ち、そして後醍醐の後に亡くなって、おそらくずっと後醍醐の菩提を願い続けていただろう天才を同時代に持ったことではないでしょうか。最後まで「知るか!フン!」と慈円にはそっぽを向き続けていたようですが。
なんだろう、「そんなにホントのことばっかり言うなクソ坊主!」ってところですかね。

慈円の「世界解釈」の豪快さには度肝を抜かれます。後醍醐のコンプレックスをどうにかしてクリアにさせたくて「神器なしで即位したのは伊勢や八幡も認めているんだから!」「神器である剣がなかったのは武士を雇用して武力があなたに備わっているからだよ!」とか、まあ捻じ曲げる捻じ曲げるwwwwそれで納得できたらみかどなんざやっちゃいねえよと姐さんですらつっこみたくなりますよ。
だけど世界の平和のためには「そう思って自分をおさめる」ほうが絶対によかったはずです。ああ。生きるって難しい。

ほんとに、慈円がいなかったら後醍醐の哀しさはどう報われようもなかったのでは、と思います。とはいえ慈円も「おまえそうとうだな」という人ですけどね。この両者の関係性に定家をプラスすると「ああもう!なんでこういうことを中学生くらいで学校で教えないのかしら!めっちゃおもろいやんけ!」と「興趣豊かな」時代になりますよね。もったいないなあ。

まあ皇室なんてのはゴシップとスキャンダルの集大成でもありますよね。「そういうこと」を重ね、重ねて続いてきた。
その「続いてきた」ことの重み、異様なまでの重みをですね、今一度、過去からさかのぼって逆照射することで「めっちゃすごいわ」という再認識にも至るのはないかと思います。

長い連続体である皇室の、天皇についてどこかの時点で一代、二代をカットしてそこだけ見たら、必ず間違いを犯します。

ひとつの連続体として眺め、「それ」が「日本の歴史」そのものである、という俯瞰をすると、「ことば」と「天皇」と「人の歴史」はめちゃくちゃ面白くなると思います。

奥山のおどろが下もふみ分けて道ある世とぞ人に知らせむ

承元二年五月、住吉歌合にて 「住吉歌合にて、山を」として「山」を詠んだものです。
ちなみに承久の乱の承久三年(1221)の十三年前だそうですよ。

「山」といえば道教とのかねあい、仏教とのかねあいでまたややこしいので、ここでは「山」という高みは「自分、すなわち天皇」でその権威を知らしめることで、ド田舎、シベリア、辺境の地はおろか、あんた方公卿衆にも「道をつける=ことわけて、知らしめる」ぞよ、ということでしょう。

詳しい人はもっと深読みができるはずです。ぜひやっていただいて「ぎゃーー!」と震え上がっていただきたいです。
きっと偉い先生方はもっとガクブルな解釈をなさっているに違いない。不勉強ゆえ紹介はできませんが。



なんかもう「みんなガンバレ」と言いたくなりますよね(笑)。
とうに全員が亡くなってますけども。
懸命に生きた人たちがここにもいる、と思います。

ああ、長くなったので記事を分けましょう。
この記事の冒頭で書いた歌人の歌の記事をもう一個アップします。




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歴代天皇の御製 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/05/26 18:21

平成十八年の秋篠宮殿下、同妃殿下の御歌(お題『笑み』)



こちらの記事で「夫婦の視点がばらっばらやんけ!」とその困惑を記事にいたしました。

平成六年の皇太子、皇太子妃の歌(お題『波』)


では「夫婦の視点が同じ歌」とはどういうものか。良い例がございますよ。

平成十八年の歌会始め お題「笑み」

人々が笑みを湛へて見送りし こふのとり 今空に羽ばたく
秋篠宮殿下

飛び立ちて大空にまふ こふのとり 仰ぎてをれば笑み栄えくる
秋篠宮妃殿下

どうですかこの連携。
「こふのとり」が日常的に使われる表記ではありませんので字句の前後を開けましたが本来はつなげて表記されています。

地上ではみんなが満面の笑みをたたえていて、その歓喜の中で送り出したこうのとりが、今まさに飛びだって視点が大空に移ります。
妃殿下がそれを受けて、悠々とあの大空を舞うこうのとりを仰向けになって見守っていると、歓びがさらにあふれて自然に笑顔がさきにぎわうことでありますよよ、とつなげています。

喜びと、爽やかさとに満ちています。

どなたが拝見したとしても、何も誤解がない歌の世界です。

和歌とは、本来「和する歌」、つくられた歌に対してさらに歌を寄せるアソシエートする表現方法、手段だそうです。
声を和する、といえばあわせて歌うこと、話すこと、調和すること、つまりはハーモニーを育てることを意味しますよね。

独善的に自分の感情「だけ」をぶちこめることは野暮、下品。

やはりまわりの情景を歌いながら「自然に」喜びや慈しみや明るさや希望や、なにかしら人にとってプラスになる「祈り」をこめたものが最上位でありましょう。

だから神前で、あるいは仏前で開かれる「法楽」というような歌会が天皇みずから主催して開かれ続けていたわけですし、東西(左右)の陣に分かれて歌会を行うときでも各自の歌の連携、調和、お題に添って参加者が楽しめるものが愛でられた。

自分よりも尊い何かに手向ける言の葉、それが「敷島の道」イコール「和歌の道」、とわたしはそう理解しています。

ここで歌われているものは「希望」です。
ちゃんと「周囲の人間たち」が共存している。「みんなが」どうしているのかが詠まれている。
そして嬉しい。

万人が間違いなく意味を読み取れる。こういう歌がいいお歌だとわたしは判断しています。


ド素人ですので何か間違いがあったらごめんなさい。
こういう鑑賞方法もありますよ、ということで御寛恕願いたいと存じます。よろぴくだよ~☆




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皇族の歌 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/05/25 23:22

平成六年の皇太子、皇太子妃の歌(お題『波』)



現東宮、同妃の歌。
新婚の歌です。

我が妻と旅の宿より眺むればさざなみは立つ近江の湖(うみ)に
(徳仁皇太子・平成六年・歌会始 お題『波』)

君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る
(雅子妃・平成六年・歌会始 お題『波』)

違うモノ見ちゃってるよ!
さざなみ立っちゃってるよ!

と、一読、驚愕すべきトコロでありまして、わたしが何に驚いたかを順次説明いたします。
もし姐さんが宮内庁の中の人だったら青くなって両者に聞き取り調査を致しますね。
「もしやこのお歌は皇太子殿下のヘルプミーの叫びでは」とどきどきしながら。

まず、二人で新婚旅行に行った先の情景を詠んでいらっしゃるのですが「見ているモノが違う」ところで「不協和音」を感じます。

何がどう違うのか。

和歌というのはさまざまなルールが定められており、その定め、決まりの中でいかに自分の個性を出すかが勝負です。
あえての「はずし」もカッコいいですがそれはあくまでも上級者。ともかく最低限の「歌」のていを成さしめるために、これさえ守れば一応の形式は守れますんでよろしくね、という約束事がございます。

これ、大変なようで実はとってもありがたい決まりなんですよね。やるべきことが定まっているがゆえに、覚えてしまえばなーんも考えなくていい。「その範囲の中」で遊びなさい、という決め事があるから楽しめる。

で、このお二人の歌は、いきなりそのルールから外れています。

何が問題かというと歌に詠みこむ「地名」が違っているんですよ。
皇太子は「近江の湖(うみ)」、同妃は「琵琶の湖(うみ)」です。

いやいや同じモノだろうとおっしゃるなかれ、モノゴトというのは「ファーストステップ」として「それをなんと呼ぶのであるか」でその後が全部変わります。最初の定義が「違う」なら、後の結果は必ず変わる。

そもそも和歌に地名を詠み込むについては、かなり特別な理由があります。
それは「ご当地褒め」「土地誉め」「賛歌」ということで、その場所を特に名指して賞賛、寿ぐことで大地の平定や災害除けになる、ということですし、もともとは「その土地に名前をつける」ことで霊的・実効的支配を及ぼせる、権威・権力の実証を意味しています。

特定の言葉にかかる「枕詞」というのは皆さんもご存知でしょうが、「ぬばたま」ときたら「黒」「髪」「夜」「一夜(ひとよ)」「夕べ」などにかかりますし、「垂乳根」は「母」「父」「両親」などにかかってくる。
ある特定の言葉にかけて、冠されるコトバに対する誉め言葉として枕詞は使われました。
そして枕詞は「地名」にかけるものが非常に多い。「あおによし」なら「奈良」で「かむかぜの」なら「伊勢」というように。

で、「天皇」が「地名を挙げる」というのはことに特殊な意味を持ちます。「国見(くにみ)」と言われているもので、天皇が高い場所から支配する地域を見下ろして霊的に国固めを行うもので、これはもちろん物理的な「統治下である領土」としての宣言でもあります。

同様に、その地名を和歌に詠み込み称揚することで慰撫・支配を完了させる。
これは同じことなんですね。

日本の霊的なテクニックに「見立て」があります。以前にも書きましたがA=B、というふうに見做していくことです。
たとえば冨士講という信仰形態。霊峰富士をご神体として先達(せんだつ)と呼ばれる熟練者、有資格者に導かれ富士山に何度も登ります。実際の霊峰富士に行けなくても、近所の空き地に塚を作り、地名を冠して赤坂富士、神田富士、というように命名し、そこを参拝することで実際の富士登頂をしたのと同じである、と見立てていく方法です。
見立てる内容を擬(もど)き、といい、実際に擬いた結果の生成物を「うつし」といいます。コピーといってはいけません(笑)。
富士山のうつしを神田富士としてもどき、富士に見立てて信仰する。

この場合、名前が同じなら同じ、カタチが同じなら同じ、機能が同じなら同じ、色が同じなら同じ、というようにA=Bにあてはめられる条件は実はなんでもOKです。
だから浅田真央さんががんばると全国の、全然血縁関係がない方でも名字が浅田さんであれば一緒にがんばったことになる。
まあ「こじつけ」ではありますが、そうやってひとつの世界観を構築して、自分が生きていきやすいように福を招き害を遠ざく、暮らしの知恵ってことですね。

皇太子というのは「立太子の礼」を経た方ですから、次に天皇になる人間です。
そういう方が地名を詠み込むというのは、やはり特別な意味を持っているのです。

そして皇太子は近江という古い地名を出してきた。今はどういう名前であろうと、過去にさかのぼって長く使われてきた「その名前」をわざわざ出して「そこにいる」と「ガンダム、大地に立つ」宣言をしています(笑)。

さざなみが見えることから、おそらく時間は早朝から昼まででしょう。ここには太陽=日も、月影も星々もありませんので、人間の活動時間帯の常の時間、昼間、もしくは朝の時間帯だと思われます。
月影さやかに、とか星の静寂(しじま)に、と特定されていないから。
これが午後の時間帯になるとかがよう日差しとか揺らめく陽炎とか、他の気象現象が入ってきます。
目の前にあるのはただただ近江の湖(うみ)なんだと。

そこにさざなみが立っちゃってます!
これはゆゆしき一大事。

波が騒いでいるんですね。たとえさざなみ=小さな波だとしても、平らか「ではない」。揺れ動く。

しかもさざなみが立つのはどこですか?「近江の湖(うみ)に」です。ヤバイです。これ、まわりも止めなかったんですかね。こののち、近江にさざなみが立ちますよ、という呪いの歌にもなりかねません。悪く取ればそうなります。

自分の心が揺らぐから、まわりの景色が揺らいで見える。それを実際の地名になすりつけてしまっている。
悪い歌です。いけません。

皇太子、楽しいはずの、人生でもっとも幸せな瞬間の連続であるはずの新婚の旅で、もう心にさざなみが立っています。
これはヤバイ。

やばくないなら、やばい、と読み取れるお歌を出してきたことが失敗です。
王者というのは「絶対に」誰にも間違われない歌を出さなければいけません。ミスがあったら戦乱です。政変です。

そういう意味では今上のお言葉も、日本人の知性と教養を大幅に見誤っておいでだったと思います。
陛下、もうちょっと引き下げていただいてストレートにおっしゃらないとわからないどころか「曲解」するウカラヤカラが続出ですよ!と。
今上は公務が多すぎるように取り計らった宮内庁のせいで使い殺しの目に遭われている。これでもか、の膨大な虐待酷使のひとつひとつに誠心誠意心をこめて、日本を代表する神の子、太陽の直系子孫としてかくも長きにわたって懸命に勤めておいでになった。人間と接するばかりではなくて、日本を創った、いやもっと上位の天地創造の根源神とすら親しく接してお話になり、常に最善の道を歩んでこられた。
その陛下の命をかけたこれまでを全否定するような謎の新造語の「生前退位」で陛下に爆弾を投げつけてお心を傷つける。
皇后陛下の、断腸の思いで発せられたショックを受けた、のひとことの重さをも受け取らない。
何たることか、と思います。

今上があまりにも素晴らしい方ですから、そりゃあ期待しますよね、「次」はどんなに立派な王者であろうかと。

それなのに皇太子という御立場でこれはいくらなんでもないだろうと、わたしはガッカリすると共に「ヤバイなー」と稲川さんばりに繰り返しましたよ。
ヤバイヤバイヤバイ。
ヤバイマズイコワイ。
悪の牛丼屋です。

たとえ爽やかな陽光を浴びてきらきらと光を反射する綺麗で快活な情景であったとしても、それらの描写が一切なく、ただ妻になった女性と宿からボーッと見降ろせばちゃぷちゃぷ波が立っているなあ、だけでは「全然ダメ」な歌ですね。

だってね、この凡庸さ。この無彩色さ。モノクロの世界です。色もなければ音もない。なんという平面。

和歌は「立体的に」読まなければダメですよ。皇室なんて、日本の伝統文化、日本の魂の根幹をなす「和歌」のスペシャリストだったはず。どうしたというのでしょう。

「我が妻と眺むれば」「さざなみが立つ」わけですよ。ヤバイです。心にさざなみが立つということは、疑念、不信、迷い、惑い、何らかのネガティブな感情が揺れているよということです。


さらに同妃がもっとヤバイ。

横に立つ旦那の心にさざなみが立っていることはガン無視です。気づいてすらおりません。

「君と見る波しづかなる」 あーあーあー。いや、キミの旦那さん心が騒いでいるようだよ!
「琵琶の湖(うみ)」 旦那と違うモノ見てるよ!もう心は離れ離れだよ!新婚なのにちょっ早だよ!
「さやけき月は水面(みのも)おし照る」 きらっきらなお月様が一部の隙もなく煌々と明るく万物を照らしていると言ってるよ!得意の絶頂だよ!何ひとつわかってないよ!

感情の機微とか陰影とかなんにもないよ!つるっるつだよ!

ヤバイヤバイ。

もし皇太子も夜間の眺めであるならばもっとヤバイ。夜、二人で湖を見たら旦那は波騒ぎ心揺らぐ様を見ているわけですし、女房はどこもかしこも平坦にただただ明るい月夜だなあとうかれポンチでいるわけです。

時間帯が違っていてほしいなあと切に願います。

これ、別にイチャモンをつけているわけではなくてですね、このご夫妻につきましては特に奥様のほうが「のっぺらぼう」な情景ばかりを詠まれていて、「怖い」んですよね大変に。
なんというか、「心なし」なんです。歌に何らの心もない。

和歌というのは冷泉家の御方によれば、本来は個人の感情を朗々と歌い上げるのは下の下であって、そもそもは神、さらには仏、というような尊いものに対する崇敬を、自然の万物を「お約束をうまく使って」スタイルを整えて詠むもので、ここでいう湖(うみ)をテーマにするのなら、そこがいかに広々とたっぷりと豊かで恵み深くて尊くて、綺麗で美しくて清らかか、を、人間の暮らしにひもづけて、見て、詠う自分と、そこで繰り広げられている人々の「環境こみの」暮らしぶりとを徹底的に褒め上げる、そういうものでなければいけません。

なんですかこの「情趣のなさ」は。平べったくて無教養でかっさかさに乾いています。

百歩譲って最大限によい解釈を苦慮するならば、皇太子は近江という律令で定められた地域全体を代表するものとして近江のうみ、といい、同妃は目の前のうみそのものをさして琵琶のうみといい、それを上から大どかにのびのびと隈なく照らす大空の月をメインテーマにしていると無理矢理詠むことも可能でしょう。
ただ鑑賞するのであればそのように解釈して「さしあげる」のが自然なのかもしれません。

でも、このご夫婦のぼさーっとただ情景を定型におしこめた無関心ぶり、無節操ぶり、非人間的な「情趣のなさ」、いうならば「無感動」にわたしは戦慄を隠せません。

新婚なのに!なんでだよこの乾燥は!!!

と声を大にして言いたいものでございます。

もしわたしが一首詠むならば、皇太子の分は

我が妻と旅の宿より眺むればさざなみは立つ近江の湖(うみ)に
(徳仁皇太子・平成六年・歌会始 お題『波』)

まひろなる 湖(うみ)にかたつく 旅の宿り 妹背と吾が見ゆ 幸くと近江

意味
まんまんと水をたたえて広がっている大きな湖の、旅の途中でやすむことになったそこに面した宿の中から、こよなく愛しい妻と一緒に見晴るかすことであるよ、近江の地とそこに住まう人々が永遠に幸せに賑わう日々が続きますようにと祈りながら

動詞の見ると地名の近江(おうみ=おう、見るがいい)がかかっています。
我欲の我は使わない。吾にします。悟性の吾です。
かたつく、は接する、面している、という意味ですが、方がつく、という意味もかけて「これまで近江に何があったとしても今後は末永く幸せですよ、幸せの絶頂にいるわたしと同じくらいずっともっと幸せですよ」と読み取れます。
旅の宿り、ですから、ハネムーンの思い出でもあるんだよ、と艶めかしてもおりますね。
新婚さんが宿に泊まったらそりゃやることはひとつだろう。夜を徹してお互いに素晴らしい歌を詠むんですよねー(おい)。

あるいは
さざなみの白く際立つこの湖(うみ)に妻と宿れり 愛(め)でのさかりに

うわー、ちょっと強烈ですかね。エロい内容です。

「ささなみ」あるいは「さざなみ」を地名に取るなら滋賀県=近江の琵琶湖西南部沿岸地方の古名です。
だから「さざなみ」を出すのなら「近江」は出さないほうがいい。どっちかで意味が通じるからです。
(解説がないと通じなくなったのはみんな戦争が悪いんだ、敗戦の結果、日本弱体化のために教育機会を奪われたからなんだ!ということでお互い悲しんでおきましょう。よよよよよ)

その琵琶湖西南部に、いとしさが極まれる妻と宿をとったよ。白く細かく騒ぐ水のさまが古来絶えないこの場所に。

これは「んま!」と奥様方の眉をひそめさせる歌なので外に出してはいけないですね。
新妻と白く見える液体といえば「んまあああ!殿下ったら!」と頬を染めないといけません。

殿下は決してこんな歌を詠まれたりはなさらないはず!これはわたしの勇み足です。
でも新婚のころってみんなこんなではなかったですか?
殿下!お幸せな瞬間もおありだったのですよね?????



同妃の分

君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る
(雅子妃・平成六年・歌会始 お題『波』)

静(しづ)かなる水面(みなも)渡りし月さやか 君と並びて 琵琶湖 眺むる

新婚の花嫁さんなんですからこのくらいでいいんですよ。素直が一番です。大事なのはお気持ちです。ありがとう、がんばります、一緒に栄えていきましょうね、という優しく穏やかで分け隔てのないお気持ちです。

お題の「波」という言葉は直接的に入っていなくてもいいんです。この歌は波が消えた後の情景です。もう世界は平定された。穏やかにものみな眠る深更です。

波騒ぐこともなく安らいでほっと息をするように静かなこの夜に、大地に近い場所からそっと万物を照らし出す月が、あのように冴えて美しいことですね。
今ならんでそれを見ているあなた、太陽が君様、大切なあなたであるのなら、わたしはそこによりそう月になって、あなたの人生を照らしましょう。太陽のようにいずれは貴い高い位置につき、万民の幸せを祈り続けるお立場になるあなた様。
でも、今夜はわたしのそばにいて、このように美しい景色をふたりで見ている。それはなんと幸福なことでしょう。
琵琶湖と共に暮らす皆さんがこよなく大切にしている琵琶湖を愛するように、わたしも未来永劫、夫、上様であるあなた様を愛しますよ。
月が渡っていきますから、長い時間、少なくとも1時間はふたりで寄り添って眺めている。
あるいは月が静かなのに室内はハッスルハッスルでちょいちょい休みながらふと見上げているのかもしれないですが、ここでは二柱の男神、女神であるかのようにあたりを見ている情景ですね。

可愛いじゃないですか。いい奥さんだなあと思えませんか?

水面は「皆も」とかけて「みなも」と詠みましょうよ。みんなも一緒にね、の精神です。
漢字の読み方、助詞や接続詞、送り仮名なんぞが「いつの時代の言葉遣いか」は研究者に任せましょう。
大事なのはお気持ちです。
まぜこぜだっていいんですよ。

だってあなたが今歌にこめるべきは、何よりもまず、祝福してくれた、一緒に喜んでくれた琵琶湖をようするこの地域の人たちの幸せと、旦那さんの幸いです。なんとそうではないだろうか。

あるいは、

月さやか 波しづかなる琵琶の湖(うみ) 近江(おうみ)を遠見(とおみ)の君と眺むる

さやか、としづか、おうみととおみをかけています。
近江という地名に遠見、望見をかけて王者のふるまいを描写している。
近江の地で次世代の治天の君であるあなたと一緒に土地鎮めの祈りをこめて夜をかけて見渡しましたよ、という歌です。
地名をくどくどと二か所出すのはアレですが、まあそこは「旦那よりお上手ではありません」とアピールできて一石二鳥です。
土地と湖の名ですからご愛敬でしょう。


……ということが、何らの和歌教育を受けていない一般人のド素人である姐さんにすら、ぱっと出てきてしまうわけです。
(姐さんはなんでも独学ですからね。だからときどき、大変な勘違いとかしています。お恥ずかしいことですよ)

これはまずいですよ。

なぜなら皇室行事のうち「天皇がつかさどるべきもの、天皇しかできないもの」はすべて「言葉」を伴うからです。
そこをおろそかにしてしまうのは「怖い」とわたしは思います。
神様と接する時には「象徴」と「言葉」を使います。日本は「言葉」が占める割合が多い、大きい。その証拠が祝詞です。
ことばがとても大切です。

妃殿下はそういう行事には参加しないから関係ない?
いやいや、妃殿下は「人間たち」と接していかなければいけません。
すでに現時点で「病人」である人が、いったい何をあせって皇后位に執着しているのでしょうか。

コワイです。

ど素人なりにお歌を解釈いたしました。しかもクッソへたくそな歌も披露するという辱めを自ら選んで。
うわーん。
こんな自爆テロみたいな記事なんか不要な「次」であってほしかったですよ。

コワイコワイ。

せめてもお嬢さんのペットに「ニンゲン」なんぞと名付けずに「公民」とつけて「おほみたから」とでもつけるなら、と思いますが、それにしたって「来い、ニンゲン!」「あっち行け!ニンゲン!」と騒ぐセンスにはぞっとしますね。
「どういうスタンス」で生きているかモロリと出るんですよ「こういうところ」に!!!!


皇太子殿下ならびに同妃殿下におかれましては浅学菲才の身をもって僭越至極な言及を申し上げ奉りしことを平に御容赦願い上げ給うものでございます___呻きすめく絶えざらん息の元からの記事でした____

お詳しい方、どうぞ闊達なるご意見を願います。ひー、矢ぶすまにされそうですよ。コワイコワイ。





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皇族の歌 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2017/05/25 18:20

”昨年秋から悠仁さまは秋篠宮邸の庭で田んぼ作りを始められました”




悠仁さま 高校受験回避のために筑附中無試験進学の可能性
https://www.news-postseven.com/archives/20170519_556680.html
2017.05.19 07:00

 この春にお茶の水女子大学附属小学校の5年生になられた悠仁さま(10才)。2年後に中学校に入学されるときは、すでに天皇陛下は生前退位されて“平成の次の世”だ。その時には、父親の秋篠宮さまが「皇位継承順位1位」、そして悠仁さまが「2位」となっているはずである。その時に向けて、準備は着々と進んでいる。

「昨年秋から悠仁さまは秋篠宮邸の庭で田んぼ作りを始められました。これは、昭和天皇が始められた皇居での稲作の流れを組む“帝王教育”の一環でしょう。この先、中学に入ったら、本格的に帝王学をスタートさせるはずです」(宮内庁関係者)

 しかし、その中学入学を巡って前代未聞の動きが教育関係者の間で波紋を広げている。

「4月、お茶の水小の6年生の保護者会で、学校側から『提携校進学』と呼ばれる新制度を設けることが発表されました。お茶の水小を卒業した若干名の生徒が、名門国立中である『筑波大学附属中』に進学できるということでした」(保護者の1人)

 120年以上の歴史を誇る筑波大附属中学校は「偏差値75」、2017年の受験倍率6.8倍という超難関校だ。約8割の生徒が進学する附属高校からは毎年、東大・京大に多数の合格者を輩出している。

「新制度を聞いて色めき立ったのは男子児童の保護者でした。というのも、お茶の水女子大附属は小学校、中学校は共学ですが、高校から女子校になります。女子は高校まで内部進学で進めますが、男子は進めないので、外部の高校を受験する必要があるんです。男子児童であれば、そのまま筑波中、筑波高に進めるならうれしいでしょうね」(前出・保護者の1人)

“どうせ高校で受験しなければならないのだから”と考え、お茶の水小の男子児童の約半数は中学受験に挑んで外部の中学校に進学する。その結果、お茶の水中のクラスの女子生徒数は男子の2.5倍と、女子が圧倒的に多い特殊な環境になる。

「女子が倍以上いるので、お茶の水中の男子は、優しいけれども大人しくて、少し線の細い生徒が目立ちます」(お茶の水関係者)

 中学受験するなら、小学4年生頃から塾に通うなどして受験の準備が必要だ。悠仁さまも昨春、小学4年生になった頃から中学受験の準備を始めたと報じられた。が、実際には難航していたようだ。

「立場上、悠仁さまを学習塾に通わせるわけにいかないので家庭教師をつけようとしました。ところが、“受験失敗は許されない”というプレッシャーで家庭教師のなり手が見つからず、受験準備が思うようには進まなかったようです」(秋篠宮家関係者)

 悠仁さまのお受験を回避できないか──。そのためにこれまでもさまざまな手立てが検討されてきた。まず持ち上がったのは、お茶の水附属高の「共学化」だ。

「高校を男女共学にすれば、悠仁さまの進学問題を解決するばかりか、優秀な男子生徒の流出を防ぐことができて一石二鳥との声が内部から挙がりました。しかし、『日本初の女子高という伝統を守るべきだ』というお茶の水OGの強い反対があり、結局この案は見送られました」(前出・お茶の水関係者)


この記事で大事なのはここだけです。

「昨年秋から悠仁さまは秋篠宮邸の庭で田んぼ作りを始められました。

これは、昭和天皇が始められた皇居での稲作の流れを組む“帝王教育”の一環でしょう。

この先、中学に入ったら、本格的に帝王学をスタートさせるはずです」(宮内庁関係者)





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皇室、神道、信仰など | コメント(3) | トラックバック(0) | 2017/05/20 01:04

御霊神社への参拝について



5月15日は御霊神社、通称上御霊神社のお祭りですね。
当日は「けんぽこさん」と呼ばれるお祭りの行列が通ります。
先頭の獅子舞、けんぽこさん、続いて牛車が通るのですが、牛車は現東宮がつばをつけてあるので、このお祭り行列ではなくて、境内に参拝なさっていただくときに「小倉さんがんばー!」と祈願していただけると今上から弟宮への皇統の継承がスムーズに行われます。
「小倉局(おぐらのつぼね)さん、ファイトー!」ということです。
霊元天皇と光格天皇、それから「次」とを結びつける「七代目ごとの呪いの更新」に役立ちます。

この呪いが実は皇統を保証する切ない思いがこめられた「どの女性も誰も不幸になりませんように」という祈りである、ということはセミナーでもお伝えしたとおりです。

御霊神社に行かれる方で心ある方はぜひ「小倉さんがんばれー」の思いを手向けていただきたいと存じます。

できれば一首詠んでいただけると、いいのです。
慣れていなくても稚拙でもなんでもいいので「小倉さん、大変でしたね、でもあなたの祈りは逆にもののわかった明治天皇によって補強され、皇室の永続を保証するものになったのですよ」という意味をこめて手向けていただけるといいのです。

わたしも行かないといけないなあ。ビバ!御霊神社です。





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皇室、神道、信仰など | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/05/16 20:36

天皇陛下、早期退位想定せず




天皇陛下、早期退位想定せず
公務「このペースで臨む」

2016/7/16 02:00
https://this.kiji.is/126730169875546121

 天皇陛下が皇太子さまに皇位を譲る生前退位に向けた法改正を政府が検討していることを巡り、天皇陛下自身は早期退位の希望を持たれていないことが15日、政府関係者への取材で分かった。

 陛下は例年、年明けと夏に定期健康診断を受けているが、現在は目立った不安は見つかっていない。最近も宮内庁側と公務の負担軽減が話題になった際、陛下は「まだまだこのままのペースで臨む」と明言。側近らにも、退位という文言や時期を明示したことはないという。


ほらみろ!!!!!


こんなの、「カネに汚い外国人」が騒いでいるだけですよ。

まず、「生前退位」というコトバがもう「おかしい」んですよ。
これは「生きていたければ位をおりろ」という「恫喝」ですね。
普通の日本人ならまず出てこないコトバです。
皇后陛下がショックを受けたとおっしゃったのは言葉の意味を実に正しく受け止めておいでだからだと思います。
そのくらい「ありえない表現」なんですよ、普通の日本人にとっては。

生前「譲位」なら日本語としてありえます。が「生前退位」はガイコクゴです。ものを知らない左翼が勝手に作ったと思っていい。

先の天皇が存命のうちに次の天皇が即位することは皇太子が「受禅(じゅぜん)」する、といいます。禅譲(ぜんじょう)からきています。

明治以後、日本は憲法によって、天皇は崩御=死をもって次の天皇が即位することに決められていますから、先代が存命のうちに代位が変わることは「ありえない」わけです。
だから受禅というコトバは出てこないし(左翼の場合は無知だからですがw)、先の天皇の死によって次が即位する「践祚(せんそ)」だけが「有効」なわけです。

過去の天皇位というのは、必ずしも天皇である父からその男児にというわけでもなく、兄弟、親戚間でもあったから、次に即位する人を候補者の中から定めることを儲君(ちょくん)に立てるといい、「次に皇位につく方」として皇太子に認定し広く知らしめることを「立太子の礼」といいます。

このへんの用語も知らずにあれこれ言われたくないですよね。

それから、たとえば江戸時代の天皇のうち、お二人が女性でした。

明正と後桜町のお二人です。

この二人には特徴があります。

・生涯未婚であった。
・摂政を立ててそちらが政務を司った。
・神事に「予備日」が設けられた。
・菩提寺である泉涌寺に御影(肖像画)がない。

生涯未婚→この人一代限りの「つなぎ」である、ということです。

摂政を立ててそちらが政務を司った→天皇が未成年者や蒲柳の質(ほりゅうのしつ=体が弱い、病弱)の場合には摂政を置くこともありますが、成人後も摂政を置かれ続けています、つまり「つなぎ」であるということです。

神事に「予備日」が設けられた→女性は定期的に月のものがありますから、これを「穢れ」と受け止めて、平常時に神事ができるように必ず予備の日程が組まれていました。江戸時代もそうですが天皇の「主な仕事」は「祭祀」です。一年365日、日によっては複数の儀式をこなさなければなりません。それのすべてに予備日をもうけるというのは大変な難事です。「つなぎ」で「すぐ代替わりをする」ことが前提でなければ維持できない。

菩提寺である泉涌寺に御影(肖像画)がない→京都東山の真言宗泉涌寺(せんにゅうじ)は歴代天皇の菩提を弔うお寺です。皇室だから神道かといえばそんなことはなくて、皇室の仏教は天台宗と真言宗で、明治天皇のくだした分離令より以前には、むしろ仏教様式での儀式が多く、ことに死後の冥福を祈るのはもっぱら仏式が専任でした。泉涌寺には歴代天皇の陵(みささぎ)=お墓もあり、今でもきちんと機能している立派なお寺さんです。保存会の代表は秋篠宮殿下同妃殿下で、年に一度の総会には京都までお運びになり出席をなさっています。
仏式の供養をなさる場所です。
ここに江戸時代の天皇は、女性である明正も後桜町も含めて14人が祀られていますが、この二人だけは肖像画が「ありません」。
肖像画はその人そのものと見立てて儀式を行う際に「本人」扱いされるものです。そこにリアルに実在なさっている体(てい=ようす)にして、読経したり供物をささげたりする、非常に尊(たっと)いとされるものです。
一時期、天皇皇后両陛下の紙焼きお写真を御真影(ごしんえい)といってお二人そのものであるかのように大切にする習慣がありました。まあこれも「上」からの命令で学校ならびに官公庁にはあるのが当たり前の時代があった。学校が火事になり御真影を焼失させた校長が自殺するなどという悲劇も生まれたわけですが、「影」というのはその人そのものとして扱われる。
それが「ない」のです、菩提寺に。

つまりどこからどう見ても女性天皇は「つなぎ」で「皇室自ら天皇扱いしないのが普通」だったわけです。
そもそも女性が即位するのは「よっぽどの非常事態」であり、「その前後」を見ていくと「必ず荒れた時代」ですよ。
イレギュラーな代理ピッチャー。
フォークボールしか投げられないから「最初から四球でいいよ」扱いです。
で、出塁を最小限にするためにピッチングコーチ(摂政)がへばりついて一球ずつその人がしれっと投げてみんなが「代理ピッチャーが投げたふりをする」ようなものですよ(笑)。

少なくとも江戸期は「確実に」そうです。

過去に女性天皇がいたから、だから愛子さんを即位させろと言うのなら、「江戸期の女性が即位した例」をちゃんと頭に入れておいてほしいですね。

で、女性を天皇に即位させるということは「誰かがとんでもない我儘」を言い出した結果なんです。いつの時代も。

三千年続いたものを「愛子さんがカワイソウだからーーー」だから変えろと主張するのは「暴論」であり「めちゃくちゃ恥ずかしいこと」ですよ。本来なら「黙ってろ」で終わりです。

男女同権を叫ぶなら「女性天皇は結婚・妊娠・出産できない」「前例」をどう取り扱うのでしょうか。

男女同権という「考え方」よりも以前に、わたしたちは人間という動物です。この種類の動物は、お父さんが天皇の、男性のみが即位できるし、そうでなければいけないという「繁殖上の理由」を持つ。問題は「人間の遺伝子の構造」ですから、これはもう誰も何も言えないはずです。
遺伝子に一生文句つけたところでどうにもならない事実です。
左翼ってヘンなのー(笑)。

たとえばですよ、愛子さんを即位させて、中国の首脳部の、幹部の息子なんかと結婚させる。これで中国は日本と「天皇を共有」できる。その子供にまた中国人をあてがえば「完全な皇統乗っ取り」「天皇すり替え」の完了です。

そして、皆さんが絶対に忘れてはいけないことに、「万世一系」があります。

もし愛子さんを即位させて中国人(いや韓国人かもしれないですがw)と結婚させたら、愛子さんの配偶者になった男性の「祖先」も「皇室で」祀らなければいけなくて、「霊的な皇統」もそこで絶えてしまうんです。
「万世一系」とはそういう意味なんですよ。

皇室は、「お父さんが天皇の、男性が継いでいく」、これだけが正解です。

女性を天皇に即位させたがるガイジンは、では「摂政」はどうするのか、「女性の天皇の配偶者はどうするのか」には触れません。都合が悪いことは全部無視する。
あるいは考えてもいないのかもしれない。

彼らは反論のための反論、破壊のための暴挙、これしかできないですからね。



現在は、現東宮が皇太子として次に即位なさる。これは日本国憲法で保証されているルールです。

この「人間のルール」に従うならばその次は今上の直宮である秋篠宮殿下が即位です。

そしてその次は秋篠宮親王殿下で決め打ちです。


本当に、天皇陛下に関していったい何をこれほど騒ぐのか。

東京五輪を前に「利権」に血眼のバカが立ち騒いでいるとしか思えない。
三千年近くうまく続いたシステムにごちゃごちゃ横やりを入れる者には「うるさい、黙ってろ」で一刀両断でいいはずです。

まともに扱おうとするからややこしくなる。

平成は終わりません。

無理に終わらせようとしている者が立ち騒いでいるだけです。ガイジンはやることが乱暴でいけません。


「ほらみろ」と重ねて申し上げたい。





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皇室、神道、信仰など | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/04/14 15:24

あるご一家のお話し(彬子女王殿下の法隆寺金堂壁画模写の”発見”@大英博物館)



この記事は本の内容紹介とその感想です。
書籍題名はAmazonへのリンクです。アフィリエイト設定がしてあるのでこのページから購入なさると姐さんにちょっぴりお小遣いが入ります。そういうのちょっとなあ、と思われた場合は別に題名で検索なさってみてください。
古くて絶版になっていても、図書館などにはあるようです。

寛仁親王殿下の「とも」の字は、右下の|_のところに点が打たれたものが正字だそうですが、この記事はすべて寛の字を使わせていただきます。

本は、たぶんですけど、寛仁親王殿下のもの、第一女子彬子女王殿下のもの、の前に寛仁親王妃信子殿下のものを見たほうがいいと思います。

そしてここで敬称を略させていただきます。
トモさんの(おいwwww)いや恐れ多いが「ヒゲの殿下」と彬子様のものを読んでから信子様の本にいくと、たぶんものすごく微妙な感じになると思うのです。実はわたしがそうでした。

信子様は東日本大震災の被災地の方との交流を通して「ご自分の手料理」が人を元気づけられることを肌身で知り、生きていくこと、食べていくこと、どんなものを食べていくのか、というところからお料理の本を出されている。

それは非常に尊いことで、ご自分も重篤な病気を抱えて長くお苦しみだった時代を持ち、このようにある意味、人前に出て活動をなさるほど回復なさっていたことに驚きましたしうれしかった。
そして本当に下世話な好奇心から手に取った。

たとえばこれです。

『思い出の先にはいつも家庭料理』 寛仁親王妃信子 マガジンハウス (2013/10/17)

確かに美しい、確かに素晴らしい、確かにご立派です。

ただどうしても「ある種の違和感」がありました。それが何かを深く追及することもなく、そのままにして、そして必要が生じてヒゲの殿下を調べなおした。
市販の本、雑誌、それから残された映像などから類推できる「トモさん像」を改めて作ってみた。

たとえば、『悪童殿下 怒って愛して闘って 寛仁親王の波乱万丈』工藤美代子 幻冬舎 (2013/5/31)

著者は工藤美代子さん。一部の好事家にとっては「おっあの怪談経験多数の作家さんか」ということになるのでしょう。
著者は殿下が退院なさったらインタビューをと約束していたが、その約束を果たせなかった。また、自分のような者がとは思ったが、後世ちゃんとした作家なり歴史家なりが殿下の評伝をちゃんと出すだろう、その横でなら殿下の思い出を綴ったこのような本があってもいいだろう、と『悪童殿下』を出すことにしたと書いている。

わたしは、この作家については「ある種の無神経さ」を感じ、興味と感心が持てずにきました。それは怪談をまとめた本の中である人から聞いた話として、何か厄がついたなというとき(はっきりと生霊が、というニュアンスで)人ごみの中に行って他人にその厄を振り返る話を紹介し「素晴らしい方法なので読者にぜひ紹介したい」ともんどり打って書いている。

わが目を疑いました。「いいことです!きゃーー!素晴らしい!」というときめきが伝わる書き方だった。

では、厄、というモノがあるとして、それがよくないモノだとして、厄をうつされる側はどうなるのでしょう?もしそれで本当にAさんの厄をBさんに移せるのなら、Bさんにとっては移した人Aさんこそが「魔物」になりはしませんか?
怖いことです。

同じように坊、自称占い師が「運気が落ちたら交差点に行って500円玉をバラバラ落としてくる」と言っていたのを知って「すげー、金持ちだな、あたしは1円落としたって大騒ぎで拾うわよ」と思いつつ「最低だな、こんなことドヤ顔で言ってしまうのかこいつ」と思いました。二重にベックラでございます。

この、「ある種の無神経さ」があればこそ、作家としてなり、自称占い師としてなり、のしていけるのかもしれませんが、根底にある「自分さえよければいい」という考え方がわたしには「くっさーーーーーー!!!」と腐臭を放って感じられます。

いや腐るほどの有機物があればいい。そこから再生も始まるから。だけどこのステンレス・スチールのような「厚顔さ」にはただただ距離を置きたいとしか思えません。

この作家による、殿下のご両親からの聞き書きによる『母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出』中央公論新社 (2010/7/23) (中公文庫)も、「うーーーーん、そこで終わらせるのかあ」と「えーーーーそんなこと質問するの」とが入交り、なんとも「もったいない」感がありました。

でも、宮家の方々と親しく交流し、こうして本まで出せるのですから、すごいことなのでしょう。

前提が長くなりましたが、つまり「一切期待できずに」「最後のパラ見」のつもりでこの作家の本まできた。

「どうせつまらないんだろうなー」と隔靴掻痒を覚悟して手に取った。

そして「すまない、このインタビューは工藤女史、あなたでなければ無理だった」と思いました。

まあ地雷を踏む踏む。そして余計なことを言う言う。だからこそ素晴らしいドキュメンタリーになっている。
この鈍さ、このヒドさ、これなくしては成立しない。

この作家の最高傑作はコレでいいだろうと思いました。イヤなりに「何がイヤなんだろう」と考えてけっこう工藤さんのものは読んでいる。何ひとつピンとこなかった中で、これのみは「でかした、あっぱれ!」と思いました。

工藤さんのファンには申し訳ないのですが、たぶんファンが「いいなあ」と思う彼女の長所、まさにそれこそがたぶん自分にとってはダメなんだろうと思います。
刺激的かつ斬新で精力的な取材と緻密な構成ですんばらしい、はず、なのにいつも「フーン」で終わってしまう。
読んでも読まなくてもいい本だった、と毎回思う。
でも毎回手に取らせるんですからやはり「力」はあるのかも。

工藤さんがロジカルに割り切ろうとするところが、「そうじゃない」感をもたらしてしまう。特に怪談における「旦那さんからのツッコみ」にぞっとするような激しい自己愛を感じてしまい、「実際に言ったかどうかは抜きにしてダーにこう言われてしまうアタシ」臭がもうダメです。
わたしも気をつけようwwww「まわりからキチガイと思われているアテクシ☆」がうれしくてたまらない、というのですから工藤さんのように立派な作家さんに比べたらかなり重症ですし生涯底辺からは抜け出せませんwww「電波を受信できないおまえらのほうが頭おかしい」くらいのことは平気で思っていますからいけません。

この記事も「ああ、春だからねー」ということで適当に流していただければいいのかなとwwwww

いやほめてますほめてます、この『悪童殿下』に限っては絶賛です。ほんとですよ。

もうね、工藤さんに謝りました。本気でわびた。ごめんなさい。

工藤美代子、やればできる子じゃん!!!!

何様だよ!というもっともな野次については姐様だよーんと火に油な答えを返しつつ、いやほんと、まいりました。

これ、「肉声」ですよね。殿下はまさにこうおっしゃったんですよね。そう、思えます。そう、感じる。

喉に穴があく手術をして声を出せなくなった殿下。あんなに人と愉快におしゃべりすることが大好きでいらしたのに(※工藤情報による)肉声を失って、でも発声させるための機械にたちまち習熟し向き合っている間は機械音声だなんてわからなくなるほどのエキスパートになられた殿下(※工藤情報による)、同じように声を失って苦しんでいる方にはどれほどの希望と勇気の源になっただろう。

嗚呼。

工藤さんの本気、工藤さんの作家生命を賭けた本気がここにある。

それなのに「幻冬舎」から本が出ている!!!!嗚呼!

キワモノ本、イロモノ本、社長がハイエナ、営業が地獄、みたいな評判ばっかしの! あたしじゃないですよ、世間の評判がwww

だけどこれすごいよ!皆さん読んでください!というか今までちゃんと読まなかった自分はポンコツ!

そして『皇族の「公(おおやけ)」と「私(わたくし)」』 PHP研究所 (2009/3/24)は明らかに焼き直しなのでどっちかでいいです。

クオリティは明らかに『悪童日記』のが上だろう。

信子妃殿下との間のことも、現皇太子殿下の「雅子への人格否定発言」のことも、「皇族とは、天皇とは何か」も全部「最終的な答え」が書かれている。

皇室のことでがたがたぬかす人たち、すなわち桜井誠さんなら「不逞鮮人」と呼ぶであろう痴れ者たちも読んでほしい。
皇室って「こう」なの!こうあってほしかったの!

しかしこの「不逞鮮人」ってすごいパワーワードだよね。確かにそうかもしれないけどさ、「それを言っちゃあおしめえよ」という言葉は世の中にいくつかありますよね。現時点で「確かにそうだけどそれを言ったら終わりじゃん」ワードのぶっちぎりの一位だろうね。
いかん、確かにそうだけど、と言ってしまったアルよ!
わるいニポンジンアルヨ!ヘイトスピチよくないのこと!
ウリたちは嫌い憎み妬み嫉み暴力を振るい続けるが好きでいろウェーッハッハッハ___ひどいアルね!そんな理不尽なことできないよ、ひどいアル!

「誰だよおまえ」という冷静なつっこみを入れつつですね、皇族の本の感想記事でこれだけダイナミックに不謹慎でいいのでしょうか、とかけらも思わないのがブログを長く続けるコツ!

そういえば桜井誠さんには「蔑華思想」すなわち「チャンコロ思想」という悪い言葉もありますよ、とお伝えしないほうがいいですよね____ヒゲの殿下の父君の三笠宮殿下が「こんなことを言うなんて!」と陸軍に怒ってましたけども____とっくにご存じですわよね_____

話を大急ぎで戻しますが、とにかく、ヒゲの殿下がどんなに熱く、懸命に、「生きよう」としていたかを垣間見て、激しく心を打たれました。
これがトモさんの手かーーーと思いたいのに思えない、本当に裏表のない、コドモトモさんのまま生き急いで駆けていった。

そして「ああああああ!スキーではなくスケートにズレてくださっていたら、こんな反日不正採点は断じて起こらなかっただろうに!」ときいいいいいとなりました。

スキーの人たち、いいなあ。そういえばむかーしの日本のIOC委員の「買収がきかない高潔な人格」で有名な方もアルペンスキーの選手でしたか。

いいなあ。いいなあ。そして「こんなに懸命に生きようとしていた」皇族の生の声にべっくらして、そのお嬢様の彬子女王殿下のご活躍にも注目してみた。

で、これがまたすごかった。

赤と青のガウン』彬子女王PHP研究所 (2015/1/17)

もうね、絶対真央ちゃんに送ろうと思いました。

まず政治的な話は出てきません。あくまでも「一人の学者として認められるために」イギリスに留学した若い女性の話です。

かつて父君が留学し、そして学位をもらわずに帰国なさり、はっきり言って遊びまくっていたイギリス、しかしてそこで知った人脈、ファッション、生活習慣、イギリスと、大陸の「生きる姿勢」をのちに縦横無尽に活かしまくって活躍をなさったヒゲの殿下、父君とのやりとりが随所に出てくる。

渡英前に留学経験のある現皇太子殿下ご夫妻にいろいろな話をうかがって、父君との食い違いを現地で「ああそうか」と納得する話。

父君から「実在の人物は本名をなるべく出すように」という指示があり、姓名の一部ではあるが名前を出してさまざまなエピソードを綴っている。

冒頭の、「何かあったら自分が全責任をとる」という意味のことをはっきりとおっしゃった「実は心底、応援してくれていたお父様」のこの男らしさ、かっこよさ。
彬子女王殿下におまえは留学するんだ、と言い続けて育てたのに、いざ本当にその指定どおりに留学して、修士ではなくその上の博士号取得を目指して懸命に努力なさっている彬子様に対してあまりにもな父君と宮内庁。

その悲しみと苦しみを一瞬でくるりとひっくり返してみせた「男親」の背中のたくましさ。

彬子女王殿下、実によく泣いています。
「そんなに苦労したなんて知らなかった」と後で言われてはっとした、と実際に書かれていますが、われわれからすると雲の上の人であり、なんでも皇族だからでスイスイと世の中渡っていけそうで、留学ですか、あらイイデスワネーくらいに簡単に考えていたふしがある。
でも、この中で語られる生身の等身大の「学業と暮らし」のなんと質素で綿密で、そして笑いに満ちていることか!

彬子女王殿下、ご自分でもお酒を買うときの年齢確認のお話を書いていらっしゃいますが、カラー写真を見る限り中学生です。高校生にすら見えない。コドモですコドモ!

すべての写真がニッコニコで、赤ちゃんみたいに明るくて爽やかでなんともいえない魅力的な笑顔です。

帰国後の和装のお写真などどれも高貴で素晴らしい淑女におなりあそばされていらっしゃいますが、正直、正直!このころの姫様は、外見だけを切り取ったら、ネットで言う喪女よりです。もてない女、もじょ寄りです。
だがしかし、この笑顔のきらきらぶりはただ事ではありません。

赤ちゃんです、赤ん坊の笑顔です。ザ・無垢!ザ・信頼!ザ・誠実!

こんな清らかで魅力的な笑顔で笑えるんだ!

衝撃です。

そして日本が誇るマジモンのプリンセスだというのに、彬子女王殿下、おかしいんです。可愛すぎ。

トラブルがあるたびに「日本でニュースになったらどうしよう」と心配なさる、のはいいのですが、頭の中でそのニュースの記事の見出しをいちいちお考え遊ばされるwwww
恐れ多くもかけまくも恐悦至極でございますが、可愛いすぎwwww

日本では銀行のATMを使ったこともなかったのに、皇族だからなんて特別扱いはなく、いきなり異国の空に放り出される。さまざまなミステイクと、正直、正直申し上げてドジをお踏みあそばされながらの経験値のアップぶりが好ましい。

絶対にいい人です、彬子女王殿下wwww

ああ、これ年頃のお嬢さんみんなに読ませてあげたいなあ。ひとりの女性が自分の夢に向かって懸命に生きるこの姿、まさかの現代日本でこんなに真摯に懸命に、そして父君の願いどおり「たくさんの友達がいる魅力的な女性」として頑張っていらっしゃる方の「報告」ですよ。

ギリシャ彫刻のような美麗な外見の先生にどぎまぎしたり、時間がなくて「特性皿うどん」を発明して召し上がったり、あちらでできた友人たちとのてんやわんやの学生生活、そして途方もない壁として立ちはだかるおっかない先生や親切な院生たち。

英語で500ページの論文を提出し、そして、ああ!この感動をぜひ若い女性に!そしてそんな年頃のお嬢さんを持つすべてのお母さんと、できればお父さんに!

かつて父君が出された『トモさんのえげれす留学』と同じ出版社からと望まれたものの断られ、PHPさんが出したという、こんなイイ本をなぜ断る。MOTTAINAI!

かつて「著者の意向を一切無視した死人商法」で、出せばトリプルミリオンセラー待ったなし!の本を出版直前に差し止められたポプラ社なんてのもありましたね_____クソが____忘れないぞ来世でも_____
小さい人向けに一年かけてインタビューに応じてくれていざ、というときにクソみてぇな欲をかいてそれを読む機会を子供たちから永遠に奪いやがったポプラ社_____それを今もっとも必要としていたのは、まさに日本の子供たちだっただろうに____

真央ちゃんに、と思ったのは同じくらい有名で、いや世界的な知名度は真央ちゃんのほうがおそらく上でしょう、でも同じようにがんじがらめの制約とマスコミによる監視、「組織」による制約の中で、「夢」に向かって懸命に生きているお姿が重なって見えたのです。

彬子女王殿下は、この本の中でお母さまのことは一切触れていらっしゃいません。「家庭の事情もあり」論文執筆のため疲れていたとたった一言、書かれている。それがそのままそうとは限るものではありませんが、ご両親双方の闘病と長い別居生活、独身の女性皇族としての今後のこと、同年代の海外で活躍する若者たち、さまざまなことを思われたと察します。

そして感謝を、たくさんの感謝を、たくさんの人に向けている。

このように特別な立場にありながら、「普通の生活感覚」を共存させ、「まともにちゃんと懸命に生きる」ことを選び取り、時に笑い、そして実によく泣き、でも人前では決して涙を見せないで、すべてに打ち勝ってこられた姿。

おかしかったエピソードがあります。
留学中に、イギリスのお湯では肌の脂分を取られてしまいお肌がどうもカサカサになる。入浴剤を入れたらいいかんじ。そこで日本に入浴剤を送ってほしいと頼んだら、ある日、日本から「桐箱」が重々しく届けられた。「何かしら?」とドキドキしながら開けてみたら入浴剤がみっしり詰まっていたそうです。
桐箱か!と笑いました。そしてちょっぴり涙が出ました。異国の地でひとり頑張るお嬢様のために、きちんと!確実に!丁寧に!これでどうぞリラックスなさってくださいまし!と一所懸命用意したんだろうなあ、と。

真央ちゃんのところにも、同じように懸命に応援するお手紙や声や「祈り」が届くのだろうなあ、と。


あるお宅の、ご一家の、お父さんと、お母さんと、お嬢さんの、それぞれの本。
お父さんはインタビューのまとめですが、ご本人の手になるものであるかのように仕上がっている。
もちろん、別な立場からすれば、そして一番の当事者である「ご家族」からしてみれば、いいや違う、と思うところもあるかもしれない。

それでもわたしは、このお三方の「声」を直接に聞いた気がしましたし、「皇族だって人間だ!」という新しい発見と、驚きがありました。

寛仁親王殿下のお言葉で、現皇太子に対して「問題があったのならなぜまわりに相談して解決しようとしなかったのか。ただ人格否定発言があったというだけでなく、解決に向けて具体的に何をしようという行動があってもよかったのではないか」というものがありました。

信子殿下のこともふまえて、現皇太子に長い長い手紙を書いて、会って話したい、と願われた。

このとき寛仁親王殿下は、現皇太子の手となり足となって、本気で働き、本気でお二人のために力になろうとなさっていたと思います。

「人格を否定されたなら、その場でなんてことを言うんだ!と叱って、それで終わり。それでいいのではないか」「殿下の代わりに自分がいくらでもその者を怒ったのに」と、はっきりとおっしゃっている。

問題解決のために何をするのか、できるのか。

もしこのとき、現東宮が「トモさん」を信じて何もかもを打ち明けて、「将来の天皇陛下」としてあるべき姿に立ち戻り、そこからすべての言動を積み重ねてくださっていたら、と思わずにはいられません。

トモさん自身は「モテるからしょうがない」と、かなり、「かなりな」ごようすだったフシもありますが、でも、こういうところで「人間の差」「人格的深み」「魅力というもの」が出てしまうなあと思います。

寛仁親王殿下は、雅子さんに対しても普通だよ、いついつこんなふうに言葉をかけていただいたよ、とかばう発言をなさっている。頭がおかしい売国妃だなんてただの一度も言っていない。

天皇を支える大切な伴侶として、幸せであってほしいという願いと祈りが、トモさんにはあったと思う。

だから、会わせまいとする向きも実際にあったのかもしれません。

現皇太子からは儀礼的な内容の短い返事がきただけだったと、落胆されていた。残念なことです。とても。

彬子女王殿下の祖父である三笠宮殿下は古代オリエント学の権威であり、トモさんに言わせると「世界でご本の指に入る」そうですが、五人もお子様をもうけていながら学問に専念されていた。

その孫の彬子女王殿下は女性皇族としては初の博士号取得者にして、外国からの取得は皇族初。

「学者として認められるために」努力してきた、という一文に泣きました。

そして、留学中に大英博物館から「ご先祖関係」の発見をなさいます。ボランティア・スタッフとして勤務中の快挙です。

法隆寺の、日本では昭和24(1949)年に焼失してしまった金色堂の壁画の模写を2種類発見します。

聖徳太子のみたまを慰めるために、その没後に建てられた法隆寺。太子がまっすぐに向かわれたはずの極楽のようす、御仏の素旗。
かつてアーネスト・サトウが1879年に法隆寺を訪れた際に日本人画家桜井香雲に模写させて、それを受けて当時の帝室博物館(現在の国立博物館)がもう一度模写をさせたと彬子女王殿下は書いています。
それが研究対象の蒐集家のウィリアム・アンダーソンに送られて、3m×2mはある薄紙に書かれた壁画の一部である「弥勒浄土図」と特定します。

さらには別の展示会で見たモノクロの法隆寺壁画の複製を見に行って、「二組作られ、もう一組は大英博物館に渡った」とあるのを知り、それを見事見つけ出します。
オリジナルで12幅(ふく)、フルセットの貴重なそれは「複製品だから」と作品番号もふられずに眠っていた。
こちらは昭和13(1938)年に京都の便利堂というところが金堂壁画の写真から制作した原寸大の複製とのこと。
日本では散逸しておりフルセットでは残っていない、実に貴重なもののようです。

先帝の三弟宮の孫である彬子女王殿下の快挙!

そして彬子女王殿下はさまざまな役職に就かれ、学業の道と、日本の伝統文化を「美」を根底に広げる各種の啓もう活動もなさっています。

「普通に、きちんと、しっかり生きる」ことをたぶん続けておいでだろう。

「特異で、過酷で、逃げようがない」お生まれでありながら。

「組み合わせ」ってあるなあ、たぶん「組み合わせ」ですべてが変わってしまうんだろうなあ、と思います。

たぶん誰も悪くはない。組み合わせの、その配置がちょっと掛け違うだけで、途方もない悲劇にも、途轍もない喜劇にも、なってしまう。

そしてたぶん彬子女王殿下はきっと、「きちんと生きる」ことを続けていらっしゃるだろうし、透明で綺麗で明るい笑顔で、「たくさんの友達がいる素敵な女性」としてまっすぐに「学者人生」を歩まれるのだろうなと思います。

「そんなことはない、極悪人だ!」というネタを握っている方はぜひ教えてください(笑)。ソースは明記でお願いします。




お三方の本の感想としては相当に底辺な内容だと思いますが、すみません。

なんともかんとも、思うところがありました。









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皇室、神道、信仰など | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/04 00:30

「るみ」さんからのコメント(聖徳太子を今、サゲたい人たちって・・・・!)



るみさん、コメントありがとうございます。

この記事にいただいたコメントですが、あらためて記事にさせていただきました。

追記あり「日本人ならありえない」「大変な非礼」を働こうとする文部科学省初等中等教育局教育課程課


紀子妃殿下と聖徳太子

うわー、と思いました。つながったなー、きれいに。

「日本語ではないトンチンカンな言葉」である「生前退位」とか「女性天皇」などを使って「変えなくていいものを暴力的に変えようとする者たち」とまったく同じ論調ですね。

これは大問題ですよ。

もし子供たちに対して国が行えるとしたら「聖徳太子がいかに立派な方だったか」とその業績こそをわかりやすく正確に伝えるべきで、その逆はないだろう。

しかも「今」、なぜよりによって「今」これをやる?という話です。

わたしは、思います、今上陛下の譲位をがさがさ言い始めたのは「愛子さんを即位させるためには、男系男子の正当な皇位継承権者」を全員ぬっ殺さないと今の憲法では順番がまわってこない、どう理屈をこねても「無理」なのだとやっと左翼が気づいたな、と。

だから今上に譲位したという前例を作らせて、現東宮が即位したら「先代がそうしたから」という理屈をごねてなんとか悪しき「前例」をさらに重ねるたくらみだろうと。

お恐れながらわたくしめは、今上には平成を終わらせる意図なしとみています。
逆に崩御をもって終焉を迎えるのでなければ「ダメ」だと考えます。
なぜなら「次」がまずすぎる。

前例を作らせてはいけません。

今上がおっしゃっていたことは
・公務はえりごのみはしない、だからこそもう老齢なのだから配分ペースはちっと考えてくださいよ
・公務は皇后と行った、皇后こそが我が最右翼の信頼すべき人間である
に集約されると思っています。

前例はダメです、陛下。変えてはならないものもあるのです。

明治維新は先代から用意された、真実国を思う知性と教養がある者たちが携わった。

たとえば国家の根幹をなす「平和」のために「明治」はすべての怨霊に対して慰撫追討を実施している。ちっと使える骨のあるやつぁいねえのかと探してみても軒並み「天皇に詫びられたらしょーがないっぺ!////」と満足している体たらく。舌打ちしか出ませんYO!!!MOTTAINAI!!! というくらいに用意周到に練られている。

そのわりに「外来の神様」としてずーーーーーーーーーーっと同等に扱ってきた、いや往時はすでに「日本の神」は軒並み「外国の神であるホトケになりたくてなりたくて震えるwwww」というような託宣をあちこちに乱発し仏道修行に邁進するような状態で、あえて神と仏を無理やりわけて二年ばかしで大崩壊とか「だから狂信者に任せるなとあれほど!!!」ということもあったりなかったりしますけど、このへん細かく話だすと百年分あるんでやめますがwwww、そもそも分ける必要もないくらい「いいものはいい!」で受け入れてきたわが日本においてですね、仏教伝来以来、最大の功労者である太子の値打ちをなにゆえ一気に下げるのか、とまともな説明が出ていないです。

で、これも含めて「どうしても変えるのであれば」「安倍さんがトップのうちに」「このさき二万年、日本が天皇を仰げるように」変えていかなければいけません。

愛子さんは即位はおろか

「まともな社会生活」を優先させるべき

「やがて一般人になる人」です。

これを変える必要はありません。



ということでみんな大好き「お上品爆弾」こと櫻井よしこさんのネット中継、ぜひ見ましょう。


・3月10日(金)21時~22時(インターネット生放送)
【言論テレビ・君の一歩が朝を変える!】
「なぜ教科書から聖徳太子を消すのだ!文科省に潜む教育をねじ曲げる構図をあばく」
http://www.genron.tv/ch/sakura-live/


櫻井さんなんてNHKの夜8時とか9時にレギュラー番組持っていたっておかしくない人なのになあ。
見たいよね、お上品に悪をなぎ倒していく姿。

こういう人が表に出られない「反日マスメディアの構造」もおかしいしさ。



3月15日までです。国民の皆さん!思いの丈をぶつけましょうぞ!

http://www.mext.go.jp/b_menu/public/main_b13.htm

このページでエラーが出ても無視して
 [意見募集案内]をクリックして、検索欄に「185000878」と入れる。

案件番号185000878
「学校教育法施行規則の一部を改正する省令。幼稚園教育要領。小学校学習指導要領。中学校学習指導要領。

「反対です」でも反対にカウントされますよ。
「なんで今変えるのか必要性を感じません」でいいんです。

意見を募集しているんだから出して当たり前っすよ。


黙っていたら敵対者はあなたを賛成にカウントします。

なんですか、全然集まっていないみたいです。

でもね、これが、これこそが「文化侵略」なんですよ。

おかしいことにはおかしいと言っていかないと、
それで通されてしまうんですよ。

面倒だけど、一個ずつ嘘を訂正していかなくちゃ。



紀子様の御先祖が安らうお墓がある太子ゆかりの四天王寺。

紀子様は真実、皇室に入るべきして入られた方だったのだなあとあらためて思います。
弟宮様の嫁選びの見事さよ。でかしたあっぱれと思わずにはいられません。

紀子様は国母と呼ぶにふさわしい女性ですから。

けれども最初から完成されていたわけではないはずです。一歩一歩、言い知れぬ苦労を経て今の輝きと品位とを備えるに至ったお方でしょう。紀子様は最初から優れている方でしたが、人の身のなしうる限り最上等の品位と志とをお持ちと見ます。

日本は日本人のもの、日本と日本人を大切にできる人のものです。

好き勝手させてたまるかい。


と、私は思うのでメールしました。

君らはどないだ?




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皇室、神道、信仰など | コメント(15) | トラックバック(0) | 2017/03/08 01:36

「ガッテンシー」かカーテシーか



欧米ガーとおっしゃるわりに欧米流の外交プロトコルが何ひとつ身に備わっていない人が、あっしゃぁ皇太子妃でさぁフンダララーとしゃしゃった結果が「お察しください」なわけですね。

どすこいおばさん

恐ろしいwwww
どなたかが「お察しください!」と歯をくいしばりながら並べたと思しき画像です。つらかっただろうなあ。
コレが皇室にいるんだもんなあ。

小和田雅子氏の特徴のひとつとして、笑顔のときに目をかっぴろげるというものがある。ふつうは笑顔のときって目が細くなりますよ。心から笑っているかどうか見分ける際に、目元にシワが寄るかどうかでチェックするというボディランゲージの特性もある。
小和田雅子氏の笑顔って「恫喝」なんですよね。歯をむきだして目を見開いて「これでもか」とねじこんでくる。
笑顔ではないですね。

恐ろしいwwww


で、この画像。
ぜひ足元にご注目願います。
これ、何がいけないって相手の貴人の足元を乱させていることなんです。
カーテシーの意味がわかっていないので、相手の腕によりすがって思い切り自分の体重をかけてぐらつかせている。
「困惑」を絵に描いたような相手の姿。ぐらつく足元。最悪です。

女性だから射殺されていないですけど、男性だったらタックルかましてすっころばそうとしたととられても仕方のないふるまいです。
女性で「ごビョーキ」ってのが知れ渡っているからぬっころされていないですけど、姐さんがSPでついていたら七歩くらい前に踏み出しますね。もちろん小和田雅子氏を取り押さえるためにです。スーツの内側にすっと右手を入れるかもしれん。

貴人の身の安全のためにですよ。だってこれ完全にイッちゃってる人だもん。

見た目白人の貴賓とだけ接触しようとするえりごのみや、「なっていないおふるまい」を余すところなく披露し続けて、1993年(平成5年)からですからもう二十四年もたちました。
今年はとりどしの平成二十九年です。とりにくと覚えよう。

二十四年間、いったい何をしていたのだろうね。

ガッテンシーをドヤ顔で人前で披露してしまうことそのものが「何らかの告発」になっていると思います。


なんでしたっけ、「まこさまにさをつけられたまさこさま」、でしたっけ。

恐ろしいwwwww




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皇室、神道、信仰など | コメント(3) | トラックバック(0) | 2017/01/26 19:05

御製 平成二十七年 五首より 補足



2017/04/05 資料を追加

『践祚大嘗祭 研究編 資料編』が入手できたので「鍬を用いて」の根拠たりうる箇所を画像で掲載しました。

今上がご存じないはずがない。すでに登極あそばされておいでですから。
さらに三笠宮崇仁親王殿下がかかわっている書物です、目を通しておいででしょう。

資料--3
資料--1
資料--2


御製 平成二十七年 五首より 「父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う」の補足です。

一度上記記事をご覧いただいた皆さんも補足がありますのでぜひこの記事にも目を通しておいてください。前回は聖武の話がインサートされていてわかりにくかったと思います。「仏教」にはいろいろと思うところがありましてつい私情に走りました。


平成二十七年の御製 五首より

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


まず、それまでに詠んだ歌の中から五首を選び、さらにトップにもってきたということで、決め打ちで「これが一番言いたいこと」であるのは確実です。であるからには日本語のスペシャリストであり、世界で一番皇室に、天皇位に、お詳しい方からのメッセージとして(何しろご本人が天皇陛下ですからね)フラットに読み解いていこうじゃないかというのがこの記事の目的です。

おうたの、最初から見ていきましょう。

・「父君の」

今上の父君は昭和帝です。皆さんとっくにお忘れかもしれないですが激動の時代にあってかつては「神」として生まれ、「神」として育てられたお方です。現人神(あらひとがみ)という言い回しがあるように、生きて実在する肉体を持った神だった。
そういう人の、読み手は長男ですよ、という「歴史的意識」の中から歌がはじまる。

・「蒔(ま)かれし木」

樹木は、生物学で用いられる系統図解に代表されるように系統樹によく摸されます。この年末年始に正月飾りとして「橙(だいだい)」を飾られたお宅も多かったのではないでしょうか。橙は代々に通じて先祖から子孫に順送りで命のリレーをつないでいく吉祥縁起物であり、丸い形状と輝く黄色から太陽を模しているともいわれます。

もともとわたしたちは、ある時期に稲のことを「とし」と読み、大みそかは「大歳(おおどし)の夜」などと申しまして、春の作付、田植えから夏を経過し、秋の実りの季節を超えて長い冬を迎えるために、つまりは稲作行事を基準に一年を暮らしていたものです。
もちろん海山での狩猟、漁撈がメインだったり、林業や工業、商業にかかわる家の人は別なサイクルがあったでしょう。けれども稲作に限定せずに「穀物全般」の一年の生育史に基づくときに「自然と」四季の大きなイベントは定まってくるものです。
とにかく日々口にする食べ物ですからものすごく大事なことです。

縄文後期には稲のことを「いね」と呼んでいたようなので、名称変化に伴って年齢のトシをはかる目安として稲がトシと並行して呼ばれていたのかもしれません。
穀物全般を代表して稲神様にまとめてお祭りを行った。
それは大嘗祭、新嘗祭(旧暦十一月)、祈年祭(としごいのまつり、旧暦二月)、鎮花祭(はなしずめのまつり、旧暦三月)、神衣祭(かんみそのまつり、旧暦春秋)、神嘗祭(かんなめさい、旧暦十月)などなどの今も残っている各種行事が物証です。
祭り事は政り事だった。

国が規定した法律で何月にどこの神様をどこで祀れ、と決められていた時代が長かった。やまとことばでは宮中をおほやけとよむように、国の目が届くところでは法律に基づいて神様を祀らなければならなかった。
その空隙を埋めるようにヤマト朝廷の支配の及ばぬ土地の祭りも続けられた。ヤマトから遠いところほど古い様式が残っている。

一年草の稲とは違い、樹木は年を何年も超越します。だから家全体の家系図や生命のリレーのシンボルとして世界中で用いられる。

神は上からくる、という概念をどなたもなんとなくお持ちだと思います。セミナーで「天はどこから始まりますか」と質問すると皆さんなんとなく自分の頭よりはずっと上、雲の上とか山の上から始まりますとお答えになる。

しかり、神は上にいて呼べば答える、呼べば応じるものが神だった。その神を地上に降ろすための「場所」として、木の枝を立てて目印にする。今の神道で使うお榊がまさにそれです。
神道的建築様式で屋根にクロスしたり出っ張った「千木(ちぎ)」を用いるのは「神様ここですよ」というヘリポートの目印のような意味を持つ。

文化人類学でいう宇宙樹、世界樹です。その幹を枝を伝って異郷、異世界、別世界から神的なものが往還する。あるいは宿る。ひいてはその樹木そのものを尊いものととらえるようになる。

だからここでいう「木」は家の図、である。

また「き」という音に注目すると、日本史で「き」といえば日本初の正史であるところの『古事記』と『日本書紀』のことをさします。あまりにもビッグなので『記』、『紀』と省略しても誰でもわかるくらいに、「きき」といえばこの二種類のことを言います。
これが何かといえば、歌の詠み手=今上ののファミリーヒストリーそのものですね。

ダブルトリプルで「我が家の正史」をさしています。


・「父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用いて」

樹木にたとえられた男系男子である父君、昭和天皇から男系男子の天皇である自分がつないできた天皇位、それは金へんに「秋」がつないでいくのだと。

鍬(すき)の持つ意味の重さです。秋が好きだと言っている。秋篠宮がつなぐんだよ、とおっしゃっている。
当然ですね。驚くことは何もない。だって現東宮は男子を持たないのだから。

現東宮家は、絶えます。皇族の男子がいないから。

男系男子の皇族がいる弟宮のほうに、秋篠宮家に皇統は移る。決め打ちでそのまんま、その通りです。

そしてさらにわたしたちは「鍬=すき」の音にも注目しなければなりません。

登極(とうきょく)=即位する際に必要なセレモニーのひとつとして、宮中内に悠紀殿(ゆきでん)、主基殿(すきでん)を設けここを用いる決まりです。

秋篠宮家には悠と紀は「もうある」。その名がついた紀子さまとともに悠仁様をもうけられている。
そして即位にあたって必要なもうひとつの主基(すき)殿の音を読み込んでいらっしゃる。

さすが日本語のスペシャリストであらせられます。

大嘗祭に関する参考資料として必須のものとしてあげられている中の「大嘗會之図(写本、三巻一冊)から。
これは貞亨四年東山天皇の大嘗祭における調度施設神饌などを図示したものとのこと。
ちなみに東山天皇は霊元天皇(上皇)の次、ですね。
このことの意味もわかる人にはわかるのですが。。。
資料--2



・用ひて

用いる、にはそれを使って役に立たせる、という意味以外に「尊び信頼する」という意味があり、本来はこちらが先にあったのです。なぜなら用いるとは「持ち率いる」からきた言葉で「持ち率いる」からワ行上一段に活用し、後に「もちゆ」とヤ行上二段にも活用するようになったから。なるほどわからんwwでもこのように辞書に書いてございます。
持ち率いる→もちゆ→もちひる→もちいる、ですわね。

使って、「ではない」のは本来性の「尊び信頼する」を優先なさったのでありましょう。

天皇位の尊さを骨身にしみて感じているから、だから後の天皇に対しても「尊び信頼」を寄せている。この姿勢です。尊いです。
天皇誕生日・新年の一般参賀で「天皇陛下のお言葉です」のアナウンスとともに、さっと陛下に体の向きをかえ、頭を垂れて傾聴・謹聴の姿勢を示したのは秋篠宮様、同妃殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下であらせられました。
現東宮・同妃殿下はニラニラ薄笑いをしながら微動だにしなかったですよ。
「これ」が重大な問題でなくして何が問題なのだろう。と感じましたよ。
現在ただいまの天皇陛下に敬意を形で示せない・示そうとしない・示すことができない者などろくなものではありません。まして現東宮は(今の人間のルールに従うならば)次の天皇の予定ではありませんか。ええ加減にせーよと言われても反論の余地はございません。

だから男子が生まれなかったのだろうなあ、日本の神様すごいなあ、と思いますけどね。

き=紀=紀子様より生まれし、男系男子。


・くろまつを植う

陛下は「くろまつ」と漢字をひらいて=ひらがなにしておいでです。
ここも「さすがだ」とわれわれは感服するべきところです。

くろまつをしっかりと大地に根付かせる。ここで絶えさせない。つないでいく。

普段使っているこの漢字は、もともとは「外国語」でした。遠く今は滅びたかつての先進国、超文明大国「だった」中国で開発された「神と交流するためのツール」が感じです。
紀元前三千年~二千年にかたまった、甲骨文、金文といわれる古いカタチをわたしたち日本人はそのまま国語として、日常当たり前に使っている。これもものすごいことなんですよ。
漢字は難しくありません。難しいと思うのは教える側に問題がある。漢字ほど合理的かつ明快に構成されているツールはありません。
教える側がわかっていないから、教わる側も「はて?解せぬ」になるだけです。
だってもともと神と交流するために作られたモノなんですから、明快至極で「なければならない」。
「神よ、河の神よ、さっき出ていた虹はどういうことですか。いいのわるいのどっちなの」と問いかけて、出てきた答えを万人が納得するカタチで示さなければいけません。
わかりやすくなければ残らないのです。

エジプトで同じように神との交流ツールとして一定の基準に達した神聖文字(ヒエログリフ)から、ヒエラティック(神商文字)、デモクリフ(民衆文字)というふうに簡略化されていったのはわかりやすさを求めてのことでしょう。神様と交流する神官たちが使っていた文字を、神殿に出入りする商人にわかるように簡便化し、それが一般人のレベルにおちて伝わっていって定着した。

ところが漢字は最初からめちゃくちゃわかりやすかった。驚くべきことに、現代のわれわれが見てもぱっと「読める・わかる」文字だらけです。最初からクールだった。すごいんです。

日本ではまるで帝政ロシア時代末期の宮中で外国語であるフランス語で会話するのが洗練の極みでカッコいい、とやっていたかのごとく、政治の中心では長らく「外国語」である漢語が用いられていましたよね。公用語が外国語。みんな漢文で筆記していた。だからおそらく執務者は外国人かもと外国人=帰化人を使って『古事記』も『日本書紀』も書かせていたと思いますね。

そして日本人さんサイドのチェックの甘さから神の名の相違や人間関係の食い違いや、中臣氏のように「自分の先祖を割り込ませちゃえ!」とかいろいろアレなことがあったんだと思います。でなかったら古今の学者先生を大いに沸かせる「食い違い」はないはずです。

で、そんな外国語ですら返り点やら一二点やらで「そのまま読める」技を編み出すのが日本人クオリティー。さらには「音」と一対一対応の「ひらがな」「カタカナ」すら作り出した。

この国をあげての「職人」ぶり、さすがの日本人気質だなあと。技術立国の基礎の基礎、「ことば」「国語」のすさまじいシェアっぷり。

で、もともとの日本語という意味で使うとしての「やまとことば」には相当する漢字はありませんでしたから、音をたどってそのままひらがな・カタカナ(あるいはアルファベットでもいいですが)で書くのが自然なことなんです。

陛下はここで「くろまつ」とわざわざ開いて書いている。

黒松は、赤松に対しての意味で「男松・オスの松」です。だから男性を意味します。

また松は日本の自然観の中で最高位に属する植物です。他にも桐や梅や桜や竹や、素晴らしいものは多数ありますが、霊的な尊さの象徴として使われるのはもっぱら松です。
舞台にかかったお能をご覧になったことがある方は、舞台に松の木を描いた背景や、あるいは屏風立てで松の絵が必ず用意されていることにお気づきだろうと思います。

あれはお能の演目に多い「幽世(かくりよ)」と「現世(うつしよ)」との境であるとともに、実際にあの世、異世界、異郷から聖なるもの・心霊・神霊的なものが現れるときの目印です。
またそれがあることでその場が清められた、ということでもある。

まさに世界樹そのものです。

その、「おまつ」である男松・雄松、すなわち正当な皇統を継ぐべき男系男子を植えていく。

さらには音でとるならば「くろまつ」=「苦労待つ」で天皇位に就くということは途方もないことなんだよ、と「自分以後」の未来の天皇に対して心構えをうながしている。

覚悟がいるぞと。苦労しかないぞと。

けれどもそれが「神への道」だぞと。

外国語の漢字ではなくて日本固有の記号であるひらがなで、あえて語りかけている。

誰に?

日本語のわかる日本人にですよ。
皆さん全員にですよ



神の象徴そのものである「くろまつ」を、天皇位を、神であった父君から受け継がれてきた男系男子の皇統でしっかりとつないでいく。自分を通して次の世代に。

つまり陛下は、ご自分の意思として「秋篠宮家につないだ」のだ、と宣言されておいでです。

どうでしょうか、ここまでで何か矛盾がありますか?

無知な一般人ですので何か誤りがあるかもしれません。
まあ秋の田の、らへんは年代別に根拠をあげていちいち説明すべき異論の多い箇所ですが、そもそも践祚大嘗祭を特別視したのはそんなに古いことではありません。新嘗祭が最初にあって、それはやはり秋の実りを祝うためのものだった。だから「毎年ある」わけです。

このあたり穀物霊・穀物神と太陽の運行との関係で掘り下げるととびきり面白い箇所ですが、ヤマト朝廷とのごにょごにょが芋づる式に出てくるので詳しいことは別項としたいと思います。

陛下がこれほどわかりやすく宣言なさっていることを、なぜ見落としてしまうのだろう。

やはりコトバがわからない外国人だけが皇室に、天皇に、イチャモンをつけているだけだろうと感じます。その外国人にのせられた「利権」がらみの日本人には「天皇位にさからうと天皇その人でさえ滅びるからヤメロ」と申し上げておきたいです。

そういうものなんです。

陛下のお歌、御製(ぎょせい)について何度も書くのはこれが「陛下のお心そのもの」を直接知ることができる数少ない「物証」のひとつだからです。
この歌も掘り下げればもっとずっと「意味」があるはずです。

記紀は、われわれのご先祖たちがワーキャー言いながら(言ったのかwww)一所懸命にまとめた「政治抗争史」であり「神と神とのぶつかりあい」であり「生き残り戦略ガチ攻略、実践編」であり「大スキャンダルと大スクープと大ゴシップの賢覧豪華な一大叙事詩」であります。

できれば原本に直接あたったことがある、関西方面のおっさんたち、古い時代の論文、論考からご覧になるといいと思います。なぜならわたしたちの世代の学者先生は彼らについて学んできたから。当代の学者先生方がみな自分の根拠に用いている所説を構築した世代だからです。

こうしてネットに残しておけば、誰かは読むだろう。わたしはいつも「四年後の俺たち」のためにも話を続けていきたいのです。

天皇の御稜津(みいつ)によりてボーイミーツガール、万民繁栄、治国平天下、なんぞというクッソたわけたダジャレをかましつつね。
日本の歴史、信仰史・宗教史はダジャレとエロジョークでできている。それが生命力を最大に活性化させるテクニック。
論理階梯を軽やかにスキップし、音の世界を逍遥する。

音がすべての根幹で、人間が出す音が声、意味のある声がコトバ。言葉を使ってわたしたちは神とも人とも交流する。

皇室と一般在家との違いは「自覚のあるなし」だけだと思う。二千年以上続いた家の伝統と格式、「その家」に対する敬意と矜持。違いは実にそこだけです。
皆さんもどうぞ遠慮なく皇室レベルの心持で日々を送り命をつないでいただきたいものです。

わたしたち自身もご先祖が、ただの一度も絶やすことなく命をつないでくれたのです。神の子というのなら全員が、万人が神の子です。
「自覚」だけです。本当に。


では皆さん、日本の神の直系子孫からのお言葉です。
これが御聖断であろうと思います。



父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う






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今上の御製 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/01/15 13:58

現役宮司が日本会議を批判 全体主義のこわさに警戒を




現役宮司が日本会議を批判 全体主義のこわさに警戒を
2017年1月12日 7時0分
http://news.livedoor.com/article/detail/12530083/

2016年の新語・流行語大賞は「神ってる」。“聖地巡礼”“パワースポット”がにぎわいを見せ、神様が身近にあふれる。3・11から6年、一人ひとりがそれぞれの形で宗教と向き合う時代。日本の宗教にいま、何が起きているのか。AERA 1月16日号では「宗教と日本人」を大特集。清洲山王宮日吉神社宮司の三輪隆裕氏に、伝統ある神社界が生む全体主義の怖さについて語っていただいた。

*  *  *

まず申し上げたいのは、神社本庁の包括下にある神社で、政治活動に積極的にかかわっている神職は、全体の1%ほどしかいないということです。

ほかは、神社本庁が改憲署名用紙を置いてほしいと言うから署名簿を置く。選挙で誰かを応援してほしいと言うから応援する。何となくやっているだけです。

それはなぜか。神職になるには神道学科のある皇学館大学や国学院大学、または地方の神職専門学校で学び、神宮や有力神社で研修をするのが一般的です。このとき、上の方針に絶対逆らうなと徹底して教育されます。上の方針を批判したり、変更したりすることは一切してはならない。神社本庁が考える「伝統」のみが理想であるということ。機関紙の「神社新報」をはじめ、さまざまなルートでそうした「伝統」を刷り込まれるのです。いまの神社界にいる限り、そうした全体主義から抜けることはできないでしょう。

神社本庁は、明治政府がつくった「国体」を日本の「伝統」と思い込み、天皇を頂点とした家族主義的国家の実現を目指しています。

本来、多神教である神道には、一つの価値観や規律で国民を縛るという発想はありません。神道の伝統をはき違えています。

これも理由があります。戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の「神道指令」で国家神道が解体されて、神社界は生き残るために宗教法人・神社本庁になりました。当時のリーダーたちは、明治時代に神職に就いた人々だったので、「国家神道」こそが神道の伝統だと勘違いしてしまったのです。

その時代から、2代、3代と代替わりをして、ゴリゴリの皇国史観を持つ神職はほとんどいなくなった。考え方がリベラルな宮司もいますが、神社本庁の主導する「伝統」にはあらがえない。その「伝統」を外側からプッシュして先鋭化させているのが、民主主義を敵とする、日本会議の思想の核をつくっている人たちです。日本会議は神社本庁の「伝統」と1%の「真性右派」をうまく利用することで、動員力と資金源を手にしました。全国に8万もの拠点を持つ神社本庁を取り込むことで、小さな組織を大きくみせることに成功したのです。

神社本庁の政治組織である「神道政治連盟」の政策委員の顔ぶれも、神職主体から、日本会議周辺の思想家中心に変わりました。その影響力が強くなっている証左でしょう。

いつの時代も人々が従順であれば、一部の人間の意思でいつの間にか極端な社会になるのが、全体主義の怖さです。気をつけねばなりません。

(構成/編集部・作田裕史)

※AERA 2017年1月16日号



> 本来、多神教である神道には、一つの価値観や規律で国民を縛るという発想はありません。神道の伝統をはき違えています。

ここ大事。ここ大事です。

お相手の神様がこれほど多種類多数おいでなのですから、相手の神々に応じた祀り方、祭り方、付き合い方を持っていた。わたしたちの祖先は「相手の状態を変えずに」お互いに適正距離を保って共存共栄していく方法を知っていた。

神は神で、人は人で、それぞれに守るべきルールを守り「一緒に」さきわうように暮らしてきた。

何かを縛るものは善ではない。「こう思え」と感じることは正しくない。

明治政府が暴力的に徹底しようとし、そしてわずか二、三年で壊滅した「国家神道」の「正しくなさ」をわたしたちは知らなさすぎる。

信じる神が違うものをどうやって統一できるというのだろう。それぞれがそれぞれの神を大切にすることで結果として全員が平和で静かで幸せである世界をかつての日本は持っていた。

日本を取り戻すということは、わたしたちが当たり前のように前提にしているさまざまなことを「本当にそうなのか」と洗いなおすことから始まります。
日々の習慣、考え方、思い癖、思考の傾向、「これは本当にオリジナルなんだろうか、自分の魂から出てきたものなのだろうか」と問い直すこと。

そこから道は開けます。

「開く」という文字の中にあるカタチに注目してください。
門を開けると、神の国の入り口があるのです。
開けば、入れる。

閉ざすこと、区分すること、レッテルを貼ること、それは神の道からはほど遠い。

神の世界にはないものです。それらを強制するものは善ではない。ひとつの目安にできる「その人、団体、社会の判断材料」ですね。




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皇室、神道、信仰など | コメント(8) | トラックバック(0) | 2017/01/12 13:31
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