あるご一家のお話し(彬子女王殿下の法隆寺金堂壁画模写の”発見”@大英博物館)



この記事は本の内容紹介とその感想です。
書籍題名はAmazonへのリンクです。アフィリエイト設定がしてあるのでこのページから購入なさると姐さんにちょっぴりお小遣いが入ります。そういうのちょっとなあ、と思われた場合は別に題名で検索なさってみてください。
古くて絶版になっていても、図書館などにはあるようです。

寛仁親王殿下の「とも」の字は、右下の|_のところに点が打たれたものが正字だそうですが、この記事はすべて寛の字を使わせていただきます。

本は、たぶんですけど、寛仁親王殿下のもの、第一女子彬子女王殿下のもの、の前に寛仁親王妃信子殿下のものを見たほうがいいと思います。

そしてここで敬称を略させていただきます。
トモさんの(おいwwww)いや恐れ多いが「ヒゲの殿下」と彬子様のものを読んでから信子様の本にいくと、たぶんものすごく微妙な感じになると思うのです。実はわたしがそうでした。

信子様は東日本大震災の被災地の方との交流を通して「ご自分の手料理」が人を元気づけられることを肌身で知り、生きていくこと、食べていくこと、どんなものを食べていくのか、というところからお料理の本を出されている。

それは非常に尊いことで、ご自分も重篤な病気を抱えて長くお苦しみだった時代を持ち、このようにある意味、人前に出て活動をなさるほど回復なさっていたことに驚きましたしうれしかった。
そして本当に下世話な好奇心から手に取った。

たとえばこれです。

『思い出の先にはいつも家庭料理』 寛仁親王妃信子 マガジンハウス (2013/10/17)

確かに美しい、確かに素晴らしい、確かにご立派です。

ただどうしても「ある種の違和感」がありました。それが何かを深く追及することもなく、そのままにして、そして必要が生じてヒゲの殿下を調べなおした。
市販の本、雑誌、それから残された映像などから類推できる「トモさん像」を改めて作ってみた。

たとえば、『悪童殿下 怒って愛して闘って 寛仁親王の波乱万丈』工藤美代子 幻冬舎 (2013/5/31)

著者は工藤美代子さん。一部の好事家にとっては「おっあの怪談経験多数の作家さんか」ということになるのでしょう。
著者は殿下が退院なさったらインタビューをと約束していたが、その約束を果たせなかった。また、自分のような者がとは思ったが、後世ちゃんとした作家なり歴史家なりが殿下の評伝をちゃんと出すだろう、その横でなら殿下の思い出を綴ったこのような本があってもいいだろう、と『悪童殿下』を出すことにしたと書いている。

わたしは、この作家については「ある種の無神経さ」を感じ、興味と感心が持てずにきました。それは怪談をまとめた本の中である人から聞いた話として、何か厄がついたなというとき(はっきりと生霊が、というニュアンスで)人ごみの中に行って他人にその厄を振り返る話を紹介し「素晴らしい方法なので読者にぜひ紹介したい」ともんどり打って書いている。

わが目を疑いました。「いいことです!きゃーー!素晴らしい!」というときめきが伝わる書き方だった。

では、厄、というモノがあるとして、それがよくないモノだとして、厄をうつされる側はどうなるのでしょう?もしそれで本当にAさんの厄をBさんに移せるのなら、Bさんにとっては移した人Aさんこそが「魔物」になりはしませんか?
怖いことです。

同じように坊、自称占い師が「運気が落ちたら交差点に行って500円玉をバラバラ落としてくる」と言っていたのを知って「すげー、金持ちだな、あたしは1円落としたって大騒ぎで拾うわよ」と思いつつ「最低だな、こんなことドヤ顔で言ってしまうのかこいつ」と思いました。二重にベックラでございます。

この、「ある種の無神経さ」があればこそ、作家としてなり、自称占い師としてなり、のしていけるのかもしれませんが、根底にある「自分さえよければいい」という考え方がわたしには「くっさーーーーーー!!!」と腐臭を放って感じられます。

いや腐るほどの有機物があればいい。そこから再生も始まるから。だけどこのステンレス・スチールのような「厚顔さ」にはただただ距離を置きたいとしか思えません。

この作家による、殿下のご両親からの聞き書きによる『母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出』中央公論新社 (2010/7/23) (中公文庫)も、「うーーーーん、そこで終わらせるのかあ」と「えーーーーそんなこと質問するの」とが入交り、なんとも「もったいない」感がありました。

でも、宮家の方々と親しく交流し、こうして本まで出せるのですから、すごいことなのでしょう。

前提が長くなりましたが、つまり「一切期待できずに」「最後のパラ見」のつもりでこの作家の本まできた。

「どうせつまらないんだろうなー」と隔靴掻痒を覚悟して手に取った。

そして「すまない、このインタビューは工藤女史、あなたでなければ無理だった」と思いました。

まあ地雷を踏む踏む。そして余計なことを言う言う。だからこそ素晴らしいドキュメンタリーになっている。
この鈍さ、このヒドさ、これなくしては成立しない。

この作家の最高傑作はコレでいいだろうと思いました。イヤなりに「何がイヤなんだろう」と考えてけっこう工藤さんのものは読んでいる。何ひとつピンとこなかった中で、これのみは「でかした、あっぱれ!」と思いました。

工藤さんのファンには申し訳ないのですが、たぶんファンが「いいなあ」と思う彼女の長所、まさにそれこそがたぶん自分にとってはダメなんだろうと思います。
刺激的かつ斬新で精力的な取材と緻密な構成ですんばらしい、はず、なのにいつも「フーン」で終わってしまう。
読んでも読まなくてもいい本だった、と毎回思う。
でも毎回手に取らせるんですからやはり「力」はあるのかも。

工藤さんがロジカルに割り切ろうとするところが、「そうじゃない」感をもたらしてしまう。特に怪談における「旦那さんからのツッコみ」にぞっとするような激しい自己愛を感じてしまい、「実際に言ったかどうかは抜きにしてダーにこう言われてしまうアタシ」臭がもうダメです。
わたしも気をつけようwwww「まわりからキチガイと思われているアテクシ☆」がうれしくてたまらない、というのですから工藤さんのように立派な作家さんに比べたらかなり重症ですし生涯底辺からは抜け出せませんwww「電波を受信できないおまえらのほうが頭おかしい」くらいのことは平気で思っていますからいけません。

この記事も「ああ、春だからねー」ということで適当に流していただければいいのかなとwwwww

いやほめてますほめてます、この『悪童殿下』に限っては絶賛です。ほんとですよ。

もうね、工藤さんに謝りました。本気でわびた。ごめんなさい。

工藤美代子、やればできる子じゃん!!!!

何様だよ!というもっともな野次については姐様だよーんと火に油な答えを返しつつ、いやほんと、まいりました。

これ、「肉声」ですよね。殿下はまさにこうおっしゃったんですよね。そう、思えます。そう、感じる。

喉に穴があく手術をして声を出せなくなった殿下。あんなに人と愉快におしゃべりすることが大好きでいらしたのに(※工藤情報による)肉声を失って、でも発声させるための機械にたちまち習熟し向き合っている間は機械音声だなんてわからなくなるほどのエキスパートになられた殿下(※工藤情報による)、同じように声を失って苦しんでいる方にはどれほどの希望と勇気の源になっただろう。

嗚呼。

工藤さんの本気、工藤さんの作家生命を賭けた本気がここにある。

それなのに「幻冬舎」から本が出ている!!!!嗚呼!

キワモノ本、イロモノ本、社長がハイエナ、営業が地獄、みたいな評判ばっかしの! あたしじゃないですよ、世間の評判がwww

だけどこれすごいよ!皆さん読んでください!というか今までちゃんと読まなかった自分はポンコツ!

そして『皇族の「公(おおやけ)」と「私(わたくし)」』 PHP研究所 (2009/3/24)は明らかに焼き直しなのでどっちかでいいです。

クオリティは明らかに『悪童日記』のが上だろう。

信子妃殿下との間のことも、現皇太子殿下の「雅子への人格否定発言」のことも、「皇族とは、天皇とは何か」も全部「最終的な答え」が書かれている。

皇室のことでがたがたぬかす人たち、すなわち桜井誠さんなら「不逞鮮人」と呼ぶであろう痴れ者たちも読んでほしい。
皇室って「こう」なの!こうあってほしかったの!

しかしこの「不逞鮮人」ってすごいパワーワードだよね。確かにそうかもしれないけどさ、「それを言っちゃあおしめえよ」という言葉は世の中にいくつかありますよね。現時点で「確かにそうだけどそれを言ったら終わりじゃん」ワードのぶっちぎりの一位だろうね。
いかん、確かにそうだけど、と言ってしまったアルよ!
わるいニポンジンアルヨ!ヘイトスピチよくないのこと!
ウリたちは嫌い憎み妬み嫉み暴力を振るい続けるが好きでいろウェーッハッハッハ___ひどいアルね!そんな理不尽なことできないよ、ひどいアル!

「誰だよおまえ」という冷静なつっこみを入れつつですね、皇族の本の感想記事でこれだけダイナミックに不謹慎でいいのでしょうか、とかけらも思わないのがブログを長く続けるコツ!

そういえば桜井誠さんには「蔑華思想」すなわち「チャンコロ思想」という悪い言葉もありますよ、とお伝えしないほうがいいですよね____ヒゲの殿下の父君の三笠宮殿下が「こんなことを言うなんて!」と陸軍に怒ってましたけども____とっくにご存じですわよね_____

話を大急ぎで戻しますが、とにかく、ヒゲの殿下がどんなに熱く、懸命に、「生きよう」としていたかを垣間見て、激しく心を打たれました。
これがトモさんの手かーーーと思いたいのに思えない、本当に裏表のない、コドモトモさんのまま生き急いで駆けていった。

そして「ああああああ!スキーではなくスケートにズレてくださっていたら、こんな反日不正採点は断じて起こらなかっただろうに!」ときいいいいいとなりました。

スキーの人たち、いいなあ。そういえばむかーしの日本のIOC委員の「買収がきかない高潔な人格」で有名な方もアルペンスキーの選手でしたか。

いいなあ。いいなあ。そして「こんなに懸命に生きようとしていた」皇族の生の声にべっくらして、そのお嬢様の彬子女王殿下のご活躍にも注目してみた。

で、これがまたすごかった。

赤と青のガウン』彬子女王PHP研究所 (2015/1/17)

もうね、絶対真央ちゃんに送ろうと思いました。

まず政治的な話は出てきません。あくまでも「一人の学者として認められるために」イギリスに留学した若い女性の話です。

かつて父君が留学し、そして学位をもらわずに帰国なさり、はっきり言って遊びまくっていたイギリス、しかしてそこで知った人脈、ファッション、生活習慣、イギリスと、大陸の「生きる姿勢」をのちに縦横無尽に活かしまくって活躍をなさったヒゲの殿下、父君とのやりとりが随所に出てくる。

渡英前に留学経験のある現皇太子殿下ご夫妻にいろいろな話をうかがって、父君との食い違いを現地で「ああそうか」と納得する話。

父君から「実在の人物は本名をなるべく出すように」という指示があり、姓名の一部ではあるが名前を出してさまざまなエピソードを綴っている。

冒頭の、「何かあったら自分が全責任をとる」という意味のことをはっきりとおっしゃった「実は心底、応援してくれていたお父様」のこの男らしさ、かっこよさ。
彬子女王殿下におまえは留学するんだ、と言い続けて育てたのに、いざ本当にその指定どおりに留学して、修士ではなくその上の博士号取得を目指して懸命に努力なさっている彬子様に対してあまりにもな父君と宮内庁。

その悲しみと苦しみを一瞬でくるりとひっくり返してみせた「男親」の背中のたくましさ。

彬子女王殿下、実によく泣いています。
「そんなに苦労したなんて知らなかった」と後で言われてはっとした、と実際に書かれていますが、われわれからすると雲の上の人であり、なんでも皇族だからでスイスイと世の中渡っていけそうで、留学ですか、あらイイデスワネーくらいに簡単に考えていたふしがある。
でも、この中で語られる生身の等身大の「学業と暮らし」のなんと質素で綿密で、そして笑いに満ちていることか!

彬子女王殿下、ご自分でもお酒を買うときの年齢確認のお話を書いていらっしゃいますが、カラー写真を見る限り中学生です。高校生にすら見えない。コドモですコドモ!

すべての写真がニッコニコで、赤ちゃんみたいに明るくて爽やかでなんともいえない魅力的な笑顔です。

帰国後の和装のお写真などどれも高貴で素晴らしい淑女におなりあそばされていらっしゃいますが、正直、正直!このころの姫様は、外見だけを切り取ったら、ネットで言う喪女よりです。もてない女、もじょ寄りです。
だがしかし、この笑顔のきらきらぶりはただ事ではありません。

赤ちゃんです、赤ん坊の笑顔です。ザ・無垢!ザ・信頼!ザ・誠実!

こんな清らかで魅力的な笑顔で笑えるんだ!

衝撃です。

そして日本が誇るマジモンのプリンセスだというのに、彬子女王殿下、おかしいんです。可愛すぎ。

トラブルがあるたびに「日本でニュースになったらどうしよう」と心配なさる、のはいいのですが、頭の中でそのニュースの記事の見出しをいちいちお考え遊ばされるwwww
恐れ多くもかけまくも恐悦至極でございますが、可愛いすぎwwww

日本では銀行のATMを使ったこともなかったのに、皇族だからなんて特別扱いはなく、いきなり異国の空に放り出される。さまざまなミステイクと、正直、正直申し上げてドジをお踏みあそばされながらの経験値のアップぶりが好ましい。

絶対にいい人です、彬子女王殿下wwww

ああ、これ年頃のお嬢さんみんなに読ませてあげたいなあ。ひとりの女性が自分の夢に向かって懸命に生きるこの姿、まさかの現代日本でこんなに真摯に懸命に、そして父君の願いどおり「たくさんの友達がいる魅力的な女性」として頑張っていらっしゃる方の「報告」ですよ。

ギリシャ彫刻のような美麗な外見の先生にどぎまぎしたり、時間がなくて「特性皿うどん」を発明して召し上がったり、あちらでできた友人たちとのてんやわんやの学生生活、そして途方もない壁として立ちはだかるおっかない先生や親切な院生たち。

英語で500ページの論文を提出し、そして、ああ!この感動をぜひ若い女性に!そしてそんな年頃のお嬢さんを持つすべてのお母さんと、できればお父さんに!

かつて父君が出された『トモさんのえげれす留学』と同じ出版社からと望まれたものの断られ、PHPさんが出したという、こんなイイ本をなぜ断る。MOTTAINAI!

かつて「著者の意向を一切無視した死人商法」で、出せばトリプルミリオンセラー待ったなし!の本を出版直前に差し止められたポプラ社なんてのもありましたね_____クソが____忘れないぞ来世でも_____
小さい人向けに一年かけてインタビューに応じてくれていざ、というときにクソみてぇな欲をかいてそれを読む機会を子供たちから永遠に奪いやがったポプラ社_____それを今もっとも必要としていたのは、まさに日本の子供たちだっただろうに____

真央ちゃんに、と思ったのは同じくらい有名で、いや世界的な知名度は真央ちゃんのほうがおそらく上でしょう、でも同じようにがんじがらめの制約とマスコミによる監視、「組織」による制約の中で、「夢」に向かって懸命に生きているお姿が重なって見えたのです。

彬子女王殿下は、この本の中でお母さまのことは一切触れていらっしゃいません。「家庭の事情もあり」論文執筆のため疲れていたとたった一言、書かれている。それがそのままそうとは限るものではありませんが、ご両親双方の闘病と長い別居生活、独身の女性皇族としての今後のこと、同年代の海外で活躍する若者たち、さまざまなことを思われたと察します。

そして感謝を、たくさんの感謝を、たくさんの人に向けている。

このように特別な立場にありながら、「普通の生活感覚」を共存させ、「まともにちゃんと懸命に生きる」ことを選び取り、時に笑い、そして実によく泣き、でも人前では決して涙を見せないで、すべてに打ち勝ってこられた姿。

おかしかったエピソードがあります。
留学中に、イギリスのお湯では肌の脂分を取られてしまいお肌がどうもカサカサになる。入浴剤を入れたらいいかんじ。そこで日本に入浴剤を送ってほしいと頼んだら、ある日、日本から「桐箱」が重々しく届けられた。「何かしら?」とドキドキしながら開けてみたら入浴剤がみっしり詰まっていたそうです。
桐箱か!と笑いました。そしてちょっぴり涙が出ました。異国の地でひとり頑張るお嬢様のために、きちんと!確実に!丁寧に!これでどうぞリラックスなさってくださいまし!と一所懸命用意したんだろうなあ、と。

真央ちゃんのところにも、同じように懸命に応援するお手紙や声や「祈り」が届くのだろうなあ、と。


あるお宅の、ご一家の、お父さんと、お母さんと、お嬢さんの、それぞれの本。
お父さんはインタビューのまとめですが、ご本人の手になるものであるかのように仕上がっている。
もちろん、別な立場からすれば、そして一番の当事者である「ご家族」からしてみれば、いいや違う、と思うところもあるかもしれない。

それでもわたしは、このお三方の「声」を直接に聞いた気がしましたし、「皇族だって人間だ!」という新しい発見と、驚きがありました。

寛仁親王殿下のお言葉で、現皇太子に対して「問題があったのならなぜまわりに相談して解決しようとしなかったのか。ただ人格否定発言があったというだけでなく、解決に向けて具体的に何をしようという行動があってもよかったのではないか」というものがありました。

信子殿下のこともふまえて、現皇太子に長い長い手紙を書いて、会って話したい、と願われた。

このとき寛仁親王殿下は、現皇太子の手となり足となって、本気で働き、本気でお二人のために力になろうとなさっていたと思います。

「人格を否定されたなら、その場でなんてことを言うんだ!と叱って、それで終わり。それでいいのではないか」「殿下の代わりに自分がいくらでもその者を怒ったのに」と、はっきりとおっしゃっている。

問題解決のために何をするのか、できるのか。

もしこのとき、現東宮が「トモさん」を信じて何もかもを打ち明けて、「将来の天皇陛下」としてあるべき姿に立ち戻り、そこからすべての言動を積み重ねてくださっていたら、と思わずにはいられません。

トモさん自身は「モテるからしょうがない」と、かなり、「かなりな」ごようすだったフシもありますが、でも、こういうところで「人間の差」「人格的深み」「魅力というもの」が出てしまうなあと思います。

寛仁親王殿下は、雅子さんに対しても普通だよ、いついつこんなふうに言葉をかけていただいたよ、とかばう発言をなさっている。頭がおかしい売国妃だなんてただの一度も言っていない。

天皇を支える大切な伴侶として、幸せであってほしいという願いと祈りが、トモさんにはあったと思う。

だから、会わせまいとする向きも実際にあったのかもしれません。

現皇太子からは儀礼的な内容の短い返事がきただけだったと、落胆されていた。残念なことです。とても。

彬子女王殿下の祖父である三笠宮殿下は古代オリエント学の権威であり、トモさんに言わせると「世界でご本の指に入る」そうですが、五人もお子様をもうけていながら学問に専念されていた。

その孫の彬子女王殿下は女性皇族としては初の博士号取得者にして、外国からの取得は皇族初。

「学者として認められるために」努力してきた、という一文に泣きました。

そして、留学中に大英博物館から「ご先祖関係」の発見をなさいます。ボランティア・スタッフとして勤務中の快挙です。

法隆寺の、日本では昭和24(1949)年に焼失してしまった金色堂の壁画の模写を2種類発見します。

聖徳太子のみたまを慰めるために、その没後に建てられた法隆寺。太子がまっすぐに向かわれたはずの極楽のようす、御仏の素旗。
かつてアーネスト・サトウが1879年に法隆寺を訪れた際に日本人画家桜井香雲に模写させて、それを受けて当時の帝室博物館(現在の国立博物館)がもう一度模写をさせたと彬子女王殿下は書いています。
それが研究対象の蒐集家のウィリアム・アンダーソンに送られて、3m×2mはある薄紙に書かれた壁画の一部である「弥勒浄土図」と特定します。

さらには別の展示会で見たモノクロの法隆寺壁画の複製を見に行って、「二組作られ、もう一組は大英博物館に渡った」とあるのを知り、それを見事見つけ出します。
オリジナルで12幅(ふく)、フルセットの貴重なそれは「複製品だから」と作品番号もふられずに眠っていた。
こちらは昭和13(1938)年に京都の便利堂というところが金堂壁画の写真から制作した原寸大の複製とのこと。
日本では散逸しておりフルセットでは残っていない、実に貴重なもののようです。

先帝の三弟宮の孫である彬子女王殿下の快挙!

そして彬子女王殿下はさまざまな役職に就かれ、学業の道と、日本の伝統文化を「美」を根底に広げる各種の啓もう活動もなさっています。

「普通に、きちんと、しっかり生きる」ことをたぶん続けておいでだろう。

「特異で、過酷で、逃げようがない」お生まれでありながら。

「組み合わせ」ってあるなあ、たぶん「組み合わせ」ですべてが変わってしまうんだろうなあ、と思います。

たぶん誰も悪くはない。組み合わせの、その配置がちょっと掛け違うだけで、途方もない悲劇にも、途轍もない喜劇にも、なってしまう。

そしてたぶん彬子女王殿下はきっと、「きちんと生きる」ことを続けていらっしゃるだろうし、透明で綺麗で明るい笑顔で、「たくさんの友達がいる素敵な女性」としてまっすぐに「学者人生」を歩まれるのだろうなと思います。

「そんなことはない、極悪人だ!」というネタを握っている方はぜひ教えてください(笑)。ソースは明記でお願いします。




お三方の本の感想としては相当に底辺な内容だと思いますが、すみません。

なんともかんとも、思うところがありました。









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皇室、神道、信仰など | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/04/04 00:30
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