天皇陛下、早期退位想定せず




天皇陛下、早期退位想定せず
公務「このペースで臨む」

2016/7/16 02:00
https://this.kiji.is/126730169875546121

 天皇陛下が皇太子さまに皇位を譲る生前退位に向けた法改正を政府が検討していることを巡り、天皇陛下自身は早期退位の希望を持たれていないことが15日、政府関係者への取材で分かった。

 陛下は例年、年明けと夏に定期健康診断を受けているが、現在は目立った不安は見つかっていない。最近も宮内庁側と公務の負担軽減が話題になった際、陛下は「まだまだこのままのペースで臨む」と明言。側近らにも、退位という文言や時期を明示したことはないという。


ほらみろ!!!!!


こんなの、「カネに汚い外国人」が騒いでいるだけですよ。

まず、「生前退位」というコトバがもう「おかしい」んですよ。
これは「生きていたければ位をおりろ」という「恫喝」ですね。
普通の日本人ならまず出てこないコトバです。
皇后陛下がショックを受けたとおっしゃったのは言葉の意味を実に正しく受け止めておいでだからだと思います。
そのくらい「ありえない表現」なんですよ、普通の日本人にとっては。

生前「譲位」なら日本語としてありえます。が「生前退位」はガイコクゴです。ものを知らない左翼が勝手に作ったと思っていい。

先の天皇が存命のうちに次の天皇が即位することは皇太子が「受禅(じゅぜん)」する、といいます。禅譲(ぜんじょう)からきています。

明治以後、日本は憲法によって、天皇は崩御=死をもって次の天皇が即位することに決められていますから、先代が存命のうちに代位が変わることは「ありえない」わけです。
だから受禅というコトバは出てこないし(左翼の場合は無知だからですがw)、先の天皇の死によって次が即位する「践祚(せんそ)」だけが「有効」なわけです。

過去の天皇位というのは、必ずしも天皇である父からその男児にというわけでもなく、兄弟、親戚間でもあったから、次に即位する人を候補者の中から定めることを儲君(ちょくん)に立てるといい、「次に皇位につく方」として皇太子に認定し広く知らしめることを「立太子の礼」といいます。

このへんの用語も知らずにあれこれ言われたくないですよね。

それから、たとえば江戸時代の天皇のうち、お二人が女性でした。

明正と後桜町のお二人です。

この二人には特徴があります。

・生涯未婚であった。
・摂政を立ててそちらが政務を司った。
・神事に「予備日」が設けられた。
・菩提寺である泉涌寺に御影(肖像画)がない。

生涯未婚→この人一代限りの「つなぎ」である、ということです。

摂政を立ててそちらが政務を司った→天皇が未成年者や蒲柳の質(ほりゅうのしつ=体が弱い、病弱)の場合には摂政を置くこともありますが、成人後も摂政を置かれ続けています、つまり「つなぎ」であるということです。

神事に「予備日」が設けられた→女性は定期的に月のものがありますから、これを「穢れ」と受け止めて、平常時に神事ができるように必ず予備の日程が組まれていました。江戸時代もそうですが天皇の「主な仕事」は「祭祀」です。一年365日、日によっては複数の儀式をこなさなければなりません。それのすべてに予備日をもうけるというのは大変な難事です。「つなぎ」で「すぐ代替わりをする」ことが前提でなければ維持できない。

菩提寺である泉涌寺に御影(肖像画)がない→京都東山の真言宗泉涌寺(せんにゅうじ)は歴代天皇の菩提を弔うお寺です。皇室だから神道かといえばそんなことはなくて、皇室の仏教は天台宗と真言宗で、明治天皇のくだした分離令より以前には、むしろ仏教様式での儀式が多く、ことに死後の冥福を祈るのはもっぱら仏式が専任でした。泉涌寺には歴代天皇の陵(みささぎ)=お墓もあり、今でもきちんと機能している立派なお寺さんです。保存会の代表は秋篠宮殿下同妃殿下で、年に一度の総会には京都までお運びになり出席をなさっています。
仏式の供養をなさる場所です。
ここに江戸時代の天皇は、女性である明正も後桜町も含めて14人が祀られていますが、この二人だけは肖像画が「ありません」。
肖像画はその人そのものと見立てて儀式を行う際に「本人」扱いされるものです。そこにリアルに実在なさっている体(てい=ようす)にして、読経したり供物をささげたりする、非常に尊(たっと)いとされるものです。
一時期、天皇皇后両陛下の紙焼きお写真を御真影(ごしんえい)といってお二人そのものであるかのように大切にする習慣がありました。まあこれも「上」からの命令で学校ならびに官公庁にはあるのが当たり前の時代があった。学校が火事になり御真影を焼失させた校長が自殺するなどという悲劇も生まれたわけですが、「影」というのはその人そのものとして扱われる。
それが「ない」のです、菩提寺に。

つまりどこからどう見ても女性天皇は「つなぎ」で「皇室自ら天皇扱いしないのが普通」だったわけです。
そもそも女性が即位するのは「よっぽどの非常事態」であり、「その前後」を見ていくと「必ず荒れた時代」ですよ。
イレギュラーな代理ピッチャー。
フォークボールしか投げられないから「最初から四球でいいよ」扱いです。
で、出塁を最小限にするためにピッチングコーチ(摂政)がへばりついて一球ずつその人がしれっと投げてみんなが「代理ピッチャーが投げたふりをする」ようなものですよ(笑)。

少なくとも江戸期は「確実に」そうです。

過去に女性天皇がいたから、だから愛子さんを即位させろと言うのなら、「江戸期の女性が即位した例」をちゃんと頭に入れておいてほしいですね。

で、女性を天皇に即位させるということは「誰かがとんでもない我儘」を言い出した結果なんです。いつの時代も。

三千年続いたものを「愛子さんがカワイソウだからーーー」だから変えろと主張するのは「暴論」であり「めちゃくちゃ恥ずかしいこと」ですよ。本来なら「黙ってろ」で終わりです。

男女同権を叫ぶなら「女性天皇は結婚・妊娠・出産できない」「前例」をどう取り扱うのでしょうか。

男女同権という「考え方」よりも以前に、わたしたちは人間という動物です。この種類の動物は、お父さんが天皇の、男性のみが即位できるし、そうでなければいけないという「繁殖上の理由」を持つ。問題は「人間の遺伝子の構造」ですから、これはもう誰も何も言えないはずです。
遺伝子に一生文句つけたところでどうにもならない事実です。
左翼ってヘンなのー(笑)。

たとえばですよ、愛子さんを即位させて、中国の首脳部の、幹部の息子なんかと結婚させる。これで中国は日本と「天皇を共有」できる。その子供にまた中国人をあてがえば「完全な皇統乗っ取り」「天皇すり替え」の完了です。

そして、皆さんが絶対に忘れてはいけないことに、「万世一系」があります。

もし愛子さんを即位させて中国人(いや韓国人かもしれないですがw)と結婚させたら、愛子さんの配偶者になった男性の「祖先」も「皇室で」祀らなければいけなくて、「霊的な皇統」もそこで絶えてしまうんです。
「万世一系」とはそういう意味なんですよ。

皇室は、「お父さんが天皇の、男性が継いでいく」、これだけが正解です。

女性を天皇に即位させたがるガイジンは、では「摂政」はどうするのか、「女性の天皇の配偶者はどうするのか」には触れません。都合が悪いことは全部無視する。
あるいは考えてもいないのかもしれない。

彼らは反論のための反論、破壊のための暴挙、これしかできないですからね。



現在は、現東宮が皇太子として次に即位なさる。これは日本国憲法で保証されているルールです。

この「人間のルール」に従うならばその次は今上の直宮である秋篠宮殿下が即位です。

そしてその次は秋篠宮親王殿下で決め打ちです。


本当に、天皇陛下に関していったい何をこれほど騒ぐのか。

東京五輪を前に「利権」に血眼のバカが立ち騒いでいるとしか思えない。
三千年近くうまく続いたシステムにごちゃごちゃ横やりを入れる者には「うるさい、黙ってろ」で一刀両断でいいはずです。

まともに扱おうとするからややこしくなる。

平成は終わりません。

無理に終わらせようとしている者が立ち騒いでいるだけです。ガイジンはやることが乱暴でいけません。


「ほらみろ」と重ねて申し上げたい。





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皇室、神道、信仰など | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/04/14 15:24

“ポスト真央”平昌代表選考は新基準 出場枠異なり異例の男女別に




“ポスト真央”平昌代表選考は新基準 出場枠異なり異例の男女別に
スポニチアネックス 4/14(金) 7:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170414-00000057-spnannex-spo

 18年平昌五輪のフィギュアスケートの日本代表選考で、日本連盟が男女別の選考基準を設ける可能性が13日、浮上した。国別の出場枠が懸かった世界選手権で羽生結弦(22=ANA)が優勝した男子は最大の3枠を獲得したが、女子は4大会ぶり2枠に。日本連盟の関係者は「まだ何も決まっていない」と前置きした上で、「枠の数も違うし、男子と女子で違う基準で選考する可能性もある」と明かした。

 今後、フィギュア委員会などで話し合われ、6月中旬の理事会で正式に決定する見込み。男女ともに3枠だった10年バンクーバー五輪、14年ソチ五輪は、男女同じ選考基準を適用して全日本選手権の優勝者らが代表に決まった。06年トリノ五輪は女子が3枠に対して男子は1枠だったが、04―05年シーズン、05―06年シーズンの成績をポイント化して争う男女同じ基準で選考した。平昌五輪で男女別に選考基準を設定すれば、異例となる。

 元世界女王の浅田真央さん(26)は引退したが、女子代表争いは大激戦必至だ。左股関節疲労骨折の影響で世界選手権を欠場したエースの宮原知子(19=関大)、世界選手権5位の三原舞依(17=神戸ポートアイランドク)や樋口新葉(16=日本橋女学館高)、世界ジュニア選手権銀メダルの本田真凜(15=関大高)も来季はシニアに参戦。12日の会見で、浅田さんは「2枠をたくさんの選手が争うので、ホントにハイレベルな試合になると思う」と話していた。最高の舞台に最高の選手を送り込むため、最適な選考基準が求められる。


「新基準」といえばトリノ五輪のときに突如出てきた「ポイント制」を思い出します。

「前例」は一度作るとやりたい放題。

「公正な選考」はいつも無視するスケ連、また禍根の種を作るのでしょうね_______________






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日本スケート連盟・各連盟(理事、職員、日本人ジャッジ等) | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/04/14 14:14

浅田真央「スケートは私の人生」




浅田真央「スケートは私の人生」
引退会見、一問一答
スポーツナビ
2017年4月12日(水) 15:40
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201704120005-spnavi
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201704120005-spnavi?p=2
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201704120005-spnavi?p=3

 現役引退を表明したフィギュアスケートの浅田真央(中京大)が12日、都内で会見を行い、決断に至った経緯やこれまでの競技生活について語った。

 報道陣430名が詰め掛ける中、登壇した浅田は「決断をするにあたって悩みました。やり残したことは何だろうと考えたときに、ないと思ったので、すべてやり尽くした」と晴れやかな表情を見せた。引退を決めるきっかけとなったのは、昨年末の全日本選手権。12位に終わり「もういいんじゃないかなと思った」という。

 会見では終始笑顔だった浅田だが、最後のあいさつでは声に詰まる場面もあった。それでも「スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて、笑顔で前に進んでいきたいと思っています」と力強く宣言した。

 以下は、浅田のあいさつと質疑応答。
全日本で12位「もういいかなと」

 本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。私、浅田真央は選手生活を終える決断をいたしました。長い選手生活でしたが、たくさんの山がありました。でも、その山を乗り越えてこられたのも、たくさんのファンの方の応援があったからだと思います。今日は感謝の気持ちをお伝えできればと思い、このような場を設けさせていただきました。

――まずはお疲れさまでした。2日前、ブログで引退を表明されて今、あらためてどんな心境?

 まずこの場に入ってきたときに、これだけのたくさんの方が集まってくださって、本当にびっくりしましたが、少し落ち着いてきました。

――いろんな人から引退についてのコメントをもらったかと思うのですが、印象に残ったコメントは?

 たくさんの方が連絡をくれました。皆さんが「お疲れさま」という声を掛けてくれて、私自身も「選手生活を終えるんだな」という気持ちになりました。

――親しい人への報告はどのような感じで?

 少し前に家族や友達に報告しました。みんな「お疲れさま、よく頑張ったね」と言ってくれました。

――引退を決めたきっかけ、その時期は?

(2014年春から1年間の休養。翌年復帰して)復帰してから、いい形でスタートできました。でも、そこから試合に出るにつれて「今のスケート界についていけるのかな」という思いが強くなったり、体の部分で復帰前よりも少し辛い部分が多くなりました。なんとか1シーズンは乗り切れたんですが、2シーズン目からは「なんとか、なんとか頑張ろう」という気持ちでやってきました。でも最後の全日本選手権を終えて(16年12月の大会で12位)、もういいんじゃないかなと思いました。

――その全日本選手権からこれまでの3カ月、どんな思いだった?

 復帰してからずっと「平昌五輪に出る」という目標を掲げてきました。目標をやり遂げないといけない、(自分の気持ちと)自分が言ってしまったこととの葛藤がずっとありました。

――全日本選手権がきっかけとなり、引退を決めたのは具体的にはいつごろ?

 全日本選手権が終わって結果が出たときに「ああ、終わったんだな」と思いました。でも、日がたつにつれて、自分が言ってしまったことは今まで最後までやり通してきたので、「やらなきゃいけないんじゃないか」という思いの方が強くて、ここまで(引退発表が)延びてしまいました。

――平昌五輪への思いもあった。それを上回るくらいの達成感だった?

 そうですね。ソチ五輪が終わってから最高の形で終えることができたのですが、自分の体もまだまだできましたし、気持ちとしてもまだまだやれるという思いがあったので、復帰しました。体も気力も全部出し切ったので、今は(復帰して競技に)挑戦して、何も悔いはないです。

――最後の大会となった全日本選手権でトリプルアクセルに挑戦。全日本選手権で挑んだ気持ちは?

 最後になるのかなという気持ちは、ソチ五輪後の世界選手権ほどではなかったです。でもトリプルアクセルを挑戦して終えられたことは、自分らしかったかなと思います。


一番印象に残っている演技は「ソチのフリー」

――現役生活を振り返って。初めてスケート靴を履いたときのことを覚えている?

 5歳だったので、覚えてはいないんです。でもヘルメットをかぶって、スキーウエアを着て、肘あて、膝あてをしていたのは、写真に残っています。

――スケートをやってきて一番楽しかったのは?

 フィギュアスケートにはいくつも技がありますが、小さいころにその技をいくつもできるようになったときは、本当に楽しい気持ちになりました。「次は2回転を跳びたい、3回転を跳びたい」と思って。そういう思いがすごく楽しかったです。

――プレッシャーや辛かったことは?

 辛かったことはそんなにありません。この道を選んできたのは自分ですし、自分がやりたいと思って、望んでやってきた道なので、辛いと思ったことはありません。

――2回の五輪を振り返って。銀メダルを獲得したバンクーバー五輪の思い出は?

 バンクーバーは19歳だったのですが、すごく10代で若くて、気が強くて、その気持ちだけで乗り越えてきたという感じがします。

――そして4年後のソチ五輪では、素晴らしいフリーで国民に感動を与えた。ソチ五輪については、どんな思いがある?

 ソチ五輪はショートが残念な結果(16位)だったので、すごく辛い試合ではありました。でもフリーを最高の演技で終えることができた。ああいう気持ちの状態でしたが、バンクーバーからソチまで4年間の思いを、すべて(フリーの)4分間に注ぎ込めたと思っています。

――2度の五輪の経験はどんな経験だった?

 私の今後の人生においても、すごくいい経験、いい思い出だったのかなと思います。

――3回の世界選手権優勝は日本人最多。印象に残っていることは?

(金メダルのうち)2回の優勝は五輪後の世界選手権だったので、五輪の悔しさを晴らせた大会だったのかなとは思います。ソチ五輪後の世界選手権は、これで最後と思って臨んだ試合でした。今までのスケート人生のすべてをプログラムにぶつけた試合だったので、思い入れは一番強い試合でした。

――現役生活を振り返って、最も印象に残っている演技は?

 難しいですね。1つというのは難しくて、でもやっぱりソチのフリーかなと思います。

――あの時間に込めた思いは強かった?

 今までの試合以上に、落ち込んでいたり辛かったところもありました。それでもあれだけの挽回の演技ができたことに関して、そしてそれが五輪だったというのが一番良かったのかなと思います。

」今は何もやり残したことがない」

――長く指導を受けた2人のコーチについて。まずは山田(満知子)コーチについて、どんな思いがあるか?

 満知子先生には小さいころに指導を受けていましたが、本当にスケートの楽しさや、挑戦する楽しさを教えてくれました。その一方でスケートだけではなく、いろんなことを教えてくれた先生です。

――佐藤(信夫)コーチへの思いは?

 佐藤コーチには大人になってから指導を受けたのですが、自分は意志が強い方……というか強いので、先生とはいろいろと話し合いをする機会も多かったです。いろいろと意見を聞いてくださって、見守ってくれた先生でした。

――休養があって、復帰してからの2年間を振り返って?

 ソチ五輪のシーズンで世界選手権を終えて、そこで自分が選手生活を終えていたら、本当に今もできたんじゃないかなと思っていたと思います。でも自分が望んで復帰をして、チャレンジして出した結果なので、本当に今は何もやり残したことはありません。そういった意味で自分でチャレンジすることができて良かったなと思っています。

――今後について。今後、浅田さんがどんな仕事をしていくのか注目が集まっている。まずは自分の中でどんなプランがある?

 夏にアイスショーの「THE ICE」(7月大阪、8月名古屋)があります。そこで選手生活を終えて初めて皆さんの前で滑るので、良い演技を目指して頑張りたいと思います。

――これから、フィギュアスケートにどういった形で携わっていく?

 5歳から今までスケートにはお世話になりました。これから、どんな形であっても、フィギュアスケートに恩返しができるような活動はしていきたいなと思います。

――浅田さんに憧れてフィギュアを始めた選手たちが、今トップスケーターになってきた。日本フィギュア界の今後についてエールをお願いします。

 引退された大先輩の方をはじめ、私も引退をすることになりました。今までスケート界を引っ張ってこられたと思っています。これからは若い選手がどんどん出てきているので、若い選手が、若いパワーで、スケート界を引っ張っていってほしいなと思います。

――浅田真央さんにとってフィギュアスケートは、あらためてどんな存在?

 難しいですが、一言で言うと人生かなと思います。

――今、引退を発表されて、自分を褒めてあげたい部分、褒めたい部分はどういうところ?

 私はなんでも“はまって”しまう反面、飽きてしまうことが多い性格です。でもこのスケートは5歳から26歳まで続けてこられたので「長い間すごいね、続けてきたね」と言いたいです。

――そういった意味では、どういうスケート人生だった?

 すべてがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です。

――ファンの皆さんも浅田選手を支えてきたと思います。ファンの皆さんに一言お願いします。

 本当にたくさんのファンの方が私のことを応援してくださって、本当に長い間、良い時も悪い時も、諦めずに応援してくれていたので、それがすごく励みやパワーになりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。


平昌五輪を諦めるか葛藤

――自分が思い描いていた引退のイメージだったか?

 発表するまで、自分の中で実感はありませんでしたが、ここに座って、今までのことを振り返りながら話していると、「引退するんだな」という気持ちは湧いてきますね。

――何か1つでも悔やむことは?

 決断をするにあたって悩みました。やり残したことは何だろうと考えたときに、ないと思ったので、すべてやり尽くしたと思います。

――「ノーミス」という言葉を非常に多く言っていたと思う。パーフェクトにこだわった理由は?

 失敗はしたくないですし、それだけ試合に向けて練習してきたからこそ、誰もがミスしたくはないと思います。自分は試合にそこまで強いタイプではなかったので、あえて自分に言っていたんだと思います。

――トリプルアクセルは浅田さんにとってはどういうものか?

 私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいと思って、その夢を追ってやってきました。跳べたときはすごくうれしかったですし、自分の強さでもあったと思うんですけど、その反面悩まされることも多かったです。

――そのトリプルアクセルに声を掛けるとすると?

 トリプルアクセルに声を掛けるんですか(笑)。う〜ん、なぜもっと簡単に跳ばせてくれないのという感じです(笑)。

――ここまで現役生活を続けることができたが、支えとなっていたものは?

 1つは自分の目標ですね。あとはたくさんの方に支えられて、応援されてきたことかなと思います。

――今年の世界選手権で平昌五輪の枠が2枠になった。それは引退の決断に影響した?

 平昌五輪の目標をあきらめることを許せるのかな、許せないのかなと考えながら過ごしてきました。でも最終的に話し合いをして決めたのが2月だったので、世界選手権が影響したというわけではないです。2枠になったことは残念だとは思いますけど、その2枠をたくさんの選手が争うわけなので、すごくハイレベルな試合になると思います。


「目標を達成する強い気持ちでやってきた」

――フィギュアスケートが日本でブームになり、世界でも強い国になったことについて浅田さんはどういう貢献ができたと感じているか? またこれまで自分がやってきたことが、今後の日本のスケート界で続くためにどういうことをしていきたいと思うか?

 私が小さいころは伊藤みどりさんをはじめ、素晴らしいスケーターがたくさんいました。私もその方々たちを見てこうなりたいと思って ずっとそれを目指してやってきました。ジュニアやシニアに上がってからは、本当にみんなそれぞれ強くて個性的な魅力のある選手たちが集まって、切磋琢磨(せっさたくま)して頑張ってきました。それを支えてくれる方々や、応援してくれるファンの方々がいたから、頑張ってこられました。これからのスケーターの子たちにはみんなで高め合って、刺激を受けながら頑張ってもらいたいと思います。

――選手人生においてたくさんの山があったとおっしゃっていた。ソチ五輪のショートからフリーまでの22時間で、どうやって立ち直ったのか?

 ショートが終わってからは日本に帰れないと思って、辛い思いもしました。フリー当日の朝も気持ちが切り替わっていなくて、このままで大丈夫なのかなという気持ちで公式練習を終えました。試合が近づくにつれて、メイクをして、アップをして、リンクにつながるドアを開けた瞬間、すごい会場でこれはやるしかないなと。

――終わった瞬間の気持ちは?

 最後のポーズは上を向いていたんですけど、「ああ、終わった」と思いました。それと同時に「よかった」という思いがこみあげて、涙してしまったんですけど、バンクーバーのときも悔し涙を流していたので、これじゃダメだと思って笑顔にしました(笑)。

――違う世界に進むことで考えていることは?

 新たな一歩だと思っています。不安は何もなくて、ただ前にある道を進んでいくだけだと思っているので、新たな経験をして、元気に前を見て進んでいきたいと思います。

――(エフゲニー・)プルシェンコ選手も引退を発表したが、思うことはあるか?

 私よりも長い選手生活で、たくさんの記録を残してきて、多くの人を魅了してきた選手だと思います。心から「お疲れ様でした」と言いたいです。

――これまで大事にしてきた信念は?

 小さいころから変わらないんですが、何かこれがしたいという目標を持ってやってきました。目標を達成する強い気持ちを持って、ずっとやってきたつもりです。

――最後の全日本選手権はどういう気持ちで臨んだのか?

 試合に臨む気持ちは1つ1つ変わらないです。ノーミスをすることを考えていました。演技を終えたときにやはり完璧ではなかったですし、自分の最高の演技ではなかったので、悔しい気持ちもあったと思います。そのあとキス&クライにいて順位が出たときに、「もういいのかなもしれない」というふうに思いました。全日本選手権は12歳から出場しているんですけど、一番残念な結果で終わってしまって、そうした結果も大きな決断に至る1つのきっかけだったと思います。


「これからも笑顔で前に進む」

――今、五輪についてはどう思うか?

 あと1年で平昌五輪があります。選手の方々はいろいろな思いを持って日々過ごしていると思います。だから私はエールを送りたいです。

――五輪はどういう舞台?

 4年に1度ですし、選手である以上は小さいころからそれを目指してやってきて、そういう舞台でメダルを取れたのは良かったですし、五輪は本当に素晴らしい舞台だと思います。

――もし生まれ変われるとしたら、またフィギュアスケーターになりたいか?

 26歳までスケートをやって、すべて出し尽くしてもう何も悔いはないので、スケートの道は選ばないと思います。いろいろありますけど、食べることが大好きなのでケーキ屋さんとかカフェとか、レストランだったりをやっているのかなと思います。

――自分が言ったことはやり遂げるポリシーがあると言っていた。そのポリシーはどなたから授かったのか?

 母からかなと思います。あとはこういう性格なので、普段はそんなことはないんですけど、自分が決めたことに関しては頑固なつもりです(笑)。

――自分が決めたことを貫いた最初の体験は?

 毎年、野辺山合宿という新人発掘合宿があるんですけどで、そこで絶対にトリプルアクセルを跳ぶと決めて合宿に行って、初めて降りたということが記憶にあります。そのときに目標を達成するとこんなにうれしいんだなと。また頑張りたいなと思えたときでした。

――ご結婚の予定は?

 ないです(笑)。お相手がいれば一緒に今日も入れたんですけどね(笑)。

――台湾の記者です。卓球の福原愛選手と同じように台湾の人と結婚の可能性はありますか?

 愛ちゃんとお友達なので、台湾の方が良い方がいたらご紹介してほしいなと思います(笑)。私、本当に行ってみたい国が台湾なので、愛ちゃんに案内してもらいます。

――今後、プロスケーターとしての活動もあると思うが、どんなスケートを見せていきたいか?

 一番近くにあるのは「THE ICE」なので、まだプログラムも作っていないんですけど、エキシビションナンバーを作ります。今までのスケート人生を注ぎ込めるようなプログラムを作っていきたいと思います。

(最後に再びあいさつ)

 皆さん、今日は本当にありがとうございました。発表してから2日間、多くの温かい言葉をいただいて、晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました。(言葉を詰まらせる)。スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて、笑顔で前に進んでいきたいと思っています。皆さん応援どうもありがとうございました。




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浅田真央 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2017/04/14 13:10

特定失踪者問題調査会セミナー 「横田めぐみさん拉致の真実」



「特定失踪者問題調査会ニュース」の「【調査会NEWS2431】(29.4.3)」に記載がありました。
近隣の方、ぜひ一緒に行きましょう!
貴重です、この機会。



<横田めぐみさん拉致に関するセミナー>

3月24日新潟での特別検証の報告を兼ね、調査会セミナーを開催します。奮ってご参加下さい。またネットでの中継も予定していますので遠方の方はそちらをご利用いいただければ幸いです。

特定失踪者問題調査会セミナー 「横田めぐみさん拉致の真実」

●日時 4月14日(金)19:00〜20:30(18:30開場)

●場所 UAゼンセン会館2F会議室
   (千代田区九段南4-8-1 市ケ谷駅徒歩3分。地下鉄2番出口を出て直ぐ右に入り30メートル)

ブログ管理人追記、※アクセスはこちら
【交通】 JR市ヶ谷駅下車すぐ
地下鉄有楽町線・新宿線・南北線 
市ヶ谷駅下車、2番出口すぐ

●内容 
 特別検証ビデオ放映(映像教育研究会制作・同日販売予定)
 解説 特定失踪者問題調査会代表 荒木和博さん
 質疑等
 
●参加費 無料
 ※事前申込みは不要です。直接会場においで下さい。

●インターネット中継
 http://www.ustream.tv/channel/特定失踪者問題調査会
--------------------------------

調査会ホームぺージ:http://www.chosa-kai.jp/
YouTube https://www.youtube.com/channel/UCECjVKicFLLut5-qCvIna9A


北朝鮮による拉致被害者奪還ができれば、南朝鮮による真央の五輪金メダル窃盗の奪還もできると思うし、その逆もまた真です。
一緒にやらないとダメだと思う。

生きて困っている人間が先、メダルはその後。どちらも「日本」と「日本人」のためになることですし、絶対に今しなければいけないと思います。
わたしはせっかちなので「今年中に全員奪還」どころか「今日中に」と思いますよ。時間がないです。


怖いこと、遠いこと、関係ないことと思わずに、まずは事実を知っていくこと、そうしたら「自分に何ができるのか」がわかってくる。

拉致被害者奪還は政治活動ではなくて、普通にしなきゃいけない「不正をただすこと」でしょう。
だってこんなこと「絶対にあってはならないこと」なんですよ。おかしいんですよ。
今まで放置されてきたことがおかしいんです。

動かない「国」、動かない「役人」、動かない「政治家」、「動かない警察」、もろもろの「味方になってもらえるはずの、真っ先に手助けしてくれるはずの」こういうものを粛々と動かし続けている荒木先生。

尊敬の一語です。学びたい。

そしてできれば一刻も早く、拉致被害者の皆さんに詫びたいんです。こんなに待たせてしまってごめんなさい、本当にごめんなさい、と。


できることを探そう。できることを1個できれば、それはもう「未知の恐怖」「怖い闇」ではなくなって、「わが武器」「わが味方」「わが力」に必ずなります。

困っている人を助けられるんだよ。こんな大きな喜びがあるだろうか。

ぜひ、行きませんか。

荒木先生の髪の毛の色がどうなったかも知りたいです。この前「」かったの。。。ほんとよ!





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拉致被害者奪還 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/04/14 13:00

浅田さんの挑戦支えた靴 調整任された小塚さん




浅田さんの挑戦支えた靴 調整任された小塚さん
2017年04月13日
http://www.yomiuri.co.jp/chubu/news/20170412-OYTNT50311.html?from=tw

 「フィギュアスケートの一時代が終わった」。浅田真央さんのスケート靴を調整してきた小塚嗣彦さん(70)は、寂しそうに語った。

 小塚さんは、2010年のバンクーバー五輪に出場した元フィギュアスケート選手の小塚崇彦さん(28)の父。名古屋市内のスケートクラブでコーチを務め、浅田さんが米国から練習拠点を愛知県に戻した08年頃から、浅田さんが使うスケート靴のブレードの調整を任されてきた。

 自分のスケートクラブ以外の選手のために靴を手がけるのは、浅田さんと姉の舞さん(28)が初めて。姉妹2人とも崇彦さんと仲が良く、11年に死去した浅田さんの母匡子さんから頼まれたのがきっかけだった。

 浅田さんが研磨を業者に任せていた頃は、靴をはき始めてからジャンプした時にエッジが「しっくり氷をかむ」と感じられるようになるまで1週間ほどかかった。小塚さんが研ぐと、浅田さんは「その日からちゃんと滑れる」と驚いたという。

 「真央がうまく滑れなかったら自分のせい」。そう語る小塚さんに浅田さんは厚い信頼を寄せ、小塚さんが調整したブレードで五輪のリンクにも立ってきた。

 小塚さんは14年のソチ五輪を思い返すと、今も胸が痛む。

団体戦を終えた浅田さんは、金メダルを期待された個人種目に向けてモスクワでの調整を望んでいた。だが実際の練習拠点は、他の女子選手と同じアルメニアのリンクに。氷の質が悪く、ブレードは短期間で刃が丸くなった。それがショートプログラムで本来の滑りを見せられず、16位と大きく出遅れた一因になったという思いが拭えない。

 ソチで浅田さんを支えていたスタッフが急きょ研ぎ直すことになり、フリーで世界中を感動させる滑りを見せたものの、「最後の五輪」は6位に終わった。「そのことを胸にしまい込み、言い訳にしなかった真央は本当に立派です」と目を潤ませた。

 「真央の素晴らしい演技を見たいというファンは多い。プロスケーターになっても、変わらずエッジを研ぐでしょう」。心を込めた研磨で浅田さんの技を後押ししてきた小塚さんは「これからも支えてあげたい」と静かに語った。(宮島出)
2017年04月13日 Copyright © The Yomiuri Shimbun



佐藤信夫先生の講演会で信夫先生から直接伺った話だと、

・すべての帯同する試合にブレード研磨用の石などを一式持参していた
・それがソチで初めて役に立った、それまで使ったことは一度もなかった
・ブレードがガタガタになり、真央ちゃんはフルメンテナンスを望んだが、砥ぎすぎると全体のバランスが変わりすぎるので半分ほどの手入れでほどほどにしておこうと信夫先生から提案して、そうした
・だから本来のコンディションではなかった

でした。これはセミナー参加後に記事にしました。

ソチ入りまで絶好調で「練習では(ソチのあのフリーよりも)ずっとよかったわよ」とその場で佐藤久美子先生もおっしゃっていた。

アルメニアのリンク選定に関してはスケ連に全責任があります。太鼓判を押した荒川静香にも。

視察のときと環境がまったく異なり、空調がきかずリンクには砂がばらまかれ、全選手中、鈴木彬子と浅田真央の二人だけが練習を強いられた。

男子シングル選手で行くはずだった人は取りやめて、鈴木と浅田だけがここに無理やり送られた。

なぜこのようなことが?
そしてなぜ「誰も責任を取らない」のか?

内輪でなあなあでやりすごす、自浄作用のない団体が、浅田真央の五輪金メダルを阻んだ最悪にして最大の現況です。




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ソチ五輪・劣悪な「アルメニアのリンク」問題 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/04/14 03:32
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