なぜ靖国でこれができないのだろう ウィーン・カールス教会の「マリア像」



「日本に帰ったらできるだけ大勢の女の人に伝えますね」と約束しちゃったものですから、写真と経緯を公開します。ちょっとコワイ写真も含まれますのでご注意ください。
心に害意を持つ人は見ないほうがいいと思うYO!

話が長いので結論を申し上げます。
無念な戦死者がいなくなれば、それを弔い続ける不憫な生者もいなくなるだろう。



一番最初に思ったことは
なぜ靖国でこれができないのだろう
でした。



ウィーンのカールス教会の祭壇で殊勝に両膝をついて両手を組んで、目を伏せて、でも、さて、祈ることはなにもない。自己紹介とお礼だけです。お礼。感謝。
そして「とにかくすごいっす」という驚き。
それらもどこか「遠い」かんじで、あのときの自分はひたすら「無」でした。

そしてこんなに苦労して神の栄光を目に見える形にしてきた先人の努力に目を見張り、写真を撮らせていただいて、使われている大理石のこってりさ加減にうまそうだな~とかどこ産よ?とか物質の見事さにほれぼれしていました。
もともとペストの跳梁でヨーロッパ全人口の2/3が死滅、というような大惨事の悲惨な出来事を弔うために作られた場所、教会というよりも「墓地」「霊廟所」の気配が非常に濃かったので、空気に狎れていたのかもしれません。

神の栄光をおろす場所というよりも、地上の人間の思いや希求を物質化した場所で、すべての装飾がヒトに由来して還元されていく感じがしたのです。
※個人の感想です。

ですから、ふつうこのような場所では決してしない写真撮影もさせていただいてました。ところがある場所で突然カメラのシャッターが切れなくなった。どうあっても動かない。そして無理矢理20回くらい操作したらやっと一枚だけ撮れました。

なんじゃこりゃ。

マリア-4


こういうときは頼もしい友人頼み(笑)。恐れ入りますがどうぞこちらへ~(はぁと)というほどの意味をこめて手招きして撮影してもらいました。

マリア像。

マリア


友人撮影の一枚目はなんともなかった。二枚目、がつんときましたね。像が目をあけた!と友人は後で表現していました。「つながった」んです。

最初は「三角形」にひかれて近づきました。そして黒いイエスにべっくらし、この「マリアとされる像」の漂わせる雰囲気にやられました。妖気、と言ったら一番近いと思います。

わたしは、この像は門だ、と思いました。
レリーフを訳してもらったら、第一次世界大戦で亡くなった戦士たちを記念するためのものだ、とのことです。

説明プレート

ちょうど、荒谷氏の講演会を帰国後に予定していて「戦闘者たちへ」という荒谷氏の著書のコピーが念頭にあったからかもしれません。伊藤氏の行動、日本が戦後70年を迎えるきたるべき2015年、「外」からもう一度見直す旅でもある、という気持ちがあったせいかもしれません。

この像は門だ。そしてせきとめているのは戦没者たちとその思いだ。と感じました。

マリア-2

癒しや救済「ではない」と思うのです。
無念や苦痛や悲しみを、この像は黙って訴えている。忘れていいのか、それでいいのか。いや、忘れさせはしない。わたしがさせない。死者を数でカウントして没個性な「死者」にしておいてはいけないのだ。ひとりひとりに名前があり、心があり、思いがある。戦争がなければまったく別の生き方をし、もっと幸福な長い生涯を送れたかもしれない人たちの、すべての可能性を奪い、蹴散らし、「死者」にした「戦争」を忘れてはいけないのだ。

忘れさせない。

という思いを感じさせられました。


ある人が見れば癒し、救済だったかもしれません。でも、わたしにはこの像も「戦っている」と思えました。

安らかに、とはとうてい言えない。
また、抱いている子供がそれを許さない。

死者から産み落とされるものは、悔恨と怨嗟だけではないはずだ。平和への希求は、他国に侵されない強い国土と、そこに生きる誇りと自信に満ちた「国民」が一丸となって守り、勝ち取り、未来につないでいくべきものなのだ。

そう、思いました。

この写真は怖いです。油断して、堕落して、懶惰に流れていく自分を強烈に告発するからです。

「それでいいのか。わたしは許さない」と。

本当は、すでに興味関心があり、そのような考えにあるていどの許容能力を持っている方が集まってくださるセミナー・講演会で皆さんにお話ししようかと思っていました。

異文化の、ましてカトリックにもウィーンにも何の教養もない人間が、戦没者の慰霊のためのこのようなすばらしいモニュメントを勝手に語るのは失礼にあたると思ったからです。
ましてこれは「※個人の感想です」でしかない。

けれども、この像が「門」を開けないよう、死者の死者たるゆえんである「垣根のなさ」を解放しないように動くのならば、「日本に帰って、できるだけ大勢の日本の女の人たちにあなたのことを話します。女性形象として作られてそのように戦っているあなたのことを。女性がしゃんとしていなければ国家の骨幹は成り立たない。未来を生み出すことができ、未来を直接育てることができる、つまりは生命を授かり、宿し、うみだして、はぐくんでいくべきすばらしい可能性を秘めた日本の女性たちに話します」と約束するほかありませんでした。

一番辛いときに、誰にもわかってもらえないと、思うことはとても辛い。
ましてそれが「国家」のための闘いで、いやでもおうでも携わらなければならなくて、そのために死ぬのだとしても、前に進まなければならなかった、極限状態にあった人ならなおさらです。

逆に、誰かひとりでもいい、わかってくれる人、自分を忘れずにいてくれる人がいてくれれば、人間はどこまでも強くなれるものです。

それがたとえばヒトでなくても。

わたしは、この異形、異相ともいうべき(※個人の感想です)「身を粉にしてゲイトウェイを体現している人」を見たときに、わたしたち日本人は「なぜこれが靖国でできないのか」をもっと考えていくべきだと思ったんです。

死者は祀らなければなりません。

祀ることでしか償いはできません。物質的な繁栄と、霊的な祀り上げは車輪の両軸です。どちらが欠けてもよろしくない。どちらもとても大事です。

ましてわれわれは先人の死によって「今」があることを忘れてはいけないのではないでしょうか。

日本人は、先祖を、あるいは大自然の構成要素、たとえば海や山や川や滝や、泉や空気や岩や樹木、すべての存在を「神」にすることができる民族です。神ととらえ、神とあがめ、神としてつきあうことで、万物と共存共栄をはかってきた。

軍用犬や軍馬が神として靖国で祀られるのなら、先の大戦で傷ついた、大地や川や風さえも、一緒に祀るべきでしょう。まして先人たるわれわれの同胞はなおさらです。

わたしは、「門」を解放し、むしろ怨霊を活性化してもいいとすら思います。その無念、その苦痛、その悲しみ。大変な悲劇があったればこそ、祟りや異変をなす、怨霊が生成される。そのパワーをこそ、国土の礎にするテクニックを、日本人は持っていたわけですから。

けれども、死者をこれ以上酷使するのは気の毒すぎます。死してなお、護国の鬼にと決意した作家もかつていましたが、死後くらいゆっくりと休んでいただきたい・・・生きているわれわれがあまりにふがいないがゆえに、鬼は暴れる秋(とき)をうかがっているのかもしれませんが。

この像そのものをも含め、ただちに救済を!と思わずにはいられません。心優しい女性に、死者の冥福を祈る巨大な責務を与えて酷使するのもまた、戦争被害じゃないんでしょうか。この像が満足した微笑みを浮かべられる日が来ることを、祈ります。大変だろうから。本当に。
「その日」はすべてのオーストリア国民が過去から学び、未来への思いを胸に刻んで、自国の繁栄と世界の平和を心から祈念する日でしょう。

日本でもどうように、自国の平和と世界の反映を、心優しき連帯による共存共栄を決するために、強くたくましくそして誇り高く、全国民が「学ぶこと、そしてそれを活かすこと」を心に誓う日が来てほしい。

ウィーンで見た門、それは水門のようなもの。かつて地上に存在し、わたしたちひとりひとりとまったく同じに生きて暮らしていた無数の人々の「思い」の淵にたたずんで、此岸と彼岸を分ける者。そんな女性がウィーンにいました。

大変なことだろうと思います。すべての死者が安らかに、安心して旅立って、そして更なる冒険に取り組めるよう、地上を歩くわれわれこそが、立ち上がるべきときが来ているのだろうと思います。

此岸と彼岸とに分ける考えがもうすでに誤りなのかもしれないと、その「門」は誰によって何のために設置されたのかと、親しく手を取って語り明かしたい、そんな女性がウィーンにいました。

この女性自身の救いのためにも、「戦没者」への思いは、国や人種や立場を越えて、等しく英霊として祀りたいと、姐さんは思います。

あわよくば友達になっちゃえ!ってね。



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GPF2014 | コメント(10) | トラックバック(0) | 2015/01/05 04:42
コメント
No title
姐さんお早うございます!
欧州も霊的にものすごく感じられる場所が多いと聞きます。
うちの母はあちこち海外へ旅行するのが趣味で、歴史を感じる建物や風景など
鑑賞するのがなによりの楽しみだといいます。
いわゆる零感ですが、それでも帰国後に写真を見ながら語る母の言葉からはその
地の明の部分だけではなく暗の部分も伝わってくるのが不思議でした。

この時期にこの記事というのも必然を感じます。
世界中の誰もが平和を望んでいる。戦争なんて望む人はいない。
でも残念ながら欲というものに塗れそのために手段を選ばず強行に出るものが
いるのも事実。
ではどうするべきなのか?
平和を望むものが攻撃などありえず、かといって何もせず、大切なものが奪われ愛するものたちが目の前で殺されていくさまを黙ってみているなんてできるわけがない。
だから防衛が必要で攻撃されない強い国づくりをしなければならないと思うのです。
なのに今の日本の風潮がただひたすら反戦!反戦!って...
そんな当たり前のことを唱えるのは子供以下、こちら側が攻撃しません宣言すれば世界中どこからも攻撃されないと思い込むなんて恐ろしい洗脳。
攻撃はしません、でもわが国民、財産、領土を侵す行為がなされた場合には防衛のための攻撃はします。
本当に残念ながらこれしかないのですよね、少なくとも今の世では。
姐さんの言うとおり靖国に眠る多くの人々、動物はヒーローではなく犠牲者。
もっと危機感を持たなければいけない。
日本に生まれたことの意味をもっとよく考えなければいけない。
今のこの世でなにもせず保てる平和などない。
この時期にしっかりと考え見つめなおすべし!でしょうか...





力を奪われた日本女性
私は世界で一番強くて優しいのは日本女性だとずーっと思っていました。
でも、最近気付いたのは日本女性がその力を奪われていていると言う事です。
力を発揮するには意志が必要です。
産む・育てる・慈しむ・護る、此れ等の力を発揮する意志を破壊されている女性が、増えているように感じるのです。
恐ろしい事です。
今回の記事、途中から涙が止りませんでした。
無念と救済
姐さん「お友達になっちゃえって」さすが姐さん!!

このマリア像を拝見した瞬間・・うぉぉぉ・・固まりました。
凄い怨念といっては失礼ですが力が凄い

戦死の無念さ。
たった数十年前には戦争があり、多くの方が無念の中、亡くなりました。
私の祖父も靖国に祀られています。
私が生まれる十数年前に戦争があった。たった十数年前。
平成でいえば平成10年位に戦争が終わっていると考えると、すごく近い時代に戦争があったものだと思う。

最近、情緒不安定で色々なことを考えてしまいます。
イスラム国による惨殺、飛行機墜落、おもちゃのごとく強姦される女性たち・・
なぜ今も罪もない人が無残な目にあわされているの?と神様に問うお正月でした。

そんなこんなをぐるぐる考えて、冨野監督の最高傑作と言われた
「イデオン」の「コスモスに君と」(名曲!)のを聞いて涙が止まらなくなった

選ばれた作品やこのマリア像といわれている存在(と感じる)を通じて
神は意志を翻訳し伝えている気がします。
こんなに念を送ってくれているのなら、何かをしなくしてはいけませんね。
亡くなった方々も本当は安らかな世界に行きたいのですよね。

日本には、こんな気持ちを一瞬で浄化してくれる奇跡の存在がいますよね。

こんな状態の中、彼女の姿を見た瞬間、怨念がすぅぅぅっとなくなりました。
無念さ怨念を浄化、救済(おこがましいですが)出来ればいいのですが。

ああ、はちゃめちゃな文章になりました。
ごめんなさい。
でもこの数日のぐるぐるの意味を姐さんの文章を読んでつながりそうになったので書いちゃいました。






初めまして
こんにちは
感動的な筆致に惹かれ読みました。
戦争というものは必ず仕掛け人がいると言われていますね。
金儲けですね。
その一部の我欲の為に犠牲になるのは常に国民であり、その理不尽さは筆舌に尽くし難いものがあります。
しかし、ことある毎に反省を求められるのは国民です。
本当の責任者戦犯は月日の陰に隠され、また再び一部の我欲人間が戦争を起こすのです。

このような仕組みを世界の民が知り認識することで、防ぐ1つの方法になり得るかもしれません。
非常に難しい事でしょうが…
ところで、天皇や皇族は何故靖国を参拝しないのか、不思議です。
元師として天皇は明らかに戦争の中枢にいた訳です。戦犯とされる方々は天皇の身代わりに汚名 を被っている訳ですから、参拝は必須かと思います。
それをしないから、今の天皇家はぐだぐだなのではないですか?
御祓が済んでないという事でしょうか?
霊的能力をお持ちらしいブログ主さまはどのように思いますか?
圧倒されました
この写真に、すごく圧倒されました。怖かった・・・
記事を二度読ませていただいたのですが、二回目は写真のところへスクロールするのに勇気がいりました。パソコン画面なのに、像なのに、この女性と目が合った、と感じるのはなぜなのでしょうか。
それだけ強い思いがあるということでしょうか。
今は日本は(一見、かもしれませんが)平和ですが、戦時下の方々の苦労と悲しみは想像もつきません。
私の周りには、思いやりに溢れた優しくて強い、素敵なお母さん達が沢山います。日本にもヨーロッパにも、今も昔も世界中にいるのでしょう。そうしたお母さん達の大切な、家族の愛し合う温かい家庭が、戦争になれば壊される。
実際に壊されたのですよね。その上に今の平和があるのですね。
感謝を忘れずに、無力ながら自分に何が出来るのか考えたいと思いました。
姐様、記事アップをありがとうございました。
民さんへ
コメントありがとうございます。戦没者への態度も含めてわたしたち全員が一緒に考えていかなければいけない問題ですね。
それからわたしは霊能力があると書いたことは一度もないはずなのですが・・・
ヒナタさんへ
この女性がなぜ怖い存在になったのか、とあわせてなぜあなた自身が怖いと感じたのかに注目してご自分の心を探っていただくと面白いかもしれませんよ。
kibakoさんへ
選ぶのは相手ですけど、こんにちは!友達になろうよ!という心のドアはいつもオープンにしておきたいなと思っています。
尊い存在であればあるほど個別の存在をカバーしている率が上がるものですし。

洋の東西を越えてあなたに何かが伝わり、あなたからこの像に何かが伝わったのだと思います。

その歌わたしも大好きです。カラオケで歌うこともありますw
ガンダムよりイデオン派でした。
怖れ
姐様
レスありがとうございます。
怖いと感じるのは、自分が戦ってないからかな、と思いました。
記事中に「告発」とありましたが、怠惰と保身で凝り固まった自分の内面を糾弾されているように感じたのかもしれません。お前は何もしていないじゃないかと言われそうで、うしろめたかったのかな、と。
そう考えると、少し、怖さが薄れて、視界が開けた気がします。
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