演技は「縁起」浅田真央の存在を起点として--(いくりんさんのコメントあり)

「いくりん」さんがコメントでこのブログの目的のすべてを書いてくださいました。
これが伝わったならもう、あたしの目的の8割方は達成できたと思います。

キムチの悪行の証拠は出揃いつつあります。
あとは目を覚ますだけ、立ち上がるだけです。

「いくりん」さん、ありがとう。



2013/10/18 追記
すみません、表題の漢字を思いっきり間違えていました。
ご指摘ありがとうございます。
演技は縁起、です。



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罫線で囲まれた文章のCopyrightは「いくりん」さんにあります。



13/10/17 いくりん

タイトルなし

姐さま、初めまして。もはや朝晩こちらのブログをチェックするのが私の日課となっています。

「きっと真央ちゃんは金メダル!」と思うと共に「でもでも、もしダメだったら・・・」という気持ちが湧きあがってきたりもしましたが、この記事を読んだ後にふと思ったんです。

「よっしゃ、禊をしようじゃないか」

私が恐れていたのは、真央ちゃんの光がそれでも闇に負けてしまうかも、ということでした。

でも、私の外側と内側と、その両方にある暗いものを捨てたり、愛したりして光に変えていけば、それはきっと真央ちゃんの放つ光を助けることになる。私たちはみんな繋がっているから自分のことを一生懸命にやることってとっても大切だと思っています。

だから、真央ちゃんの助けとなるように。みんなが正しさの中で輝いていけるように。正しさって、自分の中にある神様とつながる部分を大切にしていくことだと思うから。

お掃除したり、「変だ」と思う自分の感覚も大切にして、そして自分の中の暗~いところも大切に。何よりも自分を幸せに。オリンピックまで私も走っていこうと思っています。

姐さまのブログ、これからも楽しみにしています。


Copyright (C) 2013 「いくりん氏」 All Rights Reserved.


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浅田の演技は「縁起」なのだと、前に仏教用語を使って少し書きかけたことがありました。

縁起というのは仏教用語で「すべての存在は網の目のようにアタッチメントされていて、どこを取っても孤立して存在しているものはない」とあたしは解釈しています。

「縁」が「起こる」、生起する。ひとつの出来事をきっかけに、ぱたぱたぱたと360度の全域に、東西南北の上下左右に、過去と未来と現在に、時と所とを越えて、「それ」の影響が波及します。

浅田や選手への採点に対しての疑問が起点となってあたしたちが知ることになった事実。それは韓国の文化侵略やなりすまし被害、日本がまるでDVを耐えるかのように長い年月強いられてきた文化的、経済的、そして精神的苦痛。
浅田に対して行われたようなきったねぇ迫害は、この「日本」にも加えらえ、しかもそれは何ひとつ根拠を持たないものでした。

「浅田真央だから」だから彼らは浅田を叩いた。
「日本人だから」だから彼らは日本を叩いた。

こんなことが許されていていいはずがありません。

このへんは長くなってしまうので他に詳しい皆さんに論を譲ることにしますが、浅田の渾身の演技を見てそれでも目をふさがれ、耳を閉じられ、口を開くことを不可とされた人間が、まだまだ日本には多いのです。

実に悲しむべき状況です。あるいは笑うべき状況だと申し上げるべきかもしれません。



浅田が見せる姿というのは「日本人」のすべての良さの結晶だと思います。あの明朗さ、ほがらかさ、恬淡と落ち着いていて決して奢らず、羞恥とやさしさと思いやりと、そして不正にも悪にも一歩も引かず、断固として己の信念を貫く姿勢、積み重ねてきた技術を信じ、自分の心を武器にして、あのように華とも光とも思える姿をずっと見せ続けてくれました。

浅田の苦闘を見過ごすことがどうして「日本人」にできましょう。

苦しむ浅田が、それでもそれを隠すことなく、不屈の闘志で人目にさらし続けてきたからこそ、今のあたしたちの覚醒があるのだと思います。

浅田が示す美も華も光も強さも、浅田があきらめていたらこの世では決して見ることが許されなかった「浅田真央の世界」です。このように光り輝く世界というものを手放さずにいてくれたことに、あたしはいくら感謝してもしきれません。

スケートアメリカに参加するすべての選手は同じように、言うに言われぬ苦労を重ね、そして自分を信じて自分自身の素晴らしさを、精いっぱいに世界に花開かせてくれるでしょう。

それは真剣に生きてきた時間の分だけより大きくより美しく人々の心に残り、圧倒的な支持と共感を呼ぶはずです。

浅田の演技に涙した人、力づけられた人は、何よりもまず<自分>に対して同じような愛と感謝を向けるべきです。あなたが今生きていなかったら生身の体で演技をする浅田を知ることはできませんでした。

そして浅田がおかれていた孤独な闇と、そこをどのように切り抜けたのかという事実を知ればもっともっと驚きは大きいはずです。

恐るべき邪悪さに打ち勝ったのはスケートに恋したひとりの少女、スケートへの思いだけで、どれほどの大きな苦しみを乗り越えて今季、最後のまさに今季、勝負に出たかを知ったとき、もっと驚くべきだと思います。

あたしは、浅田を絶賛することをやめません。ひとつの国家の標的にされ、仮想敵として叩かれながらも、彼女は「自分の演技」ですべてを跳ね返してきました。

かの国ですら、国策として日本人を憎まなければならないと教えられている国ですら、浅田を愛し、懸命に応援している人がいます。それは本当に命がけです。受難者、殉教者になぞらえられてマオシタンと言われることも、決して冗談ではありません。

かの国で浅田を応援していると公言することは、時には命がけの試練になります。

浅田には<敵>はいません。
彼女はただスケートを愛しているだけです。

敵を作り出し、争わせ、互いに消耗させることで得をするのは誰ですか?
日本人の美徳の象徴ともいえる浅田を叩き、日本人を苦しめて、陰で笑っているのは誰ですか?

あたしたちは浅田の苦難を通して<自分自身>の無知に泣き、徳性を考え直し、生き方すら変える機会を得たのです。
それを熱狂的なファンの勘違いだと嘲笑する人のことをあたしは気の毒に思います。
彼らはせっかく目の前に置かれたチャンスを自ら掴み損ねているからです。

浅田は実に歴史上の偉人になぞらえられて尊敬を集めるべき<星>なのです。


ある人にはそれがマザー・テレサでしょう。最近のアイドルだったらアイルトン・セナかもしれない。ベーブ・ルースかも、イチローかも。それとも大女優、経済界の大立者? 誰でもが知っているジョージ・ルーカス?スティーブン・ジョブズ?ガリレオ・ガリレイ、ユーリ・ガガーリン?

このブログで浅田を称して妖精、天使、女神、神、菩薩、弥勒、etc...たくさんの「光」を意味する形容をコメント欄でいただきました。

あたし自身も神とか英雄とかうちの嫁とかいった形容で浅田を表現してきました。

それらはどれも<事実>です。目の前のある単なる事実。浅田はそれらすべてです。


そしてそのような生きざまを目の前で見せてくれている浅田自身の揺るぎのない徳性は、演技にすべて出ています。

世界の一流のスケーターがこぞって浅田を賞賛し、力強く応援してくれていることにはほっとしますが、全世界が浅田よりキムチが上だと叫んでも、あたしは最後のひとりになっても大きな声で「違う!」と言い続けます。


浅田を愛する皆さんは、それぞれの生活の場で浅田自身を愛するように、自分を取り扱ってあげてください。

自分自身が自分の最良の友となり、支援者となり応援家となり、自分に恥じない生き方を選んでいっていただきたい。

それがそのまま自分をも含め、「日本人」全体を底上げし、より明るい未来を笑顔で迎え入れるための大きな道標となるはずです。

そして横を見たとき浅田もそこを歩いている。同じ日本で、「正しく」、「強く」。


スケートアメリカの公式練習が始まっています。浅田の「美しさ」に期待しましょう。



祈りは必ず通じます。あたしはそう信じます。





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日本人として生きるということ | コメント(20) | トラックバック(0) | 2013/10/17 23:34
コメント
初めまして、楽しく読ませて頂いております。
今日の記事を見て、私の中でも、そうなのかな、そういう気持ちなのかな、となんだか消化されました。

今年のモリコロが初ショー、初生スケーター、初生真央ちゃん!…でした。

なんかわからないけど、真央ちゃんに会えるその日までダイエットしようと励みました。なぜか仕事を頑張ろう、おばあちゃんに優しくしよう、部屋の掃除をしよう…
真央ちゃんパワーと呼んでいいのかわかりませんが、
色々なことを頑張れました。モリコロで真央ちゃんに会え、今はさらにソチまでもっと色々頑張りたいと思ってます、実際頑張れるんです。
ソチまでっいうて私の行動は願掛けなのかな?よくわかりませんが。
キラキラ輝く真央ちゃんに会うのに、不摂生な自分では駄目だと思ったのかな。

消化できたと言いながらまとまらない長文を失礼しました。
自分の周りの大事な人や大事な事に感謝し大切にしながら、真央ちゃんを応援していきたいです!

ありがとうございます!
いくりんさん、姐さん。
ありがとうございます!!
私もこのご縁に感謝して行動を起こします。
いつだって正面突破の真央ちゃんが大好きです!
がおおおおお
>浅田が見せる姿というのは「日本人」のすべての良さの結晶

ここ最近感じていたことがまさにコレです。
浅田真央の演技に感動するのは、日本人の中にある「こういう生き方こそ美しい」っていう感覚が、彼女の持っているものに共鳴するからじゃないかと思っています。

浅田真央はアスリートでありスケーターですが、わたしにとってはフィギュア道の求道者です。
わたしよりずっと若い彼女を、尊敬せずにはいられません。

興奮してタイトルで吠えました。すみません。
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あらためて
姐さま、またしても心につきささる記事を有難うございます。

今季、私たちは、きっと想像を絶する凄まじいまでの姿を、真央ちゃんに見せられるだろうと思います。そして真央ちゃん自身がおっしゃるように、ソチでは最高の演技が、私たちに突きつけられるはずです。私は確実に号泣します。というか、もう今週末には号泣が始まります。楽しみでなりません。

皆様そう思っておられると思いますが、ソチでの真央ちゃんには、表彰台の頂点、金メダルが相応しい。ってゆうか、前回だって相応しかった。点数だけでなく、順位だっておかしかった。

真央ちゃんはソチで栄光の金メダル、そうなると確信します。

それは、今季の真央ちゃんがあまりに圧倒的で、黒いカネや陰謀やらでは、もはや太刀打ちできないと思うからです。

それでも万が一、またカネで金メダルが買われたとしても、その時はもう茶番クーバーのように白々しい姑息な演出では誤魔化せないと思うのです。あまりに、本物と偽物の差が、あからさますぎて。つまり、それはキムチにとって最大級の公開処刑になるということです。

だから、仮にどういう順位の結果が出たとしても、結局行き着く答は同じになると信じています。つまり、真の勇者、勝者、英雄は、我らが真央ちゃんであるということです。

これはもはや揺るぎないレベルに、もうすでに達していると思います。

真央ちゃんびいきのこんな私には、そう思えてなりません。
姐さま
今日もありがとうございます

らなさま
全く同じところに共感しました

やっぱり 清く正しく美しく って心の底では憧れて求め続けてるんではないかと思います
少なくとも私自身は求めています

私 小学校卒業時に偽善者(当時の表現では いい子ぶりっこ的な…)って書いた手紙を貰って さすがにその日だけは凹みました(苦笑)
でも それを恐れて周りに迎合する生き方は出来なかったみたいです(笑)

文章力も語彙力もないので 何がいいたいのか全く分からない意味不明なコメントになってしまって申し訳ありません

とにかく 出来る限り真っ当な道を歩みたいなと真央ちゃんを見る度に自分を戒めています!!
姐さん、いつもぼんやり思ってるけど言葉に出来なかった想いを紡いで頂いてありがとうございます。
なんか胸が一杯になってしまった…

けどね姐さん。
>あたし自身も神とか英雄とかうちの嫁とかいった形容で浅田を表現してきました。

そこは阻止。無慈悲に阻止。亀吉さんカモ―ンw
表現とは
はじめまして、姐さま、そして、皆さま。

姐さまの深い話、コメント欄に寄せられる素晴らしいご意見。
ひとつひとつ、心に染み入りました。
フィギュア観戦でボロボロに傷ついた心を毎日癒してもらっています。

真央ちゃんの演技がこれほどまでに人々を惹きつけ、その場限りの感動に終わらず人生観をも変えてしまう、それはどれだけマスコミや韓国が浅田真央をこき下ろそうが、現実に起こっている奇跡です。
演技ひとつでこれほどまでに影響力を及ぼすとは、驚異的なことです。
これが、真央ちゃんの出した、金メダルよりもすごい結果のひとつだと感じています。

今までの一連の極めて不愉快な、マスコミによる浅田真央ネガティブキャンペーン、キムヨナ絶対女王キャンペーン…。
世間の人々は、あの真央ちゃんの演技、キムヨナの演技を見て、それでもあの点数と、マスコミの戯言を信じた(人もいた)…。
まず、そのことに、驚愕し落胆しました。
演技を見れば、不正が働いているのは一目瞭然だと私は信じて疑わなかったのですが、結果とマスコミを鵜呑みにする人もいるんだと。
私はキムヨナがシニアに上がった直後から点数高すぎと思ってましたので、韓国GPFからの異常な上げ上げっぷりには、状況証拠で八百長と告白しているも同然くらいに感じていましたから。
それが一般的な認識にならないのが不思議でとにかく悲しかった。

私は、キムヨナの演技には終始あざとさが見え、本能的に嫌悪感を覚えます。
初めて見たときからそうで、その嫌悪感は増すばかりです。
今では顔を見るだけで体調不良に陥ります。

ワイドショーのコメンテーターがこぞって絶賛した顔芸には、いったい何の意味があるのでしょうか?
本来、身体全体を使って表現するスポーツであり、顔の表情は後から自然とついてくるもので、作為的に付け加えるものではありません。
キムヨナの演技はすべてが作為的で不自然です。
その、不自然というところがある意味ポイントで、不自然さを感じるからこそ、「あ、表現しているんだ」とわかったように錯覚する種類の感じ方をしてしまう人がいるのではないかと感じています。

私の個人的なことですが、私は管楽器の演奏家です。
フィギュアスケートには演奏と通じるものが多々あり、昔から惹きつけられてきました。
そして、優れた演技からは演奏のヒントをもらうこともあり、フィギュアスケートも楽器の演奏も、技術と芸術を高めることが、素晴らしい結果を生むのだと学びました。フィギュアが腐敗するまでは…。

音楽の業界も汚い世界で、フィギュア同様に政治的な問題もあります。
根本的に芸術を評価する場合は明確な基準がなく、判断する人の感受性に頼るところが大きいことで、間違った評価を下してしまうことが多いですね。
ある意味それも仕方ないですが、評価を下す立場に立つ人は、せめて、多くの人の血と汗と涙に対して責任があることを自覚して欲しいと思います。

キムヨナの表現に感化されることと似たような現象が、音楽界にも起こっています。
きっと、私の知らない様々な分野でも起こっていることでしょう。
何か大げさなことや、不自然なことをすることで、表現力があると認識されて評価を受けるという、残念な状況です。
私のしる世界でも、権威ある人がそのような演奏をもてはやしたり、また、そのように演奏することを絶対的条件として掲げられたりしています。
もはや失笑ものです。

私は、真に優れた表現というのは、自然の中にしか存在し得ないと信じています。
大げさなことをするというのも、表現方法の一つとしては否定出来ないのかもしれません。
しかし未熟で稚拙な方法だと思います。
それを、オリンピックの金メダリストや権威ある演奏家にドヤ顔でやられたら…世も末と、怒りを通り越し、乾いた失望感しかありません。

浅田真央の演技は、表面上を取り繕って、着飾って、外へ外へとアピールするものではありません。
どこまでも自然で、本来の力を発揮出来ている時ほど、内へ内へと向かっているように感じるのです。
これが、浅田真央が本物である証ではないかと。
如何に点数や印象操作でこき下ろし、メダルを強奪しようとも、本物の輝きを奪うことは出来ないのではないかと。
「本物」にしか、人々を幸せにすることは出来ない、と私は確信しました。

残念なことに、本物と偽物の違いを見分けられない人々が一定数は存在してしまうのですね。
私なりにですが考えてみました。なぜ、そうなるのかと。

姐さまの確信を突いた素晴らしい記事と、コメントを寄せる皆さまの共感を呼ぶご意見から、既に答えは出ていますね。

こんな言い方は日常生活では出来ませんが、この場だけでは正直な気持ちを言わせて下さい。
キムヨナの演技が素晴らしいと感じる人は、他人の心の痛みが理解出来ない、または理解が足りない人だと思います。
相手の心の内面を理解することが出来ないので、表面上の不自然なものを拾うことを、「感動」という感情だと勘違いしているのではないでしょうか。
本当の感動というのは、顔芸がすごかったから、とか、ミスがなかったから、とか言葉で説明出来るものではなく、自分自身も意識出来なほど心の深いところに一瞬で到達し、揺さぶられるということです。

私も、真央ちゃんに100000000分の1でも近づきたいですし、力になりたい。
このブログに出会ってから、ただ落胆するだけの自分から、成長して変わりたいと思えました。
ありがとうございます。
皆さんと一緒に、出来ることから始めたいと思っています。

拙い文章、長文、大変失礼しました。



















みんなの真央ちゃん。
姐さん、おはようございます。

姐さんのとてもよいお話をありがたく読み進んでいましたところ、さりげなく、話に滑り込ませる“うちの嫁”発言。ぷぷぷ―。よいお話で紛れ込ませようとしてもだめですよ~。しっかり突っ込むもんさん、ありがとうございます!朝から楽しいです。
うちの嫁騒動。好きですが、いつまで続くんでしょうね~

さて、真央ちゃんのいままでの試練を語れば、このコメント欄永遠に書き続けて、おいおい、いつまで書くんだよ状態になるので.さくっと短く。

茶番クーバーのときにサーシャはキムチの演技を「真央ほど難しいことはしていない」といっていました。分かる人には一目瞭然なんでしょう。ましてやスケーターの人、同じ土俵で競っている人には分かることだと思うのです。もちろんキムチも分かっていた。だからあそこまでのこれでもかの不正を重ねたわけです。そうしなければ真央ちゃんに勝つことは不可能だったから。
どちらが上な選手か分かっていながら、日本では、どのスケート関係者、元スケート選手からもキムチの異常な銀河点に疑問の声をあげる人がいませんでした。
本田さんはキムチの銀河点がでたあと、テレビで解説をしなくてはいけない立場でしたが絶句して言葉が出てきませんでした。正直な反応だと思います。だってあり得ないことをやってしまったんですから。
ほんと、この、スケート関係者や元スケート選手が本当のことが言えない状況にみんなもっと驚かないといけないんです。


こちらにコメントをいれるかたの中には、真央ちゃんの演技を見て涙が溢れたと言われる人が多くいます。演技を見て感動して涙を流してもらう。そんな選手、どれほどいるでしょうか?
キムチの国の女王様の演技に涙を流してくれるひとはいるのでしょうか(いや、いないね)

自分の演技に泣いてもらえる真央ちゃんは幸せですね。涙を流すわたしたちも幸せです。真央ちゃん、ありがとうです。
おはようございます
我が家の庭からは、伊弉諾尊・伊弉冉尊を祭った神社があるお山が見えます
毎日のように眺めていましたが、姐さまのブログに出会って以来
毎日お山に向かって手を合わせいます

真央ちゃんが怪我をしませんように
世界が平和でありますように

生かされていることを忘れず、祈り続けたいと思っています
おはようございます。
姐さん、いくりんさんのコメントをご紹介いただき、ありがとうございます。

朝から、いいものを読ませていただきました。シャキっとしました。
私も「縁」を大切にして、今日一日、頑張ります。

今日からのスケアメ、どの選手も怪我なく、良い演技ができますように。
特に真央ちゃんが、今の時期のベストの力を、練習のとおりに、発揮できますように。
(こづのお衣装が変わっていますように…)

「縁」や「繋がり」について、最近感じることがありました。
また後で自分の思いをまとめて投稿したいと思います。

ではみなさま、今日もよい一日を!

私もなにか禊ぎ的なこと実行していきたいと思いました。
何度もすみません、言い忘れです。
ちゃっこさんの、真央ちゃんの表現は外でなく内に向かっている、というコメント、同感です!私はどう思っているのかを表現していただき嬉しく思いました!
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
手相見姐さん、コメントされている方々、こんにちは。

みそぎ、いいですね。
大好きな浅田選手を応援できるだけでなく、
自分自身も高めてゆけます。
提案者のいくりんさん、有り難うございます。

ちゃっこさん

> キムヨナの表現に感化されることと似たような現象が、音楽界にも起こっています。
> きっと、私の知らない様々な分野でも起こっていることでしょう。
> 何か大げさなことや、不自然なことをすることで、表現力があると認識されて評価を受けるという、残念な状況です。

仰ることに大きく頷いてしまいました。

私はマーチングバンドが好きで、大会のビデオをよく観ます。
その大会の審査ですが、最近の傾向として、演奏や演技そのものよりも
「世界観」といったものに高い評価が与えられているように感じます。
その世界観というのは、たとえば豪華な衣装、奇抜な演出、
お金がかかっていて手の込んだ大道具小道具……といったものです。

そのチームが「こういう世界観を展開するのが私たちのスタイル」と
胸を張って演奏演技するのはまったく構いません。
大いにやればいいと思います。
歌舞伎の原点「かぶく」と通じるものも感じます。
観客サービスとしては大いにありです。面白いです。

でも、その競技の大会において「観客サービス」が純粋な「技術」よりも
重きを置かれるという状況はおかしいと個人的には感じます。
フィギュアで「高い表現力」「この表情をご覧下さい」など言われ
そのようなものに高い点数が与えられる状況と重なって見えます。

もっとも、そのような流れに苦言を呈する専門家の方もいらっしゃるので
フィギュアよりもまだまともなのかな、とも思いますが。
(マーチングは不正をして大儲けできるような競技では、まだ、ありませんし)

純粋な演奏の世界でも、やはりそういう流れがあるのですね。
無念さお察しします。
ちゃっこさんの演奏、お聴きしてみたいです。
黒猫さんへ
黒猫さん、初めまして。

このような色物ブログでたびたび貴ブログならびに御著書を話題にさせていただいておりますこと、お許しください。黒猫さんのご迷惑にならないことだけを切に祈っております。

表題、その通りです!思いっきり間違えておりました。文章も一部意味不明な箇所がありましたので、恥ずかしさに顔を真っ赤にしながらさきほど修正致しました。

個人的に”猫さん本”はすべてのスケートファンに持っていただきたいと思っています。

毎日二度三度と通っておりますがただのファンですからどうぞ気持ち悪いと思わないでいただきたいです。
引き続きよろしくお願い致します。
専門的に学んだことはありませんが、私は『文字』や『言葉』というものが大好きです。特に漢字を見れば何となく意味を類推するクセがあります。

なのに、『縁起』はこちらで拝見するまで単語そのものとして受け取っていました。
改めてじっくり見つめると、『縁が起こる』って、とても心に響くフレーズですね。フィギュアスケートに魅了された皆様が、それぞれの考え方や感じ方を携えてこの場に集まる縁。お姐様や皆様の言葉によって、気づかされることや心がふるえることの多さに感謝する毎日です。


私は真央選手が大好きですが、彼女の名前はまさに彼女の生きざまに思えます。

まっすぐに、ど真ん中

何を恥じることも躊躇うことも必要ない堂々とした美しさに、憧れて尊敬して頭が下がります。それを貫くのは想像を絶する研鑽を伴うでしょうから。

どんな後ろ暗いサポートも必要ない、ただ自分を磨いて努力して、一歩ずつ積み重ねた己の技術だけで勝負する。
結局人間の心を動かすのはシンプルな美しさなのかもしれません。


余談ですが、個人的に『感動』は『感情が動かされる』だと思っています。

あの技が難しくて、さっきの表情が素晴らしいから、なんて四の五の理由を並べるよりも速く、いきなり涙がこみ上げる体験を何度もフィギュアスケートで味わっていますから。
いつも姐さんの数々の貴重なお話やお言葉が、私の拙い脳内を駆け巡っております。とても心地良いです。ありがとうございます。

私達の真央さん、何故この時期に、あの崖っぷち状態のアメリカなどへ行かねばならないのかと案じておりましたが、やはり真央さんが必要だったのですね。もしも隣国選手が行っていたら、今頃アメリカはどうなっていたことか。想像を絶する事態になっていたかも知れません。
ただ真央さん自身が消耗し疲れが出ていないか、心配しています。

それにしても、日本人ってなんなんでしょうか?

うちの近所の国際結婚率、非常に高いです。ほとんどが奥さんが日本人で、だんなさんが白人(欧米人)です。アジア系同士のカップルも多いです。皆さん子だくさんでいらっしゃいます。

日本国籍があるから”日本人”という当たり前の定義も、そろそろ崩れるかもしれませんね。
何人であれ、どこでどう暮らそうと、その人間そのものの真価が試される時代に入ったのではないでしょうか。日本人であることに甘んじていたらあっという間に足元すくわれます。何十年も日本は戦争をしていないなどと息巻いたところで褒められたものではありません。戦後の経済戦争の犠牲者の多さは皆さんご存知だと思います。

自分の精神を高めるために、物事を自分で精査し選択し責任を持つという事を日常的に心がけていないと、これから来るであろう、又はもうすでに始まっている戦い、もしくは選別に負け、落とされかもしれません。
だからと言って私は、戦いになにがなんでも勝て、落とされるな、と言いたいのではないのです。
知らぬ間に意にそぐわぬ方向へ、良からぬ者達の騙しに乗ってはいけないと言いたいのです。
しかし、真央さんファンならそんなこと言う必要もありませんね。


兎にも角にも、私達の真央さんが晴れやかにご無事に帰国されることを祈っています。

長々と、失礼いたしました。
ありがとうございました
今朝も日課の姐さんブログを開いたら、自分の名前がタイトルに出ていて「ひゃだっ!」とおねーモードで驚いてしまいました。

今、仕事から帰ってきてじっくり読んでみると、不思議だなぁと思います。自分の書いた文ではありますが、姐さんの目線でもう一度眺めさせていただいた感じでなんだか新鮮でした^^ありがとうございます。

真央ちゃんはとても不思議な存在だと思います。「正しさ」だけだと、なんだか裁かれているようで周囲の人は辛くなったりします。光が強ければそれだけ闇とのコントラストが強くなるので、正しい人のそばにいると自分の嫌な部分が強調されるようで辛いんですよね。でも真央ちゃんは、同時にその闇さえも見詰めて受け入れていく器を自分の中に持っている。その器に救われるような気がするんです。

あいまいな表現で分かりにくいかもしれませんが・・・(^_^;)

最近思うのは、両極を知ってこそ中心が「ここ」だって分かるんだと思います。今の時代は、なかなか両極を十分に味わわせることをさせてくれない世の中だと思います。本人が味わう前に判断されてしまったり、見ている周囲の人が辛くなって手を出してしまう。一見解決したようで、でもその経験を十分に味わえなかったら学びが中途半端になってしまうんじゃないでしょうか。

真央ちゃんはどんなに辛くても逃げることなく極を経験してきた。真央ちゃんを応援している人、フィギュアスケートを愛する人たちもここ数年で十分な極を味わってきたと思います。

だからこそ今、一人ひとりやるべきこと=その人の中心が見えてきたのかなぁ、と思います。

そう考えると、ちょっと明るい気持ちになったりしますし、何よりコメントを書かれている皆さんが元気良かったり、前向こうとしていたりするので、それもまたこのブログを読む楽しみでもありますね^^
最近、TVドラマの"白い巨塔"(平成版)を見直してました。
正しくない事してると、どんなに権力があろうが、周囲を抱き込み取り繕って正しく見せようが、いづれ内から外から破綻していくものなんだわね…と、思います。(それを皮肉にもウリテレビいや不治の最後の高視聴率ドラマを見て感じるという)
正しい事を行う者は自然と無垢でいられるんだな〜とも思います。

そういえば、ジャンプの矯正中、試合で、見たこともないくらいに、何回もぶざまに転ける姿を見せられても、浅田真央に幻滅したり嫌いにはならなかった。むしろ、たくさんの観客を前に、なんて正直で勇気のある人だと思った。私がファンだからひいき目に見ている訳ではないです、ファンでも、見てて痛いやら、間違いやらと感じればアウト!宣言しますよ。
真央ちゃんに教わる迄もなく、正しいというか、当たり前の事?
人として選手として、最善であろう、良くあろうと思うのは生きているなら当たり前の事では?
と、思ったのですが、
あ!良くありたいが為に、道理に反したおかしな事や、悪い事する輩もいるんでしたね!
しかも自分は努力を惜しんで、身の程すらも忘れ…なんて輩が!
その手のヒトは入口を間違えてるから、いづれ出口もとんでもないところに出ていきそうですよね。
ほんと、悪のキムチ帝国&IS憂、暗黒宇宙軍団は惑星追放の刑に処し、宇宙の墓場である『ファントム・ゾーン』へ送ってさしあげたい。さよなら、さよなら、さよなら(淀川長治さんもビックリ)。
しかしお胎内巡りのごとく、いくりんさんもおっしゃってましたが、こういった闇があるから光がより強く見えるのかもしれません。真央ちゃんを見るたびに泣いてしまうのは、自分のいる位置も、前後左右もわからない程の漆黒の闇の中で、小さく光る灯にたどりつくようだからかな。闇がなくともあの人の存在自体がもう有難いけど。

姐さんのコメント欄に集う方々は正しい事を正しいと言えるピュアな目を持ってらっしゃいますね。それに謙虚で勤勉な方たち。真央嫁とり合戦はワロタけど。真央とりあってぢゃなく、皆さんでテヲトリアッテ(byQueen♫)日々フィギュアを愛して行けば、大丈夫な気がしてきました。
私もせめて誰かの豆球くらいの光りになれるよう、日々精進&真央愛にハゲみます。

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