二つの映画評論本 町山さんと橋本さん



フィギュアスケートというひとつのジャンルに的を絞ってそれについてだけ書くのもひとつの美学というか方針だとは思います。でもまあココは管理人が好きなときに好きなことを書く、という実に安易なしばりのもとで好きに運営していますので、スケートがらみではない記事があったときには適当に読み飛ばしていただければと思います。

今回は二冊の本の紹介です。
正確には二冊の紹介したい本と、それに付随したもう一冊なので三冊ですが、結果的に数百冊の紹介になるという、ねw

わたしは現代日本における最高峰の知性の持ち主として、川口淳一郎先生と共に、橋本治氏をあげたいと思います。橋本氏が孤独に続けていらっしゃる執筆活動とその内容の評価をきちんとできる評論家の出現を待ちに待っておりますが、なかなか「総論・橋本治」ってな物件は現れてきませんねえ。まだ存命の作家さんだから、というだけではなく、仕事の量と質が多岐にわたりすぎているのかもしれません。

このゆるぎないツートップ、ここに映画評論家の町山智浩氏を最近入れたくなりました。
理由はアンジェリーナ・ジョリーの監督映画作品「アンブロークン」について彼がレギュラーラジオで話していることを聞いたからです。
町山氏は御尊父が在日韓国人で御母堂が日本人というカップルのもと生をうけ、日本で育ち、奥様の大学院進学に同行して渡米、現在もアメリカ在住の職業は「映画評論家」でいらっしゃいます。
著書の中でADHDであることやお母様から虐待を受けていたことなど、また、渡米後の生活についても普通に書いていらっしゃる。そしてラジオでは該博な知識と経験と「素直な目線」から見た「現実」について忌憚ない意見を常に口にされている。

町山氏のラジオを聞いていちばん驚いたのはその意見に「偏りがない」と思われたことでした。
言う側が「これは独断と偏見です」と主張するとき、たいていの場合は
(1)無根拠なまま自説を開陳していることへの罪悪感から発せられるエクスキューズ「いや間違ってたかもしれないけど偏見だから」
(2)反論を封じたいがゆえの言論封殺「だから独断だって言ったでしょ」
のどちらかだと思います。
昔はここに
(3)自説を声高らかに開陳することへの、まともな社会人・教養人・文化人としての矜持から発せられる羞恥心が背後にある韜晦
ってなものもありましたが、(3)の場合は確実な裏付けと深い思索を伴った難攻不落なド正論であることが多かった。「文学」なり何なりの「芸術」というモノへの敬意が根底にありました。今はそのように与謝野晶子が文学者としてのプライドのすべてをこめてうたいあげたような「黄金の針ひとつ」を打ち込む覇気のある者はどこにいるのでしょうか。

不勉強にしてものをよく知りませんので(ほら怠惰への言い訳だ)、姐さんは川口先生と橋本氏を「とんでもなくすごい人」として人類の頂点に、というか日本人の頂点に位置させています。

町山氏のアンブロークン評のうち、ラジオで擁護のおつもりで出したサザンオールスターズは大変まずかったと思います。あのステージを見て平和を訴えている、と「だけ」取る日本人は少数派だろうと思うからです。
ただ平和を訴えればいいではないか。なぜ天皇陛下を馬鹿にする必要がそこにあるのか。
姐さんは映画アンブロークンを見ていません。その原作も読んでいない。
だからこの映画に対する町山評が正しいのか正しくないのか、判断できる立場にありません。
でも、これまでの町山氏のさまざまな場面での主張と著書から総合してみると耳を傾けるべきだと思いました。

『9条どうでしょう』という本があります。
カネを落としたくないので立ち読みしました。買いたい人は買ってください。姐さんは買いません。
でも、この本の中の無茶な方々の中でただひとり、町山氏の文章だけは「まともだ」と思いました。
すごい、とむしろ感動したくらいです。これについてはうなずける。そしてこういう意見を言う人を含めている、というそれただ1点においてのみ、この本を評価します。
町山氏の文章だけだったら何冊も買いました。これはお金を出してでも聞くべき意見だと思ったからです。
桑田氏の行動を批判しておきながら、彼と同じに「町山さんの意見がいいと思うなら他の人をけなさずに町山さんだけをほめておけばいいのに」と言われることを書きますが、他の人の文章は読めませんでした。なぜか頭痛がひどくなってしまって。トシかしら。論ずるに足らず、とカッコよく一刀両断しているわけではありません。あまりにも「読みたくない」文章でした。目が拒否した。だからこの本の他の部分は判断保留です。今後永遠に読むことはないと思いますが、「俺はこんなにすごいんだ、俺の言うことだけが正しいんだ」というセカンドメッセージをだだもれにしたままで、著者の皆さんはよく平気で生きていけるなあ、とただちに思いました。先天的に無理です。相互理解不能です。
読んでないからここの部分は暴論ですね。


で、出版点数がすごく多いのと、町山氏の対談本はたいてい相手にあわせてレベルを落としている気がして(偏見です。これは偏見www)あえて読まずにいたさまざまなこれまで未読だった町山氏の本を読んでみました。

今回は橋本治氏と対比させる意味で非常に対照的な、けれども構造的にはそっくりだと思った本を紹介します。

町山智浩 『トラウマ映画館』 


橋本治 『虹のオルゴヲル』


『虹のオルゴヲル』を絶版にした講談社は滅びるがよい、と腹の底から思いますけど、どうしてこういう、とんでもなく素晴らしい良書が世間で大騒ぎにならないんだろう。実に残念至極です。

橋本氏は作家ですからプロの映画評論家ではない、と思われるかもしれない。それがどうしてどうして、超一流の「評論」になっているんですね。

おふたりには共通項があるんです。どちらもマイノリティーに自分を規定している。
町山氏は出自によって、そして橋本氏は性的嗜好において、だと姐さんは踏んでいますが実はそうではないかもしれません。わかりません。

でも、少なくとも橋本氏の著書のほぼ全部を読了し(歌舞伎関係の本が入手できず未読もあります)、町山氏のそれも現在ただいまコレクション中の姐さんからすると、ふたりの映画評を対照させるのは自分の中では非常にエキサイティングであり、また、チャレンジングなことなんです。同じだけど全然違う。

混ぜるな危険物件かもしれない。まだ自分でもよくわからないのですが、二人を同じ箱に入れるべきか考えている。
だから自分の考えを整理する意味でも記事にしておこうと思いました。
後で「最初に主張したのはアタイだからね」と言い張る根拠にしようとか、そういうことではありませんw

ふたりは「孤独」についてよく知っている。そして「ものをつくる側」にいます。

橋本氏は身を削って布を織るおつうさんのよう。だいぶデカい鶴ですけど、ものすごくよく見える目を持ってしまったがゆえに、身近で愚かで純朴で、それゆえに悪にも善にも染まってしまう「日本人」に日々、遺言を残している。「夕鶴」のおつうさんは気の毒です。未明から起き出して家事全般に野良仕事、繕い仕事に旦那の相手、夜は機織り。そりゃ、鶴の化身でなくたって身を粉にして無私の思いで働きまくったあげく、約束をあっさり破られたらどっか行きたくなりますよ(笑)。
橋本氏は無限の忍耐力を持ち、そのために今、非常な難病と闘っている。
エイズの仕組みについて不気味なほど正確な描写をされているのを見たときに、無事ならいいが、と姐さんは本気で心配になりました。バブル絶頂期にあえて最高度に高騰したマンションを買って借金まみれに「なって」みたり、常人なら発狂待ったなしの仕事量を黙々とこなして自らの心臓を差出し続けるようなことをずーーーーーーーーっとずーーーーーーーっと続けてこられた。
体を壊さないはずがない。本当になんでこんな辛い道をと思います。
こなした仕事のどれひとつをとっても一生それで食っていけるような質なのに、そして一生ただ一作にしがみついてドヤ顔でいたってかまわないのにあえて挑戦し続けるんですね。
「誰もやらないからしょうがない」とぼやきつつ。

町山氏は透明な針を持っていて鬼がいると刺しに行く。意気投合した鬼にはその針で花束を作り、きらきらと輝く繊細で美しい「友情」として差し出している。
その針は千変万化、自在に形を変えるので、余人にはときどき見えなくなったり、まさかりに見えてしまうんですね。自由度が異常に高いがゆえに鏡のようになってしまう。
でも、透明です。曇りがない。

恨みや憎しみや悲しみや、あるいは好みや独断や偏見に、これほど左右されずにものごとを見ることができるとは一体どういうことなんだろう。
町山氏は結局後になってみると、些末なミスや勘違いはあったとしても正しかったことが明らかになる。
橋本氏に至っては正論しか書いていない。どのような仮面をかぶせてみても、それはまるで末期の目で見たかのような透明度を保っている。

そんな感じです。

だんだん小さくなる同心円の中心にひとりの人間をおいたとき、いや、こう書いたほうがわかりやすいでしょう。自分を中心に興味関心のあるものからあまりそうでもないものへと色付けをしたときに、100%の塗りつぶしから薄い薄いほとんど無職のかすれまで、グラデーションができますよね。
その、色の配色がふたりは似ている。

二冊の本を何度も何度も読み返してみて、ふたりの出発点はたぶん一緒だ、と姐さんは思いました。

そして、ふたりが「映画」をどのように見ているのか、映画を通して「人間」をどのように見ているのか、汚辱と苦痛と裏切りを越えて「それでも」人を信じて生き抜こうとしているのかを、皆さんにも知ってもらいたいなあと思いました。

真央の演技がすごい!真央ちゃんが大好き!と明るく楽しく言い合えることは幸せです。その喜びの中に「町山さんってさあ~」と言い合いたいのかもしれません。

二冊の本も似ています。

どちらも「大切な女性」に捧げられている。
どちらも「少年時代」の思い出が主要モチーフになっている。
どちらも「映画」によって人生を教えられている。
どちらも切ないまでの「愛」に満ちている。

主演女優をクローズアップし、映画の中で生きられた「その人生」を現実に引き写し、さまざまな思いをこめてラブレターのように女優を愛し、愛するがゆえに「強く生きよう」「より良く生きよう」とエールを送り、さらに自らも鼓舞され続けてきた橋本氏の評論は「愛」にあふれ、熱く、あたたかく、美しい。
もし姐さんが女優だったら橋本氏に評論を書いてもらえるほどのいい女優になりたいと熱望するでしょう。
橋本氏が見てくれる、と思うのなら、わたしを愛してください、とスクリーンごしに幾多の観衆に向かって堂々と主張できるかもしれません。橋本氏のような見巧者がいるのなら、これがわたしの真実です、と嘘でありフェイクであり幻である「映画」の中で、ひととき、「それ」をリアルなものとして生ききることができるでしょう。

映画史の中での位置づけを常に念頭におき、おいこれはこれのパクリじゃん、などときっちり傍証を引きながら、人間が他の人間に向かって放つ残酷性にどうしようもなく魅了され、同時にそこからの救済を真摯に求めるまるで宗教者のような希求性を隠そうともしない町山氏。随所にはさみこまれる「あのころ自分は」がおかしくて何回も吹き出しました。そして「少年時代」をこれほどありのままに自分の中に保全して、それに一切のレッテルをはらず、あったることとして受け止めている町山氏の大きさというものも感じました。
町山氏は毒舌じゃないですよ。率直なだけなんだなと思います。
事実は事実としてそのまま受け止めている。そこに歪みが少しでもあったら、鼻持ちならない腐臭を放つはず。その気配は「まだ」現じていない……と思います。そしてこれからも。

「少年の目」は貴い。それが必ず「大人の行動」で傷つけられ、損なわれることが確約されているがゆえに、傷つき、損なわれながらも保ち続けることの希少性と貴重性が際立ちます。

少年の持つ処女性、とでも言えばいいのか、いやずいぶんズダボロなヴァージンですけども(笑)、このような目(知性)と手(表現手段)を持つおふたりが現在ただいま現役でこれからもなお、「仕事」を続けてくれるだろうことを姐さんはこの日本のために喜びます。とても嬉しいと思います。
そしてふたりの著書と仕事のうち、少しでも興味を持って手に取る人が増えるといいなと思います。


それにしても町山さん、漢字の筆順、かなりオリジナルですよね(笑)。読めりゃいい、とお思いかもしれないですが読めないときもありますよ!漢字の筆順こそは先人の叡智の結晶、どうしたらもっとも美しく見えるのかそして省エネで綴れるのか極め尽くされた結果ですから、正しいと「される」筆順で書くことをおすすめします。たくさん文字を書かれる人ほど、総量で絶対得ですから。
と、宮崎映画評でホワイトボードを埋め尽くした町山字を見てちょっとだけ思いました。でもいいんです、「伝わる」から。
じゃあ書くな、というのはなしでw
姐さんもまた「わたしはこう思う」と言いたい人間なんですよね。ほんとすみませんwww


いやーー、それにしてもこれだけ「働きまくる」ってすごいですよね。すごい。量だけじゃなくて質が。
自分もなにくそ、と奮起したいところですが、はて、何について?と、怠惰を極めているときなど、これはいかん!とお二人の著書を手に取って頭に叩き込む毎日です。そしてへーーーーとかほーーーーとかうなったり嘘でしょ!と叫びつつ派生する疑問を自分なりに考え調べ、そして行動に移していく毎日です。
ほんと、勉強させていただいてます。由良君美先生の次くらいにwあの偏屈ジジイ(超絶褒めてますよ!)を見習うためにはこちらの学識が無に近くて困ります。みみずく先生~と遠くから憧れるw


そうだ、おふたりともカワイイところも一緒ですね。実に実にキュートです。

しかし困ったことに、姐さんは可愛い!と思える人を見ると猛烈にひっぱたきたくなるんだよなあ。逆さに縛ってくすぐりまくりたくなるんだよなあ。そして泣くまで笑わせておいてなに泣いてるんだ!こんなに楽しいはずなのに!ってただちにくすぐり増量なんだよなあ。頭おかしい。だからGorillazのマードックになんとも言えない微妙な思いを抱えているのかしら。好きかもしれないけどやだーマードックやだー。だいたい緑色の肌ってアンタ一体どうしたのよwwwむしろ幼いアンタが父親に何をされてたのよ!と心配だわよwww親父の写真を飾る40オーバーのベーシストってコワイ。つーかちゃんと住居兼スタジオがあるのに自動車で寝起きしてしかも全室の盗撮監視カメラ装備って怖すぎるwww
って最後Gorillazの話が出てしまいましたが、もう我慢できないからこれについても後で書くことにしたwww

ここで言うことじゃないですけど、おふたりのことは遠くから憧れさせていただきます。
まあ講演会には行くけどな!観客のひとりとしてwww
いつかちゃんとした橋本治論を書いてみたい。わたしが書いた三島由紀夫論も読んでもらいたい。
それまでどうか存命でいていただきたい……橋本治さん。

町山さんはそのままでいてください。
あの「切れ芸」とでもいうべき現状への警告はこの先ますます日本人には必要でしょう。
その澄明さをいつまでも。

まあ橋本治氏はフィギュアスケートをご覧になる方ですからね。少なくともトリノ五輪前後には女子シングルスの日本人選手について実にすばらしい文章をものされてました。姐さんはそれで橋本氏の心の一端とこの人がどのように物事を見るかの「知性の枠組み」を垣間見たと思っています。

ということで唐突ですみませんが、書いてみました。



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本の紹介 | コメント(29) | トラックバック(0) | 2015/03/03 02:30
コメント
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橋本 治!
我が青春のキンピラゴボウの君!
桃尻娘は遠い日の。にこにこと可愛い笑顔で手にドスを光らせてるような、好きだけど近づき難い。そんな方でした。源氏までは読者でありましたが、その後仕事と子育てで一番削ってしまったのが読書の時間でした。橋本さん、病気をされていると知りませんでした。10代の頃に読んだ青空人生相談所が好きで、今もたまに読み返します。身も蓋もないんですよね、、。
夜想曲さんへ
近年発表されている小説はけっこうすごいですよ。
こういう凍えるような孤独に耐えて作品をブン投げてこられる体力はすごいなあと思います。
Re: 取り急ぎですが・・・
鍵付きコメントのtさんへ

コメントありがとうございます。ご指摘の通り、町山氏が最初から持っているバイアスがかなり目立った解説ですよね。でも、わたしは映画を見ていないので「一聴に値する」と過去の言動から思っています。
アンブロークン、どこに行ったら見られるのかなあ。
自主上映会を企画しますか!
No title
姐さんが橋本治についてこんな風に考えておられると知れてなんだか嬉しいです。
私は橋本治は断然エッセイ派だったのですが、最近の小説を読んでみたくなりました。
(Anonymは名無しですが、一応HNです。それでは)
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ありがとうございます。
是非とも橋本さんの小説、拝読させて頂きます!
よくぞこの2人を!
若かりし頃、橋本治氏を師とあがめていた私ですが、
町山さんのことは、キレやすい左巻きポンチ野郎だと思っていました。
出自からしても実際、心情的にはそっち系なんでしょうけど、意外や映画評は的確ですね!
以前、ラジオで例の「ザ・コーブ」ついて語ったところを聴いて、オヤ、この人は!と思ったのです。
水道橋博士がいかにも左的な反応(日本は悪い)を期待してインタビューしてましたが、町山さんは映画評論家として実に公平かつ的確な批評を展開してうっちゃっていました。
 映画に対するとことん真摯な姿勢によって、感性を磨いているというか。中途半端な劇作家とか、左的な姿勢だけで食っているような人がいるけれど、そういう人とは一線を画していると思いました。
 
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初めまして
以前からスケートが好きで貴ページを拝見していました。楽しい話、悔しい話、これまで沢山拝読いたしましたが、まさかの町山さんネタ接触です。某局で長く続いた、松島、町山の未公開映画(と、いう番組名です) 、色々勉強させて頂きました。なんでも見る方向で感想は変わりますから、正しい答えはないんだって事を再確認出来て嬉しいです。
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鍵付きコメントのTさんへ
アンジーは英国女王から爵位をもらっていましたよね。
あれでああ、日本の向こうにまわったなと思いました。というか、そう思ったほうがいいのかもしれないな、と警戒をしていました。
ttp://www.elle.co.jp/culture/celebgossip/angelina-jolie_14_1015

彼女はノーベル平和賞を欲しがっている、とアメリカのマスコミなんかは批判することもあるそうです。
オードリー・ヘップバーンを越えるために。
でも、だとしても、実際に紛争地帯に行って、自分が見てきたことを伝えようとし続けているのは事実です。
それは大変なことだろうと思います。また彼女だからできることですよね。
わたしはレッテルを貼りたくない……人は変わるものだから。
アンジーはすごく好きな女優さんでそれはいまでも変わりません。
彼女がめざす世界平和とそれを実現するための言動についてこれからも注意して見続けたいと思います。

真摯にそしてやさしく教えてくださって本当にありがとうございます。
わたしの無知ゆえに、そして不勉強ゆえに明らかな誤読や誤解があると思います。
そのときはまた教えてください。お願いします。

ありがとうございます。
Re: 初めまして
KBWOさんへ

コメントありがとうございます。

現時点で町山さんの意見にも冷静に耳を傾けたいと「わたしは」思う、と言っておきたかったんですね。
擁護もアンチもどちらの立場も自分の正義をふりかざす、という意味においては同じことだと思うんです。
だからこそどちらがいい悪いではなくて、まずはできるだけ情報を集めたい、その中のひとつに町山氏の意見もある、と言いたかった。
1行で終わることをなぜまとめられないのか、情けないです、、

反日勢力に負けずに「日本はここが素晴らしい!」と堂々とドヤ顔で言ってのけること、それはすごく楽しくて喜びに満ちた徹底抗戦のひとつですよね。わくわくするw

そういう意見もまずは「自分はこう思う」と出していく、その練習をやっとみんなが始めたのかもしれません。

ネットってそういう意味ですごい場所だなと思います。
Re: 願望
鍵付きコメントのGさんへ

好きなことをやるのに忙しくてほんと、百年ちょっとじゃ足りないですよねw
幸せですよね。

わたしも知らないことだらけで毎日が驚きの連続です。
よかったらあなたが好きなことをできれば公開コメントで皆さんにシェアしていただけると嬉しいです。
気が向いたらぜひ。
再放送・プリーズ
姐さま、今晩は。今日は、最近感動したDVDと、私の「名作アニメ愛」についてこちらに書かせて下さい。

DVDは、「モンスターズ・ユニバーシティ」です。
私は、この映画から、
「不正は、誰のためにもならないよ」
「素質が無くても、情熱があるのだったら、あきらめないで、チャレンジ・努力してみようよ ♪」
「短所を、長所・努力や知識でカバーする事はできるよ」
「持って生まれた才能に、胡坐をかいていても成功できないよ」
といったメッセージを受け取りました。
そして、笑って、泣けて、癒されました。
「かっこいい男子」も、「かわいい女子」も出てこないけれど、「お茶目でチャーミングなモンスター」がいっぱいです ♪
そして、「モンスターズ・インク」を観ていない方でも、たぶん楽しめると思いました。


私は、名作アニメが大好きです。NHK、フジ、他にも私が子供の頃は、色々作られて放送されていました。(個人的に、当たり外れはあったと思いますが)

そして何年か前までは、夕方などに、再放送もされていたように思うのですが・・
最近のアニメ放送については、良く分かっていないのかもしれませんが、名作アニメの再放送を、民放ではしていないのじゃないかな~と感じています。

それから、現在、夕食時などに放送されているアニメについて考えると、私は、一つ気になる事があります。
それは「登場人物たちの、“時”が止まっているお話」「一つの話が10分程度で、それが30分の枠に2~3話」「日本が舞台のお話」というものが多いのではないかという事です。
そういうアニメも昔からありましたし、ある意味平和で、良い所もあるのかもしれないのですが、私はまた、名作アニメの傑作を、再放送で、親子で観たいなあと感じています。

名作アニメの良い所は、「色々な国の、色々な時代の文化・価値観に触れられる」「登場人物たちの心と体の成長と、時の経過を感じる事ができる」「1冊の本のストーリーを、何十話にわたるお話の中で、次回をワクワクしながら待つ楽しみがある」「そういう児童書の存在を知る事が出来る」といった事じゃないかなと思います。

私が心配なのは、今とこれからの子供達が、そういうスタイルの番組に、耐えられなくなってしまう事です。「時間の長さ」とか「主人公達の辛い体験の過酷さ」とか「一つのストーリーを少しずつ追っていく」という事に、途中で耐えられなくなってしまう事です。最後まで頑張って見続ければ、楽しい結末が待っているかもしれないのに、です。

今は、ネットの動画やレンタル等で・・という選択肢もあるのかもしれませんが、その場合は、まず、親か子供自身が、その作品の存在を知り、興味を持ち、観よう(子供に見せよう)と思わなければ、観る機会が得られない事です。
それから、私の知る限りでは、レンタル店では、やはり最近の話題作などが優先的に置かれていて、昔の名作アニメを扱っている店は少ないような気がします。

私の子供時代は、ビデオも、DVDも、レンタルショップもありませんでしたが、観たい番組の放送曜日・時間に、テレビの前に陣取る事が出来れば、色々な名作アニメを見る事が出来ました。今、当時を振り返ると、それはそれで、私たちにとって贅沢な状況だったのかな?と、感じたりもします。

今とこれからの子供達にも、そうした昔の傑作アニメに触れる切っ掛けが、与えられていって欲しいと思います。そして、そうした作品に触れる事が、自分達の現在の悩みの解決、未来の目標を見つける事や、自分たちがいずれは「大人になる」という事について考える、他の人の立場になって、物事を考える習慣の切っ掛けになると良いな、と思います。

という訳で、「できれば、再放送・プリーズ」「できれば、レンタル店さんでも、扱ってほしい!」と思っている今日この頃です。
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日本の古典
姐さま、こんにちは。今日も、ピントズレズレな内容になりそうですが、失礼します。
今日も、最近見た映画の感想を書かせて下さい。

ジブリ作品の「かぐや姫の物語」です。

私は、この作品を、今年3月にテレビ放映された時に録画しておき、数日後に家で一人で鑑賞しました。この作品が映画館で上映されていた時も、DVDが出てからも、私は個人的に、自分から進んで「観たい」という気持ちになれませんでした。

たぶん、ここ10数年ほどの間に作られたほとんどのジブリ作品に、個人的に「共感」する事が出来ていなかったからだと思います。

なので、テレビ放映を知った時、「そんなら、観てあげようじゃないのよっ!!!」と、超上から目線で録画し、「つまらなかったら、即消去よっ!!」(ふふんぐ!!)という感じで、鼻息も荒く鑑賞するに至った訳なんです。その日は、ちょうど、自分の周りでも色々な事があって、かなり情緒不安定で、疲れていて、おセンチな気分になっていた時でもありました。

再生開始10分経過・・・(ふんふん・・)
    20分経過・・・(じっと凝視・・)
    30分経過・・・(脱力・・さめざめと泣く)
 1時間30分経過・・・(そのまま、さめざめと泣き続け)
 2時間17分後・・・・(そのまま、さめざめと鑑賞終了)

そして、まず心に浮かんだのは、「高畑勲監督、ごめんなさい」それから「ありがとう」という思いでした。

私個人は、この作品が、高畑監督という日本人が、誰よりも私達日本人のために作ってくださった作品ではないかと感じました。何よりも、昔から本に書かれている「お話の流れ」が、無神経に歪められていなかった(私はそう感じました)事が嬉しかった。その上で、細部の描写、解釈が丁寧にされている事が嬉しかったです。

姫が月の世界から地上に下ろされた理由や、成長した後、月に帰らねばならなくなった理由、物語の中で、姫がどの様に感じ行動しかのかなど、子供向けの本では詳しく説明されていない部分を、高畑監督が「自分は、こう解釈します」という、丁寧に慎重に、忍耐強く時間をかけて書き上げた論文を、アニメという手法で私たちに伝えようとしてくれた様に、私は感じました。

アニメの中で、「人間としての苦しみと引き換えにでも、知りたかった事があった」かぐや姫が、私には、少しだけ「ギリシャ神話」の「パンドラ」と重なる気がしました。彼女達が抱いた「好奇心・冒険心」というものが、とても(地上に暮らす)人間らしい感情なのではないかと感じました。

先ほど、「竹取物語」をウィキペディアで調べ、「竹取物語」が、日本最古の物語と伝えられている事を知りました。

そして、アニメの「かぐや姫の物語」を観て、この物語が昔、昔から大切に伝えられている「昔話」「おとぎ話」「日本のファンタジー」「愛情についての物語」であり、「SF的」な面も持つ「神秘的」で「長い時代の流れの中でも色褪せない魅力を持つ」「優れた物語」であると、改めて認識する事が出来たと思います。  

長文失礼しました。

今から掃除しようと思います。
ガマガエルさんへ
すてきなコメントをありがとうございます。
これ、そのまま高畑監督に書いて送ってあげてほしい。
クリエイターとして最高の報酬になると思います。

人の心を持たないけれど永遠に生きていられる
冷たい月の世界で、不死を捨ててまで知りたかったこと。

人を恋うる気持ちは未完成、不完全ゆえに生まれます。
けれども美は可能性の中にしか生まれません。

美と情と、かぐやは地上の人目からは絶世の美女に見えていた。
美はすでに備えていた。
成長する可能性を潜在させていた。
それを花開かせることが罪ならば
あえて罪をもかぶろうではないか。
大したお転婆さんですよw

掃除、続けてください。
続けることが大事です。途切れてもいい、休んでもいい、
でも、あきらめないで続けてください。
あなた自身のために続けてください。

アスベル風に言うのなら
やれガマガエル!ぼくらのためにやってくれ!
でもありますね。
びば!昭和のアニメ ♪
姐さま、ありがとうございます。

いつも、こちらのブログで、心のエネ・チャージさせて貰っています。
本当に、こちらは、私にとって心のガソリンスタンド (*^^*)

いつも「姐さま、今日もレギュラー・満タンでお願いします!」という気持ちで、お邪魔しています。

フィギュアについてですが、
私は、運動神経・動体視力・スポーツ観戦能力・理数系の頭脳が無い人間です。
なので、ただでさえ高速クルクル回転技が多く、ルールもお偉い人達にコロコロ変えられてしまうフィギュアスケートに、スポーツ競技という視点からは、どうもついていけません。そういう視点からフィギュアを勉強しようとすると、どうしても頭が痛くなってしまうんです。ただでさえ、ストレスフルな観戦が、自分の場合は、益々楽しめなくなってしまうように感じています。

なので自分の場合は、元々好きな方面から・・エンターテイメント・芸術・文学・・方面から、フィギュアスケートという奥の深いスポーツに、少しでも近づいていけたらと、思っています。

今はちょっと疲れ気味なので、休み休み、まずは、お掃除からですね。
でも、本来は(エネルギー・満タンの時ならば)どちらかというと、集中して一気にお掃除して、その後思う存分ぐうたらするのが好き派です。

できるだけ早くチャージ完了しると良いな・・と思っています。

今はですね・・とりあえず青系の戦闘服(お掃除服)で身を包んで(形から入るたちなんです)「らん・らんらら・らんらんらん ♪」と歌いながら、ぼちぼち、お掃除しています。

チャージ完了のあかつきにはですね・・

「アム・・じゃない、ガマ、行っきまーーーすっ!!!」
(もびるすーつ  はっしん!)

思い込んだら、星一徹!!

ねばー ぎぶ あっぷう!!

いつも心に、浅田真央!!!!

愛する真央ちゃんや子供たちのために、おばさんも、がんばります!!!

別の記事ネタですが、私も(アニメ好きですが)神社とあのキャラ達のコラボは、狂気の沙汰としか思えませんです。
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Re: クレヨンから香水
「語り」の力ってすごいですよね。
最後にあげていらした映画、できればぜひ原作を読んでいただきたいです。まったくの別物です。
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プリマ
姐さま、今日もピントずれな内容になりそうで、すみません。映画の事ではないのですが、こちらに書かせて頂きます。

今月の2日に、バレエダンサーの、マイヤ・プリセツカヤさんが亡くなりました。

私は、プリセツカヤさんの事もバレエの事も、浅い知識しかないので、この事について書く資格が十分ないかもしれませんが、どうしても書きたくなってしまいました。

89歳だったと知って、始めは、「そんなお歳だったんだなあ」と、思ったのですが、改めて、いくつかの動画でプリセツカヤさんの踊りを拝見して、後からじわじわと、すごい喪失感がこみ上げて来ました。
今の私は、個人的には、「100歳まで・・できれば、もっとご健在でいて欲しかったなあ」と感じています。

私が知る限りでは、やはりプリセツカヤさんは、バレエ界の「レジェンド」だと思うんです。
「ダンサーとは」「踊るとは」「芸術とは」「生きるとは」「愛とは」「闘うとは」どういう事かを、教える事の出来る尊い存在だったと思うんです。

私は、よく解りませんが、80歳を過ぎても、「トウシューズを履いていた」って、すごい事なんじゃないかなと思うんです。

幾つかの舞台の映像と、幾つかの記事を見る限りでは、「年齢」や「時代」、「古典」と「モダン」、そうしたものを超越した「ダンサー」だったのではないかと感じています。

そして、「ダンサー」という枠を超越した、世界的な「偉人」だったのではないかと感じています。

世界中の人々に感動と希望と活力・充実感を分け与える事の出来る「表現者」だったと思います。

自伝のタイトルは、「闘う白鳥」ですが、本当に、亡くなるまで「闘い抜いた白鳥」だったのではないかと思います。

美しく、気高く、賢く、忍耐強く、強い意志を持ち、行動力と愛とエネルギーに溢れた、白鳥であり、黒鳥であったと思います。

40歳を過ぎても、パワフルな演技をする方だったと認識していますが、そうした中でも、年齢を重ねていく上で、その時その時に自分が「出来る」演技というものを、冷静に判断・理解して、努力・工夫をし続けた方だと思います。

自分が何者で、自分の天命と、自分が欲する事が何なのかが解っていらっしゃって、強くて柔軟な意志を持ち続けて、それらを成し遂げた偉人だと、思います。

いろいろ書いてしまいましたが、私はまだ、「闘う白鳥」を読んでいません。本当は、この本を読んでから、コメントさせて頂きたかったのですが、先日、ネットで購入しようとして、新刊はどこも在庫切れで、中古で出ていた本の値段を見て、一瞬、目玉が飛び出てしまいました。DVDもほとんど、品切れ状態の様です。皆さん、考える事は同じなんですね…

今さら言っても仕方ないのですが、一度でいいから「生」を観ておきたかったです。
せめて、DVDは、いつか手に入れたいです。

自伝は、できるだけ早く、図書館で借りて読みたいと思っています。
時には昔の話を(加藤登紀子さんリスペクト)
姐さま、こんにちは。またしても、こちらで、自分の思い出について書かせて下さい。

最近のニュースでショックだった事の中に、「水木しげるさん」と、「野坂昭如さん」の訃報があります。私は、「ゲゲゲの鬼太郎」も「火垂るの墓」も、アニメでしかみた事がありません。そして、ドラマの「ゲゲゲの女房」も観ていませんし、野坂氏については、「火垂るの墓」原作者だという事を、訃報の記事を読んで知ったような人間です。

私は、その訃報の記事から、水木氏が書き遺した(?)「幸福の七か条」を初めて知り、そして野坂氏が、今の日本の現状を、非常に憂えていた事を、少しだけ知りました。

「ゲゲゲの鬼太郎」は、幼い頃、「火垂るの墓」思春期に、怖さよりも好奇心や「観るべきなのじゃないか?」という少女なりの義務感から観たように記憶しています。「火垂るの墓」は、正直、直視し続けるのが辛すぎる場面もあり、あまりにも未熟だった私には、この作品をどうとらえるべきなのか、判断が出来なかった心の動揺と、どこまでも「怖ろしい」と感じた事だけが鮮明に心に残っています。

今さらながらですが、お二人が人生をかけてのこされた作品なり、文章に、感謝の思いを込めて、向き合っていきたいと感じています。

それから、ジブリネタをもう少し‥<m(__)m>
単純・ミーハーな私は、個人的に「千と千尋の神隠し」が、特に好きな作品ではありません。(嫌いでもありませんが、やっぱり、難しい内容なように思えてしまいます)それでも、「いつでも何度でも」を聴くと、(または歌詞を読むと)とても心が救われます。

それから、今朝、突然、思い出した作品があります。それは「幻魔大戦」です。私は、この作品も、子供の頃にアニメしか観ていません。ストーリーは、子供の私には、難しく、理解できなかった処もあったのですが、私はとにかく、音楽と歌にノックアウトされてしまいました。(そんな訳で、おこずかいを貯めてLPを買いました)でも、英語を全く知らなかったので、レコードをかけながら、いつもいい加減に歌っていました。

洋楽好きなくせに、未だに英語難民なので、うろ覚えですが、キース・エマーソン氏や、ローズマリー・バトラーさんに感謝しながら、サビの部分を歌わせて下さい。

うぃ ちーるどうれん のぉぶざぁ らーいと 
だ ふゅーちゃぁ うぃー うぃーる がーーーいどぉ (熱唱)

姐さま、皆様、師走の事、忙しくされている事と思いますが、ご自愛くださいませ。
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ボウイさんと80年代の映画の思い出
またまた、お邪魔します。今日は、先月亡くなられた、デヴィッド・ボウイさんの事と、一つの映画について、私が思った事を書かせて下さい。

映画好きの私の記憶の中のデヴィッドさんは、ミュージャンとしてよりも、映画の中の映像のイメージの方が、多く残っている様に思います。
私が覚えている作品は、
「戦場のメリー・クリスマス」
「ラビリンス」
「アブソリュート・ビギナーズ」くらいです。

「戦場の‥」については、今の自分に感想を書く技量はないと感じます。
「ラビリンス」のデヴィッドさんと、ジェニファー・コネリーさんは、どこまでもカッコ良くて、美しく、ストーリーも幻想的で、デヴィッドさんの音楽も、とても印象深く、私は大好きです。個人的に、コネリーさんが着ていた、すんごく綺麗で素敵なドレスが忘れられません。
「ビギナーズ」は、映画のストーリーは、ピンとこなかったのですが、デヴィッドさんの主題歌は、大好きです。(「ぱ・ぱ・ぱ・るー」というところしか、まともに歌えませんが)
有名なヒット曲としては、「レッツ・ダンス」を、覚えています。

そして、当時(30年前)は気付かず、最近になって知った事があります。
私は昨年、アメリカの映画「ブレックファスト・クラブ」のDVDを観ました。
リアルタイムの時から、ストーリーは、かなり印象に残っていたのですが、この映画の冒頭から流れる主題歌「don’t you(forget about me?)」(シンプル・マインズ)については、あまり記憶に残っていませんでした。
そして、映画のストーリーが始まる直前に画面に現れるデヴィッド・ボウイさんの格言的な「言葉」に、今回はすごく心を揺すぶられました。
はっきりとした言葉としては、頭に残りませんでしたが、とても哲学的で、鋭い感じがしました。そして、主題歌の歌詞の意味と、デヴィッド・ボウイさんの、この短い言葉が、映画のストーリーといかにマッチしていたかを、30年目にして少し理解しました。

出演者は、人気者のお姫様、クレア(モリー・リングウォルド)、スポーツマンのアンドリュー(エミリオ・エステバス)、不良のジョン(ジャド・ネルソン)、優等生のブライアン(アンソニー・マイケル・ホール)、不思議ちゃんのアリソン(アリー・シーディ)と、彼らの高校の(威圧的な)一先生と、一用務員(?)のおじさん「(ほぼ)だけ」で、舞台は高校の校内だけで、図書室を中心に、ストーリーは展開していきます。

30年前の私は、この映画が自分の胸に響いたのは、「あの時代だったから」、そして自分が「不思議ちゃんだったから(というか、現在進行形ですが)」だと、思っていました。でも、長い年月を経て改めて観た感想(共感)は、今回も当時もあまり変わらなかったという事です。大きく違う点は、その時代には、まだネットや携帯がなかった事と、私自身が同世代の若者として主観的に観ていたのに対し、今回は、中年として客観的な立場で観た事ではないかと思います。
それでもやはり、今回改めて感じたのは、若者たちの悩みというものは、古今東西、あまり変わらないのではないかという事です。
「自由の国」アメリカの、たぶん平均的な高校に通っている、どこにでもありそうな家庭の子供であろう彼らが、そうした環境の中、「家族」「学校(教師)」「クラスメイト」「友人」といった狭い「価値観」の中で、見えない鎖に縛られたり、(自らを)縛ったりしながら、それぞれの「ポジション」を漠然と生きていた5人の高校生が、短い時間の中で少しずつ、心の距離を縮めていった、ある土曜日の朝から夕方までを描いたあのお話を、単なる「フィクション」という言葉で片付けたくないと、私は思いました。大人達の狭量な決めつけや利己主義によって、若い人達の「可能性」の芽を摘むような事が、減っていく事を願います。

私は、モリーさん、エミリオさん、ジャドさん、アンソニーさん、アリーさん…皆大好きです。そして、デヴィッド・ボウイさんの事は、心の底から敬愛しています。
天国のデヴィッドさんに、伝えたいのは、

「ずえったいに、あなたの事も、作品も、忘れません!!!(てか、もっと知りたい!)」と、「ありがとう」です。

フィギュアの話になりますが、4大陸は、私は男子しか観ていません。女子は、まだ何となく観る気になれません。
ただ、最近、姐さまが「真央の心は『ラビリンス』」と表現されているのを読んで、ものすんごく共感してしまいました。(私はこのコメントを、数週間前から暖めていたので、特に)
ただ、「ラビリンス」といっても、恐ろしい地下迷宮じゃなくて、綺麗な花が満開の「花園迷宮風(?)だろうな…」と思ったり、「ミノタウロス」とか、「ゴブリン」とか、「地底の魔王(まおー違い…なんちて)」とかじゃなくて、美しい「天女」「妖精」「王女様」とかしか、潜んでいないよな~とか、妄想が止まらない、そして遅読・遅筆で、やっぱり、どうしようもなく「マオタ」のガマでありました。 
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