日本人の共生感、「大祓詞」の本義

時間がないからどんどんいくわよ。

あたしもいつまでこのブログを続けていられるかわからないものね。できるだけ長くとは思うけど、何にでも終わりのときは必ずくるのよ。だからそれまではできる限りのあたしが思う「正しいスケート」への愛と情熱を画面の向こうのあんたたち全員に送るわよ。

興味がない人はスルーしてね。取捨選択は自己責任よ?

そうね、ブログをやめるときには1個、フジテレビに関するでかい花火を打ち上げてから終わりにするわ。と言ってもなーんだと思われるようなことかもしれないけど、自分ではけっこう笑えるネタだから一緒に面白がってもらえたらいいなと思っているわ。

神道の分野の話をするわ。

姐さんによる「大祓詞」の解釈よ。

「大祓詞」の読み方はおおはらえのことば、ね。

これは神社庁で正式採用している以外にも各地で微妙な差異があって、神社の系列や由来によっても多少の差異が残されていると思うわ。
そしてそのどれもが唱える側には真実なのよ。そしてそれでいいのだと思う。

祝詞(のりと)というのは形式が決まっていて、まず「誰が読みます」ということを伝えるの。大祓の最初に出てくる「なかとみの~なんちゃら~」ってのはそういう名前の人がこれから神様に人類を代表して申し上げます、という宣言ね。

そしてこの世を構成するすべての神と、それらの神のさらに上で統括されている神と、低く暗い場所で役目を果たされている神と、あらゆる神様全員に「どうか聞いてください」とお願いするのね。

大祓は「人がこの世で犯した罪」をどのように浄化していくのか、消し去るのかを、自然環境の循環という物理的な側面からと、人の心の中でどのようにそれが浄化されていくのかを同時に描写しているの。

あたしは大祓を持っている、これをまとめて残してきた、という一点だけでも、「日本人」を世界の民族のトップランクに置きたいわ。これほど壮大・雄大で、かつ、物理的な地球の循環機能を描写して、偉大な浄化がなされるときに人の心で何が起きるのかを緻密に繊細に正確に表現しきった文字記録というのはないと思う。

世界各地に残されている神話、伝説、民話というのはその民族固有の表現をまといながら、実は「人類」に共通する普遍的な性質も色濃く残す。その普遍性が大きいほど類似も出るし残りやすい。

そしてそれぞれが尊いのだけれど、今その神話が各民族の生活の中で密接なかかわりを持ち、大きな影響下にあるという国が果たしてどれくらいあるのかしら。

アメリカみたいにできたばっかりの国で、しかも当時ヨーロッパの政治や文化、宗教的なメジャー権力に耐えられなくて出てきた人、新天地を求めてきた人たちが、もともとそこで自然と調和していた人たちをみんな殺してできたような国は民族としての「神話」を持つことができなかった。

だから後になって宇宙的恐怖を描いたクトゥルフーが出て来て架空の「絶対的な脅威」=「神の特徴のひとつ」にしびれるようになったのね。

そして共通の神話を持てなかったがゆえに、マネーを神=最上位の権能とする資本主義がこれほどがっつり共通見解になっていったんだとあたしは思う。

アメリカ人は自分のルーツを探ることに懸命で家系図作成がとてもいい商売になっていたり、先祖の風習を固く守って同じ民族どうしで結束して他の文化にはとても排他的だったりする。

それは自分の心をカバーして強力に守護する本当の意味での「神話」を持っていないからなのよ。

だから他国を侵略することでしか自分のルーツを守れないし、マネーのために平気で戦争を始めるの。

若いのね。馬鹿なのよ。ってあの国全体の霊性についてみるときはちょっとため息が出るんだけど、でも固有の神を持たないからこそ、各自が勝手に自分で神を選んで豪快にのし上がってもいけるわね。

アメリカは今でも裁判では聖書に手をおいて「神に誓って偽証しません」と言うんだけれど、「神」もずいぶん便利に使われているものね。神との契約という概念は、結局は「神とも取引できる」「神を利用して日常生活を円滑にまわしていく」「神と金銭を等価に見ていい」ということだから、きしみが出るのは当然だわ。

そして民族固有の神の支配をアメリカとは逆の形で強烈に利用しているのがユダヤ教ね。ユダヤ教に入信すれば自動的にユダヤ人、というあのしくみ。イエスによって「律法のための神か、人のための神か」と問われて「律法のための神」「神のための神」を選択したあの人たちは、身なり振る舞い服装態度、すべてに渡って「自分たちが思う神」の支配下にあるわ。

イスラムについては書けないわね。個人ブログでも批判は許さない人たちだから。

いろいろな宗教で持っている教義や規定や詠唱用の言葉たちの中で、あたしが大祓を最上位に置く理由は簡単なの。

それが「地球」というひとつの星を、ひとつの生命体としてとらえていて、すべてが循環して相互作用の中にある、とはっきり明示しているからなの。

神、すなわち地球生命体すべてから見た「人の罪」とはまずなんぞや、という列挙があるわ。確かにしてはいけないことだらけよ。それらをやっていてもいなくても、「してはいけないことはこれこれです」と神の前で確認するのね。読み上げることで聞いている人も、それから祝詞を奏上する人も、まわりで呼び出されて聞いている神々も人類全体の罪を知る。再確認ね。

そしてそれらが「悪」であり「消し去るべきもの」であるという共通見解ののちに、ではどうしたら消え去るのか?

恨み、憎しみ、呪い、嫉妬、怒り、悲しみ、不平不満。あらゆるネガティブな感情を乗せ、そして自然環境を破壊している現実的、物理的な人の罪というものを、どうしたら癒せるのか、の地球規模での回答がここにある。

すべてのものには意味がある。

生起して存在するものには意味がある。

あなたもあたしも、この世もあの世も、すべて理由があるから今がある。

罪をひとつ数えるごとに、人は後悔の光で自分を照らす。

すまなかった、あやまりたい、本当にごめんなさい、と思えるときに、地球規模での浄化が始まる。

神道では神羅万象のすべての機能に名前と役割を備えた「神」が存在しているの。

グループ・おみかん、とか、チーム・割りばしとかね。そんなものにも「それ」全体を代表する意志と個性と権能がある。

「お米には神が宿る」という言葉、「イワシの頭も信心から」は真理なのよ。

それらの細分化されたひとつひとつの事象をつかさどる神が、人のケガレをリレーして、高い山から低い山へ、細い流れの源流から川へ、深く大きな大河へ、そしてあの海原へ、おのれの職務に従って、冷静に、着実に、正確に、確実に、「罪」を消し去っていく。

そして海原を吹き渡る風の神が、波を起こす女神に渡し、海を次第に潜っていって、最後はもっとも深い深い海の底で権能を発揮しておいでの女神に渡す。

そして罪業は消滅する。

後には吹き渡る風が残る。海原を照らす太陽と、そびえ立つ深山と、万物と一体化して、また再び「正しく生きよう」と心に誓う<人類>が残される。

大祓を読む都度に、人は<転生>を繰り返すのよ。罪悪にまみれ、人を裏切り、悲嘆と怨嗟にまみれていても、自分がこの世、地球の中でどのような位置づけにあり、どのようにしたら「正しく」生きていけるのかを思い出しさえすればいい。

それは<万物との共生>の感覚なのよ。

だからどの存在にも有効なの。人種も信仰も関係ないわ。地球上にある限り、全員に有効な最大の秘儀なのよ。

生かされている自分、許されている自分、どれほどの罪であろうとも、「罪という罪はあらじ」と高らかに宣言することができる大祓を持っている限り、あたしたち「日本人」は決して消えることはないわ。

そして自分が自分という心と形、皮膚によって他と隔てられたコレだけが自分なのだという錯覚から脱却し、自分プラス環境、自分=地球だ、というそこまでの意識の拡大が当たり前のように生まれてくるの。

これからはその感覚が本当に必要になると思う。

世界は大きく二分されるから。

正しいときに正しい場所にいることで、救われる、ということが増えるから。

それは恐ろしいけれども、<自分>の選択で世界がどのようにも変わっていくという事実を自分で知るチャンスだわ。




大祓を読んでみると、罪を消す役割がほぼ全員、女神に割り振られていることに驚かされるわ。生命を生み出し、育む力は、自然界にあっても女性的役割とされるのが自然なことなのよね。

女、子供の声を無視する為政者は必ず滅びる。

弱いもの、はなかいもの、小さいもの、かそけきものを、守ってこその<人間>なのよ。


そして女性性に弱・悪・闇を押し付けて自然環境を徹底的に破壊してきたことのツケが、今、フクイチで起きていることなんじゃないかしら。

原発は、大きなヤカンでお湯を沸かしてそれでタービンを回して電気を起こしている状態。とてもロスが大きくて大変無駄な施設なの。
水力発電も火力でも、水や石炭、石油には、まだ手を触れることができる。
だけど原発のように、自然界に存在しない物質をわざわざ危険をおかして作り出し、それが滅び去るときの痛みを原料にしている施設は、作ってはいけなかったのよ。

人にはコントロールできないわ。げんに何度も破綻しているわ。

その愚かしさと傲慢のツケが、これから一気に出てくるわ。今この瞬間も汚染は続いているわけだし、現場では絶望的な被爆状況、この先の対策を政府は本気で考えてくれているのかしら。そして実行できるのかしら。大量の被爆者=被害者を量産しなきゃどうにもならないのに。

誰を犠牲にするの?

そして犠牲になった人の人生は、どう贖うつもりなの?

誰にも原発はコントロールできないわ。手で触れないモノを中心に据えている限り。



人間には繰り返し繰り返し、自然環境全体から<警告>がなされてきた。

これまでの人類の活動は、たとえ汚染や浸食があっても、自然環境の浄化作用の中で、どうにか許容範囲にあった。失われた種族、生物、今この瞬間にも別滅していく動植物のグループの消えたら二度と取り戻せない輝きを、惜しむことすらできていた。

だけど自然界の循環の中で消化しきれない、浄化が無理な物質を出すような生き物は、地球全体から排除される。
それは自然の<生命体>としてのとても「自然」な作用なの。

あたしたちがここに座って画面を見ていて、どこかがかゆければすっと無自覚にかくでしょう? それと同じよ。

だから災害が天罰だとか神様の怒りだという人はちょっとピントがズレてるわね。顔にハエがたかったら追い払う。それと同じよ。

余談だけど天罰だという人にはその天罰の種類を事細かに聞いてほしいわ。人心を不安にさせるような蜚語はやめてほしいわ。
どこのどういう素性の神がどのような権限のもとでどうして災害を起こしたのか、またその情報をなぜあなたが入手できたか、どこからどのように由来したのか、ぎっちり問い詰めてほしいわね。

フクイチから流れ出た放射性物質はアメリカでも計測されているわ。じゃあカリフォルニアの金髪娘が内部被ばくしたとしたら、彼女にはいったい何の罪があったというの?罰をあてたのは日本の神なの、アメリカの神なの?放射性物質を漂わせて運んでいった海流の神の罪は問われないの?

震災の意味なんて、人間にはけっして説明なんかできないわ。

それは地球全土の作用の結果としてただそのように立ち現れるだけなんだもの。

そして人が自分の罪を自覚してそうではなく、たとえばホッキョクグマに恥じない人生、カンムリワシに恥じない人生を選んだ時には、人間が備えた「生きる力」はますます大きく輝くし、「生き残るためにはどうしたらいいか」のセンサーもより正確さを増していくのよ。

事故にあわない。災害を迂回できる。病気をしない。くよくよしない。前向きに生きられる。そうと必死に努力せずともたいていの願いはかなってしまう。

そして、自分以外の光にももっと敏感になっていく。

輝くものを、輝いていると認識できるようになっていく。


神道も時の政権によってさまざまに利用され、問題があったことは確かだわ。でもそれはすべて人間が貼ったレッテルよ?

岩は岩だわ。山は、山だわ。神とされた具象物は、人の世の栄枯盛衰には関係なくただありのままそこにある。

そのような悠久の生命現象を感知することはなはだ乏しく、たかが百年の命で他をあまりに害すること多く、常に不足不満を抱えているのがどれほど愚かしいことか。


大祓はそんなあたしたちの日常を更なる高みに引き上げてくれる。

お住まいのお近くに神社があったら、ぜひ遊びに行ってみて、神様に親しく「こんにちは!あいさつにあがりました」と話しかけてごらんなさい。

相性のいい神様ならきっとあなたをそれと認め、自分プラス神様、という<あなた自身の範囲の拡大>を喜んでくださるはずよ。


そしてあたしたちがもしも全員、参拝せずとも常に、今も、御神前にあるときのような、穏やかで明るく平らかな気持ちで過ごすことができたなら、日本は本当の意味で神の国、明るく清々しく美しい、本当のパラダイスになっていくでしょうね。

ニライカナイ、ハライソ、涅槃、楽園、天国、そして高間原。

言葉は違えど、今、ここで、その境地にいられたら。


大祓は自省と共生のための情景描写の集大成です。

地球規模での浄化システムの科学的事実の描写です。

日本人の特技である言霊の文学的表現の最高峰です。



これからも大事にしていきたいなと思っているわ。





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日本人として生きるということ | コメント(31) | トラックバック(0) | 2013/10/18 16:26
コメント
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---- 追記ここから ----
うわあ、うっかり送信押しちゃったけど、ゴミですねこれ…
一度発信したものなので、度々のお目汚しですが残します。ふさわしくないようでしたら削除下さい。
---- 追記ここまで ----

ご回答ありがとうございます。(勝手に私のコメントにご回答いただけたものと受け取っている)
江戸時代にないがしろにされていた神道がなぜ明治政府に利用されたのを知りたくて、岩波新書一冊読んだだけで、神道学に関する知識は皆無です。が、原始神道と国家神道が異なるものであることは知識としては知っています。えらく回りくどい書きようになってしまいすみません。
姐さんにはすでにお見通しのことと存じますが、私ちょっと「正しい」とか「神の国」とかいう言葉に神経質になってしまうきらいがございます。何故なら、錦の御旗は腐るからです。ああ違う、錦の御旗を振りかざす者は腐るからです。つか、私簡単に腐る自信があります。あの哀れな爺さんみたいなことを、きっと私無自覚に言っちゃってます。それが言い訳なことも、承知しているつもりです。
神の国は自分の心にある。ただ自分の心を磨け。そう有難いから、ありがとう、なんですよね。自分がちっちゃい人間であることが、時々ちょっぴり辛くなります。まあ、自業自得なんですけどね。
信仰心
姐さんの素敵な記事とはズレルかもしれないんですが…

私は特定の宗教に入っていないんですけど信仰心はあります。ウチは無宗教かのように普段何もしませんが仏壇は浄土真宗の東だか西だかで御坊さんも坊主じゃないですし、神棚もありますしどうやら「ゆるい」地域のようです。
秋祭りでは神社に獅子舞を奉納し、各家庭にも来ます。当たり前のように春祭、収穫祭、納涼祭、地蔵盆もあります。
そして「私は八百万信仰だから」と勝手に言ってます。これを言うと何故か「ああ、精霊信仰?」と言われるのですが…なんだか違う(苦笑)
あえて言うならば地球信仰でしょうか…?
この信仰心が固まるにはきっかけがあって、小学生中学年くらいの時、八つ当たり的に「もう神様なんて信じない!!私は無宗教だもん!!」って心の中でグレた時があったんですね。
でも3日くらいで(自分的には)嫌な事が重なり、すぐにお地蔵様に「ごめんなさい」を言いに行きました(笑)
気持ちの持ちようだったんだと思いますが、それからはスッキリと過ごせた記憶があります。

田舎育ちなのでどうしても自然そのものに感銘を受けますし信仰心にも繋がるのかな…と。でもこの手の話は掘り下げると宇宙規模になるので今のところ誰の同意も得られていません(笑。地球は宇宙の一部ですから…)

ちなみにこの辺ではお地蔵様は御自身の目線より低い小さい者を見守っていて下さる…と言う言い伝えがあり、立派な石積みの上に雪、雨避けの御堂?を作って中においでいただいています。今も前を通る時は会釈と心の中で挨拶はかかしません。だって私はまだ目線より下なんですもの(*^^*)vお地蔵様からしたら皆まだ子供なんだわ!って思っています♪

サッカーではフィールドの神様って良く言いますし、弓道や剣道の武道でも神棚へ挨拶しますし、真央ちゃんや高橋選手がリンクの神様…的な事を言っていた事もあったと思います。
でもこれらの神様って誰かを特別視して味方してくれる訳じゃないですよね。自分の内面を写す鏡のように「出来る事は全部悔いなくやってきた!」って思える選手の後押しをしてくれるだけ。
「成功したのは選手が頑張ったから」「失敗した時は応援の祈りを上手く伝えられなかったのかな…」くらい平等な神様なんだろうって思っています。まぁ、受け取り方しだいだとも思いますが(^^;)(オリンピックの魔物説とかですね~)

なんだかズレたコメントですみませんでした(汗)
こんばんは。いつもは見てるだけ~ですが。
今日、松食い虫につかれてまっ茶っ茶に枯れてしまった庭の松の木を
伐採してもらいました。四十も半ば過ぎの私が生まれるずーっと前から
そこに佇んでいた松です。数年前に台風で倒れたのを起こし支えを
して頑張っていた松です。普段は大して気にもとめない庭木ですが
枝を払われ幹を切られるのを見ていたら申し訳ない気持ちに
なりました。近所のおばちゃんが「残った切り株のまわりにお酒を
蒔いて、感謝しときんさい」と言ってくださったのでそうしました。
おばちゃん「松にも魂があるけんね」・・・。ですよねーーー!
神道とはそういうことなのでしょうか。

だとしたら日本人で良かった。
こんばんは
とても深いお話し、勉強になります

私が大好きな児童書の「月神統べる森で」 (たつみや 章)という
縄文時代を舞台にしたファンタジーがあるのですが、物語の中で主人公が
身の回りの様々なものに感謝の祈りを捧げているのを読んで
「これが日本人の姿なんだ!」と思いました

「お天とうさまが見ている」
「すべてのものに神様がいる」
「言葉には神様が宿る」

小さい頃から言われてきましたが、改めて振り返って、なんて神様が身近にいるのでしょう

今もお宮があるお山に向かって手を合わせていますが
穏やかで明るく毎日を送れるよう、これからも祈り続けたいと思います
こんばんは
「時間がないからどんどんいくわよ」
と言う、姐さんに、ちょっとドキっとしながら…。

十六夜さんが
「お天とうさまが見ている」
という言葉を挙げておられます。
同感です。

立派な神殿がなくても、富士山を見たり、桜の花、紅葉の山、
雪のつもった田んぼなど、身の回りに綺麗なモノ、感動するモノを
見ただけで有り難くなって手を合わせちゃう。
トイレにまで神様を設定して、綺麗に使おうって心がけたり。

前に流行ったパワースポットは商売ありきで眉唾ものでしたが、
氷川神社、荒神さんとか自然の猛威を認めて災害が起こらないよう
大昔からあちこちで祭っているのも、たいしたもんだと思います。

48億年前なら、地球もまだ生まれていなかった。
あと何万年か後の日本列島すら、地球のプレートの移動で
今の姿とは変わってしまっていることでしょう。
ほんの50年、後かさきに生まれていたら、真央ちゃんを
知ることはなかった。

こうした今の日本を体験できる不思議に
感謝しています。

姐さんがご自分のお時間をかなり犠牲にしてまでも、
我々に愛とパワーを送ってくださっていることに、もう一度感謝。

なんか、とりとめのない文章になってますが、ごめんなさい!
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姐さま 皆様 こんばんは
真央ちゃんを観る時は 正座もしくはピシッと背筋を伸ばして
両手は しっかりと組み合わせるか あるいは合掌、そう お祈りのポーズになってしまいますよね!

カナコにもアッコにも ハルカにもサトコにも「わー!がんばれー」とは思いますが いずまいまでは気にしないのに・・・
本当に不思議です。
これはやっぱり 真央ちゃんが その演技でもって私たちに 永遠を垣間見せてくれるから なんでしょうか。

あと 私はまだ子どもでしたが、みどりさんの時もそうでした。

いつもありがとうございます。
氏神さまにお参りに行かなくっちゃ ですね。
はじめまして。今日、別のブログ経由からこちらに出会うことが出来ました。
素敵なお話をありがとうございます。
輝いているものを輝いていると認識できる能力、ふと気付くと子供の頃より遥に鈍感になってます。子供の何気ない質問や疑問にハッとさせられる毎日です。
子供たちが素敵な人生を歩んでいけるように、私ももっといろいろな事を学んで、1番身近な大人として伝えていかなければいけないなと思いました。
真央ちゃんのスケートを見ながら、ふと気付くと涙が流れている時が多々あります。理由は分からないんですけどね・・・。
明日からSA始まりますので、今からとっても楽しみです^^
大和言葉はいいですね。
この大祓祝詞は女性の柔らかい声で聞くととってもさらさらとしてなめらかでなんて大和言葉は素敵なんだと思います。倭姫様に下りた言葉だと言う説を信じてます。ということはやはり女性の言葉で聞くのがいいのだと思います。訳わからない祝詞を変な宗教の人たちが使うので、検索でそういうとこに飛ぶ事が多いので気をつけないと。でも初音ミクのものがあって、おもしろかったですよ。http://www.youtube.com/watch?v=s05X_JJH93I#t=18
浅田真央応援歌
手相姐さん初めまして。黒猫様のブログより参りました。いよいよグランプリシリーズ始まりますね。いろんな思惑がよぎってなかなか落ち着きません。真央ちゃん自身落ち着いてるのにファンが動揺してどうする?と自身をポジティブにする為に浅田真央応援歌なる物を作って見ました。
アニメ アタックNo.1 の替え歌より「浅田真央No.1」

苦しくったって 悲しくったってリンクの中では平気なの
ジャンプが決まると笑顔はじける
スピン ステップ スパイラル コレオシークエンス フィニッシュ
「だけど涙がでちゃう 女の子だもん」
涙も汗も若いファイトでジャッジに向かって叫びたい
浅田真央がNo.1 フィギュアスケートNo.1

苦しくったって悲しくったって家族も仲間もいるんだもん
演技が終わると拍手喝采
スピン ステップ スパイラル コレオシークエンス フィニッシュ
「だけど涙がでちゃう 女の子だもん」
涙の中に若い心で無慈悲なジャッジに叫びたい
浅田真央がNo.1フィギュアスケートNo.1
なんか姐さんに「ひゃだっ、あなた歳いくつよっ」て言われそうな古い選曲
おはようございます。
おはようございます。
石ころさんの所のご紹介から伺い、あねさまの力強い文章に惚れてしまいました。毎日お邪魔しております。
真央ちゃんの演技をみると、なぜ涙がでるのかがわかりました。
ありがとうございます。

最近自分の中の神様と仲良くしたいと日々感じていることもあり、何かの導きに似たのを感じます。
下手な神仏よりも、真央ちゃんのどんな困難にも負けず、恨まず、自分すべきことを日々淡々と行うことが、光りにつながることなんだと、実感することができました。ありがとうございました。

私事ですが、仕事をしていく上でも、正しいと思ったことでも、受け入れてもらえないこともたくさんありますし、悪く取られることもあります。理不尽なバッシングもやっぱりあります。でも、私の中の真央ちゃんはどうだったかと思うと、それを悲しいと思うことすら違うような気がします。それはそれでしかないと。
では、自分はそこからどうするのか。どうしたいのか。
間違いや、失敗はたくさんありますが、できれば光りにつながるような行いをしていきたいと、こちらを見て、真央ちゃんの演技を見て思うようになりました。
ほんとうに、ありがとうございます。
もしかしたら、仕事が無くなるかもしれませんが、それはそれでと思えるのは本当に楽です。上司にも、最近変わったねと言われます。wwww
光りは繋がっていると思います。だから、皆様の光りが、真央ちゃんに少しでも力になりますように。
リリウムさん
あたしは<絶対に>反対です。
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涙流しながら、書き込んでます。
>あたしもいつまでこのブログを続けていられるかわからないものね。できるだけ長くとは思うけど、何にでも終わりのときは必ずくるのよ。

手相見姐さん、この言葉にドキッとして、涙が出るほど心細くなりました。
真央ちゃん、そしてフィギュアを愛する人々にとって、姐さんは救世主のような存在です。
mizumizuさんもsawakichiさんもブログを卒業され、路頭に迷っていた我々にとって、言いたいことを代弁してくれる姐さんは本当に救世主です。

でも、いつまでも姐さんに頼っていてはいけないのですね。
一人一人が自分の声を上げていかなければならない。

姐さんが「何にでも終わりのときは必ずくる」と書かれているのだから、そう遠くない未来にこのブログの更新も止まってしまうのでしょう。
ソチまで続けてくださるのか?はたまた年末の全日本までか、もしくはもっと早くに???

そんな日が来るのが怖いです。本当に怖いです。
そんな弱さは私だけではなく日本人なら多かれ少なかれ持っているのでしょう。
お隣の国からの謂れのない日本下げ工作を思うと、足元の地面が崩れ落ちるような不安を覚えますが、我々日本人はもっと強くならなければ、いけないのでしょうね。
Re: 涙流しながら、書き込んでます。(ぺこんぽこんさんへ)
mizumizuさんやsawakichiさんには、あたしは足元にも及ばないわ。知識、人格識見、文章表現のすべてにおいて、あたしはお話にもならない雑魚だわよ?
そのおふたりのスケート談義はあたしも必死になって熟読したし、今でもおふたりの大ファンだわ。
スケートに関する書き込みをやめてしまわれたときは本当に残念だったし、悲しかった。
でもよくわかるのよ。愛していればいるほど、この惨状は辛すぎることだもの。

ブログはそんなことを書いたくせにしれっとずっと続けるかもしれないし、明日にでもやめてしまうかもしれない。その予定はあたしの直観次第だから、まだ何も決まっていないわ。

あたしは、人間がやらかす滑稽と悲惨を知らされて、それを天地人の各視点から「ではどうすれば光に変えていけるのか」を依頼してくださった方に伝えているのね。

「何もできない」ではなくて「何ができるか」を一緒に考えていくの。人間とも、神仏とも、それこそ人参やキャベツとも力をあわせて。

ぺこんぽこんさんがここに「辛い、不安だ」と書き込んでくださったことも、とても大きな一歩だわ。そのような思いを抱えながら、「では、どうするのか」を一緒に考えていきましょうよ。

あなたの人生にあたしは最初からいなかったのよ。つい最近の登場よ?あたしなしでもあなたはちゃんと生きてきたし、この先もしっかり生きていけるのよ。
ただせっかくこうして場を備え、会話を交わすことができるんだから、できる間はこうやってお互いにお話ししていきましょ。

気軽にまた書き込んでみてね。あなたの意見を皆さんともシェアすることで、いろいろな打開策が出てくると思うわ。

ありがとう。

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Re: おはようございます(みうさんへ)
おおおおお なぜそのようにマニアックな方向にw

最初からできるだけ一流のものに触れさせていただかないと真贋の見極めが難しくなりますよ。
中二病だよと笑っていられるうちはいいのですが、しょせん他の誰かの持論をそのまま受け売りでドヤ顔をしている間は何の益にもなりません。

できるだけ批判的な目で見、その方の持論が「人間だけが対象かどうか」でチェックなさるとある程度のふるい分けができると思います。

どのような宗教者も呼吸をし、水を飲み、ものを食べ、排泄して眠る間は決して<絶対>ではありません。自然から盗む人生、外界と循環させなければ生きていけない宿命、それらをどのくらい深く自覚して、強い感謝を持っているかで人の格が決まります。

神道とは、環境科学でもあり天文学、地球物理学でもあるのです。大変に優れた生存戦略、全世界に共通の一番簡素で一番効率のよいすばらしい<祈りと感謝による共存共栄>の世界だと思います。

参考までに、
入門編として葉室頼昭氏の本は信頼できます。
ただし世情にフィットするよう簡略化した内容の本もありますので、できるだけ古い出版年代の初期の本をお求めください。既に逝去されていて新作は出ないと思います、図書館などで検索をしてまずは内容をご覧になって、よければお求めいただいてお手元に置いていただければと思います。

マニア編としては相曾誠治氏の本も信頼できます。
山雅房という出版社のオンライン販売などがご利用いただけます。
ただし高価なものですから、購入前に「絶対に活用するぞ」というお気持ちでお求めください。
また本はこの方が亡くなった後でご子息と出版社のチームでまとめたものであることをあらかじめご承知おきください。それでも一見はあると思います。
この方の映像も販売されていますので、ご興味がある向きは入手なさってもいいと思います。

一番いいのは早朝、日の出と共に起きだして、それが無理ならできるだけ午前中の早い時間に太陽に向かって「ありがとうございます」と感謝を向けることですかね。太陽と自分と一対一で向き合えば、わけのわからない経文だの教えだの会則だのに何の意味もないことがわかってきます。

何よりも、生きている現実を大切にし、挨拶、お礼、謝罪の三点セットをきちんと身に着けていただきたいです。

また何かありましたらコメントをいただければと思います。
なお、ご質問いただけるのは大変名誉にも思いますし、ありがたいことではあるのですが、もしもこの回答でご満足いただけない場合は、やはりご近所の宮司のいる神社に参拝なさり、社務所で質問を向けるとよろしいかと思います。

神社庁も普及用の本をたくさん出しています。われわれの先祖である<日本人>がどのように神々とつきあってきたのかがわかりやすく解説されていますから、そのへんも相談なさるときっと安心だと思います。
Re: Re: おはようございます(みうさんへ)
誤字訂正、
それでも一見はあると思います。

それでも一見の価値はあると思います。
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いい本のご紹介、ありがとうございました。
姐さま。
書店では葉室頼昭氏の「神道感謝のこころ」「神道(いのち)を伝える」の2冊を入手できました。昨夜から親子で読ませて頂いております。
目から鱗で、長い事生きていますのに知らないことが多々あり。
良い本に巡り合うのは、良い人と巡り合うくらい価値あることです。

見も知らぬ私の為に時間を割いてまでお教え下さった姐さまに何のお返しもできない代わりに、「姐さまが、嬉しかったわ~。よかったわ~と思える1日でありますように!」と朝日を拝みながらお祈りいたします。(一緒に真央ちゃんのことも!)
今朝も祈りました。いいことがたくさんありますように!
読者の皆様も本当に良い書物なので、是非読んでみてくださいませ。
姐さまのお心のこもった文章が1段と身近に感じるようになります♪

姐さま。今回入手できませんでしたが、葉室氏の本はたくさんありますね。うれしいです。これから入手していきます。本当にありがとうございました。<(_ _)>
Re: いい本のご紹介、ありがとうございました。(みうさんへ)
こんにちは、すごい行動力ですね。もう本をご覧になったんですね。とても心痛に感じていらっしゃったことがよくわかります。人は本当に辛いことからは何があっても抜け出そうとするものです。
みうさんが「なんかへんだ!」と思える感性と行動できる強さをまだお持ちだったことがみうさんとご家族のために嬉しいです。
葉室氏は広く一般向けに神道を伝えてこられた方で信頼できます。そして内容をうのみにするのではなく、まずがご自分のお心と、そしてご家族とも話し合って取捨選択をなさってください。

あたしなどのためにお祈りいただけるなんて本当に光栄に存じます。ありがとうございます。あたしはみうさんとご家族が毎日幸せであるように、そしてたくさんの「よいもの、光を放つもの」に巡り合えるように祈ります。

こちらこそ本当にありがとうございました。
また何かありましたら気軽にコメントをつけてください。
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Re: 質問(ロンリコさんへ)
あなたはその本を読むときに「葉室さんはどの神にアクセスしていたのか」「どのレベルの神について語っているのか」を考えながら感じながら対さなければいけないわ。

生命活動の第一原則は「生き残ること」そして第二命題が「増える」ことです。ただし増えすぎて他に害を及ぼすようになると自然の備えたバランサーが働いて「自然に」滅ぶようになっています。数の調整ですね。

昔はもっと大きな神と直接にコンタクトできる選ばれた人の声をみんなが聞いて、そしてそれで幸せでした。今から2万年くらい前の日本の話です。逆に言うとそういうものの助けがなければ生き残れない環境でした。
時代がくださってアクセス可能な神のレベルがさがってくると、「どの神が言うのか」「その発言はホンモノなのか」を判断する必要が出てきました。それを神道では審神者(さにわ)といいます。
神がかる人がさにわよりも一段低く見られ道具扱いされるようになったのも人間の権力構造と無関係ではありません。

今の時代は巨木の陰に皆が憩うのではなく、梅の枝の先に花が次々に咲くようなもの。梅の幹が各自の信仰で梅の花がひとりひとりの心です。梅の木の根元ではすべての枝がつながっています。

わたしたちは深い心のレベルでは全員が皆つながっていて、それは人類だけにとどまらず、全生命がそうなのです。地球意識という惑星大の巨大意識と、そこがつながる太陽系意識、銀河系意識、というように無限の重なりの中にいます。また生きているものだけではなく、死んだ者、これから来る者、それらとも重層的に存在します。
ロンリコさんは「自分の神」と葉室さんが言う神を比べてください。そして自分の真実を彼の本から見つけてください。

あたしのブログも葉室さんの本も「誰かの意見」です。盲信は不要です。

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うっかりさんへ
あたしはそういう人を見ると、あんたは連れているソレと同程度のケモノなのねって思うわ。
そういうところから麻痺していって、最後は総崩れになるのよね。あなたの懸念と同じ心配を姐さんも感じています。
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大変勉強になりました。ご存知ではありましょうが、日本語の起源、言霊百神というサイトをご紹介させて頂きます。ありがとうございます。

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