近況その他。某お稲荷さんと丁々発止



セミナー用にネタを仕込もうと思い、先日、せっかくだからと都内某所のお稲荷さんに相談をもちかけてみたんです。
「アブラミとアブラゲは似ているから、ひとつあたいのアブラミをどっさり食い尽くしてみねぇ。ダイエット明神さんとして話題を呼ぶこと請負だぜ」と。速攻で「ヤだ!」とつっぱねられまして、○キロ減る!どころかデキモノをこさえられたあげくに内臓がはみ出してくるという事態に。そこで「せっかくだからキツネの形に腫らしてみねぇ」とリクエストするも拒否。
しょうがないので「じゃあ取り消し!」ということで手を打ちました。
この間、わずか三日ほど。ただちに健康体に戻りまして、元通りでございます。
残念ながら現在のダイエット大明神、ならずです。
「じゃあガン細胞だけ食い尽くすなんざ、どうでぇ?人には拝まれ自分は満腹、結構づくめじゃねえのかい」には「臭くてまずいから嫌だ」そうです。
ちっ、使えない稲荷だな~と内心で毒づいている姐さんはいつ落雷で死んでもおかしくはないですか、そうですかwww

これって「現象が出るのは三流」という持論に従えば「ダメな事例」に入るんですが、一応自分の中では「祟りではない」ことにしています。
そう、「祟りではない」のだ。まあちょっとした人体実験ですわね。
「何もないこと」をもって至上とする姐さんの体に改変を加えられるのだからなかなかのモノだなあと感心しました。
あと「自分で許可を出したからしょうがない」とも。
そしてこのような接触があったから今後崇敬を寄せるかと申しますと別にそうでもない。
これまで通り適正距離をおいて無視していきたいと思います。

実にスピーディであからさまではっきりと「わかる形」で意思表示をしてくるのが、このように人間の次元に非常に近く、それゆえに現実世界に容易に介入をしてくる存在ですな、とひとつ実証できたと思います。

そもそも「お稲荷さんてナニよ」ってことから話を初めて「お稲荷さんはコワイ」と「されている」理由とかルーツとかをひもとくことで「神仏とのかかわり心得」を広めようとしていたんですが自分が内臓はみ出すってどういうことかとwww
未熟です。ムwwカwwつwwwくwwwwww
いいじゃんねえ、アブラミをわしわし食ってくれたってwww

まあ功名心もちょいとありましたんで、やっぱ距離を置こうと思いました。

一切反省していないのは内緒ですwwwwwww


姐さんは「仕事」をしている時が一番幸せなのですが、近年「祟り」を取り扱うことにとても喜びを感じます。
祟るほどパワフルで一途に思いつめている人(というか人だったモノとか自然の事物)に話を聞くのが面白い。
ハリウッドスタァにインタビューするように「んまあ!それで二百年も!?」とか「どうなさりたいの?よかったら手伝いましょうか?」といそいそうきうきしてしまいます。真面目だもんな~、あちらさんサイドって。

人間はころころと気分が変わる。天国と地獄を瞬時に往還できてしまう。キムに被曝してげーっと思っても真央を見たらほわほわ~になれるw 自分で選べるんですよね、「いる世界」を。

真央ちゃんは、彼女がいればまわり中が笑顔になるからきっと普段から極楽に暮しているんだと思う。
ときどき地獄の住人やあえて修羅道を選び、好んで腐敗した暗くて寒くて殺し合いと奪い合いをしないといられない世界に安住している気の毒なモノたちが彼女の足を引っ張ろうとするけれど、そもそも真央の足は地面からちょっとだけ浮いているからつかめないw
無駄な努力に必死ですわね。

でも、ボディを出た実体たちはこの世に根がかりを持っていないと実在していられませんし、
そもそも神として存在するにあたり
滝や山や川や風や樹や岩や海や・・・というような「モノ」に準拠するような存在も、
ニュートン力学に代表される「この世の法則」には厳然と支配されている。
物理的法則には従っている存在です。

オバケが実体化するときに「寒っ!」となるのは
気温の熱を奪ってモノに転換して現れているからで、けっこう緻密なエネルギー換算をしています。
生命反応はすべからく電気反応ですから、異変があるときに電化製品に異常があったりするのも当然のこと。

たとえば現東宮が「天皇位」という「器」のお役目を果たせないのではないかと思うのも
ナイアガラ瀑布の水量を一気にいちごのパックにいれこむような、人には無理な電気反応を
節制と儀式と教育によって長年かけて「できる心身」に作り替えていくための準備が
できているように見えないからです。
準備ができている人はあのようにボンクラな顔をしていない。できないんです。
どのような資質の者であっても「覚悟」があればあのようにノホホンとしていられるはずがない。
そこを姐さんは恐れますね。
というか残念に思う。
日本で唯一「天地創世の神」とダイレクトにコネクトできる存在、になれたはずなのに。
日嗣の御子、というのは伊達ではない。実際に、本当に、現実に、「神」と一体化できるお立場なのに。
なんで消え去るモノにとらわれたかなあ。はかなく消え去る地上の営為を優先しちゃったのかなあ。

その点では小和田雅子氏もそうですね。もったいない。実に。
望めば日本最高、世界最高の人材と親しく語り合い、学び、育つことができたのに。
その立場を正しく用いてどのような痛みや苦しみにも光を当てて国民と共に「神」に近づくことができたのに。

全部自分でつぶしてしまった。
結果が「業務用冷蔵庫」と呼ばれる肥え太った容姿と「鬼」にたとえられる「人に不快感と恐怖しか与えない作り笑い」のあの面です。中身が醜いとどう外見をとりつくろっても「不快感」しか人に与えないんですよね。
いい加減、弟宮とその妃殿下の功績をかすめとり、自分たちの悪事をなすりつけるのもやめるべきだと思います。
無駄なんですよ。
お二人が立つべきは「神」の前であって、お抱えライターやお取り巻きママ友()連ではないんです。
地上のモノにあれほど拘泥する人は一般人の中でだって嫌われます。下卑た顔つきで荒い動作で損得だけで動く打算感情は軽蔑の対象にしかならない。
クズ磁石のゆえんです。

神ってのは人の「行動」を見ますからね。心など魂など当然のこととしてお見通しです。「その人が実際に何をしているか」をよく見ます。だから神前の儀式があるんですよ。礼を失しないようにわたしたちのご先祖が決めてくれている。最低限それだけは守っておけよ、という儀礼典範がある。ありがたい話です。

岩手県でいじめによる「殺人事件」がありました。

悪人ほどよく神社に参拝をするものです。怖いからです。「人に恨まれている自覚がある」から、だからせっせと神にすがって「どうかお守りください」とやる。社殿の建て替えにカネを出し、御祭りに寄付をし、イベントに参加する。「守ってください、助けてください」「そのかわりこれこれの寄進をします」と約束する。そして約束を守ります。

神も仏もこの世のルールに従うという一面がある。地上に近い存在ほど人間の次元に容喙します。それができる。許されている。

だから悪人であっても「約束を守る」ことを続ける人間には「そのカミ」は守護を与えます。神との関係性において「どういう態度だったか」だけを見るのならそれが当然、自然です。

そして「普通にいい人」は神社にそんなに参拝しない。わざわざ家に神棚を祀りもしない。せいぜいが新年の参拝や、人生の節目に思い出したように行くくらい。

そうするとやっぱり「可愛がられる者」は前者になるんです。悪人。

非常に残念なことですが、岩手県の手巾北中のいじめ「殺人」事件の地域ぐるみの隠ぺいではこれが起こった。
ようするに「地域全体に仇成す【悪人】を神が守護した」ということです。
これは地域神をすげかえるしかない。

支店長が、強圧的なクレーマーだからといって特定の客に対してだけ不当な大幅値引きを行って、プロパーで買う客との比較で異常な得をさせ、しかも赤字を粉飾決算したようなもの。
これは本社から人を出して「どういうことだ」と調査されます。同時に税理士も調べるし税務署も動くだろうし、コンプライアンスに照らして懲戒解雇相当もしくは損害賠償のため民事・刑事告訴ってこともある。
会社全体の信用をがたっと落とされてしまうことへの償いは、ひとりの人間ではもう決して取り返しがつかないほど大きい。
誰にもどうにもできないほどの悲劇が待っていることもある。

でも、「本当に地域のためになるのは誰か」を「人間も含めて自然環境全体」から考えてみると、「善」も「悪」もけっこうなスパンで見て行かなければなりません。
線を引く規矩は誰のものを採用するのか。
罰則はいつの時代の誰が制定したものを採用するのか。

「そのカミ」の取り扱いをどうするのか。

土地柄、というものもある。その場所が「日本」の中でどのような位置づけになっているのか。

姐さんは明治大帝が出された勅旨の中で「霊的な解除がなされていない命令がいくつかあるのではないか」という疑問を持ち、こつこつと調べ続けています。
ずっと心配していたのは「東北」への取り扱いでした。

不用意に公言すると右翼からも左翼からも誤解されますし、
皇室不要論の根拠にされないとも限らない。

姐さんは皇室は必要だと断じます。
理由はとてもシンプルです。
上から順番に大きい理由になります。

・普通の人が接触するとただちに死ぬほかないような高い位置づけの「神」とダイレクトに直結しその状態を保持できる「天皇位」に就くことができる人材を出すだけの儀式や帝王学などの技術と伝統が残されている。

少なくとも明治以後、践祚なさるたびに異なる立場の複数の人間が「人間として臨まれて神=天皇として現れた」と「その夜」おひとりで行われる儀式から明けた天皇陛下に対して書き残している。実際に「天皇」でなければ到達できない「出発点」には立たれている。これこそを登極という。そこからの精進の果てが本当の意味での現人神。


・「適正距離を置いて相手とつきあう」という霊的にも現実的にも最重要な「あり方」の伝統が色濃く残されている。

「自分プラス自然」が「大自然」であるという認識がある。
相手=自然を搾取せず、分を越えずに共存する知恵がある。これこそが神道の神髄であり本当の意味で世界宗教とも世界哲学ともなり得べき広大さを秘めている。
奪い合わず取り合わずとも万人に行きわたるだけの自然の恵みをあらかじめ備えていただいて人間は地上に降り立った。分かち合い助け合う世界観だけが唯一世界を救えるだろう。


・「天皇家」には既に代替の効かない歴史が積み重なっている。これにとって替われる「権威」や「歴史」ある家系を今から構築しなおすのはおそらく無理。

幾度かの断絶やそれに類した危機的状況を越えて「ともかくも続いたという事実」が「実際に有用だから」の傍証になる。
戦後、ころころと短命に終わる内閣と総理大臣ではなく、「天皇」という世界一長命な家系の裔が存在することが日本の国益にとってどれほどプラスになったかわからない。


そしてここでいう「神」はすべて「土地につく」ものです。

わたしたちは自分が住まう地域全体の霊的実在について、その素性をよく知り、理解して、どのような付き合い方をしていけば「まことの幸い」が得られるのかを、今一度改めてみる時代にいるのかもしれません。

神にとって人間というのは、神を認識し、音声に出して神に語りかけることができる直立する哺乳類として非常に重要な位置づけにあるのです。
人間もたった一種類の生命ですが、役割は非常に大きい。

わたしたちは空にまず太陽を見、それを最初に尊いと成した。そして夜。同じように月を見る。日と月と大地とで初元の三角を形作る。さらに深更、無数の星が空に出る。夜空は人工の光や火山の明るさ、夜光虫のようなものがない場所では文庫本が読めるほど明るいです。さらに光源があちこちにありますから影が複雑にできます。ものが陽光よりも立体的に見えます。奥行きが深い。
直立歩行し、自他を免疫機能によって識別する恒温動物、哺乳類でなければ夜空を見て「太陽のように尊いものが無数にある」と認識できない。神の多様性=多神教は必ず夜空からきます。
夜空を、圧倒的な輝きと美しさで世界を埋め尽くす星空を地上に降ろす。再現する。
「夜空を地上に配置しなおす」ことが世界の信仰のはじまりです。

これらの「機能」を、具体的に現実に、清潔を保ち、祈りのコトバを声に出し、祝詞と舞とでくりかえし「神」に伝えていくことが世界で一番得意なのは日本人だと思います。

そのためにこそ日本人はあると思う。

神ながらの道、というのは実にシンプルな道なのです。

環境と調和して、最小限の消費で最大限豊かに共生する。
万物と適正距離を保ち、それぞれに潜在性を発揮して花開いて輝くこと。

これだけです。

どこにも無理がない。無駄もない。ムラもない。不自然ではないがゆえに永遠に近いほどの時間、保たれます。

これらを害するがゆえに、わたしは一神教はすべてカルトだと断じますし、釈尊が「不要、無用」と喝破した「修行」に相変わらずはまっている人たちを気の毒なものに思います。よせばいーーーーーのに、です。


幼少期から奇異な現象が日常でした。奇異とされているカテゴリーでの経験が多かった。それゆえに「これはどういうことか」「なぜこれがこうなるのか」を理解すべく、自分は徹底したリアリストになりました。曖昧さを排除し、具体的、現実的に検証をしていく。
それらの冷徹な検証をはるかにこえて「神はある」「仏はいる」と繰り返し実証を得続けて今に至る。

人からのいかなるアプローチの荒波をもらくらくと凌駕して実在する。


・・・それらとの共生、それらとの共存をいかにはかっていくか。わたしも含めて見直す時代がきているのだと思います。

まずは「中の人」がいかなる存在なのか「自己申告」をチェックする。社寺の公開情報をあらためて、矛盾や偽りがないか確認していく。天台宗の寺院なのになぜか弘法大師が開祖だったりという矛盾などいくらもある。
神や仏がどのような扱われ方をしてきたのか歴史的事実を洗うのも大切です。

そして何よりも「自分がどう感じるのか」が実はすべてだと思う。

あう、あわないのフィーリングはある。波長が揃う、気が合う、というのが大事だろうと思います。

自分がありとあらゆる場所で平気で踏み込んでおきながらここで言うのもなんですが、

・あいさつをしっかりする=礼儀を守る。
・約束を破らない。

これだけできればOKでしょう。

あいさつは大事です。すべての祝詞はまず最初に自分が誰でどういう理由でこれをこと上げするのか説明します。

約束を破ってはいけないのは人間ともそうですが、神は「約束を破れない」存在です。彼らは現実世界に根をおろし、かすかなモノとの接触で自らをくくりつけているような存在です。約束を守ることが存在理由のひとつでもある。約束を破るのは常に人間の側だだった。これはとてもよくないです。
もし約束を守れなくなりそうなら、先に「守れません」と言うべきです。
「毎日の水の取り換えが無理になりました。1日おきにさせてください」とかね。
特に現実に近い存在ほど「えっ神として祀る約束だったよね」と簡単に「現象」を起こします。
しかも「場所につく」ものですから、これらを知らずにうかつに神像を盗んだりすると盗んだ先でフェスティバルが始まります(笑)。
神の祟りは連帯責任で地域に起こりますから、今知らずにやばくて怖くて祟るものから選んで盗んでいくとある人々は本気で気の毒でなりません。見た目悲しんでおかないとバレるので、あくまでも「人間のルール」できちんと裁き罪を償わせるべきですが。

仏の場合は人につきます。なので同じように「実行犯」が真っ先に血祭りに・・・いえそれぞれに事情がありますね。

ただ言えるのは「日本に仇成す意図と行動」はもう「日本の国土そのもの」が許さない時期にきたということです。
わたしが表だってこのようなことを言いながら無事でいる、加護を受けられている、ということが「もう言っていい」ことの証拠であり、人間への警告なのだと思います。

ほんと、崇敬を集める尊い存在に気軽に「どうよどうよ」とがぶり寄っていくような人間が何を言ってもアレですが、このようなことを日々思い、自らで試しながら楽しく過ごさせていただいています。


まとめ

「中の人」の素性あらためは念入りに(得意分野は立候補・自己申告制ですから)
あいさつ重要、礼儀は守る(これさえできれば人の間でもOKです)
約束は破らない(根の国の風に吹かれて嘘をつき続けると後が大変です)


ぐだぐだと長い記事ですみませんでした☆




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皇室、神道、信仰など | コメント(9) | トラックバック(0) | 2015/07/28 02:24
コメント
なるほど
随分前にコメントを書かせて頂きましたが、もうHNも失念💦
私は姐さんのこういう記事が大好きで、お待ちしておりました!
お稲荷さんとの丁々発止をサラリと書いてしまう辺りが姐さんですね、素人には恐ろし過ぎて近づけない世界です。
夫実家の庭にお稲荷さんがあります。これはどうお付き合いしてけばいいのでしょう?この数年、大晦日と元旦にご挨拶してました。ことし2月と6月に舅姑が相次いで他界し、漸く四十九日が済みました。(勿論その頃間は白い紙を貼ってました)
姐さんがスケートの話題からあまり外れないよう記事を更新なさっているのは、よく存じておりますが、これからも日本や日本人、皇室について書いて下さると有り難く思います。(第1回の姐さんの講演会に参りました)
Re: なるほど
Unknownさん、コメントありがとうございます。

こういう場合の基本対応として

(1)勧請してきた人、ご本人に「どうしたいのかを確認する」

それができない場合は

(2)その家の氏神様を祀った神社か、その家がある地域一之宮の神社に相談する

のがベストだろうと思います。

たいていの場合、「家中の誰かがわけあって勧請してきた」はずなので、その当時の記録を調べて
どこから・誰が・なぜ 勧請したかを特定し、
祀られている対象そのものに「どのようにしたらいいですか、われわれは今後このようにしたいのですが」と相談してみるべきです。
そして「わかりやすくおさとしください。たとえばいついつまでに夢知らせにてお伝えください」というようにお願いしてみるのもいいですよ。

一番いけないのは失礼をしてしまうこと。
これは相手の筋に応じて取るべき態度がありますので、わからない場合はよくよくお詫びと「こちらの都合」をはっきりと口に出して申告し、神社に相談なさるのをおすすめします。

それから姐さんと某お稲荷さんとのやりとりはなんというかこちらを犬コロ扱いしたじゃれあいです。
稲荷とは何か?を知っていけばコワイものではなく身近で親しい真面目な隣人だとわかってきます。

こういう記事「も」不正採点と闘う際には必要だと「姐さんは」思うので
ぼちぼちアップしていきたいですね。
だからUnknownさんの感想はとても嬉しかったです。感謝します。

※もちろん忌憚のないご批判、反論もお待ちしております☆
Re: Re: なるほど
補足、ちょっとわかりにくかったかな。

Unknownさんの御先祖がどこから・なぜ・どなたを勧請したかがわかるのなら
その意志をついでそのまま祀りするのもひとつの手ですがなんとなく
あなたの代でやめにしたいのではないかと思ったので上記コメントを返しました。

先代以前の「意図」をつぐのか、そうでないなら「もうお戻りいただきたい」と口に出して報告し
これまでの御働きへの感謝とつぐないをどうしたらいいのか祀られている対象に確認なさるのをおすすめします。

その際に自称能力者を頼らないように。
氏神様を祀った神社、もしくは地域一之宮への相談が一番安心ですし安価です。
彼らはこのような存在の取り扱い方の技術を蓄積しています。
また謝礼も(一般的には)わずかなものですよ。
内緒ですけど神社さんサイド、相手方が申し出る謝礼の倍額を神社におおさめするとさらに倍返しで戻される法則もございます。内緒ですけど。

一番はUnknownさんをはじめ家中の皆さんの「心」です。

そしてもしも崇敬を寄せ続けるにしろやめるにしろ、相手への敬意と共に品位を忘れず
なにものかに依存することなく力を尽くす決意と新たな志を立てることが大切ではないかと思います。

一般論で申し訳ありませんが何らか参考になれば幸いです。

女性はお嫁さんになって婚家の筋をつないでいきます。
Unknownさんの御実家も婚家もともに栄えますように陰ながら祈念申し上げます。
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追伸
暑さ厳しい折から、どうぞお身体をお大切になさって下さいませ。
姐さんのお蔭で真央ちゃんの偉大さもわかるように成りました、ありがとうございます。
肝試し・・・?
お姐さまお久し振りでございます。

今朝、記事を拝読いたしまして、「さすがお姐さま、お稲荷様相手にものすげえ肝試しw」と笑っておりましたが、できものと内臓がはみ出す程度で良かったと申し上げればよいのでしょうか。勇者!姐さん勇者です!
私がこの記事を熟読して挑戦してみても、はみ出すどころか内臓が全員外出しそうですw

以前京都の伏見稲荷に近い東福寺を参観しまして、伏見稲荷に行こうかと迷ったことがありますが、風に乗って獣の臭いのようなものがそこはかとなく漂ってきまして、「お呼びでない」と悟ったことがあります。
用事があるとき以外拒否!のようで。

お姐さまのブログで皇室が日本にとって決して無くなってはいけないものという事を改めて確認させて頂いています。
ですが、「以前から天皇陛下は戦争を反省し、憲法を守りましょうという姿勢」であるという論があり、「終戦記念日の陛下のお言葉に期待しましょう。(つまり謝罪の言葉に期待している)」などと左よりのブログに書かれていると、日本人は相当まずいことになっているような気がします。
本来、天皇は政治的なものではないはずなのに、利用されているとしか思えないのです。

お姐さま、また皇室についても少しずつ教えてくださいませ。


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Re: こんばんは。
コメントありがとうございます。

立派です。その心根と行動は見るべき存在がきちんと見守ってくれていると信じます。

H様の筋はどうも女性にいろいろと苦難がふりかかりやすいなあと思います。
素性がアレなので必然といえばいえるのですが。。。
あなたの場合は今の心持を忘れずに精進なされば十分でしょう。健闘を祈ります!
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