本の紹介 海音寺潮五郎の「悪人列伝」シリーズ



今回紹介するのは不買企業のポプラ社、小学館、講談社ではなく
文春の本です。よかったよかった(笑)。

作家の海音寺潮五郎は司馬遼太郎デビュー時に激賞して推薦したことでも有名ですが、たぶん「天と地と」の作者ですと申し上げると「ああ!」と心当たりがあるやもしれず。

先日、ラブライブ!とコラボした神田明神さんに対して姐さんぷんすかでしたけど、ぶっちゃけ神社なんてどこもいい加減といえばいい加減ですわよね。
伊勢神宮にしたところで一般人の参拝がOKになったのは「皇室が貧乏になったから」ですし、そもそも天皇は伊勢、という「お墓」には行かないのがならわしだった。「皇室の先祖」すなわち氏神を祀る場所にどうして赤の他人の一般人がどしどし行けるのかっつーのもおかしな話で「それでいいことにする!」と言い切った側の勝ちですね。そもそもひとつの部族の祖霊を信仰の頂点に据えることができるはずがないわけで、だから臣籍降下した源を源流とするすべての家が、「自分たちの氏神」を新たにつくり、崇敬を寄せている。八幡と春日の関係性とか非常に面白いですよね。
でも伊勢というのは、ことに内宮は本当にすごいです。場所がすごい。
わたしはときどき各地の神社仏閣に参るのですが、すぐに「突き当たる」ところがある。なんというか見切れてしまう。だけど伊勢の内宮だけは突き当たる場所がどこにもなかった。どこまでもどこまでも進んでいって、ものすごいところに直結していた。あそこを越える場所にはまだであったことがありません。
出不精なので知らないだけだと思いますけど。
だから噂のスペインの某聖地なんぞに住み着いて「ヨーロッパは獲ったど~!」と意気揚々とした暁には「大変よ!伊勢さんばりに超すごい場所があったわよ!」とキーボードをカタカタいわせることでしょう(笑)。わかりませんが。

で、カミとホトケの関係性も、明治までは全国の神社で普通に仏に対して祝詞をあげるってなことも行われていましたし神仏はイコールである、と「”異国の神”である仏」という手垢のついていない信仰体系を軸にして天皇を僭称しつつあった蘇我氏の権勢をじょじょに封じつつ「国家」を当時最先端である中国とも対等にわたりあえる組織にしていくために制定された法律以後(一文が長い)、区別はそんなにされてなかった。
聖徳太子以後の日本人は「神」と「仏」に代表される信仰の対象について実にシビアなご都合主義というか非常に「臨機応変」に「いいとこどり」を続けてきた。
御利益さえあればなんでもよろし☆が日本人の基本スタイルでした。

そして政治と宗教、時の政権と時代の趨勢とはどうしたって切っても切れない仲にある。
為政者側は必ず力で抑えようとする。カネを集中させられるよう仕組みを作る。

だから「神」や「仏」に代表される神的存在の「取扱い」の歴史を見ると「その時代」の人間はいったいいかなる存在だったかがよくわかる。
何を喜びとし何を怖れどんな願いを持っていたのか。
とても鮮明に「人のありよう」が見えてくる。

だから歴史は面白い。

神田神社さんでは明治天皇がいらっしゃるからというので朝敵であり逆賊である将門公を分祀して追い出しました。そしてNHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」で将門公が大人気、大ブームになり江戸っ子の皆さんが「俺らっちの将門公を祀ってくれ」という運動を起こし、結果、元通りウェルカム、おいでませ~ということになった、と。
そんなものです。
※ごめんなさい、最初ドラマ名を「天と地と」としていました。間違いです。

それに「はやりもの」には験(げん)があるという風潮からすると、時流に迎合、いや時代を鋭く読んでですね(笑)、ときどきの「はやりもの」とうまく組んで生き延びていくのは「長く残れば残るほど”正しかった”ことが証明される」理論からすれば大正解。
都心のあの一等地を維持しながらいかに「人間の間でもてはやされるか」という人間さんサイドの都合ばかりではないわけです。

だけど、品位ってものがありましょう。

選びに選んでこれですか、というあのガッカリ感。まあ前代未聞の「超絶手抜きゆるキャラ候補」を見た時点で「お察しください」なわけでして、姐さんは神田明神の運営サイドにまだ何か希望を託していたのだなあと自分の甘さにガッカリした次第です。

って別にあそこをディスっているわけではないですよ。ただ「こういうことがあった、そしてそれはもう取り返しがつきません」ということを胸に刻んで生きていこうと(笑)。

いやはやです。

といって姐さんが「浅田観音」とかをブチ立てたら命の限りグッズは売るわおみくじは桃色だわなぜかスケート関連の御守りが異様に多いわお札にハートがあるわ御神楽が「鐘」やら「仮面舞踏会」やら「カプリース」やらで大変ですよ(笑)。

しかも観音様が美麗ケリガンスパイラルポジション(Rさんに敬意を表してw)の某スケート選手そっくりだったりしてな。

ご本人様および所属事務所からクレームがついたら「(C)Mao ASADA・IMG」とテプラを貼って(テプラでいいのか)ごまかすか、いやいやそんな、敗訴待ったなしなことはいたしません!
「これはっ!この仏像はああああっ!今を去ることウン百年、当家の先祖が夢で”ちょいとあの山裾を掘ってごらん”とお告げを受けて!浅○選手にそっくりなのは、おお!これぞ仏縁!みほとけのみあらわされたる奇跡に相違ござるまい!ありがたや~ありがたや~」で切り抜ける。
大切なのは勢いです!って通るわけねえだろうwwww

と、ウキウキとどうでもいいこ・・・やりませんよ!やりませんよ!やりませんけど一度はこういうことを考える人間なのですよ!
許してたもれ~よよよよよのよ☆(詫びる態度ではない)

と、またしても前置きが長くなりましたがここで海音寺潮五郎先生が登場あそばされるわけです。

今回紹介するのは小説ではありません。史実を非常に忠実に書かれた「史伝」です。
「史伝」というのは「小説ではない」のですが、無味乾燥な年代、年号と人命の羅列に終始しているかというとそうではない。
海音寺先生の手にかかると名作ドラマを見ているような、とびきり出来の良いミステリーを味わっているような、あるいはジェットコースタームービーを見ているような血沸き肉躍る「人間の生き方」が手に取るように伝わってくる。

先生、とこのわたくしめが素直にお慕い申し上げてしまうほど、圧倒的な知識量と冷徹な推理能力と、そして「やむにやまれず押し流されていく、人の弱さと悲しさ」に向けるまなざしの確かさにただただ感服するのみです。

ひとつの事件が起きたときに、なぜそうなるに至ったかとその結果がどうなったかを、後代の人ですから当然知ってはいるわけです。史実を理解しまくっている。ではだからといって誰でもがはるか上空から俯瞰する「神の目」を持つことができるかというとそうではない。決してそうはいかないのが作家としての技量以前の「魂のスケール」とでも言うほかない「その人自身」が露呈される。

海音寺先生はでかいです。大きい。すごい。

皆さんに提案です。
この夏、暑い日中、さまざまにお疲れだとは思いますがお風呂をすませ、食事も終わり、ほっとひと息ついたところでぜひ「ご家族で」ご覧になっていただきたいんですね。

このシリーズは短編集です。個人名をあげてその人にまつわる史実と先生の見立てで話が進む。

一気に数百年とんだり、現代の世相(昭和前半くらいの執筆時期です)への痛烈な提言あり、海外との比較や未来への希望など、縦横無尽に先生の「知識」と「熱気」の間を往還しつつ、「本当は何があったのか」をぐいぐいと書いていく。

日本史、世界史に苦しんでいる受験生などがいるご家庭、現代日本の世相に不安を感じているお母さんがいるおうち、職場の人間関係で辛い思いをさせられている不当な仕打ちを耐えているお父さんなど、さまざまな立場の人に一緒に読んでもらいたい。

なぜかというと「事件」というのは単独で起こるものではないのだということ、つまりは人の命の流れの中で、その大河の中のひとつひとつの泡である「個人の暮らし」「個人の想い」からすべてが創起され、その結果が未来にも、過去にも波及していくのだということが本当によくわかる。

歴史に名を成すほどの人物すらも、姐さんの独断と偏見から例としてあげるのなら戦国武将など
・カネに汚い(姐さんの独断と偏見です!)
・女または男あるいはその両方が大好きすぎる(姐さんの独断と偏見です!)
・頑固すぎ(姐さんの独断と偏見です!)
のいずれかもしくはこれら全部の資質を兼ね備え、丁々発止とやっている(姐さんの独断と偏見です!)。

・・・のだな、と思えたりする。

今の世と実は何も変わらない、けれどもものすごく「違う」のだと、人類全体までも見通す「目」で日本という国の史実を伝えてくれている。

そしてここが一番重要なんですが、海音寺先生は「自分は史実を伝えるから、これを元に小説を書いてほしい」と提言されているのですよ。
小説は一歩踏み込んで「その作者が神になっていい世界」です。あるいは「神である作者をも越えて広がる新たな世界」を唯一創造できる場所。人間だけに通じる四次元空間です。
「文字を読む」ことにより各個人に備わった「小説的世界を感知して脳内マッピングするソフト」が起動され、そのソフトウェアの特性により千差万別の読後感、感想が立現れる。奇跡の空間だと思います。

人間の機能で最後まで残るのが「聴覚」だそうですが、人間が発する音は、言葉という「意味のある音どうし」を組み合わせることで無限の世界を創造できる、世界最強のパワーを秘めていると思う。

言葉によって人は世界を構築する。言葉によってどのように解釈するかで「その人の世界」が変化していく。

人間は「物語」を求めて生きるものです。自分の人生を解釈する心にかなう物語を失ったとき、狂気をはじめとする病疾が立現れる。どのように悲惨であっても解釈可能な「理由づけ」すなわち「物語」を得ているとき人はその状況下にあることが別に不幸だとは思わない。

ひとりの個人を知ることは「日本と日本人」を知ることです。

高校生のお姉ちゃんに代表して朗読してもらうのもよし、お父さんが小学生を膝に乗せて「この漢字どういう意味~?」と尋ねられて四苦八苦しながら用語を解説するのもよし、何しろとびきり面白いので興味を引くこと間違いなしです。

そしてできれば海音寺先生が無数に散りばめた「事実」の山から、別の資料に関連させて「全体」がどうなっているかを探求する道に踏み入っていただきたいと思います。

わたしは、このような史書を読む、史伝に親しむということも霊的国防につながっていると思います。

文春から出たシリーズ四冊と、各章の見出しを上げておきますね。
絶対読みたくなると思う(笑)。


海音寺潮五郎 『悪人列伝 古代編』

蘇我入鹿
弓削道鏡
藤原薬子
伴大納言
平将門
藤原純友





海音寺潮五郎 『悪人列伝 中世編』

藤原兼家
梶原景時
北条政子
北条高時
高師直
足利義満





海音寺潮五郎 『悪人列伝 近世編』

日野富子
松永久秀
陶晴賢
宇多田多直家
松平忠直
徳川綱吉





海音寺潮五郎 『悪人列伝 近代編』

大槻伝蔵
天一坊
田沼意次
鳥居耀蔵
高橋お伝
井上薫




えっ悪人扱い?という人もいますし「日本人全員一致で悪人扱い」だったはずがこの本で印象がまったく刷新されたりとか、「歴史的評価は多面的に」ということをとても強く思います。

皇室に興味があるなら蘇我氏ってナニよ?がわかる古代編はマストアイテムでしょうし、腐女子の人は近世編の陶晴賢を見逃してはならない(笑)。すげえなこの愛欲の渦!みんな落ち着けよ!

近代編ではへえーへえーへえーー!!の嵐でしたし、とにかくどれも全文暗記したい!と思うほど面白かったです。

女系天皇を擁立しようとする連中は、古来

(1) 実は自分が即位したい野望を持つ
(2) 帰化人、ガイジン勢力と必ず組む
(3) 「国」のことなんざどうでもよくてカネとカネとカネが欲しい

のだな、ということもよくわかりますね。

抜書きで紹介もしたかったのですが、初見の方ほど「嘘でしょ!マジで!」とわくわくできると思うのであえてしません。

姐さんもこの夏何度でも読み返したいシリーズです。

そして海音寺先生の本にはあまりハズレがありません。
ぜひこれを機会に「本物の文化人、超一流の作家」「日本が誇る偉大な碩学・泰斗」が書いた小説も手にとっていただきたいと思います。




↓ せっかくの素敵なコメントでもこれを無視しているのはざっくり消してますんで、ひとつよろしくです。

迷惑メール送信等のトラブルを防ぐため、コメント欄にはメールアドレスの入力をしないでください。
コメント欄にメールアドレスを入力したコメントと無記名コメントは削除します。

コメント投稿時にパスワード設定を行うと
投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。


フィギュアスケート ブログランキングへ
関連記事
日本人として生きるということ | コメント(1) | トラックバック(0) | 2015/08/05 13:08
コメント
ありがとうございます!
お姐さま 酷暑お見舞い申し上げます。

>女系天皇を擁立しようとする連中は、古来

(1) 実は自分が即位したい野望を持つ
(2) 帰化人、ガイジン勢力と必ず組む
(3) 「国」のことなんざどうでもよくてカネとカネとカネが欲しい

これ、すごく明確でわかりやすいですね!
現代日本でも、○和田とか小○田とか小和○が全部当てはまると思います。
時代が変わっても、考えていることは同じですね。

お勧めの海音寺潮五郎、読んだ事がありません。
蘇我入鹿は「日出処の天子」でしか知りませんが、興味がある時代なのでアマゾンで早速注文します。
スピリチュアルな解釈まみれの蘇我氏が脳内を占拠しているので、一回深呼吸して頭をブンブン振ってから読みます。
ありがとうございます!

管理者にのみ表示