それはオバケではない



3月11日に出す記事としてふさわしいのかわかりませんが・・・

自分のことを「電波者」と自称していたわけですが、あらゆる生命活動には「電気」が必須なわけですから、電波者ではない人間は「いない」のだと、まあ韜晦の一種ですね。

北朝鮮による日本人拉致というのは相当に根が深いです。歴史がある。
そして一番の問題点は「やりたい放題」であるということ。
日本人が日本人を平気で見捨てる。知ろうともしない。知ったところで無視して平気。
心ある人が立ち上がると「変な人」扱いをされたりする。
ある意味で実際の犯罪よりももっと根深い「恐怖」をそこに感じます。

個人的な悩み、苦しみをちょっと大きな枠組みで見てみると、それらは結局すべてつながっていることに気づかされます。

自国民が地獄の苦しみにあえいでいる中、放置しておくというのは独立国家として「おかしい」。国際社会における位置が上がりようもありません。実際日本はアメリカに戦争で負けて占領され、いまだに基地を置かれている。
自国民を救うためにあらゆる手を尽くさない国。
ようするに「なめてかかっていい国」として、実際になめた真似を戦後七十年間され続けた。

拉致被害者奪還のために「できること」は無数にあるのに、政府が国として取り掛かってくれないのは、「そうしてほしい」という声が国民から起きないから。

「わたしに何ができるんだろう」と思い悩む人が不思議です。できることだらけだから。ただちにできることが無数にある。実際に動いて「奪還しないほうがおかしい!」とあらゆる手を尽くすように働きかけることができる。

やらない理由はいりません。何ができるかを考えないと。

そして実際に自分の立場から動いている人の意見を聞き、思いを知り、では自分はどうするのかと考えることも大事でしょう。

ひとりではない。できることを持ち寄ってさまざまな立場から動いていく。「できる」を「できた」にするために。

フィギュアスケートの不正採点についてもおかしいことはおかしいのだと、声を上げることの大切さと、「実際に何ができるのか」についてずっとブログに書いてきました。
もしいまだに「姐さん、何ができるんですか」と問われるのならそれはこちらの伝え方に問題があったということでしょう。まだ伝えきれていない。記事が足りない。まだ自分の声が小さい。まだわたしの動きが鈍い。そういうことだと思います。

姐さんが言う「生命活動」にはもちろん「死後の世界」も含まれます。生きていることと死んでいることの間の境界は、薄い。ここからが死です、という「その境界」を越えたところで生から離脱するわけでもない。常に共存している同じ「場」にあると言える。

死者をも含めて「生きる」ということ、それが大切な視点だろうと思います。
大きくは死者をも含めた国づくりをしていくということ、それはすなわちひとりひとりがどう生きるかということの集大成、集合体です。

「あなた」の選択が日本そのものを大きく変える。民主党が政権を取っていた時間、日本破壊のための暴力が強力に推進された。後になってみれば「あれは間違いだった」と万人にわかる錯誤であり犯罪行為。

怖いことなのです、自分の未来を他人に、しかも信頼できない他人に丸投げしてしまうということは。

日本は、日本という場を愛する人のものです。日本というひとつの場を愛し大切にする人のもの。それをして日本人と言うのだと姐さんは思います。

日本という場に備わった大地、空気、水などの自然の構成要素をできるだけ尊んで共に生きることを選ぶ他、この「日本」を未来につなげていく道はないと思う。
そこまで深く、物理的な循環、輪廻を組み込みながら日本の心を育むしかないと思う。
そしてそれがもっとも平和でもっとも幸福でもっとも「自然」なことだと思う。

皆さんにひとつの記事を紹介します。
世界各地のさまざまな不思議な出来事を掘り下げて公開されているブログの記事です。


オカルト・クロニクルさん
坪野鉱泉肝試し失踪事件――消えた2人と消えた真実
http://okakuro.org/tsubono-kousen/


どうですか?ゾッとしませんか?
地元で有名なオカルトスポット、「出る」と噂の廃墟に遊びに行き、そのまま行方不明。
何が起きたんだろう?どうしていなくなったんだろう?

そのひとつの答えに反社会的勢力による国外への拉致、があるかもしれない。
「それはオバケではない」ということです。

確証はありません。でも、新潟県のいろんな年代の方に直接うかがったように「人さらいが出るから夕方、海に行くなよ」という口づては現代の今も生きています。
さらわれるから。ある日忽然といなくなるから。人さらいにさらわれるから。さらわれた人がげんにいたから。だから夕方以後は海に行くなと。

日本人が日本の海を、自分の生活圏である故郷の海を、怖がりながら、恐れながら、忌避しながら生きなければならない。
なんという悲劇であり、なんという侮辱だろう。
尊厳の破壊です。

なぜ故郷の海を恐怖の対象にしなければならないのか。なぜ疑い、恐れ、警戒して暮らさなければならないのだろう。

こんなことをいつまで続けさせるつもりだろう。

同じことが実はいわゆる心霊業界でもあるんです。

長野県は海がないからと油断しているわけにはいかない。「実際に失踪した人、それも非常に不自然かつ異常なまでに巧妙に足跡を絶った人」が北の被害者ではない、という確証はないんです。

オバケのせいではない。実際に、リアルに、この現代日本において北朝鮮の工作員がわが祖国に潜入し、日本人を誘拐し人生をめちゃくちゃに破壊している。

そういう大惨事が死んだ日本人のせいにされている。姐さんは言いたい、「それはオバケではない」と。

なんで日本人が同じ日本人に怯えて生きなければいけないんだろう?
化けて出るってことはかなりな悲劇があったということ。恨みに恨んで現世で果しえなかった目的のためいつまでもさまよい続けているということ。そういう悲しみを抱えた人に、さらに「行方不明」の原因まで押し付ける。酷い話です。

ただでさえ悲しい思いをして亡くなったのに死んだあとまで汚名ですかそうですか。国家が怠惰なせいで!!!!

そういうことをしているから、法的手段なりのまっとうな方法でかたをつけず、自分を殺すような人が絶えないんですよ。姐さん激おこ。
それはオバケではない! 苦しんで死んだ人に死後まで汚名を加算するんじゃない!むしろそんな哀れな境遇なら「ひゃだ!あたいも一緒に祟りましょうか?」と協力してあげたいくらいです。いやほんと。

死者にとってすら安息の場ではないなんて、生きている人間にはまさに地獄だ、生き地獄だ。そんな国いやだ!

日本は、あまりにも「日本人」に冷たすぎる。

そう思いたくはないのだが、個々にお会いすればいい人であり素晴らしい人であり思うことがいろいろあってもそれを表立って人に言い、こうしようと言うことがうまくない。

「まだ」うまくない。

だからこそ「日本人に手をかけたらとんでもないことになる」という「実績」を積み重ね、「誘拐しても利益はない」と徹底してわからせていくために、まずは日本人が日本人を大切にすることを始めたらいいと思うのです。

わかりやすい例がある。

真央が南朝鮮で盗撮されたとき、スケ連は何をしましたか?

真央がキム・ヨナと南朝鮮による「嘘の」練習妨害の矢面に立たされたとき、スケ連は何をしましたか?

真央が不正採点で卑劣ないじめを受けていたとき、スケ連は何をしましたか?

真央が苛烈なまでの虚偽報道に苦しめられていたとき、スケ連は何をしましたか?

真央を救うためにスケ連は何かをしましたか?一度でも?

そういうことです。「構造」が同じなんですよ。

「国家」の構成要素である「国民」が実際に拉致被害を受けているのにそれを見殺しにする国が、いい国でいられるのでしょうか。
これほど歴然とした犯罪を放置する国が、わたしたちひとりひとりの不都合、不利益、被害に対してまともな対応をしてくれるでしょうか。

同じことなんですよ。

拉致被害者を見殺しにする弱い国は他国から同じ扱いを受けるんです。国際政治の現場にいると「こういうことがまわりまわって国家の不利益になる」ことくらいよくわかる。それなのに是正しない。

前例がない。明文化されていない。できない理由を即座にあげる。何もしないために全力を尽くす。おかしいですよ。

何のためのそのポジションか。何のためのその立ち位置なのか。

「やる」ために動いてくれ、と切に思います。

日本が自国民を見殺しにする国だ、ということがどのくらいの不利益になるか。民間レベルでの交渉でだって「こいつらは何したって怒らない」と甘く見られ、不利益をこうむります。

ことは既に「日本国家の尊厳」の話なんですよ。

拉致被害者が自分の家族だったとしたら。あの中に真央やイチローがもしいたら。

「知る」ことは時に大変な苦痛をもたらします。

荒木和博BLOGを読むと痛切に身を切られる思いがする。
でも、現状を知らなければどう動けばいいかわからない。

そしてこんな悲惨な「国による遺棄」の地獄の中ですら、人の真心、人の心意気、人の思いやり、人の崇高さを知ることができる。

まわりがウンコだからって自分が堕落していいという理由にはならない。

よくないものは退けるべきだ。

真央が毅然と、凛然と、実力だけで常に真っ向勝負を挑んできたように、そして悩みながら、苦しみながら、それでも「スケートが好きだ」という思いひとつであきらめなかったように、わたしたちは堂々と「おかしいことはおかしい」「みんなで日本という国をよくしていこう」と思い、考え、動いていきたい。

それができる人たちでありたい、と思うのです。何よりもまず自分から。


変な話、拉致被害者をふざけんな全員返せ、あと二度とやるなと正面切って言うことができたなら、突然原油安になったり各種輸出入の場で日本に過大な利益が出たり、みんなの暮らしが一気に楽になったりしないとは言えません。

国家間での立ち位置が急上昇するからです。

真央やイチローかもしれないから助けるんじゃない。どんな人であれ個人の意思によらぬ「暴力」で危険にさらされ、進路を捻じ曲げられることは「あってはならない」からです。

自分の人生における自己決定権をおかすもの、特に暴力によっておかすものは「悪」です。そんな押し付けはいりません。


荒木先生がおっしゃった。「もし被害者が日本に戻されることになったら、いかなる理由で助けに行かなかったというのだろう」と。

わたしも同じ気持ちです。

「誰かが絶対に助けに来てくれる」と信じて待っているはずの人をなぜ助けに行かないのか。

なぜ絶望のただなかで見殺しにするのか。そんなことができるのか。


「拉致被害者奪還は、できない」という洗脳から脱却する人を増やしたいです。

自分の人生を大切に生きる、ということは、同じように大切な人生を生きるほかの人の苦境を見過ごしにしない、ということも含まれると思うからです。

お互いさま、ってそういうことなんじゃないかな。

「次はあなたかもしれない」の「次」がこういう犯罪行為の犠牲ではなく「めちゃくちゃ愉快痛快素晴らしい素敵なこと」であるように、社会を変えていきたいです。

わたしは、犯罪には手を染めない。そのような決意からまずは始まるのではないでしょうか。

機会があったらぜひ予備役ブルーリボンの会のシンポジウム、イベントに参加なさってみてください。

「最後まであきらめない」タフな皆さんから「奪還できる!」という確信とその根拠を伝えてもらえる。

本当に簡単なことなんです。難しくしているのが関わる人が持ち寄っている「できない理由」なんですよね。

「できる理由」を探そう。そして「やろう」。

それだけのことで世界はあっという間に変わると思う。

「国家」による「やるべきことリスト」優先順位のかなり上に、拉致被害者奪還を置かないと。

それが「国」ってもんでしょうよ。と姐さんは思います。

そして浅田真央の五輪金メダル奪還も、そのリストに乗せ続けたい。上から片づけていってその順番が来たときにはすべての拉致被害者が帰国していてほしい。

真央をはじめとする「失われたよきもの」のすべてを知ってほしい。

「戻ってきて本当によかった」と思ってもらえる国でありたい。だから「できること」と「やるべきこと」で大変忙しいのです!

できることを探して!そして実行!オバケも協力!全員サッカー!

ね!




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拉致被害者奪還 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/03/11 12:21
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