御製 平成二十七年 五首より 補足



2017/04/05 資料を追加

『践祚大嘗祭 研究編 資料編』が入手できたので「鍬を用いて」の根拠たりうる箇所を画像で掲載しました。

今上がご存じないはずがない。すでに登極あそばされておいでですから。
さらに三笠宮崇仁親王殿下がかかわっている書物です、目を通しておいででしょう。

資料--3
資料--1
資料--2


御製 平成二十七年 五首より 「父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う」の補足です。

一度上記記事をご覧いただいた皆さんも補足がありますのでぜひこの記事にも目を通しておいてください。前回は聖武の話がインサートされていてわかりにくかったと思います。「仏教」にはいろいろと思うところがありましてつい私情に走りました。


平成二十七年の御製 五首より

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


まず、それまでに詠んだ歌の中から五首を選び、さらにトップにもってきたということで、決め打ちで「これが一番言いたいこと」であるのは確実です。であるからには日本語のスペシャリストであり、世界で一番皇室に、天皇位に、お詳しい方からのメッセージとして(何しろご本人が天皇陛下ですからね)フラットに読み解いていこうじゃないかというのがこの記事の目的です。

おうたの、最初から見ていきましょう。

・「父君の」

今上の父君は昭和帝です。皆さんとっくにお忘れかもしれないですが激動の時代にあってかつては「神」として生まれ、「神」として育てられたお方です。現人神(あらひとがみ)という言い回しがあるように、生きて実在する肉体を持った神だった。
そういう人の、読み手は長男ですよ、という「歴史的意識」の中から歌がはじまる。

・「蒔(ま)かれし木」

樹木は、生物学で用いられる系統図解に代表されるように系統樹によく摸されます。この年末年始に正月飾りとして「橙(だいだい)」を飾られたお宅も多かったのではないでしょうか。橙は代々に通じて先祖から子孫に順送りで命のリレーをつないでいく吉祥縁起物であり、丸い形状と輝く黄色から太陽を模しているともいわれます。

もともとわたしたちは、ある時期に稲のことを「とし」と読み、大みそかは「大歳(おおどし)の夜」などと申しまして、春の作付、田植えから夏を経過し、秋の実りの季節を超えて長い冬を迎えるために、つまりは稲作行事を基準に一年を暮らしていたものです。
もちろん海山での狩猟、漁撈がメインだったり、林業や工業、商業にかかわる家の人は別なサイクルがあったでしょう。けれども稲作に限定せずに「穀物全般」の一年の生育史に基づくときに「自然と」四季の大きなイベントは定まってくるものです。
とにかく日々口にする食べ物ですからものすごく大事なことです。

縄文後期には稲のことを「いね」と呼んでいたようなので、名称変化に伴って年齢のトシをはかる目安として稲がトシと並行して呼ばれていたのかもしれません。
穀物全般を代表して稲神様にまとめてお祭りを行った。
それは大嘗祭、新嘗祭(旧暦十一月)、祈年祭(としごいのまつり、旧暦二月)、鎮花祭(はなしずめのまつり、旧暦三月)、神衣祭(かんみそのまつり、旧暦春秋)、神嘗祭(かんなめさい、旧暦十月)などなどの今も残っている各種行事が物証です。
祭り事は政り事だった。

国が規定した法律で何月にどこの神様をどこで祀れ、と決められていた時代が長かった。やまとことばでは宮中をおほやけとよむように、国の目が届くところでは法律に基づいて神様を祀らなければならなかった。
その空隙を埋めるようにヤマト朝廷の支配の及ばぬ土地の祭りも続けられた。ヤマトから遠いところほど古い様式が残っている。

一年草の稲とは違い、樹木は年を何年も超越します。だから家全体の家系図や生命のリレーのシンボルとして世界中で用いられる。

神は上からくる、という概念をどなたもなんとなくお持ちだと思います。セミナーで「天はどこから始まりますか」と質問すると皆さんなんとなく自分の頭よりはずっと上、雲の上とか山の上から始まりますとお答えになる。

しかり、神は上にいて呼べば答える、呼べば応じるものが神だった。その神を地上に降ろすための「場所」として、木の枝を立てて目印にする。今の神道で使うお榊がまさにそれです。
神道的建築様式で屋根にクロスしたり出っ張った「千木(ちぎ)」を用いるのは「神様ここですよ」というヘリポートの目印のような意味を持つ。

文化人類学でいう宇宙樹、世界樹です。その幹を枝を伝って異郷、異世界、別世界から神的なものが往還する。あるいは宿る。ひいてはその樹木そのものを尊いものととらえるようになる。

だからここでいう「木」は家の図、である。

また「き」という音に注目すると、日本史で「き」といえば日本初の正史であるところの『古事記』と『日本書紀』のことをさします。あまりにもビッグなので『記』、『紀』と省略しても誰でもわかるくらいに、「きき」といえばこの二種類のことを言います。
これが何かといえば、歌の詠み手=今上ののファミリーヒストリーそのものですね。

ダブルトリプルで「我が家の正史」をさしています。


・「父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用いて」

樹木にたとえられた男系男子である父君、昭和天皇から男系男子の天皇である自分がつないできた天皇位、それは金へんに「秋」がつないでいくのだと。

鍬(すき)の持つ意味の重さです。秋が好きだと言っている。秋篠宮がつなぐんだよ、とおっしゃっている。
当然ですね。驚くことは何もない。だって現東宮は男子を持たないのだから。

現東宮家は、絶えます。皇族の男子がいないから。

男系男子の皇族がいる弟宮のほうに、秋篠宮家に皇統は移る。決め打ちでそのまんま、その通りです。

そしてさらにわたしたちは「鍬=すき」の音にも注目しなければなりません。

登極(とうきょく)=即位する際に必要なセレモニーのひとつとして、宮中内に悠紀殿(ゆきでん)、主基殿(すきでん)を設けここを用いる決まりです。

秋篠宮家には悠と紀は「もうある」。その名がついた紀子さまとともに悠仁様をもうけられている。
そして即位にあたって必要なもうひとつの主基(すき)殿の音を読み込んでいらっしゃる。

さすが日本語のスペシャリストであらせられます。

大嘗祭に関する参考資料として必須のものとしてあげられている中の「大嘗會之図(写本、三巻一冊)から。
これは貞亨四年東山天皇の大嘗祭における調度施設神饌などを図示したものとのこと。
ちなみに東山天皇は霊元天皇(上皇)の次、ですね。
このことの意味もわかる人にはわかるのですが。。。
資料--2



・用ひて

用いる、にはそれを使って役に立たせる、という意味以外に「尊び信頼する」という意味があり、本来はこちらが先にあったのです。なぜなら用いるとは「持ち率いる」からきた言葉で「持ち率いる」からワ行上一段に活用し、後に「もちゆ」とヤ行上二段にも活用するようになったから。なるほどわからんwwでもこのように辞書に書いてございます。
持ち率いる→もちゆ→もちひる→もちいる、ですわね。

使って、「ではない」のは本来性の「尊び信頼する」を優先なさったのでありましょう。

天皇位の尊さを骨身にしみて感じているから、だから後の天皇に対しても「尊び信頼」を寄せている。この姿勢です。尊いです。
天皇誕生日・新年の一般参賀で「天皇陛下のお言葉です」のアナウンスとともに、さっと陛下に体の向きをかえ、頭を垂れて傾聴・謹聴の姿勢を示したのは秋篠宮様、同妃殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下であらせられました。
現東宮・同妃殿下はニラニラ薄笑いをしながら微動だにしなかったですよ。
「これ」が重大な問題でなくして何が問題なのだろう。と感じましたよ。
現在ただいまの天皇陛下に敬意を形で示せない・示そうとしない・示すことができない者などろくなものではありません。まして現東宮は(今の人間のルールに従うならば)次の天皇の予定ではありませんか。ええ加減にせーよと言われても反論の余地はございません。

だから男子が生まれなかったのだろうなあ、日本の神様すごいなあ、と思いますけどね。

き=紀=紀子様より生まれし、男系男子。


・くろまつを植う

陛下は「くろまつ」と漢字をひらいて=ひらがなにしておいでです。
ここも「さすがだ」とわれわれは感服するべきところです。

くろまつをしっかりと大地に根付かせる。ここで絶えさせない。つないでいく。

普段使っているこの漢字は、もともとは「外国語」でした。遠く今は滅びたかつての先進国、超文明大国「だった」中国で開発された「神と交流するためのツール」が感じです。
紀元前三千年~二千年にかたまった、甲骨文、金文といわれる古いカタチをわたしたち日本人はそのまま国語として、日常当たり前に使っている。これもものすごいことなんですよ。
漢字は難しくありません。難しいと思うのは教える側に問題がある。漢字ほど合理的かつ明快に構成されているツールはありません。
教える側がわかっていないから、教わる側も「はて?解せぬ」になるだけです。
だってもともと神と交流するために作られたモノなんですから、明快至極で「なければならない」。
「神よ、河の神よ、さっき出ていた虹はどういうことですか。いいのわるいのどっちなの」と問いかけて、出てきた答えを万人が納得するカタチで示さなければいけません。
わかりやすくなければ残らないのです。

エジプトで同じように神との交流ツールとして一定の基準に達した神聖文字(ヒエログリフ)から、ヒエラティック(神商文字)、デモクリフ(民衆文字)というふうに簡略化されていったのはわかりやすさを求めてのことでしょう。神様と交流する神官たちが使っていた文字を、神殿に出入りする商人にわかるように簡便化し、それが一般人のレベルにおちて伝わっていって定着した。

ところが漢字は最初からめちゃくちゃわかりやすかった。驚くべきことに、現代のわれわれが見てもぱっと「読める・わかる」文字だらけです。最初からクールだった。すごいんです。

日本ではまるで帝政ロシア時代末期の宮中で外国語であるフランス語で会話するのが洗練の極みでカッコいい、とやっていたかのごとく、政治の中心では長らく「外国語」である漢語が用いられていましたよね。公用語が外国語。みんな漢文で筆記していた。だからおそらく執務者は外国人かもと外国人=帰化人を使って『古事記』も『日本書紀』も書かせていたと思いますね。

そして日本人さんサイドのチェックの甘さから神の名の相違や人間関係の食い違いや、中臣氏のように「自分の先祖を割り込ませちゃえ!」とかいろいろアレなことがあったんだと思います。でなかったら古今の学者先生を大いに沸かせる「食い違い」はないはずです。

で、そんな外国語ですら返り点やら一二点やらで「そのまま読める」技を編み出すのが日本人クオリティー。さらには「音」と一対一対応の「ひらがな」「カタカナ」すら作り出した。

この国をあげての「職人」ぶり、さすがの日本人気質だなあと。技術立国の基礎の基礎、「ことば」「国語」のすさまじいシェアっぷり。

で、もともとの日本語という意味で使うとしての「やまとことば」には相当する漢字はありませんでしたから、音をたどってそのままひらがな・カタカナ(あるいはアルファベットでもいいですが)で書くのが自然なことなんです。

陛下はここで「くろまつ」とわざわざ開いて書いている。

黒松は、赤松に対しての意味で「男松・オスの松」です。だから男性を意味します。

また松は日本の自然観の中で最高位に属する植物です。他にも桐や梅や桜や竹や、素晴らしいものは多数ありますが、霊的な尊さの象徴として使われるのはもっぱら松です。
舞台にかかったお能をご覧になったことがある方は、舞台に松の木を描いた背景や、あるいは屏風立てで松の絵が必ず用意されていることにお気づきだろうと思います。

あれはお能の演目に多い「幽世(かくりよ)」と「現世(うつしよ)」との境であるとともに、実際にあの世、異世界、異郷から聖なるもの・心霊・神霊的なものが現れるときの目印です。
またそれがあることでその場が清められた、ということでもある。

まさに世界樹そのものです。

その、「おまつ」である男松・雄松、すなわち正当な皇統を継ぐべき男系男子を植えていく。

さらには音でとるならば「くろまつ」=「苦労待つ」で天皇位に就くということは途方もないことなんだよ、と「自分以後」の未来の天皇に対して心構えをうながしている。

覚悟がいるぞと。苦労しかないぞと。

けれどもそれが「神への道」だぞと。

外国語の漢字ではなくて日本固有の記号であるひらがなで、あえて語りかけている。

誰に?

日本語のわかる日本人にですよ。
皆さん全員にですよ



神の象徴そのものである「くろまつ」を、天皇位を、神であった父君から受け継がれてきた男系男子の皇統でしっかりとつないでいく。自分を通して次の世代に。

つまり陛下は、ご自分の意思として「秋篠宮家につないだ」のだ、と宣言されておいでです。

どうでしょうか、ここまでで何か矛盾がありますか?

無知な一般人ですので何か誤りがあるかもしれません。
まあ秋の田の、らへんは年代別に根拠をあげていちいち説明すべき異論の多い箇所ですが、そもそも践祚大嘗祭を特別視したのはそんなに古いことではありません。新嘗祭が最初にあって、それはやはり秋の実りを祝うためのものだった。だから「毎年ある」わけです。

このあたり穀物霊・穀物神と太陽の運行との関係で掘り下げるととびきり面白い箇所ですが、ヤマト朝廷とのごにょごにょが芋づる式に出てくるので詳しいことは別項としたいと思います。

陛下がこれほどわかりやすく宣言なさっていることを、なぜ見落としてしまうのだろう。

やはりコトバがわからない外国人だけが皇室に、天皇に、イチャモンをつけているだけだろうと感じます。その外国人にのせられた「利権」がらみの日本人には「天皇位にさからうと天皇その人でさえ滅びるからヤメロ」と申し上げておきたいです。

そういうものなんです。

陛下のお歌、御製(ぎょせい)について何度も書くのはこれが「陛下のお心そのもの」を直接知ることができる数少ない「物証」のひとつだからです。
この歌も掘り下げればもっとずっと「意味」があるはずです。

記紀は、われわれのご先祖たちがワーキャー言いながら(言ったのかwww)一所懸命にまとめた「政治抗争史」であり「神と神とのぶつかりあい」であり「生き残り戦略ガチ攻略、実践編」であり「大スキャンダルと大スクープと大ゴシップの賢覧豪華な一大叙事詩」であります。

できれば原本に直接あたったことがある、関西方面のおっさんたち、古い時代の論文、論考からご覧になるといいと思います。なぜならわたしたちの世代の学者先生は彼らについて学んできたから。当代の学者先生方がみな自分の根拠に用いている所説を構築した世代だからです。

こうしてネットに残しておけば、誰かは読むだろう。わたしはいつも「四年後の俺たち」のためにも話を続けていきたいのです。

天皇の御稜津(みいつ)によりてボーイミーツガール、万民繁栄、治国平天下、なんぞというクッソたわけたダジャレをかましつつね。
日本の歴史、信仰史・宗教史はダジャレとエロジョークでできている。それが生命力を最大に活性化させるテクニック。
論理階梯を軽やかにスキップし、音の世界を逍遥する。

音がすべての根幹で、人間が出す音が声、意味のある声がコトバ。言葉を使ってわたしたちは神とも人とも交流する。

皇室と一般在家との違いは「自覚のあるなし」だけだと思う。二千年以上続いた家の伝統と格式、「その家」に対する敬意と矜持。違いは実にそこだけです。
皆さんもどうぞ遠慮なく皇室レベルの心持で日々を送り命をつないでいただきたいものです。

わたしたち自身もご先祖が、ただの一度も絶やすことなく命をつないでくれたのです。神の子というのなら全員が、万人が神の子です。
「自覚」だけです。本当に。


では皆さん、日本の神の直系子孫からのお言葉です。
これが御聖断であろうと思います。



父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う






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