生きていくということ



人間は生まれながらに不平等なものです。
平等なことは2個しかない。生まれてきた、そして死んでいく。人は必ず死ぬ。ただこの一点においてのみ、絶対的な平等条件をあらかじめ与えられていると言えるでしょう。

人生とは不平等なものである。そして全員が必ず死ぬ、という一点においてのみ平等である。

シンプルにそぎおとしていくのなら「人生の条件」とはこれだけに集約されるのではないでしょうか。

必ず死すべき人間であるわたしたちが、先に世を去った人たちにできること。

人に尋ねられたらわたしは必ずこう言います、「忘れないでいてあげること、あなたの人生を通じて共に生きること、それが最大の御供養になるのではないでしょうか」と。

わたしたちも死者の群れに必ず入る。必ず死ぬ。

であるならば、限りあるこの命の時間をいかに使うか、いかに生きるかだけに集中していけばいい。その過程で力の限り生きていく中で、死者も生者も区別なく、一緒に全力で生きていくことになるのだろう。

死者の冥福を祈り、死者の霊を弔うとき、わたしたち生きている者もまた、そのように祈られ弔われ、そしてできれば誰かに記憶されるべき存在として共存共栄しているのではないだろうか。

生きることは死にゆくこと。そして先人と共に生きること。

「わたしの後」に続く者たちに何かを残していくということ。

今日は祈ろう。今日は弔おう。「あなたたちを忘れない」と伝えよう。

そして明日からは自分の人生をより輝かせるために、立ち上がろう。


今日心から祈ったように、わたしたちは自らの死を迎えたときに、「ああ惜しい人をなくしてしまった、残念だ、悲しい」と心から悼んでもらえるだろうか。
「でもあんなに懸命に生きていたからきっと悔いはないだろう。だって笑顔で亡くなっている。どうぞ次の世でもがんばってください。またお会いしましょう。そのときを楽しみにしています」と言ってもらえるだろうか。

わたしはそんなふうに生きたいです。

誰に知られなくてもいい、自分が、自分の心が同伴者です。
24時間共にいて、365日つきあえる、自分自身が自分の最良の友となり、この人生行路を歩んでいく。

今日は祈りの日、慰霊の日。
でも本当は毎日が祈りと慰霊と決意の日。


「丘の祷ること久し」

忘れません。





※コメント入力に関するご案内

・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
関連記事
日本人として生きるということ | コメント(4) | トラックバック(0) | 2017/03/11 14:46
コメント
突然、幕がおりる
昨日まで、明日もいつもの日が変わらずに来ると思っていただろう人たち。
突然、人生の幕が降りた人たち。

災害というものの、恐ろしさ、理不尽さを考えます。

いつ死んでも悔いなく生きる
というのは頭でわかってはいても
本当に難しいことだと思います。
Re: 突然、幕がおりる
たまきさんへ

コメントありがとうございます。

おお、罠にかかっている人がここにも。罠というのは「そんなことできない病」です。
わたしたちは何か目標を立てるときに、なぜか同時に「どうしたら」もセットで考える癖をつけられているのです。
でもどうしたら事前にわかっていたら、目標を立てるまでもなく、はい完了、になるはずで。
わたしは提案いたしますが、「まず決める」だけでいいのだという実験をなさってみてほしいのです。
「どうしたら」は考えない。
試しに「今日は充実して生きる!」と朝、心に決めてみてください。その決意があればそのあとのすべての言動は「充実した一日」に向けて自動的にスタートします。
心に決めるから、心に深く誓うから、その後の動きのすべてはそれにかなったものになる。

そしてできれば決意を声に出して言ってみてください。人に聞かせる必要はありません。
神々と交流するときに一番簡単で一番間違いがないのは人による発声です。

決意をあなたが選択すれば、神々も仏も手助けができる。
逆にいうとあなたが決意をしなければ誰も介入できません。

たとえば浅田真央ちゃんが、引退か続行かで、一年休養する中で考えていた時期に、ファンはみんな「真央ちゃんにとって一番いい選択になるように」と祈っていたじゃないですか。誰も絶対に復帰しろなんて言わなかった。そして「真央ちゃんが決めることだよ」と思っていた。「誰にどんな話をしてもいい、いろんな人に相談してもいい、だけど最終的に真央ちゃんが選ぶことなんだよ、そのときには誰のいうことも聞かなくていいんだよ」と。
真央ちゃんを好きで応援している人ほど、そう思ったのではないでしょうか。

それと同じなんですよ。決めるだけでいいんです。「どうしたら」は関係ない。これだけの不確定要素がある中で、先回りして最善手を選ぶなんて神様だってできません。

決めるんです。まずあなたが決めるんです。

「難しい」とおっしゃるけれど、本当にそうですか?まだあなたの人生は終わっていない。だったら難しくてできなかったどうか、まだ判断はできないはずです。

「決意」して、そして実際に生きてみて、自分と世界がどのように変わったか経験を重ねてみてください。

とてもエキサイティングな結果になると思いますよ。

えらそうにごめんなさいね。
まるで往復書簡のようになりましたね、笑。

ありがとうございます。
腑に落ちました。ストンと。

確かに、なんか人生をスイスイ楽しそうに泳いでる人は、「だって」てか「でも」とか言わないなぁとは気づいていました。

目標をたてても、すぐに「でも」ってでてくるから生きづらいのだわね〜と。

目標を立てたら、口にだす。
何の疑いももたない。

これで、残りの人生バッチリです。
にっこり。
たまきさんへ
コメントありがとうございます。

無理やり言わせた感がばっちりあるようなw

真央ちゃんがなさっていることを手本になさるとまず間違いないと思います。
太陽が人の形をとって名前と個性と人格をもち地上をうろうろする瞬間にいあわせているわれわれはとてつもなく幸運なのだと思います。

管理者にのみ表示