和歌における技法(後鳥羽上皇、山を詠む)



風雲急を告げる情勢の中になって何をのんきに和歌などを、と思われる向きもありましょうが、「こういうこと」を死守していくのも霊的国防のひとつにカウントしています。
「こういうこと」は本当ならヴぁ日本人全員が「あたりまえの常識」として持っているはずの知識だった。
それを奪われたという現実から、わたしたちはもう一度、やり直していかねばならない。
「日本」は「日本語」と「天皇」さえあれば続きます。
逆にいうならここを押さえられたら終わるのです。
いかに貴重な「国語」をわれわれは日々駆使して、生き、想い、考えて、そして行動しているのか。
自覚的に取り組むことで無限の発見がある「国語」
「すごい」んですよ、日本語は。
わたしは日々そのすごさの質に驚かされ、魅了され続けています。
そう思うからほんのさわりではありますが書き残しておきたいなと。

こんな「面白い」ツールはないと思う。

では和歌を範に取って昔の人たちがどういう「本気のお遊び」をなさっていたか見てみましょう。

カテゴリを「歴代天皇の御製」としましたが、この記事のひとつめの歌は上皇位につかれてからのものなので厳密に言うならカテゴリは違います。後鳥羽院の歌、としなければなりません。
でもまあ登極したり攘夷したりまた再祚したり上皇になられたり日本の天皇は忙しいので(笑)「かつて即位したことがある方の歌」くらいにとっていただければと思います。

ふたつめの歌の主は歌人であって即位したことがないどころか皇族でもありません。ですのでやはりカテゴリ違いですが、いずれ記事を細分化する前の拙速なのだとお笑いください。

さてさてひとつめは後鳥羽上皇です。
必要があってこの方について調べなおしているのですが、本当にまあとんでもないお方でございますよね。
わたしは歴代天皇すべてが好きというわけでもなく、後醍醐と後鳥羽はツートップで「おいおいおいいいいい!」と思う方々です。
今上なんかこれに比すなら聖人ですよね。聖者です。神そのものです。
何しろどえらい「おいおいおいいいいい!」なおふたりです。

後鳥羽天皇がまだ位をゆずられる前の歌、御製です。

奥山のおどろが下もふみ分けて道ある世とぞ人に知らせむ

一見、「なんかやる気に満ちているなー」という感じをうけますよね。どかどか踏み込んで道ある世だと人に知らせるんだな、というかんじです。
これ、けっこう怖い歌なんですよ。やる気ありすぎ。
まず「奥山」。
京のみやこという大都会、文化文明の一大拠点、時のみかどがおわします「世界の中心」に対する「奥山」です。人里離れた場所、今のわたしたちからするとシベリアかなんかの、人が住まない未開の荒野、そこまでいうと言い過ぎですが、人の手が入っていない深山です。
こういうところには紅葉を踏み分けて鳴く鹿がいたりとか、越えても越えても越えられない長い坂=絶望だけがあったりとか、最高がんばってもあえて世を捨てた、人生にすっかり望みを失ってしまった気の毒な人=反社会性むきだしの人でなくなってしまった者=人外とか、「あああああこんな苦しい修行をする俺様かっこいいいいいゾクゾクするうううたまらなないいいいい」というド変態な修行僧とか(おいw)そういうものだけが跋扈します。

いきなり極限状態を出してきた。当然、優雅典礼なみやこびとである、お取り巻の公家集団は「ん?」と思わされるわけです。
「おかみよ、どうしなすった」「すごい環境設定キタコレ」「背景ヤバイ超ヤバイ」と。

次の「おどろ」というのは「棘・「荊・藪」と書いて、「茨(いばら)など、とげがある草木がぼうぼうと乱れしげっていること、また、そういう場所。やぶ」です。
踏み込むと大変なことになるやっかいな場所です。ここも「人の手が入っていない」ことが前提の場所ですね。

「ふみ分けて」
これはもうストレートに踏みつけて分ける。人跡未踏な「自然な山野」に行って直接どかどか歩ける道をつくりますよ、と。しかも作る対象の山野はトゲトゲだらけのやぶですよと。

「道ある世とぞ人に知らせむ」

面倒なんでいっぺんにいっちゃいますが、ここでいう「道」というのは完全に「天皇の権威」のことですよね。自分という世界の頂点に立つ者の権威を十二分に知らしめる。
「人」というのは「心ある人」で、知識教養、人格識見のある「ちゃんとした人」が対象で「俺が詠んだ歌の意味が理解可能な人」ですからずいぶんとずいぶんです。

「世とぞ」ですから「そういう認識=天皇が権威の頂点であることが、日本全土の共通見解、一般認識、普遍的前提であるのがあったりまえの世の中」を「知らせむ」ですから「どうあってもねじ込んでやろうじゃないの」ということです。

で、京都公家衆に対する最大の「敵」は関東武家衆なわけですから、普通に見たら「ああ、当時いがみあっていた関東勢に対する、朝廷専属の武装集団である「北面武士」とか、後鳥羽みずから新規雇用をはじめた傭兵である「西面武士」勢とかへの鼓舞も含むのかなあ、とか、たぶん「武家」が連想として容易に対置されると思います。

これだけだったら現代の我々には「ふーん、どうぞ好きにおやんなさい」で「何しろ鼻息の荒さ、鼻っぱしらの強さだけはびんびんくるなあ」ですむのですが、実は「もののわかった人」であればあるほど「やべえ」と思う歌なんです。

どういうことかというと、この「おどろ」の意味の一つである「棘」を漢語にとってキョクと詠むと「この歌の対象」が制限されてくるわけです。漢語で、支配階級である九卿のことを「九棘」ともいいますから、日本では「九棘」を「公卿」の異称としていました。
また、漢語で「荊棘(けいきょく)」としたうえで「荊路(けいろ)=荊の道」ととり、「棘路」をも公卿の異称にしています。

つまりこの歌で「どんなに都から離れた遠いド田舎であろうとも徹底的に踏みつけて俺の権威を知らしめてやる!」と宣言した当の相手は「天皇のまわりの公卿衆=皇族に次ぐ家柄の支配階級で、大・中納言、並びに三位以上の位をもち、へたをすれば天皇、皇族一門よりもずっと権勢を誇りかねない味方にして同時に皇統争いでは最大の敵にもなり得る人間たち」「もっと広い意味に取るなら五位以上の位を持ち、天皇に直接目通りがかなう、いわゆる殿上人すなわちそれなりの地位にある公家」をも含めた「味方のはずの公家全員」になるわけです。

コワイ!

さらには「ふみ分けて」の「わけ」には「自分を卑下した一人称、わたくしめ」と同時に「対称の人代名詞。多くの場合、目下の者に対していう。おまえ。そち」という意味がありますから、「オイラっちはおめえどもにこういうことすっからな!」という「けっこう野蛮」な意味をも、おそらく持っているでしょう。

さらには「ふみ分けて」を「文(ふみ)を乱発してそこら中に送り出す」ととるならば「必要ならば日本の最終兵器である天皇自らの直筆の命令書=宸筆の勅書もばんばん使うぞ」という脅しも含まれていると思います。
勅書を出されたら誰もどうにもできません。
だから上皇が三人に天皇が二人なんていう極限状態のときには「天皇または上皇本人が書いた命令書」をいち早く入手してその権威に従って動くのが戦術上、最高位にありました。ただしそれはもちろん「最終兵器」ですから当然世の中は乱れます。戦争です。

なんかもう「戦乱も辞さず」というかなりな威嚇、脅迫をぶつけているのが「多分公家」というところがコワイですよね。

和歌は二重、三重どころか、もう読もうとしたらどこまでも「深い意味」を読み取れる「仕掛け」に見ているわけです。

現代に生きるわれわれが、後鳥羽や後醍醐に対して有利なのは「実は、より多い言葉のバリエーション」で解釈可能ということです。
「日本語で解釈する」という点においてはギャル語であろうが上方漫才の語彙であろうが「同じ」になる。
もちろん文法的には正確ではないですし、詳しい人の前で言ったらものすごい勢いで訂正を受けて恥をかくと思いますが「そういう見方をするならば」の前提をハッキリさせた上でさらに読み解くと、「おどろ」を「踊ろう」にとったりもできるわけです。
人前で言わなきゃいいんだよwww
自分が読み取った内容はそれで正しい。ただし、前提になる歴史的史実や物証を伴ったリアルな歴史と、私的な真実とは峻別しておく必要が絶対にある、ということがいずれの場合も当然です。
一般的でない真実を言って歩くとキチガイです。
姐さんもここは気をつけるようにしています。
「現在の知識の範囲でもしこれこれが前提であるならば」「A=Bである」というふうに「自分の前提」を明らかにして、論理を構築していくのが正しい科学的態度というものでありましょう。

で、後鳥羽がこれを何歳でどういう環境下で作ったのか、そしてどういう形で人の目に触れるようにしたのか、またどういう形で「後世に残そうとしたのか」とか、前提になるもろもろの付帯条件をつめていくといろいろと「恐ろしい」わけです。

奥山のおどろが下もふみ分けて道ある世とぞ人に知らせむ

後鳥羽がきいいいい!となって戦を起こすきっかけになったのも、ようは「三種の神器なし」で即位した「自分の正当性への深甚な劣等感」まずありきで、権威を高めるためにきいいいいい!とやってまわってえらいことに結局なった、と。そういう背景を含めながら見ていくと怖い歌だぜ、おかみ!となるのではないでしょうか。

「なんで公家に喧嘩売ってるの!?」
「天皇の権威を一番補強すべき、その権威によって立つだけの公卿さんたちにバカにされてたの!?」

という見方になってきます。

後鳥羽が考えていた宇宙最高の真理にして万物を旋回・輪廻・循環せしめる「道」というのは「天皇は絶対」ということただ一事だったのだろうと思います。「そこ」が常に揺らいでいた。
何しろ、なにかあれば「どうせ神器なしで即位したくせに」と絶対言われる。
なにもなくても「どうせおかみは」と日記に書かれる(笑)。
たまったものではありません。
気の毒といえば気の毒です。でも、「やるべきルール」をないがしろにして即位したのは事実です。
そのルールがいいものか、よくないものかは別にして「それまではみんなそのルールに従っていた」「だからエライと思われていた」わけです。
そこをすっ飛ばして「特例だけど崇めろ」というのは「無理」ですわね。
だって「ルールすっとばし」をしていいよ、と勝手な独断を持ち出して強引な主張をした人もかつての天皇、この場合は後鳥羽の即位を強行させた「さきのみかど」である上皇(出家なさった後白河法皇)だったわけですから。
ルールに従ったからエライとしよう、という正統性をすっとばしてそれなしで「崇めよ!称えよ!」と言われましても「えぇ…(ドン引き)」ですね。
変な話です。
あらやだ皇室の話ですよwwww

また、やっかいなことに即位の正当性は抜きにして後鳥羽という人は「ものすごくデキた立派な人」だったんですよね。なんでもできる人だった。実に、なんでも。ちょっと調べると「えーー、こんなにぃ!?」と驚くほどの多芸多才ぶりを示す証拠が山のようにでてきます。
後醍醐もそういう意味では超人的に立派な人ではありました。両者ともにだからこそ困る、という時代でもありました。

後鳥羽にとっての幸いは慈円という透徹した歴史観を持ち、「もっと広く全体」を見渡す悟性と知性を持ち、後醍醐に諫言を試みる勇気と慈愛の心を持ち、そして後醍醐の後に亡くなって、おそらくずっと後醍醐の菩提を願い続けていただろう天才を同時代に持ったことではないでしょうか。最後まで「知るか!フン!」と慈円にはそっぽを向き続けていたようですが。
なんだろう、「そんなにホントのことばっかり言うなクソ坊主!」ってところですかね。

慈円の「世界解釈」の豪快さには度肝を抜かれます。後醍醐のコンプレックスをどうにかしてクリアにさせたくて「神器なしで即位したのは伊勢や八幡も認めているんだから!」「神器である剣がなかったのは武士を雇用して武力があなたに備わっているからだよ!」とか、まあ捻じ曲げる捻じ曲げるwwwwそれで納得できたらみかどなんざやっちゃいねえよと姐さんですらつっこみたくなりますよ。
だけど世界の平和のためには「そう思って自分をおさめる」ほうが絶対によかったはずです。ああ。生きるって難しい。

ほんとに、慈円がいなかったら後醍醐の哀しさはどう報われようもなかったのでは、と思います。とはいえ慈円も「おまえそうとうだな」という人ですけどね。この両者の関係性に定家をプラスすると「ああもう!なんでこういうことを中学生くらいで学校で教えないのかしら!めっちゃおもろいやんけ!」と「興趣豊かな」時代になりますよね。もったいないなあ。

まあ皇室なんてのはゴシップとスキャンダルの集大成でもありますよね。「そういうこと」を重ね、重ねて続いてきた。
その「続いてきた」ことの重み、異様なまでの重みをですね、今一度、過去からさかのぼって逆照射することで「めっちゃすごいわ」という再認識にも至るのはないかと思います。

長い連続体である皇室の、天皇についてどこかの時点で一代、二代をカットしてそこだけ見たら、必ず間違いを犯します。

ひとつの連続体として眺め、「それ」が「日本の歴史」そのものである、という俯瞰をすると、「ことば」と「天皇」と「人の歴史」はめちゃくちゃ面白くなると思います。

奥山のおどろが下もふみ分けて道ある世とぞ人に知らせむ

承元二年五月、住吉歌合にて 「住吉歌合にて、山を」として「山」を詠んだものです。
ちなみに承久の乱の承久三年(1221)の十三年前だそうですよ。

「山」といえば道教とのかねあい、仏教とのかねあいでまたややこしいので、ここでは「山」という高みは「自分、すなわち天皇」でその権威を知らしめることで、ド田舎、シベリア、辺境の地はおろか、あんた方公卿衆にも「道をつける=ことわけて、知らしめる」ぞよ、ということでしょう。

詳しい人はもっと深読みができるはずです。ぜひやっていただいて「ぎゃーー!」と震え上がっていただきたいです。
きっと偉い先生方はもっとガクブルな解釈をなさっているに違いない。不勉強ゆえ紹介はできませんが。



なんかもう「みんなガンバレ」と言いたくなりますよね(笑)。
とうに全員が亡くなってますけども。
懸命に生きた人たちがここにもいる、と思います。

ああ、長くなったので記事を分けましょう。
この記事の冒頭で書いた歌人の歌の記事をもう一個アップします。




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歴代天皇の御製 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/05/26 18:21
コメント
こんばんは。
慈円て、何処かで
と思ったら、四天王寺の52代と54代別当でした。
既にご存知でしたらごめんなさい。
昔は聖徳太子信仰が盛んだったそうで天皇も貴族も四天王寺に訪れていたそうですね。

いつも思いますが姐さん凄い博学ですわ~。
感心致します。

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