御製 平成二十七年 五首より(その3)



三つ目の記事になりました。これまでもつらつらと書いてきましたがこの歌は「深い」です。
「五行」の概念抜きに語れない。

今上の平成二十七年の御製御歌のうち巻頭を飾ったお歌です。

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


以前の記事でこれは皇統が秋篠宮に移ることを宣していると書きました。その根拠を出して解説しました。これ以外の解釈はないと断じて良いと思います。
出てくる言葉の選択、年始のもっとも重要な「歌に託したお気持ち」を「他ならぬこの歌」であらわしたこと。
皇統は男系のみ、そして男子の皇嗣をもうけられなかった兄宮のおうちは、愛子さんの降嫁とともに断絶です。ご両親すなわち現在の春宮様とその妃の死をもってあの家はなくなります。終わりです。
これは「日本の神々が選んだこと」なので、人は従うのほかはない。
もし続けたいのなら離縁なさって若いお嫁さんを(日本人の中からですよ!)選んで入れて皇嗣を作りなおすしかない。無理でしょう。時間がない。

繰り返しになりますが、「女性天皇を」と主張する者はみな黙るべきです。「それは皇統の断絶を意味する」から。まわりくどく親切めかして「女性天皇でもいいじゃない」などと愚かな主張をせずに「天皇さえつぶせば日本はこっちのものだから」と言えばいい。

よろしいか、愛子さんを即位させ、中国首脳部の子息とめあわせる。これで中国は日本と天皇を共有できる。さらに子が生まれたらもう一度、中国首脳部の子息なり子女なりとめあわせて、皇室乗っ取り完了です。
「天皇」はもともと「父親が天皇」かつ「母親も天皇の子」であるべきだったのです。
天皇亡きあと、皇后というのは「つなぎで即位」する可能性があったから、本来は「皇后も、父親が天皇」の女性限定でした。
こういうルールを破るのは、必ず「何らかの目論見あり」の連中です。

わたしはサーヤと眞子内親王殿下は皇統を継ぐ素質アリと見ています。が、たとえこのお二人であったとしても、女性天皇はおかしいと反対票を投じます。なぜか。正当な皇嗣がげんにいるからです。

女性天皇をと叫ぶ者は、おそろしいほどの自家撞着を犯している。そこに気付かないのが「浅い」すなわち「愚かにして乱暴」ということです。

愛子さんを即位させるためにはまず今上と、愛子さんの父君と、愛子さんの叔父である秋篠宮殿下と、愛子さんのいとこである悠仁親王殿下を「何らかの形で」排除しなければなりません。

こんな無意味なことがありますか?

こういう乱暴な主張を平気でするのは、過去の歴史を振り返ってかんがみても「ガイジン」です。「カネに目がくらんだガイジン」です。

おヒゲの殿下こと寛仁親王殿下が生前、いかにお心を痛めて「女性天皇はありえない」と主張なさっていたことでしょう。皇室のスポークスマンとして「父親が天皇の男子のみが即位すべき」と生涯を通じておっしゃっていた。
実際に女性のお子様を持つ父親として、子供には「友達がいっぱいいる、魅力的な女性になれよ」と教育なさり、降嫁する日のことを考えていらっしゃるのみで、即位することなど夢さら考えていらっしゃらない。
なんですか、殿下によればお子様方も「即位だなんて困ります」と「そんな準備をしてこなかった」と困惑のていしきりだったとか。

これまで何の問題もなく続いてきたことを、「根拠なく」捻じ曲げようとするのは「おかしい」です。

日本は、「天皇」と「日本語」を奪われたら大変なことになってしまう。逆にいうと「天皇」と「日本語」を死守できれば、この異様な嵐も乗り越えられる。

わたし自身のスタンスを言うのなら、天皇が高天原から降ろされた神の子孫であるとは思わない。けれども実は「わたしたち全員」が神の直系、神の子孫として、天から降ろされたと「わかって」いる。
天皇が偉いなら、長く続いたその歴史と「おふるまい」によって「続かせてきた」ことが偉いのであろう。
「自分は神の子である、あの太陽の直系子孫である」という自覚に基づく「行い」が尊いだろう。
「先祖に恥じない行いを」という気づきをもたらすその先祖が、三千年近く、文献資料に基づいて少なくとも1,600年以上は続いている。
その積み重ねを「大事なものだ」と思えるから、だからあのようにふるまうのだろう。
その、血と、知と、治とは尊いです。
そしてわれわれ一般人だとて、親が一度も絶えることなく命をつないできてくれた、だからこうして生きている。ならば尊さにおいてはまったく等価で、ただその「質」のみが異なるわけです。
であるならば皆さんもただちの各ご家庭で「皇室と同じほど」先祖を敬い、家族を尊び、神にも等しいふるまいをなさればいい。そこから輝かしい「家の格」というものが生まれてくる。
国民全員が「その自覚」あらば、何の問題も生まれません。

「問題」を起こすのはいつも根なし草です。先祖と断絶している人が、現状を破壊しようと画策する。

歴史に学ぶ、というのはそういうことです。知って、自分の生活の質を高めていく。それがひいては治国平天下につながります。

女性宮家も女性天皇も「不要」です。神をも畏れぬことを言うでない、と切り捨てます。
彼らの主張の「異常さ」の根源をよく見てください。その異常な主張をもってして何を得ようとしているのか。
悪い種からは悪い花しか咲きません。これは速やかに取り去るべきです。


御製に使われている「松」の字を分解すると「八」と「白」になります。
これを、文字を解(ほど)くこととして「解字」といいます。
椿を春の木、楸(ひさぎ、きささげ)を秋の木、柊を冬の木と解釈します。

ちなみに「秋」の「木」ですが、ここでも皆さんはゾッとしなければいけません。

Wikipediaより
ひささぎ

「秋」の「木」は碁盤に使われる。

碁盤

実際の素材はどうあれ、「碁盤に用いられる」という通念が重要です。

親王の御名前と宮号とは天皇が与えるものですから、文仁という御名前と秋篠宮という宮号は「昭和天皇」の命名によります。
次に天皇に即位なさる方は立太子の礼をもって皇太子という御立場に昇られ、それを東宮、春宮とも古くはいいならわしてきました。長男が春ですから次男は秋、これはお畏れながらスペアの義でありつつも、「春が過ぎれば秋になる」という当然自然のめぐりをも意味します。
「春のあとには秋がくる」ことをどうも女性天皇を欲する者はすっかり忘れているらしい。

そして他ならぬ「秋」がこの御製でも使われている。

ここで皆さんにはなじみがあるようでない「五行」の話を持ち出さなければなりません。
これは中国伝来の思想で、春秋戦国の時代に一応の完成を見たとされる「世界の解釈の仕方」です。
日本には陰陽、五行、この重要なツールが早くから入ってきました。
陰陽は世界生成の説明概念、理念であり、五行は万物を五個のグループにマッピングし、それぞれの力関係で世界を見ていく実用ツール。
暦中の「一週間」は火水木金土に、月と日を足したもので五行からきています。
お互いがお互いを順次生み出し補強生成していく相生と、お互いがお互いをそこない威力で従えていく相剋と二種類のリレーが考え出され理論化されています。
この順送りに対するにさらに三点で五行をみていく三合・三支もありますが、それらの説明は長くなりすぎるので別にします。

五行では秋は白、北原白秋という名前もここからとられています。

松の異名は秦の始皇帝の故事による「五太夫」や、松の字を偏とつくりに分けて十と八と公に解字した「十八公」などがあります。
先にあげたのは公を古字の八の下に白で公としたもので、そのまま「八白(はっぱく)」とよむことができるので、松は「八白の木」となります。
この、九星からきた「八白土星」に配当した結果の読み解きもまた長くなるので別建てで解説します。
ここでは「そういう考え方もある」ということにとどめてください。

古代の中国人たちは、身の回りのものを家族に置き換えるのが好きで得意だったのです。
なんでも整然と配置させて、実にスッキリした「理論で固める」世界観です。
これは、戦乱の世の中で何かによりすがりたい心理、よって立つべき支柱を欲する傾きを思えば当然です。
生きるか死ぬかのときに漠然とした実態のない理念ではなくて、ばしっと白黒つけられる「根拠」が欲しくなる。そのような時代を潜り抜けて「たしかに効果的である」という「人体実験」を経ての「技術」がこれらです。

同じように数字を操るカバラと一番違うのは、陰陽五行というものは「自然界の事物」も当たり前のよう配列されていて、人間はそれらのグループの中の構成要素のひとつである、とちゃんとわかった上での説明概念だということです。
カバラのように「神・人間・それ以外」でざっくり分けすぎて説明ができず、後から後から「足し込み」を行うような粗雑なモノではありません。

どうもアジアと違って西欧列強というのは、味覚でいえば「塩、コショウ(それも外国からのぶんどり品!)、ハーブ」くらいでいけません。アメリカにいたっては「塩・コショウ・ケチャップ・マスタード、以上!」くらいの粗雑さです。

日本のように「おだし」にすら昆布、シイタケ、カツオブシ、なまりぶし、酒、みりん、などなどが使われて昆布ならこの料理にはこの産地、というような精細緻密な「細かい目盛り」が「ない」国はやることが粗っぽくていけません。

世界をどのように感知するか、その目盛りが細かければ細かいほど、環境を害する行為はできなくなる。
今の中共のように、自らが吸う風、飲む水、食べる品々を産出する大地を穢し壊し傷めまくって日本に触手を伸ばそうなどという「雑すぎる世界観」では滅亡するにきまっている。

この繊細さあればこその「自然との共存共栄」「神々こみの世界解釈」が成立する。

真のエコロジーとは「土地の霊、土地の神」なしには成り立ちません。
わたしたちは「神的なもの」と触れ合う機会を奪われた。
「人間至上主義」という完全に間違った嘘の世界観を叩きこまれて、自分の内なる大自然と接触することを否まれている。
だから万人が最初から備えている「尊いものを畏れはばかる」気持ちは聖なるものと対峙したとき、初めて機能するほどに堕落している。堕落です。
でも太陽を見て感動できる心の仕組みをわれわれは持っている。生まれながらに大自然を尊いなあと感得できる能力を持っている。それを発動させてこその「日本」でありましょう。

本来性を取り戻す。そのためのいいお手本が特異でありながら普遍を備えた「皇室」でありましょう。

さて五行では白は「秋」にグルーピングされますから、ここでいう松は秋のものです。

八白の象徴は「継ぎ目(跡継ぎ)、相続、少男、家、山」ですから、陛下は確実に「家を継ぐ者=次代の天皇」という意味で「松」を用いているはずです。

また、上記の親王殿下に必須の儀式においては「若松」を手にします。
松は奈良から平安にかけて「家の存続」「後嗣」を意味し、尊い縁起物でもありました。
日歴にいう「子日(ねのひ)」の行事は正月に野山に遊んで若菜を積み、「小松をひいて」根引きした松を持ち帰るというもので、五行でいう「少男」を意味する「小松」を屋外から家中にとりこむことで「跡継ぎ」である男子を呼び込む呪術です。

他に正月に飾る門松も五行で読み解くと意味が簡単にすんなり通ります。

天皇陛下はとにかく「日本で一番天皇に詳しい」はずの方ですから、宮中の行事、ことに年頭の正月行事のいくばくかは当然ご存知であらせられるはずです。こんなクソブロガーが一生かかっても願いをかなえられることのない、皇室伝中の宝物をどれほどにでも見ること知ること学ぶことができるお立場です。

ああ姐さんが雅子さんの立場なら皇室御文庫をかたっぱしから見せていただくのに!!それこそ泣きながら震えながら拝見して、それから望む学者に門戸を開き、もちろん厳重な監視付きですけど、複写ならびに研究成果が世に出回るように努めます。
「汚損すんじゃないわよ!」と鬼のような顔で院生さんとかのふるまいを凝視し続けるんだろうなあ。
「和紙に墨!もちろん松の墨よ!」とげきを飛ばして・・・嗚呼。嗚呼。
なんともったいないことか。

買えばいくらでもある変なスーツやサイズがあわないパンプスやでけぇブランド物の「海外のアクセサリー、バッグ」に血道をあげることなんかよりもっと貴重でもっと尊い「本物のお宝」が山のようにあるのになあ。

というか、宮内庁の関係部門は「皇室の紙史料」が「中韓に流れていないか」チェックしたほうがいいでしょう。
「現物」「原典」「オリジナル」はもとより筆写本も含めて「なくなっていない」ことを随時確認すべきです。

プーチンが、昭和天皇即位の際に使用された宝剣を日本にあらためて贈ってくれたことがありました。「このような異常事態」を看過すべきではありません。
誰がどこから流したか、プーチンは出所を知っています。絶対に。
その上で「あえて」「そういうこと」をするのですよロシアって国は。
「お宅の一番のお大事=天皇周辺はこんなことになってるよね」って脅しですよね。
姐さんは「やられた」と頭を抱えました。
やられたもこられたも何も、外交に関われない最底辺の身分ですから、こうしてクソブロガーとして「やられた!となぜ宮内庁は青くならない!窃盗やんけ!あいつだろ!」と吠えるくらいしかできないですが。

明治維新で天皇をはじめ皇族方、公家たち、御用商人、武家たちがいっせいに東京に「あずまくだり」をしたときに廃れた行事、あえて明治天皇が「簡略化」した中にも無数の「五行に準拠した行事」がありました。
逆に京都に残った冷泉家に伝わっている季節ごとの行事のほとんどが五行で読み解ける意味とスタイルと内容を持っています。

先年、今上も冷泉家に御幸あそばされましたが、皇室でもっとも保全すべきであった、時期に応じた「おふるまい」である宮中祭事の保全と維持をもと、公家のおうちがなさっている。実に尊いことだと思います。

皇室で廃れたについてはみんな貧乏が悪いんや、と霊元上皇さんならおっしゃるでしょうか?
霊元さんと徳川の「予算くれくれ合戦」もすさまじいですよね。もう本当に好きですこの天皇。

逆に歴代天皇中、もっとも嫌いなのは聖武ですね。外国の宗教かぶれもはなはだしい。姐さんは聖武に親でも殺されたのかという勢いで嫌いです。知れば知るほど大嫌い。この嫁もイヤ。何が光明だよふざけんなと不敬もいいところです。
この「すばらしいお妃キャンペーン」の悪臭のすさまじさ。
藤原の出だからこそアッゲアゲに忙しい。
皇妃に位置すべき資格などない者が親の権勢と金力でねじこみやがってといまだに腹を立てています。

そういえば現東宮も弟宮も、妹君も、華族の皆さんからは「母親が平民」ということでひどい扱いを受けたとか。
お三人とも口を黙しておっしゃいませんが、宮中での「差別」は「あった」と仄聞しております。

兄宮様は、生母が美智子様、妹君がサーヤ、義理の妹が紀子様と、「日本一の女性」がお三方も身近にいらっしゃったのに「この下はなし」というトンデモを引き当ててしまったのが「まわりが素晴らしすぎてまさかコウイウモノがいようとは!」だったのか「まわりの素晴らしさをとんとよくご理解あそばされていなかった」のか、さて、どちらでしょうか。

結婚すれば何もかもバラ色ビューチフルとまさか思われていたわけではありますまいが、皇后陛下やサーヤや秋篠宮妃紀子殿下がどれほどの努力と誠意と不屈の決意でことにあたっていらっしゃったか「ニブチン」でわからなかったとは思いたくはありません。

ただ「母が苦労しているのを見たことがありません」とおっしゃる御仁ですからなぁ。これには腰が抜けるほど驚きました。おまえのカーチャン、生き地獄!とはやし立てたくもなりますよ。このひとことだけは今でも胸倉をつかんで「どういうつもりじゃおんどりゃあ!」と叫びたい気持ちでいっぱいです。
美智子様、これにはさすがにがっかりしたのでは・・・わかりませんが。

と嘆きも出ようものですが、ド平民の自分からして「父親が天皇ではない女性」と結婚した今上には、しかしそれをもってして何らかの責めを負わせたりということは断じてないです。ひとことで申し上げるなら「でかした」でございますわね。

今上の「お言葉」に皇后陛下と共に公務を行った、と触れてある。この一言をもって美智子様の地上の栄誉は頂点にあり、余人は知らずわたくしめはさもありならんと涙をぬぐうものであります。

いろいろな方が足並みをそろえて突然の皇后陛下バッシングを始め、それは今でも続いており、わたしは以前に「自ら皇室に仇成すもの、この先の日本にはいらないものだと、自己証明をなさるのはやめたほうがよござんす」と警告しました。
わたしは人間には二度まで警告します。
その先は自己責任の世界です。

彼ら、彼女らが執拗に皇后陛下を攻撃するのは皇后陛下は「天皇陛下にとってもっとも大切なご家族」だからでしょうね。
天皇の役割は「男子の後嗣を残すこと」です。それが一番重要です。
そのための努力を陛下は行い、皇后陛下もよく応じてくださった。
立派な後嗣、「父親が天皇の男子」を二人ももうけてくださった。

それのみならず、平成に入ってからの御公務に常によりそわれ、ずっと歩みを同じくされた。それこそがイレギュラーであり時代に即した新しい天皇のありようであったわけですし、それはあるていど「成功」したと思います。

御製に含まれている意味は、何重にも読み取れます。

ここでは日本古来の呪術であった「松を使った子孫繁栄、跡継ぎアリの皇室の繁栄」をも含み、その松は「秋に属する」ということの再宣言。
さらには、「くろまつ」という指定の意味として、藤原氏に対する皇室、を忘れてはいけません。
藤原氏はご存知の通り、専横を主にした皇室乗っ取りの代名詞、どちらかというと皇室しなだれかかりで、我が女(むすめ)を入内させ生まれた皇嗣を皇位につけて我が世の春よと金満ぶりを天下にさらし、「藤原氏どうしの抗争」でついには弱体化していった人たちです。

皇室は不思議な場所、不思議な立ち位置を常にキープしています、それが蘇我であろうが藤原であろうが足利であろうが織田であろうが豊臣であろうが徳川であろうが、すべての「権力者」の血を入れながら「皇室」として揺らぐことなく今に残る唯一のおうちです。

「権威」が前提の唯一のおうちです、と言い換えたほうが正確ですね。

「権力」がどのように変わろうと皇室に変わる「権威」はない。

藤原氏の藤=つる性植物に対して皇室は「松」、常緑樹の高木です。高木は皇室の祖霊、先祖、皇祖神が宿る場所、ひいては皇祖神そのものです。

松は倒れない、藤が枯れても。

藤は女花(おんなばな)、松は「男木(おとこぎ)」。

いくら「よそさん」から嫁が入ろうと、皇統は「父親が天皇の男子」によってつながれていく。

「藤原氏」的なるものがいくら皇統の簒奪を狙おうとも、「くろ」=「玄」=根源からの根を持つ「松」は、それらからは屹立してよく時の非情な流れに抗し、後嗣をもうけ続けていくのである。

これは今上からの「皇統は秋篠宮に続き、皇室は永遠に続いていく」という宣戦布告、聖勅であります。

「ここまで」読み解いて本意です。それでもまだ「浅い」んです。うわっつらしか見ていない。

「日本語のスペシャリスト」にして「最高権威」である天皇の言葉を、われわれは軽く見過ぎているのではないか。
その自戒と反省をこめて、もう一度繰り返します。

これは今上からの「皇統は秋篠宮に続き、皇室は永遠に続いていく」という宣戦布告、聖勅であります。







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今上の御製 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2017/05/29 17:07
コメント
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非公開コメントのSさんへ
コメントありがとうございます。

今上のお言葉は簡単にまとめると
「天皇は死ぬまで天皇」「それが重病人でも未成年でも」
「公務の配分を考えてほしい、公務は受け身なんだから好き嫌いでえりごのみできないです」
「公務は皇后と共に行ってきた」
だけだと思います。

譲位のご意向はないですよね。
それをまあ揃いも揃って女性宮家だの生前退位だの、日本語ではないでっちあげの造語で騒いで。

んー、大姫様のアレはわたしには真実とは思えません。公式発表を待ちましょう。
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Re: 意地悪でしょうか
非公開コメントのTさんへ

コメントありがとうございます。
日光は今上が旅行で訪れて現東宮を授かった場所として有名ですよね。訪れたお寺さんはそれを大々的に売りにしてはいないようですが、口こみで子宝祈願の女性たちが多く参拝なさったそうですよ。昔の情報ですので今は売りにしているかもしれません、わかりません。
(調べないのがひどいww)

土地の記憶って、上書きできるものと絶対できないものとがあり、天皇による国見は上書き可能なトコロは全部する、という暴力的なものではなく、あくまでも「その土地」を保全しながら「ちょっと上乗せさせてもらいますね」なんですよね。
納税させるために勝者側の言葉は強制しますけど、土地の神、土地の風習、土地の記憶は奪わない。これは「うまくいく」たったひとつの方法です。
土地の記憶を奪おうとするならば全滅させるしかありません。皇室はそこまではいかずに「記憶には残すけど実権は与えない」手段を取り続けた。
記紀をまとめたあたりはこのいやらしさ全開で名前は残してあげるけど、線引きのそっちに永遠にいろよな、という態度濃厚です。名前を残されなかったほうがいいくらいのレッテル張り。

徳川が日光を牛耳った理由とかも面白いのでぜひ土地の利を活用なさってお調べいただくのはいかがでしょうか。
わたしが知っていることはよそさんの知識なので、実は意外に、ということもありますからw

ひとつアドバイスというかよけいなおせっかいがあります。わたしが採用している手段なんですが、自分の生まれ年でものごとをみていくのです。そのとき各地で何が起こったか。その十年前、百年前は?というように、自分が生まれるに至るまでの出来事の流れを見る癖がつくと、どの時代でも単発的な事象はなくて、すべてが有機的につながっているのだなとわかってきます。

日光百年史、三百年史、千年史、ご自分がまとめるようなおつもりで自分に関係がありそうなことをランダムに見ていくといずれおおっということがあるかもしれないです。

ちなみに青森とは無関係ですか?東北の流れも入っていないでしょうかTさんのおうち。
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Re: ありがとうございます
非公開コメントのTさんへ

コメントありがとうございます。

昭和38年3月22日に皇后陛下が中絶処置の手術を受けられます。同年3月4日に御懐妊の発表があったばかりだったのですが陛下の衰弱が激しく母体が危険ということでこの処置になりました。
その後もやせ細ったまま御公務を果たされて、10月に奥日光に天皇陛下と赴かれます。学習院の光徳小屋というところにお揃いでしのばれました。
その一年後に御懐妊、これが弟宮様の礼宮様でいらっしゃいます。
なので、にーちゃんではなく弟様のほう(この扱いの差はどうですか)の子宝、安産にあやかってということです。

皇后陛下は現皇太子の前にもおひとり、弟宮様の前にもおひとり、流産でお子様を亡くされています。非常な悲しみと、母体への過剰な負担の中での三宮様方の出産、育児、教育を果たされた稀有なお方だということです。

あなた様が、さびれている、あるいは荒れていると感じたところに、間をおいてお運びになり、その場所を力づけてくださると日本のためにも良い結果になってきます。
ぜひ何も知らないご家族、友人、後輩などを巻き添えになさってですね(笑)「いいとこがあるから行きましょ~」と人気(じんき)を運んでいただきたいです。

参拝すると、一番程度が低い者にあわせて神様から取り扱われますので注意が必要です。犬連れだと「犬のレベル」で扱われます。
ひとり(他に誰がいてもいいのです、同行者がいないという意味です)のときはガッツポーズ出しながら神よにぎわえ、大地よさきわえ、サンキューサンキューと祈ってください。

あなたが故郷となさっている場所よりもわたしが名前を出したところの筋が強いみたいです。亡くなった名産を送ってくれた方のこともしのびながらぜひ「日の光」をにぎやかにしてほしいですよ。

なお、相性がありますので、実際に参拝してからっと明るく落ち着けて幸せな気持ちになれるところから取り掛かっていただけるといいのかなと思います。
よろぴくだよ~☆
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