「チプコ」って知ってる?

あたしたちは幸せよ。たかがスポーツ、たかがフィギュアスケートのことでこれだけの時間と労力と心を割いて「どうにか改善されてほしい」と動いていたって、殺されるところまではいかないわ。

だけど、「他を守るため」に殺されていった人もいる。

みんな、「チプコ」って知ってる?

詳細はググるといいわ。たくさんの情報がネットにはあふれている。

チプコってのは「木に抱きつく」運動よ。

現地の人の意向や生活スタイルを無視して勝手にはじめられた森林伐採に反対して、今まさに切られようとしている樹木に体を縛り、抗議して殺されていった人がたくさんいるの。

考えられる? 木ごと生きた人間を切り倒すのよ。

あたしはいつもこういう惨事を忘れることができないのね。知れば知るほど人の世ってのはおかしいことばっかりだわ。

みんな幸せになりたい、元気に明るく楽しく生きたい、ただそれだけを想っているはずなのにどうしてこんなに辛いのかしら?

病んでいても苦しんでいても「それでも」幸せに生きる道はないのかしら?といつも思うわ。

海外では家を出てただ学校へ行くだけのことが非常に困難な場所もある。ミキムチがカイガイーはーと言うときに「俺様ルールを無条件に受け入れて何も努力しないこのままの自分のすべてを賞賛してくれる場所」なんてどこにもないわ。

日本がずっと追いつけ追い越せでやってきたアメリカだって日本以上の想像を絶する凄まじい人種差別、経済格差、ずっと深刻になり続けている。外国を侵略することで国内政策への不満をそらすという点では北朝鮮と同じことよ。ロシアもそうだわ。アメリカはなまじでかい国だけにとんでもない惨劇が引き起こされる。

戦争をしていいことなんかひとつもないわ。戦争をしかけた側も被害が出るわ。ベトナム戦争の後遺症で苦しむ人は今もいるのよ。攻められたほうの苦痛と損害は言うに及ばず。

日本もかつては暴力によって国土の拡大拡充をめざしていた。そしてより大きな暴力の前に屈して、今のあたしたちの暮らしがある。

チプコの運動をしている人は、ただ普通に暮らしていきたかっただけなのよ。そして古くからの友人であり自分が生まれる前からそこで幸せに生きていた樹木が殺されることに耐えられなかった。だから守ろうと立ち上がった。
その思いも活動もほとんど知られることはなく、事実そのものすらも謀殺されかかっていたけれど、心ある海外勢が事実を訴え、世に問うた。だからあたしも知ることができた。

インド人なんかどうでもいい、死んだっていい、カネさえ手に入ればいい、自分さえよければいいって人の動きでふみじじられた生活は、いったいどうすれば報われるの?この「あがない」はどうしたらできるのかしら。

起きてしまったことは覆せない。取り返しのつかないことってこの世には本当にたくさんあるわ。

でもそれらから学ぶこと、事実を知り、驚きを覚え、それを考え、そして誰かのために動いていくことは決して無駄なことではないわ。ひとつでもいい、自分にも何かができると信じて、そして実際にはたらくことは、世界を大きく変えていくわ。

より明るく幸福な未来へと。

「まことのさいわい」って何なのかしら? 全人類がそれを考えるべき時期にきているのよ。それは常に常に必ず求められている決意なの。人の心が行為を決めて、人の思いが現実を変える。だからこそ「何を目指すのか」の洗い出しは必要だし、自分で考えて動くことがとても大切。

洗脳や依存というお手軽な逃げ道に甘んじて生きるには、あたしたちの命はあまりに短い。

たったの百年。あなたは今何歳になったの。桜が咲く春をあと何回見られるの?夏の花火は?秋の紅葉は?冬のスケート観戦は?

あとどれくらい「あたしはこう思う」と人に伝えていけるのかしら。



前に山本太郎の記事のところでコメントにつけたんけれど、民主主義というのは「数の暴力」でもあるの。多数決を取る限り、少数意見は常に必ず無視される。たとえ数が1だとしても、異なる意見が「ある」以上は、本当は多数決ではなく相互の歩み寄りによる対話が解決の手段なのに、それはあっさりと無視される。
そうしないと機能しないいろいろなことが多すぎるから採用されているにすぎないのよ。

かといって独裁政権ではもっともっとたちが悪いわ。異なる意見が「ある」ことすらなかったことにされるからね。

健全な社会というのは、誰が何を言ってもいい、という前提のもとにしか成り立たない。

けれども「他人が何かを言う権利」を保証するのと同時に「言ったことに対する責任は最後までそいつに取らせる」こともセットで考えなければいけないわ。それがないと、ただの無知のケモノの段階で終わってしまう。

自分さえよければいい人はカネや地位に固執する。なぜなら真贋を見極める目がないからよ。死ぬときには何も持ってはいけないわ。生きてきたときに蓄えた記憶のすべてと自分がやってきたことに対する「本当の評価」と直面することになる。そのときカネも地位も名誉も一切が盾にはならない。

絶対者と自分との一対一の対話の場で、それに耐えられない人が、・・・またこの世に舞い戻る。後悔の光がさして、地上への道へと人を導く。

あたしたちはいつまでこの繰り返しをしていればいいのかしら。いつになったら「悔いはない」と言い切って次のステージに行けるのかしら。

地球はすばらしい星よ。唯一無二の存在だわ。こういう場所はどこにもないわ。本当に奇跡の連続で生まれた場所よ。だからこそ、「来たときよりも美しく」できるといいわね。せめて自分の心だけでも。

日本は今、二極化が進んでいるわ。人のことを考え、なんとか手を貸し、助け合って生きていこうというまわりを見る余裕がある人と、そうではなくて自分さえよければいい、自分さえ無事ならあとのことはどうでもいい、と考える人たちね。

その二極化をあたしたちはさまざまな分野で目にしていると思うわ。

人の共感を得て賛意を集め、人を力づけるものって何かしら?

やはりあたしは「真実」と「熱意」だと思う。

その土台の上に立つからこそ、人の心を動かして説得できる根拠になる。

情けは人のためならず、己のためになせばなり、って言うわよね。相手のためを思ってすることが、結局はまわりまわって自分が生きる社会全体のためになる。これって自分にいいことが返されるかもしれないから助けておこうという偽善じゃないの。人を助けることは自分を助けることになる、それだけで嬉しい、よかった、と、既に報酬は支払われたの。結果についても相手任せよ。損か得かで勘定したら動かないほうがよほどいい。だけどやむにやまれず動くのならば、やはりそこには真情が含まれて現実を大きく変えていくことになる。

スケートの結果について一喜一憂できていることは、とても幸運なことよ。不正採点に苦しむということは、とても贅沢な苦しみよ。
あたしたちはそれを忘れてはならないわね。

そしてフィギュアスケートの不正を生んだ腐った温床を絶つことは、チプコ運動を続けている皆さんのように世界で苦しむ人々を間接的に助けることになると思う。

カネで買ってはいけないのだと意見を言うこと。名誉は買わせない、ダメだ、と声を上げること。

それは世界を平和にする大きな運動のひとつになるわ。札束があれば人類の平和の採点を腐敗させてもいい、という認識は間違っている。

あたしは切り倒された木の1本1本がみんな、過去のスケーターに見えて仕方がないの。

ニセメダリストが盗まなければ得られたはずの名誉とメダル、あいつさえいなければまだ選手を続けていたかもしれない子たち、自分にも国家にも名誉と敬意をもたらすはずの尊いメダルを持ち帰れなかった失意。

親も家族も恋人も、友達もみんなで祝福して喜んでくれたはずの「メダル」。

盗まれたメダル。奪われたメダル。その悲しみを誰があがなってあげられるの。誰が理解しいたわってあげられるの。

取り返しのつかないことを、キム・ヨナ陣営はし続けている。

もうこれ以上罪を重ねさせてはならないわ。人類に対する犯罪を、見過ごしていてはいけないわ。

不正は、たださなければいけないわ。キム・ヨナ陣営は間違っている。

あたしの言葉では弱いというなら、ローリー・ニコルが言ったことをぜひ思い出してほしいわね。

真央の演技を見ることは、世界を平和にすることだってはっきりと言っているわ。

あたしもその通りだと思うし、その努力と情熱にふさわしい結果がもたらされて当然だと思っているわ。

皆さんはずっと見てきたわよね? キム・ヨナがどれほど薄汚い根性でリンクマナーも何もなく、フィギュアスケートの美と輝きを食い荒らし続けてきたのかを。

あいつらがしていることはスポーツでもなんでもないわ。ただの金儲けなのよ。ただの営利目的の不正なのよ。

もうやめさせなければいけないわ。

人を殺すのも人間、人を救うのも人間。人類は果たして次の冬季五輪では何を選択するのかしら。

人類は美と華を理解し、スポーツとは何かを理解しているのだと、はっきりと証明できるのかしら。

とても興味深く見ているわ。

そして自分にできることを続けるわ。キム・ヨナ陣営は、異常だと言い続けるわ。



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日本人として生きるということ | コメント(6) | トラックバック(0) | 2013/11/03 05:10
コメント
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姐さん、ありがとう
姐さん、いつも色々な事に気づかせて下さってありがとうございます。
真央ちゃんを応援できる事に感謝。
不正採点に苦しむことだって、本当に贅沢な苦しみなのですね。

真央ちゃんの幸せを神様に願いつつ、悪の根源を滅ぼすため、今日も頑張っていこうと思います。

姐さんのブログ、いつも朝起きてから拝見しでます。
そして、「よし、今日も自分に出来ることをがんばろう」って読み終わった後には、そんな気持ちが自然とわいてきます。

姐さん、このブログを運営してくださるにあたり、大変な時間と労力を割いてくださってありがとうございます。姐さんの思いを、しっかり受け止め、一緒に走りぬきます。

最後に

「キムチコノヤロー ふざけんな、汚ねー手でメダルに触んなバカヤロー。(怒)」
汚言失礼いたしました・・・。
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そのとおり
姐さん、こんばんは。おっしゃるとおりだと思います。
いつになったらこんなことは終わるのでしょうかね・・・
わざわざ悪い方向に何故もっていくんでしょうね・・・
自分で自分を貶めている事に人間っていつ気がつくんでしょうね・・・

今日は会津・山都の宮古のお蕎麦を食べに福島県へ。
去年の新蕎麦の季節は風評?なのかお客さんたちが少なかったように感じましたが、今年は近県、関東からのナンバーもたくさん。優しい人たちがたくさんいらしてみんなで美味しいお蕎麦を頂きました。
福島県頑張っています。
道すがら、小さな小さな商店に大判焼きの旗が。
寿老人のような?御伽噺から出てきたような可愛いとは失礼ですが可愛い神様のようなおじいさんが大判焼きを焼いてらして。美味しい美味しい大判焼きでした。なんて有り難いのだろうと。
私はこんな風なお年寄りが安心して暮らせる日本がずっとずっと続く事を願って止みません。

今何が大切なのかしっかり考えて、自分の魂に恥じない生き方をしてゆく所存でございます。
ありがとうございます
あ~~~、またまた泣ける記事を本当にありがとうございます。

私の友人で震災直後から、ず~~っと脱原発運動をしている人がいます。
私自身は、自分の生活とか、とにかく自分のことでアップアップの状態でしたので
脱原発運動を続けている友人のことを、心から尊敬しています。

ただ、先日、KYの不正の話をした時に
『〇〇は、幸せだよね!』
『支配階級が世界を破壊し続けていることに私が怒っているのと
同じように怒っているのでしょうか?』というようなことを言われました。

自分自身の心の中では、『そうよ、そうよ、根っこは同じなのよ!!』と思っているのに、
自分の気持ちを上手く相手に伝えることが出来ない自分に対する腹立たしさ、

自分のひがみかも?しれないけども
『私のしていることの方が、ずっとずっと大変なことで、尊いことなのよ』
と言われたような気がして、落ち込んでいました。

でも、姐さんのこの記事を読んで、
『やはり、全ては繋がっている』と思いました。

本当にありがとうございました。

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