おすすめの本『神道とは何か』伊藤聡/中央公論新社

とにかくエキサイティングな内容だったわ。

『神道とは何か』伊藤聡/中央公論新社



いやー面白かった。今度から神道についておすすめの本はありますか、と聞かれたときに「学術的に知りたいのならコレが一番だと思うわよ!」と答えることにするわ。さっとん、やるわね!

感想と、姐さん的神道の見解よ。まあ思い出話みたいなものかしら。
興味がない人はスルーしてね。

ものすごく詳しく詳しくそして大きな枠組みで神道をがっつり分析なさっている方よ。
これだけ詳述なさった後で「ではこのさっとんこと伊藤聡先生ご自身は一体何を信じているのか」ってところだけはぜひ知りたいと思ったわ(笑)。

ウチのことも出てたわよ~索引になかったから何なのよちょっと!と思っていたらありました。そうよね、避けて通れないへんてこりんな神様だものね!そういう扱いよね!と笑ったわ。

あたしは日本人に続けて数回生まれているのね。それまでの人生でアフリカと韓国には無縁だったわ。

人間の脳って左右に分かれているでしょう?脳梁っていう橋で接続される前の構造をしていたときはちょっと奇妙なライフだったのよ、全員が。つまりは右半身と左半身の連携の問題と、直観と思考の分裂の問題よね。

「神の声」ってなモノをよく感知していたのは、脳の分断とも関係がある。自分で思ったこと、感じたことを脳が言語化する前の処理の段階で聞こえるものにしてしまったり、感じたことを脳の検閲を通さないで言語化してしまったり、ってことがあったのよ。

それが逆に芸術的な感性を論理が阻害することなくダイレクトに表に出せる、というメリットになって美しい芸術作品、今の人間の感性では生み出せないような自由奔放な作品として残すということができたのね。

踊りもそうよ。思った=踊った、っていう間に「判断」をはさまない動きだから、人間が生まれてくるときに必ず通過する「生物の歴史」の全体像を動きに変換して表現できたの。

ジャッキー・チェンに「酔拳」という映画があって、その中でこのヒーローは泥酔した上で動物の真似、動物の動きをかたどった拳法で戦っていたでしょう?
あれも基礎的トレーニングで体にたたきこんだ「型」をいかに倫理や自制や理性の検閲に阻害させずにダイレクトに表出させるかという戦術よね。

余談になるけど酔っ払いが悪い言葉を連発したり誰かを殴ることがあるのだけれど、酔ったときが本性だから、しらふに戻って謝罪したり記者会見で泣いて見せるほうが嘘なのね。
だから酒が原因のトラブルは、同じだけ酔わせた上で謝罪させたり罰を与えるべきだと思うわ。その状態が本音なんだものw

脳梁がきちんとできて生まれてくる子供の誰にもそれが完備されたときに、芸術形態、特に絵画と舞踊、歌唱の手法と評価がガラリと変わったはずなんだけど、けっこう前で今から1万年ちょっと以前の話だから検証は難しいかもね。脳ってすぐ腐って消えるから。高たんぱく、やわやわでもろいから。

このへん、ちゃんとした脳科学者の偉い人にいつか質問してみたいわね。はぁ?って言われないといいんだけどさ。


この、1万年ちょい前、ってのがキモなのよ。あたしがよく人類2万年の記憶と書くのはそのあたりの記憶からあたしの人生が始まっているからなの。
それより前の人間ではない生命体だったころの話になるとさすがに眉唾すぎるから言わないけどね。
当時の降り注ぐ太陽光線の組成の違い、すなわち地球大気の組成の違い、だとか、植物相や気温、海の状態なんかを言えばちゃんとした地球物理科学者とか地質学者は納得してくれると思うけど。

人間ではなかった時代の「記憶」って、じゃあドコに格納されていて、どうして今(とりあえずは)人間型のあたしの脳でそれにアクセスできるのよ?って思わない?

あたしの探求ってこの「形のないはずの場所に保存されている記憶」と「それへのアクセス方法」と「アクセス後の処理」がきっかけだったのかもしれない。

変な子供よね。ほんとに。

生まれた家がけっこうデカくて、座敷がいくつかあったのよ。そこの一番奥の通称奥座敷にいつも座っている人たちはなんなのよ、ってところから疑問を感じてそれにアクセスするようになり、「世間一般では存在しないことになっているモノ」との交流を通じて「じゃあソレがわかる自分ってナニ???」と思い始めたのが六歳のときだった。

あたしそのとき暴漢に誘拐されかけたのね。そしてまあ結局は無事だったんだけど、そのときの両親の態度を見て「まあなんて情けないんでしょ、あたしはしっかり生きなくちゃ!」ってふた親に見切りをつけたんだわ。

生きた人間のあまりの役立たなさとかも見てしまったし、普段から一緒にいたモノたちの情報収集・分析能力にほれぼれして、だけど現実世界に作用するにはいろんな段階を踏まなきゃなのね、とか、「思ったこと」即「実行されること」に目盛りをセッティングしてしまうといろんなひずみが起こるのね、とか、あのたった一度の経験ですごくいろいろを学んだわ。

結局何事もなかったんだけど、人生初めての試練であたしは自分がみかけ通りのコドモじゃないんだ、って自覚を持ったの。

これあんまり人に話したことがないのよ。そんな機会もなかったし。

で、そのときに見えたさまざまな存在たちと、それが把握できる自分とは何か、があたしの半生のテーマだったの。途中からテーマは変わったけどね。若い頃はよくやるじゃない、自分探しってやつかしら。


人間ってさ、よく神社に行ってごにょごにょっと拝むじゃない?
そのときに相手の神社に「何がいるのか」「自分は何を拝むのか」をろくに知らなくても平気で参拝するじゃない?自分の筋が何なのか、とか何も考えないで「神様~」ってさ。

あたし最近すごく思うの。この「平然と」が大事なのよね。



今回紹介した本を読んだら日本人のスピ関係の人は9割以上がやーめた!とならなきゃ嘘だと思うんだけど、この本の身もフタもなさときたら壮絶よ。あっぱれバラリンズンとぶっ書いて「日本人の信仰」を徹底解剖しているわ。
しかも非常に正確に。多岐にわたって事実に即して。

歴史的に見れば伊勢を中心としたいわゆる国家神道はつい最近できたものだし、皇室の祖霊、祖神を祀る伊勢神宮は言ってみればよそのおうちの家神様よね。でも、<日本人>すべてが<太陽神>の子孫であるなら、別におかしいことじゃない。それにお伊勢様は確かに世界有数の(最強の、って書くと反論が出そうだからやめとくわw)とんでもない場所だしね。行くのは十分意味があるのよ。

あたしは、自分の家の筋の存在のエージェントにはならず、こうして野良、野生の電波としてひっそりおとなしく生きてるんだけど、自分じゃ望みもしないのに必ずむこうからアクセスがあっていいようにこき使われているのね。

フィギュアスケートのことでわぁわぁ騒いでいることだって、本当は人界よりは遠い場所で既に全部仕組まれているんだと思う。いろいろあって、家の筋の存在にうまいこと配置されて使役されてるだけなんだってわかったわ。

下っ端だから言われたら動かなきゃいけないの。へいこらなのよ。それがまた悔しいけれど自分の生きる喜びでもあるわけで、うまいことできてるわ。本当にうまいことできてるわ。

そしてあたしに与えられた権能というのは、結局は他者に寄せる「心」だけだってわかったの。

あたしは、中学生くらいのときに、あるご家庭の全員の筋を読み解いてもつれた感情の糸をほぐすということをしたことがあるの。そのときに命の糸が何かの意図で配置されていて、それぞれの命が何をめざすかで図柄が変わるんだってわかったのね。

自然界のすべての存在が相関作用で機能していて、地球というひとつの命はそれだけで完全な「心」のままに今日も生きて動いている、それはあらかじめわかっていた。
でもその美しい輝く世界の中で、どうして人間だけがわざわざ苦しみを作り出し、糸をもつれさせて悲しむのか、そのときまでどうしてもわからなかった。

糸なのね。命の糸が無数に交錯していって、ものすごい密度でものすごい複雑さで他のすべての命と輝いているの。

その糸をすべて見通すことができないのは、自然界から与えられた仮借ない優しさだと思ったわ。すべてが見えたら死ぬしかないもの。

この世のすべてに作用するのだ、他ならぬこの自分が、と「本当に」わかったら、その後人間に残されているのは釈尊がそうしたように入滅する道しかない。

それはものすごい発見だから。

考えられる? あたしたちが暮らす地球なんて、宇宙全体からみたら本当にちっぽけで、だけどそれと同じように生きているちっぽけな星々が無数にあって、すべてがいっせいに動いていて、奇跡としかいいようがない配置のもとで美しく尊く輝いているの。

あの糸を見た者は死ぬしかないわ。

そしてもしも戻ってくるなら、その時人は、人ではなくなる。「大自然」というモノに生まれ変わるの。


あたしは自分が覚者だとは恐れ多くて言えないけれど、少なくとも一度は「それ」を見たと思う。それは自分の内的真実として確実にある。見て、戻って、その上で残された「人間としての自分の心」の領域を使って、同じように心を持ち、目的を持って「生きている」見えない存在と連携して、人を元気にする仕事を始めたんだけどね。
占いだとかなんだとか、過去の道具はあたしはいらない。今生きている自分と相手と、その「間」に生まれてくる出来事があれば十分だわ。



伊藤氏がこのように詳細に分解して見せた「日本人の心の世界」は、けれども同時に「日本人の祈りの世界」、切望と憧憬と「善く生きること」への希求の歴史でもあるわ。

政治闘争や利権争い、薄汚くてみっともない、本当にどうでもいい面子やプライドやカネなんかのために、他を害し、人を殺して現世でのしていこうとしていた連中だらけの歴史だけれど、でもやっぱりその度に「輝く人」が現れて「そうじゃない!」ってぎりぎりのところでSTOPをかけ続けた。

日本人の心というのは「自然」に沿うようにできている。それはこの国の物理的な国土を造り、心を授け、精神的な「国土」となって今も生き続けている日本の神々の行ったはからいなのよ。

日本人だけが優れていると主張するつもりはない。でも、日本人だからこそ、の共生感覚、他者への思い、問わず語りの通じ合い、なんかは優れて第六感的であり、五感を越えたひとつ「上」の次元の機能だわ。

だからこそ、そのように優れた機能をあらかじめ備え、人間以外の、いいえ、人間をも含めた万物への共生感覚を内在する<日本人>をここで絶やすことはしてはいけない。

あたしは<日本人>を守りたいの。

あたしは自分なりの気づきをもとにずっと動いてきたのだけれど、人に内在する光、それを大きく輝かせるために、時には見えない存在の力を借りもしたし、これからそうなっていく逝去する直前の人に頼みもした。
既に物故なさった方々からも協力をとりつけている。

そうするだけの価値があると、お互いの利害が一致したから。


大自然の霊威をカミと見て、それらをまずは祈りの対象にし、やがてはカミを図象化、立体化することでヒトをカミに含めるようになり、政治権力や財政上の理由からさまざまなカミをヒトは主張し、岩や樹木や鏡や剣や、建物を建立することで示威を行い、後代のヒトは「神社だから」という理由でそれらを拝む。

カミとの共生はそのように図式化していけるのだけれど、でも、だけど、実際に神社にいきいきと息づいておわします存在というのは、今生きていてその存在に初めて会う<あなた>が一対一で心で出会うべきモノなんだわ。

誰か昔の人がいいと言ったから、いいということに決められたから、だから拝む、のではなくて、この世で初めての人間であるかのように、新鮮で、素直で、まっすぐな気持ちで<その神>の御前に立ったとき<あなたが>何を思うかよね。それが一番大事なのよね。


あたしはいつでも「存在」の機能と個性に一番注目するの。接触があり、関わって、さまざまなやりとりの後で「実はこれこれと申します」って教わってビックリするのよ。

それはまるでブログのコメント欄で親しくなってお互いの個性を知り尽くした後で「実は私は」と告白されるようなものなのね。

皆さんとの出会いも、あたしにとっては本業のほうで日々行っている霊的接触と変わりはないの。

あたしはあたしのままで記事を書き、あたしらしく返信をする。

見えない力の助力を乞うように、何事かを誰かに向かって頼んでみる。

負けないで、元気を出して、あきらめないで、とヒトに向かって言うことは、同時に失われた神々の復権でもある。

なぜならカミというのは万物だから。ヒトの内面にもカミは宿ると、それを発見したのは歴史的には明治以後かもしれないけれど、だけどもともとそうだったのよ。

国家に仇成す怨霊だけを個人名のあるカミとして祀り上げてカミ化することで現世利益を期待して、その後、時の政府に功あった軍人や権力者を同様にカミにしていったように、外界に普遍的に存在する見えないカミを、ヒトは内的・個的なモノとして感得し「そのようにある」ことにしたから個人の幽霊や先祖霊が「できた」。

でも、もともと万物が神だったのよ。すべてが光の糸だった。あたしはその世界を知っている。

濃淡のある暗闇の中で光の粒がつらなって、認識可能なあらゆる色の輝きで無数に連なっているの。それはもう想像を絶した美しさだったわ。
発光する極彩色の河が交差するって感じよね。しかも音も香りもあったのよ。

純真なコドモだったから死なずにすんだのかもしれないわね。でも今またあの境地に赴くのなら、子供だからわからなかった、見落としていたことが新たに見えるのかもしれない。
それはそれで楽しみだわ。



あたしは人間の世の中にその光の河の輝きを見る。自分は島流しにあって地球にいるっていつだったかうっかり大事な友達にぽろりと言ってしまったんだけど、今となってはそんな「場所」の概念もお笑い草だわ。

時も所もないところから、生命は始まった。光が音に、音が物質に、物質が星にと変わっていって、速度を落として固着化して回転により姿を変えた。

相関関係なのよ。何かが変われば万物に影響を及ぼさずにはいられないの。


<あなた>の存在が大事なのよっていつも言うのはそのためなの。


そして恐ろしいことに人間には自由意志が与えられている。

天野になるか、浅田になるかは、本人の思いひとつなのよ。

キム・ヨナのままでいるか、浅田真央になるかは、本人の行動ひとつで決まる。

すべてが選択なのね。


現代日本に生きるあたしたちは、さまざまな因縁、時の道筋の結果によって「今」こうして生きている。生かされている自分というものを思うとき、どこに軸足を置き、何を希求し、どこをめざしていくのかを、常に常に問われているわ。


あたしの肉体レベルの筋で縁のあった神社では、カミは風とも龍とも河とも星とも言われている。時代に応じて複合的にさまざまな信仰が寄り集まってその神社内の神的集団ともいうべき複合体だし、由来、来歴もかっとんでいて、ちょいと面白い神様ズなの。

それって実は何の不思議もないことで、あたしたちの背骨は龍で、内臓は蛇で、血管は河で、脳は星で、ってあてはめていくと、外に見えているかに思えた神的存在はすべて物質レベルで既にあたしたちに完備されているもので、所与の物件だったとわかってくるわ。

物質レベルで神的存在として既に与えられているの。後はそれをどう活用するかでカミと規定したモノの高みにまで届いていくんだと思う。

ほんと、神道って面白いわよ。仏教徒の関係性とかそもそもカミってナニってところからも無数の枝葉が出ているものね。

あたしが擬(もどき)や見立て、音(おん)の遊びが大好きなのは隠された意味を探り当てて「神様、とったどー!」ってやりたいからなのかもしれないわ。結局、転がされているってわけね(笑)。





人気ブログランキングへ
関連記事
日本人として生きるということ | コメント(19) | トラックバック(0) | 2014/01/04 04:14
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
姐さん、ありがとう
姐さま

はじめてコメントします。
北国在住のグレイスと申します。

11月くらいから、ずっとブログを拝見していました。
私は小心者で、皆さんのようにコメントを書くことができずにいましたが、いつも姐さんの言葉に励まされていました。

ここを訪れたきっかけは、フィギアそして皇室についての話題からですが、闇と光の話しは、いつも私の心を良い意味で大きくゆさぶります。

姐さんの伝えたいことが「何なのか」 
言葉の奥にある思いや、なぜこれらを発信しているのかを感じます。
そしてそこから、今の私に受け取れるものを、精一杯受け取らせていただいています。

私は、こう言うと大変おこがましいのですが、何が真理で何がそうでないのか、なんとなくわかる(感じる)人です。
姐さんは、私が「真理を伝えている人だ」と感じた、数少ない人の中の一人です。
だから、ここの様々なメッセージに出会えた時、本当に嬉しかったです。

私は日本が大好きです。
もちろん、地球も、この宇宙も。

姐さん。
力強く慈愛に満ちたメッセージ
たくさんのユーモア
伝えてくれる真理

いつもいつも、本当にありがとう!!

姐さんのブログに出会って、言葉とその奥にあるものを吸収して、私に何が起きているか、とても伝えきることができませんが、多分ここを訪れている人のほとんどがそうであるように、私もとても大きなものをいただいている、ということを伝えたくて、コメントを書きました。

姐さん、本当にありがとう。

いつかは頑張ってコメント書くぞー!!と思ってましたが、一番はじめがここのコメントになるとは思ってませんでした。
でも、今日の記事をよんで、書かずには・・ありがとうを伝えずにはいられませんでした。

心からの感謝を送ります。

グレイス
姐さん毎日の更新楽しみに読ませて頂いています。
私は他の皆さまのように、語学力やPC関係に詳しくないので、そちらで活躍はできませんが、関係各所に日本語でメールや電話はできます。首相官邸や自民党に東宮問題のメールをしたり、NHK問題に取り組む三宅議員に激励メールした時にはフィギュア関連もからめて送っておきました。これも全てこちらでの、フィギュアばどげんかせんといかん!という皆さまの熱い熱い行動に刺激されてのことだと思います。小さなことから0を1に!昨日、真央ちゃんのお膝元熱田神宮にやっと初詣に行ってこれました。ソチと日本の国に良い風が吹きますようにとだけお祈りしました。前回バンクーバーの時には、お姉さんの舞さんが、熱田さんの勝守を頂いてきて真央ちゃんはバンクーバーにそれを持って行ったという話をおまいりしながら思い出したことでした。
kibakoさんへ
すごい!!!!!
全力応援です!!!!
脳梁を太くするか
姐さんのお言葉を見て、ピシッ!!
電流が走りましたぞえ。

驚き、桃の木、山椒の気。
ありがたや!!!

私の町から、蒼い海やら、3000mm級のアルプスが見える。
キツネも家の前にウロウロしたり、カモシカも熊もいるぞよ。
海岸から3000mmの山に通じるトンネルがあると信じていた。
そんな中で色々な粒子、光、風を浴びて育ってこう感じた。
「地球自体が私達と同じ構成要素なんだ」と。
私たち人間は例えれば、宇宙の中の白血球だったりRNAだったりするんだ。

色々な生命体がシンクロしていて、それが物凄く絡まっていて、誰が(神さま?)そのシンクロを担っているのか不思議だったけど、

日々雑多な諸々のなやーみの中で、そんな思いは埋没していったの。
姐さんの言葉を読んで「ああ、やっぱりそうなんだな」と、落ちました。ストンと。

「生命のメタフィジック」(TBSブリタニカ)という本を読むと、
純粋生命(神?)は、美しいものに共感する人を更に上のレベルに押し上げ、
素晴らしい行いをする人は感動と向上心を、その行いを見た何百万人もに植え付けるんですって。何百万人もよ!!
これって真央ちゃんだよ。

真央ちゃん天然って言われるけど、脳の検閲を通していないから。
トリプルアクセル3回って言うと、みんなビビるけど、(私も心臓バクバクしたもん)
真央ちゃんの脳では「当然!」ってなる。
博打でもなんでもない。トリプルアクセル3回は「挑戦」でなく「平常運転」なんだね。

たぶん、このタイプの人は案外多くいるんじやないかな。
ほらほら、そこのあなたですよ!!

神から人間になる9歳の頃、大部分の人は
人間世界の矯正でこの能力を失うっていうか、無意識の中に閉じ込めているんだと思う。

年を数えるのにひとつ、ふたつ・・ここのつっと9歳までは「つ」がつくけど、それ以降は
「10つ」とは言わない。
9歳辺り「つ」がつく最後の年が、真央ちゃんみたいに能力をそのまんまか、潜在させるかの分かれ道なんですかね。

平凡な私達(失礼!!)は真央ちゃんみたいにいかないけれど、常識と言う鎧を纏いつつ
「脳の検閲」を少~し外すようにしてみたらどうなのかな?

あ、あと掃除も。
姐さんの言葉に刺激を受け苦手だけどやってます。
てへっ!

長文失礼いたしました。
すごいな〜
姐さん、やっぱりすごいパワーです!
なんだかiPhoneでいうと、裏で複数のアプリが起動している感じ・・きっと何層かの姐さんが同時に存在するとしか思えないです。でもiPhoneと違って電池を使いはたしたりはしない。電波がますます増強される感じですね! でも生身のお体はご自愛くださいませ。(釈迦に説法でしたね・・すみません)

ほんとうに・・仮に日本人が日本人でなくなってしまったら、それは人類のそして地球の損失だと思います。いまこそ正念場と心得ました。

kibakoさんのコメント感銘をうけました。
ありがとうございました。

最近姐さんのプロフィール写真がリアルに感じてきて(笑)町ですれ違ったら挨拶してしまいそうです。
次に発達する器官は何だろう
脳梁完成が一万年前とのお言葉に、「え、そんな最近なの?」と思ってしまいました(汗)。でもそうですよね、こんな近々の出来事でなければ、文明がこの何千年かで発達しまくった理由がわからない( ;゜Д゜)

姐さんの二万年以前の記憶がとても気になります。
大気組成や海水成分が異なるっていったら、そりゃもう白亜紀とか石炭紀の時代ではないでしょか。
眉唾物ものでも全然かまわないので機会がありましたらお聞きしたいです、その頃のあれこれ。
恐竜の体色とか鳥の祖先はどんな感じですかとか、一番最初に生まれた花の色はとか、洪水伝説マジですかとか人間はじめはどんな言葉をうなってたんですかとか、氷河期に姐さん何してたんですかとか(゚∀゚)

私は「この世」が、物質が存在することが、すんごい奇跡だと思ってます。
縁が縦横無尽に錯綜するこの世は豊かだと感じます。
姐さんみたいに霊感はないのでアタマで考えるしかないのですけど。
霊感、じゃないと思うわ
あたしは誰でも備えている普通の感覚しか使っていないと思うわ~。
霊感というのともちょっと違うと思う。

腐ったモノは食べたくない、とか、晴れた日は気分がいいとか、そういう感覚の延長よ。
だから特別なことは何もないわ。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
ありがとうございます☆
姐さま

ほんとうにありがとうございます。
なんだかどんどん目から汁があふれてきます。
なんなんでしょう、これは…(T_T)

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理者にのみ表示