「原典」にあたらない怖さ

以前のエントリー 姐さん的写真の見方に掲載のこの写真。

素晴らしいからぜひ見てね、と紹介しておいたんだけど・・・。

鳥居の写真

これ、向かって右の鳥居に「上昇する龍」がいて、向かって左に「下降する龍」が見えるわ、って書いたわよね。
そのとき意図的に書かなかったんだけど、左右どちらにも「複数」の龍がいるのがおわかりかしら?

向かって右は上昇する水流=水龍がいるんだけど、同時に右でも下降する龍が存在するの。
向かって左は下降する水流=水龍がいるんだけど、同時に左でも上昇する龍が存在するの。

二重らせんね。DNAの二重らせんを思い出す方も多いと思うわ。神秘が先で科学が後からそれを見出す。だから医療や化学、科学技術の最先端でこのような「神秘」に類似する発見があったとしても、それは科学のほうが後出しなのよ。やっと追いついたのね、ってなもんだわよ。

ちなみにもう一個神秘について書いておくと、鳥居の向こうは神域でしょ?神様からしたら右が上昇、左が下降の円環なのよ。これは人体の右側が男性性、女性性が左側、とされるのと符合してるわ。でも女性性とか男性性ってのは肉体のSEX=性別、とは関係ないの。
ここを取り違えている人はあたしからしたら不合格。浅いわね、で捨て置くべき相手だわ。

でも間違いを流布されるのは「元ネタ提供者」からしたら不満だわ(笑)。
画像についてなんだかおかしなレッテル張りがされていたから「あたしにはこう見えるけど?」ってことを書いておくわね。やたらなことを言われるとこちらの神社だって迷惑だろうし。

こちらもあわせてご覧ください。

キッサンケッロ 時の猫さん
イタリアお茶の間様のお写真&鶏ガラのようなヨン棒
「原典にあたらない恐さ」「原典を調べない怖さ」、これはJAXAの、というかISASの、というかJSPECの(細かいwwww)川口淳一郎先生もおっしゃっているのですが、もともとの資料を元に誰かが論文を書いた中から、「○○では××と書かれている」というように「孫引き」で持論を構築していくことの怖さであり、「誰が何の意図を持ってそう書いた・言ったか」を「知ろうとしない」怖さでもあります。

たとえば「ペンは剣よりも強し」という言葉がありますが、これは元の発言者の意図では「どのように民衆=新聞などが騒ごうが、政権が軍隊を出して鎮圧してしまえばイチコロさ」という意味でした。それがなぜか日本では「民衆の意見が集まれば政権だって倒せるぞ!」になっていますよね。
ざっくりすぎますけど、大意はそんな感じの用法ですよね。
マスコミの人がそういう意味で使う場合は「政権に尾を振りまーす!」という敗北宣言だと思うのですがwwwwwこういう「間違い」「ミスリード」が近年とみに多いと感じます。

このブログは「リンクフリー、転載、引用は自由、ただし出典は明記してね☆」というスタンスでやってますから何の問題もないようなものですが、このブロガーさんが「龍神」と断じた理由が不明です。

コメント1個でそうなるの?( ゚Д゚) 
後に書きますがそのコメントも???なんですよね。私には。



お茶の間さんのラフマオ雲ははっきりと吉祥ですよね。
お茶の間さんの前にあのように美しく神々しい形で現れたのはやはり意味のあることだと思います。

地震の前に出る地震雲に若干似て見えますが、本物の地震雲はもっと糸巻のようにくるくるくるっとねじれていますし色が気色悪くて誰にでも一発でわかります。不気味です。なんとも言いようのない「悪意」めいた不気味さを感じさせます。
地震雲は大きさと傾きからどちらの方角で何時間後に地震発生というサインです。慣れるとかなり正確に読み取れます。

写真は時間と共に見え方が変わります。特に今回のように生きた対象物を矩形に収めたモノの場合は、ネットで掲載されているものと、ローカル保存したものとで印象が変わってくると思います。
手元に保存した時点で「あなたの写真」になるからです。
見る側の受信機能が変わっていく(育っていく)せいもありますが基本は生きた存在だからです。

私は雑魚ですし単なる野良の雑兵にすぎませんから、あなたご自身の感性で判断していただいて問題ないと思いますよ。
僭越ながら二枚とも自分の読み筋と一致しています。

ちなみにゼウスの方は、ハルピュイアという特攻隊的な三段階くらいランクの落ちる存在も一緒に映り込んでいます。ランクはもっと落ちるかな。
こちらが実際に人の世界に手をくだすわけですね。
あの写真から怒りや不快をキャッチした人はそっちにアンテナが向いていた
ということで神的存在の仕掛けでふるいわけがなされるわけです。
見たモノで自分の次元を告白している、と。
さらに言えばアポロンもメルクリウスもゼウスを通して一緒にいまして、指向性としては破邪のそののちの芸術、霊感の守護が目的の写真です。

宝くじ一等に二度当たったようなものかもしれないですねwwww
貴重です。ほんとに素晴らしい写真をシェアしていただいてお茶の間さんには感謝ですね。すごいです。

そしてこちらの記事。
日本を清め給え 読者の皆様に栄えあれ 

つけたコメントがなぜか承認=表示されていないようなので、自分のブログで記事にします。もっともここまで長文で書いたわけではありませんよwwwww


ある方から質問されたんですが、この記事で取り上げられている今回のコメントはあたしではありません。

それにあたしは「龍」と言っています。「龍」と書いてそう主張なさっているのは上記ブログの管理人さんです。
(この含みのある言いかたでおわかりいただけるでしょうかwwww)


今回教えていただいたコメントには現在の日本のスピ業界の問題がみっしり詰まっておりますね。
僭越ながら書いちゃいますが、

>此方の神社はイザナギ、イザナミがこの世に降りて初めて使った水がある神社様だったかと思います。

はい、アウト。
神名を省略して書きながら神社「様」ですよ。
敬称の付け方がおかしいです。
両神が使った水があることを根拠に神社の由来を説明し、両神の権威によって箔付をしておきながら神名は省略。おかしいでしょ。
どうもこの二柱の神については粗雑な取り扱いをする方が多いですね。語呂が良すぎるせいですかね(笑)。

>敷地の四方にまくと結界を張れる土を頂ける神社です。

これもアウト。
土にその機能はなく行うのは人の営為ですね。
そもそも神社から何かを持ち出すのは近世以後の習慣です。
本来は水流そのものをカミと呼び禁忌・禁足地にすることでそこを護ったんですね。人の行う破壊行為から。

神社と言うのは自然の権能と人間とがせめぎあってきたパワーバランスの証拠でもあるんですよ。

仏ほっとけ、神はかまうなと私はよく言うのですが、中途半端に神の機能と権能を流用するから「かえし」があります。それを行う人の思いが重要です。

半端に足を突っ込むのなら何も知らずに「ありがとうございます」とお天道さまを拝んで感謝しているほうが幸せです。そのほうがよほど真実です。

石上さんでも清め砂を頒布されていますが、あれも後世の悪知恵ですね、言うならば。
お札を配る、祈祷をする、何かを売るというのは本来は神社のするべきことではありません。
観光地化されてからのことです。
でもそれも悪いことではありません。神社本来のありようを売る側が自覚してそちらも守ろうと思い行動しているのなら。

>私は 天川に訪れる様になって「アマテラスオオミカミ」は正しくは「アマテルノオオカミ」と音すると習いました。

超アウト。
まずあちらの神社は天河、ですよ。この方の誤字は潜在意識が真実を知っていてそうじゃねーよと訴えているようにしか思えませんね。

神道というのは時代、時代でさまざまな解釈、根拠を主張して隆盛を誇るいくつかの筋がありました。
時の政権に採用されて日本中に強制されたところもあれば逆に弾圧の対象になったところもあります。

共通しているのは「独自解釈が大きいところほどダメ」というもの。
要するに「持論の主張の根拠にすべく伝統を曲解している」からなんです。

私の経験から申し上げるならば神名、存在については特に古事記を参考にすべきですが、補足としての日本書紀、この両方のどちらにも「出て来ないカミ」を主張する、あるいは「既存の神の名を呼び換える」ところはダメです。

私は日本古来の神名をどう取り扱うかで相手の正当性をはかる目安にしています。

というのは、神道では古事記に書かれている神名をもって一応のメインストリームとする、とされています。
そして日本語は霊威を発動しやすいコトバですから、古事記に採用されるほどの神名というのは当時から「そのカミの実態をよく表し得ていたもの」なのです。

それをなぜ「言いかえる」のか。おかしいですよね。独自主張をしたいのなら既存勢力の威光だけかすめ取ろうとすべきではありません。

他によくあるのが気という字の中を米と書く気功師。
あのわざとらしさと行動の底の浅さが鼻につきます。気でいいじゃん(笑)。
自分は他とは違う、違っていて特にスペシャルなんだという権威づけに宇宙に普遍的でそのセンセイが生まれる前から偏在しているあたりまえの権能に乗っかってドヤ顔をしているのが恥ずかしいとは思わないのか。

気功師にガンと脳溢血が多いのも当たり前です。不自然なことをするから「かえし」があります。
天然自然にしたがって「普通に」生きるほうがよほど幸せです。

天河は宮司が破産して本殿、拝殿など設備一式を売り飛ばすという愚挙にかつて出たところですし、現世ご利益「だけ」を目当てに観光ブームにのっかって裏ではかなりいろいろあったところです。
場所は素晴らしいですよ。私も行ったことがあります。
土地の気「だけ」は素晴らしいですね。

アマテラスオオミカミは、祝詞で読み上げさせていただく場合は神名が変わります。
もっちーと普段呼ばれている人が表彰式では望月太郎さんと呼ばれるのと一緒です。
神名の変化というのはそのくらいのもので、あとは神仏習合からきている大日如来を同一視する際ですとか、神の権能の一部を強調して呼ぶやりかた、望月さんをソムリエと呼ぶ、というような場合のみです。どれもみな根拠と伝統があります。

またアマテラスにつけられたオオのあとのミと、最後のカミのミは上代かな文字では同じミでも発音が異なります。違う言葉なんですよ。
上(カミ)のミと、神(カミ)のミも違います。
こんなことも知らずに変な呼称を流布させないでほしいですね。
これらを省略するというのは望月さんの正式名称が ちづ だと主張するような暴挙です。

この伝聞コメントの内容に誤りがなく、某神社側の人間が言ったことそのままだとすれば、その神社はもう正当な信仰のメインストリームからは外れているとみていいと思います。
神社側が「その土地の風物=大自然が本来備えていたはずの」霊威を守り崇める信仰の場ではなくなっている、という証拠です。
あそこで販売されている鈴もどうかと思います。
それを買って幸せになれるのならご自由にとは思いますが、鈴の「根拠」が神社側の言い分です。それは果たして本当なのか。
なぜ確かめもしないで「そういうものなんだろう」と盲信するのか。私にはそれが不思議です。


神社の人間だから嘘をつかない、正しい「だろう」では困ります。
誰に聞いたんですか、と言われた人も聞き返すべきです。
主張する側は「あなたの名前はいつどのような理由でそれに定めて呼ぶのだと、古代の日本人が決めたのですか。それはいつ頃でなぜですか。それについてどう思いますか」と神に直接聞くべきです。「本当の名前はこうこうです」と言えるのならそれくらいお手のものでしょう。
違いますか?

日本書紀は当時の政権が自らの権威固めをするためにかなり意図的な編集がなされていますので若干割り引く必要がありますが、神の威光を箔付に使ったという点で、「正しい神名」「正しい機能」をあるていど残していますから古事記と並んで参考にすべきガイドブックのひとつだと思います。
当時の為政者が「何をもってオノレらを正当、立派、強力だと主張したのか」の証拠です。

>魂は両性で具現化する時に何らかの主観が入り男 女を分けたそうです。

これもアウト。両性というのは人間意識に引っ張られた解釈です。
魂には性別はありません。
たとえば太陽は女性ですか?木星は男性ですか?惑星意識というのは当然あります。個々の天体ひとつひとつは生物ですから、惑星意識に個性はあります。でも性別はありません。惑星の性別は2種類ではありません。
ヒトが自らに仮託して空を見るから軍神マルス=火星、というようにヒトの区分けに傾きます。
そもそも地球にすらもともと性別が「ない」生物、男女を同一個体で何度も繰り返し変転する生物もいます。
ヒトが肉体レベルでは両性=2種の性であることが基本という構造は、魂とは無関係です。
物質レベルでのこのような仕組みに意識がひっぱられています。
そのひとつ上の、世界をさらに包括できる枠組みから見て行かないと魂の神秘はひもとけません。

ちなみにヒト以外の生命体は固有の魂というよりもその霊団がもとにありワンコ霊団というつきたてお餅の塊からぐにゅーっと丸餅が作られてホカホカ湯気を立てている魂が1頭にセットされる、という感じです。
犬でも賢愚の違いがあるのはもとの餅のどこがセットされたのかの差です。
そして賢愚の違いは人間が自分たちの暮らしによりフィットした都合の良い行動をとる個体を賢いと評価しますから、大自然の仕組みの中で見たときに生き残れる個体とは違ってきます。
大食い、意地汚い、マテができない、というのは大自然の中の生存戦略では大変な長所です。人間には嫌われます。

近年、猫ちゃんを派遣するというNNN(ねこねこネットワーク)の存在がネットでは言われていますがあれは非常に真実を突いていると思います。

犬は人間が改良に改良を重ねてきて人間にフィットするよう特化されていますのでそれ用の個体が何度も派遣されることが多く、一目で賢者だと思える個体によく出会います。
犬と猫は違います。わんわんネットワークは人類資本です(笑)。

>また話は別になりますが、女人禁制は、元来女性は霊的にとても強く、粒子の繊細な土地に入ると、発狂する者が多発した故に禁じ た。と の事を聞いています。(転載ここまで)

このような話をされた場合、聞く側がもっとつっこんで話を引き出すべきですね。
霊的の霊とは何か。
霊的にとても強いとはどういうことか。
ここでいう粒子とは何か。
粒子の繊細な土地とはどこか。
粒子があると仮定して繊細かどうかを誰がいつ判断するのか。
それは霊的に強くない人でも判断できるのか。
判断できないとするといつどこで誰がくだした判断に従っているのか。

どんどん質問すべきです。
たとえば「あなたには龍がついている」と言われて「そうですか」で終わらせるべきではないですね。
龍と蛇(じゃ)と巳とみづちと蛇(だ)とくちなわと、その他、「龍」の概念と他との違いを述べてください。
あなたが言う龍の定義を教えてください。
色は形は長さはにおいは、権能は名前は由来はとどんどん聞くべきです。

言った本人に納得するまで聞くべきです。ボロが出なければ本物です。
そうでなければ傾聴に値しません。


一般人ももっとスピな人を鍛えてあげれば良質な人だけ残ります。
Win-Winです。
黙って従うのはおかしいです。
私は道場破りに負けたことがありません。普通に穏やかに質問していくだけで相手は泣き出します。
教祖が一番孤独です。救われたいから神を見ます。でもそれは救う=巣食う、です。「概念」で世界を構築し、「主張」によって定義すると生きた自然から離れます。あとは妄想の世界です。
巣食われてはなりません。誰か他人の考え出した意味も理由もわからない妄想によって人生を左右されてはいけません。もったいないです。

主張は相手に聞くべきです。その主張の正当性を示してください、と尋ねるべきです。
ことに信仰の範囲の「物語」は、オーダーメイドが基本です。
魂というのはひとりひとり違います。「自分」の魂の物語を誰かに発注するのはおかしいです。
根底でつながっているとしても、発現している個性が違います。それが人間の神秘です。

また、巷間言われる「龍」ですが、龍は人間ですから、あえて「龍だ!すごい!」と騒ぐべき存在ではありません。龍は背骨であり、血管であり、気の流れであり、頭髪であり、手足であり、夜空であり、天の川であり、河川であり、雲であり、虹であります。
星雲であり、電磁波であり、この世に偏在している命の物象化です。珍しいものではありません。

人を狂わせるような気のある場所なら天河は現在のんきな観光客向けに一般開放されていないはずです。
コメント1行につき3個くらいの矛盾があります。
このような伝聞証拠を己の論拠にするのはどうでしょうか。

このように何かをサゲることで自らの権威を上げる団体は疑ってかかるべきですね。

また、女人禁制は男性の欲望の充足対象として女性を扱い、男性の権威を上げるために仕組まれたものがほとんどです。女性の権威を下げることで相対的に男性の権威を上げてきました。
カースト制もこのパワー構造のひとつです。
その証拠に女性シャーマンの権能が非常に高かった沖縄では神域は男性が足を踏み入れることができません。
女性の社会的地位が高い場所では男性がケガレとされます。立場は人為的なもので容易に入れ替わりやすいです。
女人禁制は仏教が日本に伝来以後の話です。女性の霊性も男性の霊性も私は同等と見ています。発動する方向が違うだけです。

最後に、神名を間違える、改ざんする団体には非常なお咎めがある、というのが神道では一般的な見解です。独自の神を主張する団体の末路は哀れです。

オリジナルの神を造りだし新たに祈ることよりも、改ざんや二次創作によって利益を得ようとすることのほうが罪は重いです。
なぜならオリジナルの持つ権威や評価はそのままにスライドさせておきながら自らの独自主張の方が上だと主張するという人間特有の卑劣な行為だからです。
「その名前」「その存在」として古事記の昔から1300年以上にわたって大切にされてきた、権威、機能、神威などの価値はそのまま横取りしつつ、「本当は××なんですよ」と自分に都合の良い主張だけして値打ちをかすめ取ろうとする根性のあさはかさ。薄いです。

今季、浅田真央が命がけで磨いてきたスケーティングスキルの評価をそっくりパクるキムチのようなものですね。
浅田真央が死ぬ気で努力して積み重ねてきた実力の「評価」だけをスライドさせて自分のもののようにかすめ取ろうとするキムチのようなものですね。
感心しません。

日本古来の神々に「本当は」と親しく語りかけて返事をいただけるほどの立派な人間であるならば、自らの存在をかけて「本当の」新たな神でも見いだせばいい。
より新しく時代に即した「新しい神」=「新しい希望」すら産出できず、信仰の尻馬に乗るのは果たして真実な行いでしょうか。

私は「あの神様は本当は~」と言う人を見るとすぐにバモイドオキ神を作り出した少年犯罪者を思い出します。
あの少年は当時ノートに自分で絵を描いてその神として崇めていました。
稚拙きわまりない絵でしたが彼にとっては内心の欲求から生まれ出た非常にせっぱつまった状態で「自分を救ってくれるはず」の神だったと思います。
その神が何らの機能も見せず、癒しも救いももたらさないとわかったときに少年は最終的な手段に出ました。
自分が死ぬ勇気はありません。それは怖い。というか自死については考えもしなかったと思います。
幼稚で愚かですから自分が痛い目を見ることなど想像だにしていませんでした。
その次に人界最大のタブーとされる同胞殺し、殺人をしたらどうなるか。
最大禁忌を犯したときに果たして何が起こるのか。
「神」は罰を与えるのか。それとも褒美をくれるのか。
いずれにしても少年は「やりたいからやった」結果の暴走を大惨事でしめくくり、罪もない無垢な他者を殺害しました。
「神」が少年の前に現れなかったのは当然です。
そしてそのような愚行の果てに少年は空虚さを抱えたまま社会に復帰、殺人者としての自分から24時間、一歩も逃げ出すこと能わずに暮らしを営んでいます。
その索漠。
しかしその暗黒に、本人は思い至っていないかもしれません。
反省、悔悟、贖罪、それらはおそらく少年の中には「ない」はずです。
「神」を感知できないからと自作の「神」をインスタントにこしらえて自作の「神」が顕現しなかったからといって禁忌を侵し、それでもまわりの人間たちは一定の期間だけ彼の行動の自由を奪い、作業療法と称して作文を書かせ、読書をさせて、ほんのわずかな接触者に触れさせて、そして社会に出しました。
彼にとっては「それだけのこと」なのです。

このように鈍麻した感性で「それでも」求めた「神」というのは、一体なんだったのか。

この事件がもたらした衝撃と驚愕は、日本を席巻していました。
新興住宅地という環境や両親、特に母子関係、祖母の逝去、教師との関係、ひとりっこ、いろいろな要素、要因が重なっての犯罪です。

「日本人の信仰心」という巨大なテーマをもっと深く掘り下げて、一見異様で無残すぎ、一日も早く忘れ去りたいようなこの事件を、もっと日本全体で受け止めることができていたら、被害者の死も、家族の悲嘆も、学友や保護者、地域に与えた衝撃が有益に転じていたのかもしれません。

逆に、松本サリン事件の容疑者に擬せられてさんざんな苦労をなさったある男性は、会社員として外回りの営業仕事をこなす中で、訪問先の企業でお茶を出してくれた女性にまでわざわざ立ち上がって「ありがとうございます」と頭を下げる方でした。大変な人格者です。
奥様に寄せられた愛情の深さと行動の崇高さ、艱難辛苦を舐めながらの、周囲への感謝と気配りは、本当に立派な行いでした。
あのように地獄の沙汰の中、マスメディアにねつ造された狂気の沙汰の中にあっても、ご家族で話し合いをなさり、それぞれに自覚を育て、役割を果たし、立派に正しく暮らされた一家もあります。
その男性は声高に神、神とはおっしゃらなかったかもしれない。しかし病む人の快癒を祈り、手を取って語りかける姿は、まるでご自分が神の慈愛を体現されているようでした。
病む人にとってはこの方が、神が放たれた地合いの顕現、天使に見えたかもしれません。
残念ながら祈りむなしく、先年物故なさった奥様に哀悼の意を表します。
奥様の無念、ご家族の悲哀、それをもたらしたオウム真理教(当時)の「狂気」は、狂気と断じていいものではありません。
彼らなりの「正気」の結果があの大惨事です。
逃げ場のない地下鉄で毒をまく。真の宗教者のすべきことではありません。
風化させてはならない事件であり、日本人全体が「わがこと」として受け止めなければならない非常事態だと思います。

松本智津夫はヨーガの教師としては優秀でした。身体的な運動を通じて目覚めをもたらすハタ・ヨーガに、当時ガリ勉くんで頭でっかちだった学生たちがハマりました。
松本はコールド・リーディングができましたから、相手と面談する中で体の使い方や動かし方の癖を読み、日常生活の習慣や、普段考えていることなどをズバズバ言い当て、相手を驚かせました。そしてヨーガの技法をうまく使って実際に体のトラブルを改善させてあげられたのです。

地頭がよく、なんでも「学習」によって切り抜けてきた学生たち、頭を使って生きてきた会社員たちは、松本によって生まれて初めて「生きた肉体の神秘」に触れ、「自分」が「生き物」だという実感を得ることができました。
もともと素直で真面目です。感激した彼らはたちまち松本にのめりこみ、あっという間に教育=洗脳され、松本が入った風呂の水を飲み、食べ残しを皿から口にし、松本のためになんでもする気になりました。

持てる知能と人脈を駆使し、内外に渡りをつけ、マスメディアに取り入ってアゲアゲ報道をさせました。

松本の、社会的訓練がなされていないがゆえの粗暴さや性急さ、頑固さは、ワイルドで男性的、指導力のある器の大きいリーダーだと、都合よく変換されて、当時相当の知識人もコロリとだまされます。
オウムを擁護していた人のリストは長いです。中にはいまだにオウム真理教は正しい、松本は正しい、と信じている人もいます。

これもみな「原典にあたらない怖さ」、「元ネタは何か」を知ろうとしない怠慢さ=無知が招いた悲劇です。

松本が得た光明は、松本だけのものなのです。それがどんなに普遍的で、有効で、輝かしく見えようと、それは「他人の光明」です。
一度は松本の炎によって暖められたことがあったとしても、燃やす燃料は「自分」です。
「自分」の輝きを放たなければ、その燃焼は無駄になります。

宗教者の二代目、三代目がどうあっても初代を越えることができないのは、「炎」のでどころのレベルが違うからなんです。

もしも当時、松本が素晴らしいと思うのならば、松本の言動を徹底的に検証し、何を根拠に話すのか、誰を手本に動くのか、一切を冷静に見極める目が必要でした。
洋の東西、古今を問わず、「いいとこどり」の孫引きで松本は持論を組み立てており、私のような一介の民間人にでも簡単に出典を指摘でき、誤って主張している箇所は「ああ、あの人が訳した本を読んで言っているから間違っているんだな。初版だな。重版では訂正されているのにな」とたやすく思えるような脆弱なものでした。

スピにはまる人はインスタントな信仰がお好みです。軽く、明るく、楽しいことが人生だと思いたい。だからるんるんな自分を補強できる素材探しに必死です。気に入らなければそこを捨て、次々に「自分にフィットするオーダーメイドの信仰」を探して渡り歩きます。

でも、信仰というのは「生きること」そのものです。

昔の誰かが「これを尊いものとする」と決めたわけのわからないお経や呪文やグッズを珍重するよりも、毎日早寝早起きをして、家を綺麗に掃除して、「おはよう!」「こんにちは!」「ありがとう!」「ごめんね!」と、しっかり挨拶をしているほうがどれだけ開運になるかわかりません。

神はかまうな、仏ほっとけ、です。いちいちかまわなくとも、神は自分であり、仏は自分である、と思えば自然と自分を大事にします。

心身は神の宮、仏の座です。「自分」を大切にすることがすべての基本です。

松本にハマった人は「自分」を祀るべき場所に「松本」を据え、代替品で世界を覆う愚を犯しました。
大変に痛ましく気の毒であり、罪の償いをしていただきたいと思います。


どの深さで物事を受け止めるかで「意味」の取り方が変わってきます。
私は今でも被害者の冥福を祈ると共に「神」を創出しようとし、事成らずに敗北し殺害者に堕した少年――現在の肉体年齢はもっと
上ですが――のことを忘れていません。

自他が言う神が「どのレベルの神なのか」を峻別することも大切です。
江戸時代には富くじが非常にはやりましたが、一等を当てた人は富神として群衆が詰めかけて拝みました。次の一等当選者が出るまでは神だったんです(笑)。
横丁で水が湧いたとなれば早速地蔵を備えて拝みましたし鳥居も立てて番人が小遣い稼ぎをしたりもしました。
仏教の地蔵尊プラス神道の設備鳥居です。面白いです。
それはそれでいいのです。
幸福に暮らしていくための暮らしの知恵です。お楽しみです。

そういうレベルのありがたさと、この世を創造し粛々と星空のすべてをつかさどる「神」との間に無数の存在があるんです。

私もよく能力者様!○○神、などと気軽に使います。神とあがめたいほどのありがたさというほどの用例ですが、一神教の人や日本古来の神ながらの道を歩まれる方にはひんしゅくをかう言い方かもしれません。

自分の祈りがどの階層の神に向けられているのか、そしてどの階層の神に届くのかを人は知っておかなければいけません。

普通に暮らすだけの人なら神社、寺院、どこででも「ありがとうございます。がんばります」だけでいいのですが、多少なりともこの世の神秘を見分ける目を持ち、人に伝える意思があるなら「自分がアクセス可能な神とは何なのか」について常に自省と確認が必要です。

さまざまな主張をなさる方の美点、長所をありがたく受け取ってそしてそれ「だけ」が真実だとは思わずに、ご自分なりの識見を深めていってほしいなと思います。

もちろん私の意見も「その他大勢」の意見のひとつです。取捨選択はあなたがご自分の直観に従って行うべきです。
神の名は神、ではあるのですが日本人が古代に知覚し、ヒトから親しく呼びかけられた神の名を、商売のために言いかえるのは感心しません。「かえし」があります。

救いは巣食い。洗脳と教育は紙一重。逃げ道を用意した洗脳が教育です。

神はかまうな、仏ほっとけ。

あの画像から水流の二重構造が見抜けない人がなぜ龍「神」と断じることができたのかが不思議です。

「神から見て」の左右の配置や、もっと言ってしまえば鳥居に浮き出た他の神的存在への指摘がまったくありません。こんなに明白に映っているのに。

そしてこうやってあたしが記事にしたら後追いで「鳥居に○○神顕現!」と記事を追加なさるのでしょうか?
あたしは神とは一言も書いていないのに?
何を根拠にそう言うのか?そこを疑問に感じました。
記事のネタになさるのは構わないんですが、ご覧になった皆さんは「へー、龍神なんだ~」で終わらせてほしくはないなと思います。
それは「原典にあたらない恐さ」の体現です。
細かくてすみませんwww


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日本人として生きるということ | コメント(26) | トラックバック(0) | 2014/01/10 23:20
コメント
www
姐様こんばんは。

大変興味深く拝読させて頂きました。

前からずっと不思議に思ってたのですが、オカルトやスピリチュアルや新興宗教に嵌ってる人達が、みんなもれなく不幸で不健康で貧乏な理由がわかった気がします。

神仏とブランド品は老舗に限るんですねw

子供の頃は玉の輿に乗るか、新興宗教の神様になるのが将来の夢でしたが、
神様になるとややこしいのが一杯寄って来るから結構大変そうw



好きです
いきなり告白みたいになりましたがw、私は姐様の神様のお話が大好きです。
自分が考える信仰については書き出すと止まらなくなるのでやめますが、とにかくこのブログに出会えて光栄です。
KYに感謝ですね。
ひゃだ!なんか映ってる!www
ちょっと!これ右を向いた男性形象のモノが映ってませんこと!
http://livedoor.blogimg.jp/sdtnk55-2ch/imgs/6/1/617c7a25.jpg

すげえハッキリwww
寒波のニューヨークの写真らしいわ!
手も見えます!
>寒波ニューヨーク写真

男性の手まで見えますよ!
それとかなりサイズ小さいけれど、手の下に腹見せて口開けて雄叫ぶクマや、
かなり下の方にオオカミっぽい耳した犬型(二匹)が見えます。かわいい。

肝心の記事の方、私これまでになんかやらかしてないかガクブル:(;゙゚'ω゚'):です。
やらかさないように激しく自戒!
そして鳥居の写真は相変わらず言われなければ龍が見えないorz
どうも緑にばっか目が行くようで、神社の奥に緑の巨人がカトキ立ちしてるように見えてしまって(ry
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びーるさんへ
それはご自由になさっていただいて構いません。
ただ、せっかくの素晴らしいところなので、こんな記事で手を止められたり不愉快になられるのは私も申し訳なさすぎるんです。

「間違い」では決してないと思うんです。

この記事も私はこう思うというだけの見解なので、間違いをただしてやる!とかではなく、喧嘩を売っているわけでもなく(いや本当に)。

であるならばどなたでも「自分はこう思う」と書く自由はお持ちです。
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腑に落ちます。
姐さんのお話、腑に落ちます。

フクロウは神様に関係があるでしょうか?
学問に関係すると耳にしたことはありますが。
鳥居ですが、私には一番上の向かって右部分にフクロウのような顔が見えてしまいます。

すごいことになってますね、ニューヨーク。
こちらは、吠える親熊の背中に吠える小熊でしょうか。
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クマ!
ニューヨークの写真。
私には例のマレー熊にしか見えませんwww
反省
おはようございます

こちらのサイトもよく、お邪魔するのですが、今回のお話
最初に読んだとき、なんか違和感があるな~と思いつつ
流してしまった自分に深く反省いたしました

ズギです
先、越されました。くやしー
あ・い の告白は言ったもの勝ちですね。
二番煎じはかないませーん。
やはり元祖、老舗以外は言葉に手あかがついて嘘くさくなります。

姐さんの神様のお話「本」にしましょう。
熱望!!

オウムに洗脳されたのは団塊の次の世代ですよね。
あの世代は団塊から「お前たちは世界を変える力がない、ダメだ。」と言われ続けた。
私の世代よ、フン。

共通一次、詰め込み教育の中で、「お前らダメ駄目」と言われ続けた。
(ついでに日本は小国で戦争犯罪国で能力がないという、すんばらしいオプション付き教育で。
その通りです先生様ニダとテスト用紙に裏面までぎっしりレポート書くと、公民は100点とれたのよ。おっそろし)

団塊様にかなわないけれど「ばかな日本人だから必死で勉強はしなければ」と奮闘した。
だけど後付けの意欲でしかないから「学問」まで到達できない。
知識はあるけれど、「知恵」は身についていないかった。

残念ながらこれは集団虐待の結果です。

虐待が怖いのは、自己肯定感(生きてていいんだよね)言いかえれば、ワクワク感が育たたないこと
自己有用感(誰かの役に立ちたい)に乏しく、誰かに認めて欲しい欲求や自己顕示欲が強くなるんこと。


麻原を目の当りにし自分たちにない力に驚愕し、それを「知恵」と誤解したのが
間違い。
「ジブンタチ ハ セカイ ヲ カエラレル」と誤解した。

知恵、疑う知性、科学的思考があったらオウム事件なんか起こらない。
オウムが世間に与えた衝撃は大きかったけど、団塊が学生運動で日本を破壊したのも同じこと。
アメリカのウォーギルト作戦があったからね

沢庵も操っている方々も同じように思う。
かの国はバカバカしいほど自己肯定感、自己有用感がない。
科学的思考が形成されていない、疑う力がない
何より「正しい」ことがわからない。
たぶん、国全体で子どもを大切にしてこなかったんだろうね。

真央ちゃんが現れて、数十年探していた答え
「日本人としてどう生きるか」
がやっと具現化したんじゃないかな。
本当の知性はこんなにチャーミングなのよぉぉぉぉぉ、と叫ぶわ。




ポセイドン
>ちょっと!これ右を向いた男性形象のモノが映ってませんこと!

ポセイドンに見えますわ!
すごく豪快、荒々しいですが美しいです。自然てスゴイわ〜。
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地震雲
姐さん、すみません。
本題とは関係ないかもしれませんが、どうしても看過できないので書き込ませて下さい。

いわゆる「地震雲」の存在について断定するような書き方をするのは少々気をつけた方がよいかもしれません。
なぜなら、いわゆる「地震雲」と実際に発生する地震の因果関係は”科学的には”明確に証明されていないにもかかわらず、”地震雲の目撃情報”が人々を惑わせているケースを度々拝見するので。

勿論、姐さんは私たちとは少々違う世界で活躍なさっているので、いわゆる「地震雲」は当然存在するもの、との認識で文章を書かれているかもしれませんが、地球上でも特に地震多発国である日本だからこそ、その見極めが十分でない読者に対して文章を書かれる場合には、注意が必要かと思いまして、差し出がましいかと思いましたがコメント致した次第です。
(特に今回のタイトルが”「原典」にあたらない怖さ”なので)
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Re: 写真の鳥居の神社について(pauさんへ)
ご自分で実際に足を運ばれて、感じたことがすべてだと思います。
あたしは現地に行ったことはありませんが、滅びゆく場だと直観し、大変寂しく思いました。小さな泉が次第に枯れて消えていきそうな気配です。
残せるのかどうか、残るべきなのかどうかは、そこにゆかりの方たちの思いひとつだと思います。
Re: 元記事のコメントについて(pauさんへ)
お心のままになさってください。
あたしは「あたしはこう思う」としか申し上げられません。問題あり、です。
にょろにょろさんへ
コメントありがとうございます。
気象コントロールも本業の業務の一環なのでついそのままの思いで書いてしまいました。
慣れと経験が必要なことですし、起きれば実害のあることですから、自分の経験上、という注意書きを記事に追加いたします。
ご配慮に感謝します。どうもありがとうございました。
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初コメ
姐さんこんばんは。
ひじょうに興味深く、一気に拝読しました!
姐さんにいつか手相をみていただけたらなぁ(^_^)最近の私の夢です☆
ららら♪さんへ
いつもありがとうございます。あたしも自戒のために気持ちを引き締めてがんばります!
とても心強いです。お志に感謝します。
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