バンクーバー五輪、影の勝者はサムスンだった

バンクーバー五輪、影の勝者はサムスンだった

半導体や液晶だけでない長期事業育成策の成功例がここにも

2010.03.05(金) 野口 透
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2919


バンクーバー冬季五輪で、圧倒的な存在感を示したのは韓国選手団だった。金メダル6個、銀メダル6個、銅メダル2個。合わせて14個ものメダルを獲得し、金メダル数では地元カナダや米国に伍して5位に入り、スポーツ強国ぶりを世界に見せつけた。

韓国に金メダルラッシュを呼び込んだサムスングループのオーナー家

韓国中がキム・ヨナフィーバー一色だが、今回の大躍進の最大の受益者はサムスングループとそのオーナー家かもしれない。

韓国選手団の大活躍を現地バンクーバーで満面の笑みで見守ったのは、サムスングループのオーナーで前会長である李健熙(イ・ゴンヒ)氏だ。

2月14日(韓国時間)、冬季五輪男子ショートトラック1500メートル決勝で韓国の李政洙(イ・ジョンス)選手が優勝した。今大会での韓国選手金メダル第1号で、これを機に韓国選手の快進撃が始まった。

歓喜の韓国人応援団の中に、李健熙氏夫妻や長男で昨年末にサムスン電子副社長兼COO(最高業務責任者)に就任した李在鎔(イ・ジェヨン)氏の姿があった。さらに表彰式で李政洙選手に金メダルを授与したのはIOC(国際オリンピック委員会)委員でもある李健熙氏だった。

李健熙氏にとっても、サムスングループにとってもバンクーバー冬季五輪は特別な意味を持つ大会だった。

李健熙氏は、2007年秋に発覚したサムスングループとオーナー家による不正な機密資金事件で翌年会長職から辞任に追い込まれた。


失意の李親子を救ったオリンピック


昨年(注 2009年)8月には背任と脱税で有罪が確定してしまった。サムスングループの後継会長と言われた李在鎔氏もサムスン電子専務のまま長期海外視察に出て経営の一線から離れることになった。

失意の李親子を窮地から救ったのが「オリンピック」だった。

韓国は、2018年の冬季五輪を韓国東部の平昌に誘致することを決めている。既に過去2度、平昌誘致に失敗しており、2018年大会の誘致は3回目で最後のチャンスと言われている。

悲願実現のためには李健熙氏とサムスングループの力が是が非でも必要だとの声が、有罪判決後の昨年秋から急速に高まっていたのだ。というのも李健熙氏は長年、IOC委員を務め、海外に豊富な人脈を持つ。

韓国人でこれほどIOCに強い影響力を持つ人物がいないことは確かだ。

また、サムスン電子は1998年の長野冬季五輪以来、無線通信分野での五輪公式スポンサーで、これまでにも五輪がらみで巨額の広告宣伝費を使っており、五輪誘致に欠かせない企業なのだ。

昨年末には平昌のある江原道の知事や体育会、経済界、さらに一部閣僚からも「李健熙氏を復権させて冬季五輪誘致のために働いてもらうべきだ」との発言が相次いだ。

オリンピック特赦が発表されると、すぐに活発に動き出す


こうした声を背景に昨年12月末、李明博(イ・ミョンバク)大統領は李健熙氏に対して「国家的な観点から」特別赦免・復権に踏み切ったのだ。これと前後して昨年末のサムスン電子の定期役員人事で、李在鎔氏も副社長兼COOに昇格、親子そろって復活を果たしていた。

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韓国・ソウルの裁判所を後にするサムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)前会長(2008年撮影)

復権とともに李親子は活発に動き始めた。李健熙氏は夫人、長男のほか、サムスングループ系列会社の専務に就任している2人の娘も連れて年明け早々にラスベガスに飛んだ。冬季家電展示会(CES)で記者団の前に一家そろって姿を現し、健在ぶりをアピールした。

さらに2月5日には李健熙氏の父親であるサムスングループ創業者(故人)の生誕100周年記念行事をソウル市内で大々的に開いた。その直後には、IOC総会と冬季五輪出席のためバンクーバー入りした。いずれも一家そろっての行動だった。

李健熙氏に対する特赦については、韓国内でも「財閥オーナー家だけを超法規的に扱うのはおかしい」との批判が根強い。こうした雰囲気を察してか、李健熙氏は特赦後も「サムスングループ会長への復帰」については慎重な言動を繰り返している。「オリンピック」を名目に特赦を受けたのだから、当面は冬季五輪誘致活動に専念しようという姿勢だ。

注意深く完全復権の機会をうかがう李健熙氏にとって今回のバンクーバー冬季五輪は強い追い風になった。何よりも韓国選手の大活躍で、「冬季五輪を韓国でも十分に開催できる」というイメージを他のIOC委員に与えることができた。

スピードスケートで相次ぎ金メダル、その影には・・・

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スピードスケート男子1万メートル。12分58秒55で優勝した韓国の李承勲(イ・スンフン)選手

「李健熙神話」がまたもう1つできたことも大きかった。スピードスケート競技での相次ぐ金メダル獲得のことだ。

韓国にとって冬季五輪と言えば、ショートトラック競技が唯一とも言える得意種目だった。トリノ大会までに韓国選手は冬季五輪で17個の金メダルを獲得しているが、このすべてがショートトラック種目だ。

今回は女子フィギュアスケートに絶対的な金メダル候補のキム・ヨナ選手がいたが、それでも大会前の金メダル目標は「キム・ヨナ+ショートトラック」だった。

ところが、大会が始まるとスピードスケートで大躍進。男女の500メートルと男子1万メートルという注目度の高い最難関種目で相次いで韓国人選手が金メダルを獲得した。

実は、この大躍進の影に李健熙氏の力があったのだ。


バンクーバー冬季五輪で韓国選手団長を努めたのは大韓氷上競技連盟会長としてスケートやフィギュア競技を統括する朴聖仁(パク・ソンイン)氏だった。71歳のこの人物は李健熙氏のスポーツ界での活動を支える側近中の側近なのだ。若い頃、卓球選手として国家代表にも選ばれたことがある朴聖仁氏だが、スター選手とは言えなかった。その能力を発揮したのは指導者になってからだった。

10年計画で選手を育成してきた

韓国代表チームの監督にまでなった朴聖仁氏は1970年代末にサムスングループの第一毛織卓球チームの総監督になり李健熙氏と出会う。韓国は卓球競技ではアジアでも中国や日本にかなわない二流国だった。

だが、サムスングループは1988年のソウル五輪開催を見越して卓球チームを創設、当時副会長だった李健熙氏は10年計画で選手育成を命じた。朴聖仁氏はこの期待に応え、第一毛織所属選手中心の国家代表チームを指導。ソウル五輪では卓球競技で2個の金メダルを獲得した。

卓球指導者以上の能力があると見抜いた李健熙氏は1992年に朴聖仁氏をサムスングループ会長秘書室に配転した。スポーツ担当専務に抜擢してグループ全体のスポーツ活動を統括させるとともに、李健熙氏が長年会長を務めた大韓レスリング協会の副会長にも就任させた。

その後、朴聖仁氏はサムスンスポーツ団長なども歴任。李健熙氏の腹心としてサムスングループのアマチュアスポーツ活動の実務責任者役を担っていた。

そんな朴聖仁氏を1997年1月に李健熙氏が急に呼び出した。1年前にIOC委員になっていた李健熙氏はこう指示した。


不人気スポーツの育成は企業の研究開発投資と同じ

「夏のスポーツのメーンは陸上で、冬のスポーツのメーンはスケートだ。将来、韓国は冬季五輪を誘致しようというのだから、スケート競技を何としても育成しろ」

朴聖仁氏はこの年、大韓氷上競技連盟会長に就任した。李健熙氏は、こう話したという。「干渉せずに全面的に支援するから焦らずにやってほしい。不人気のスポーツを育成することは企業が長期的な視野で研究開発投資をすることと同じだ」
この時以来、サムスングループは大韓氷上競技連盟に総額120億ウォンを支援した。朴聖仁氏は卓球選手育成と同じく、この時から10年後をにらんだ強化プロジェクトを稼働させた。


今回、スピードスケートで金メダルを獲得した選手は、いずれも1988~1990年に生まれており、この長期計画の申し子たちだ。また、朴聖仁氏は、今もサムスンスポーツ団常勤顧問。サムスン電子から報酬を得て身分保障を受け、万全の体制でスポーツ事業に専念できるようになっている。

バンクーバー冬季五輪で韓国選手がスピードスケート競技で大活躍したのは、もちろん選手の努力やコーチの適切な指導、さらに充実した訓練環境を提供した韓国体育大学の存在が大きいだろう。だが、「不人気種目を長期的に育成する」と決めて支援を続けた李健熙氏の決断が大きなきっかけとなったことも間違いない。

日本電産はメダリストを2階級特進


韓国のスポーツ界では、サムスングループのスケート支援は広く知られている。今回の快挙で、改めて、李健熙氏の先見性に対する評価が出ている。

日本でも、バンクーバー冬季五輪で銀メダルと銅メダルを獲得した2選手に、所属する日本電産サンキョーが特別ボーナスを支給し、2階級特進させて話題になった。カリスマワンマン経営者の永守重信社長だからこそできた決断だろう。

バンクーバー冬季五輪で韓国選手が大活躍したことで、「韓国式育成プラン」に関心が高まっている。韓国の場合、兵役免除や報奨金など政府の支援も大きいが、財閥による重点強化もそれ以上の効果を挙げている。

全権を握るオーナーが長期的視野に立ってトップダウン型で意思決定し、部下の潜在能力を見抜いて全面的に実務は任せる。これは事業にも通じる手法である。

バンクーバー冬季五輪での韓国選手の大活躍で李健熙氏株は急上昇したが、サムスン電子もまた大きな受益者だった。長野冬季五輪を機に五輪公式スポンサーになった同社は今回もこの特権を生かして大々的なキャンペーンを打った。


バンクーバー市内にあふれ返ったサムスンの看板

バンクーバーの市内にはサムスンの看板があふれ返った。サムスン製のプレミアム電話機を利用する世界中のユーザーに五輪ニュースの速報を流したほか、重要市場である米国や中国、ロシアなどからは50人以上の若者をバンクーバーに連れて来て「五輪記者」として自国向け五輪コンテンツを制作した。

サムスン電子は今年は携帯電話機の世界シェアでも長年、首位を独走していたノキアとの逆転を狙っており、五輪は「サムスン」を世界にPRする最大の場だった。

李健熙氏は特赦後、バンクーバー冬季五輪という大イベントを成功裏に乗り切った。では今後すんなりと本格復権に進むのか。韓国の経済界でも見方は分かれている。

「国民が五輪の余韻に浸っている間にグループ会長に復帰すべき」という声はグループ内部にも多い。だが、一方で、「年末に特赦を受けたのはあくまで冬季五輪誘致のため。誘致競争はこれからが本番で、すぐに経営の一線に復帰するというのは無理がある」との見方も根強い。先に触れたように本人も慎重だ。

キム・ヨナ選手はサムスン電子の高級家電のCMに出演していた。李健熙氏と朴聖仁氏のコンビは今度は、キム・ヨナ選手を前面に押し出して冬季五輪誘致に全力投球するはずだ。李健熙氏にとっては、それこそが自らの復権と長男のグループ継承への大きな鍵を握ると見ているからだ。

韓国にとってもサムスンにとっても、五輪は決して単なるスポーツ競技の場ではないのである。




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韓国情報 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/02/15 02:46
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