「株式会社藤原書店」の謎~バルザック全集の恐るべき誤字脱字~


三島 ぼくはしかし、小説のことにこだわりすぎるようですけど、小説ってことを考えると、バルザックの文体が一番お手本だと思うんですけどね。今おっしゃった冗談から哲学まで、みんな翻案できちゃう。それで全体の一つ一つの部分は、実に間延びがしてたり、いい加減だったり、メチャクチャだったりするんだけども、全体が散文の波があって、その波は永遠に波打ってるような感じがする。ああいう文体が一番小説じゃないかなっていう気がするんです。

小林 そうかなあ。

三島 書いた当初は、たいへん悪い文体だって言われてたんでしょうね。

小林 悪口を言う人はたくさんいます。

三島 バルザックはお嫌いですか。

小林 いや、ちっとも、いいですね。

三島 ホフマンスタールのバルザック論というのは、とってもいいもんだと思います。

小林 日本で出てるんですか。

三島 ええ、出てますね、翻訳で。ホフマンスタールは、バルザックはどんな汚いことを書いても透明な絵具で書いたって言ってるんです。全部の中に詩がある、ということを書いているんです。


新潮社『三島由紀夫全集39 対談集』美のかたち―「金閣寺」をめぐって(小林秀雄・三島由紀夫)


新潮社さん、776ページの本に誤植がない。さすがです。
しかして藤原書店さん!!!!この記事の内容は「株式会社藤原書店」に電話をかけて「ブログでもなんでもどうぞお好きに書いてください(半笑い)」という許可をいただきましたからありがたく書かせていただきます。

電話に出た女性がOKをくださったので安心して書けますね。
太っ腹だわ~「株式会社藤原書店」さんwwww

電話に出た女性は鼻でせせら笑っていらっしゃったけど、姐さんは「これぞ日本文化の衰退!」という危機感をかなり強く持ったので満を持して、と言うほどでもないですが、WiLLさんのおかげで出版社からのアクセスが増えた今、書かせていただこうと思います。

実際にはけっこう前の話なんです。

フランスの作家、バルザックの生誕200年を記念して出された文集の誤植が半端じゃなかったんです。
生誕二百年、ではなく200年記念、と銘打たれた時点で嫌な予感はあったのですが、買って読んでみたら案の定です。各巻とも「だれそれ責任編集」と仰々しく銘打っておきながら「責任なんか一切果たしてないじゃないのよ」とあきれ返った次第です。

おそらく世界一誤植が多い本としてギネスブックに申請したらすんなり通ると思います。

昔聖書でGODが全部DOGになっていて速攻で回収・処分という騒ぎがあったように思いますが「誤植世界一、にもかかわらず一切の対応拒否」という大惨事。

姐さんはあまりのことに青くなり、とりあえず誤植対比表を作成し、念には念を入れた上で「藤原書店」に電話しました。
これは欠陥商品です。こんなものを売ってはいけない。と思ったからです。
どのくらい欠陥だったかは証拠を出せます。すごいですwwww

電話に出た方によると、

・当時の関係者は全員退職しているので何もわからない
・回収はしない
・正誤表もつけない
・改版はしない

と、面倒くさそうに言われました。

姐さんは「正誤表、対比表を作ったので送ってもいいか、とりあえずどのくらいひどいのか見てもらえないか」と言いました。

「送っていただくのは構いませんが」と明らかに迷惑そう。

申し訳ないんですが、姐さんはここ20年でウ・・・じゃなかった、キンケンジさんの不正行為を除けばこれほど激怒したことはないくらいの怒りを感じました。
問題のある製品を市場に出して「株式会社藤原書店」の名で販売しておきながら対応は一切しない。
しかもこの文豪の(すみません、文豪と言わせてくださいww)生誕記念と銘打ちながらこの誤植っぷり。

これぞ日本文化の衰退じゃあ!と姐さんは思いました。

姐さんがバルザックの関係者なら「藤原書店」を訴えます。
ひどすぎます。

んで、姐さんは電話に出た女性に確認しました。
「じゃあそちらが一切何もなさらずに欠陥品を売り続けることについてAamzonのレビューや自分のブログで書いてもいいんですね?」
電話の相手は含み笑いしながら「どうぞお好きにしてください」とOKをくれました。

笑うところなんですかね。姐さんは悪質クレーマーにカウントされているんですかね。
この記事が「藤原書店」の目に留まるかはわかりません。
でも許可をいただきましたから、姐さんはなにゆえの激怒かを世界に向かって公開します。


姐さんはバルザックが大好きです。と言ってもフランス語はわからないので原文での読みくだしはまったくできません。今からフランス語を理解していく気力もありません。なので、もっぱらどなたかが翻訳なさったものをありがたく拝見しバルザシアンと名乗ることもなく平和に過ごして参りました。

バルザックは面白いです。当時のフランスの大都会、パリを舞台に、あるいは田舎を舞台にしてバルザック本人が名付けた「人間喜劇」の名の通り、さまざまなドラマを下世話に、卑俗に、饒舌に描写することで、愚かで卑劣で金に汚く情欲や嫉妬や殺意、劣情と堕落と逆切れを活写しながら、そこにさしこむ「人間の崇高さ」をあまりにも鮮烈に「作品」に残しています。焼き付けています。

めちゃくちゃに面白いんですよ。

バルザックそのものもめちゃくちゃだし、異常な量の珈琲を飲みながらちんこの乾く暇もなし(ほんとですってばwww)カネに女に地位に名誉に、それはもう「書いてますよね、自分で」と言わざるを得ない精力派。
自分で出版社を作っては大借金をこしらえて倒産させて、なにくそと面白い小説を書いてまたヒットさせ、そのカネでまたしても新たな借金の元に手を出し、ほんとに何なんでしょうこの人はwww

姐さんはステファン・ツヴァイクも好きですし、ローレンス・ヴァン・デル・ポストも大好きです。とうとうと丹念に描写をしてくれてたっぷりとした長い小説をどしどし量産してくれる作家が好きみたい。
そして正面きって「人生」とか「人間の真実」とか「悲劇」とか「喜劇」とかを論じてくれる作家が大好きです。

ドラマを通じて。

だから『風とともに去りぬ』や『ジェーン・エア』なんかも月に一度は読み返すくらい大好きです。無駄にものすごく速く活字を読む特技があるのが恨めしいほど、本当は時間をかけて一字一字ていねいにゆったりと読み返したい。好きなフレーズは暗記しているし、ストーリーはいつどの場面でも再現可能。脳内映写機にはいつでも「その場面」が再生されて風が吹き雲がゆき、孤独や悲劇や災害や、恐ろしすぎて個人ではとうてい手におえないとんでもない規模でふりかかるわざわいを、「にも関わらず」人間が「それでも」乗り越えていく姿を、繰り返しなぞることで「ああ、こうやってでも、どうやってでも、人は強く生きられるんだ」と学びなおさせてくれるからです。

まあくどくど言わなくても「面白い」から大好きです。

で、バルザックはしょーもない作家です。えんえんとどうでもいい服飾や風俗や気候やらを重ねて行って「バルザックによるパリ世界」をかっちり構築してしまう。そしてその世界の中で起こるしょーもない嘘や裏切りや決裂をこれまたえんえんと描写していく。すべての文章の末尾に(迫真)とつけたらちょうどいいようなものです。異様なリアリティーのもと、とつじょ悲劇がふりかかる。とつじょ「真実」が突き付けられる。
この、対比。

「キャラ立ちの勝利」と言うと表現がとても軽くなりますが、バルザックの勝利の八割方は「あまりにも立ちすぎているキャラクター」を無限に創出できたことにあるでしょう。いや、それは実は二割のほうで「本人の体力が異常にあった」からなのかもしれません。

臨終の床にふせったバルザックは見舞いに来た友人が気休めに選んだよもやま話をさえぎって「そんなことよりもっと現実的な話をしよう」と言い出して「自分が創造した小説中のキャラクター談義」を始めます。

おいwwwwww
おっさんwwwww

ああ、好きだなあ。バルザック。


この「世界創出者」としての全能感と疾走感は、物語を作ったことがある人は必ず経験なさったことがあると思います。「その世界」を描写し得るのは自分だけだという自尊。圧倒的に面白く、ものすごく感動的なとびぬけてすごい話を「今自分は書いている」という万能感と多幸感。
自らの力量に酔いしれて筆が進むに任せる経験。

そして、「その世界」が命を持って自動的に動き出し、「その世界」の物理的・倫理的法則にしたがってすべての登場人物が有機的に連動し、最終的に待っている結末に向けてなだれていく疾走感。

全知全能の神であり、キャラクターたちの意思のままに「その世界」が動くのを脇で見ている傍観者でもある。「その世界」がどうなったのかを一番最初に知ることができ、笑い、泣き、感動できる幸運な先駆者でもある。

同時に次の日に読み返して「ぎゃーーーー!!!積み荷を!積み荷を燃やしてええええ」になるときもあるw


バルザックの小説には「人間」がうじゃうじゃ出てきます。

姐さんは自分が肉体を備えて生活している「この現実」にどうも今いち馴染みがない。夢見がちな乙女であったと言えば聞こえはいいですが、この、思うに任せず理不尽で、たとえばウ・・・じゃなくてキンケンジ氏の不正採点が堂々とまかり通るような狂った世界にどんな値打ちがあるのだろう、というような違和感というか諦観というか、「これってほんとにほんとなの?おかしくね?」という気持ちを常に持ち続けてきましたね。

不正を許せない、非常に発火点の温度が低い性格は「おまえらのみっともない”現実”を俺に押し付けてくるんじゃねえ!迷惑なんだよ!」という怒りから形成されたものでありましょうし、「こんな現実が”現実”なら、俺がぶち壊してやる!だって誰も得してないじゃん。みんなで苦しんでいるだけじゃん」という「おかしなものには速攻でばーかばーかと言う性格」もそのせいでありましょう。

バルザックがしたように「ぶっ書く」力量があれば、姐さんはきっと「あらまほしき氷の世界」を全百巻にわたって書き綴り、たとえばスケート靴をはく描写で60ページくらい使ったかもしれません。
靴の紐を結びながら現実に手にしている紐の形状や素材や現状や、それらを今ここで手にしている意義や、ふと思い出す昔の記憶やリンク環境を盛り込めば60ページはあっという間でしょう。

ドラマというのは、文字で描写されたドラマというのは、「読み手の想像力」によっていかようにも飛翔します。

「絶世の美女がいた」。

こう書くと読んだ人は「自分が思う絶世の美女」を想像します。その人が神となっての創造です。
だじゃれではありませんw
この世で最高の美女を心に住まわせ、オーダーメイドのすべてが希望に合致したその美女の面影を追いかけての読書です。
だから文章表現による文字の味わいというモノは四次元的な営為なのです。これは人間にしかできないこと。文字を「解釈」し「想像」し「味わう」ことは人間にしかできません。

そして「書いたものは読者のもの」であるというのは非常に本質的な謂だと思います。
なぜならそこに「読み手のすべて」がぶっこまれてくるからです。
同じ人でも時期が違えば、また経験が重なれば同じ物語でもぜんぜん違う解釈になる。読み手が変わったからです。「参加する側」の状態が変わったからです。
こういう表現活動は映画でも舞踏でも起こり得ますが、完全に架空のモノを創造「させる」という点で、文学は他とは異なっていると言い切れます。

バルザックが書きに書いてついに書き得なかった「余白」の中にとつじょ現れる「真実」は、読み手があらかじめ備えた道徳性であり、倫理性であり、論理性であり、なおかつそれらを凌駕した、書き手と読み手を内包し、その混淆物によってひとつ上の段階に達した「現状を上回るそれら」なんですよね。


読むことで読み手が経験する変化、そしてその変化によってさらに移り行く読み手の想い。

感動の質をいかようにも深めていけるという点で、文学というのはやはり人間の営為において燦然と光輝く金字塔だと思うのです。コレあればこその人類だ、姐さんはそこまで文学に対して価値を見ます。

同時にカストリ雑誌、黄色表紙、ゾッキ本、エログロナンセンスの「そっち系」の「文字による表現活動」も存在することを忘れたことはありません。
どちらも大事だと思います。

そして今、「フィギュアスケートの真実」についてちゃんと書いてくれているのは「そっち系」の媒体ばかりです。

「そっち系」には「言いたいことを言う」度胸と勇気を持った「報道者」がまだいてくれたということです。

大手出版社にはない、「フィギュアスケートの真実」を「記事にしよう」と決断してくださる編集長がいてくださったということです。

であるならば、姐さんは喜んでアサヒ芸能さんやFLASHさんを毎号、毎号買いましょう。
たとえその他にはおっぱいしかのっていなくても!
(美脚派の存在も忘れないで!)

皆さんが誰でもご存知の大手出版社にいる知り合いは「フィギュアスケートの暴露本を出したい。出したい。出したいが、出そうと会議で言うことすらできない。クビが怖い」と言います。

はぁ?クビにされるの?なんで?誰がどういう理由で「フィギュアスケートの真実」を記事や本にすることを許さないの?
電通?広告引上げ?
でもウ・・・じゃなかった、キンケンジをアゲアゲの企業の製品なんざ、姐さんは金輪際買わないけどね。
あとテリー伊藤なんかウ・・・よりくっせぇと思うけどね???なんざんしょ?

「あんたの普段の行いが」とは言えませんでした、さすがに。

フィギュアスケートの偏向報道について風向きはすこーーーーしずつ変わっては来ています。でも、俺たちが応援買いをして「ありがとう!」と思えるところはまだ少ない。

まるで「日本人選手の足を引っ張るために」帯同したかのような日本スケート連盟の偉いさんたちの「劣悪な練習環境を浅田や鈴木に無理強いした」こと、「連日酒盛りをしたあげく、これから試合の選手を酔って揶揄するような連盟幹部」「すべてを自分の手柄にしようと醜くのさばる某幹部」について取り上げたのもあのFLASHさんです。

劣情を刺激して売り上げを伸ばす低俗で俗悪で悪辣で、ってわるいことばのしりとり的な扱いを世人からはされているFLASHさんが「本当のこと」をズバリと書いてくれた。
記者さんが取材をして、写真をとって、文章を出して。そしてそれにGoを出してくれた編集長さんがいた。
いてくださった。

その間、大手マスコミは何をしていましたか?
「フィギュアスケートの真実」について何を俺たちに教えてくれましたか?

浅田を叩き、信夫を叩き、責任転嫁をねらっている。けなすネタがない場合はいつもの「関係者談」であいまいで確証もない「誰かの嘘」を堂々とのせる。

フィギュアスケートの真実とはただただ「選手の演技」です。あれがすべてであり、最高の告発です。

大手マスコミはそれに対して何を報道したでしょうか?

バルザックはしょーもない大量の小説を通じて痛快この上なく、残酷で、無残で、悲惨で、滑稽で、愚かで、醜くて、どうしようもない「人間の真実」を喝破しました。
「にも関わらず」人は生きていくのだと。生きている間は生きるのだと。とんでもない活力と尋常ではない割り切りで「生きた者勝ち!」をこの上もなく高らかに宣言します。

バルザックは幸福な作家だったろうと思います。自分が作り上げた「その世界」でいつでも血沸き肉躍る冒険活劇を経験できた。それを人と共有し報酬となる対価を得、現実を楽しむことができた。

実に実に作家向きの人間です。

そんなバルザックだから、と申し上げているのではありません。過去の名訳、過去の膨大な他社の全集と比較して、申し上げるのではありません。

「藤原書店」さんはバルザック生誕200年を記念した全集において1巻ずつ個人名を出して「だれそれ責任編集」と銘打って、本書内巻末ではわざわざ対談までさせている。バルザックを愛し、バルザックを讃え、バルザックの良さを広めていきたいと願う人間を集めた上でとんでもないやらかしをしているのです。

この異常な多さの誤字脱字。
校正は一切なされていないのでしょう。
校正がもしもなされているのであれば、登場人物の名前を間違えたり、送り仮名、助詞、句読点がおかしかったり、することはないはずです。

校正がなされているのであれば「?」の「前後のスペース」も統一が取れているはずです。
「?」や「!」は出版社ごとに「どう印字するか」の決まりがあります。
「?」の後は全角1文字分あける。
「?」の後は半角1文字分あける。
などのルールがあります。普通はひとつの記事、一冊の本、の中では統一をするものです。
姐さんが最初におかしいなと思ったのはこの「?」の前後の空白がバラバラだったことによります。

こんなのは基本中の基本。編集ソフトなら一括指定で真っ先にただすところです。文末に「。」を必ずつける、というルールと同じくらいの基礎の基礎です。

この、会話文をはさむ「」についても、文頭で全角1文字分あけるとか、文頭1文字目から「 がくるとか、ルールがあります。それらと同じ基礎の基礎です。

これがまずなっていなかった。
持ち込み原稿だってもうちょっとなんとかなっているでしょう。

日本文化は衰退しました!と目の前が真っ暗になりました。

『金色の眼の娘』を読みたくて真っ先に買った全集の3巻には、誤字脱字箇所に付せんを貼りつけましたから、カラフルなハリネズミのように見えます。
わっさわさです。ぼっさぼさです。

大惨事です。

がっかりして、悲しくて、他の巻は買いませんでした。もう見たくもありません。
図書館に入っていても絶対に借りません。貸出履歴を残さずに閉架書庫で死蔵されて処分されればいいとすら思います。

せっかくの志をここまで悲惨なブツにして売ることもなかろうに。

同一ページに「パリジャン」と「パリジヤン」が存在するとか、こんなの編集ソフトで一回チェック入れれば光の速さで直るのに。手書きで出されたとしても入稿後の校正をしていたら一人称の「ぼく」と「ぼこう」が同一ページに存在するとか、「出来合い」と「出来合」が同一ページに存在するとか、「破壊さている」とか「由緒正し血筋」とか「三人だけなると」とか自認を自任と書いちゃうとか、なかったと思うんですよね。


校正を!校正を!チーム・校正を!(切実

というわけで「株式会社藤原書店」さんお墨付きの許可のもと、「西川裕子 訳・解説」の「株式会社藤原書店」刊『バルザック全集第三巻 十三人組物語』は「誤植数の多さにおいて他の追随を許さない圧倒的な大惨事」を「一切の修正を行う気なく」売られていて姐さん超がっかり、という記事でした。

いやマジで「?」と「!」の前後の不安定さ、気持ち悪くてたまらないっす。
あとちゃちゅちょ、のゃぅょの、前の文字にくっつけるときの字間がキモイ。センスねーなーとは恐れ多くて到底言えるものではございませんが、レイアウトまでびしりとご自分でなさる京極夏彦氏がコレを見たら発狂すると思います。そのくらい雑。

そう、雑です。編集が雑。

嬉しかったのになあ。全集が出る!新訳で!嬉しい!と思って小躍りして、もうほんとに大喜びで最初の1冊を買って、よければ人に贈ったりすすめたり、全集を近隣図書館に寄贈したり、とかいろいろ計画していたんですよ。

バルザック、面白いのになぁ。なんでこんな雑な仕事で売り出しちゃったのかなあ。
そしてなんでこれだけドイヒーなのに訂正も、正誤表すらも入れないのかなあ。
ホームページで正誤表を出したらスクロールがえらいことになりますわね。
それすら間違えてさらに訂正されたりして。うわーやだやだ。

姐さんは採点の公正さを求めているのであって、まさか「株式会社藤原書店」さんに校正の必要性を力説するはめになろうとは思ってもみませんでしたよwww

フィギュアスケート女子シングル選手を「風俗嬢」にたとえたクソつまらねえ漫画モドキをかいたホイチョイ・プロダクションズとそれを掲載させた小学館からは未来永劫一切何も買わないことにした姐さんですが、「株式会社藤原書店」の刊行物も二度と手にしないと思います。

あ、言訳はいらないですよ~。あの電話対応がすべてだと思いますから~☆


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日本人として生きるということ | コメント(12) | トラックバック(0) | 2014/03/10 07:36
コメント
電話対応ですべてがわかりますよね
電話対応ですべてがわかりますよね。
私は○○連合に電話しましたが、最初に電話撮ったおばさんがサイテー最悪でした。
笑いながら、取り次ぐのです。
労働者の!味方の!組合の本丸に!
組合員の!家族が!意を決して電話しているのに!
くすくす笑いながら、電話を取り次ぐ!

!がやたら多くなりましたが、
そういう組織なんです、連合って。
社会人をしてまずなってない。
藤原書店のその方も、社会人1年生からやり直していただきたいですね。
ちなみに、TBSの番組担当の女子スタッフも、そんな感じ。
「ご意見ありうございました」も言えない、○ソです。

とは言え、詐欺師みたいににこやかで邸内なのも要注意ですけど。
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酷い
原作者にとって作品は子供のようなもの、読者にとっては一人ひとりの世界であり財産。
外国語の作品は、翻訳者さんの力量も作者と読者との橋渡しとして、とても大きなもので努力もされてるだろうに、その産まれて来た子供をいい加減に扱う出版社って、人間で言えば虐待ですよね。
電話対応した担当の社員。あんたネグレストだよ。出版社で仕事をする事に向いてない。

前にも私は活字中毒で…とコメ欄に書いた事ありますが、私の場合は乱読で何でもかんでも読み漁ってた時期がありました。某商業施設に勤めていた頃、出勤前に同施設内にある書店で目に付いた文庫本を一冊買い、交代で取る1時間のお昼の休憩時間と夕方の30分の休憩時間、通勤時間の車内(行き帰り合わせて乗車時間は30分も無かったかも)で一冊読み終わる。そして翌日、出勤前に書店に寄って一冊買い…と言う生活を4年くらい送りました。

ごく普通のページ数です。京極夏彦さんの新書みたいな分厚い本じゃないですけどね(彼の本が話題になってる事は知らず、たまたま書店で見たあの挑戦的とも思える分厚さに『読みきってやろうじゃんか』と勝手に負けん気が湧いたんですけどw)。適当に手に取って気に入ったら、その作家さんの本は全部読む。少なくとも、その書店にある同作家さんの本は読み尽くす。そしてまた、次に気に入った作家さんの本を読みつくす。といった読み方w気に入らない、好みでない本も膨大になりましたが、全て私の中では財産です。気に入った本は、今でも何度でも読み返します。

手当たり次第に読んだお陰か、じっくり選ぶと(休日には地元の書店でジックリ選んで購入してました)選ばないような本も、自分の知らない世界を広げてくれた教科書であったり、あまり名前の知られてない(自分も全く知らなかった)作家さんの作品がとても気に入ったのに、今はもう筆を折られていて新作を読めないばかりか、もう出版もされていないので今持ってる本を無くしたりしたら二度と読めないと言う本にも出会えました。本は心の財産です。

そんな私も最近はめっきり読まなくなった。何でだろう。書店に入って話題の本を見ても触手が動かない。何かピンッと来ない。何か無理やり話題にして読まされてる感を感じるときもあるし、直木賞受賞作品も「この選考ってなんだか…」な、ちょっと思うところがあったり。作品を送り出す側の姿勢と言うか愛情とか情熱が感じられないのかな。出版業界がお寒い限りと言うのも納得します。残念ですね。今は、昔に読んだお気に入りを読み返すことが多いですね。

>「フィギュアスケートの暴露本を出したい。出したい。出したいが、出そうと会議で言うことすらできない。クビが怖い」と言います。

これ読んで、中の人の状況を始めて知りましたが、この姿勢がフィギュア関係なく他の出版物にも現れてるんじゃないですかね。本が好きな人は肌で感じるんじゃないのかなと、ふと思いました。

姐様
「あらまほしき氷の世界」を全百巻!!読みたいぃぃぃぃ。
全百巻?私負けませんよ、読みきりますよっ、ええ百巻くらい何て事ないですともw
バルザック愛伝わりました
私は古典はディッケンズとオースチンのライトノベル派ですが、この、長編コラム?を読んで、Amazonでバルザックポチりに行きました。もちろん、件の出版社のではなくね。
姐さんはディッケンズは嫌いですか?
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DVDではずっと前から
いや、ひどい話ですね。
藤原書店て、ちょっとググってみたら、良心的で堅い本を出版している会社・・・、
のはずが、どういうことでしょう。
意味不明ですね。
こういう会社なら、きちんとした仕事するはず・・・・、
というのが、今は通らない時代になってしまいました。

バルザック、人間喜劇ですね。
もちろん、学生時代に読みふけりましたとも!
だいたい大作家と言われる人の本でも、ポピュラーな作品しか文庫本にはならないので、
こういう大全集って、ありがたい存在なんですけどね。

もう、原稿が読めない編集者、台本が読めないプロデユーサーばかりですからねえ。


ところで、文化の破壊と言えば、映画、DVDの世界ではずっと以前からです。
ポーランドの国民的作家、シェンキエヴィッチ原作の「ファイアー・アンド・ソード」なんて、
三分の一がカットされたDVDが販売されているんですよ?
だいたいこういうのに手を伸ばす人はマニアックなので、ちょっと値段が上がってもいいから、完全版でぜひほしいのに・・・。
かろうじて、「クオ・ワデイス」は完全版が二枚組で発売されているのが救いですが・・・。

「ファイアーアンド・ソード」
http://poland-mead.com/fire-and-sord

完全版、期待できるのはNHKBS深夜あたりでの一挙放映なんですけどね、
リクエストしているのになしのつぶてです・・・・・・・涙

この作品だけじゃありません、
欧州の歴史物は、だいたいひどいカットがされています。
ドイツ中世の再洗礼派のドラマなんかもすごい面白いのに、カットですもん・・・激涙
こちらに書いて良いものか迷ったのですが、なんかモヤッとするので書かせて下さい。問題あれば削除で
親日国でもあるトルコと一緒にエルトゥールル号の遭難と1985年のイラン・イラク戦争時のトルコ航空による邦人救出の話を映画化という事なんですが、監督が あの 「利休に尋ねよ」の監督
このお話が広く知られるようになるのは良いと思うのですが…。

とりあえずフイギュアの話題?も
織田さんがマンガの帯に推薦文書いてました。
ちょっと本筋とは離れた小ネタ。
バルザックさんはどういう契約だったか知りませんがヴィクトル・ユーゴーの『ああ無情』は枚数契約だったという話を聞いたことがあります

だから修道院とかパリの下水道の描写があんなに多いのか
いや無駄な話はないんですがねw
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ダウさんのコメントの代理入力
コメント欄にメールアドレスの入力がありましたので当方で削除しコメント部分だけ再度入力させていただきました。迷惑メール送信などの被害を防ぐため拙ブログでは公開コメントへのメールアドレスの入力は禁止させていただいております。

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14/07/31 ダウ

バルザック愛

姐さんの文章を読んで、う~んと脱帽。

私的には、バルザック歴はそうないのでなんなんですけど。
今日、従妹ベットを読み終わって、新潮文庫の上下巻、740ページ
普通だと4時間位で読めるんですが、今回はじっくり倍の時間をかけて
いやあ、面白かった。ストーリー展開に欠点がないわけではありませんが、

バルザックの全集がほしくなって、探していたら姐さんの思い切ったブログ
さてさて私は全集買うのはやめて、図書館ですますことにしました。
それよりも、いろいろ本を探して、あまりの出版の少なさに
バルザックはいかに日本で認知されていないかというのが
よくわかったのと同時に、

なんで、姐さんみたいなバルザック読みなんかが、
人間がいるんだということに
もうひとつびっくり。

ああ、そうそう、
ユゴーのレミゼラブルを『ああ無情』と訳すのはいかがなものか
人間社会のあらゆる『悲惨な』状況を描き、その描写の合間に
ジャン・バルジャンの有情物語を挿入しているのであって。。。

また、『谷間のゆり』と『ベット』の作風の違いにもびっくり、
前者が散文詩的な描写に重きを置いているのに対して、
後者は物語のストーリー展開を重視して、どちらかというと大衆小説に近い、

お互い、日本人の中の希少種かもしれませんなあ
ダウさんへ
いや~、単純にオモロイんですよ、バルザック。
超傑作から「オッサンおいコラwwww」な駄作までいとおしいw

複数の無関係な作品に同じ人物が登場する「スターシステム」とか、今でいうカメオ出演みたいな手法もちょろりと平気な顔でひそませてますし、臨終のとこで見舞いに来た友達が励ますためのよもやま話をしていたら「そんなことよりもっと現実的な話をしようぜ!」と言って「自分の小説の登場人物」について語る、とか、作者本人もたまりませんです。

昔の全集を探されることをおすすめしますよ。日本でも数えるほどですが全集が過去に出てまして、古いほど仕事が丁寧で訳もしっかりしていると思います。まずは図書館で同じ小説を異なる全集で借りて読んでいただいて気にいるほうを訳者で選ぶ、とかいかがでしょう。

姐さんも異常な速読なんですが、何回読んでももったいなくて、じわりじわりと読み返すようにしています。

ダウさんがお選びになる全集がいつのどの社のだったか興味があります。バルザシアンバンザイ!w

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