おいでませ、電波イベント☆


古い文献いろいろの中で特定の漢字が何回使われているか一覧、なんてすごいものを発表なさっている偉い先生がいらっしゃってですね、興味のある漢字があったので比べて見たら、ほ~、「雅」って一回だけなんだ~、「紀」は七回なんだ~、少なくとも古代歌謡の世界だけに限定しても「紀」のほうが7倍も多く使われているんだね~☆とかを知ってにやにやしてるわけですが。初出の資料も「紀」のが圧倒的に古いんだね~由緒あるんだ~というような。ええ。

で、こういう資料の大半が中古で集めなきゃならなくて、図書館も利用してますけど、どうも姐さんは書籍資料に関してだけは手元にないとイヤなのでせっせと古本屋で買っています。著者に一銭もカネが届かないこの仕組み、ほんとに切ない。

まあ姐さんの数少ない趣味のひとつが絶版になった本にAmazonなどで非常に感動的なレビューをつけて「ああ!どうして自分は新刊で流通していたときに買わなかったんだろう!ああ!どうして自分は今までこの本を読んでこなかったんだろう!」と人に思わせる、という非常にヤなことを続ける、というものでしてw
でもうっかり誰かがそれで中古を買うと、とたんに業者が値段を釣り上げるという大惨事も起きるわけで、いい本は宣伝したいけど、業者が儲かるのはな~、でも価値ある絶版本を保管しておいて、欲しがる人の手に届くシステムを維持してくれてるわけだしな~、でなかったらうちにある本の大半もなかったことになるしなあ~とジレンマです。

というか中古しか買えないというのは姐さんのアンテナ感度が鈍いからなんじゃね?と今唐突に悟ってしまいました。ああ!姐さんが!鈍チンだったのか!いやでも生まれる前の本とか入手は新刊書店じゃ無理なんじゃね?江戸時代の草紙とか売ってないよ、そこらで!!!とあわてて言訳を追加しますが、日本人ってほんとに驚異の識字率を誇っていますし、文献資料がすんげえですよね。
江戸時代のお侍さんの日記で当時のことが手に取るようにわかるとか、怪談の古典とも言える耳嚢とか、普通の人が手で書いて残してきたものですからね。和紙と墨の丈夫さですよ。あと「面白いことを、面白いと言いたい」「書き残しておきたい」欲求の強さ。すごいと思う。

このブログも含めて世界に向けて「言いたいことを言う」場所がいっぱいあるのも、この欲求に基づくものかもしれないですね。あんまり変わらないんだ、人間性って。

・・・ひまでひまでしょうがねえ貴族階級の恋のやりとりが和歌限定だったころは、いかにうんちくをこめた、でも一見そうとは気づかれない、相手の教養に応じてダブルミーニングが伝わるようなしゃれた言い回しで切々と相手の情に訴えるかが
ポイントでした。OKが出るまで姿を見せない女性が相手、そしてさあどうぞと部屋に招き入れるまでは相手の男性がどういう人か、せいぜいが噂でしかわからない相手なわけですから、お互いに文章だけが相手の人柄や教養や趣味嗜好や所属階級、経済状態、すべてを知るキーだった。これってすごいことだと思います。

そして身分が高貴な女性であればあるほど、まわりにはあちこちからスカウトされてきた女性労働者の一群、すなわち教育係、おつきの者、単なる話し相手、あるいは紫式部のように面白い物語を書く才女、なんぞがわんさかといて、きゃーーうちの姫様に文が届けられたわよーだれだれだれーーー!!!相手はだれなのおおおおおお!!!どのくらいええカッコしいで歌詠んでるのーーー!!!と大騒ぎで相手の素性を調べまくり、ああでもない、こうでもないと品評会。相手の男性の身分や政治的立ち位置、財政状況で「うちのおひいさま」の立場もがぜん上下動しますから、イベント発生に活気づくお屋敷、という、今とあんまり変わらないんじゃね?と思う、その心のときめきや揺らぎが、とても興味深いです。

和歌の作法も、神道の祝詞も、あんまり変わらないと思う。

仏教の経典はちょっと違います。仏教の経典として今わたしたち日本人が目にしている、あるいは入手できるものは、すべて「翻訳されたもの」です。インドから中国、あるいはインドからチベット、あいだにたくさんの地域と風土と異民族を介してもたらされた漢籍です。それは翻訳から翻訳へとあいだに何人もの手を介して長い時間をかけて日本に伝来してきたもの。
それらをさらに仏教の各宗派の始祖が解釈し、独自の理論を打ち立てた。

こう言うと真面目な仏教徒には仏罰を願われるかもしれませんが、今の仏教って全部「薄い本」だと思うんですよね。始祖のお釈迦様の言動を言い残し、書き残した仏弟子たちのすでに二次創作の「仏教」に対して「ぼくのかんがえた さいきょうのぶっきょう」をそれぞれが打ち立てた。だからすべて二次創作以後の世界だと思います。

だからといってその価値をおとしめるものではありません。それぞれの真摯な活動、血を吐くような真理への希求、「生きてあること」の悲劇と苦痛をいかに解釈し、自分が納得できるひとつの理論、「物語」を構築するか。それぞれに真理あり、それぞれに錯誤あり。善哉善哉、と思います。

姐さんは仏教でいうと禅のほうの「十牛図」がとても好きです。特に最後、「完全な空無」が出現し、それによって一切が消えうせた世界を見、その直後に「大自然」の美しさが一面に展開され、そして「欲望」の象徴とされた、けれども完全に制御された大牛の背にのって、笛を吹きながら「人の世」に回帰する姿。ああ、真実だ、と思うわけです。そして十牛図の最初のサイクルから、また繰り返し繰り返し経験し、悩みながら、迷いながら、「生きる」ことそのものを通して思いを深めていく。歓喜と感謝を経験し、悲嘆と挫折を経験し。「美しい世界」の中で生きていく。
円構造ですよね。その円は螺旋になっていて、より広くより大きな範囲で円を描き、そして永遠に伸びて行く。遅滞はどこにもありません。万物は「動く」のが基本です。
動かない世界を見たときが「悟り」の時間なのだろうと思います。

「観音経」もいいなあ、と思います。こんなにすばらしい経典があるだろうか、と見るたびに大爆笑がおさえられない。こーのお祭り野郎め~と作った人の明るさとはちゃめちゃぶりと自信に敬礼したくなります。観音経は「かの観音の力を念ずれば」何もかもがかなえられる、ということと、観音力さえあれば一切の障害も害意もすべて無効化されますよ、ということを実例を山ほどあげて観音すげえ!観音ヤバイ!と言い続けています。観音を念じたおかげで彼女ができました!とか山賊に襲われたけど、ふりかざした刀がだんだんに折れて助かりました!とか、荒れ狂う海で遭難して海賊に襲われたけど観音を念じたら波は静まり、海賊はしにました!とか実例のオンパレードです。
(だったよね?)

姐さんは、すべての一神教は信仰者が発狂するようできている、非常に粗雑で悪い仕組みだと思うのですが、一神教の人に「観音経」を読んでもらったらいろいろと人生が変わるんじゃないかな~と思います。
観音経は、ほとけがどのように千変万化して人々を救うのかも書いています。観音が必要な人には観音の姿で、悪鬼羅刹が必要な人には悪鬼羅刹の姿で、「相手が悟りを開くための最短距離」であるように、あらゆる「人」に姿を変えて訪れる、と。
この世にあらわれるもので、観音でないものはない、ということです。
この世で人が経験する事物で、観音のはからいでないものはない、ということです。
ということは。
観音経を読んだ人全員が、これすなわち観音「である」ということです。何をもたもたうろついてるんじゃ、という叱咤激励をひしひしと感じます。
しかも観音ってまだ修業中なんですよね。地上にこだわりがあり、やりたいことがあるから観音「菩薩」としてまだ現界、人界にかかわっている。全人類救済、全人類開眼という自分の打ち立てた目標のために、あちこち忙しく飛び歩いている。
そんなナイスガイ、頼れる姐さんズが観音です。

ホトケってもとは人間ですからね。この世で名前を持ち、肉を持ってしてどこかの時代、いずれかの土地で暮らしていた。そして誓願を立てて「みんなが悟るまで手伝います!」というような決意のもと、「誰か助けてほしい人~☆」と皆さんの訪れをお待ちしています、と。
だからですよ。そういう存在に助けてもらえばいいんだと思うんですよ。だって助けたくて助けたくてしょうがないんですから、あちらさんは。『動物のお医者さん』に出てくるシーザー状態です。俺はやるぜ俺はやるぜwwwwww

そして同じ種類のホトケ様で、同じ名前を持ってはいても、お寺さんによって「中の人」が異なります。だから実際に行ってみて、明るくからっとした雰囲気で、いるだけで落ち着くとか、いるだけでほっとできる、というような「自分の変化」を基準にして、おすがりする相手を選ぶといいんだと思います。

何しろ全人類救済なんつうとんでもないことを誓願に立ててしまった人たちですから、そりゃもう不退転の決意でウキウキと助けてくれるでしょう。ただし、です。お寺さんも神社も、ちゃんとした「中の人」がおわします場所に行った場合、祈る側、願う側の「実際の状況」は一発で見抜きます。嘘は通じません。絶対に。だからこそ、神社仏閣は「点検の場」であるべきだと姐さんは思うんですよ。よく、神頼み、なんて言いますが、カミやホトケに頼めるほどに、ぎりぎり限界までやったのか。自分の努力はもうこれ以上、指1本動かせないほど、完璧に絶対に遺漏なくすべてをやりとげたのか。
そのチェックの場であるべきです。

すべてを尽くして、ヒトの身としてはこれ以上ないくらい、やりました、と。自信をもって報告できます。だからこそ、後は未知の領域に任せます、と。そういうことなんじゃないかな、と思います。

そしてなにごとかの祈願をしたら、お礼をなさったほうがよろしいです。それは人間の世界でも一緒ですよね。気合を入れて会ったんですから、気合を入れてお礼をしよう。結果については「お任せ」でした。祈った結果も「自分が」全部引き受けます、と誓願をしたのですから、全部受け止めるしかありません。

そこで立腹して焼き討ちをするか(信長か!)、あきらめて他に行くか、心機一転、自分で宗派を打ち立てちゃうか、それとも「ガッツポーズ出たよ!」になるのかは、「生命」が選ぶことです。「命」が決めることです。自分を含み、自分を包み、それ以上に大きな「場」として存在している「この世の節理」が決めることです。頼んだ以上、結果についてはガタガタ言えねえ。
だから、ある意味で寺院で祈願というのは「人任せにする勇気」がある人がすることなんだろうと思います。よく簡単に頼めるなーとも思います。すごい信頼。あ、これ皮肉にとらないでねw
姐さんはチキン野郎なので、人任せは怖くてできません。だから祈願をかけたことがあるお寺さんってまだ「ない」と思います。ときどきはクライアントのために便宜をはかっていただくこともありますが、貸しも借りも作らぬように非常に注意深くしています。
もともとは人間だったので、現実世界に作用する、作用できるのがホトケです。効果も早い。即効性があります。

同じように神社の「中の人」がもとは人間で、後世、わけあって「神として取り扱う」ことになったヒトたちも、現世への作用は強くて早いことが多いです。地上からそれほど離れていない、という表現がぴったりくるヒトたちです。
なんでもそうなんですが「神として取り扱う」と宣言し、それなりの取り扱いを続けると神になっていくんです。
人間だって神道では経年により「はい、これで神様になりました」って区切りの儀式とかしますもんね。まして何らかの巨大イベント発生時に主役を演じたような人はやはり巨大な影響力を持ちますから「神として拝みます~」ってなことになるわけです。

そういう、ヒトガミ、もとはわたしたちと同じ肉体を持ち名前を持ち、地上で生きていた「中の人」がおわします場所では話が早いです。真摯に丁寧に祈願すればそれなり結果に恵まれます。

で、天地創造の神なんぞにうっかり祈願を致しますと、結果が出るのが3億年後、とか平気でありますし、自分の代で終わらずに子々孫々に作用がずっと降り注ぎ、自分から数えて20代後に結果が出たりいたしますと、わけがわからねえことになります。
なので、自分がこれからコネクトしようと思っている相手の素性と権能をよく知って、友好的につきあいましょう、と。そのほうがお互い幸せじゃないですか?

というようなことを、9/26(金)の手相見姐さんスペシャルイベントで話すわけです。この記事に書いたことのさらに先、なんたってテーマは「神仏に愛される方法」ですからね。どんだけのでけぇテーマだよwwwどうするんだよwwwと思いますけど、この「愛」って文字を使ったところが、わかる人にはわかるポイントでしてww

もともと、人から人への感情には「愛」という表現を使ってこなかったのが日本人です。
「惚れる」「好く」「情けをかける」「情がうつる」「好いたらしいお方(はぁと)」というように、愛している、とは言わなかった。
「器物を愛でる」というように、「愛」は人からモノへの感情です。

某やんごとないご家庭の長男が自分の子供に「愛子」と名付けたときに、なんという乞食根性、と姐さんはゲンナリしました。意図が、「みんなに愛される子」であるように、というのが見え透いていたからです。「みんなを愛する子」「人々に愛を与える子」とは絶対に思っていなかったはず。このカシオミニを賭けてもいい。しかもごく近い代に読み方はアイコじゃないけれど同じ漢字の「愛子」さんという皇族関係者もいるわけで、なんかもうやらずぶったくり宣言だな~と思いました。ほらほら偉いんだよ、愛せよほら!立派なんだから!皇族なんだから!天孫なんだから!一方的に崇めて大事にしろよ!という非常にみっともない浅ましさを感じました。
※個人の感想です。
傍証をあげるなら、さすがペットに「ニンゲン」と名付けるご家庭です。普通じゃない。悪い意味で。
※個人の感想です。

で、やっぱり神仏とは対等でありたいじゃないですか。こんなこと言うとあっちこっちから天誅を加えられそうですが、でも、わたしたち人間は、星を見上げることができる身体構造に恵まれて、自分を知り、世界を知り、宇宙すらも知っていく、そういう構造と意識に「恵まれて」いるわけです。その恵みをもっともっと人類全般の幸せのためにフル稼働させて、みんなが穏やかに平和に生きていけるように努力するのが「本来性」なんじゃないかと思うんですよね。
そのときにカミもホトケも、目標は一緒でしょ。
神は鎮まっていたいわけだし、ホトケは働いていたい。だったら呉越同舟と申しましょうか、神仏人連合でがんがんやったらいいと思うんですよ。
だからまあ、「愛させてやるからおまえらちゃんと働くように!!!」という神仏との付き合い方をお話する(きゃーー石を投げないでーーー)罰当たり必至な講演会になるはずです。

姐さんはそういう雑なスタンスでおつきあいを続けて早や○年。長い長い人生でした。地球在住は今回で最後にしようと思っています。もう次の世界に行きたくてしょうがないww

でも、この世の美しさ、地球の見事さ、地球一家の構成の妙、こんなにも素晴らしい場所が宇宙のどこにあるだろう、と思います。浅田真央ちゃんもいるしね。真央が次も真央であるのなら、姐さんはトイプードルに生まれて真央に飼ってもらいたいwwwwwいやいや、かなわぬ望みです。
あの人にはあの人の人生があり、旅路がある。ひとときかすかにでも触れ合うことを許されたこの人生軌道、最後まで美しい円を描いてふれあい、ゆらぎあい、そして姿が遠ざかり、けれども「記憶」は消えることなく、永遠に魂に刻まれます。

本当に、よくできた仕組みです。

宇宙と言えば、俺たちの若田さんが出演なさったイベントでお話を聞きました。若田さんの印象がすっかり変わっていて驚きました。彼は人類が絶滅すると思っていて、だから宇宙進出を急ぎたがっている。腰が抜けるほど驚きました。雰囲気激変の理由はそれか!と。なんで絶滅するかと思っているのか、そして宇宙にまく「種」の選別は、となるとブログで書くと大変にヤバイので、続きは講演会で、ということでw

あんたたちさっさと申し込みなさいよ!と心の中でつぶやきながら、このクソ長げぇ記事を終わらせていただきます。長げーーーーぇよ!
3行でまとめると、

神も
仏も
みなガンバ~☆

【緊急告知】9/26(金)14:30開始 手相見姐さんスペシャルイベント
http://oenn.blog.fc2.com/blog-entry-10.html

イベント関係の告知は、O-ENNのほうで最新情報が見られます。皆さんぜひO-ENNをご覧ください。

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日本人として生きるということ | コメント(11) | トラックバック(0) | 2014/09/24 10:44
コメント
スペシャルイベント
はじめてコメントさせていただきます。

喉から手が出るほど参加させていただきたいのですが、
どうしても仕事が休めず断念せざるをえません(泣)。

どうかどうか、近々の再開催をご検討いただけますよう伏してお願い申し上げます。
秋桜さんへ

こんにちは、コメントありがとうございます。10月は二度開催の予定です。テーマが毎回違うので、そのときいらしてくださった皆さんにベストフィットする内容になるといいなあと願っています。
よろしくご検討くださいませ~
手相見姐さん様
ありがとうございます!

次回はぜひ参加できるよう精進いたしたく存じます!!
姐さま

電波イベント行きたかったなあ・・・
今週の金曜に限って午後から外せない予定が続きます(;_;)

今回は残念ですが、皆さまにとって実りのある会となりますようお祈り申しあげます。

そして、来月を心待ちにします!
ありがとうございます!
行きたいな~、行けたらな~と思っておりましたが、都合がつかず、残念に思っておりました。
けれど、この記事を拝読して、イベントの雰囲気がなんとなく、少し、伝わってきました。
とても嬉しい気持ちになりました。^^
金曜日、盛会になりますように。
(金曜日だけでなく、木曜も、日曜も)
姐さんの毎日が、幸せで心穏やかでありますように。
初めまして。
姐さま、いつも読み逃げさせていただいて申し訳なく思っております。
が、今回と前回の記事で気になる言葉がありましたので…記事の内容とはまるで関係ありませんがお許し下さいませ。

…漆原教授のセリフですね(笑)
前回の記事でも「おっ!」と思いましたが今回はズバリでした(笑)
なんだか無性に読みたくなったので、これから漫画読み返します😁
お会いできるのは今のうちだけかも
おおおお!電波イベントもまたやってくださるのですね!う、う、嬉しい~(涙)
実は電波者としての姐さんにご相談したい、見ていただきたいことなどあるのですが、一見さんお断りということで残念に思っていたところ、このようなイベントを企画していただいて、悩める子羊にはたいへんありがたいことだな~と、喜んでおります。遠く九州の鄙からおのぼりさんするには数日を要しまして、9月はどうしても都合をつけることができず意気消沈していましたが、上記の方へのお返事を読ませていただいて、パアアアッと再びヤル気が沸いてきておりますよ!なんとか体調も整えて張り切って伺えますように。ドキドキしています。
返信希望です!
手相見姐さん、ブログ開設一周年おめでとうございます。そして神様についてありがとうございました。
昨年こちらのコメント欄で葉室頼昭先生のお名前を拝見してから著作を何冊か拝読しました。以来日本の歴史についての本を読むようになって、「何ていう国なんだろう、日本は」と驚きの日々です。
スペシャルイベントに参加したいのですが、せっかく開催して下さる10月の2回のイベントにも、参加出来そうにありません。すぐには難しくてもまたいずれ是非スペシャルイベントをお願いしたいです。出来れば土日希望ですm(_ _)m
あと、以前姐さまが記事にされていた川口先生の講演会ですが、どうも私の情報処理能力では申し込める場所までたどり着けず迷子になってしまうため、「こことここを通れば着くよ」という手順をご教示頂けないでしょうか?
お忙しいところ、申し訳ございません。よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
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コメント3回目?です
コメントありがとうございます。

信仰者に「信じるための努力」を強いてくる信仰は、わたしはすべてカルトとみなしています。
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