後輩と比べてみよう パク・ソヨン選手編



韓国のパク・ソヨン。


「白鳥」がテーマなら衣装は似たりよったりになりがちか? いやそうでもない。いくらでも工夫はできるしやりようはある。
「翌シーズン」にこれ、というのはどうなのかしらと思いますが、だがしかし。

ソヨン


ちゃんと練習してますよね。
キムよりははるかに「まし」に。

ソヨンと

大怪我しちゃったんですよね、ソヨン選手。
ちゃんと練習していたんだろう。難しいジャンプにも挑戦していたんだろう。だから怪我をする。

キムなんかなーーーーーーーんもしないで「勝たせてもらえる」もんだから、練習だってこうですよ。
(※なんとも気持ち悪いので画像は小さめです)

なにへらへらしてんだよ、と姐さんがコーチならぶん殴りますよね。難しいことなんかしなくても勝たせてもらえるんだから練習何課しなくていい。練習しているポーズすら取らずともよい。

転倒笑い


浅田真央「スケートに恩返しがしたい」
小塚崇彦「スケートに恩返しがしたい」

キム・ヨナ「スケートが嫌い、憎い」

その競技を憎んでやまない人間を女王にしたてあげるISU。それに加担する日本スケ連。


うわ、誰かに似てるこのニダリ顔____

image_20170616221707583.jpg



世界中から「不正をするな=韓国するな」 Don't Korea!! と言われても平気な人たち。

yona4.jpg




キムにつきまとう「滑稽さ」と「痛さ」というのは「すべてがなんちゃってだから」ですよね。
見ていて本当にキツいです。この、浅くて薄くて醜くて、どうしようもない「マレー熊」、それなのに本人だけが自己陶酔。
どこにウットリする要素があるんだよwwwwと腹を抱えて笑いたくなる。

でもまあ韓国もロシアからクラシックバレエの先生を招いて基礎から特訓させています。
ようするに「韓国サイドもキムではダメだとわかっている」ってことですよ。

出場していない韓国のナショナル大会でエア優勝し続けたキムのせいで、キムの後の第二世代はさんざんなめにあった。キムの不正勝利のおかげで五輪に出られた他の二人も結局、なんにもならなかった。
キムと一緒に「五輪憲章違反」と「五輪倫理規定違反」をして「全員失格」になった不名誉だけが後に残る。
なんのためのスケート人生だったのか。

で、「キムではだめ」ということはスポーツに携わる人間なら誰だってわかっていることです。だってこんなかっこうの人間いないもん。

「それ」が勝てるということは。不正以外に答えはない。

ミシェルよ、なぜこんなものに加担した。結局「その」汚名だけが残ります。
風の噂どおりに、もしもクワンが政治家への道を歩み出そうというのなら、姐さんはがんばって英語で書いた「不正採点に加担した不正な人間」であることを全米に広めていきますよ。
フェアネスを重んじない人間がどうして他の人を幸せにできますか。


ほんとーにやになっちゃう。

では日韓美ポジ対決で笑っていただくといたしましょう。

どうですかこれ。

出初式

このキム・ヨナ像、事務所が「ウチと関係ございません」とコメントしたそうですが、許可なく勝手にこういうものを作り、許可なく勝手に宣伝に使うとはいえ、これまでの造形物の中で二番目にキムの実像に迫っている、イイ物件だと思うんですよね。

一番はもちろんコレですよコレ。

「国民の妹(旧)」、愛されてるなあ______

人形


そういえば新境地大開拓のスーパースタァの髙橋くんが斬新で困難な挑戦をまだまだ望んでいるようですから、岡山県なり東京都なりの消防関係者が「髙橋さん!うちの消防署の出初式に!」と依頼してこないか恐ろしくて震えますwwww

彼ならできるでしょう、もちろん。でも怖いからやめてwwwwww

呼ぶなよ、呼ぶなよwwwww



・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
キム・ヨナにはバレエの素養はない | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/06/16 22:20

北の平昌五輪参加 「IOCに協力求めたい」=韓国文化体育相候補




北の平昌五輪参加 「IOCに協力求めたい」=韓国文化体育相候補
記事入力 : 2017/06/14 21:29
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/06/14/2017061403186.html

ソウル聯合ニュース】韓国新政権の文化体育観光部長官候補に指名された与党「共に民主党」の都鍾煥(ト・ジョンファン)国会議員は13日、国会で行われた人事聴聞会で、北朝鮮との交流について、「文化やスポーツ交流の糸口をつかめたい」と述べ、就任すれば北朝鮮との文化・スポーツ交流を活性化する意向を示した。

来年2月に開催される平昌冬季五輪に北朝鮮が参加する可能性については、「IOC(国際オリンピック委員会)が(今月末ごろ)来韓するが、この問題について協力を求めたい」と表明。「(五輪開催中)北の馬息嶺スキー場の活用方法や応援団の来韓、聖火リレーに参加させる方法などについて考えている」と述べた。





・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
平昌五輪(仮) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/06/16 01:56

「平成」を終わらせたい者たち



nonono.jpg



「平成」を終わらせたがっている者たち。

「平成」で日本を終わらせたがっている者たち。

マスコミ主導の「嘘」で今上の宸襟を悩ませる者たち。

それらに対してわたしは大きな声で申し上げたい。そういう者は日本には必要ない。

生まれてこなければよかったのに。罪を作らずにすむから。






・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
東京五輪、日本の政治 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2017/06/08 23:19

「動けない」キム・ヨナ



「ウクライナの名花」と呼ばれているそうです、キエフ・バレエのプリンシパルのエレーナ・フィリピエワさん。
確かにすごい、一目でおおおお!ただものではない!と人に思わせるゴージャスなこの立ち姿。

エレーナさん

真央ちゃんはクラシックバレエを徹底的にレッスンしていますから、並べてみても「問題ない」。美しいです。

素敵なあなた

なぜクラシックバレエにこだわるのか。
それは「どこから見ても絶対に美しいポジション」をクラシックバレエは追及し、「人間の理想の姿」をちゃんと表現できるシステムを持っているからです。

フィギュアスケート「も」含めて、身体表現を伴う動作というものは「美」がなくてはなりません。
徹底的に醜くなるためにも、「基礎」は必要なんですよ。

キムはすべてが「なんちゃって」。

arara_20170607152647207.jpg

「こんな動作」で難しいことができるわけがないんです。「まともに立てない」人間が「まともに難しいことをする」のは無理なんです。

ISUの判断はどうだったか。


どうよこれ


この「違い」。

素敵な比較


いやはや、です。



・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
キム・ヨナにはバレエの素養はない | コメント(9) | トラックバック(0) | 2017/06/07 15:35

紀宮内親王殿下の平成十四年のお言葉



フィギュアスケートに関する、紀宮内親王殿下のお言葉がありました。
平成十四年にソルトレイクオリンピックのフィギュアスケート女子シングル金メダリストのサラ・ヒューズ選手について触れていらっしゃる箇所を抜粋します。


紀宮内親王殿下の平成十四年のお言葉 (お誕生日文書回答より抜粋)

ソルトレイクシティ―で行われた冬季オリンピック・パラリンピックでは、日本人選手に長野の折のようなメダルラッシュはありませんでしたが、逆に世界の厳しい壁の前に立った選手たちの心の成長が見られるように感じられました。
フィギュアスケートのエキシビションで、九月十一日の追悼の曲を踊った直後にファンから米国国旗のタオルを受け取ったヒューズ選手が、アンコール応じる際、全ての国籍の犠牲者のために踊ったからとして、それをもってリンクを回ることを控えましたが、熱気溢れる会場にあって、まだ十代の若い少女の、世界を視野に納めた冷静で思慮深い判断は深い印象をもって心に残りました。


ソルトシティー五輪では、皆さんご承知の通りにフィギュアスケートにおける「不正採点疑惑」に端を発した金メダルを二個出すという異例の措置がなされました。
ここから6点満点方式の採点を旧(ふる)いものとする「新」採点システムへの移行が始まり、それは本来であれば審判による恣意的な判断を廃し、そのときその場の演技だけを加算方式で採点するもので、けれどもそれはほんのわずかな人間(実質的には三名で)急ごしらえで作られて、審判による「不正」が入り込む余地を大いに残したまま見切り発車で始まりました。

ISU総会で「新採点の採用は是か非か」という議題になるとして参加した日本は、「新採点は確定事項」として多勢に無勢で賛成・反対もうやむやなまま強制させられ、そして現状のような大惨事を呈して事態は改善を見せません。

紀宮内親王殿下は米国民への追悼だけにとどまらず、すべての国、すべての人種への追悼を「米国国旗の柄のタオルを置いて滑る」ことで表現した、若き日の五輪チャンピオン、サラ・ヒューズの思いをこうしてくみ取って「冷静で思慮深い判断」と表し「深い印象をもって心に残りました」とおっしゃっています。

また「オリンピック・パラリンピック」と表記なさり、どちらも同格に五輪として扱っておいでです。そこに差はない。

冷静で思慮深い判断と、深い印象を人の心に残していく言動は、紀宮内親王殿下もまた共通に感じます。

ジャンルは変わりますが水泳にはかつて「水泳界のプリンス」と呼ばれて人気を博したジョニー・ワイズミュラーという選手がいました。五輪金メダルを5個、水球でも銅メダルを1個、に加えて引退までの約9年間に「67個」の世界新記録を樹立した人です。

世界は広いし「本当にすごい人」はいっぱいいます。
スポーツは、過去の記録を塗るかえるべく、人は新たに挑み続ける。記録は破られるためにある。

その無数の「すごい人」のどこをどう評価するのかで、評価する側の見識も、心根も、人格も、同時に問われているのだということをわたしたちはもっと厳粛に受け止めて考えるべきではないでしょうか。

かつて男子シングルの髙橋大輔さんが五輪選手村に滞在中、「まわり中メダリストばかりだから」と自分が日本人男子初の五輪メダリストになったことを手柄顔に誇ることなく、「有名な選手たち、複数のメダルを持つ人たち」の中で「尊敬すべき選手たち」と自由に交流をしていたことを思います。
自分がかかわる競技への敬意。先人たちへの畏敬の念。そして異なる競技で結果を出した選手たち、また結果を出すべく青春を賭けて全力で挑んだ選手たち、全員への謙虚で優しい想い。
すべてを捨てて何かに打ち込んで、結果はどうあれ、死力を尽くして懸命に戦い抜いた「輝かしき戦友たち」への熱い想い。

敬意をもって事に当たる。敬意を持って人に接する。なぜなら「自分もまた」尊いことに参加している、同じ条件下で努力した「まっとうなスポーツ選手だから」。

「参加することに意義がある」というのなら、これほど平等なことはない。
けれども一位と二位の間には越えられない「差」は必ずある。あるが、ひとりの人間として「フェアに戦い抜いたこと」には差はないはず。
どうしようもなく不平等な結果と、どうしようもなく平等な「命」の燃焼。

順位はある。確かにある。あるがその上で、更にどうしようもなく現れてくるのが、人間性。

ある意味で競技よりも残酷に、ぼろぼろと出てしまう。

「この選手はいったいどういう人なのか」が。




アメリカ同時多発テロは2001年9月11日に勃発。

ソルトレイクシティ・オリンピックは2002年2月9日から2月21日まで開催。
ソルトレイクシティ・パラリンピックは、2002年3月7日から3月16日まで開催。

紀宮内親王殿下のお誕生日は1969年4月18日。

3月に終わったこの大きな国際大会の後、4月に入ってからのお言葉です。

さーや、とかつての懐かしく慕わしい愛称で呼ばせていただけるのなら、われらがさーや、われらが皇女のみんな大好き俺たちのさーやが、何よりも尊く大切なのだと評価したのは金メダリストの金メダルよりもまず先に、「人を思いやる気持ち」を行動で示すことができた「サラ・ヒューズの心」だったことを、忘れてはならないと思います。



「最後に残るのは人格である」



さーやは、きちんと「見て」いました。







・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
皇族のお言葉 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/06/05 19:55

真央ちゃんからの告知



THE ICE 2017、皆さんチケットは入手できましたでしょうか。
なんですか「転売屋」が早速暗躍を開始したそうで、チケット代金が気になります。
買ったらアカンのですけども、買わなきゃ入れないアイスショー。

真央ちゃんがこれからも定期的にアイスショーを開催なさるのなら「ファンクラブ」の設立も検討いただけるといいのかなと。
チケットはファンクラブの会員番号とセットで最初にファンクラブで販売する。
もし余りがあれば(あるかなあw)一般販売、と。
ファンクラブに入会するときに身分証明書を添えて申し込みとすればいいでしょう。
わたしは運転免許証でもマイナンバーでもなんでも出しますよ。
それはイヤという方は一般販売でがんばっていただくと。

ただし、「今後もIMG所属なのか」とか「アイスショーのスポンサー関係をどうするのか」とか、「大人の事情」がどっさりついて回りますので、真央ちゃんも考えてはおいでなのでしょうがなかなか外には見えてこない。

ましてシナリオクラッシャーのスペシャリストの真央ちゃんなので、これからも「そうきたか」ということが待っていると思います。

ちょっと気になったのが真央ちゃんの告知です。
マスコミにいい加減なことを言われるのはイヤだなあ→公式ブログで書けばいいじゃん!の図式を活用してくださってありがとうございます。
「ダイレクトにファンに伝えられる場所」があってよかったなあということです。
真央ちゃんの言葉は、いつもとても明快で誤解の余地がありません。
それでいてとても深い。
振り絞るようにして、懸命に出してきた言葉だなあと感じます。
たくさんの思いを言葉という形にするまでに、ひとつひとつをあらため、考え、検証してこれでいいのか、これが本当の気持ちなのか、と何度も繰り返し確認した、その結果のように感じます。

犬でも人間でも亡くなった相手に対して「☆」をつけて非常識を注意されると「伝えきれないたくさんの思いをこめました~☆」とさらに言訳を重ねるような人とは言葉の重みが違います。
荒川静香さん、今後ご家族が亡くなって、その弔辞の電報やメディア掲載の言葉の中に「ご冥福をお祈りします☆」と書かれていたらいったいなんと思うのか。胸を刺されるような思いがしないのなら、やはりそれはおかしいでしょう。
荒川本人がそうしているからといって、まさか弔事に☆をつけて公表する馬鹿はいないとは思いますが、ひとりくらいいてほしいとすら思いますね。そのとき初めて「やってはいけないことをされた側の気持ち」が本当にわかると思うから。
いやでもなんとも思わないんだろうなあ。自分がやっているから。
そしてこれがスケ連副会長。嗚呼。

それはともかく、気になったところというのは全文です。

浅田真央オフィシャルサイト>真央ブログ>2017年5月30日(火)より転載
http://mao-asada.jp/mao/event/2017/05/30/1049/

513-1.jpg
513-2.jpg

勘繰りすぎですよ、深読みし過ぎて行方不明、のパターンだとは思いますよ。
でも、このメッセージ、どうしても「最後の挨拶」に感じられてならないのです。
皆さんは、皆さんの、皆さんに、と全部「こちら側」のことばかりで「真央ちゃん自身は?」が見えてこない。

勘ぐれば、もう一年現役選手を続けるつもりで、だからスケ連スポンサーのロッテを冠にしたアイスショーを企画していた。そのまま契約内容を破棄せずに今回はやる。
五輪出場を目指していたから従来よりも公演場所、公演回数を減らし、おそらくは現役最後のアイスショーということでチケット代金も値下げして(クソったれな記事の内容と異なってTHE ICEは値下げを敢行したんですよ!)、何らかの決意と共に用意していた。
ここで「大人の事情」ってヤツが登場するわけで、これだけの規模の開催であれば契約書には選手側の都合でキャンセルした場合にかぶらなければいけない、金銭的保障も含めたあれこれがあったはずです。何しろ真央ちゃんのショーですからね。

何がどうなろうともキャンセルする予定はなかったにしても、これまでのスケート人生の総ざらえ、感謝の滑りと言われるとどうしてもファンとしては「次回はどうなる」が真っ先にきてしまうわけで、ましてスケ連の執拗なまでの妨害行為は皆さんよくよくご存知でしょう。

次回からも今回のような形式、内容のアイスショーができないように、スケ連が手を回していないとも限らない。

これまでは「スケ連所属の選手のショー」だから優遇してね、という根回しもあったでしょう。スケートリンクを借りるのに、アマチュア選手の公益に寄与するショーだからという名目で大変安価に貸し出すよう口出し、いや口添えがあった事例も他にある。

ところが「なぜか浅田真央にだけ」スケ連が逆特例を発揮して「貸し出すな」と言わない理由も別にない。

「今後」はまったくわからない。

となると、練習拠点を意図的に奪われて、リンク難民になって今日はどこそこ、明日はあちら、というような苦労をさせられていた浅田真央が、いざプロになったときに「開催場所」を奪われないとも限らない。

「真央リンクを」と語る企業の社長さんのあの熱さは「何かを知ってしまったから」とも思えてくる。

怖いことがいろいろ想像されてくる。

でも、逆に言うなら浅田真央は、自前のリンクを持ち、定期的なアイスショーが開催でき、子供向けをメインとしたスケート教室を開催し、フィギュアスケートを一般に広めてスケート愛好家を増やすという目的に対し、運営から企画から出資から、一番大事な「人集め=集客」から、全部可能な世界で唯一のプロスケーターに育っていく可能性がある、ということです。

浅田真央がプロになり、スケ連に残していた籍を切り、本当に無縁になれば、闘いの場は「一般常識、社会通念に基づいた、日本国憲法が裏にそびえる商業活動の場」になってくる。
これからはスケ連側が意図的な妨害をした場合、すべてを明るみに出して東京地裁なり名古屋地裁なりで堂々と渡り合えるということです。

自分の採点、スコアが人質だったこれまでとは全然違う。

スケ連もそこはわきまえておいたほうがいい。これまでのように「なんでもなあなあ」で「なんでもなし崩しにもみ消せる」場では「ない」ということを。

まあ早い話、余計な手出しをするんじゃねえ、ということです。

フィギュアスケートはおかしな世界で、他のスポーツと明確に違う点がある。
現役選手の技術や日程や競技についていけなくなると引退する。アマチュア選手時代の力が失われたときにプロにいく。技術力だけとってみたら現役選手のころとは数段の違いがある。
これまではそうでした。
だからプロになった人は、ジャンプの威力ではなくて、他の要素で人を魅了し、ついてきてもらえるように努力した。
もう解禁されちゃいましたけど、これまでは試合で使用禁止だったボーカル入りの曲を使ってみたり、曲芸的な宙づりや、個人競技だったシングル選手が集団で滑ってみたり。
でもまあ、十年一日のごとくアイスショーといえばこういうもの、という「演技のひな型」があって、みんなそれにのっていた。

本当に革新的なことをしたのは、数えられるほどしかありません。

フィギュアスケーターの身体能力や表現能力、いわばその能力を本当に活用できている場では、実はアイスショーはなかったかもしれません。

そこを、どう突破するのか。

浅田真央自身は滑りのうまさでたとえジャンプが一切なくても、いかようにも人を魅了できるでしょう。氷の上にチューリップを描いてみせる。それだけだって「感動的な技術」です。
すでにずっと長きにわたって頂点に立ち続けてきた浅田真央が、もし今後もアイスショーを開催するなら。
やはり「興行」として成功させなければならないし、「大人の事情」も山積するし、スケ連とISUとIOCがきいいいいとヒステリーを起こさないとも限らない。

「浅田真央のアイスショーに出た人はISU公認試合に出てはいけない」なんぞというルールを作らないとも限らない。
連中はそのくらいします。前例がある。

かつて、ISUの堕落ぶりに憤ったアメリカ人選手を中心に、別団体を立ち上げて、公正で公平な採点と、選手の待遇改善を訴えた集団がありました。それに対してISUは「そちらに関係したらISU公認試合と、オリンピックに出さない」と宣言し、団体はつぶされてしまいました。

選手にとってはやはり、世界選手権やオリンピックは大きな大きな目標です。大きすぎる目標を奪われて、心ある選手たちも、支援していたプロたちも、沈黙を強いられた。

グランプリシリーズは田舎のドサまわりで人気がなく、ISUがテコ入れをして世界ランキングに加算されるポイントを増やしたり、賞金を値上げしたり、有力選手を出すように各国のスケ連に圧力をかけたり、試合に出ないとペナルティを科すようになったり、3試合出てもいいなどというめちゃくちゃな優遇をしたりしてトップ選手は出場しない田舎の興行試合から、現在のようにそこそこ権威のある試合に格上げされた。

いろんな歴史があるんです。

真央ちゃんが今後どんな進路を選ぶにしても、ファンは必ずついていくし、ついていかせてほしいと願っている。それはみんな同じでしょう。

まず所属事務所をどうするのか。IMGのままで活動するのか、個人事務所を立ち上げるのか。
ファンクラブ、いいと思いますよ。作ってほしい。
個人レッスン、受けたい人もいるでしょう。コーチにと思う人もいるかもしれない。
リンクを作るのならクラウドファンディングを利用して、席に出資者の名前を刻むとか、リンク併設のショッピングモールに優先的に出店とか(もちろん審査がありますが)とかやり方はいろいろありますよね。
真央ちゃんの貯金をはきだすとあとあと大変だし、出資率が問題になるならひとり、あるいはいち法人で持てる比率の上限を決めておけばいい。
株式会社にするのか、国が定めた法人格にするのかもありますよね。

いずれにしても真央ちゃんは、今度のTHE ICEで「ファンへの恩返し」はいったん忘れて、自分の中で区切りをつけて、真央ちゃん自身のための人生を歩んでほしいと思います。

感謝や恩義は真央ちゃんの心から去った瞬間はないでしょう。それはいつも一緒にある。それはみんなわかっている。
だけどわたしたちファンは、真央ちゃんが挑戦し続ける姿勢、真央ちゃんが戦い続ける姿、真央ちゃんが努力をやめない苦しい歳月を、共に過ごすという大きな恵みをすでにもらい、もらい、もらい、もらい続けた。

真央ちゃんにお返しできることなんかないくらい、一方的に頑張る姿を与え続けられてきた。

恩返しとおっしゃるのなら、「それはもうとっくにすんでいる」わけですよ。本当に。

応援できたのは真央ちゃんが「浅田真央であること」から一歩も引かず、どんなときでも「浅田真央」を共有してくれたから。だからもう、いいんですよ、恩返しなんて、考えなくて。

でも、真央ちゃんは考える。そして考えて考えて考え抜いて、ローリーと組んでプログラムを作り、夏にそれを見せてくれる。
そのときの「浅田真央」を惜しみなく共有してくれる。

ファンはまた浅田真央に貸しができてしまう。客席にいてできることは「真央ちゃん、ありがとう!」と言って拍手することくらいです。なんという恩義をわたしたちは浅田真央に持っているのか。

逆だよ、逆。

だからこそ、これからは真央ちゃんが自分を最優先させて、義務や強制や義理なんぞはいったんすべて蹴っ飛ばして、深く深く考えて、「やりたい」と思えた何かに向かってまたまっすぐに進んでいってくださるようにと願っています。

真央リンク。
この一言だけで夢が咲き賑わい、心がときめき、胸が熱くなりますね。

真央ちゃんがこれまでの経験を活かして、何ひとつ困ること、悲しむこと、辛いことなく、自由に使える「自分のリンク」を持ち、そこで小さい人たちに「フィギュアスケートの楽しさ」を思いっきり伝えることができるなら。

それはまたわたしたちファンにとってのひとつの夢でもありましょう。

絶対行くよねwww一般滑走に行くし、指導しているのも見たいし、もう近所のお子さんをかっさらって「真央先生!うちの子をよろしくお願いします!」と申し込んじゃうよねwwww(身分証明書の提示は必要ですねwwww)やりませんよ!変なことはwww姐さんこれでずいぶんと良識があるんだからwwww

どうもコーチ業というか、人に教えることにも興味がおありなのだろうか、と。
ローリーのところでアシスタントなんてことになったらチャンが自分のスケート教室を寄せてこないとも限らないwww
真央チャンリンクがカナダで!いやーん通えないー。

とおバカなことはおいといて、ロシアの偉大な作曲家の曲をアメリカ生まれのローリーとカナダで振り付け、とくると「芸術に国境なし」というか「好きにおやんなさい、それが正しいのだから」とも思いますね。
カナダ開催の五輪にラフマニノフぶつけてくる人だから。これはもう芸術家の天性で「やりたいとなったらやるのだ」が正直に素直に前面に押し出されている。だからこそ「今やりたいこと」が「今人が見たいこと」を大きくはるかに上回ってあの星々をも越えるわけです。
ヒトの、他人のものさしにあわせていたら窒息しちゃう。

真央ちゃんにはこれからもゆうゆうと、堂々と、「やりたいこと」をやってほしい。たぶんそれが一番の「やるべきこと」になるはずだから。
普通はね、やりたいことと、やるべきことが、なかなか一致しないで苦しむわけです。たぶん我欲とか妄執とか恐怖とか、いろんなものがはさまって、このふたつの間を遠ざける。

三浦小太郎さんが講演会で「そんなに詳しくないですよ、テレビでやっていたら見るていどですよ」と前置きをなさりながらも浅田真央のことを「野心がない人ですよね」とすぱっとおっしゃったのには賞賛の意を呈したいです。見ているなあ、と。
わかる人にはわかるんですよね。

真央ちゃんが野心家だったら、ジャッジに媚び、城田に媚び、観客に媚び、結果は反吐が出るような「見ない方がよかったクソ演技」になっていたでしょう。

そういうことを一切近づけなかったから、今でも「伝説」の演技がいくつもあるわけで。

見識が高く、美に優れた感性を持つ真央のカーチャンが見たら「おふざけでないよ!」と奥歯をへし折るまでぶん殴るようなクソ演技になって「いない」。

真央ちゃんはいつも「美」に殉じて「美」にすべてをささげてきた。そういう人だからこそジャンプの狂い、ジャンプの歪み、世界の頂点に立つ技術力を五輪で証明したその時点で「これを修正しなければ先はない」と気づくことができていた。

こんなすごい人がどこにいる。

どこにいた。





ブログ、どんどん使っていかれるといいですよ。
変な憶測、間違った断定、異常な報道、全部ふっ飛ばして「浅田真央自身の言葉」でみんなが安心できるから。

真央ちゃんが今、どこで何をしていようと「ありがとう真央ちゃん」と思い続けるたくさんのファンにとっては、応援させていただけるなんて本当にありがたやありがたやなんですよ。

夏に、会える。

そう思うともうキーボードを打つ手が止まりますwww嘘止まらないwwwでも涙がぼとぼとwwwきめええwwwww

好きなんだからしょうがない。


そして、わたしには自分で決めた戦いがまだ残っている。

浅田真央の五輪金メダル奪還と、フィギュアスケートの不正採点の是正。

「政治力」で得点と順位が左右される異常な競技、フィギュアスケート。

まっとうなものであってほしい、と思います。

浅田真央ほどの人が青春をかけ、すべてを捧げ、悔いなく全焼しきったこの競技が、美と芸術と技術とを高度な場所で総合する稀有な「スポーツ」としてもう一度、ちゃんと花開いていくために、できることをやり続けます。

目覚めよ、今一度、と自分に言う。

真央のがんばりを無にするな。真央の悲しみを無にするな。真央の輝きを無にするな。

真央の苦しみを思う。2010年のバンクーバーからどれだけの思いで努力を続けてきたのだろう。

DBWn6_WVYAAQIeC.jpg


今度は、わたしたちの番。わたしの番。

真央ちゃんがこれからも輝き続けることを信じるのと同じくらい、強く、激しく、熱く、正当な持ち主の浅田真央に五輪金メダルを戻したい。

自分にできることを続けます。真央ちゃんがずっとそうだったように。







・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
THE ICE2017 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/06/04 15:32

困ったもんです



おぼえておいででしょうか、キム・ヨナの「表現力」。
マスコミがアッゲアゲで狂ったようにヒョウゲンリョクガーと叫びまわっていましたよね。

でも、これを見てください。

平和

真央ちゃんたちは昨年のアイスショー、THE ICE2016で披露した三人のプログラム。
ショーのテーマであった「ラブ&ピース」を演じたもの。
ここで真央ちゃんはとんでもなく難しい技をさらりと見せてくれました。

キムのほうはソチ五輪後の引退のアイスショー。通称「ジャイアンショー」というくらい、「なにもできない」キムのせいでせっかくの招待選手の無駄遣いになっている残念きわまりないダサダサショー。

曲はイマジン。
イマジン→世界平和→ピース、という「なんじゃそりゃ」という三段オチのようなピースサイン。

表現力がある人は、ピースサインというバーバルな表現を取らずしてメッセージを伝えることができるんですよ。
キムは表現力がないから、ピースサインという固定化されたバーバルな、ある意味で言語化された身振りを使った。それしかできない人だから。

ジャッジの前に行って顔芸をしたり、身振り手振りで「金をくれ」と騒がなくても伝わるもの、伝えるものが内にあり、伝えることができる技術がある、そして実際に伝わっているのが表現力です。

浅田真央が願っていたラブ&ピースのメッセージは、見た人全員にしっかりと強く伝わったと思います。
伝わらないという意見はいまだにただのひとつも見ていません。

表現力がない人が振付師にピースサインをするように指示されたり、「キャツだから猫ね、猫」と衣装に目ん玉つけられたりするんです。



キムは「誰にも勝てていない」。




二歳も年下のお嬢さんのほうが、厳しい鍛練と激しい練習で完璧な基礎を持っていることがよくわかる。

ソツコワさんと1



なんですかこのポンコツぶりは。

誰にも勝てない



「ひどい」の一語。

ひどい

「違い」はあまりにも歴然です。

キムはまともに立つことすらできていない。こういう者が果たして難しいことをやれるのか。やれるわけがありません。

マレー熊と同等の動きをする者が他の競技にいましたか?



この「違い」。

C_Kojx6UwAA7vMk_2017060307570817a.jpg


時間がたてばたつほどに、この「おかしさ」が際立ちます。

キムの表現力?

薄っぺらで未熟でうわべばかりの猿まねが、表現力?

身体表現において、高度な表現は高度な技術の上にしか構築されない。構築できない。


ISUよ、冗談はいい加減にしろ、というかんじです。

a.jpg


真央の苦しみを思う。
2010年のバンクーバー五輪からただひたすらに努力を続けた。
これで勝たせてもらえないって、いくらなんでもおかしいだろう。

20160827021234e98_20170603084247fb5.jpg


真央の苦しみを思う。
彼女を守るべき自国のスケート連盟から敵視され、背後から撃たれ続けて苦しめられて。
リンクの外でも戦い続けなければならなかった浅田真央の苦しみを思う。


これで勝てないとはどういうことだ。


2016082113460073b_20170603084245abb.jpg


キムは誰にも勝てていたことがありません。拙劣、稚拙、未熟な「なんちゃって動作」しかできないのだから。

さんざんあおったマスコミは、スケ連関係者は、どう落とし前をつけるのでしょうか。

「共犯者」は「加害者」ですよ。





・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
キム・ヨナのスケートは下手クソ | コメント(3) | トラックバック(0) | 2017/06/03 07:58

御製 平成二十七年 五首より(その3)



三つ目の記事になりました。これまでもつらつらと書いてきましたがこの歌は「深い」です。
「五行」の概念抜きに語れない。

今上の平成二十七年の御製御歌のうち巻頭を飾ったお歌です。

第六十六回全国植樹祭

父君の蒔(ま)かれし木より作られし鍬を用ひてくろまつを植う


以前の記事でこれは皇統が秋篠宮に移ることを宣していると書きました。その根拠を出して解説しました。これ以外の解釈はないと断じて良いと思います。
出てくる言葉の選択、年始のもっとも重要な「歌に託したお気持ち」を「他ならぬこの歌」であらわしたこと。
皇統は男系のみ、そして男子の皇嗣をもうけられなかった兄宮のおうちは、愛子さんの降嫁とともに断絶です。ご両親すなわち現在の春宮様とその妃の死をもってあの家はなくなります。終わりです。
これは「日本の神々が選んだこと」なので、人は従うのほかはない。
もし続けたいのなら離縁なさって若いお嫁さんを(日本人の中からですよ!)選んで入れて皇嗣を作りなおすしかない。無理でしょう。時間がない。

繰り返しになりますが、「女性天皇を」と主張する者はみな黙るべきです。「それは皇統の断絶を意味する」から。まわりくどく親切めかして「女性天皇でもいいじゃない」などと愚かな主張をせずに「天皇さえつぶせば日本はこっちのものだから」と言えばいい。

よろしいか、愛子さんを即位させ、中国首脳部の子息とめあわせる。これで中国は日本と天皇を共有できる。さらに子が生まれたらもう一度、中国首脳部の子息なり子女なりとめあわせて、皇室乗っ取り完了です。
「天皇」はもともと「父親が天皇」かつ「母親も天皇の子」であるべきだったのです。
天皇亡きあと、皇后というのは「つなぎで即位」する可能性があったから、本来は「皇后も、父親が天皇」の女性限定でした。
こういうルールを破るのは、必ず「何らかの目論見あり」の連中です。

わたしはサーヤと眞子内親王殿下は皇統を継ぐ素質アリと見ています。が、たとえこのお二人であったとしても、女性天皇はおかしいと反対票を投じます。なぜか。正当な皇嗣がげんにいるからです。

女性天皇をと叫ぶ者は、おそろしいほどの自家撞着を犯している。そこに気付かないのが「浅い」すなわち「愚かにして乱暴」ということです。

愛子さんを即位させるためにはまず今上と、愛子さんの父君と、愛子さんの叔父である秋篠宮殿下と、愛子さんのいとこである悠仁親王殿下を「何らかの形で」排除しなければなりません。

こんな無意味なことがありますか?

こういう乱暴な主張を平気でするのは、過去の歴史を振り返ってかんがみても「ガイジン」です。「カネに目がくらんだガイジン」です。

おヒゲの殿下こと寛仁親王殿下が生前、いかにお心を痛めて「女性天皇はありえない」と主張なさっていたことでしょう。皇室のスポークスマンとして「父親が天皇の男子のみが即位すべき」と生涯を通じておっしゃっていた。
実際に女性のお子様を持つ父親として、子供には「友達がいっぱいいる、魅力的な女性になれよ」と教育なさり、降嫁する日のことを考えていらっしゃるのみで、即位することなど夢さら考えていらっしゃらない。
なんですか、殿下によればお子様方も「即位だなんて困ります」と「そんな準備をしてこなかった」と困惑のていしきりだったとか。

これまで何の問題もなく続いてきたことを、「根拠なく」捻じ曲げようとするのは「おかしい」です。

日本は、「天皇」と「日本語」を奪われたら大変なことになってしまう。逆にいうと「天皇」と「日本語」を死守できれば、この異様な嵐も乗り越えられる。

わたし自身のスタンスを言うのなら、天皇が高天原から降ろされた神の子孫であるとは思わない。けれども実は「わたしたち全員」が神の直系、神の子孫として、天から降ろされたと「わかって」いる。
天皇が偉いなら、長く続いたその歴史と「おふるまい」によって「続かせてきた」ことが偉いのであろう。
「自分は神の子である、あの太陽の直系子孫である」という自覚に基づく「行い」が尊いだろう。
「先祖に恥じない行いを」という気づきをもたらすその先祖が、三千年近く、文献資料に基づいて少なくとも1,600年以上は続いている。
その積み重ねを「大事なものだ」と思えるから、だからあのようにふるまうのだろう。
その、血と、知と、治とは尊いです。
そしてわれわれ一般人だとて、親が一度も絶えることなく命をつないできてくれた、だからこうして生きている。ならば尊さにおいてはまったく等価で、ただその「質」のみが異なるわけです。
であるならば皆さんもただちの各ご家庭で「皇室と同じほど」先祖を敬い、家族を尊び、神にも等しいふるまいをなさればいい。そこから輝かしい「家の格」というものが生まれてくる。
国民全員が「その自覚」あらば、何の問題も生まれません。

「問題」を起こすのはいつも根なし草です。先祖と断絶している人が、現状を破壊しようと画策する。

歴史に学ぶ、というのはそういうことです。知って、自分の生活の質を高めていく。それがひいては治国平天下につながります。

女性宮家も女性天皇も「不要」です。神をも畏れぬことを言うでない、と切り捨てます。
彼らの主張の「異常さ」の根源をよく見てください。その異常な主張をもってして何を得ようとしているのか。
悪い種からは悪い花しか咲きません。これは速やかに取り去るべきです。


御製に使われている「松」の字を分解すると「八」と「白」になります。
これを、文字を解(ほど)くこととして「解字」といいます。
椿を春の木、楸(ひさぎ、きささげ)を秋の木、柊を冬の木と解釈します。

ちなみに「秋」の「木」ですが、ここでも皆さんはゾッとしなければいけません。

Wikipediaより
ひささぎ

「秋」の「木」は碁盤に使われる。

碁盤

実際の素材はどうあれ、「碁盤に用いられる」という通念が重要です。

親王の御名前と宮号とは天皇が与えるものですから、文仁という御名前と秋篠宮という宮号は「昭和天皇」の命名によります。
次に天皇に即位なさる方は立太子の礼をもって皇太子という御立場に昇られ、それを東宮、春宮とも古くはいいならわしてきました。長男が春ですから次男は秋、これはお畏れながらスペアの義でありつつも、「春が過ぎれば秋になる」という当然自然のめぐりをも意味します。
「春のあとには秋がくる」ことをどうも女性天皇を欲する者はすっかり忘れているらしい。

そして他ならぬ「秋」がこの御製でも使われている。

ここで皆さんにはなじみがあるようでない「五行」の話を持ち出さなければなりません。
これは中国伝来の思想で、春秋戦国の時代に一応の完成を見たとされる「世界の解釈の仕方」です。
日本には陰陽、五行、この重要なツールが早くから入ってきました。
陰陽は世界生成の説明概念、理念であり、五行は万物を五個のグループにマッピングし、それぞれの力関係で世界を見ていく実用ツール。
暦中の「一週間」は火水木金土に、月と日を足したもので五行からきています。
お互いがお互いを順次生み出し補強生成していく相生と、お互いがお互いをそこない威力で従えていく相剋と二種類のリレーが考え出され理論化されています。
この順送りに対するにさらに三点で五行をみていく三合・三支もありますが、それらの説明は長くなりすぎるので別にします。

五行では秋は白、北原白秋という名前もここからとられています。

松の異名は秦の始皇帝の故事による「五太夫」や、松の字を偏とつくりに分けて十と八と公に解字した「十八公」などがあります。
先にあげたのは公を古字の八の下に白で公としたもので、そのまま「八白(はっぱく)」とよむことができるので、松は「八白の木」となります。
この、九星からきた「八白土星」に配当した結果の読み解きもまた長くなるので別建てで解説します。
ここでは「そういう考え方もある」ということにとどめてください。

古代の中国人たちは、身の回りのものを家族に置き換えるのが好きで得意だったのです。
なんでも整然と配置させて、実にスッキリした「理論で固める」世界観です。
これは、戦乱の世の中で何かによりすがりたい心理、よって立つべき支柱を欲する傾きを思えば当然です。
生きるか死ぬかのときに漠然とした実態のない理念ではなくて、ばしっと白黒つけられる「根拠」が欲しくなる。そのような時代を潜り抜けて「たしかに効果的である」という「人体実験」を経ての「技術」がこれらです。

同じように数字を操るカバラと一番違うのは、陰陽五行というものは「自然界の事物」も当たり前のよう配列されていて、人間はそれらのグループの中の構成要素のひとつである、とちゃんとわかった上での説明概念だということです。
カバラのように「神・人間・それ以外」でざっくり分けすぎて説明ができず、後から後から「足し込み」を行うような粗雑なモノではありません。

どうもアジアと違って西欧列強というのは、味覚でいえば「塩、コショウ(それも外国からのぶんどり品!)、ハーブ」くらいでいけません。アメリカにいたっては「塩・コショウ・ケチャップ・マスタード、以上!」くらいの粗雑さです。

日本のように「おだし」にすら昆布、シイタケ、カツオブシ、なまりぶし、酒、みりん、などなどが使われて昆布ならこの料理にはこの産地、というような精細緻密な「細かい目盛り」が「ない」国はやることが粗っぽくていけません。

世界をどのように感知するか、その目盛りが細かければ細かいほど、環境を害する行為はできなくなる。
今の中共のように、自らが吸う風、飲む水、食べる品々を産出する大地を穢し壊し傷めまくって日本に触手を伸ばそうなどという「雑すぎる世界観」では滅亡するにきまっている。

この繊細さあればこその「自然との共存共栄」「神々こみの世界解釈」が成立する。

真のエコロジーとは「土地の霊、土地の神」なしには成り立ちません。
わたしたちは「神的なもの」と触れ合う機会を奪われた。
「人間至上主義」という完全に間違った嘘の世界観を叩きこまれて、自分の内なる大自然と接触することを否まれている。
だから万人が最初から備えている「尊いものを畏れはばかる」気持ちは聖なるものと対峙したとき、初めて機能するほどに堕落している。堕落です。
でも太陽を見て感動できる心の仕組みをわれわれは持っている。生まれながらに大自然を尊いなあと感得できる能力を持っている。それを発動させてこその「日本」でありましょう。

本来性を取り戻す。そのためのいいお手本が特異でありながら普遍を備えた「皇室」でありましょう。

さて五行では白は「秋」にグルーピングされますから、ここでいう松は秋のものです。

八白の象徴は「継ぎ目(跡継ぎ)、相続、少男、家、山」ですから、陛下は確実に「家を継ぐ者=次代の天皇」という意味で「松」を用いているはずです。

また、上記の親王殿下に必須の儀式においては「若松」を手にします。
松は奈良から平安にかけて「家の存続」「後嗣」を意味し、尊い縁起物でもありました。
日歴にいう「子日(ねのひ)」の行事は正月に野山に遊んで若菜を積み、「小松をひいて」根引きした松を持ち帰るというもので、五行でいう「少男」を意味する「小松」を屋外から家中にとりこむことで「跡継ぎ」である男子を呼び込む呪術です。

他に正月に飾る門松も五行で読み解くと意味が簡単にすんなり通ります。

天皇陛下はとにかく「日本で一番天皇に詳しい」はずの方ですから、宮中の行事、ことに年頭の正月行事のいくばくかは当然ご存知であらせられるはずです。こんなクソブロガーが一生かかっても願いをかなえられることのない、皇室伝中の宝物をどれほどにでも見ること知ること学ぶことができるお立場です。

ああ姐さんが雅子さんの立場なら皇室御文庫をかたっぱしから見せていただくのに!!それこそ泣きながら震えながら拝見して、それから望む学者に門戸を開き、もちろん厳重な監視付きですけど、複写ならびに研究成果が世に出回るように努めます。
「汚損すんじゃないわよ!」と鬼のような顔で院生さんとかのふるまいを凝視し続けるんだろうなあ。
「和紙に墨!もちろん松の墨よ!」とげきを飛ばして・・・嗚呼。嗚呼。
なんともったいないことか。

買えばいくらでもある変なスーツやサイズがあわないパンプスやでけぇブランド物の「海外のアクセサリー、バッグ」に血道をあげることなんかよりもっと貴重でもっと尊い「本物のお宝」が山のようにあるのになあ。

というか、宮内庁の関係部門は「皇室の紙史料」が「中韓に流れていないか」チェックしたほうがいいでしょう。
「現物」「原典」「オリジナル」はもとより筆写本も含めて「なくなっていない」ことを随時確認すべきです。

プーチンが、昭和天皇即位の際に使用された宝剣を日本にあらためて贈ってくれたことがありました。「このような異常事態」を看過すべきではありません。
誰がどこから流したか、プーチンは出所を知っています。絶対に。
その上で「あえて」「そういうこと」をするのですよロシアって国は。
「お宅の一番のお大事=天皇周辺はこんなことになってるよね」って脅しですよね。
姐さんは「やられた」と頭を抱えました。
やられたもこられたも何も、外交に関われない最底辺の身分ですから、こうしてクソブロガーとして「やられた!となぜ宮内庁は青くならない!窃盗やんけ!あいつだろ!」と吠えるくらいしかできないですが。

明治維新で天皇をはじめ皇族方、公家たち、御用商人、武家たちがいっせいに東京に「あずまくだり」をしたときに廃れた行事、あえて明治天皇が「簡略化」した中にも無数の「五行に準拠した行事」がありました。
逆に京都に残った冷泉家に伝わっている季節ごとの行事のほとんどが五行で読み解ける意味とスタイルと内容を持っています。

先年、今上も冷泉家に御幸あそばされましたが、皇室でもっとも保全すべきであった、時期に応じた「おふるまい」である宮中祭事の保全と維持をもと、公家のおうちがなさっている。実に尊いことだと思います。

皇室で廃れたについてはみんな貧乏が悪いんや、と霊元上皇さんならおっしゃるでしょうか?
霊元さんと徳川の「予算くれくれ合戦」もすさまじいですよね。もう本当に好きですこの天皇。

逆に歴代天皇中、もっとも嫌いなのは聖武ですね。外国の宗教かぶれもはなはだしい。姐さんは聖武に親でも殺されたのかという勢いで嫌いです。知れば知るほど大嫌い。この嫁もイヤ。何が光明だよふざけんなと不敬もいいところです。
この「すばらしいお妃キャンペーン」の悪臭のすさまじさ。
藤原の出だからこそアッゲアゲに忙しい。
皇妃に位置すべき資格などない者が親の権勢と金力でねじこみやがってといまだに腹を立てています。

そういえば現東宮も弟宮も、妹君も、華族の皆さんからは「母親が平民」ということでひどい扱いを受けたとか。
お三人とも口を黙しておっしゃいませんが、宮中での「差別」は「あった」と仄聞しております。

兄宮様は、生母が美智子様、妹君がサーヤ、義理の妹が紀子様と、「日本一の女性」がお三方も身近にいらっしゃったのに「この下はなし」というトンデモを引き当ててしまったのが「まわりが素晴らしすぎてまさかコウイウモノがいようとは!」だったのか「まわりの素晴らしさをとんとよくご理解あそばされていなかった」のか、さて、どちらでしょうか。

結婚すれば何もかもバラ色ビューチフルとまさか思われていたわけではありますまいが、皇后陛下やサーヤや秋篠宮妃紀子殿下がどれほどの努力と誠意と不屈の決意でことにあたっていらっしゃったか「ニブチン」でわからなかったとは思いたくはありません。

ただ「母が苦労しているのを見たことがありません」とおっしゃる御仁ですからなぁ。これには腰が抜けるほど驚きました。おまえのカーチャン、生き地獄!とはやし立てたくもなりますよ。このひとことだけは今でも胸倉をつかんで「どういうつもりじゃおんどりゃあ!」と叫びたい気持ちでいっぱいです。
美智子様、これにはさすがにがっかりしたのでは・・・わかりませんが。

と嘆きも出ようものですが、ド平民の自分からして「父親が天皇ではない女性」と結婚した今上には、しかしそれをもってして何らかの責めを負わせたりということは断じてないです。ひとことで申し上げるなら「でかした」でございますわね。

今上の「お言葉」に皇后陛下と共に公務を行った、と触れてある。この一言をもって美智子様の地上の栄誉は頂点にあり、余人は知らずわたくしめはさもありならんと涙をぬぐうものであります。

いろいろな方が足並みをそろえて突然の皇后陛下バッシングを始め、それは今でも続いており、わたしは以前に「自ら皇室に仇成すもの、この先の日本にはいらないものだと、自己証明をなさるのはやめたほうがよござんす」と警告しました。
わたしは人間には二度まで警告します。
その先は自己責任の世界です。

彼ら、彼女らが執拗に皇后陛下を攻撃するのは皇后陛下は「天皇陛下にとってもっとも大切なご家族」だからでしょうね。
天皇の役割は「男子の後嗣を残すこと」です。それが一番重要です。
そのための努力を陛下は行い、皇后陛下もよく応じてくださった。
立派な後嗣、「父親が天皇の男子」を二人ももうけてくださった。

それのみならず、平成に入ってからの御公務に常によりそわれ、ずっと歩みを同じくされた。それこそがイレギュラーであり時代に即した新しい天皇のありようであったわけですし、それはあるていど「成功」したと思います。

御製に含まれている意味は、何重にも読み取れます。

ここでは日本古来の呪術であった「松を使った子孫繁栄、跡継ぎアリの皇室の繁栄」をも含み、その松は「秋に属する」ということの再宣言。
さらには、「くろまつ」という指定の意味として、藤原氏に対する皇室、を忘れてはいけません。
藤原氏はご存知の通り、専横を主にした皇室乗っ取りの代名詞、どちらかというと皇室しなだれかかりで、我が女(むすめ)を入内させ生まれた皇嗣を皇位につけて我が世の春よと金満ぶりを天下にさらし、「藤原氏どうしの抗争」でついには弱体化していった人たちです。

皇室は不思議な場所、不思議な立ち位置を常にキープしています、それが蘇我であろうが藤原であろうが足利であろうが織田であろうが豊臣であろうが徳川であろうが、すべての「権力者」の血を入れながら「皇室」として揺らぐことなく今に残る唯一のおうちです。

「権威」が前提の唯一のおうちです、と言い換えたほうが正確ですね。

「権力」がどのように変わろうと皇室に変わる「権威」はない。

藤原氏の藤=つる性植物に対して皇室は「松」、常緑樹の高木です。高木は皇室の祖霊、先祖、皇祖神が宿る場所、ひいては皇祖神そのものです。

松は倒れない、藤が枯れても。

藤は女花(おんなばな)、松は「男木(おとこぎ)」。

いくら「よそさん」から嫁が入ろうと、皇統は「父親が天皇の男子」によってつながれていく。

「藤原氏」的なるものがいくら皇統の簒奪を狙おうとも、「くろ」=「玄」=根源からの根を持つ「松」は、それらからは屹立してよく時の非情な流れに抗し、後嗣をもうけ続けていくのである。

これは今上からの「皇統は秋篠宮に続き、皇室は永遠に続いていく」という宣戦布告、聖勅であります。

「ここまで」読み解いて本意です。それでもまだ「浅い」んです。うわっつらしか見ていない。

「日本語のスペシャリスト」にして「最高権威」である天皇の言葉を、われわれは軽く見過ぎているのではないか。
その自戒と反省をこめて、もう一度繰り返します。

これは今上からの「皇統は秋篠宮に続き、皇室は永遠に続いていく」という宣戦布告、聖勅であります。







・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
今上の御製 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2017/05/29 17:07

だじゃれバリバリ 柿本人麻呂(万葉集・二三五)



カテゴリに「歌人」を作りました。最初からそうしておけよ。そうしたらオーケーよ。というダジャレですよ。ダジャレとエロジョークで日本史はできています。それが姐さんの持論です。
なんでかというと、世界を「見立て」で敷衍していき世界解釈をするのが得意でウマイのが日本人です。
皆さんの暮らしの中にもたとえば古代中国、春秋戦国時代に一応の完成を見たとされる陰陽五行の考え方が、いまだに根強く残っています。
河童はなぜ川に馬を引き込むのか。なぜお正月に鏡餅を供えるのか。世界を陰陽に分けて数字で解釈していく易と、世界の事物を五個のテーブルに配置して関連性で見ていく五行、植物の生育史からきた十干十二支などなど、古代の中国人の世界解釈は「大自然を観察して導き出したがゆえに自然である」不自然さがきわめて少ないものでした。
不自然さがないゆえに正しさが多いです。
長い人体実験の結果でもありますしね。

自然の事物を見ていく中で、当然、もっとも多用される人間の重要なツールである言葉もさまざまに「配置」されていきます。ダジャレは言語の論理階梯をすっとばし、驚きと笑いと意外な発見をもたらすがゆえに「超大事」と思います。
驚きと笑いと意外な発見がないものを「おやぢギャグ」といってさげすみます。
おやぢギャグの問題点は「それが使い古されている」ことにある。
発するおやぢ自身からもたらされた経験値や人生訓ではなくして誰か他人が作った手垢がついた「残りカス」であるから困るのです。
いきいきと新鮮な、そのときその場で開花する「その人の実在からもたらされる新たな知見の発露」であるような生きたダジャレ、生きた「しょーもない言葉遊び」を姐さんは強くひたむきに希求するものであります。

まあセミナーなどで自分だけ楽しいだだ滑りのゴミみてぇなギャグを連発して参加者を震撼せしめているわけですが。
「この人の言うことってもしかして全部おかしいんじゃないの」と人を正気にかえす瞬間ですね。実に楽しい。

さて、この記事ではみんな大好き柿本人麻呂さんですよ。
霊元天皇も「神」として宮中で崇めておられた。歌聖といわれた定家と同じく「神」扱いです。自ら親しく香炉をくゆらせ、花を手向け、和歌をどしどし捧げていた。霊元さん、京極黄門こと藤原定家が好きすぎていろんなエピソードを残されています。
冷泉家では「黄門」といえば「当然、うちの先祖の定家卿」ということだそうで諸国漫遊のあのお方なんぞではないらしい。
ちなみに黄門というのは「中納言の唐名(中国ふうの言い方)」です。中納言まで出世したので黄門さんです。
「最終官位は正二位権中納言」だそうでして、正二位はスゴイですけど、ごんのちゅうなごん、はまあお飾りですね。実際に政務を執ったわけではないはずです。
この、朝廷からくだされる官位官職も面白くて、官位は正・従に外に権に贈にと細分化されていて見れば「ああ、買ったのね」とわかる、とか、なんとも実にイヤったらしいというか「政治ってコワーイ☆」というような驚きと発見と戦慄に満ちていますよね。
政治なんてよほどヒマでないとできないなあと思います。すごく大変だから。
(政治家の皆さんごめんなさい。それに携わるとそれしかできないくらい、おそらく忙しいので大変ですよねという意味です。国家をさぼって地方にデモに行ったりとかまともな政治家ならできないですよね____)

定家、というのも諱なので本当は軽々しく言ってはいけないのでしょうが、その子孫が「ていかさん」とおっしゃっているのでそれにならいます。明静とか京極黄門とか京極殿とか京極中納言と言われてもわからない姐さんを許してwww
ほんとに知的レベルが落ちまくりだよ。学習機会を奪われまくりだよ。頭にくるので独学で取り返したい姐さんです。
でもせいぜいが四書五経の素読前提、の明治の知識人の書いたものを見て「わからねええええ」「読めねええええ」「ルビつきありがとおおおおお」「辞書にのってねえ字を使われましてもおおお」と騒ぐくらいが関の山です。悲しすぎるwwww

ところで定家のWikipediaを今見たら仕えた「主君」一覧が「二条天皇 → 六条天皇 → 高倉天皇 → 安徳天皇 → 後鳥羽天皇 → 土御門天皇 → 順徳天皇 → 仲恭天皇 → 後堀河天皇 → 四条天皇」になっていてワロタのwwwたくさんいる!まあ八十歳まで存命な現役ばりばりな方でしたからね。

それはともかく人麻呂さんのほうですが、万葉集にあるこの歌。以前、何度かセミナーで「ダジャレの例」としてお話しました。

大君は神にしませば天雲の雷の上に蘆らせるかも(万葉集二三五)
(おおきみは かみに しませば あまぐもの いかづちの うえに いほらせるかも)

ダジャレです。

タケシの「ザヤックです」くらいのきっぱりさ加減でダジャレです。「ジャンプの飛び過ぎです」のあの冷たさよwwwww素敵!wwww

雷岡(かみおか)という地名の場所に天皇の仮小屋があったのを面白く表現したものです。
これ、どういうことかといいますと、地名の雷岡(かみおか)を空で鳴る雷(かみなり)にかけて、その上(かみ)で鳴る恐ろしい雷の岳の、その上(かみ)にいらっしゃる天子様はまことに上(かみ=神様)であることよ、という意味です。

上と雷と神という三つの「かみ」をかけあわせている歌です。

「神(かみ)は上(かみ)にまおすもの」つまり神様は上のほうにいらっしゃるものですよ、という観念が前提です。
「カミ」というのは上にあるもの。だから省の卿(かみ)、寮の頭(かみ)、司の正(かみ)、衛府(えぶ)の督(かみ)などをはじめ、国主、郡領、村長、駅長など、人の上に立つものはみんな「カミ」です。
頭、上、髪、神など、上代の甲乙類に分けられて発音に違いがあるから違うカミとされていたものも、近年の研究ではそんなに厳密な区別でもなかったんじゃね?とか同じモノだからこそ発音を変えて分けていたんじゃね?などと言われだしているように、日本人は大事なものはみんな「カミ」です。

天皇陛下のことも「おかみ」です。女房のことを「おかみさん」というのは「家で一番えらいのは嫁さん」というこ…ごほんごほん。

そして古来もっとも神聖視されていた蛇のことも古語では「おかみ」と言いました。これは『豊後国風土記』に出てきます。おかみは二字で表現されていて蛇、に続く文字がパソコンでは出せないので説明しますが雨のしたに口が二個横並びで、そのしたに龍と書きます。

日本ではえらいものはみんな「かみ」。

そういう前提で、かけ言葉でカミカミいってますよこの歌は。

大君は神にしませば天雲の雷の上に蘆らせるかも(万葉集二三五)
(おおきみは かみに しませば あまぐもの いかづちの うえに いほらせるかも)

わが君(おかみ)はなんとも尊い神(かみ)様なので、あの雨や風や雷(かみ)を落とす雨雲のさらにその上にいらっしゃるのだよ、だってほら、「かみおか」という名前の場所に庵を結んで滞在なさっていらっしゃるじゃないか


ダジャレだよ!

歌はみんなで声に出して和するものですから、これを最初に聞いたときは全員で大笑いして、やんやの喝さいの後、「大君は~☆」と口々に楽しく詠唱しただろうと思います。実に楽しい。

冷泉家の皆さんによりますと、和歌は声に出して楽しむもの、そして「みんなで共有するもの」だそうです。
自分の個人的な感情だけに終始するのは下の下であって、あまりよろしくはない。
やはり神様の神威発動を祝ったり、仏様の大威徳や大慈悲を願ったり、大君である天皇、「天子様」の世が末永いことを祈ったり、めでたく明るく「参加する場」が活き活きと活性化されるような素敵な内容のものをつくり、そしてみんなで歌い上げて共有する。

参加する場で賛歌をものす。それが歌の道であると。

和することができる歌、一緒に参加して音読して楽しめるものが和歌であると。
だからいい歌は一発で覚えられる。すらすらと口に出して繰り返し味わうことが可能です。

人麻呂の歌はいい歌が多い。誰でも二、三はすらすらと言えるでしょう。けだし歌聖とよばれるゆえんでしょう。
そしてこんなふうに気軽に楽しめる歌もちゃんと残している。

それをわたしたちは「国語」で、日常使っている言葉の語彙の範囲の中で、ちゃんと味わうことができる。

宮中で何かあれば列席して場を盛り上げるお役目です。おかみが御幸あそばされるときにはついていって盛り上げる。
いい役目です。怖い役目です。誰にでもできたわけではない。
そのとき、その場で、「その感興」をぴたっとくる言い回しで即興で言い表さなければならない。

環境と感興の混合品、それが和歌です。

人麻呂は「斉明天皇6年(660年)頃 - 神亀元年(724年)3月18日)は、飛鳥時代の歌人」だそうですよ。
今年は2017年です。そこから660年引いてください、こんなにも前のオッサンの歌を、われわれは素直に共有できる。
口ずさんで微笑める。
すごくないですか?
驚きです。

日本語っていいなあ、と心から思うゆえんでございます。

すごいなあと思うから、下手なのは当然で、なにひとつよくわかっていないけど、和歌を作るのが好きなんです。
もしかしたらそのうち、誰もがふっと口ずさめるいいお歌ができるかもしれない。
詠み人知らずで残すことができるのかもしれない。
そんな楽しい夢想を今は大事にしています。

ダジャレ路線でなら意外といい線いくかもだしな!wwwww

「こんな楽しみ方もあります!」という記事でした。






・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
歌人の歌 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/05/26 19:29

和歌における技法(後鳥羽上皇、山を詠む)



風雲急を告げる情勢の中になって何をのんきに和歌などを、と思われる向きもありましょうが、「こういうこと」を死守していくのも霊的国防のひとつにカウントしています。
「こういうこと」は本当ならヴぁ日本人全員が「あたりまえの常識」として持っているはずの知識だった。
それを奪われたという現実から、わたしたちはもう一度、やり直していかねばならない。
「日本」は「日本語」と「天皇」さえあれば続きます。
逆にいうならここを押さえられたら終わるのです。
いかに貴重な「国語」をわれわれは日々駆使して、生き、想い、考えて、そして行動しているのか。
自覚的に取り組むことで無限の発見がある「国語」
「すごい」んですよ、日本語は。
わたしは日々そのすごさの質に驚かされ、魅了され続けています。
そう思うからほんのさわりではありますが書き残しておきたいなと。

こんな「面白い」ツールはないと思う。

では和歌を範に取って昔の人たちがどういう「本気のお遊び」をなさっていたか見てみましょう。

カテゴリを「歴代天皇の御製」としましたが、この記事のひとつめの歌は上皇位につかれてからのものなので厳密に言うならカテゴリは違います。後鳥羽院の歌、としなければなりません。
でもまあ登極したり攘夷したりまた再祚したり上皇になられたり日本の天皇は忙しいので(笑)「かつて即位したことがある方の歌」くらいにとっていただければと思います。

ふたつめの歌の主は歌人であって即位したことがないどころか皇族でもありません。ですのでやはりカテゴリ違いですが、いずれ記事を細分化する前の拙速なのだとお笑いください。

さてさてひとつめは後鳥羽上皇です。
必要があってこの方について調べなおしているのですが、本当にまあとんでもないお方でございますよね。
わたしは歴代天皇すべてが好きというわけでもなく、後醍醐と後鳥羽はツートップで「おいおいおいいいいい!」と思う方々です。
今上なんかこれに比すなら聖人ですよね。聖者です。神そのものです。
何しろどえらい「おいおいおいいいいい!」なおふたりです。

後鳥羽天皇がまだ位をゆずられる前の歌、御製です。

奥山のおどろが下もふみ分けて道ある世とぞ人に知らせむ

一見、「なんかやる気に満ちているなー」という感じをうけますよね。どかどか踏み込んで道ある世だと人に知らせるんだな、というかんじです。
これ、けっこう怖い歌なんですよ。やる気ありすぎ。
まず「奥山」。
京のみやこという大都会、文化文明の一大拠点、時のみかどがおわします「世界の中心」に対する「奥山」です。人里離れた場所、今のわたしたちからするとシベリアかなんかの、人が住まない未開の荒野、そこまでいうと言い過ぎですが、人の手が入っていない深山です。
こういうところには紅葉を踏み分けて鳴く鹿がいたりとか、越えても越えても越えられない長い坂=絶望だけがあったりとか、最高がんばってもあえて世を捨てた、人生にすっかり望みを失ってしまった気の毒な人=反社会性むきだしの人でなくなってしまった者=人外とか、「あああああこんな苦しい修行をする俺様かっこいいいいいゾクゾクするうううたまらなないいいいい」というド変態な修行僧とか(おいw)そういうものだけが跋扈します。

いきなり極限状態を出してきた。当然、優雅典礼なみやこびとである、お取り巻の公家集団は「ん?」と思わされるわけです。
「おかみよ、どうしなすった」「すごい環境設定キタコレ」「背景ヤバイ超ヤバイ」と。

次の「おどろ」というのは「棘・「荊・藪」と書いて、「茨(いばら)など、とげがある草木がぼうぼうと乱れしげっていること、また、そういう場所。やぶ」です。
踏み込むと大変なことになるやっかいな場所です。ここも「人の手が入っていない」ことが前提の場所ですね。

「ふみ分けて」
これはもうストレートに踏みつけて分ける。人跡未踏な「自然な山野」に行って直接どかどか歩ける道をつくりますよ、と。しかも作る対象の山野はトゲトゲだらけのやぶですよと。

「道ある世とぞ人に知らせむ」

面倒なんでいっぺんにいっちゃいますが、ここでいう「道」というのは完全に「天皇の権威」のことですよね。自分という世界の頂点に立つ者の権威を十二分に知らしめる。
「人」というのは「心ある人」で、知識教養、人格識見のある「ちゃんとした人」が対象で「俺が詠んだ歌の意味が理解可能な人」ですからずいぶんとずいぶんです。

「世とぞ」ですから「そういう認識=天皇が権威の頂点であることが、日本全土の共通見解、一般認識、普遍的前提であるのがあったりまえの世の中」を「知らせむ」ですから「どうあってもねじ込んでやろうじゃないの」ということです。

で、京都公家衆に対する最大の「敵」は関東武家衆なわけですから、普通に見たら「ああ、当時いがみあっていた関東勢に対する、朝廷専属の武装集団である「北面武士」とか、後鳥羽みずから新規雇用をはじめた傭兵である「西面武士」勢とかへの鼓舞も含むのかなあ、とか、たぶん「武家」が連想として容易に対置されると思います。

これだけだったら現代の我々には「ふーん、どうぞ好きにおやんなさい」で「何しろ鼻息の荒さ、鼻っぱしらの強さだけはびんびんくるなあ」ですむのですが、実は「もののわかった人」であればあるほど「やべえ」と思う歌なんです。

どういうことかというと、この「おどろ」の意味の一つである「棘」を漢語にとってキョクと詠むと「この歌の対象」が制限されてくるわけです。漢語で、支配階級である九卿のことを「九棘」ともいいますから、日本では「九棘」を「公卿」の異称としていました。
また、漢語で「荊棘(けいきょく)」としたうえで「荊路(けいろ)=荊の道」ととり、「棘路」をも公卿の異称にしています。

つまりこの歌で「どんなに都から離れた遠いド田舎であろうとも徹底的に踏みつけて俺の権威を知らしめてやる!」と宣言した当の相手は「天皇のまわりの公卿衆=皇族に次ぐ家柄の支配階級で、大・中納言、並びに三位以上の位をもち、へたをすれば天皇、皇族一門よりもずっと権勢を誇りかねない味方にして同時に皇統争いでは最大の敵にもなり得る人間たち」「もっと広い意味に取るなら五位以上の位を持ち、天皇に直接目通りがかなう、いわゆる殿上人すなわちそれなりの地位にある公家」をも含めた「味方のはずの公家全員」になるわけです。

コワイ!

さらには「ふみ分けて」の「わけ」には「自分を卑下した一人称、わたくしめ」と同時に「対称の人代名詞。多くの場合、目下の者に対していう。おまえ。そち」という意味がありますから、「オイラっちはおめえどもにこういうことすっからな!」という「けっこう野蛮」な意味をも、おそらく持っているでしょう。

さらには「ふみ分けて」を「文(ふみ)を乱発してそこら中に送り出す」ととるならば「必要ならば日本の最終兵器である天皇自らの直筆の命令書=宸筆の勅書もばんばん使うぞ」という脅しも含まれていると思います。
勅書を出されたら誰もどうにもできません。
だから上皇が三人に天皇が二人なんていう極限状態のときには「天皇または上皇本人が書いた命令書」をいち早く入手してその権威に従って動くのが戦術上、最高位にありました。ただしそれはもちろん「最終兵器」ですから当然世の中は乱れます。戦争です。

なんかもう「戦乱も辞さず」というかなりな威嚇、脅迫をぶつけているのが「多分公家」というところがコワイですよね。

和歌は二重、三重どころか、もう読もうとしたらどこまでも「深い意味」を読み取れる「仕掛け」に見ているわけです。

現代に生きるわれわれが、後鳥羽や後醍醐に対して有利なのは「実は、より多い言葉のバリエーション」で解釈可能ということです。
「日本語で解釈する」という点においてはギャル語であろうが上方漫才の語彙であろうが「同じ」になる。
もちろん文法的には正確ではないですし、詳しい人の前で言ったらものすごい勢いで訂正を受けて恥をかくと思いますが「そういう見方をするならば」の前提をハッキリさせた上でさらに読み解くと、「おどろ」を「踊ろう」にとったりもできるわけです。
人前で言わなきゃいいんだよwww
自分が読み取った内容はそれで正しい。ただし、前提になる歴史的史実や物証を伴ったリアルな歴史と、私的な真実とは峻別しておく必要が絶対にある、ということがいずれの場合も当然です。
一般的でない真実を言って歩くとキチガイです。
姐さんもここは気をつけるようにしています。
「現在の知識の範囲でもしこれこれが前提であるならば」「A=Bである」というふうに「自分の前提」を明らかにして、論理を構築していくのが正しい科学的態度というものでありましょう。

で、後鳥羽がこれを何歳でどういう環境下で作ったのか、そしてどういう形で人の目に触れるようにしたのか、またどういう形で「後世に残そうとしたのか」とか、前提になるもろもろの付帯条件をつめていくといろいろと「恐ろしい」わけです。

奥山のおどろが下もふみ分けて道ある世とぞ人に知らせむ

後鳥羽がきいいいい!となって戦を起こすきっかけになったのも、ようは「三種の神器なし」で即位した「自分の正当性への深甚な劣等感」まずありきで、権威を高めるためにきいいいいい!とやってまわってえらいことに結局なった、と。そういう背景を含めながら見ていくと怖い歌だぜ、おかみ!となるのではないでしょうか。

「なんで公家に喧嘩売ってるの!?」
「天皇の権威を一番補強すべき、その権威によって立つだけの公卿さんたちにバカにされてたの!?」

という見方になってきます。

後鳥羽が考えていた宇宙最高の真理にして万物を旋回・輪廻・循環せしめる「道」というのは「天皇は絶対」ということただ一事だったのだろうと思います。「そこ」が常に揺らいでいた。
何しろ、なにかあれば「どうせ神器なしで即位したくせに」と絶対言われる。
なにもなくても「どうせおかみは」と日記に書かれる(笑)。
たまったものではありません。
気の毒といえば気の毒です。でも、「やるべきルール」をないがしろにして即位したのは事実です。
そのルールがいいものか、よくないものかは別にして「それまではみんなそのルールに従っていた」「だからエライと思われていた」わけです。
そこをすっ飛ばして「特例だけど崇めろ」というのは「無理」ですわね。
だって「ルールすっとばし」をしていいよ、と勝手な独断を持ち出して強引な主張をした人もかつての天皇、この場合は後鳥羽の即位を強行させた「さきのみかど」である上皇(出家なさった後白河法皇)だったわけですから。
ルールに従ったからエライとしよう、という正統性をすっとばしてそれなしで「崇めよ!称えよ!」と言われましても「えぇ…(ドン引き)」ですね。
変な話です。
あらやだ皇室の話ですよwwww

また、やっかいなことに即位の正当性は抜きにして後鳥羽という人は「ものすごくデキた立派な人」だったんですよね。なんでもできる人だった。実に、なんでも。ちょっと調べると「えーー、こんなにぃ!?」と驚くほどの多芸多才ぶりを示す証拠が山のようにでてきます。
後醍醐もそういう意味では超人的に立派な人ではありました。両者ともにだからこそ困る、という時代でもありました。

後鳥羽にとっての幸いは慈円という透徹した歴史観を持ち、「もっと広く全体」を見渡す悟性と知性を持ち、後醍醐に諫言を試みる勇気と慈愛の心を持ち、そして後醍醐の後に亡くなって、おそらくずっと後醍醐の菩提を願い続けていただろう天才を同時代に持ったことではないでしょうか。最後まで「知るか!フン!」と慈円にはそっぽを向き続けていたようですが。
なんだろう、「そんなにホントのことばっかり言うなクソ坊主!」ってところですかね。

慈円の「世界解釈」の豪快さには度肝を抜かれます。後醍醐のコンプレックスをどうにかしてクリアにさせたくて「神器なしで即位したのは伊勢や八幡も認めているんだから!」「神器である剣がなかったのは武士を雇用して武力があなたに備わっているからだよ!」とか、まあ捻じ曲げる捻じ曲げるwwwwそれで納得できたらみかどなんざやっちゃいねえよと姐さんですらつっこみたくなりますよ。
だけど世界の平和のためには「そう思って自分をおさめる」ほうが絶対によかったはずです。ああ。生きるって難しい。

ほんとに、慈円がいなかったら後醍醐の哀しさはどう報われようもなかったのでは、と思います。とはいえ慈円も「おまえそうとうだな」という人ですけどね。この両者の関係性に定家をプラスすると「ああもう!なんでこういうことを中学生くらいで学校で教えないのかしら!めっちゃおもろいやんけ!」と「興趣豊かな」時代になりますよね。もったいないなあ。

まあ皇室なんてのはゴシップとスキャンダルの集大成でもありますよね。「そういうこと」を重ね、重ねて続いてきた。
その「続いてきた」ことの重み、異様なまでの重みをですね、今一度、過去からさかのぼって逆照射することで「めっちゃすごいわ」という再認識にも至るのはないかと思います。

長い連続体である皇室の、天皇についてどこかの時点で一代、二代をカットしてそこだけ見たら、必ず間違いを犯します。

ひとつの連続体として眺め、「それ」が「日本の歴史」そのものである、という俯瞰をすると、「ことば」と「天皇」と「人の歴史」はめちゃくちゃ面白くなると思います。

奥山のおどろが下もふみ分けて道ある世とぞ人に知らせむ

承元二年五月、住吉歌合にて 「住吉歌合にて、山を」として「山」を詠んだものです。
ちなみに承久の乱の承久三年(1221)の十三年前だそうですよ。

「山」といえば道教とのかねあい、仏教とのかねあいでまたややこしいので、ここでは「山」という高みは「自分、すなわち天皇」でその権威を知らしめることで、ド田舎、シベリア、辺境の地はおろか、あんた方公卿衆にも「道をつける=ことわけて、知らしめる」ぞよ、ということでしょう。

詳しい人はもっと深読みができるはずです。ぜひやっていただいて「ぎゃーー!」と震え上がっていただきたいです。
きっと偉い先生方はもっとガクブルな解釈をなさっているに違いない。不勉強ゆえ紹介はできませんが。



なんかもう「みんなガンバレ」と言いたくなりますよね(笑)。
とうに全員が亡くなってますけども。
懸命に生きた人たちがここにもいる、と思います。

ああ、長くなったので記事を分けましょう。
この記事の冒頭で書いた歌人の歌の記事をもう一個アップします。




・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
歴代天皇の御製 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/05/26 18:21

平成十八年の秋篠宮殿下、同妃殿下の御歌(お題『笑み』)



こちらの記事で「夫婦の視点がばらっばらやんけ!」とその困惑を記事にいたしました。

平成六年の皇太子、皇太子妃の歌(お題『波』)


では「夫婦の視点が同じ歌」とはどういうものか。良い例がございますよ。

平成十八年の歌会始め お題「笑み」

人々が笑みを湛へて見送りし こふのとり 今空に羽ばたく
秋篠宮殿下

飛び立ちて大空にまふ こふのとり 仰ぎてをれば笑み栄えくる
秋篠宮妃殿下

どうですかこの連携。
「こふのとり」が日常的に使われる表記ではありませんので字句の前後を開けましたが本来はつなげて表記されています。

地上ではみんなが満面の笑みをたたえていて、その歓喜の中で送り出したこうのとりが、今まさに飛びだって視点が大空に移ります。
妃殿下がそれを受けて、悠々とあの大空を舞うこうのとりを仰向けになって見守っていると、歓びがさらにあふれて自然に笑顔がさきにぎわうことでありますよよ、とつなげています。

喜びと、爽やかさとに満ちています。

どなたが拝見したとしても、何も誤解がない歌の世界です。

和歌とは、本来「和する歌」、つくられた歌に対してさらに歌を寄せるアソシエートする表現方法、手段だそうです。
声を和する、といえばあわせて歌うこと、話すこと、調和すること、つまりはハーモニーを育てることを意味しますよね。

独善的に自分の感情「だけ」をぶちこめることは野暮、下品。

やはりまわりの情景を歌いながら「自然に」喜びや慈しみや明るさや希望や、なにかしら人にとってプラスになる「祈り」をこめたものが最上位でありましょう。

だから神前で、あるいは仏前で開かれる「法楽」というような歌会が天皇みずから主催して開かれ続けていたわけですし、東西(左右)の陣に分かれて歌会を行うときでも各自の歌の連携、調和、お題に添って参加者が楽しめるものが愛でられた。

自分よりも尊い何かに手向ける言の葉、それが「敷島の道」イコール「和歌の道」、とわたしはそう理解しています。

ここで歌われているものは「希望」です。
ちゃんと「周囲の人間たち」が共存している。「みんなが」どうしているのかが詠まれている。
そして嬉しい。

万人が間違いなく意味を読み取れる。こういう歌がいいお歌だとわたしは判断しています。


ド素人ですので何か間違いがあったらごめんなさい。
こういう鑑賞方法もありますよ、ということで御寛恕願いたいと存じます。よろぴくだよ~☆




・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
皇族の歌 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/05/25 23:22

平成六年の皇太子、皇太子妃の歌(お題『波』)



現東宮、同妃の歌。
新婚の歌です。

我が妻と旅の宿より眺むればさざなみは立つ近江の湖(うみ)に
(徳仁皇太子・平成六年・歌会始 お題『波』)

君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る
(雅子妃・平成六年・歌会始 お題『波』)

違うモノ見ちゃってるよ!
さざなみ立っちゃってるよ!

と、一読、驚愕すべきトコロでありまして、わたしが何に驚いたかを順次説明いたします。
もし姐さんが宮内庁の中の人だったら青くなって両者に聞き取り調査を致しますね。
「もしやこのお歌は皇太子殿下のヘルプミーの叫びでは」とどきどきしながら。

まず、二人で新婚旅行に行った先の情景を詠んでいらっしゃるのですが「見ているモノが違う」ところで「不協和音」を感じます。

何がどう違うのか。

和歌というのはさまざまなルールが定められており、その定め、決まりの中でいかに自分の個性を出すかが勝負です。
あえての「はずし」もカッコいいですがそれはあくまでも上級者。ともかく最低限の「歌」のていを成さしめるために、これさえ守れば一応の形式は守れますんでよろしくね、という約束事がございます。

これ、大変なようで実はとってもありがたい決まりなんですよね。やるべきことが定まっているがゆえに、覚えてしまえばなーんも考えなくていい。「その範囲の中」で遊びなさい、という決め事があるから楽しめる。

で、このお二人の歌は、いきなりそのルールから外れています。

何が問題かというと歌に詠みこむ「地名」が違っているんですよ。
皇太子は「近江の湖(うみ)」、同妃は「琵琶の湖(うみ)」です。

いやいや同じモノだろうとおっしゃるなかれ、モノゴトというのは「ファーストステップ」として「それをなんと呼ぶのであるか」でその後が全部変わります。最初の定義が「違う」なら、後の結果は必ず変わる。

そもそも和歌に地名を詠み込むについては、かなり特別な理由があります。
それは「ご当地褒め」「土地誉め」「賛歌」ということで、その場所を特に名指して賞賛、寿ぐことで大地の平定や災害除けになる、ということですし、もともとは「その土地に名前をつける」ことで霊的・実効的支配を及ぼせる、権威・権力の実証を意味しています。

特定の言葉にかかる「枕詞」というのは皆さんもご存知でしょうが、「ぬばたま」ときたら「黒」「髪」「夜」「一夜(ひとよ)」「夕べ」などにかかりますし、「垂乳根」は「母」「父」「両親」などにかかってくる。
ある特定の言葉にかけて、冠されるコトバに対する誉め言葉として枕詞は使われました。
そして枕詞は「地名」にかけるものが非常に多い。「あおによし」なら「奈良」で「かむかぜの」なら「伊勢」というように。

で、「天皇」が「地名を挙げる」というのはことに特殊な意味を持ちます。「国見(くにみ)」と言われているもので、天皇が高い場所から支配する地域を見下ろして霊的に国固めを行うもので、これはもちろん物理的な「統治下である領土」としての宣言でもあります。

同様に、その地名を和歌に詠み込み称揚することで慰撫・支配を完了させる。
これは同じことなんですね。

日本の霊的なテクニックに「見立て」があります。以前にも書きましたがA=B、というふうに見做していくことです。
たとえば冨士講という信仰形態。霊峰富士をご神体として先達(せんだつ)と呼ばれる熟練者、有資格者に導かれ富士山に何度も登ります。実際の霊峰富士に行けなくても、近所の空き地に塚を作り、地名を冠して赤坂富士、神田富士、というように命名し、そこを参拝することで実際の富士登頂をしたのと同じである、と見立てていく方法です。
見立てる内容を擬(もど)き、といい、実際に擬いた結果の生成物を「うつし」といいます。コピーといってはいけません(笑)。
富士山のうつしを神田富士としてもどき、富士に見立てて信仰する。

この場合、名前が同じなら同じ、カタチが同じなら同じ、機能が同じなら同じ、色が同じなら同じ、というようにA=Bにあてはめられる条件は実はなんでもOKです。
だから浅田真央さんががんばると全国の、全然血縁関係がない方でも名字が浅田さんであれば一緒にがんばったことになる。
まあ「こじつけ」ではありますが、そうやってひとつの世界観を構築して、自分が生きていきやすいように福を招き害を遠ざく、暮らしの知恵ってことですね。

皇太子というのは「立太子の礼」を経た方ですから、次に天皇になる人間です。
そういう方が地名を詠み込むというのは、やはり特別な意味を持っているのです。

そして皇太子は近江という古い地名を出してきた。今はどういう名前であろうと、過去にさかのぼって長く使われてきた「その名前」をわざわざ出して「そこにいる」と「ガンダム、大地に立つ」宣言をしています(笑)。

さざなみが見えることから、おそらく時間は早朝から昼まででしょう。ここには太陽=日も、月影も星々もありませんので、人間の活動時間帯の常の時間、昼間、もしくは朝の時間帯だと思われます。
月影さやかに、とか星の静寂(しじま)に、と特定されていないから。
これが午後の時間帯になるとかがよう日差しとか揺らめく陽炎とか、他の気象現象が入ってきます。
目の前にあるのはただただ近江の湖(うみ)なんだと。

そこにさざなみが立っちゃってます!
これはゆゆしき一大事。

波が騒いでいるんですね。たとえさざなみ=小さな波だとしても、平らか「ではない」。揺れ動く。

しかもさざなみが立つのはどこですか?「近江の湖(うみ)に」です。ヤバイです。これ、まわりも止めなかったんですかね。こののち、近江にさざなみが立ちますよ、という呪いの歌にもなりかねません。悪く取ればそうなります。

自分の心が揺らぐから、まわりの景色が揺らいで見える。それを実際の地名になすりつけてしまっている。
悪い歌です。いけません。

皇太子、楽しいはずの、人生でもっとも幸せな瞬間の連続であるはずの新婚の旅で、もう心にさざなみが立っています。
これはヤバイ。

やばくないなら、やばい、と読み取れるお歌を出してきたことが失敗です。
王者というのは「絶対に」誰にも間違われない歌を出さなければいけません。ミスがあったら戦乱です。政変です。

そういう意味では今上のお言葉も、日本人の知性と教養を大幅に見誤っておいでだったと思います。
陛下、もうちょっと引き下げていただいてストレートにおっしゃらないとわからないどころか「曲解」するウカラヤカラが続出ですよ!と。
今上は公務が多すぎるように取り計らった宮内庁のせいで使い殺しの目に遭われている。これでもか、の膨大な虐待酷使のひとつひとつに誠心誠意心をこめて、日本を代表する神の子、太陽の直系子孫としてかくも長きにわたって懸命に勤めておいでになった。人間と接するばかりではなくて、日本を創った、いやもっと上位の天地創造の根源神とすら親しく接してお話になり、常に最善の道を歩んでこられた。
その陛下の命をかけたこれまでを全否定するような謎の新造語の「生前退位」で陛下に爆弾を投げつけてお心を傷つける。
皇后陛下の、断腸の思いで発せられたショックを受けた、のひとことの重さをも受け取らない。
何たることか、と思います。

今上があまりにも素晴らしい方ですから、そりゃあ期待しますよね、「次」はどんなに立派な王者であろうかと。

それなのに皇太子という御立場でこれはいくらなんでもないだろうと、わたしはガッカリすると共に「ヤバイなー」と稲川さんばりに繰り返しましたよ。
ヤバイヤバイヤバイ。
ヤバイマズイコワイ。
悪の牛丼屋です。

たとえ爽やかな陽光を浴びてきらきらと光を反射する綺麗で快活な情景であったとしても、それらの描写が一切なく、ただ妻になった女性と宿からボーッと見降ろせばちゃぷちゃぷ波が立っているなあ、だけでは「全然ダメ」な歌ですね。

だってね、この凡庸さ。この無彩色さ。モノクロの世界です。色もなければ音もない。なんという平面。

和歌は「立体的に」読まなければダメですよ。皇室なんて、日本の伝統文化、日本の魂の根幹をなす「和歌」のスペシャリストだったはず。どうしたというのでしょう。

「我が妻と眺むれば」「さざなみが立つ」わけですよ。ヤバイです。心にさざなみが立つということは、疑念、不信、迷い、惑い、何らかのネガティブな感情が揺れているよということです。


さらに同妃がもっとヤバイ。

横に立つ旦那の心にさざなみが立っていることはガン無視です。気づいてすらおりません。

「君と見る波しづかなる」 あーあーあー。いや、キミの旦那さん心が騒いでいるようだよ!
「琵琶の湖(うみ)」 旦那と違うモノ見てるよ!もう心は離れ離れだよ!新婚なのにちょっ早だよ!
「さやけき月は水面(みのも)おし照る」 きらっきらなお月様が一部の隙もなく煌々と明るく万物を照らしていると言ってるよ!得意の絶頂だよ!何ひとつわかってないよ!

感情の機微とか陰影とかなんにもないよ!つるっるつだよ!

ヤバイヤバイ。

もし皇太子も夜間の眺めであるならばもっとヤバイ。夜、二人で湖を見たら旦那は波騒ぎ心揺らぐ様を見ているわけですし、女房はどこもかしこも平坦にただただ明るい月夜だなあとうかれポンチでいるわけです。

時間帯が違っていてほしいなあと切に願います。

これ、別にイチャモンをつけているわけではなくてですね、このご夫妻につきましては特に奥様のほうが「のっぺらぼう」な情景ばかりを詠まれていて、「怖い」んですよね大変に。
なんというか、「心なし」なんです。歌に何らの心もない。

和歌というのは冷泉家の御方によれば、本来は個人の感情を朗々と歌い上げるのは下の下であって、そもそもは神、さらには仏、というような尊いものに対する崇敬を、自然の万物を「お約束をうまく使って」スタイルを整えて詠むもので、ここでいう湖(うみ)をテーマにするのなら、そこがいかに広々とたっぷりと豊かで恵み深くて尊くて、綺麗で美しくて清らかか、を、人間の暮らしにひもづけて、見て、詠う自分と、そこで繰り広げられている人々の「環境こみの」暮らしぶりとを徹底的に褒め上げる、そういうものでなければいけません。

なんですかこの「情趣のなさ」は。平べったくて無教養でかっさかさに乾いています。

百歩譲って最大限によい解釈を苦慮するならば、皇太子は近江という律令で定められた地域全体を代表するものとして近江のうみ、といい、同妃は目の前のうみそのものをさして琵琶のうみといい、それを上から大どかにのびのびと隈なく照らす大空の月をメインテーマにしていると無理矢理詠むことも可能でしょう。
ただ鑑賞するのであればそのように解釈して「さしあげる」のが自然なのかもしれません。

でも、このご夫婦のぼさーっとただ情景を定型におしこめた無関心ぶり、無節操ぶり、非人間的な「情趣のなさ」、いうならば「無感動」にわたしは戦慄を隠せません。

新婚なのに!なんでだよこの乾燥は!!!

と声を大にして言いたいものでございます。

もしわたしが一首詠むならば、皇太子の分は

我が妻と旅の宿より眺むればさざなみは立つ近江の湖(うみ)に
(徳仁皇太子・平成六年・歌会始 お題『波』)

まひろなる 湖(うみ)にかたつく 旅の宿り 妹背と吾が見ゆ 幸くと近江

意味
まんまんと水をたたえて広がっている大きな湖の、旅の途中でやすむことになったそこに面した宿の中から、こよなく愛しい妻と一緒に見晴るかすことであるよ、近江の地とそこに住まう人々が永遠に幸せに賑わう日々が続きますようにと祈りながら

動詞の見ると地名の近江(おうみ=おう、見るがいい)がかかっています。
我欲の我は使わない。吾にします。悟性の吾です。
かたつく、は接する、面している、という意味ですが、方がつく、という意味もかけて「これまで近江に何があったとしても今後は末永く幸せですよ、幸せの絶頂にいるわたしと同じくらいずっともっと幸せですよ」と読み取れます。
旅の宿り、ですから、ハネムーンの思い出でもあるんだよ、と艶めかしてもおりますね。
新婚さんが宿に泊まったらそりゃやることはひとつだろう。夜を徹してお互いに素晴らしい歌を詠むんですよねー(おい)。

あるいは
さざなみの白く際立つこの湖(うみ)に妻と宿れり 愛(め)でのさかりに

うわー、ちょっと強烈ですかね。エロい内容です。

「ささなみ」あるいは「さざなみ」を地名に取るなら滋賀県=近江の琵琶湖西南部沿岸地方の古名です。
だから「さざなみ」を出すのなら「近江」は出さないほうがいい。どっちかで意味が通じるからです。
(解説がないと通じなくなったのはみんな戦争が悪いんだ、敗戦の結果、日本弱体化のために教育機会を奪われたからなんだ!ということでお互い悲しんでおきましょう。よよよよよ)

その琵琶湖西南部に、いとしさが極まれる妻と宿をとったよ。白く細かく騒ぐ水のさまが古来絶えないこの場所に。

これは「んま!」と奥様方の眉をひそめさせる歌なので外に出してはいけないですね。
新妻と白く見える液体といえば「んまあああ!殿下ったら!」と頬を染めないといけません。

殿下は決してこんな歌を詠まれたりはなさらないはず!これはわたしの勇み足です。
でも新婚のころってみんなこんなではなかったですか?
殿下!お幸せな瞬間もおありだったのですよね?????



同妃の分

君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る
(雅子妃・平成六年・歌会始 お題『波』)

静(しづ)かなる水面(みなも)渡りし月さやか 君と並びて 琵琶湖 眺むる

新婚の花嫁さんなんですからこのくらいでいいんですよ。素直が一番です。大事なのはお気持ちです。ありがとう、がんばります、一緒に栄えていきましょうね、という優しく穏やかで分け隔てのないお気持ちです。

お題の「波」という言葉は直接的に入っていなくてもいいんです。この歌は波が消えた後の情景です。もう世界は平定された。穏やかにものみな眠る深更です。

波騒ぐこともなく安らいでほっと息をするように静かなこの夜に、大地に近い場所からそっと万物を照らし出す月が、あのように冴えて美しいことですね。
今ならんでそれを見ているあなた、太陽が君様、大切なあなたであるのなら、わたしはそこによりそう月になって、あなたの人生を照らしましょう。太陽のようにいずれは貴い高い位置につき、万民の幸せを祈り続けるお立場になるあなた様。
でも、今夜はわたしのそばにいて、このように美しい景色をふたりで見ている。それはなんと幸福なことでしょう。
琵琶湖と共に暮らす皆さんがこよなく大切にしている琵琶湖を愛するように、わたしも未来永劫、夫、上様であるあなた様を愛しますよ。
月が渡っていきますから、長い時間、少なくとも1時間はふたりで寄り添って眺めている。
あるいは月が静かなのに室内はハッスルハッスルでちょいちょい休みながらふと見上げているのかもしれないですが、ここでは二柱の男神、女神であるかのようにあたりを見ている情景ですね。

可愛いじゃないですか。いい奥さんだなあと思えませんか?

水面は「皆も」とかけて「みなも」と詠みましょうよ。みんなも一緒にね、の精神です。
漢字の読み方、助詞や接続詞、送り仮名なんぞが「いつの時代の言葉遣いか」は研究者に任せましょう。
大事なのはお気持ちです。
まぜこぜだっていいんですよ。

だってあなたが今歌にこめるべきは、何よりもまず、祝福してくれた、一緒に喜んでくれた琵琶湖をようするこの地域の人たちの幸せと、旦那さんの幸いです。なんとそうではないだろうか。

あるいは、

月さやか 波しづかなる琵琶の湖(うみ) 近江(おうみ)を遠見(とおみ)の君と眺むる

さやか、としづか、おうみととおみをかけています。
近江という地名に遠見、望見をかけて王者のふるまいを描写している。
近江の地で次世代の治天の君であるあなたと一緒に土地鎮めの祈りをこめて夜をかけて見渡しましたよ、という歌です。
地名をくどくどと二か所出すのはアレですが、まあそこは「旦那よりお上手ではありません」とアピールできて一石二鳥です。
土地と湖の名ですからご愛敬でしょう。


……ということが、何らの和歌教育を受けていない一般人のド素人である姐さんにすら、ぱっと出てきてしまうわけです。
(姐さんはなんでも独学ですからね。だからときどき、大変な勘違いとかしています。お恥ずかしいことですよ)

これはまずいですよ。

なぜなら皇室行事のうち「天皇がつかさどるべきもの、天皇しかできないもの」はすべて「言葉」を伴うからです。
そこをおろそかにしてしまうのは「怖い」とわたしは思います。
神様と接する時には「象徴」と「言葉」を使います。日本は「言葉」が占める割合が多い、大きい。その証拠が祝詞です。
ことばがとても大切です。

妃殿下はそういう行事には参加しないから関係ない?
いやいや、妃殿下は「人間たち」と接していかなければいけません。
すでに現時点で「病人」である人が、いったい何をあせって皇后位に執着しているのでしょうか。

コワイです。

ど素人なりにお歌を解釈いたしました。しかもクッソへたくそな歌も披露するという辱めを自ら選んで。
うわーん。
こんな自爆テロみたいな記事なんか不要な「次」であってほしかったですよ。

コワイコワイ。

せめてもお嬢さんのペットに「ニンゲン」なんぞと名付けずに「公民」とつけて「おほみたから」とでもつけるなら、と思いますが、それにしたって「来い、ニンゲン!」「あっち行け!ニンゲン!」と騒ぐセンスにはぞっとしますね。
「どういうスタンス」で生きているかモロリと出るんですよ「こういうところ」に!!!!


皇太子殿下ならびに同妃殿下におかれましては浅学菲才の身をもって僭越至極な言及を申し上げ奉りしことを平に御容赦願い上げ給うものでございます___呻きすめく絶えざらん息の元からの記事でした____

お詳しい方、どうぞ闊達なるご意見を願います。ひー、矢ぶすまにされそうですよ。コワイコワイ。





・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
皇族の歌 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2017/05/25 18:20

ソチ五輪代表選出基準



なんか、どうしても頭に入らない(入れたくない?)人がいるようなので記事にしておきま~す☆

ソチ五輪選出基準




・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
日本スケート連盟・各連盟(理事、職員、日本人ジャッジ等) | コメント(12) | トラックバック(0) | 2017/05/25 02:17

キム・ヨナの引退会見



浅田真央「スケートっていいな」「恩返しがしたい」
キム・ヨナ「スケートが嫌い、憎む」

この「違い」ですよ。はぁ。。。

引退会見

「ウリを忘れないでキャンペーン」をせっせとぶちこんできても、たいていの人はとっくに忘れていると思うのですよキム・ヨナのこと。

もたもたしていたら元記事が削除されておりました。残念!
キム・ヨナの事務所、All That Sportsのアイスショーの最終公演後の記者会見が、どうやら「引退会見」だったようです。
2014年の5月。

引退KY

やべーよ!!!!!!

「スケートが嫌い、憎む」と堂々と言い放っていた人なんで「これでもう滑らなくてすむニダ!」というニダリ顔がついモロリと出てしまったんですかね。
これ、韓国メディアが出してきたものですから文句はわたしに言わないでw


お行儀わるー。

引退KY2


ひいいいいいい!
ちなみにこれらのどれでもいいので、Googleの画像検索にポンとのせると「泣き女」が最初にヒットいたします。
韓国伝統の!アレかよ!

引退KY3


目がテン、って誰がうまいこと言えとwww

引退KY4

ランビは慣れてますよね、ええ。

「死んだ目友の会」を上回る「目がテン」が出てしまいました。







・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
キム・ヨナの人柄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/25 02:09

THE ICE2017への期待



所用でがさごそしていてチェックが遠のいていたのですが、THE ICE2017のキャストがえらいことになっていますね。「ひでぢぃ」さんのコメントでべっくらです。

おソトもイン!
詳しい方が作成なさったおソトの技術。

おソトの技術

わかりやすい!
真央ちゃんもリンクに入るとこれ、やりますよね。長~いあんよをすういすい。でわかりやすい。

ゲスト、いいなあ。ありがたい。
いやあもう最高っす。ノンストレスで見られるアイスショー。
わたしは「この人が出るなら行かない」と決めている人間がおりまして、そのせいで得難い機会を何度も見送るという「ひとり縛り地獄」に勝手におちこんでおりました。血の涙ですよほんとに。

ですが今回ばかりは「いやっほおおおおおおおお!」でございます。超嬉しい。

欲を申し上げるのなら

伊藤みどり

さらには

佐藤信夫先生・久美子先生・有香先生のマスター・ノブーオファミリーの滑りも拝見したいものでして、コンパルソリーを徹底的にたたきこんだこの世代の「スケートの質」の良さったら、リンクでひと蹴りするだけで、もうウットリでございますよ。

ああ。

真央ちゃん、ありがとう。
スケーターの皆さん、ありがとう。

今年、「値下げ」を敢行したこのアイスショーを名前を出してチケット代が高いとするバッシング記事が出ましたが、ふざけんなって話ですよね。

本人の意思に反してあくまでも「浅田真央」で稼ぎたい連中がしかけるうんこみたいな汚泥なぞどこ吹く風で大人気。
少なくともわたしは「浅田真央」本人、「浅田真央」個人についていきたい。
親戚のひとりとしてそれだけは思います。


THE ICE2017 公式サイト>キャスト
http://fs-theice.com/cast/

怪我なく迎えられますように。

バナーをたくさん作らなきゃなのでユザワヤに行ってこようかな。オカダヤものぞいてみよう。
不器用だけど「大好き」を直接伝えるいい機会。
夏までにお裁縫をがんばろうwww


盛り上がりましょう、チケットを確保できた幸運な「親戚」の皆さまと!!!!!


おらぁワクワクしてきたゾ!!!!!!!




・ブログ管理人には後からのコメント公開・非公開の変更はできません。内容にはご注意ください。
・コメント投稿時にパスワード設定を行うと投稿者ご自身で後から編集・削除が可能です。
・公開コメントで「メールアドレスが入力されているコメント」は削除します。
・「無記名コメント」は削除します。
・ブログ管理人からのコメント返信はランダムです。


フィギュアスケート ブログランキングへ
THE ICE2017 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2017/05/24 15:17
« Prev | HOME | Next »